411 各巻の系図 御法 朱雀院 紫の上 ( 女君、上、母 ) 明石の君 ( 明石、明石の御方 ) 冷泉院 秋好中宮 ( 冷泉院の后の宮 ) 源 致仕の大臣 タ霧 ( 大将の君 ) △葵の上 ( 大将の君の御母君、大将の御母上 ) 氏 ( 院 ) 花散里 ( 花散里の御方 ) 今上帝 ( 内裏、内裏の上 ) 明石の中宮 ( 后の宮、中宮、宮 ) 蔵人少将 春宮 女一の宮 ( 姫宮 ) 匂宮 ( 三の宮 )
源氏物語 412 蛍兵部卿宮 ( 宮 ) △藤宀中宮 ( 故后の宮 ) △桐壺院 朱雀院 △紫の上 ( 亡き人、母 ) 明石の君 ( 明石の御方 ) 源 △葵の上 花散里 ( 夏の御方 ) 女三の宮 ( 入道の宮、宮 ) 薫 ( 若君 ) 氏 致仕の大臣 頭中将 蔵人少将 雲居雁 君達 タ - 霧 ( 大将の君 ) 今上帝 明石の中宮 ( 后の宮 ) 匂宮龕 ) 中将の君 中納言の君 導師
211 ふ す したてしありさま、もろともに老いぬる末の世にうち棄てられて、わが身も人一四多年連れ添ってきた紫の上。 一五夫婦仲ゆえの悲嘆だけでない。 の身も思ひつづけらるる悲しさのたへがたきになん。すべてもののあはれも、 一六紫の上との二十年来の生活の 思い出が、悲しみを誘う。 ゅゑあることも、をかしき筋も、広う思ひめぐらす方々添ふことの浅からずな宅以下、藤壺や紫の上の思い出 を一般化した物言い むかしいま 一 ^ 六条院東南の殿の自室へ。 るになむありける」など、夜更くるまで、昔今の御物語に、かくても明かしつ 一九深更あえて立ち去る源氏に、 べき夜をと思しながら、帰りたまふを、女もものあはれにおばゅべし。わが御明石の君は感慨を深める。「女」は 源氏との仲を強調した呼称。 ニ 0 源氏も、明石の君のもとに泊 、いにも、あやしうもなりにける、いのほどかなと思し知らる。 ろうともしないわが心を見つめる。 よなか ひるおまし さてもまた例の御行ひに、夜半になりてぞ、昼の御座にいとかりそめに寄り三寝所でない場所での仮眠。 一三この謙譲語は異例。明石の君 ふみニニ 臥したまふ。っとめて、御文奉りたまふに、 の位置の高さが意識されているか ニ三「鳴く鳴く」「泣く泣く」、 源氏なくなくも帰りにしかな仮の世はい・ 「雁」「仮」の掛詞。北 ( 常世 ) に帰 っこもつひの常世ならぬに る「雁」に源氏自身を見立て、「常 よべ 昨夜の御ありさまは恨めしげなりしかど、いとかくあらぬさまに思しほれたる世」に「床」をひびかせ、永遠にと 願った紫の上との共寝も終った、 と嘆く歌。 御気色の心苦しさに、身の上はさしおかれて、涙ぐまれたまふ。 ニ四以下、明石の君に即した行文。 かり なはしろみづ 一宝「雁」「花」が源氏、「苗代水」 明石の君雁がゐし苗代水の絶えしよりうつりし花のかげをだに見ず が紫の上。紫の上の死後、源氏の ニ六 古りがたくよしある書きざまにも、「なまめざましきものに思したりしを、末訪れがかえって絶えたとする。 兵紫の上の、明石の君への嫉妬。 しかし晩年は親交したとする。 の世には、かたみに、いばせを見知るどちにて、うしろやすき方にはうち頼むべ ニ四 かたがた とこよ
はならるさと 巻名死期の迫っていることを思う紫の上が花散里との間に贈答した歌、「絶えぬべきみのりながらそ頼まるる世々にと結 ぶ中の契りを」「結びおく契りは絶えじおほかたの残りすくなきみのりなりとも」による。 梗概紫の上は、数年前の大病以来、健康が思わしくない。かねて念願の出家を望むが、源氏はどうしても許そうとしなか った。源氏自身、出家を志しているのだが、病身の紫の上と離れては、かえって修行に専念できないと思うのである。 あきこのむ 三月十日、紫の上発願の法華経千部の供養が彼女の私邸二条院で行われた。タ霧や帝、東宮、后の宮たち ( 秋好・明石 ) をはじめとして、花散里や明石の君までが志を寄せ、盛大な催しとなった。死期の近いことを予感する紫の上は、明石の 君・花散里と歌を交し、それとなく別れを告げた。 夏にはいって、紫の上の病勢はいっそう進んだ。明石の中宮は二条院に里下がりして紫の上を見舞う。紫の上は、中宮 と三の宮 ( 匂宮 ) にそれそれさりげなく遺言した。幼い宮たち、ことにかわいがっていたこの宮と女一の宮の成長を見ず に命を終えるのは、このうえなく心残りである。 秋になっても紫の上の容態は思わしくない。内裏に帰参のため、明石の中宮が病床を問うたそのタベ、紫の上は、源氏 に見守られ、中宮に手を執られて、露の消えるように静かにその生を終えた。悲しみに自失する源氏は、せめてもと、タ 霧に紫の上の落飾の差配を指示する。源氏とともに比類なく美しい紫の上の死顔に接したタ霧の衝撃も大きかった。 翌八月十五日、葬送のことが行われた。帝をはじめとして、人々の弔問が続く中、悲嘆にくれる源氏は、今は一途に出 家を志していた。だが、それは紫の上の死ゆえの衝動的なものであってはならないとも思う。しばらくこの悲しみに耐え ねんご なければならないのである。故人を偲び、出家する女房たちも少なくない。致仕の大臣の懇ろな弔問もあった。秋好中宮 の弔問に、源氏は、往時の春秋の争いを想い起して、あらためて涙にくれるのであった。 〈源氏五十一歳の春から秋まで〉 しの
れ。房の大きさなどよ。品高くなどはおきてざりける花にゃあらん、はなやか一上品に咲こうなどとは考えな かった花なのだろうか。擬人表現。 かた 冫にぎははしき方はいとおもしろきものになんありける。植ゑし人なき春ともニ派手でにぎやか。下品なさま。 語 三「色も香も昔の濃さににほへ 物知らず顔にて常よりもにほひ重ねたるこそあはれにはべれ」とのたまふ。御答ども植ゑけむ人の影ぞ恋しき」 ( 古 氏 今・哀傷紀貫之 ) 。 こと 四「光なき谷には春もよそなれ 源へに、女三の宮「谷には春も」と何心もなく聞こえたまふを、言しもこそあれ、 ば咲きてとく散る物思ひもなし こ , 一ろう 心憂くもと思さるるにつけても、まづ、かやうのはかなきことにつけては、そ ( 古今・雑下清原深養父 ) 。 五前注の歌の「物思ひもなし」が、 たが 源氏には無神経な言葉と聞える。 のことのさらでもありなむかしと思ふに違ふふしなくてもやみにしかなと、 六これはそうでなくてほしいと 思うこちらの気持にそわぬことは はけなかりしほどよりの御ありさまを、いで何ごとぞやありしと思し出づるに、 一度もなかった。女三の宮の無思 まづそのをりかのをり、かどかどしうら , つら , つじうにほひ多かりし、いざま、も慮から反転して、紫の上を称揚。 セさてどんなことがあったかと、 てなし、言の葉のみ思ひつづけられたまふに、例の涙のもろさは、ふとこばれ具体的な一つ一つを想起し反芻。 ^ 宮の居所から、直接西北の町 出でぬるもいと苦し。 の明石の君の居所へ。宮への興ざ めから、訪問を急に思い立った。 かすみ まれ 夕暮の霞たどたどしくをかしきほどなれば、やがて明石の九源氏の稀な訪問。↓二〇四ハー 〔セ〕明石の君と語るも 心慰まずさびしく帰る 御方に渡りたまへり。久しうさしものそきたまはぬに、お一 0 明石の君と比較して紫の上を 思う。紫の上は、明石の君とは別 ばえなきをりなればうち驚かるれど、さまようけはひ、いにくくもてつけて、な様にその風情を示したものだと。 「ゆゑーは生来身に備った美質。 ほこそ人にはまさりたれと見たまふにつけては、またかうざまにはあらでこそ、「よし」は、後天的な教養・趣味。 ふさ
48 各巻の系図 △六条御息所ーーー・ー秋好中宮 ( 中宮 ) 朱雀院 ( 山の帝、院の帝、院 ) 紫の上 源氏 ( 大殿の君、院、六条院 ) 蛍兵部卿宮 ( 宮、親王 ) 冷泉院 ( 院 ) △葵の上 女三の宮 ( 入道の姫宮、宮 ) 薫 ( 若君 ) 明石の君 タ霧 ( 大将の君、大将 ) 致仕の大臣 今上帝 ( 内裏 ) 明石の女御 ( 春宮の女御 ) △柏木 ( 故権大納言 ) 左大弁 藤宰相 左衛門督 式部大輔 春宮
源氏物語 4 △式部卿宮ーーーー紫の上 横笛 一条御息所 ( 御息所 ) △承香殿女御 朱雀院 ( 山の帝、院 ) 入道の宮、 女三の宮 ( 、 △藤 ~ 女御 明石の君 源氏 ( 六条院、院、大殿の君、大殿 ) △葵の上 、若君、宮 ・の若君 女 宰相 致仕の大臣 ( 大臣、父大臣 ) 按察大納言の北の方 今上帝 春宮 二の宮 匂宮鴫宮、 ) 明石の女御 ( 女御 ) 四の君 ( 北の方、上 ) △柏木 ( 故権大納言、君、衛門督 ) 左大弁 雲居雁 ( 上 ) タ霧男君 落葉の宮 ( 一条宮三の宮、宮 ) 若君
209 おもかげ一 ゅゑよしをももてなしたまへりしかと思しくらべらるるに、面影に恋しう、悲 = 我ながら扱いかねる意。 三宮と異なって明石の君とは。 一三とりわけ女への愛憐をさす。 しさのみまされま、 。いかにして慰むべき心ぞといとくらべ苦し。 前の述懐の「宿世のほども・ : 心乱 こなたにては、のどやかに昔物語などしたまふ。源氏「人をあはれと心とどれぬべけれ」 ( 二〇二 ~ 三ハー ) に照 応し、執着の断ちがたさを反芻。 かた めむは、、 しとわろかべきことと 、いにしへより思ひえて、すべていかなる方に一四女性交渉のみならず。現世へ の執着が成仏の妨げ、とする仏道 も、この世に執とまるべきことなくと心づかひをせしに、おほかたの世につけ一般の考え方に即していう。 一五須磨・明石への流離をさす。 一五 て、身のいたづらにはふれぬべかりしころほひなど、とざまかうざまに思ひめ「はふる」は、落ちぶれ放浪する意。 一六以下、流離時代には、命がけ ぐらししに、命をもみづから棄てつべく、野山の末にはふらかさんにことなるで仏道修行する人々とも通ずる心 境になった、と回顧 障りあるまじくなむ思ひなりしを、末の世に、今は限りのほど近き身にてしも、宅「しも」に注意。晩年の、最期 の時になって、かえって俗世の絆 ほだし に深く関り今日に至ったとする。 あるまじき絆多うかかづらひて今まで過ぐしてけるが、、い弱う、もどかしきこ 天出家の初志を貫きえなかった と」など、さして一つ筋の悲しさにのみはのたまはねど、思したるさまのこと気弱さとして、自らを非難 一九紫の上の死をさす。 れんびん わりに心苦しきを、いとほしう見たてまつりて、明石の君「おほかたの人目に何ニ 0 明石の君の、源氏への憐憫 三その本人にしてみると。 ニ一うちほだし ばかり惜しげなき人だに、心の中の絆おのづから多うはべなるを、ましていか一三まして、あなた ( 源氏 ) のよう なお方は。権勢を極め、大勢の でかは心やすくも思し棄てん。さやうにあさへたることは、かへりて軽々しき人々と関り合うような人物。 ニ三深い道心に基づかない出家。 ニ四 もどかしさなどもたち出でて、なかなかなることなどはべなるを、思したつほ = 四なまじ出家しないほうが。 しふ 一九 ニ 0 す かるがる
しちそう ほふぶく しなじなたまは めひめ したまひける。七僧の法服など品々賜す。物の色、縫目よりはじめて、きょ一四法華経一部は八巻、二十八品。 一五↓「わが御私の殿と思す二条 らなること限りなし。おほかた、何ごとも、いといかめしきわざどもをせられ院」 ( 若菜上同七二ハー ) 。六条院の 春の町は所詮仮の宿と思われるか。 たり。ことごとしきさまにも聞こえたまはざりければ、くはしきことどもも知一六「七僧」↓鈴虫八二ハー注六。 一九 宅法服の。女三の宮持仏開眼供 ほとけ らせたまはざりけるに、女の御おきてにてはいたり深く、仏の道にさへ通ひた養でも、紫の上は七僧の法服を善 美を尽して調達。↓鈴虫八二ハー。 まひける御心のほどなどを、院はいと限りなしと見たてまつりたまひて、ただ一 ^ 源氏がお教えしなかったのに 一九仏の儀式にまでよく通じて。 がくにんまひ おほかたの御しつらひ、何かのことばかりをなん営ませたまひける。楽人、舞ニ 0 タ霧。 ニ一秋好中宮と明石の中宮。明石 の女御が中宮になったことは初出。 人などのことは、大将の君、とりわきて仕うまつりたまふ。 一三源氏の妻妾たち。花散里・明 とうぐうき一い ニニかたがた 内裏、春宮、后の宮たちをはじめたてまつりて、御方々、ここかしこに御誦石の君などである。 ニ三仏前への捧げ物。 一西「石上の」は、「経」にかかる枕 経、捧物などばかりのことをうちしたまふだにところせきに、まして、そのこ 詞。転じて、「古き」の意。 とこちたきことどもあり。 一宝少女団一四三ハー以来の呼称。 ろ、この御いそぎを仕うまつらぬ所なければ、し ニ四 一宍花散里との身分差を表すべく、 いそのかみ 冫しとかくいろいろ思しまうけけん、げに、石上の世々経たる御「明石」と呼び捨てた呼称。 法つのほどこ、、 ニ六 ニ ^ 毛六条院から一一条院に。 ぐわん はなちるさと あかし みなみ 願にやとぞ見えたる。花散里と聞こえし御方、明石なども渡りたまへり。南ニ ^ 寝殿の西の塗籠の南と東の戸。 紫の上の座席。 ひむがし あ しんでん めりごめ 東の戸を開けておはします。寝殿の西の塗籠なりけり。北の廂に、方々の御 0 春の盛りの紫の上主催の法会。 その荘厳さと華麗さのなかに、紫 さうじ 1 つばね の上の深沈たる感慨が際だっ。 局どもは、障子ばかりを隔てつつしたり。 びと きゃうほうもち ニ 0 いとな ニ七 ひ * 、し へ かよ ふ
407 各巻の系図 柏木 △承香殿女御 一条御息所 ( 母御息所、御息所 ) △藤壺女御 〒女三の宮 ( 宮、尼宮三品 0 宮 ) 宮達 朱雀院 ( 帝、山の帝、院 ) 薫 ( 男君、若君 ) 明石の君 紫の上三条の上 ) 明石の女御 ( 女御 ) 源氏 ( 大殿の君、大殿、院、六条院 ) 柏木 ( 衛門督、衛門督の君、権大納言、故殿 ) 弘徽殿女御 ( 女御 ) 四の君 ( 北の方、上、母上、母北の方 ) 左大弁 ( 右大弁の君、弁の君 ) 致仕の大臣 ( 大臣、父大臣 ) 藤宰相 手云居雁 ( 大将の御方、女君、大将殿の北の方 ) タ霧 ( 大将の君、大将殿、殿 ) △葵の上 △六条御息所 各巻の系図 一、本巻所収の登場人物を各巻ごとにまとめた系図である。 一、△は、その巻における故人を示す。 、 ( ) 内は、その巻での呼び名を示す。 今上帝 ( 内裏、父帝 ) 落葉の宮 ( 一呂 冷泉院 秋中宮 ( 中宮 ) 玉鬘 鬚黒大将 ( 右大臣 ) ( 右の大殿の北の方 ) 乳母 小侍従 ( 侍従 ) 聖 小少将 ( 少将の君 )