源氏物語 6 4 見出しは、本文に付した見出しと同じものを現代語訳の該当箇所に付けた。 5 原文と現代語訳との照合の検索の便をはかり、それぞれ数ベージおきの下段に、対応するべージ数を 示した。 一、巻末評論は、本巻所収の巻々に関連して問題となるテーマを一つとりあげて論じた。 一、巻末付録として、「引歌一覧」「各巻の系図ー「図録」「官位相当表」を収めた。 一、本巻の執筆にあたっての分担は、次のとおりである。 本文は、阿部秋生が担当した。 脚注は、秋山虔と鈴木日出男が執筆した。 3 現代語訳は、秋山虔が執筆した。 4 巻末評論は、今井源衛が執筆した。 5 付録の「引歌一覧」は、鈴木日出男が執筆した。 一、その他 1 ロ絵の構成・選定・図版解説については田口栄一氏を煩わした。 2 ロ絵に掲載した『源氏物語絵巻』については徳川黎明会、五島美術館の協力を得た。
5 凡例 本文の見開きごとに注番号を通して付け、その注釈は見開き内に収めるように心がけた。だが、スペ ースの関係で、時には前のページあるいは後のページの注を参照するよう、↓を付してページと注番号 を示した。 3 『源氏物語一 ~ 六』 ( 第一冊 ~ 第六冊 ) を参照すべきことを示す場合は、次のようにした。 ↓帚木田四九ハー ( 本文を参照する場合 ) ↓紅葉賀五七ハー注一一三 ( 脚注を参照する場合 ) ↓須磨 3 〔一四〕 ( 本文中の太字見出しの章段を参照する場合 ) 4 語釈は、スペースの許すかぎり、語義・語感・語法・文脈・物語の構成・当時の社会通念などにもふ れながら、読解・鑑賞の資となるよう心がけた。 5 段落全体にわたる問題、とくに鑑賞・批評などには、 0 を付して記した。 6 引歌がある部分の注は、当該引歌とその歌が収録されている作品および作者とをあげるにとどめ、引 歌の現代語訳と解説とは、巻末付録「引歌一覧に掲げた。 7 登場人物・官職・有職故実については、本文の読解・鑑賞に必要な範囲内にとどめたので、巻末付録 の「系図」「図録ー「官位相当表」をも併せて参照されたい。 一、現代語訳については、次のような配慮のもとに執筆した。 原文に即して訳すことを原則としたが、また独立した現代文としても味わい得るようにつとめた。 2 そのために、必要に応じて、①主語・述語の補充、②語順の変更、③会話・独白 ( モノローグ ) ・心内 ・引用における「」の添加、④文中の言いさしの言葉には下に補いの言葉の付加などの工夫をした。 3 和歌は、全文を引用したのち、その現代語訳を ( ) 内に示した。
幻御 タ 鈴横柏 法 務 虫 笛木 校訂付記 : 巻末評論・ 凡例 : ・ 目次 原文現代語訳 ・ : 九七 : ・ : 三三七
の山にもとどめておけそうだが、、いのほうは野にも山にも迷 柏木 し出ていきそうである。 ・Ⅱ・ 8 大方の我が身一つの憂きからになべての世をも出家しても、風流に執する心は抑えがたいとする歌。同じ 恨みつるかな ( 拾遺・恋五・九吾紀貫之 ) 作者の類想歌として、「いつまでか野辺に心のあくがれむ おおむねわが身一つがつらく思われるばっかりに、すべての花し散らずは千代も経ぬべし」 ( 古今・春下・九六 ) があり、『河 世の中をも恨んでしまうことであるよ。 海抄』などはこれをも掲げている。物語では、柏木の出家 ほだし 『後撰集』 ( 雑三・一 = 三三 ) には類歌として、初句「飛鳥川」、 願望とその絆を語る「野山にもあくがれむ道の重き絆なる べく」の叙述に、次項の和歌とともに引かれている。この 第三句「淵瀬ゅゑ」の異同のある歌 ( 読人しらず ) がある。 歌をふまえて「野山にもあくがれむ道」とあるだけに、出 物語では、「なべての世の中すさまじう思ひなりて」の、 えんせい 柏木の厭世観を語る叙述に引かれているが、それに先立っ家は自らの魂のあこがれを志向しているといえようか。次 「一つ二つのふしごとに、身を思ひおとしてしこなた」に 項参照。 11 . 0 1 よ 1 覧もひびきあっている。古来「一つ二つ」が何をさすか問題・ 世の憂きめ見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそ もののべのよしな ほだしなりけれ ( 古今・雑下・九物部吉名 ) 一となってきたが、こうした引歌による和歌的な表現である 歌 世の中のつらさにあわずにすむ山の中に入ろうとすると、捨 点に注意したい。 てがたく思う人が修行の妨げになるものだった。 ・いづくにか世をば厭はむ、いこそ野にも山にもま ( 古今・雑下・九四セ素性法師 ) 前出 ( ↓賢木三八七ハー上段など ) 。物語では前項の和歌とと どふべらなれ どこに世を厭うて出家したらいいのだろうか。体なら一箇所もに、柏木の出家願望とその絆を語る叙述に引かれている。 引歌一覧 、この「引歌一覧」は、本巻 ( 柏木 ~ 幻 ) の本文中にふまえられている歌 ( 引歌 ) で、脚注欄に掲示し た歌をまとめたものである。 一、掲出の仕方は、はじめに、引歌表現とみられる本文部分のページ数と行数をあげ、その引歌および出 典を示し、以下、行を改めて、歌の現代語訳と解説を付した。 かいし・よう・ へ か
ひっきよう 畢竟此の雲隠は名ばかりにて、書かざるの説尤も然るべし。其の故は物語一部の中哀情をかける人さま ざまにて事つきたり。此の外に源氏崩御の事をしるさば、言語も及ぶべからず。又同じさまの事なるべし。 語仍って之を略す。作者の趣向玄の玄たる者也。 氏と言っているのは、これら中世における正統的源氏学の主張を総括するものといえるだろう。それ以後、こ 源 の説は、天台四門に関すること以外は、すべて、近世国学者を通じて現代にまで受け継がれてきた。たとえ ば本居宣長は『玉の小櫛』の中で、 此巻、名のみ有て詞なきは、巻の名に源氏君のかくれ給へることをしらせて、其事をばはぶきて書けるに て、紫式部のふかく心をこめたること也。 、さらに、紫式部が源氏死去のことを書かなかった理由としては、 物のあはれを深く知りたまへる源氏君のかなしみ給へるにてこそ、ふかきことはかぎりなきを、もし源氏 君のかくれ給へるかなしびをかかむとせば、たがうへのかなしみにかかくべき。源氏君ならぬ人の心のか なしみにては、深きあはれはつくしがたかるべし。これはた源氏君のかくれ給へることをかかざるゆゑの 一つなり。 宣長は、さらに付け加えて、例によって、古注がことごとしく漢籍や仏典を引くことを無用の沙汰と嘲って いるわけだ。 宣長の説は、紫式部が源氏の死を含む雲隠の巻を執筆するはずがない、 というのが主眼であって、それ以 上に、雲隠の巻が作者の意によって世間に出たか否かについては何も言わない。彼はほかのところで、「並 び」の巻についても、とり立てて論ずる価値はない、 ということを言っているから、「並び」は作者とは無 と = = ロい おぐし あぎけ
とせり」と一一 = ロう。この問題は昔から『源氏物語』の読者の好奇心をそそりつづけてきたのであり、また現代 の我々にもかなり興味の深い問題だといえるだろう。 しろぞうし 語高野山の正智院には、正治元年 ( 一一究 ) かその翌年ごろに書かれた『白造紙』と呼ばれる書物がある。そ 氏の中に、「源シノモクロク」と題して、『源氏物語』の巻名目録が載っている。それは、「一キリッホ」か ら始って、「廿四ミノリ」に至り、以下「廿五マホロシ廿六クモカクレ廿七ニホフ兵部卿 ( 下 略 ) 」とする。幻の巻は現行巻序では四十一番目だが、それが廿五とされているのは、解説でもすこしふれ うっせみ すえつむはなよもぎう はつね た「並び」の巻の空蝉・タ顔・末摘花・蓬生・関屋および初音以下真木柱に至る九帖、さらに鈴虫の合せて 十五帖を外して数えるほか、現行では上下二巻に数える若菜を一巻とするからである。 やかま いきさっ この「並び」の巻十五帖の性格については、今日も議論の喧しいところで、あるいは原作執筆の経緯にか ふじのうらば かわる名辞であって、鈴虫を除く並びの巻々は、それ以外の巻々がまず藤裏葉の巻あたりまで書き上げられ た後から、あちらこちらと内容に応じて挿みこまれたものだと言い、またあるいは、「並び」の語は、中国 の詩序などに用いる「拜 ( あはせる ) 」の文字に由来するものであって、平安末に漢学者あたりから言い出し とするのである。 た構想論上の用語に過ぎず、成立そのものには関係がない、 この論議は、それ自体たいへん興味があり、また源氏物語研究のうえでは重要な課題なのであるが、しか し、ここでは、それ以上立ち入ることをやめて、問題をもつばら雲隠の巻にしばることにする。 この巻名が十二世紀の末に「二十六」という巻序とともにできあがっていたことは、右の『白造紙』で明 はさ
一夜中から夜明けまで行う勤行。 たげに思したり。 ニ院の帰還後まもなく、受戒の ごや 後夜の御加持に、御物の怪出で来て、物の怪「かうそあるよ。効あってか、女三の宮に取り憑い 〔六〕六条御息所の物の 語 た物の怪が正体を現す。 物怪、またも現れる と三それごらん。発語の物言い いとかしこう取り返しっと、一人をば思したりしが、い 氏 四「一人」は紫の上。源氏が紫の 源 ねたかりしかば、このわたりにさりげなくてなむ日ごろさぶらひつる。今は帰上から物の怪を退散させたこと。 物の怪の正体は六条御息所と判明 五紫の上に親密な源氏への妬心。 りなむ」とてうち笑ふ。いとあさましう、さは、この物の怪のここにも離れざ 六 小一条院女御 ( 道長の娘寛子 ) くや が危篤に陥り剃髪した折、藤原顕 りけるにゃあらむと思すに、、とほしう悔しう思さる。宮、すこし生き出でた 光とその娘 ( 小一条院女御、延子 ) まふやうなれど、なほ頼みがたげに見えたまふ。さぶらふ人々も、いと言ふかの死霊が現れて手を打って笑った ( 栄花物語 ) 。これに類似するか。 ひなうおばゆれど、かうてもたひらかにだにおはしまさば、と念じつつ、御修セ以下、源氏は物の怪の執拗さ せんりつ にあらためて戦慄し、物の怪ゆえ の宮の出家に新たな感慨を抱く。 法、また延べて、たゆみなく行はせなど、よろづにせさせたまふ。 ^ 尼姿になった宮への感懐 ゑもんのかみ 、かの衛門督は、かかる御事を聞きたまふに、、 しとど消え入九院の言葉に近似。↓二六ハー末。 〔セ〕柏木、タ霧に告白 0 物の怪の出現は、宮出家の種明 後事を託して死去する かしでもあるが、源氏の人生を根 るやうにしたまひて、むげに頼む方少なうなりたまひにた 源的に捉え直す視点ともなろう。 一 0 宮の出家をさす。 り。女宮のあはれにおばえたまへば、ここに渡りたまはむことは、今さらに、 = 北の方の落葉の宮。柏木は彼 うへおとど 軽々しきゃうにもあらむを、上も大臣も、かくっと添ひおはすれば、おのづか女に見とられたい ( 若菜下圈一三 六ハー八行 ) 。いよいよ最期である。 三父大臣邸。北の方の来訪は、 らとりはづして、見たてまつりたまふやうもあらむにあぢきなしと思して、 ( 現代語訳二四一一ハー ) ほふ かるがる かぢ ニものけ
からもてそこなひつるにこそあめれと思ふに、恨むべき人もなし。「神仏をも一人間にはもちろん、神や仏に も恨み言を言いようがないのは。 たれちとせ かこたむ方なきは、これみなさるべきにこそはあらめ。誰も千歳の松ならぬ世ニ運命の巨大な力によるとする。 語 三「憂くも世に思ふ、いにかなは 物よ、つひにとまるべきにもあらぬを、かく人にもすこしうちばれぬべきほどぬか誰も千年の松ならなくに」 ( 古 今六帖四 ) 。 ひと 源 にて、なげのあはれをもかけたまふ人あらむをこそは、一つ思ひに燃えぬるし四今死んだら、女三の宮も自分 との恋ゆえかと合点しよう、の意。 れんびん るしにはせめ。せめてながらへば、おのづから、あるまじき名をも立ち、我も五かりそめの憐憫なりとかけて くれる人。柏木は密通後、女三の 人も安からぬ乱れ出で来るやうもあらむよりは、なめしと心おいたまふらんあ宮に「あはれ」の共感を求め続けて きた。↓若菜下同一八〇ハー注四。 たりにも、さりとも思しゆるいてむかし。よろづのこと、いまはのとぢめには、六「夏虫の身をいたづらになす こともひとっ思ひによりてなりけ ・一と あやま り」 ( 古今・恋一読人しらず ) 。自 みな消えぬべきわざなり。また異ざまの過ちしなければ、年ごろもののをりふ 滅の死を、恋に生きた証と思う。 しごとには、まつはしならひたまひにし方のあはれも出で来なんーなど、つれセ密通露顕の世間の悪評を想像。 ^ 自分にも宮にも容易ならぬ騒 しゆったい ぎが出来しよう、それより、 づれに思ひつづくるも、うち返しいとあぢきなし。 そ自分が死んでしまったら、の意。 九自分をふとどき者と不快に思 などかく、ほどもなくしなしつる身ならんとかきくらし思 〔ニ〕柏木、小侍従を介 っておられる源氏も。自らの死に まくら してひそかに宮と贈答 より源氏に許されたいと願う気持。 ひ乱れて、枕も浮きぬばかり人やりならず流し添へつつ、 一 0 密通以外に源氏に憎まれる過 ひま ふみ 、ペー 0 失はない意。↓若菜下圈二〇 ~ / いささか隙ありとて人々立ち去りたまへるほどに、かしこに御文奉れたまふ。 0 柏木の長大な心内語で、この巻 柏木「今は限りになりにてはべるありさまは、おのづから聞こしめすやうもが開始。死を招き入れつつ、生と ( 現代語訳一一三一一ハー ) かた あかし
月日にそへて、この君のうつくしう、ゆゅしきまで生ひま一幼い源氏の不吉なまでの成長 2 〔四〕源氏・タ霧各感懐 ぶりにも類似。↓桐壺田一一九ハ を秘めつつ、季節移る ニ源氏の歌の表現に照応。薫の さりたまふに、まことに、このうきふしみな思し忘れぬべ 語 美質に憂愁を「忘れぬべし」とする。 ほか 物 三薫を出生させる密通の宿世と し。「この人の出でものしたまふべき契りにて、さる思ひの外のこともあるに 氏 捉え直すと、咎めだてもできない。 四 源 こそはありけめ。のがれがたかなるわざそかし」とすこしは思しなほさる。み四宿世といえば、自分の宿世も また、として憂愁の人生を顧みる。 すくせ づからの御宿世も、なほ飽かぬこと多かり。あまた集へたまへる中にも、この若菜上一三ハーの述懐とも照応。 五六条院の女君たちの中でも。 宮こそは、かたほなる思ひまじらず、人の御ありさまも思ふに飽かぬところな六欠点と思う点もなく。素姓も、 申し分ないこと。 セ考えると、物足りぬ点もなく。 くてものしたまふべきを、かく思はざりしさまにて見たてまつることと思すに 女三の宮への評価がこれまでと異 ふびん なる。尼の身への不憫さによるか。 つけてなむ、過ぎにし罪ゆるしがたく、なほ口惜しかりける。 ^ 意外にも尼の身になったこと。 ひと - ) と 九密通の罪。前の「すこしは思 大将の君は、かのいまはのとぢめにとどめし一言を心ひとつに思ひ出でつつ、 しなほさる」 ( 四行 ) から反転、無 けしき いかなりしことぞとは、、 しと聞こえまほしう、御気色もゆかしきを、ほの、い得念に思う。 一 0 タ霧は、柏木の臨終に際して、 て思ひょらるることもあれば、なかなかうち出でて聞こえんもかたはらいたく他言無用の遺言をされた。↓柏木 ~ 三三ハー、三四ハー七行。 あき て、いかならむついでに、このことのくはしきありさまも明らめ、また、かの = 源氏に尋ね、その顔色など反 応をみたい。 ↓柏木四一ハー一三行。 一ニタ霧は密通事件にまで思い及 人の思ひ入りたりしさまをも聞こしめさせむと思ひわたりたまふ。 。なかったが ( ↓若菜下圈二一八 ハー三行 ) 、うすうす事情を察知し ( 現代語訳一一六三ハー ) お
く、思ひかはしたまひながら、またさりとてひたぶるにはたうちとけず、ゆゑ一紫の上の、明石の君への隔心 ある底意。源氏だけがそれを知る。 ニたまらなく寂しいときは。 ありてもてなしたまへりし心おきてを、人はさしも見知らざりきかし」など思 三昔のように共寝することは。 語 物し出づ。せめてさうざうしき時は、かやうにただおほかたに、うちほのめきた 0 春の景物は、故人の回想と結び 氏 つくだけに、源氏に襲いかかるよ うに追慕の悲情をもたらす。やが 源まふをりをりもあり。昔の御ありさまには、なごりなくなりにたるべし。 て季節は初夏へと移る。 五ころもがヘ さうぞく 四東北の、夏の町にいる花散里。 夏の御方より、御更衣の御装束奉りたまふとて、 ・ : つも都 ~ 〔 ^ 〕花散里よりの夏衣 五初夏四月一日の衣更え。妻が を見、世をはかなむ 花散里夏衣たちかへてける今日ばかり古き思ひもすす夫の衣装を新調して贈るのが例。 六「古き思ひ」は紫の上の思い出。 彼女は毎年源氏の衣装を調えた。 みやはせぬ 一説には、花散里自身のこと。 たと セ「羽衣」は夏の衣の喩え、「うす 御返し、 き」「空蝉」が縁語。「うっせみの」 は「世」の枕詞。世の無常を嘆く歌。 源氏羽衣のうすきにかはる今日よりはうっせみの世そいとど悲しき ^ 四月中旬の賀茂祭。 九源氏に従って引き籠る女房ら。 祭の日、 いとつれづれにて、源氏「今日は物見るとて、 〔九〕祭の日、中将の君 一 0 この邸から派手に見物に出る みやしろ にあわい愛情を覚える 人々心地よげならむかしとて、御社のありさまなど田 5 しのでは、源氏の心境にそぐわない = 源氏の召人。↓二〇二ハー注 = 。 一ニ源氏の居所の東の対の東廂か やる。源氏「女房などいかにさうざうしからむ。里に忍びて出でて見よかし」 一三「ささやか」は、小柄の意。 一四寝起きの上気した顔つき。 などのたまふ。 一五「紅の黄ばみたる」は柑子色。 ひむがしおもて とささ「萱草色より少し黒すんだ色。と 中将の君の東面にうたた寝したるを、歩みおはして見たまへば、し ( 現代語訳三六一 四 六 あ