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検索対象: 完訳日本の古典 第11巻 蜻蛉日記
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1. 完訳日本の古典 第11巻 蜻蛉日記

みちつなのはは 作者道綱母が苦悩に満ちた半生を顧み、自分がいかに現実的に無力な存在、「はかなき身の上」であるかを、 痛切に自覚した自己認識を示し、後半においては、そのような空しい人生を「書き印記して」、『蜻蛉日記』 旨ロ の世界に転化していく、作品執筆の動因を述べる。そしてこの前半と後半とは、単につづいて並んでいるだ けではなく、まさに相互媒介的な関係をなしている。すなわち、作者はみずからの存在の空しさを直視し、 蜻それゆえにこそ『蜻蛉日記』を書くことに、彼女の生きてきた人生の意義を主体的に回復しようとするが、 同時にまたその『蜻蛉日記』の形成を通して、彼女の身の上のはかなさにいかなる人生の真実が秘められて いるかを、ますます明確に認識していくという、根本的な関係がうかがわれるのである。これが『蜻蛉日 記』の構造であり、その作品としての本質である。 以下、この『蜻蛉日記』を生みだした作者道綱母の来歴と、そのような作品の具体相について、いささか 解説をしたいが、その前にこの「序」をさらに簡約したといってよい上巻の結びを取り上げておかなければ ならない。 : なほものはかなきを思へば、あるかなきかのここちするかげろふの日記といふべし。 ( 六八ハー ) と結ばれているのだが、ここから『蜻蛉日記』の書名を作者自身の命名とする説と、「あるかなきかのここ と判断す ちするーを「かげろふ」だけの修飾と見て、彼女が「かげろふの日記」と名づけたわけではない、 る説とがある。幾分後説に傾くとしても、前説もまた十分に成り立つ。作者がみずからを「かげろふ」に擬 ここにそれが作品化されて「かげろふの日記」となり、ますます「かげろふ」たる所以を明 するとともに、 らかにしていることを示すものといえよう。 なお「かげろふ」は、

2. 完訳日本の古典 第11巻 蜻蛉日記

た、神・蛇神が男に化けて通って て果てぬ きた三輪山伝説を踏まえて、「ゆ 二十八日にぞ、例の、ひもろきのたよりに、「なやましきことありて」などゅし」と言ったとも考えられる。 = 卯の花の陰にほととぎすが隠 れて鳴くというのに、兼家は来な あべき。 い。「卯」に「憂き身」を響かす。 さっき 三神に供物をするにつけて。そ 五月になりぬ。菖蒲の根長きなど、ここなる若き人騒げば、つれづれなるに、 の用意を作者に頼んだか。二十八 たてまっ つらめ 取り寄せて、貫きなどす。「これ、かしこに、おなじほどなる人に奉れ」など日、伊尹が石清水八幡宮に参詣 ( 日本紀略 ) 。兼家も同行したか。 一三「あるべき」の音便。「二十八 言ひて、 日にぞ」の結び。兼家の手紙を第 かくめお 三者的に表現。↓一六六ハー注一五。 隠れ沼に生ひそめにけりあやめ草知る人なしに深き下根を 一四五色の糸で菖蒲の葉を貫いて 薬玉を作ること。↓二〇八ハー注四。 と書きて、中に結びつけて、大夫のまゐるにつけてものす。返りごと、 一五作者が道綱に言う言葉。 一八 月 一六詮子。↓一六四ハー注一四。 あやめ草根にあらはるる今日こそはいっかと待ちしかひもありけれ 宅作者が時姫と詮子に養女を紹 ニ 0 月 介した歌。作者の代作による養女 大夫、いま一つとかくして、かのところに、 あいさっ 年 からの挨拶ともとれる。 天時姫の返歌。時姫の代作によ わが袖は引くと濡らしつあやめ草人の袂にかけてかわかせ 禄 天 る詮子の返歌ともとれる。 一九「五日」に「何日か」をかける。 巻御返りごと、 下 ニ 0 大和だつ人。 ニ一「御」は不審。作者の不用意か 引きつらむ袂は知らずあやめ草あやなき袖にかけずもあらなむ 一三「たるなり」の音便。「なりーは と言ひたなり。 そで さうぶ 一九 たもと したね 推定。 っ

3. 完訳日本の古典 第11巻 蜻蛉日記

をしき すいは 三水を遠くへ送るために、木や 水やりたる樋の上に折敷ども据ゑて、もの食ひて、手づから水飯などするここ 竹などで作った管。懸樋 一三片木で作った四角な盆。食器 ち、いと立ち憂きまであれど、「日暮れぬ」などそそのかす。かかるところに を載せる。 てはものなど思ふ人もあらじかしと思へども、日の暮るれば、わりなくて立ち一四「すいはん」に同じ。水をかけ た飯。また飯を水につけたもの。 すがすが 一五こうした清々しい風景の中に ぬ。 うつじよう いれば、だれしも日ごろの鬱情を 忘れ、いつまでも離れたくないと いきもてゆけば、粟田山といふところにそ、京よりまっ持ちて人来たる。 思う。しかしやはり立っていかな 一七ま ければならない。「わりなくて」で いとぞあやしき、なき間をう 「この昼、殿おはしましたりつ」と言ふを聞く。 それを仕方がないと受け止める。 一六↓八一ハー注一五。 かがはれけるとまでぞおばゆる。「さて」など、これかれ問ふなり。われはい 宅わざわざ不在をねらって訪ね とあさましうのみおばえて来着きぬ。降りたれば、ここちいとせむかたなく苦てきたとは、作者の気の回しすぎ である。ただ、こういう言い方で、 しきに、とまりたりつる人々、「おはしまして、問はせたまひつれば、ありの唐崎祓いによって少しは落ち着い た心境が、兼家に対する疑惑のた あ 月ままになむきこえさせつる。『などてか、この、いありつる。悪しうも来にけるめにたちまち無残にこわされてし まったことを、最も適切に言い表 年 元 している点が重要。「れ」は受身 かな』となむありつる」などあるを聞くにも、夢のやうにそおばゆる。 」禄 天底本「なさとか」。「なにとか」 こう 天 またの日は、困じ暮らして、あくる日、幼き人、殿へと出で立つ。あやしか「なにごとか」と改訂して読まれて 巻 いるが、新しい改訂を試みた。 中 一九兼家の日ごろの途絶え、作者 りけることもや問はましと思ふも、もの憂けれど、ありし浜べを思ひ出づるこ の不在中の突然の来訪、すべて理 解しがたかった彼の行動・態度。 こちのしのびがたきに負けて、 ひ あはたやま きっ す 一九 かけひ

4. 完訳日本の古典 第11巻 蜻蛉日記

さて、年ごろ思へば、などにかあらむ、ついたちの日は見一挿入句。いまになってみれば、 〔一三〕兼家と近江との関 兼家がよく来てくれたものだと不 係進み、門前を素通り えずしてやむ世なかりき。さもやと思ふ心遣ひせらる。未思議なくらいに思われるが、の意。 十二月の述懐とつながりをもった 日の時ばかりに、さき追ひののしる。そそなど、人も騒ぐほどに、ふと引き過ぎ作者の感情。 蛉 ニ午後二時、またその前後二時 よる 蜻ぬ。急ぐにこそはと思ひかへしつれど、夜もさてやみぬ。っとめて、ここに縫間。一説には、その後一一時間。 三↓九五ハー注一三。 きのふ ふ物ども取りがてら、「昨日の前渡りは、日の暮れにし」などあり。いと返り四午後四時、またその前後二時 間。一説には、その後二時間。 はらだ 五先日、の意。元日をさす。 ごとせま憂けれど、「なほ、年の初めに、腹立ちな初めそ」など言へば、すこ 六兼家の車に気づいて、彼の来 しはくねりて、書きつ。かくしも安からずおばえ言ふやうは、このおしはかり訪だと思った作者の家の召使など が、それを告げるのであろう。 あふみ し近江になむ文通ふ、さなりたるべしと、世にも言ひ騒ぐ心づきなさになりけセ作者は、浮き立っている召使 たちに安直に同調できず、もし兼 さる ひとひ り。さて二三日も過ごしつ。四日、また申の時に、一日よりもけにののしりて家に素通りされたらと、彼らに対 して心苦しくつらく感ずる。 ひとひ 来るを、「おはしますおはします」と言ひつづくるを、一日のやうにもこそあ ^ 表門と寝殿との間、廊下の中 程を切り通して作った門。 れ、かたはらいたしと思ひつつ、さすがに胸走りするを、近くなれば、ここな九悪い予感が的中したときに用 いる。↓一七ハー注一一。 ちゅうもんひら るをのこども、中門おし開きて、ひざまづきてをるに、むべもなく引き過ぎぬ。一 0 ↓七一ハー注一八。 = 宮中や摂関大臣家で行う大饗 宴。正月には、中宮・東宮・大臣 今日まして思ふ心おしはからなむ。 の大饗が恒例として行われた。こ だいきゃう , 一よひ ・」れまさ またの日は大饗とてののしる。いと近ければ、今宵さりともとこころみむと、の五日には、右大臣伊尹の家で大 ( 現代語訳三三一一ハー ) ふみかよ づか ひつじ

5. 完訳日本の古典 第11巻 蜻蛉日記

ぢゃうぐわんでん 十二月つごもりがたに、貞観殿の御方、この西なる方にまを知らない人という意味で、暗に 三五〕西の対に退出した 兼家を含めているともいえる。 登子と交情を深める 一四作者の移った家の西の対。一 かでたまへり。つごもりの日になりて、儺などいふもの、 説では、作者の住む寝殿の西側 ついなおおみそか こころみるを、まだ昼より、ごほごほはたはたとするに、ひとり笑みせられて一五追儺。大晦日の夜、悪鬼を追 い払う行事。 まらうと あんな 一六安和元年 ( 九六 0 。 あるほどに、明けぬれば、昼つかた、客人の御方、男なんどたちまじらねば、 宅客人の御方も作者の方ものど となり のどけし。われも、ののしるをば隣に聞きて、「待たるるものは」なんどうちかであるが、「隣」 ( 兼家邸 ) はや かである。 ニ 0 笑ひてあるほどに、あるもの、手まさぐりに、 かいくりをあみたてて、贄にし天「あらたまの年たちかへるあ うぐひす したより待たるるものは鶯の声」 かたあしこひ ( 古今六帖・第一素性 ) 。 て、木を作りたるをのこの、片足につきたるに拇はせて、もて出でたるを、 一九そこにいる者。侍女。 月 はしはギ一 取り寄せて、ある色紙の端を脛におしつけて、それに書きつけて、あの御方に = 0 栗の菓子か。一説に「貝・栗」。 年 一 = 捧げ物。「かいくり」を糸でか 一兀たてまっ らげて木彫りの男に担わせ、献上 和奉る。 するために持参した格好にした。 はれもの 月 一三足にできるこぶのような腫物。 かたこひや苦しかるらむ山賤のあふごなしとは見えぬものから ニ三「客人の御方」 ( 登子 ) をさす。 年 みるひきばし ゅ 4 ときこえたれば、海松の引干の短くちぎりたるを結ひ集めて、木の先に担ひかニ四「かたこひ」は「片足の」の意 に「片恋」を、「あふご」は「朸」 ( 天 康 へさせて、細かりつるかたの足にも、ことのをも削りつけて、もとのよりも秤棒 ) に「逢ふ期」をかける。「人恋 ふることを重荷と担ひもてあふご 上 なきこそわびしかりけれ」 ( 古今・ 大きにて返したまへり。見れば、 雑躰 ) による俳諧的発想の歌。 一宝海藻の名。「引干」は乾物。 山賤のあふご待ちいでてくらぶればこひまさりけるかたもありけり ニ四 ほそ しきし ニ五 しはす 一九 やまがっ かた かた ゑ かた

6. 完訳日本の古典 第11巻 蜻蛉日記

さう」 る。たとえば、天禄三年二月の条に、威風堂々と作者の家を出ていく兼家の姿が「うるはしうひき装束き、 ごぜん 御前あまた引きつれ、おどろおどろしう追ひちらして出でらる」 ( 一五四ハー ) と描かれる。兼家との仲は相変 ふんまんくもん らずなのだが、もはや作者には上・中巻におけるごとき激しい憤懣や苦悶は見られない。愛に傷ついた女の 諦観を含んだ侘しい心象風景ともいえよう。そのような心境が基本的に展開しながら、周辺の出来事を通し て作者の視野の拡がりが見られるのである。同じく天禄三年二月、石山の僧が見たという夢を報告してきた が、同時に一人の侍女の夢、また作者自身の夢が、いすれも夢判断で吉夢とされたのを、かねて作者が養女 を取ろうと思っていた件の導入部に据えて、おそらく事実的な時間とは別に、物語的に構成し、たまたま兼 おうみ 忠女の産んだ兼家の娘を、近江の志賀山の麓から迎え取った事件を、会話を活用して生々と描き出す。兼家 との親子対面の場面はことに感動的である。さてそのあと、郊外の風景、祭見物、あるいは近火の記事など やまと があって、身辺の模様が書き綴られていく中に、道綱が「大和だつ人」と歌の贈答を始める。その関連記事 は、和歌を中心に著しく簡略化されてくるが、道綱の歌は母の代作か、少なくともその助力が加わっていよ う。一見、全体の構造から遊離して見えるが、それを、外の素材に仮託することにおいて間接的に示された、 新たな道綱母の自己表白と考える新見もある ( 川村裕子氏「蜻蛉日記下巻の一考察ーー道綱と大和だつ人との和歌 うまのすけ 説贈答を中心とし下ーこ『平安文学研究』第六十九輯 ) 。天延一兀年 ( = ) 、広幡中川へ転居。翌二年、右馬助になっ かみ とおのり た道綱の上司右馬頭藤原遠度が、作者の養女へ求婚し、結局は目的を達せずに終った経緯が、また物語的に 解記される。それをも作者の失われた人生の「代償行為」とする説があるが ( 同氏「同題ーー遠度求婚譚をめぐ ってーー」『立教大学日本文学』第五十二号 ) 、作者の視線の拡がりとともに、彼女自身兼家に求婚されたころの ようえい 遠い幻影が喚び戻され、彼女の人生が甘く、ほろ苦くそこに揺曳しているのであろう。

7. 完訳日本の古典 第11巻 蜻蛉日記

六「いまさらに」の歌を見せた作 にきこえに、やがてさぶらはむ」とて立ちぬ 者の気持を量りかねる遠度は、読 ふみまくらがみ よべ めたという顔はわざとしないで。 昨夜見せし文、枕上にあるを見れば、わが破ると思ひしところはことにて、 セ結婚の期日。一説に、かって また破れたるところあるは、あやし、と思ふは、かの返りごとせしに、「いか遠度が病気をした季節。 ^ 私が破るつもりだった所は破 一 0 れてなくて、別の無関係な所が破 なる駒か」とありしことの、とかく書きつけたりしを、破り取りたるなべし。 れているのはおかしい。 まだしきに、助のもとに、「みだり風おこりてなむ、きこえしゃうにはえまゐ九底本「とに思は」。「と思 ( ふ ) は」の「と ( 東 ) 」が「とに」二字に誤 むまどき らぬ。ここに午時ばかりにおはしませ」とあり。例の、なにごともあらじとて、写されたか。「・ : と思うのは、実 は : こと、ここで先の「かたはなべ きところ」の実体を明かす。 ものせぬほどに、文あり。それには、「例よりも急ぎきこえさせむとしつるを、 一 0 余白に下書きした。 いとつつみ思ひたまふることありてなむ。昨夜の御文をわりなく見たまへがた = 破り取ったつもりなのであろ う。作中人物の行動心理を作者が くてなむ。わざときこえさせたまはむことこそかたからめ、をりをりにはよろ想像して述べる、物語風の書き方。 一ニ感冒。風邪。 月 ↓六二ハー注一三。 しかべいさまにと頼みきこえさせながら、はかなき身のほどを、いかにとあは一三 年 一四作者あての遠度の手紙。 、じらしい咸じ。 弱々ーし / 、、し 延れに思うたまふる」など、例よりもひきつくろひて、らうたげに書いたり。返一 = あすか 天 一六「絶えずゆく明日香の川の淀 りごとは、ようなく常にしもと思ひて、せずなりぬ。またの日、なほいとほし、みなば心あるとや人の思はむ」 ( 古 巻 下 今・恋四読人しらす ) 。 きのふ ものいみ 若やかなるさまにもありと思ひて、「昨日は、人の物忌はべりしに、日暮れて宅下二段「たまふ」は「思ふ・見 る」など知覚の動詞につく。「お く」は、気持をひかえる意か なむ、『、いあるとや』といふらむやうに、おきたまへし。をりをりにはいかで こま ^ や よべ や

8. 完訳日本の古典 第11巻 蜻蛉日記

5 凡例 ニ漢字一字の反復を示す「々」は用いたが、その他の反復記号「ゝ」「 / 、」は用いず、もとの文字 を繰り返す。ただし、次の箇所だけは、例外として「ゝー「 / 、」を用いた ぢゅうてん 「あらず、こゝには。 / 、」と重点がちにて ( 二一五ハー ) 、語や、読み誤るおそれのある語には、振り仮名をつけた。 5 イ読みこく ロ読み方が幾通りか考えられる底本の漢字については、私見によって一応の読み方を示した場合と、 しいて振り仮名をつけなかった場合とがある。 てんげ 天下 ( 九ハー他 ) ↓天下 一一三日 ( 一六ハー他 ) ↓二三日 ( 「にさんにち」とも「ふつかみか」とも読める ) 暦月名は、すべて「むつき」「きさらぎ」などの大和よみによって振り仮名をつけた。 一、脚注は、特に解説を要する用語、注意すべき語法・文法、文脈の流れ、本文や解釈についての問題点、 作者の心理などを説明し、作品の理解が深められるように配慮した。なお、すでに前のページで注に取り あげた語については、↓を付して参照すべきページと注番号を示すにとどめたものもある。 一、本文の見開きごとに、記事の年号年月を奇数ベージの上欄に記し、また、年次の変った時には、本文の 記述に応じて、脚注にその年次を太字で示した。 一、現代語訳については、次のような配慮のもとに執筆した。 原文に対して最も正しく対応する現代語の表現法を見出すことに極力っとめ、あわせてこの作品の趣 を全体的に再現することに心がけた。そのために、主語や述語の補充、言いさしなどの部分への補いの 言葉の付加、若干の語順の変更などを試みたところがある。

9. 完訳日本の古典 第11巻 蜻蛉日記

蜻蛉日記 0 ともやす 一作者の父、藤原倫寧。「 : ・と 例の人は、案内するたより、もしはなま女などして、言はすることこそあれ、 おばしき人」は第三者的な書き方。 ニ父倫寧が兼家に断ったのでは これは、親とおばしき人に、たはぶれにもまめやかにもほのめかししに、びよ なく、作者が「不釣合だ」と言った こと。それは、事実の経過を記す きことと言ひつるをも知らず顔に、馬にはひ乗りたる人して、うちたたかす。 よりも心理的な叙述。 たれなど言はするには、おばっかなからず騒いだれば、もてわづらひ、取り入三主語は兼家からの使者。 四求婚の手紙は、きれいな字で れてもて騒ぐ。見れば、紙なども例のやうにもあらず、いたらぬところなしと書かれていて、見苦しい所はない ものだと聞いていたのに、兼家の あ 、とぞあやしき。あ筆跡はそうではなかった。 聞きふるしたる手も、あらじとおばゆるまで悪しければ、し , 五作者を「ほととぎす」にたとえ こと る。これで季節は初夏とわかる。 りける一一 = ロは、 六古風な人。作者の母をさす。 おと セ後文になかなか作者の自筆の 音にのみ聞けばかなしなほととぎすこと語らはむと思ふこころあり 返歌をしないところから察して、 これも代筆者に書かせたと思われ とばかりぞある。「いかに 返りごとはすべくやある」など、さだむるはどに、 るが、まだ求婚の始めで自筆代筆 が問題にならない段階なのである。 古代なる人ありて、「なほ」とかしこまりて書かすれば、 この返歌では、逆に兼家を 「ほととぎす」にして切り返す。 語らはむ人なき里にほととぎすかひなかるべき声なふるしそ 九「音なしの滝」は、京都市左京 これをはじめにて、またまたもおこすれど、返りごともせ区大原にある。歌枕。これに、作 〔三〕その年の秋、兼家 者からの返事がないことをかける。 おうせ との結婚成立 一 0 浅瀬の意と、作者との逢瀬の ギ、りければ、また、 意とをかける。 九 = 返事を待ちきれない兼家の態 おばっかな音なき滝の水なれやゆくへも知らぬ瀬をそたづぬる 六 が

10. 完訳日本の古典 第11巻 蜻蛉日記

にける。忘れぬことはありながら」とこまやかなるを、あやしとぞ思ふ。返りまやかさを「あやし」と思う記述も 前にある。↓一六三ハー一四行。 うへ ごと、問ひたる人の上ばかり書きて、端に「まこと、忘るるは、さもやはべら三話題を転換させる言葉。 一三兼家が手紙に「忘れぬこと」っ まり「忘る」という語で取りあげた、 む」と書きてものしつ。 作者との関係。「さもやはべらむ」 ふみ すけ は、まさにそのとおり作者のこと 助、ありきし始むる日、道に、かの文やりしところ、ゆきあひたりけるを、 を忘れていよう、の意。 一五どう 一四大和だつ人。 しかがしけむ、車の筒かかりてわづらひけりとて、あくる日、「昨夜はさらに 一五車輪の中央にあって、軸が通 り、輪との間をつなぐ輻が集って なむ知らざりける。さても、 いる部分。こしき。 一六「車」に「来る間」をかける。 年月のめぐりくるまのわになりて思へばかかるをりもありけり」 宅「掛かる」に「斯かる」をかける。 と言ひたりけるを取り入れて見て、その文の端に、なほなほしき手して「あら天平凡な筆跡。 ニ 0 一九「ここにはあらず」 ( 私ではあ ぢゅうてん 月 りません。私は知りません ) の倒 ず、こゝには。 / 、」と重点がちにて返したりけむこそなほあれ。 叙。「 / 」はその全体の反復 かみなづき いみ 月 かくて十月になりぬ。二十日あまりのほどに、忌たがふとニ 0 踊り字。繰返しの符号。踊り 三六〕太政大臣からの思 年 字で否定的感情を強く出す。 2 いがけない和歌 一 = 変哲もない。相変らずである。 て、わたりたるところにて聞けば、かの忌のところには、 延 天 一三近江。この時生れたのが、天 巻子産みたなりと人言ふ。なほあらむよりは、あな憎とも聞き思ふべけれど、つ延二年出生の綏子工あるとすると、 下 近江は綏子の母、国章の娘になる。 よひ れなうてある、宵のほど、火ともし、台などものしたるほどに、せうととおばニ三食膳。 ニ五 ニ四理能か。第三者的表現。 ふところ みちのくにがみ しき人、近うはひ寄りて、懐より、陸奥紙にてひきむすびたる文の、枯れたる一宝檀の皮から作る白く厚手の紙 よべ ニ四 まゆみ