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検索対象: 完訳日本の古典 第17巻 源氏物語(四)
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1. 完訳日本の古典 第17巻 源氏物語(四)

おさしあげになる。 の響きが興趣深く相和するので、冠者の君は、「このよう いにしへを吹き伝へたる笛竹にさへづる鳥の音さへ変 なつらい修業をせずとも、皆といっしょに遊び興ずること らぬ ができようものを」と世の中を恨めしく思わずにはいらっ ( 昔の聖代の音色をそのままに吹き伝えた春鶯囀の曲の調べ しゃれないのだった。 しゅんおうでん に、さえずり合せる鶯の音まで昔と変りはありません。まこ 春鶯囀を舞う折に、院の帝が昔の花の宴のときをお思い とにめでたいかぎりです ) 出しになって、「またあれくらいのすばらしいことがいっ 見られようか」と仰せになるにつけても、源氏の大臣はそ水際だった巧みさでその場をとりなし奏上なさった宮の心 づかいは、格別におみごとである。帝はお盃をお取りにな の当時のことをそれからそれへと感慨深く思い続けずには さかずき いらっしゃれない。舞い終ったときに、大臣は、院にお盃 鶯のむかしを恋ひてさへづるは木伝ふ花の色やあせた をお献じになる。 うぐひす る 鶯のさへづる声はむかしにてむつれし花のかげそか ( 鶯が昔を恋しがってさえずるのは、飛びまわっている木の はれる 花の色があせたからであろうか。春鶯囀の曲に昔を恋しく思 ( 鶯のさえずる声ー春鶯囀の曲は昔のままですが、かっての われるのは、わが治世が劣るからであろうか ) 花の宴の折、親しく遊びかわした花の陰はすっかり変ってし まいました ) と仰せになるその御有様も、このうえなく奥ゆかしくてい 女 らっしやる。さて、歌がこれだけなのは、今日の御催しが 院の上は、 公式のものではなく内々のことなので、たくさんの方々に 九重をかすみ隔つるすみかにも春とっげくる鶯の声 少 ( 宮中から遠く霞を隔てたこの住みかにも、春の来たことを次々とお盃が渡らなかったためか、また書き落してしまっ たためだろうか。 告げる鶯の声がすることです ) 0 そちのみや 楽所が遠くてはっきりとは聞えないので、帝は御前にお 帥宮と以前申したお方は今は兵部卿で、今上の帝にお盃を ここのヘ こづた

2. 完訳日本の古典 第17巻 源氏物語(四)

ひょうぶきようのみやびわ 琴の類をお取り寄せになる。兵部卿宮は琵琶、内大臣は和御代のことを思い出さずにはいられません」と、お泣きに きん ごんそう 琴、箏のお琴は院の御前にさしあげて、琴は例によって太なる。帝は、「お頼り申すべき方々に先立たれましてから、 政大臣が頂戴なさる。これほどのたいそうな名手の方々が、春の往き来の境もわきまえられませぬ思いでございますが、 語 物それぞれすぐれた御手の運び方で秘術のすべてをご披露に 今日参上させていただいて気持も晴れ晴れいたしました。 ねいろ 氏 なる音色は、何ものにもたとえようがなくすばらしい。昌 これからはまた折々に」とお申しあそばす。大臣もしかる 源 あなとうと うた 歌に堪能な殿上人があまた控えている。「安名尊」を謡い べくご挨拶申しあげて、「いすれあらためて参上いたしま さくらびと あげて、次に「桜人」である。月もおばろにさし出てきて して」と申しあげなさる。あわただしくお帰りになるご威 かがりび 興趣も尽きないころ、中島のあたりに、あちらこちら篝火勢につけても、大后はやはり胸おだやかでなく、「あの大 おおみあそ を焚いて、盛会のうちに大御遊びは終った。 臣は昔をどのように思い出しておられるのかしら。天下を 〔三 0 〕帝と源氏、弘徽殿すでに夜も更けてしまったが、こう お取りになるべきご運は、やはり消せるものではなかっ 皇太后のもとにまいるした機会に皇太后宮のいらっしやる た」と昔を悔むお気持である。 ないしのかみ 方を避けてお伺い申しあげないのも思いやりのないことな 尚侍の君も、静かに昔のことをふり返ってごらんにな おとど ので、帝は帰り道にお立ち寄りになる。源氏の大臣もごい ると、しみじみ感に堪えぬことが多いのである。今もしか おおきさき っしょに伺候なさる。大后はお待ち受けになり喜んでご対るべき折々には、何かのってでそれとなく、大臣がお便り 面になる。まことにひどくお年を召したご様子であるにつをさしあげなさることは続いているようである。また、大 けても、大臣は亡き藤壺の宮をお思い出し申しあげられて、后は、帝に奏上なさることのある折々には、朝廷からいた ・一うぶり このようにご長命のお方もいらっしやったものをと、残念 だいている年官、年爵とか、そのほか何やかやについてお なお気持になられる。大后は、「今はこのように年をとっ 思いどおりにならぬときなど、長生きしたためにこうも情 て、なにもかも忘れてしまいましたのに、ほんとにかたじ けないめにあうものよと、盛りの昔を今に取り戻したく、 けなくもお越しくださいましたので、あらためて昔の院のすべてに気むすかしくいらっしやるのであった。だんだん ( 原文一三九ハー ) た - 一と つかさ

3. 完訳日本の古典 第17巻 源氏物語(四)

うかと、あれこれ心を労さずにはいられません」などと申 のをごらんになって、お気づきになり、「尼君はこちらに なり いらっしやるのか。これはまったくしどけない姿態をして しあげる様子は、身についた風情がなくもないので、昔の なかっかさのみや のうし 思い出話として、このお邸に中務宮がお住まいになってお おりまして」とおっしやって、御直衣をお取り寄せになっ 語 きち、よう - 物てお召しになる。尼君の几帳のそばにお近寄りになって、 られたころの様子などを尼君に語らせていらっしやると、 やりみず 氏 「申し分なく若君をご養育になられた、その原因は、お勤手入れの終った遣水の音が、まるで訴えでもするかのよう 源 に聞えてくる。 めが殊勝でいらっしやることにあろうと、ことさらにお思 しみづ すみなれし人はかへりてたどれども清水はやどのある い申しあげるのです。ほんとに、たいそう悟りすましたお ちり じ顔なる 暮しでいらっしやったお住いをあとにして、塵の浮世にお ( 昔ここに住みなれていた私は、かえっておばっかない思い 帰りになられたお志のほどは浅からぬもの。またあちらの をしておりますが、遣水の流れはまるで主人顔に昔のままの 明石の地では、入道が居残られてどんなにこちらのことを 音を立てています ) 案じておられることかと、あれこれ胸が痛みます」と、ま ことにやさしくお言葉をおかけになる。「いったん捨ててわざとらしくはなく中途で声をひそめるその様子を、みや しまいましたこの浮世でございますが、いまさらにたち帰びやかでたしなみのある人よとお聞きになる。 「いさらゐははやくのことも忘れじをもとのあるじゃ って、さまざまに思い悩んでおりますこの気持を、こうし おも 面がはりせる てお察しくださいましたので、これで長生きのかいもあり ( 遣水は昔のことを忘れてもいないだろうに、それが主人顔 ましたことを、ありがたく分らせていただきました」と言 あらいそ をしているというのは、もとの主人が面変りしてしまったか って泣きながら、尼君が「荒磯のほとりに生い立ったので らだろうか ) は、いたわしいこととお思い申しあげておりました二葉の 松も、今は御行く末も安心とお祝い申しあげておりますが、ああ、懐かしい」と、感慨をお漏しになってお立ちになる この世に お姿といい、輝くようなお顔のお美しさといい、 それにつけても、根ざしの浅い母親の素姓ゆえにどうあろ

4. 完訳日本の古典 第17巻 源氏物語(四)

るのも不似合いなことと、君はお思いになるけれども、やしくも、またいまいましくも思い申しあげていらっしやる。 こんなことが世間の噂となって、「源氏の大臣が前斎院 2 はりこうして昔からまるで見向きもなさらぬというのでも に熱心にお言い寄りになったものだから、女五の宮なども ない姫君のお仕向けであるのに、結局こうした不本意な有 語 これは結構なご縁とお思いだそうです。お似合いでなくも 物様のまま過ぎてきてしまったことを思い続けては、どうし 氏 てもこのままではあきらめきれないお気持なので、また若ない御仲でしよう」などと言っていたのを、二条院の対の 源 ひとづて 上は人伝にお耳になさって、しばらくは、「それが事実と 返って真剣にお訴えになる。 たい おとど しても、そんなことでもあったら、君はこの私に隠しだて 〔四〕源氏、朝顔の姫君大臣の君は、東の対に一人離れてい せんじ なさることはあるまい」とお思いになったけれども、さっ に執心紫の上悩むらっしやって、宣旨をお呼びになっ てはご相談になる。その姫宮のもとにお仕えしている女房そく気をつけて拝見していらっしやると、そのご様子など、 いつもとはちがって落ち着きなくそわそわしているのも情 で、さほどの身分でもない男にさえすぐ言いなりになって けない気がして、「さては、真剣にそのおつもりでいらっ しまうような者などは、まちがいをも起しかねないまでに しやるらしいが、自分にはそ知らぬ顔をして冗談事のよう 君をおほめ申しあげているけれども、姫宮はお若かった昔 にごまかしていらっしやったのかしら」と、また「あの姫 ですらまったく隔てをおいていらっしやったのだから、今 は、なおさらのこと、お互い色恋事に無縁であるべきお年宮は同じ王家のお血筋の方ながら、世間の評判も格別で、 昔から貴いお方として聞え高くていらっしやるのだから、 でもあり世間的地位でもあるので、これということもない 木草によそえたご返事など、折々の風情を見過さぬ程度の君のお気持があちらに移っておしまいになったら、さぞ自 ざた ことさえも軽々しいふるまいだと取り沙汰されはすまいか分は体裁のわるいことになるだろう。年ごろの殿のお仕向 うわさ けなどは、なんといっても、ほかに肩を並べる人もなく、 などと、人の噂に気がねなさっては、お打ち解けになりそ しつまでも昔と同じで それが常の有様となっていたのだが、今になって人に圧し うなご様子も見えないので、君は、、 いらっしやるこのお心用意を、世の常の人とちがって、珍負かされるようなことになろうとは」などとお思いになっ

5. 完訳日本の古典 第17巻 源氏物語(四)

いらっしやると、宮はこれということもない昔話を皮切りね。これからは『親なしに臥せる旅人』と思ってこの私を に際限なくそれからそれへと長話をお聞かせ申されるけれお世話くだされ」とおっしやって、物に寄りかかっていら おいびと ども、君はお耳にとまるようなこともないので、眠くもあ っしやる君の御気配に、この老人はいよいよ昔を思い出し り、また宮もあくびをなさって、「宵のうちから眠たくな ては、今も老人らしくはふるまわず、色めかしくしなをつ りまして、もうとてもお話し申しあげられません」とおっ くって、ひどくしなびたロもとが思いやられる声づかいの、 しやるかと思 , つまもなく、い びきとやら聞きなれない声が それでもやはり甘えた調子で、いまだにあだつばく戯れか するので、君は得たりとばかり座をお立ちになろうとする かろうとする。「言ひこしほどに」などと申して、言葉を せき 折しも、もう一人、なんとも年寄りじみた咳をしながらお かけてくるのは、まったく見られたものではない。まるで 近くに寄ってまいる人がある。「恐れながら、この私がこ 今にわかに年をとったとでも言いたげななどと、つい苦笑 ちらにご厄介になっておりますことはお聞きおよびかと、 せずにはいらっしゃれないものの、思い返してみると、こ 当てにしておりましたのに、この世に生きているかどうか の女の身の上もしみじみといたわしく感じられる。 ちょう もお心におかけくださいませぬので : 。これでも故院の 君が、「この老女の働き盛りのころに寵を競い合ってお おばばどの 上様は『祖母殿』と仰せになってお笑いになりました」な られた女御や更衣は、あるいは疾うの昔にお亡くなりにな どと名のって出てきたので、やっとお思い出しになる。 り、あるいは生きがいもない身の上で、はかないこの世の げんのないしのすけ 源典侍といった人は、尼になって、この宮の御弟子と中に寄るべもなく落魄していらっしやる方もあるらしい よわい なって御仏に仕えていると聞いていたけれども、まさか今 それにしても、あの入道の宮などの短かった御齢よ。あま まで生きていようとは、尋ねてもみず、ご存じもなかった りと言えばあまりのことと痛感せずにはいられないこの世 朝 ので、君はびつくりなさった。「あの時分のことはみな昔 年齢からいえば余命いくばくもなさそうな、そして心 話になってしまって、はるか昔のことを思い出すにつけて柄などもたわいなく思われた人が生き残って、穏やかにお っとめ ふじよう も心細い気がするのですが、うれしいお声を聞くものです勤行をもして暮してきていたとは、やはり万事が不定の世 ひと

6. 完訳日本の古典 第17巻 源氏物語(四)

ひとこと こよひ 、とまめやかに聞こえたまひて、源氏「一一一 = ロ、憎しなども、人づて一憎いという一言でも、直接言 今宵は、し ワ】 ってくれればあきらめもっこう、 ならでのたまはせんを、思ひ絶ゆるふしにもせん」と、おり立ちて責めきこえの意。屈折した訴え方として、常 語 套的。「今はただ思ひ絶えなむと ばかりを人づてならで言ふよしも 故宮などの心 物たまへど、「昔、我も人も若やかに罪ゆるされたりし世にだに、 がな」 ( 後拾遺・恋三藤原道雅 ) 。 源 寄せ思したりしを、なほあるまじく恥づかしと思ひきこえてやみにしを、世のニ「おり立つは、熱心にする意。 三姫君の心内。昔自分も源氏も。 ひとこゑ 末に、さだ過ぎつきなきほどにて、一声もいとまばゆからむ」と思して、さら四若く色恋沙汰も大目に見ても らえた時分でさえ。「 : ・だにの文 脈は、「まして : ・」の意を含んで次 に動きなき御心なれば、あさましうつらしと思ひきこえたまふ。 ~ 世の末に」以下に続く。 さすがに、はしたなくさし放ちてなどはあらぬ人づての御返りなどぞ心やま五さらに父宮などが源氏との結 婚を期待していたのに。挿入句的。 ふ しきや。夜もいたう更けゆくに、風のけはひ烈しくて、まことにいともの、い細六「なほ」に注意。源氏へのあこ がれが抱かれていても、それを結 婚拒否の強い意思が打ち砕く。 くおばゆれば、さまよきほどにおし拭ひたまひて、 セ源氏の言う「一言」に照応。 ^ 源氏に心動かぬとはいえ、無 源氏「つれなさを昔にこりぬ心こそ人のつらきに添へてつらけれ 愛想に突き放すような態度でない。 心づからの」とのたまひすさぶるを、「げに、かたはらいたしと、人々、例九源氏の心に即した感想。 一 0 下句に「つらし」を繰り返して、 恋の恨めしさを訴える歌。 の聞こゅ。 一一「恋しきも心づからのわざな れば置きどころなくもてぞわづら ふ」 ( 中務集 ) 。 三心の動きに促されて言う意。 朝顔「あらためて何かは見えむ人のうへにかかりと聞きし心がはりを 昔に変ることはならはずなん」と聞こえたまへり。 のご

7. 完訳日本の古典 第17巻 源氏物語(四)

ごんぎよう なことでも、そうおっしやってくださいまし。わたしはも申して、勤行にいそしんでいる有様が殊勝に思われ、経巻 や仏像のお飾り、それにこしらえもかりそめの閼伽のお道 ともとばんやりしていて何かと気のまわらない性分ですの で、不行届きもありましようし。そのうえ、あれこれの雑具なども風情に富んだ優美な作りで、やはり行き届いた心 あおにび づかいの見受けられる人柄である。青鈍の几帳が趣味のよ 事が次々とできてくるものですから、しぜんについ さを感じさせるが、その陰にすっかり隠れた格好ですわっ とおっしやって、向いの二条の院の御倉を開けさせて、絹 て、袖ロばかりが色のちがっているのも心をひかれるので、 や綾などをおさしあげになる。荒れているといった所があ 大臣の君はつい涙ぐまれて、「松が浦島に遠くから思いを るわけではないけれども、大臣の君の常のお住いではない 邸であるだけに、あたりの風情は静かに落ち着いて、お庭寄せるだけにしておくべきでした。昔からつらかったあな さき たとのご縁ですね。とはいっても、今程度のお付合いは絶 前の木立ばかりがまことにおもしろく、紅梅の咲きはじめ えるはずもなかったのでした」などとおっしやる。尼君も ている色どりの美しさなど、これをもてはやす人もいない しみじみと胸うたれる様子で、「こうしてお頼り申しあげ 有様なのをお眺めになって、 こずゑ ておりますことが、かえって深いご縁のしるしと存ぜずに ふるさとの春の梢にたづね来て世のつねならぬはなを はいられません」と申しあげる。「昔、幾度となくわたし 見るかな ( 昔住んでいた住いの春の梢を訪ねてきて、世の常の花とは に恨めしい思いをおさせになったころの報いなどを、いっ ちがった花ー鼻を見ることよ ) も仏様におわび申しておられるのがいたわしいことです。 音 よくお分りですか。男というものがこのわたしのようにま 独り言をおっしやるけれども、女君にはお分りにはならな かったことであろう。 ったく素直なものとは限らないのに、とお思い合せになる うっせみ 初 こともなくはあるまいと思います」と君はおっしやる。尼 君は、尼姿の空蝉のもとにも顔をお出しになった。こち あるじ れらの女君は、我こそはと主人顔をするでもなく、ひっそり君は、あの昔のとんでもない出来事をお耳にしていらっし やったのか、と恥ずかしくて、「こうしたみじめな姿をす と部屋住みのような体で、仏様にばかり広い場所をお譲り あや ふぜい にわ

8. 完訳日本の古典 第17巻 源氏物語(四)

源氏物語 80 しはぶき 一私がこの邸にいることを。 たまはむとするに、またいと古めかしき咳うちして参りたる人あり。「かしこ ニ「おばは祖母。「おとど」は貴 かず けれど、聞こしめしたらむと頼みきこえさするを、世にあるものとも数まへさ婦人の敬称。物語では、院でなく、 源氏が呼んだ。↓葵一二四ハー。 おばおとど うへ 三源氏が頭中将とともに笑い者 せたまはぬになむ。院の上は、祖母殿と笑はせたまひし」など名のり出づるに にした時は五十七、八歳 ( 紅葉賀 〔一三〕 ~ 〔一巴 ) 。今は七十歳前後。 ぞ思し出づる。 匹昔の知人の多くが亡くなり心 げんのないしのすけ 源典侍といひし人は、尼になりて、この宮の御弟子にてなむ行ふと聞きし細いので。このあたり、社交辞令。 五旅に病み臥す孤児。両親のな い自分をさす。「しなてるや片岡 かど、今まであらむとも尋ね知りたまはざりつるを、あさましうなりぬ。 山に飯に飢ゑて臥せる旅人あはれ むかしがたり 源氏「その世のことは、みな昔語になりゆくを、はるかに思ひ出づるも心細き親なし」 ( 拾遺・哀傷聖徳太子 ) 。 すだれ 六物に寄りかかる気配。簾を隔 ふ に、うれしき御声かな。親なしに臥せる旅人とはぐくみたまへかしーとて寄りてた源氏と典侍は、互いにその動 作を想像。「けはひ」「思ひやらる 、とど昔思ひ出でつつ、古りがたくなまめかしきさまる声づかひ」とあるゆえん。 ゐたまへる御けはひに、し セ源氏と逢った昔のこと。 こわ ^ 老いて歯が抜け、ゆがんだロ。 にもてなして、いたうすげみにたるロつき思ひやらるる声づかひの、さすがに 九とはいえ、甘ったれた口調で、 まだ色めかしくふるまおうと。 舌つきにてうちされむとはなほ思へり。典侍「一一 = ロひこしほどに」など聞こえか 一 0 「身を憂しと言ひこしほどに ゑ 今はまた人の上ともなげくべきか かるまばゆさよ。今しも来たる老のやうになど、ほほ笑まれたまふものから、 な」 ( 源氏釈 ) によるか。 = 今急に老人になったように。 ひきかへ、これもあはれなり。 三反転して、老女の身への憐憫 に - よ ) っ′、カ、つい 「この盛りにいどみたまひし女御、更衣、あるはひたすら亡くなりたまひ、あをいう。老女の恋の話 ( 伊勢物語 五 おい な 六

9. 完訳日本の古典 第17巻 源氏物語(四)

まづこの姫君の御さまのにほひやかげさを思し出でられて、例の忍びやかに渡一五「にほひやか」な顔が恥じらい でいっそう赤くなる魅力的な表情。 てならひ 一六物柔らかな感じが、昔のタ顔 りたまへり。手習などして、うちとけたまへりけるを、起き上がりたまひて、 を想起させる。↓タ顔田一二四ハー。 恥ぢらひたまへる顔の色あひいとをかし。なごやかなるけはひの、ふと昔思し宅玉鬘を最初見た印象。タ顔と の類似が強調されたが ( 玉鬘〔一巴・ 。しとか , っしも胡蝶二二一ハー四行 ) 、こことやや 出でらるるにも、忍びがたくて、源氏「見そめたてまつりしま、、 矛盾。しかし効果的な物言い。 おばえたまはずと思ひしを、あやしう、ただそれかと思ひまがヘらるるをりを一 ^ タ霧が亡き母葵の上の美貌に 似ないとして、それを根拠に言う。 りこそあれ。あはれなるわざなりけり。中将の、さらに、昔ざまのにほひにも一九箱の蓋を容器として用いた。 ニ 0 果実や菓子類。 ニ一「橘」は歌語で、懐旧のよすが。 見えぬならひに、さしも似ぬものと思ふに、かかる人もものしたまうけるよ 一三「橘のかをりし袖」はタ顔。 一九ふた たちばな 「身」と橘の「実」の掛詞。「五月待 とて涙ぐみたまへり。箱の蓋なる御くだものの中に、橘のあるをまさぐりて、 っ花橘の香をかげば昔の人の袖の 香ぞする」 ( 古今・夏読人しらず ) 。 源氏「橘のかをりし袖によそふればかはれる身ともおもほえぬかな 亡きタ顔を追慕しつつ、玉鬘への 世とともの心にかけて忘れがたきに、慰むことなくて過ぎつる年ごろを、かく新たな感動を言いこめた歌。 ニ三夢と思ってみても、やはりこ らえられない。懸想に転ずる言葉。 蝶て見たてまつるは、夢にやとのみ思ひなすを、なほえこそ忍ぶまじけれ。思し ニ四恋の場面を特徴づける呼称。 ニ五驚きや不快を抑えた態度。 疎むなよ」とて、御手をとらへたまへれば、女かやうにもならひたまはざりつ 胡 ニ六「袖の香」はタ顔。「橘のみ」は 自分。ここも「実」「身」の掛詞。 るを、いとうたておばゆれど、おほどかなるさまにてものしたまふ。 母のように短命だったら大変、と ニ六 して、源氏の懸想をかわした歌。 玉鬘袖の香をよそふるからに橘のみさへはかなくなりもこそすれ ニ 0 ニ四 さっき

10. 完訳日本の古典 第17巻 源氏物語(四)

して人にお漏しくださいますな。『いさら川』などとお願 を袖でおぬぐいになって、 い申しあげるのも、物慣れ顔ですが」とおっしやって、し 「つれなさを昔にこりぬ心こそ人のつらきに添へてつ きりにひそひそかきくどいていらっしやるけれども、それ らけれ はどんなことなのだろうか。女房たちも、「なんとまあも ( 昔のあなたのつれないお仕打ちにも懲りようともしない私 ったいよい。どうしてむやみと情けに疎くお扱い申しあげ の、いは、今のあなたの薄情さがいっそう恨めしく思われま ていらっしやるのでしよう。軽々しく無体なことをなさる す ) ようなご様子とはお見受けされませんのに。おいたわしい それも『心づからの』わざでした」と言いつのられるのを、 こと」と一一 = ロ , つ。 「大臣の仰せもごもっともなこと。私どもも気が気であり なるほど姫君は、君のお人柄のご立派であることも、ま ません」と、女房たちは例によって姫君に申しあげる。 た心にしみて慕わしいお方であることもお分りにならない 「あらためて何かは見えむ人のうへにかかりと聞きし のではないけれども、「物事の情味をわきまえているよう 、いがはりを ( いまさらどうしてこれまでとはちがった心をお見せするこ な様子を君にお目にかけたところで、世間一般の女が君を ひと おほめ申しあげるのと同列に思われてしまうだろうし、ま とができましよう。よその女の場合にはそうしたことがある と聞いております心変りなど、私にはとても : : : ) た一方ではこちらの軽々しい心の程もお見通しになってし この身がちぢむくらいにご立派なお方 昔の心を改めることなど、とてもいたしかねます」とお申まうにちがいない。 なのだから」とお思いになるので、「お慕い申しているか しあげになる。 のような心づかいをお見せするのも、まったくあらずもが 大臣はどうにもいたしかたなくて、心底からお恨み言を おとな 朝 なというもの。一通りのご返事などは絶やさないで、あま 申しあげてお立ち出でになるにつけても、ひどく大人げな ひとづて い感じがなさるので、「いやまったく、世間のもの笑いのりお気をもませない程度にはお便りをさしあげて、人伝の ご返事ぐらいは失礼なことのないようにして過してゆこう。 例になってしまいそうなこのていたらくを、けっしてけっ