涙 - みる会図書館


検索対象: 完訳日本の古典 第11巻 蜻蛉日記
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1. 完訳日本の古典 第11巻 蜻蛉日記

259 上巻 ( あなたの庇護のもとにある私だから、夕暮にはいつもあて 月ずえのころに、ひきつづいて二晩ばかり姿を見せなか にして待っていよ、とおっしやるのですか。訪れようという った時、手紙だけよこした、その返事に、 言葉もあてにならす、わたしのほうはそのたびごとに涙を新 消えかへり露もまだ干ぬ袖のうへに今朝はしぐるる空 たにしていますのに ) もわりなし ( おいでがないので、消えいるような思いで夜を泣き明かし返事は、本人の訪れで、うやむやにしてしまった。 ものいみ そで こうして、十月になった。わたしのほうが物忌である間 て、袖の涙もまだかわかないでいるのに、今朝はさらに空ま を、もどかしいことだと書き連ねて、 でしぐれて、いっそう耐えがたい思いがいたします ) ・一ろも なげきつつかへす衣の露けきにいとど空さへしぐれそ おりかえし、返事、 ふらむ 思ひやる心の空になりぬれば今朝はしぐると見ゆるな ( 逢えぬのを嘆きつつ、せめて夢にでも逢いたいと、裏返し るらむ て着て寝た衣も、涙で濡れているのに、そのうえ、どうして、 ( あなたのことばかり思っているわたしの心が空に通じたか 空までもしぐれて悲しみを添えているのだろう ) ら、今朝はそのわたしの涙でしぐれているように見えるのだ ろうよ ) 返事ーーそれは、まったく変りばえのしない返事だった、 ひ 思ひあらば干なましものをいかでかはかへす衣のたれ とあって、それに対する返事を書き終らぬうちに、姿を見 も濡るらむ せた。 ( あなたに思いの火があるなら、濡れた衣もかわくでしよう また、しばらくして、訪れの途絶えていたころ、雨が降 に、どうして、あなたの裏返して着た衣もわたしの衣と同じ ったりなどした日、「タ方訪ねよう」などと伝えてきたの ように濡れているのでしようか ) に対してだったろうか、 したくさ かしはぎ といったやりとりをしているうちに、わたしの頼りにして 柏木の森の下草くれごとになほたのめとやもるを見る みちのくにしゆったっ いる父が、陸奥国へ出立することになった。 見る ひそで ひご

2. 完訳日本の古典 第11巻 蜻蛉日記

もう涙も残っていまいと存じますので、『よそのくもむら』 の霊験を見届けたうえで、春ごろ、そのようにしよう。そ のように疎遠になっているのに、涙があふれてくるというれにしても、そのころまで、こんなつらい身で生きていら のも、つじつまのあわぬことでございます」と書いてやっ れようか」など、、い細くて、こんな歌がつい口から出る。 そで しぐれ た。またおりかえし手紙がくる。それから三日ほどして、 袖ひつる時をだにこそ嘆きしか身さへ時雨のふりもゆ くかな 「今日下山した」と言って、夜になって姿を見せた。いっ ( 涙で袖が濡れる時でさえ、嘆いていたが、今では、袖ばか だって、どんな気でいるのか、わからなくなったので、わ りか身までも時雨が降りそそぎ、涙にくれて年老いてゆくこ たしのほうはそっけない顔をしているし、あの人はあの人 とだなあ ) で、悪いとも何とも思わぬ様子で、七、八日ごとにわずか およそ、この世に生きていることが無意味で、つまらな に通ってくる。 九月の末ごろ、まことにしみじみとした空模様である。 いと、しきりに思われるこのごろである。そんな状態のま しぐれ きのう今日は、いつもより、風がとても寒く、時雨がさっ ま明け暮れて、二十日になった。夜が明けると起き、日が と降ったりして、ひどくしんみりした感じがする。遠くの暮れると寝る、ただそれだけの毎日を過しているのに気づ - 一んじよう くと、まったく妙な感じがするのだが、今朝も、どうしょ 山を眺めると、紺青を塗ったとでもいうふうで、「み山に あられ は霰降るらし」といった感じで色づいている。「野の景色うもない。今朝も外を見ると、屋根の上の霜がまっ白であ はどんなにかきれいでしよう、見物しがてら、どこかへお る。幼い召使たちが、ゆうべの寝巻姿のまま、「霜やけの 巻 おまじないをしましよう」と言って騒いでいるのも、まこ 参りしたいものだわ」などと言うと、前にいた侍女が、 「ほんとに、どんなにすばらしいことでしよう。初瀬に、 とにいじらしい。「おお寒い、雪も顔まけの霜だこと」と、 そで 中 今度はおしのびでそっとお出かけなさいませ」などと一一一一口う 口を袖でおおいながら、こんなわたしを主人と頼みにして いるらしい人たちがこっそりつぶやいているのを聞くと、 ので、「去年もわたしの命運を確かめてみようと思って、 いしやま つきつめた思いにかられてお参りしたが、あの石山のみ仏平気ではいられない気がするのだった。十月も、しきりに はっせ

3. 完訳日本の古典 第11巻 蜻蛉日記

きとう また、この袈裟の法師の兄君も法師だったので、祈疇な を恋しく思いながら、涙がちの日々を送っているうちに、 四どもしてもらって頼りにしていたのだが、急に亡くなって年が改り、春夏も過ぎてしまうと、今はもう一周忌の法事 しまったと聞くにつけ、この弟君の気持はどんなだろう、 をすることになって、今度だけは、母が息をひきとったあ 日わたしもほんとに残念でならない、頼りにしていた人にか の山寺でとり行う。あの時のことなどを思い出すと、いよ 蛉 ぎってこんなになってゆく、などと心が乱れてしずまらな いよ感無量で悲しい気持になる。導師が最初からもう身に いので、しばしばお見舞いする。この兄君は、しかるべき しむような言葉で、「御参集の方々は、ただ単に秋の山べ うりんいん 事情があって、雲林院にお仕えしていた人である。四十九を賞美しにおいでなされたのではありません。故人の永眠 日などが終ってから、こんな歌をおくる。 なされた所で、経義をお悟りなさろうとしてでございま ばうぜん 思ひきや雲の林をうちすてて空のけぶりにたたむものす」と一一 = ロうのを聞いただけで、悲しさで茫然とし、その後 のことなどは何もわからなくなってしまった。きまりの法 にびいろ ( 思ってもみないことでした。兄君が、雲林院をあとに、空事が終って帰る。そしてそのまま喪服を脱いだが、鈍色の の煙となって立ちのばり、あの世に出で立っておしまいにな 喪服そのほか扇にいたるまで、お祓などする折に、 ろうとは ) ふぢごろも流す涙の川水はきしにもまさるものにぞあ りける などと言ってやったが、そのころのわたしの心境といえば、 ( 喪服を川に流してお祓をすると、それを着た時よりもなお ただわびしいあまりに、野にでも山にでもさまよい出てし あふ まいたいと、そればかりを思っていたのだった。 悲しみはつのるばかり、流れ出る涙のために川水は岸にも溢 れるほどだった ) はかない心持のままに、秋冬も過し 〔宅〕母の一周忌に琴を 弾き、叔母と母を偲ぶた。同じ家には、兄が一人、それと と思われて、とめどなく涙があふれてくるので、この歌は 叔母にあたる人が、い だれにも言わずそのままにした。 っしょに住んでいる。その叔母を親 ひ のように思っているのだけれど、やはり母の生きていた昔 命日などがすんで、例によって所在ないままに、弾くと ( 原文四五ハー ) 1 三ロ け

4. 完訳日本の古典 第11巻 蜻蛉日記

にたる世の中に、、いなげなるわざをやしおかむ」と言へば、「いと心せばき御うめでたいものとされるので、今 の作者の気持にそぐわない。 にはキ一 ぎゃうぎばさっ ことなり。行基菩薩は、ゆくすゑの人のためにこそ、実なる庭木は植ゑたまひ三意義のある人生を全うするこ とはできない けれ」など言ひて、おこせたれば、あはれに、ありしところとて、見む人も見一三天平勝宝元年 ( 七四九 ) 没。薬師 寺の僧。晩年大僧正とはなったが、 こち よかしと思ふに、涙こばれて植ゑさす。二日ばかりありて、雨いたく降り、東多分に私度僧的傾向をもち、民間 布教に努め、民衆の福祉に尽力し あまま ひとすぢふたすぢ なほ かぜ た。「止マル所ノ房ニ多ク菓樹ヲ 風はげしく吹きて、一筋二筋うちかたぶきたれば、いかで直させむ、雨間もが 植ウ」 ( 扶桑略記 ) 。 一四物思いのないほう。 な、と思ふままに、 一五呉竹の無惨に傾いたさまを見 くれたけ て、作者自身のみじめな姿をそれ なびくかな思はぬかたに呉竹のうき世のすゑはかくこそありけれ にたとえ、そんな自分だから、こ あし ゅふ の呉竹の向いている西方浄土の方 今日は二十四日、雨の脚いとのどかにて、あはれなり。タづけて、いとめづ 角に惹かれる、というのである。 月 らしき文あり。「いと恐ろしき気色に怖ちてなむ、日ごろ経にける」などぞあ一六兼家の冗談。↓一〇七ハー注一五。 宅「時しもあれ花のさかりにつ 月 らければ思はぬ山に入りやしなま る。返りごとなし。 年 し」 ( 後撰・春中藤原朝忠 ) 。 一セ 禄五日、なほ雨やまで、つれづれと、「思はぬ山に」とかやいふやうに、もの一〈「君まさで年は経ぬれど古里 天 に尽きせぬものは涙なりけり」 ( 後 撰・哀傷かしこ〈兼輔方〉なる人 ) 巻のおばゆるままに、尽きせぬものは涙なりけり。 中 などの下句による。特定の上句に 限定されない引歌表現、ないし一 降る雨のあしとも落つる涙かなこまかにものを思ひくだけば 一九 般化された和歌的表現 やよひ いまは三月つごもりになりにけり。、 しとつれづれなるを、忌もたがヘがてら、一九四十五日の忌か ( 三四ハー注一三 ) 。 ふみ 一六 けしきお へ

5. 完訳日本の古典 第11巻 蜻蛉日記

273 上巻 らなくなってしまうのではないかと、心ひそかに深い嘆きを おばえたことでございました。冬には、遠く旅立っ父との別 はっしぐれ れを惜しんで、曇るまもなく初時雨の降りそばっ空模様のよ うに、涙がとめどなくこばれ落ち、心細さでいつばいでした が、「娘をお見捨てなく」と父が言い残しておいたとか聞き ましたから、 いくらなんでもと思っておりましたのもっかの ま、父が遠いかなたに行ってしまいましたうえに、その父が お頼み申しあげたあなたまで急に疎遠になっておしまいにな りましたので、うつろな心で過しているうちに、ますます仲 が隔って消息も絶えてしまいました。春になると雁が古里に 帰るように、あなたも私のもとにもどってきてくださるかと 思いながら、待ちつづけておりましたが、そのかいもござい せみめけがら ません。こうして、わが身は蝉の脱殻のようにむなしくはか ないものでございますが、その蝉の羽にも似たあなたの薄情 は今に始ったことではなく、前々からこんなあきれるほどに いたましい心を抱いたわが身の上ゆえ、尽きぬ流れの涙川 身をなして、たえず泣き暮してまいりましたけれども、前世 にどんな重い罪を犯したというのでしようか、あなたとの宿 縁から逃れることもできず、ただこうして定めない憂き世に ただよって、つらい思いをするばかり、死ねるものなら死ん みちのく でしまいたいと思いますが、悲しいことには、陸奥にいる父 の帰京を待たすには死ぬにも死にきれない、せめて父に一目 会ってからと思いつづけておりますと、嘆く涙で袖が濡れる ばかりでございます。尼となってこんなに泣き濡れる嘆きを きよろ・がい しないでもすむ境涯に暮すこともできように、どうして、と 思いますけれども、出家の身であなたと離れ離れになってお 逢いするあてどがなくなってしまいましたら、そうはいうも のの、やはり恋しく思うこともございましよう。あなたがお いでくださって、うちとけて馴染みを重ねた昔の心を思い出 しますと、せつかく俗世を捨てたかいもなく、追憶の涙に泣 き濡れて、執着を絶ちきれないかもしれません。ああも思い まくら こうも思い、思い乱れておりますうちに、山のように積る枕 ちり の塵の数は大変なものですが、それもひとり寝の夜数にくら べれば、とても及びもっかぬことでございましよう。どうせ、 あなたとの仲は遠い旅のように隔ってしまい、おいでくださ る機会もなくなってしまったと思っておりましたのに、あの のわき 野分ののちの一日、天雲のようによそになりゆく人と思って おりましたあなたが、姿をお見せくださいましてお帰りの時、 気休めに「近いうちに来るよ」とおっしゃいましたお言葉を、 ほんとにお見えになるかもしれないと思って待っております そでめ

6. 完訳日本の古典 第11巻 蜻蛉日記

うわさ ( あなたが越えられずに嘆いておられる逢坂よりも、噂に聞 なこそ く勿来のほうが、もっと越えにくく堅固な関と御承知いただ きたいものです。私の所は、その勿来の関でございます ) 旨ロ 日などというような歌を添えた他人行儀な文通を繰り返した 蛉 末に、何事のあった翌朝であったろうか、 蜻 タぐれのながれくるまを待つほどに涙おほゐの川とこ そなれ ( あなたに逢うことのできるタ暮になるのを待っている間に、 思わす知らず泣けてきて、涙がとめどもなくこばれてくるこ とだよ ) 思ふことおほゐの川のタぐれはこころにもあらずなか れこそすれ ( いいえ、私こそ、もの思うことの多いタ暮どきには、われ 知らず泣けてくるのでございます ) また、三日目ごろの朝に、 しののめにおきける空はおもほえであやしく露と消え かへりつる ( 夜明け方に起きて、あなたと別れて帰る時の気持といった ら、何が何やらわからず、ただ妙に、あの露のように、身も 258 返事、 返事、 消えてしまいそうなせつない思いであったよ ) さだめなく消えかへりつる露よりもそらだのめするわ れはなになり ( はかなく消えてしまう露のようだったとおっしゃいますが、 そのあてにならぬ露のようなあなたを頼みにさせられている 私は、いったい何なのでございましよう ) 〔四〕結婚成立にひきっこうしているうちに、事情があって、 づく兼家との贈答 しばらくよそに出かけていると、そ こへあの人が訪れてきて、あくる朝、「せめてこの日だけ でもいっしょにゆっくりしたいと思っていたのに、迷惑そ うだったので : どうだ、早く家に帰らないか。わたし には、あなたがわたしを避けて山に隠れたとしか思えない のだがねと手紙をよこしたのに対する返事に、ただ、 おもほえぬ垣ほにをればなでしこの花にぞ露はたまら ギ、りける ( 思いがけぬ山家に来て、垣根のなでしこの花を手折ると、 花びらの露はたまらずにはらはらとこばれ落ちましたーーーわ たしの涙のように ) などと言ってやったりするうちに、九月になった。 やまが ( 原文一三ハー )

7. 完訳日本の古典 第11巻 蜻蛉日記

335 中巻 方へなびいている。わたしもまた、つらい思いを重ねてきた めは依然として重いのでしようか。お許しがあれば夕方伺 あげく、こんなみじめなありさまになってしまったが、物思 いたい。どんな様子か」と言ってくる。侍女たちがそれと いのない世界に行きたいものだ ) 知って、「このようにとりつく島もなくしてしまうのは、 あまあし 今日は二十四日、雨脚がとてものどかで、しみじみと身たいへんよくないことです。やはり今度だけでもお返事を。 にしみる。夕方になって、まったく珍しいことに、あの人そのまま捨ておけないことでもありますから」とうるさく から便りがある。「なんとも恐ろしいあなたの様子に気お 言うので、ただ、「こんなにおいでがないのでは『月も見 ひかず くれして、日数を重ねてしまった」などと書いてある。こ なくに : : : あやしくも慰めがたき心』でございます」とだ ちらからの返事はない け言ってやる。まさか来はしまいと思ったので、急いで父 二十五日、なお雨はやまず、所在なくて、「思はぬ山に の家に移った。 ; 、 力あの人は平然たるもの、そこへ夜がふ 入りやしなまし」とかいうような思いがするにつけても、 けてから訪れてきた。いつものように胸の煮えくりかえる 尽きせぬものは涙なのであった。 ことも多かったが、手狭で人がたてこんでいる所なので、 降る雨のあしとも落つる涙かなこまかにものを思ひく 息を殺して、胸に手を置いたような苦しいありさまで、一 、、こ十ノギ 6 夜を明かした。翌朝は、「あれこれしなければならないか ( 千々に思い乱れていると、あの降る雨脚のように、涙はと ら」と、急いで帰ってしまった。そのまま気にかけずにほ めどもなくこばれてくることだ ) うっておくべきだったのに、また、今日来るか、今日訪れ 今はもう三月も末になってしまった。とても所在ないの るかと思っていたが、音沙汰もなくて四月になった。 いみた で、忌違えかたがた、しばらくよそへと思って、地方官歴 ロもすぐ近くなので、「御門に車がとめてあります。こ 任の父の家に行くことにした。気になっていたお産も無事ちらへお越しのおつもりでしようか」など、心穏やかでい ながしようじん にすんだので、いよいよ長精進を始める心づもりで、あれられないように言う者までいるのは、とてもつらい。前よ これ物を整理したりしている時に、あの人から、「おとが りいっそう心を切り砕くようなやりきれぬ思いがする。あ くだ

8. 完訳日本の古典 第11巻 蜻蛉日記

蜻蛉日記 322 しみづ 清水にかげはよどむものかは るようである。わたしは、まったく驚きあきれるばかりと ( 清水に影がとどまらないように、足の速い馬なら、清水で いう思いで、家に帰り着いた。車を降りると、気分がどう ゆっくり休むひまなどありはしないのですから、うらやまし しようもなく苦しいのに、留守居をしていた侍女たちが、 くなんかありませんよ ) 「殿がお越しになりましてお尋ねがございましたので、あ 清水の近くに車を寄せて、道から奥まった上座のほうに幕りのままにお答え申しあげました。すると、『どうしてこ など引きめぐらし垂して、みな車からおりた。手も足も水んな気をおこしたのか。悪い時に来てしまったものだ』と むさん にひたすと、つらい思いなどすっかり霧散して、はればれ仰せになりました」と言うのを聞くにつけても、夢のよう となるような感じがする。石などに寄りかかって、水を流な心地がする。 かけひ おしき してある懸樋の上に折敷などを据えて、食事をし、自分の 次の日は、疲れきって一日を過し、そのあくる日、子ど すいはん ふ 手で水飯などこしらえて食べる心持は、ほんとに帰るのが もがあちらのお邸へということで出かけてゆく。およそ腑 いやに思われるほどであったが、まわりの人たちは、「も に落ちないあの人のすることを問いただしてみようかしら う日が暮れてしまいます」と言って、せきたてる。こんな と思っても、それも気のりがしないが、しかし、先日の浜 すがすが 清々しい所ではだれしも悩み事など忘れてしまうことであべを思い出す感傷的な気持をおさえることができず、 ろう、いつまでもここにいたい、 と思うけれども、日が暮 うき世をばかばかりみつの浜べにて涙になごりありや しゆったっ れるので、しかたなく出立した。 とぞ見し あわたやま たいまっ さらに進んでゆくと、粟田山という所に、京から松明を ( 夫婦仲のつらさをこれほどまでに思い知らされ、涙にくれ 持って迎えの人がやって来ていた。「今日の昼、殿がお越 てきましたが、先日の御津の浜べでは、はんとに泣き尽し、 しになりました」という報告を聞く。ほんとにおかしなこ 涙はもう残っていないのではないかと思ったことでした ) とだ、留守の間をねらわれた、と疑いたくなるまでに思わと書いて、「これを御覧にならないうちに、そっと置いて、 れる。「それで、どうした」などと供の者たちが聞いてい すぐに戻っておいで」と言いつけると、「そのとおりにし かみぎ やしき

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だろう、今にして思えばはかない夫婦仲だったのに、どう の人への返事をやはりせよとしきりに勧めた者まで、いと してあんなことを言ったのかしら、と思い思い、勤行をし わしく恨めしく思われる。 ながしようじん ついたち ていると、片時も涙の浮ばぬ時はない。人に見られたらさ 四月一日の日、子どもを呼んで、「長精進を始めます。 旨ロ 日『いっしょにするように』ということです」と言って、始ぞみじめにうつるだろうと恥ずかしいので、涙をじっとこ 蛉 らえながら、日を過す。 めた。とはいえ、わたしは、初めから大げさにはせず、た かわらけ 二十日ほど勤行を続けた日の夢に、わたしの髪を切り落 だ土器に香を盛って脇息の上に置き、そのまま寄りかかっ おもむき ひたいがみ して、額髪を分け、尼姿になる、と見た。その夢の吉凶は て、み仏をお祈り申しあげる。その趣は、ただ、この上な く不幸な身でございます、今までの長い年月でさえ、すこ知ろうとも思わない。また七、八日ほどして、わたしの腹 へび の中にいる蛇が動きまわって内臓を食べる、これを治すに しも気の休まる時とてなくつらいと思っておりましたが、 は、顔に水を注げばよい、という夢を見る。これも吉夢な 今ではいよいよこのようにあきれるほどの夫婦仲になって ばんのうげだっ しまいました、早く仏道を成就させ、煩悩を解脱させてくのか凶夢なのか知らないけれども、これらの夢をこのよう おっとめ に書きとめておくわけは、こんな身の成り行く果てを見た 、、こき、 . し というふうに、勤行をしていると、涙がばろばろ きよう じゅず り聞いたりする人は、夢や仏は信じるにたるのか、それと とこばれてくる。ああ、当節は、女でも数珠を手にし経を と思ってのことであ も信じられないか、判断してほしい、 持たぬ者はいないと聞いた時、まあ、みじめたらしいこと、 やもめ る。 そんな女にかぎって寡婦になるというのに、などとけなし 五月になった。家に残って留守居している侍女のもとか た、あの気持はどこへ消え失せたのだろう。夜が明け日が しようぶふ ら、「御不在でも、菖蒲を葺かなくては縁起が悪いでしょ 暮れるのもじれったい思いで、余念なくーーーそうしてみて も、どうなるのか、はっきりした目安もないけれども , つが、しカかいたしましょ , つか」と一言ってきた。いや、今 さら何の縁起の悪いことがあろう、 勤行に精出しながら、ああ、あんなふうに言ったのを聞い 世の中にあるわが身かはわびぬればさらにあやめも知 た人は、どんなにかおかしく思ってわたしを見ていること きよら・そく なお

10. 完訳日本の古典 第11巻 蜻蛉日記

思へただむかしもいまもわが心のどけからでや果てぬべき見そしだいに後者の意味だけになる。 一三作者のもと。 ことは かひ 一四「効」に「卵」をかける。 めし秋は言の葉の薄き色にやうつろふと嘆きのしたに嘆かれき 三兼家の愛情の薄いことは、し くもゐ はっしぐれ わか まに始ったわけではない。 冬は雲居に別れゆく人を惜しむと初時雨曇りもあへず降りそほ うら 一六「浦」に「心」をかける。「浦」は ち心細くはありしかど君には霜の忘るなと言ひおきっとか聞川水の注ぐ入江。「心」は、兼家の ために苦しめられ、不幸な運命を 背負っている作者の心。 きしかばさりともと田 5 ふほどもなくとみにはるけきわたりにて 宅「流る」に「泣かる」をかける。 しら・くーも 一 ^ 兼家とのつらい関係。「浮き」 白雲ばかりありしかば、い空にて経しほどに霧もたなびき絶えに に「憂き」をかける。 ・か。りが、ね 一九「つらき心を見る」の「見」をか けりまた古里に雁の帰るつらにやと思ひつつ経れどかひなし けて、「みづの泡の」と言う。 みむな ニ 0 「みちのく」の「み」にも、「悲 かくしつつわが身空しき蝉の羽のいましも人の薄からず涙の川 年 しきことを見る」の「見」をかける。 一六 和 のはやくよりかくあさましき , つらゆゑにながるることも絶えね「みちのくの躑躅の岡のくまつづ 応 ら」は、「くる」を言い出す序詞。 月 ども いかなる罪か重からむゆきもはなれすかくてのみ人のうきその「くる」には「繰る。と「来る」と をかける。「躑躅の岡」は仙台市の 年 ただよひてつらき、いはみづの泡の消えば消えなむと思へど東方にある。歌枕。「くまつづら」 阮瀬に は、「馬鞭草」 ( 和名抄 ) 。 天 も悲しきことはみちのくの躑躅の岡のくまつづらくるほどをだニ一「あひ」の序詞。「あひ見て」は 巻 倫寧が帰任すれば再会できること。 あぶくま 上 一三涙が衣手 ( 袖 ) に「掛からぬ」意 待たでやは宿世絶ゅべき阿武隈のあひ見てだにと思ひつつ と、「かくあらぬ」意とをかけ、出 嘆く涙の衣手にかからぬ世にも経べき身をなぞやと思へどあふ家して尼になる意味を表す。 ころもで すくせ せ み へ 九