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検索対象: 完訳日本の古典 第17巻 源氏物語(四)
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1. 完訳日本の古典 第17巻 源氏物語(四)

あの人の冷淡さを、どうしてよいか苦しんだ果てに、唐衣を る。そうした初瀬の二本杉の発想は、当然ながら玉鬘の返 返すにつけても、衣の裏ではないが、あの人を恨むほかなか 歌にもひびいている。 みとせ ひる ・・ 2 かぞいろはあはれと見ずや蛭の子は三年になり 語 ( 日本紀竟宴和歌大江朝綱 ) ぬ足立たずして 「裏」「恨」の掛詞。「返す」は、返却する、衣の裏を返す、 物 の両意。「唐衣」「返す」「裏」が縁語。借りた唐衣を返却 氏前出 ( ↓四一二ハー下段 ) 。物語では、源氏に親交をと求めら ひな 源れた玉鬘が、自分は蛭の子のように脚も立たないうちに鄙する時の歌であろう。物語では、源氏から正月用の衣装を すえつむはな に流れていったので、何につけてもはかない存在だ、と応贈られた末摘花の歌に、これがふまえられた。「裏」「恨」 ずる。三歳で母に死別、四歳で筑紫に下向した数奇の運命 の掛詞による発想によりながらも、衣に執しすぎる点に、 しゆったい を、自ら語る言葉である。源氏の応答「沈みたまへりける末摘花らしい陳腐な表現が出来する。 を、あはれとも、今はまた誰かは」も、・この歌によってい 初音 る。玉鬘の貴種流離ぶりを印象づける表現である。 あした ・・ 4 いづくとて尋ね来つらむ玉かづら我は昔の我な ・・ 2 あらたまの年たちかへる朝より待たるるものは うぐひす らなノ、に ( 後撰・雑四・一一一五四源善朝臣 ) ( 拾遺・春・五素性法師 ) 鶯の声 あの人は、ここをどこと思って便りをよこしてきたのだろう。 新しい年を迎えるその朝から、おのずと心待ちするようにな 私はもう昔の私ではないのに。 るのは、鶯の声である。 ことばがき だいご つきなみびようぶ 詞書によれば、知り合った女のもとに置いていた道具類を、詞書によれば、醍醐天皇時代の月次の屏風のために詠まれ 女のほうから送り届けてきた時の歌。物語の源氏の歌は、 た歌。「鶯」は、春の到来を告げる鳥。一夜明けて元旦、 はつね この歌の「我は昔の我ならなくに」を逆に用いて、自分は新春を鶯の初音で実感したいとする。物語では、六条院完 昔のままなのに、として、それにしては玉鬘は実父でもな成後のはじめての正月、新しい年への期待をこめた、巻頭 い自分のもとにどうして来たのかと、数奇な運命への感動 にふさわしい表現となっている。なおこれは、後続の、明 を表現している。「あはれ」とあるゆえんである。 石母娘の鶯をめぐる贈答歌 ( 一九七 ~ 八ハー ) や明石の君の手 からころも ・・ 5 つれなきを思ひわびては唐衣返すにつけてうら習歌 ( 二〇〇ハー ) ともひびきあっていよう。特に後者の独 みつるかな ( 為信集 ) 詠歌の次に引かれる古歌「声待ち出でたる」は、出典未詳

2. 完訳日本の古典 第17巻 源氏物語(四)

( 古今・賀・三五六素性法師 ) ながらも、この「あらたまの・ : 」の歌と関連ありそうな類むと思へば あなたの無限の長寿を期待して、めでたい松と鶴にかけて祈 似の歌かとみられる。 った。松の陰に鶴が千年も住み続けるように、私もいつまで ・・ 3 野辺見れば若菜摘みけりうべしこそ垣根の草も もあなたの庇護のもとにいようと思うものだから。 ( 拾遺・春・一九紀貫之 ) 春めきにけれ 野辺に目をやると、そこではもう若菜を摘んでいるのだった。 「松」に「待っ」を、「鶴」に「いひつる」を、松の「陰」 よしみねのつねなり なるほど、垣根の草も春めいてしまったのである。 に庇護の意の「陰」を掛ける。詞書によれば、良岑経也 ( 作者の父経世の誤りともいわれる ) の四十賀の歌。物語では、 詞書によれば、これも屏風歌。「若菜」を摘むのは新春の 行事。和歌では、雪間の若草を摘むとする表現も多い。物女房たちが歯固めの祝い ( 長寿の祈願 ) をするさま。後に ゆきま いはひ′一と 語でこの歌を引き、「雪間の草青やかに色づきはじめ」と源氏から「いとしたたかなるみづからの祝言どもかな」と 続くのも、その伝統的な表現によっていよう。このあたり冷やかされるというのだから、めいめい勝手に戯れ合って いたらしい の行文、前項の鶯といい、次項の霞といい、 。しかし、この歌の「千年のかげに : ・」とある 確実に春のめ ぐり来る予感めいた感動をかたどっている。また、これら表現から、六条院の栄華に庇護されている自分たちの、新 をはじめとしてこの巻が『拾遺集』春部のはじめの歌々に 春の息吹を謳歌する言葉づかいであることも確かである。 よっているのは、偶然でないかもしれない。 次の中将の君の言葉 ( 次項参照 ) などとともに、光源氏讃 きのふ かすが 昨日こそ年は暮れしか春霞春日の山にはや立ち歌となっている。 あふみ ( 拾遺・春・三山部赤人 ) 近江のや鏡の山を立てたればかねてそ見ゆる君 ちとせ 昨日はその一年が暮れたばかりなのに、早くも春霞が春日の ( 古今・神遊びの歌・一 0 会大友黒主 ) が千年は 山に立ってしまったのだった。 近江国には鏡の山を立ててあるので、大君の千年にも及ぶ繁 覧 栄が、今からそれに映っている。 一『万葉集』には、第二句「年は果てしか」 ( 巻一〇・一会三作 だいじようさいゆき 歌 者不明 ) 。一夜明ければ新春で、春霞がたなびく趣。類想歌左注によれば、醍醐天皇の大嘗祭に悠紀国に選ばれた近江 が多い。物語では必ずしもこれを引歌にしたとは断じがた国の歌。作者黒主は近江国の出身。「鏡の山」は滋賀県蒲 四しか、いかにも和歌的表現に基づいている。前項参照。 生郡の鏡山。物語では、中将の君が源氏の長寿と繁栄を予 よろづよ ちとせ 万代をまつにぞ君を祝ひつる千年のかげに住ま祝する言葉として引く。「鏡の影にも語ら」うとは、鏡餅 ひご

3. 完訳日本の古典 第17巻 源氏物語(四)

あやしくさまざまにもの思ふべかりける身かなとうち嘆き いは姫君からの返歌に「めづらしや花のねぐらに木づたひ て、常よりもこの君を撫でつくろひつつ見ゐたり。雪かきて谷のふる巣をとへるうぐひす」 ( 本冊二〇〇ハー ) と詠む感 あしたきかたゆすゑ くらし降りつもる朝、来し方行く末のこと残らず思ひつづ動は、極北の位境から春の到来を希求してやまない者の偽 けて : : : 」とあるのは、源氏との絶望的な関係を慰めうる、らざる表現であった。こうして明石の君の冬の心象景は、 唯一の生きがいの愛娘を手放さねばならぬ、終末的な苦衷終末的な暗鬱さとともに、それゆえの憧憬をかたどってい である。十二月の雪に、己が人生の極北の情をかたどってる。彼女は、春への憧れを抱きながら、六条院冬の町に封 じこめられているのである。 いよう。ところが、離別の場における源氏との贈答歌、 明石の君末遠きふたばの松にひきわかれいっか木だか朝顔巻の月夜の雪景色 ( 本冊八六 ~ 九〇ハー ) は、春への憧 きかげを見るべき れへと時間的に回転することもないかわりに、源氏の藤壺 源氏生ひそめし根もふかければたけくまの松にこまつを追慕するあまり、「この世の外のことまで思ひ流」して、 死者の世界への空間的な想像力を駆りたてる。これは、 の千代をならべん しはす は、正月子の日に小松の根を引いて長寿を祈るという発想「すさましきもの、十二月の月夜ー ( 八一ハー注 = 一 D とする によっている。一見するところ、十二月にはふさわしから『枕草子』の美観を不満とすることはもちろん、『古今集』 ぬ表現である点に注意したい。 しかし同じく雪による表現的な美意識とも相関らずに、固有の美を形象したことにな ひと として、新春の雪間に小松や若菜を採って予祝するというる。ここでは、藤壺を永遠の女として記念しつつも、その 発想へと連なっていく。ひるがえって、後に明石の君は六ゆかりの紫の上をも同じく雪の夜の月の景に組み込もうと 条院の冬の町の住人に仕立てられる。そこに、愛娘を手放する。つまり、死せる藤壺と生身の紫の上がともに、源氏 した母親の、凍てついた心が閉じこめられている。それだの心象風景のなかに位置づけられている。 こうして物語の雪景色は、終末を思う心を原点としなが けに、母娘再会を夢見る、春への憧れが切実でもあった。 はつね 初音巻の、「年月をまつにひかれて経る人にけふ鶯の初音ら、さらに時間的、空間的な心情の拡がりを見せているの きかせよ」 ( 本冊一九七ハー ) などという姫君への哀訴、あるである。

4. 完訳日本の古典 第17巻 源氏物語(四)

79 朝顔 ( 現代語訳二九〇ハー ) かろがろ みかど 宮には、北面の人しげき方なる御門は入りたまはむも軽々内輪の者の出入り。恋路にふさわ 〔六〕源氏、式部卿宮邸 しいが、人目につきやすく避けた。 で、源典侍に出会う しければ、西なるがことごとしきを、人入れさせたまひて、一六西側の正門 宅女五の宮に。その口上を伝え せうそこ る供人をどこから入れたかは不明。 宮の御方に御消息あれば、今日しも渡りたまはじと思しけるを、驚きて開けさ 天このあたり、貧窮の末摘花邸 みかどもり 一九 せたまふ。御門守寒げなるけはひうすすき出で来て、とみにもえ開けやらず。で門が開かす源氏が待たされる雪 の朝の光景に類似 ( 末摘花〔一四〕 ) 。 じゃう ほ力をの , これより外の男はたなきなるべし、ごほごほと引きて、「鎖のいといたく錆び一九「うすすく」は、狼狽する意。 ニ 0 三十年が何をさすか不明。諸 あ きのふけふ うれ 本中「み ( 三 ) とせ」とする伝本もあ にければ開かず」と愁ふるをあはれと聞こしめす。「昨日今日と思すほどに、 ニ 0 り、諸説紛々。いずれにせよ、時 やどり みそとせ の経過に無常を感じ取る表現。 三十年のあなたにもなりにける世かな。かかるを見つつ、かりそめの宿をえ思 ニ一現世を仮の宿とみながらも、 その現世の移り変る万般の美しさ ひ棄てず、木草の色にも心を移すよ」と思し知らるる。口ずさびに、 に、執着心を断ちがたいともする。 かきね 一三「よもぎ : ・むすばほる」は、蓬 いつのまによもぎがもととむすばほれ雪ふる里と荒れし垣根そ がからまるように繁茂する意。邸 の荒廃を象徴。「降る」「古」の掛 やや久しうひこじらひ開けて入りたまふ。 詞。前の「昨日今日と・ : 」の述懐と 宮の御方に、例の御物語聞こえたまふに、古事どものそこはかとなきうちは照応し、時の変化を思う心を表現。 ニ三無理やり引っ張り開けて。 ニ四女五の宮が昔語りに熱中。 じめ、聞こえ尽くしたまへど、御耳もおどろかず、ねぶたきに、宮もあくびう ニ六 一宝源氏の関心は姫君にある。 よひ ちしたまひて、女五の宮「宵まどひをしはべれば、ものもえ聞こえやらず」とのニ六宵から眠くなること。 毛かかわり知らぬ下品さの表現。 ニ七 たまふほどもなく、いびきとか聞き知らぬ音すれば、よろこびながら立ち出で夭ようやく解放された気持。 あ きたおもて ニ四 ふること あ あ

5. 完訳日本の古典 第17巻 源氏物語(四)

河鹿の鳴く井手の里の山吹はもう散ってしまったのだ。早く の一首全体は、男子禁制の斎宮の花園に若い女たちが大勢 訪ねて花の盛りに出会えばよかったのに。 集っているのを、男があこがれ心で見て詠んだ歌。もとは、 つづき 伊勢の斎宮に仕える少女との禁断の恋の物語をもとにした 「井手」は京都府綴喜郡井手町。木津川の東南。「かはづ」 歌謡であったらしい。後に、富を予祝するようなめでたい 「山吹」を連想させる歌枕である。物語の、紫の上方を訪 神事歌謡として、踏歌などに用いられるようになった。物ねた中宮方女房の歌にも、この歌の「井手」「山吹ーの発 語でも、男踏歌の人々が謡う。 想が典型的にふまえられている。 8 1 っ乙一 1 見わたせば柳桜をこきまぜて都そ春の錦なりけ ・・ 9 見わたせば柳桜をこきまぜて都そ春の錦なりけ る る ( 古今・春上・契素性法師 ) ( 古今・春上・契素性法師 ) はるかに見渡すと、緑の柳と薄紅の桜とをしごきまぜていて、 前出 ( ↓上段 ) 。物語では、紫の上方と中宮方の女房たちの、 京の都はまさに春の錦織なのであった。 競い合う「装束、容貌」を、この歌によって表現。晩春の 京の春を眺望し、それを錦織と見立てた歌。秋の紅葉をそ景物として、折からの時季にふさわしい比喩となっている。 たふとけふ れと見立てるのが一般的で、春をそれとした点に新味があ ・・ 2 あな尊今日の尊さや古もはれ古もか った。「こき」の「こく」は、しごき落す意。「こき」を接 くやありけむや今日の尊さあはれそこよしや今日 あなとうと ( 催馬楽「安名尊」 ) 頭語とする説はとるべきでない。物語では、男踏歌を見物の尊さ すだれ する六条院の女性たちの、互いに競い合って簾の下から見前出 ( ↓四二五ハー上段 ) 。物語では、人々がこの楽曲を合奏 せる袖ロの美しさを、この歌によって、霞の中から現れた し謡う。六条院の今日のめでたさを謳歌。 あをやぎ うぐひす 「春の錦」であるとする。柳・桜にはまだ遠い新春ながら、 ・・ 6 青柳を片糸に縒りてやおけや鶯のお けや鶯の縫ふといふ笠はおけや梅の花笠や 覧六条院の、春たけなわのごとき繁栄を予祝した表現といえ 一よ , つ。 ( 催馬楽「青柳」 ) 歌 青柳を、片糸として縒って、ヤ、オケヤ、鶯が、オケヤ、鶯 胡蝶 が、あちこちへ飛んで縫うという笠は、オケヤ、梅の花笠よ。 ・・ 2 かはづ鳴く井手の山吹散りにけり花のさかりに青柳の枝を縒る糸と見立てるとか、梅の花を笠に見立てる あはましものを ( 古今・春下・一一一五読人しらず ) とかの表現は、和歌的な趣向である。『古今集』には、こ とうか かじか

6. 完訳日本の古典 第17巻 源氏物語(四)

( 古今・雑体・誹諧歌・一 0 四九藤原時平 ) らなくに なくなってしまったので、恨めしい思いのする所があれこれ 相手が唐土の吉野山にこもってしまおうとも、後に残されて 多くなったものだ。 あきらめてしまうような私ではない。 詞書によれば、不便な所だから通いにくいと言う男のため 『伊勢集』では、伊勢への仲平の返歌。いずれにせよ、相 、女が住いをかえた、それなのに通わなくなった男への、 女の恨みの歌。もとの住いにも今の住いにも、訪ねてくれ手をからかい、自らの恋の執念を自嘲的に詠んだ歌である。 かいぎやく 「唐土」と「吉野」の非合理な取合せにも諧謔味があるが、 ぬ男への恨めしさがこもる。それが「つらき所」。物語で めのと は、明石の君にとっての、過去の明石、現在の大堰、これ「吉野の山」は遁世を連想させる歌枕。物語の乳母の歌は、 この歌をふまえることによって、明石の君がどこでどんな から移るかもしれない二条東院が、それである。いずれも、 源氏の冷淡さを恨まねばならぬ場所だとする。その過去と人生を生きようとも親交しつづけよう、の意思を強調的に 現在を根拠に一一条院移住を想像すると、絶望的な状況でし表現しえている。 ・薊・ 7 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまど かないと考えるにいたる。源氏とかかわるかぎり、安住の ( 後撰・雑一・一一 0 三藤原兼輔 ) ひぬるかな 地を見いだしがたい思いである。 ・・ 5 恨みての後さへ人のつらからばいかに言ひてか 前出 ( ↓四一〇「上段 ) 。物語では、愛児を手放さねばなら ( 拾遺・恋五・九八五読人しらず ) ぬ明石の君の悲痛な親心を、もう一人の親である源氏が想 立日をも泣かまし あの人にこの自分を顧みさせようとして恨み言を言って、そ像する表現。源氏にはわが子の可憐さが痛々しいだけに、 の後もなお、あの人の恨めしい態度が変らないとしたら、ど母親の惑乱が他人事とも思えない。 たけくま れ・ 2 植ゑし時ちぎりやしけむ武隈の松をふたたびあ のように言って声に出して泣いたらよいのかしら。 ( 後撰・雑三・一 = 四 = 藤原元善 ) 覧「恨む」は、恋の恨めしさを訴える意。「つらし」は、相手ひ見つるかな 植えた時に、こうなることを約束しておいたのだろうか。武 一の薄情が恨めしい意。物語では、前項の引歌表現から続く 歌 隈の松に再び巡り逢ったのである。 点に注意。源氏にどのように応じようともその態度を恨め みちのくのかみ 詞書によれば、陸奥守として赴任した作者が、武隈の松の しく思うしかないのだから、「いかに言ひてか音をも泣か 枯れているのを見て小松を植えつがせ、後年再び同国に赴 昭まし」なのである。 もろ第一し 1 唐土の吉野の山に籠るとも遅れむと思ふわれな任した折、それに再会したことを詠んだ歌。「武隈の松」 第一も かれん

7. 完訳日本の古典 第17巻 源氏物語(四)

・躓・ 9 わが宿と頼む吉野に君し入らば同じかざしをさ れが短歌形式となって「青柳を片糸に縒りて鶯の縫ふてふ ( 後撰・恋四人一 0 伊勢 ) 笠は梅の花笠」 ( 神遊びの歌・一 0 八 D とある。春の景物の華麗しこそはせめ この世が厭わしくなった時のすみかにしようと思っている吉 な表現が、集宴の明るい雰囲気にふさわしいのであろう。 語 野の山に、あなたもいっしょに入ろうというのならば、同じ 物語では、蛍兵部卿宮が「返り声」として律旋法のこの曲 かギ、し」仲よノ、き、して暮す . ことにしょ , つ。 氏を謡う。なお右の『古今集』歌の詞書にも「返し物の歌」 ことばがき 源とある。この歌の、春の快い華麗さが、六条院の栄華をた詞書によれば、仲平からの贈歌「ひたすらにいとひはてぬ ゆくへ るものならば吉野の山に行方知られじ」への返歌。「吉野」 たえている。またこの歌の歌詞から、次の「朝ばらけの鳥 さへづり は隠遁を連想させる山。物語では、蛍兵部卿宮が藤の枝を、 の囀」 ( 源氏の美声の比喩 ) という表現も導かれている。 さかずき ・・Ⅱさざれ石の中の思ひはありながらうち出づるこ源氏の盃に添えてあげるのに、この歌を引く。兄弟として ( 奥入 ) とのかたくもあるかな の源氏の厚情に期待する気持であり、その心底には源氏の 心の中にはあの人を恋しく思う気持がありながら、その思い 養女玉鬘との結婚の願望がある。 その うぐひすね を打ち明けることはなんとむずかしいことだろう。 わが園の梅のほっえに鶯の音になきぬべき恋も ワし 1 亠 ( 古今・恋一・四九八読人しらず ) 出典未詳。「さざれ石の」は、枕詞的用法。物語では、玉するかな 私の庭の梅の高い枝で、鶯が声をはりあげて鳴きそうである。 鬘に恋慕しつつも、その思いを告白しえぬ若者の気持。ま 私も声に出して泣いてしまいそうな恋をしているのだ。 た文脈上、この歌の「思ひ」に「火」を掛け、その縁から 「鶯の」まで序詞。「音になきぬべき」が、景物と心情にわ 「うち出でぬ中の思ひに燃えぬべき」と続けた。 たる二重の文脈。物語では、紫の上方の春の景を見ること ・躓・ 8 紫のひともとゆゑに武蔵野の草はみながらあは ( 古今・雑上人六七読人しらず ) のできなかった中宮が、残念で泣きたいほどだとする表現。 れとぞ見る もとの歌の恋の心を、自然観照の心に転用した点に、たし 知らねども武蔵野といへばかこたれぬよしやさこそは紫の ( 古今六帖・第五「紫」 ) ゅゑ なみの深い女性の機知ぶりが印象づけられていよう。 そで はなたちばなか 前出 ( ↓四二一ハー下段 ) 。物語の蛍兵部卿宮の歌でも、紫の ・・ 9 五月待っ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞす ( 古今・夏・一三九読人しらす ) ゆかりを詠む歌の「紫」によって、自分にとって玉鬘が姪る 前出 ( ↓四二五ハー上段 ) 。物語の源氏と玉鬘が、この歌を前 ( 兄である源氏の養女 ) であるという縁故を主張する。 めい さっき

8. 完訳日本の古典 第17巻 源氏物語(四)

431 う、と慰める。なお、これに先立って引かれている「声待「三枝」は、三つに分れている枝先から花が咲き出してい ち出でたる」の古歌も、出典末詳ながらやや類似した内容る状態といわれる。富や福を象徴する語で、「三枝の」は はや であろう。「あらたまの : ・」 ( 四二八ハー下段 ) の項参照。 「三つ」「中」などにかかる枕詞。「あはれ」「はれ」は、囃 ・・ 8 花の香を風のたよりにたぐへてぞ鶯さそふしる子ことば。「三つば四つば」は、棟がいくつもある意。邸 べにはやる ( 古今・春上・一一一一紀友則 ) 宅ばめの歌である。物語では、臨時客の六条院で、客人が あるじ 春の風を手紙とし、梅の花の香りをそれに添えてやって、ま主の源氏をたたえて謡う。この歌の後半から源氏自身も加 うた だ姿を見せない鶯を誘い出す案内としようよ。 わり、感興がきわまる。これも、六条院の善美を謳いあげ 一説には、風を使者に、梅の香りをそれに添わせる意とも。 る讃歌の一つである。 物語では、六条院の臨時客の盛宴ぶりをいう。「花の香さ ・・ 4 世の憂きめ見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそ もののべのよしな ほだしなりけれ ( 古今・雑下・九五五物部吉名 ) そふタ風」↓「御前の梅ゃうやうひもときて」↓「物の調 べどもおもしろく」と続き、期待される「鶯の声」とは、 世の中のつらさにあわすにすむ山の中に入ろうとすると、捨 源氏の加わった催馬楽の演奏であったとする。なお、この てがたく思う人が修行の妨げになるものだった。 かんだちめ 引歌表現に先立っ叙述に「 ( 上達部などが玉鬘に ) すずろに 前出 ( ↓賢木三八七ハー上段 ) 。物語では、一一条東院に住まう 心げさうしたまひつつ」とあるところから、この歌の「鶯女君たちの、源氏とほとんど交渉を持たない生活ぶりをい さそふ」が、玉鬘に思いを馳せる恋の情緒をかもし出して う。これは、六条院の極楽を思わせる「蓮の中の世界」に しることにもなろ , つ。 対する表現でもある。 さキ」くさ みなかみ ・・この殿はむべもむべも富みけり三枝の 落ちたぎつ滝の水上年積り老いにけらしな黒き 90 1 すぢ ( 古今・雑上・九 = 八壬生忠岑 ) 覧あはれ三枝のはれ三枝の三つば四つばの中に殿筋なし このとの 一づくりせりや殿づくりせりや ( 催馬楽「此殿」 ) はげしく落ち流れるこの滝の上流は、何年もたって年老いて 歌 この御殿は、なるほど、なるほど豊かに富んでいたのだった、 しまったらしい。その証拠には、白く泡立つばかりで、黒い みむね よむね 三枝の、アワレ、三枝の、ハレ、三枝の、三棟にも四棟にも 毛筋が一本もない。 分れている中に、御殿を造っていることよ、御殿を造ってい 詞書によれば、比叡山の音羽の滝を詠んだ歌。滝の擬人化 すえつむはな ることよ。 による表現。物語では逆に、末摘花の髪を滝壺の白さに見 か

9. 完訳日本の古典 第17巻 源氏物語(四)

あめ とよをかひめ 出典未詳。「霧」は秋で、この「雁」は、いわゆる来る雁。 ・・ 3 . みてぐらは我がにはあらず天にます豊岡姫の宮 ワ 1 のみてぐら ( 拾遺・神楽歌・毛九 ) 物語では、タ霧との幼い恋仲を裂かれた雲居雁が、眠れぬ 神に奉るみてぐらは、われらのものではない。天にまします 夜、折から「雁の鳴きわたる声のほのかに」聞えるのに触 語 豊岡姫の宮のためのみてぐらである。 発されて、この歌を思わず口ずさんでしまう。下句の「晴 物 氏れせず物の悲しかるらむ」の憂愁をたたえた口ずさみであ「みてぐら ( 幣 ) 」は、神への供物。本来は、祭場で祭人が 源る。またこの歌は、直前の引詩「風ノ竹ニ生ル夜窓ノ間一一神を降臨させるべく手に持って舞うものをいうらしい 臥セリ・ : 」の孤閨の悲情とともに、物語の場面に秋の孤独「豊岡姫」は天照大神か。物語では、タ霧の、五節の舞姫 けそう な恋の情趣をもたらしている。さらに、隣室で同じように ( 惟光の娘 ) への懸想の歌で、これをふまえる。舞姫を「豊 みやびと 恋の物思いに屈するタ霧がこの口ずさみを聞いて、この表岡姫」に仕える宮人として、それに訴えかける体である。 をとめ′ ) みづがき 現に導かれながら、「さ夜中に友呼びわたる雁がねに : ・」 ・・ 4 少女子が袖ふる山の瑞垣の久しき世より思ひそ ( 拾遺・雑恋・一 = 一 0 柿本人麿 ) と独詠することにもなる。なお、雲居雁という女君の呼称めてき ふるやま も、この口ずさみから出た。 少女が袖を振るという布留山の、その神垣のように、久しい 前からあなたを思ってきた。 ・・ 3 吹きくれば身にもしみける秋風を色なきものと ( 古今六帖・第一「秋の風」 ) 思ひけるかな 前出 ( ↓賢木三八六ハー下段 ) 。物語では、タ霧の、舞姫への 吹いてくるので身にもしみこんだ秋風を、今までは色のない 懸想の歌「あめにます・ : 」 ( 前項も参照 ) に、神の縁で、続 ものと思っていたのだった。 いて引かれる。「瑞垣の」に、その下句の恋の思情を集約 『続古今集』 ( 秋上・三 0 八紀友則 ) では、初句「吹きよれば」。 的に言いこめた表現である。またこれは、次ハーの源氏の五 「しみ」に「染み」をひびかせ、「色」と縁語。秋風の感触 節の君への贈歌の表現にもひびいていよう。 はまゆふももへ から秋色の視覚に転じて、秋を知覚した歌。物語では、タ ・・ 2 み熊野の浦の浜木綿百重なる心は思へどただに をぎ ( 拾遺・恋一・六六八柿本人麿 ) 霧の独詠歌「さ夜中に : ・うたて吹き添ふ荻のうは風」 ( 前逢はぬかも み熊野の浦の浜木綿が幾重にも重なっているように、心の中 項も参照 ) に、直接すべく引いた。その「荻のうは風↓身 ではあの人への思いが重々しいのに、直接には逢うことがな にもしみける・ : 」とする重層的な表現が、心情の奥行を深 いのである。 めている。 これみつ

10. 完訳日本の古典 第17巻 源氏物語(四)

・圏・ 3 犬上の鳥籠の山なるいさや川いさと答へよわが美を推称するにいたる。 ( 古今・恋三・墨滅歌・一一 0 八読人しらす ) ・・ 4 いざかくてをり明かしてむ冬の月春の花にもお 名洩らすな ( 拾遺・雑秋・一一四六清原元輔 ) 犬上の鳥籠の山麓を流れるいさや川ではないが、「さあ、存とらざりけり さあこのままここで夜を明かしてしまおう。冬の月は春の花 じません」と人には答えてくれ。私の名を言ってくれるな。 にも劣らぬものだった。 前出 ( ↓紅葉賀三七八ハー上段 ) 。ただし「いさや川」は、流 冬の夜の月の美しさに、はじめて気づいた感動による。 布本では「名取川」。物語では、朝顔の姫君との関係を口 おうせ 外無用とする源氏の言葉。逢瀬のロ封じの慣用表現である。「冬の月」を美の対象とするのは、比較的新しいことで、 たはぶ -4 ・ . ワ 1 8 1 ありぬやとこころみがてらあひ見ねば戯れにく 『拾遺集』時代ごろから一般化した。物語の源氏が冬の月 ( 古今・雑体・誹諧歌・一 9 一五読人しらす ) きまでそ恋しき を推称する根源には、亡き藤壺への追懐があるからだが、 どれくらい逢わすにいられようかと、忍耐力を試すつもりで その胸奥の感懐をひき出すのに、この冬の夜への讃美の歌 いたところ、冗談などしてはいられぬほど恋しくなってくる。 が一つの根拠になっている。 よが ー . 1 紫のひともとゆゑに武蔵野の草はみながらあは 前出 ( ↓帚木田四四〇ハー下段 ) 。物語では、夜離れの続く紫の ( 古今・雑上人六七読人しらず ) 上の、切実な心情表現として引かれる。前に源氏と「須磨れとぞ見る 紫草のほんの一本でもあると、武蔵野に生えている草のすべ の海人の塩焼き衣」「馴れ」をめぐる、言葉じりをとらえ てが懐かしいものと思われてくる。 たような応酬があっただけに ( 七八ハー ) 、ここではいっそう 「戯れにくき」思いになるのであろう。 前出 ( ↓若紫田四五二ハー上段 ) 。物語の「紫のゆゑこよなから ・跖・ 4 春秋に思ひ乱れて分きかねっ時につけつつ移るず」は、これと次の項の歌などを根拠に、藤壺のゆかりと ( 拾遺・雑下・五 0 九紀貫之 ) しての紫の上のことをいう。若紫巻 ( 田一九六・二一 覧 春がよいか秋がよいかに思い迷い、判断しかねてしまう。そ 以来の表現である。 歌 ー . 1 の時節時節のよさに応じてさまざまに傾く自分の心では。 知らねども武蔵野といへばかこたれぬよしやさ ( 古今六帖・第五「紫」 ) こそは紫のゆゑ 詞書によれば、春秋優劣を問われた折の歌。「移る」は、 知らぬ土地だが武蔵野といえば嘆息が漏れ出てしまう。そう 幻心が傾く意。物語では、源氏がこの歌の春秋優劣の一般論 だ、それはそこに生えているという紫草に、いひかれるからだ。 を前提にしながら、春秋のよさとも異なる、冬の夜の月の いめかみとこ