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検索対象: 完訳日本の古典 第20巻 源氏物語(七)
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1. 完訳日本の古典 第20巻 源氏物語(七)

48 各巻の系図 △六条御息所ーーー・ー秋好中宮 ( 中宮 ) 朱雀院 ( 山の帝、院の帝、院 ) 紫の上 源氏 ( 大殿の君、院、六条院 ) 蛍兵部卿宮 ( 宮、親王 ) 冷泉院 ( 院 ) △葵の上 女三の宮 ( 入道の姫宮、宮 ) 薫 ( 若君 ) 明石の君 タ霧 ( 大将の君、大将 ) 致仕の大臣 今上帝 ( 内裏 ) 明石の女御 ( 春宮の女御 ) △柏木 ( 故権大納言 ) 左大弁 藤宰相 左衛門督 式部大輔 春宮

2. 完訳日本の古典 第20巻 源氏物語(七)

音無の九 寂光院 大原 ・・ - 日無の 卍勝 # 卍迎院 卍」壬院 焦山 呂川 ~ 国道号 八瀬 三師生発院 立陀三尊 日ヶ岳卍匯暦寺 ローっ。ウェイ 比叡山ケーづル 丿謎園比叡山 修学院客・ イラスト地図・杉浦才樹 一乗寺 至出町

3. 完訳日本の古典 第20巻 源氏物語(七)

北大路ー大原 ( 市営バス ) 分 ありなんと合点せずにはいられぬ経過が精細に語り尽くさ 徒歩分ほどで三千院。近くに来迎院・勝林院・寂れているといえよう。タ霧の言動は、すべてま 0 たくタ霧 光院、音無の滝などがある。 にふさわしいのである。 ・味 せりよう ところで、かって私の編集した『源氏物語必携Ⅱ』 ( 昭 芹生 ( 三千院前。 0 ー七四四ー一一三 0 一 ) とろろそばや三千草弁当 カ 4 わいー ) い ぎよぎんえん 、学燈社 ) 所収の「源氏物語作中人物論」中の「タ霧」 魚山園 ( 三千院のそば。 0 七五ー七四四ー一一三一一一 ) 大原女弁当がおす の項は藤村潔氏の執筆されたものだが、氏は物語世界にお すめ。 けるタ霧の経歴を克明に追跡されたあと、「読者は、源氏 ・みやげ しば漬が名高く、土井志ば漬本舗や三千院前の甚兵衛茶屋、の長男を、彼が揺るぎない自制を誇った巻々のイメージに とら 寂光院前の雲井茶屋などが味を競っている。紫蘇湯「おの よってではなく、おこめいた惑乱を示した部分によって捉 すぎく みやす」はさつばりとしてよい風味。また、みうら利久園 えているわけであるが、その深層に女三の宮出家後の朱雀 大原店 ( 寂光院登り口。 0 七五ー七四四ー一一八九一 ) は、おいしいお ちゅうたい 茶やコーヒーを出してくれる。 院家との紐帯の補強が隠されていることに気づかない」と 5 し・よ・つみ・よろ・ 他に実光院には女性専用の宿坊があって、朝の声明勤言い添えておられる。 行に参加できる。 ここで藤村氏が「読者は」といわれるのはどういう読者 なのだろうか。彼 ( あるいは彼ら ) は「隠されている」「深 タ霧の物語についてー深層と表現ー 層」に「気づかない」とされるのだが、それは読みが浅い ということであり、「その深層」に気づくことこそが本当 に読んだことになるのだ、というのが藤村氏の意見である 秋山虔 と解してよいか。それとも、「その深層」は作者自身にと 「まめ人」との定評をこうむるタ霧の変貌は、その北の方っても必ずしも意識されていたのではなく、読者にとって くもいのかり な ) ) り の雲居雁から「まめ人の心かはるは名残なくなむと聞きし はなおさらのことであるが、今日の研究者としては当時の はまことなりけり」と慨嘆されたように、、かにも、さも上層貴族の精神構造を「深層」から規定する枠組としてこ

4. 完訳日本の古典 第20巻 源氏物語(七)

て、御薬湯をおさしあげになる。ほんとにひどく青み痩せ夜の闇に紛れて山をお出ましになる。 前もってそのようなお報せもなくて、にわかにこうして て、言いようもなく頼りなげなご様子で臥していらっしゃ あるじ お越しになったので、主の院は驚いて恐縮申しあげられる。 るお姿は、おっとりしてかわいらしく見えるので、どんな にひどい過ちがあったにせよ、こちらも気弱くなり、許し「俗世間のことは、いにかけまいと思っておりましたが、な ばんのう んといっても煩悩を捨てきれないのは、子を思う道の闇と てあげたくなるようなお方よ、と院の殿はお思い申される。 ごんぎよう いうものでございましたから、勤行も怠りがちで、もしも 〔五〕朱雀院憂慮して下山の父帝は、宮の初めてのお産がご 山女三の宮出家する平安だったとお聞きあそばされて、 親子の順序どおりとはいかずに、宮に先立たれるというこ とになれば、そのままこの恨みも互いに残りはせぬかと、 しみじみといとおしく、お会いになりたくおばしめすが、 しら こうしてずっとおわずらいとのお報せばかりなので、「ど それが情けなく思われまして、世のそしりも顧みずに、こ うしてやってまいったのでございます」と、父の院はお申 うおなりになることか」と、仏前のお勤めも怠りがちにご そうぎよう しあげになる。そのお姿は僧形ながらも、優雅にやさしい 心配あそばすのであった。 ふぜい 風情で、目だたぬよう身なりをやっしていらっしやって、 あれほどにお弱りであったお方が、何も召しあがらずに すみぞめ きちんとした御法服ではなく、墨染の衣をお召しのお姿が 幾日もお過しになるので、いかにも衰弱した様子におなり になって、これまで長らくお目にかからなかった間よりも、申し分なく清らかにお見えになるのも、主の院としてはう らやましいお気持で拝される。例のことながらまず涙をお 父院をまことに恋しく思われなさるので、「もう二度とお 目にかかれなくなってしまうのだろうか」とひどくお泣き流しになる。「宮の御病は、格別どうというご容態でもご ざいませんが、ただここ幾月の間お弱りでいらっしやるお になる。宮がこのように申しあげていらっしやるご様子を、 院の殿がしかるべき人を通して父の院に申しあげさせられ体であるところへ、召しあがり物もはかばかしくおとりに ならないことが続いたためでしようか、このようなご様子 たので、父院はじっさいこらえがたく悲しいお気持になら におなりなのです」などとお申しあげになる。 れて、出家の御身にあるまじきこととおばしめしながら、 やみ しら ( 原文一三ハー )

5. 完訳日本の古典 第20巻 源氏物語(七)

書院に通され、ここで短い写経をする。鎌倉の寺院で流され、そこで心ゆくまで『新古今集』を親撰した後鳥羽 時々写経をする私にとっては、心の落ちつく佳い時間であ院。音楽にも堪能だった院は、この雪の中で、律呂両川の 水音とともに、声明の声を聞いておられるのだろうか じかく 膝のあたりから、しんしんと寒さが這いのばってくる。 勝林院は、第三代天台座主慈覚大師 ( 円仁 ) の流れを汲 しんでん 写経を納めに宸殿へ。その間の板の間の冷たさといったらむ寂源の建てた大原魚山流声明の根本道場である。寂源と まさぎね なかった。足の先の感覚がない。昔の人はよくもこんな寒は、一条左大臣雅信の息、時信。長和二年 ( 一 0 一三 ) のこと - 一う さに耐えたものだと思う。歯をがちがちいわせながら、勾だというから、ちょうど道長の頃である。紫式部もまたそ らん 欄越しに、庭を見た。その瞬間、私は何ともいえぬ清々しの耳に、声明を何度も聞いたのだろう。 らい′一ういん い思いに打たれて、しばらく立ちつくしてしまった。 呂川、律川の源は、山を登った所にある来迎院の奥の、 おとなし 雪のちらっく中、荘厳な杉木立に囲まれて、古びた院が音無の滝だそうで、ぜひとも見に行きたかったのだが、雪 静かにそこに在った。清浄きわまりない雪の積む屋根の勾道が凍っていて、これは断念せざるを得なかった。 さら おとな 配。風雪に曝された木造の、寂然としたたたずまい。私は タ霧は、秋の霧にまぎれて落葉の宮を訪う。「山おろし またしても、笛の音を幻に聴いたように思った。 心すごく、松の響き木深く聞こえわたされなどして : : : 」 おうじよう′」くらくいん それは国宝の往生極楽院であった。 という、秋の時節に今一度、ここを訪れてみたい、とは思 誰もいない雪の三千院。そこに行き会ったこの好運は、 ったが、その季節には観光客があふれているにちがいない。 何にも替え難い。この日に来たことを、天に感謝せずにはやはり雪の大原こそ、文学散歩には似つかわしいのかもし いられなかった。 れない ( 歌人 ) みち 帰り途、名物の「紫蘇湯」をふるまわれて、私は声明道 しようりんいん 場の中心、勝林院へ向った。そのごく近くに、ひっそりと 静まる御陵があった。なにげなく足を踏み入れると、そこ ごとばいん じようきゅう は後鳥羽院の山陵なのであった。承久の乱によって隠岐に 【メモ】 ・交通 大原・三千院へ ( 電車・バス ) 京都ー北大路 ( 地下鉄烏丸線 ) 昭分

6. 完訳日本の古典 第20巻 源氏物語(七)

411 各巻の系図 御法 朱雀院 紫の上 ( 女君、上、母 ) 明石の君 ( 明石、明石の御方 ) 冷泉院 秋好中宮 ( 冷泉院の后の宮 ) 源 致仕の大臣 タ霧 ( 大将の君 ) △葵の上 ( 大将の君の御母君、大将の御母上 ) 氏 ( 院 ) 花散里 ( 花散里の御方 ) 今上帝 ( 内裏、内裏の上 ) 明石の中宮 ( 后の宮、中宮、宮 ) 蔵人少将 春宮 女一の宮 ( 姫宮 ) 匂宮 ( 三の宮 )

7. 完訳日本の古典 第20巻 源氏物語(七)

虫 鈴 8 ふみ ( 現代語訳二八一ハー ) ろく さかづき 一三「月かげ」は冷泉院。院の繁栄 り。御使に盃賜ひて、禄いと二なし。 は変らないとする。下の句は、院 ごぜん 人々の御車次第のままに引きなほし、御前の人々立ちこみへの卑下ながら、自身の過往への 〔を源氏、冷泉院へ参 追憶もこもる。「試みに他の月を 上詩歌の御遊び て、静かなりつる御遊び紛れて、出でたまひぬ。院の御車もみてしがなわが宿からのあはれ なるかと」 ( 詞花・雑上花山院 ) 。 とうさいしゃう に、親王奉り、大将、左衛門督、藤宰相など、おはしけるかぎりみな参りたま一四「めり」まで語り手の評。この 歌には往時述懐があるとして、源 よそ なほし したがさね ふ。直衣にて軽らかなる御装ひどもなれば、下襲ばかり奉り加へて、月ややさ氏の心の深さに注意させゑ = ロ辞。 三身分に従って並べ直し。 しあがり、更けぬる空おもしろきに、若き人々、笛などわざとなく吹かせたま一六源氏と蛍の宮と同乗。 宅柏木の弟。藤宰相も兄弟か。 一九 のうしはう・一 一 ^ 直衣布袴の姿。「下襲」は束帯 ひなどして、忍びたる御参りのさまなり。うるはしかるべきをりふしは、とこ の半臂の下に着る。後ろに裾を高 ろせくよだけき儀式を尽くしてかたみに御覧ぜられたまひ、また、いにしへの欄にかけて華美を競った。『源氏 物語絵巻』鈴虫に描かれる。 ただ人ざまに思しかへりて、今宵は軽々しきゃうに、ふとかく参りたまへれば、一九前駆の声をたてさせない。 ニ 0 以下、源氏の、公私の別をわ - 一と かたちニ四 いたう驚き待ち喜びきこえたまふ。ねびととのひたまへる御容貌、いよいよ異きまえ、場合に応じた適切な態度。 ニ一臣下だった時の状態。 す 一三冷泉院の喜び。↓注一一。 ものならず。いみじき御盛りの世を御心と思し棄てて、静かなる御ありさまに ニ三冷泉院は今三十二歳。 から やまと あはれ少なからず。その夜の歌ども、唐のも大和のも、心ばへ深うおもしろくニ四二人の容貌はもともと酷似。 一宝冷泉院は二十八歳で退位。 ニセこと のみなん。例の言足らぬ片はしは、まねぶもかたはらいたくてなむ。明け方に兵詩歌の宴となった。 毛語り手の省筆の弁。言葉足ら ずの片端だけでは気がひける。 文など講じて、とく人々まかでたまふ。 かう かろ かるがる はんび

8. 完訳日本の古典 第20巻 源氏物語(七)

源氏物語 24 ゆかしも たてまつりたまふ。宮をも、とかう人々つくろひきこえて、床の下におろした一床 ( 御帳台 ) から板敷の上に。 きとう ニ夜通し加持祈疇する僧。病人 きちゃう てまつる。御几帳すこし押しやらせたまひて、朱雀院「夜居の加持の僧などの心の寝所にある黒衣姿の自分をいう。 三まだ功徳も積まず験力もない。 四あなたが会いたいと思う私の 地すれど、まだ験つくばかりの行ひにもあらねばかたはらいたけれど、ただ、 姿を。一個の父親としての発言。 おばっかなくおばえたまふらむさまを、さながら見たまふべきなり」とて、御五源氏に訴えたと同様に、瀕死 ゆえの出家を願う。↓二一ハー四行。 目おし拭はせたまふ。宮も、いと弱げに泣いたまひて、女三の宮「生くべうもお六父院を師僧として出家すべく、 これを絶好の機会と思う。 ばえはべらぬを、かくおはしまいたるついでに、尼になさせたまひてよ」と聞七そうはいえ人間いっ死ぬとは 分らぬもの。僧の立場からは出家 たふと に反対できないが、父親の立場か こえたまふ。朱雀院「さる御本意あらば、いと尊きことなるを、さすがに限らぬ ら出家をおしとどめようとする。 そし 命のほどにて、行く末遠き人は、かへりて事の乱れあり、世の人に譏らるるや ^ 宮が自分から進んで。 九もうこれが最期というのなら。 おとど うありぬべきことになん、なほ憚りぬべき」などのたまはせて、大殿の君に、 = 物の怪などが、一時的に病人 かたとき 朱雀院「かくなむ進みのたまふを、いまは限りのさまならば、片時のほどにても、の気持を惑わして。女三の宮の出 家願望は病気ゆえであることを強 その助けあるべきさまにてとなむ思ひたまふる」とのたまへば、源氏「日ごろ調し、自分の責任外とする。 三それに負けたからとて、悪い もかくなむのたまへど、邪気などの人の心たぶろかして、かかる方にすすむる結果になるのなら控えもしようが。 院は、源氏の意見に抗しながら、 もの ゃうもはべなるをとて、聞きも入れはべらぬなりと聞こえたまふ。朱雀院「物宮の嘆願を聞き入れようとする。 一三以下、朱雀院の心中。ただし、 「聞こしめし思しつめ」、「恨みき の怪の教へにても、それに負けぬとて、あしかるべきことならばこそ憚らめ、 のご ぎけ よゐかぢ い五

9. 完訳日本の古典 第20巻 源氏物語(七)

そでめ 琴の音にも、袖濡らしたまひつ。御簾の内にも耳とどめてや聞きたまふらんと、一月光のみならず、琴の音にも。 和琴の名手柏木が偲ばれるとする。 片っ方の御心には思しながら、かかる御遊びのほどには、まづ恋しう、内裏なニ簾中の宮も琴の音に柏木を懐 語 かしんでいるだろうかと、一方で は源氏の嫉妬心がかきたてられる。 物どにも思し出でける。源氏「今宵は鈴虫の宴にて明かしてん。と思しのたまふ。 三「かかる : ・恋しう」は、上から かはらけふた れんせいゐん せうそこ ごぜん 源 御土器二わたりばかりまゐるほどに、冷泉院より御消息あり。御前の御遊び源氏の主体で続き、下へは帝のこ ととして続く。 ひき 四柏木追憶を振り切るように、 にはかにとまりぬるを口惜しがりて、左大弁、式部大輔、また人々率ゐて、さ 人々の関心を鈴虫へと向けさせる。 ろくでうのゐん るべきかぎり参りたれば、大将などは六条院にさぶらひたまふと聞こしめして五一つの盃を参会者に順々に廻 して酒を酌む。「三わたり」が普通。 六柏木の弟。後の紅梅大臣。 セここのみの登場。系図外人物。 ^ 詩文に堪能な人々か。 冷泉院「雲の上をかけはなれたる住みかにももの忘れせぬ秋の夜の月 九「雲の・ : 住みか」は退位後の院 同じくは」と聞こえたまへれば、源氏「何ばかりところせき身のほどにもあらの御所。中秋の名月はめぐり来る のに、源氏は訪れぬと訴えた歌。 な ずながら、今はのどやかにおはしますに参り馴るることもをさをさなきを、本一 0 「あたら夜の月と花とを同じ くはあはれ知れらむ人に見せば 意なきことに思しあまりておどろかさせたまへる、かたじけなし」とて、にはや」 ( 後撰・春下源信明 ) 。 一一院は退位後・心やすく思ふ人 人にも対面し」たく思った ( 若菜下 かなるやうなれど参りたまはんとす。 圈一三〇ハー ) 。院には実父への秘 くもゐ やど かな親愛の情もある。その本意を 源氏月かげはおなじ雲居に見えながらわが宿からの秋ぞかはれる かなえぬ源氏は、院の消息に恐縮。 むかしいま 異なることなかめれど、ただ昔今の御ありさまの思しつづけられけるままなめ三院が消息をよこしたこと。

10. 完訳日本の古典 第20巻 源氏物語(七)

83 鈴虫 ねんずだう これは、ただ忍びて御念誦堂のはじめと思したることなれど、内裏にも、山 = 以下、講師のこと。 三「さきら」は弁舌、筆勢など。 みかど つかひ ずきゃうふせ の帝も聞こしめして、みな御使どもあり。御誦経の布施など、いとところせき「吻クチサキラ」 ( 和名抄 ) 。 一三今回の持仏開眼供養。 まう までにはかになむ事広ごりける。院に設けさせたまへりけることどもも、殳 耒ぐ一四今上帝も、朱雀院も。 三帝や朱雀院の布施をいう。 と思ししかど世の常ならざりけるを、まいていまめかしきことどもの加はりた一六供養の終ったタベには、その 供養会から帰った僧たちの寺に。 れば、タの寺におき所なげなるまで、ところせき勢ひになりてなん僧どもは帰宅宮の出家生活が本格化する今 になって、源氏の執心が強まる。 . り・ . けらつ。 一 ^ 朱雀院。桐壺院から伝領した 三条宮で、宮の出家生活を送らせ ムフしも心苦しき御心添ひて、はかりもなくかしづききこえようとする。↓柏木一一五ハー注 = = 。 〔四〕源氏、女三の宮の 一九出家の身ゆえ、どうせ別居す そうぶん ため細心に配慮する たまふ。院の帝は、この御処分の宮に住み離れたまひなんるのだから、今のうちが世間体も よかろうと。その時期が遅れては、 一九 も、つひのことにてめやすかりぬべく聞こえたまへど、源氏「よそよそにては世人が疑念を抱くだろう、の判断 ニ 0 朱雀院の依頼に応じた本意。 おばっかなかるべし。明け暮れ見たてまつり聞こえうけたまはらむこと怠らむ = 一「ありはてぬ命待っ間のほど ニ 0 ばかり憂キ、ことしげ・ / 、田 5 はず、もが ほいたが な」 ( 古今・雑下平貞文 ) 。 に、本意違ひぬべし。げに、ありはてぬ世いくばくあるまじけれど、なほ生け 一三せめて生きている時なりと、 るかぎりの心ざしをだに失ひはてじ」と聞こえたまひつつ、かの宮をもいとこお世話する気持を。源氏の執心。 ニ三一方では、三条宮にも。 つく みさうみまき まかにきよらに造らせたまひ、御封のものども、国々の御庄、御牧などより奉ニ四宮は一一品内親王で、位封三百 戸。↓若菜下圈一四〇ハー一一行。 みくら 一宝諸国の荘園や私有の牧場。 る物ども、はかばかしきさまのは、みなかの三条宮の御倉に収めさせたまふ。 ゅふべ ニ四