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検索対象: 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)
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1. 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)

源氏物語 88 どやうのものはみなその寺のことにしおきて、この国の奥の郡に人も通ひがた一播磨国。 ニ「かしこ」に同じ。加茂郡 ( 今 のち く深き山あるを年ごろも占めおきながら、あしこに籠りなむ後また人には見えの兵庫県加東郡・加西市 ) 辺りか。 三気がかりなこと。後に詳述。 四もう大丈夫と。↓前ハー一三行。 知らるべきにもあらずと思ひて、ただすこしのおばっかなきこと残りければ、 若宮誕生を知って、山奥にこもる。 ほとけかみ 五源氏が明石に派遣した使者。 今まで長らへけるを、今は、さりともと、仏神を頼み申してなむ移ろひける。 六辞世の消息の趣である。最期 この近き年ごろとなりては、京に、ことなることならで、人も通はしたてまの別れを思い娘明石の君に宛てた。 セ現世に生きながら来世に生れ ひとくだり くだ つらざりつ。これより下したまふ人ばかりにつけてなむ、一行にても、尼君に変ったと考えるようにしては。 ^ 格別の用件がない限りは。 六 さるべきをりふしのことも通ひける。思ひ離るる世のとぢめに、文書きて、御九明石の君らからの消息をさす。 一字一音の仮名文字は、漢文を読 みなれた目には面倒。肉親への執 方に奉れたまへり。 着を自ら抑える物言いでもある。 入道この年ごろは、同じ世の中のうちにめぐらひはべりつれど、何かは、か一 0 怠ける意。煩悩の一つ。 = 女御。三歳で別れたまま。 くながら身をかへたるやうに思うたまへなしつつ、させることなきかぎりは三「山伏」は、山野に修行する者。 明石 3 七四ハーでも自らこう呼ぶ。 いとま かなぶみ じんちょう 聞こえうけたまはらず。仮名文見たまふるは目の暇いりて、念仏も懈怠する一三一日を六時 ( 晨朝・日中・印 もっそや 没・初夜・中夜・後夜 ) に分けて とう せうそこ って やく ゃうに益なうてなむ、御消息も奉らぬを。伝にうけたまはれば、若君は、春の勤行。明石 3 七七ハー一行・松風 団一八ハー一一行にも同様の叙述。 ぐう をとこみやむ 一四明石の君の将来の繁栄。 宮に参りたまひて、男宮生まれたまへるよしをなん、深くよろこび申しはべ 一五極楽往生の願望をさしおいて。 ↓明石 3 七七ハー一行。 る。そのゆゑは、みづからかくったなき山伏の身に、今さらにこの世の栄え やまぶし ふみ さか

2. 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)

の懸想を拒みながらも、折節の文 らざりけるかな。女子を生ほしたてむことよ、いと難かるべきわざなりけり。 通をし続けた人物。 宿世などいふらんものは目に見えぬわざにて、親の心にまかせがたし。生ひた宅以下、娘の将来は運命として 定められているが、幼少時の親の かたがた たむほどの心づかひは、なほカ入るべかめり。よくこそあまた方々に、、いを乱教育の余地も残されているとする。 女三の宮の幼さが念頭にあろう。 一九 るまじき契りなりけれ、年深くいらざりしほどは、さうざうしのわざや、さま天自分は幸いにも大勢の娘の身 の振り方に苦労しない運命を生き ニ 0 、さまに見ましかばとなむ、嘆かしきをりをりありし。若宮を心して生ほしたててきた。娘は明石の女御一人だけ。 一九若いころは、子の少ないのを。 いとま たてまつりたまへ。女御は、ものの心を深く知りたまふほどならで、かく暇なニ 0 女一の宮。↓一四一ハー六行。 ニ一明石の女御は、まだ分別を十 きまじらひをしたまへば、何ごとも心もとなき方にぞものしたまふらむ。皇女分そなえた年齢でもなく。 一三帝寵厚く里帰りも叶いがたい てん たちなむ、なほ飽くかぎり人に点つかるまじくて、世をのどかに過ぐしたまはニ三女御の産んだ皇女たち、さら に女三の宮を念頭においた一般論。 たてまえ むに、うしろめたかるまじき心ばせ、つけまほしきわざなりける。限りありて、一西皇女は独身が建前。その平穏 な生活を保つべき心がまえが必要。 うしろみ とざまかうざまの後見まうくるただ人は、おのづからそれにも助けられぬる一宝身分柄、あれこれ相応の夫を 持っ普通の女は。 下を」など聞こえたまへば、紫の上「はかばかしきさまの御後見ならずとも、世にニ六女一の宮の養育について。 毛自分の余命を危ぶむ気持。 ながらへむかぎりは、見たてまつらぬゃうあらじ、と思ふを、いかならむ」と夭朧月夜や斎院の出家生活。 若 0 女三の宮の過失に煩悶する源氏 は、宮と対照的な玉鬘の知恵を想 て、なほものを、い細げにて、かく心にまかせて、行ひをもとどこほりなくした 起。さらに朧月夜・朝顔の姫君の 出家をうらやましくも思う。 まふ人々を、うらやましく思ひきこえたまへり。 をむなごお ニ六 かた かた ニ四 ニ五

3. 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)

ひとりの御けはひなりけりと見ゅ。 一六条院の華麗さも紫の上一人 によって保たれていたとみられる。 女御の君も渡りたまひて、もろともに見たてまつりあっかひたまふ。紫の上女三の宮はあるかなきかの存在だ 語 が、後の柏木登場の伏線でもある。 ものけ ニ懐妊の女御を気づかう言葉。 物「ただにもおはしまさで、物の怪などいと恐ろしきを、早く参りたまひね」と、 妊婦には物の怪が憑きやすい 二の宮 ( 一五九ハー八行 ) か。ま 源苦しき御心地にも聞こえたまふ。若宮のいとうつくしうておはしますを見たて = たは紫の上の養育する女一の宮か。 まつりたまひても、いみじく泣きたまひて、紫の上「おとなびたまはむを、え見四死を予感した発言。これまで 紫の上は女御腹の皇女に、源氏の たてまつらずなりなむこと。忘れたまひなむかし」とのたまへば、女御、せき夜離れの憂愁を紛らしてきただけ に ( 一四一ハー ) 、感慨無量であろう。 あへず悲しと思したり。源氏「ゆゅしく。かくな思しそ。さりとも、けしうは = 心の広く器量の大きな人には。 六そうなるべき因縁があり。 うつは ものしたまはじ。、いによりなむ、人はともかくもある。おきて広き器ものには、セ性急な人は、その地位を久し くは保ち続けられない せば 幸ひもそれに従ひ、狭き心ある人は、さるべきにて、高き身となりても、ゆた〈穏やかな心でおっとりした人。 九本人にも言い、神仏にも祈願。 おく きふ かにゆるべる方は後れ、急なる人は久しく常ならず、心ぬるくなだらかなる人一 0 前世の罪障が軽く、現世にす ぐれた人として生れたことを。 ためし 一 0 かろ は、長き例なむ多かりけるーなど、仏神にもこの御心ばせのありがたく罪軽き = 終夜寝所近く詰めて加持祈疇。 一ニ途方にくれる源氏の様子。 さまを申しあきらめさせたまふ。 一三小康状態が五、六日続くと思 うとまた重態に陥る。その繰返し。 みずほふあぎり 御修法の阿闍梨たち、夜居などにても、近くさぶらふ限りのやむごとなき僧一四治らぬ病気なのかと。 よりまし 一五憑坐に駆り移されるような物 . などま、、 。しとかく思しまどへる御けはひを聞くこ、、 しといみじく心苦しければ、の怪も現れない。あるいは執念深 ほ九 と け か み 四 五

4. 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)

源氏物語 416 従五位 従位 正二位 従二位 正三位 一一位 正四位 従四位 正五位 正六位 位 官 一、官制は「延喜式」及び「職原抄」にみえるもの。 一、位階は「職原抄」の官位相当の記述を基本とし、明記のないものは令制 ( 官位令 ) 及び「故実拾要」に従った。 官位相当表 一、その他「官職要解」「読史備要」を参照した。 神紙官太政官中務省式部省中宮職大舎人寮陰陽寮囚歟司隼人司弾正台衛門府斎院使按察使検非違使蔵人後宮大宰府国 治部省大膳職図書寮大炊寮正親司織部司 兵衛府・勘解由使鎮守府 民部省左右京職内蔵寮主殿寮内膳司宋女司 近衛府 兵部省修理職経殿寮典薬寮造酒司主水司 内匠寮掃部寮東西市司 刑部省 主繕監 大蔵省春宮坊大学寮斎宮寮 雅楽寮 宮内省 玄審寮 主殿署 主馬署 諸陵寮 主計寮 主税寮 木工寮 左右馬寮 下伯 上 下 上 侍従 下大副少納言 大監物 大外記大内記 上少副 大史大丞 下 上 太政大臣 左大臣 右大臣 内大臣 大納言 参 左右 左右中弁大輔 左右少弁 大輔 大判 大丞 中判事 東宀呂 大夫 大繕大夫 東宮・士 頭 文章博十頭 助 明経博士 斎典侍 宮薬 助助医 内 正 大忠 正少忠 大弼兵衛督勘解由長官按察使 中・ 少弼近衛少将 衛門佐 兵衛佐 斎院長官 由次 将軍佐 当 当 五位 掌侍 典膳 典縫 尚書 六位尚殿 尚酒大監 頭 典典尚尚尚尚 蔵侍縫膳侍蔵 大国守 少弐上国守 大国介 中国守

5. 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)

たまふ。源氏「しづかなる住まひは、このごろこそいとつれづれに紛るること一閉暇な六条院の住い 0 ニ明石の女御らも帰参。↓注一一。 おほやけわたくし なかりけれ。公私に事なしゃ。何わざしてかは暮らすべき」などのたまひて、三タ霧が来ていたが。 語 四小弓を射て競う遊戯。座して 物源氏「今朝、大将のものしつるはい。 っ方にぞ。いとさうざうしきを、例の小弓左膝を立てて射るという。 氏 五東北の町。花散里の居所。 わかうど 源射させて見るべかりけり。好むめる若人どもも見えつるを、ねたう、出でやし〈蹴鞠。数人で鞠を蹴り上げ、 五 鞠が落ちないよう長続きさせる遊 うしとら まり ぬる」と問はせたまふ。大将の君は丑寅の町に、人々あまたして鞠もてあそば戯。鎌倉時代の名手飛鳥井雅有は 一一百七十度も落さなかったという。 して見たまふと聞こしめして、源氏「乱りがはしきことの、さすがに目さめてセ騒がしい遊びだが、とはいえ 活気があって気の利いたものだ。 ^ せうそこ ^ タ霧への。 かどかどしきぞかし。いづら、こなたに」とて御消急あれば、参りたまへり。 九実際には氏名を言った。 わかきむだち まり たれだれ 一 0 東南の町の寝殿の東庭。 若君達めく人々多かりけり。源氏「鞠持たせたまへりや。誰々かものしつる = 明石の女御。産後十数日で東 とのたまふ。タ霧「これかれはべりつ」、源氏「こなたへまかでむや」とのたまひ宮に帰参したことになる。 三こちらは目だたぬ所だった。 ぐ ひむがしおもて一一 一三遣水などの合流する所が広々 て、寝殿の東面、桐壺は若宮具したてまつりて参りたまひにしころなれば、 としていて、の意か やりみづ ゅ こなた隠ろへたりけり、遣水などの行きあひはれて、よしあるかかりのほどを一四蹴鞠をする砂を敷いた所。寝 殿の東庭の適当な場所を選んだ。 おほきおほいどの とうのべんひやうゑのすけたいふ 尋ねて立ち出づ。太政大臣殿の君たち、頭弁、兵衛佐、大夫の君など過ぐした一五以下、柏木の弟。「頭弁」は蔵 人所の頭で弁官を兼任。「佐」は次 るも、また、片なりなるもさまざまに、人よりまさりてのみものしたまふ。や官。「大夫」は五位の称。 一六年輩者も、また年若の者も。 一七 うやう暮れかかるに、風吹かずかしこき日なりと興じて、弁の君もえしづめず宅蹴鞠に絶好の日だと。 四

6. 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)

は人の姿をかりた神仏。入道の子 さて、かの社に立て集めたる願文どもを、大きなる沈の文箱に封じ籠めて奉り とも思わず開運に努めよ、の気持。 たまへり。 一六往生のための善行。法要など。 一セ極楽をさす。 尼君には、こととにも書かず・ 、こ。こ、入道「この月の十四日になむ、草の一 ^ 明石の君は「変化のもの」で、 ニ四 必ず極楽に帰るはずだから。 くまおほかみ 庵まかり離れて深き山に入りはべりぬる。かひなき身をば、熊、狼にも施しは一九「娑婆」は現世。「 : ・外、は極楽。 ニ 0 住吉神社。 べりなむ。そこにはなほ思ひしゃうなる御世を待ち出でたまへ。明らかなる所一 = 立願の趣旨を記した文章。願 ほどきの資料として保存する。 たいめん 一三五行後に「三日」とあり、手紙 にて、また対面はありなむ」とのみあり。 の書かれたのは十二日。三月十余 だいとこ 日の若宮誕生の報に接した入道は、 尼君、この文を見て、かの使の大徳に問へば、僧「この御文書きたまひて、 即座に入山を決意し実行した。 三日といふになむ、かの絶えたる峰に移ろひたまひにし。なにがしらも、かのニ三明石の浦の邸。 ニ四「身を捨てて山に入りにし我 わらは 御送りに、麓まではさぶらひしかど、みな帰したまひて、僧一人童二人なむなれば熊のくらはむこともおばえ す」 ( 拾遺・物名読人しらず ) 。 さった 御供にさぶらはせたまふ。今は、と世を背きたまひしをりを、悲しきとぢめと「薩埋王子、飢虎に身を施し給し 心歟」 ( 河海余情 ) 。 思うたまへしかど、残りはべりけり。年ごろ、行ひの隙々に寄り臥しながら掻一宝あなた ( 尼君 ) は長生きをして。 上 ニ六極楽をさす。 - とびは 菜き鳴らしたまひし琴の御琴、琵琶とり寄せたまひて、かい調べたまひつつ、。仏毛入道からの使者の僧。 ニ ^ かっての入道の出家時をいう。 まかりまう みだうせにふ 若 に罷申ししたまひてなむ、御堂に施入したまひし。さらぬ物どもも、多くは奉大徳は入道に従い出家したらしい ニ九さらに悲しむべきことが りたまひて、その残りをなむ、御弟子ども六十余人なむ、親しきかぎりさぶら三 0 琵琶の名手。↓明石 3 七四ハー。 ニ 0 やしろ ふもと ニ九 ニセ 三 0 ぐわんぶみ よ ぢんふばこふんこ ひまひま ふ ニ六 せ まとけ

7. 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)

源氏物語 54 よろづいにしへのことを思し出でつつ、とけがたき御気色◆紫の上は、自らの運命を痛恨し 〔一六〕源氏、女三の宮に ながら、世の物笑いになるまいと 歌贈る幼き返歌来る を限みきこえたまひて、その日は暮らしたまひつれば、え苦悩を隠蔽して平静を装う。しか ひとえ し、苦衷の涙が暁の単衣を濡らす しんでん せうそこ 渡りたまはで、寝殿には御消息を聞こえたまふ。源氏「今朝の雪に心地あやま一源氏も紫の上同様、須磨流離 など苦難の歴史を回顧 りて、いとなやましくはべれば、心やすき方にためらひはべる」とあり。御乳ニ紫の上の。 三女三の宮の居所 四風邪を、行かぬ口実とする。 母、「さ聞こえさせはべりぬ」とばかり、一一 = ロ葉に聞こえたり。ことなることな 五宮自筆の返事であるべきだが。 の御返りやと思す。「院に聞こしめさむこともいとほし、このころばかりつく六真っ先に朱雀院の思惑を顧慮。 セ新婚の間だけは人前を繕おう。 ろはむ」と思せど、えさもあらぬを、「さは思ひしことぞかし。あな苦し」と〈紫の上。自分が源氏を引きと めていると誤解されるのを恐れる。 みづから思ひつづけたまふ。女君も、思ひやりなき御心かなと苦しがりたまふ。九新婚五日目の朝 九 一 0 気の張らない、姫宮の幼稚さ。 おほとのごも 今朝は、例のやうに大殿籠り起きさせたまひて、宮の御方に御文奉れたまふ。 = 世間体を重んずる気持から。 三折からの白梅と雪による趣向 一三「みだるる」は「心」「けさのあ ことに恥づかしげもなき御さまなれど、御筆などひきつくろひて、白き紙に、 は雪」に二重にかかる。「かっ消え なかみち て空に乱るる淡雪はもの思ふ人の 源氏中道をへだつるほどはなけれども心みだるるけさのあは雪 心なりけり」 ( 後撰・冬藤原蔭基 ) 。 一四わたどの 梅につけたまへり。人召して、源氏「西の渡殿より奉らせよ」とのたまふ。ゃ一四寝殿の西の渡殿。女房の局。 一五源氏は、紫の上に気づかれま はしち - か いと、そのまま宮の返書を待つ。 がて見出だして、端近くおはします。白き御衣どもを着たまひて、花をまさぐ 一六手紙を結んだ白梅の残りの枝 りたまひつつ、友待っ雪のほのかに残れる上に、うち散りそふ空をながめたま宅「白雪の色わきがたき梅が枝 むめ 六 けしき めの

8. 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)

11 若菜上 一六条院御幸。↓藤裏葉 3 巻末。 一一もともと病弱 ( 明石 3 八一一ハー ) 。 「中に」と、さらに不安が強まる。 三院の道心は、須磨 3 〔一四〕以来。 四弘徽殿大后。初音〔六〕以来 の言及。若菜下二一二ハーによれば、 すぎくゐんみかど一 みゆきのち 朱雀院の帝、ありし御幸の後、そのころほひょり、例ならこれに至るまでの某年九月に薨去。 〔一〕朱雀院出家を志し、 これまでの大后の束縛から解かれ うち 女三の宮の前途を憂う た院は、自らの判断で出家を決断 ずなやみわたらせたまふ。もとよりあっしくおはします中 四 五語り手の敬意の混入した語法。 おば キ一一い に、このたびはもの心細く思しめされて、朱雀院「年ごろ行ひの本意深きを、后六仏道に心が向くのか。 セ出家のための準備 みや ーーカ の宮のおはしましつるほどは、よろづ憚りきこえさせたまひて、今まで思しと ^ 次ハー三行・亡せたまひにし」ま で、女三の宮の母藤壺女御につい かた どこほりつるを、なほその方にもよほすにゃあらん、世に久しかるまじき心地て語る。人物紹介に常套の文体 九桐壺帝の前代の帝の皇女、臣 籍降下して源姓。藤壺や式部卿宮 なんする」などのたまはせて、さるべき御心まうけどもせさせたまふ。 ( 紫の上の父 ) の異腹の妹。醍醐天 とうぐう をむなみや 御子たちは、春宮をおきたてまつりて、女宮たちなむ四ところおはしましけ皇の承香殿女御 ( 光孝天皇の皇女、 源和子 ) に准拠、とする説もある。 ふぢつば る、その中に、藤壺と聞こえしは、先帝の源氏にぞおはしましける、まだ坊と一 0 「高き位」は、中宮をさす。 = 以下、有力な後見がないため 聞こえさせしとき参りたまひて、高き位にも定まりたまふべかりし人の、とりの、後宮での孤立をいう。桐壺更 衣の孤立とも類似。↓桐壺田〔一〕。 うしろみ かういばら たてたる御後見もおはせず、母方もその筋となくものはかなき更衣腹にてもの三藤壺の母方の家系も高貴な血 統でなく、母自身頼りなげな更衣。 おほきさきないしのかみ おばろづきょ したまひければ、御まじらひのほども、い細げにて、大后の、尚侍を参らせたて一三朧月夜。↓賢木一六一ハ わかな上 おほん 六 ははかた せんだい よ

9. 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)

413 各巻の系図 冷泉帝 ( 内裏 ) △則坊 ( 父宮 ) 火好中 ~ 呂 ( 中宮、宮、后の宮 ) 一丁不 △六条御息所 ( 母御息所、伊勢の御息所 ) △藤壺中宮 ( 故入道の宮、故宮、宮、后の宮 ) 四の君 ( 北の方 ) 太政大臣 ( 父大臣、大臣 ) △式部卿宮ーーー朝顔の姫君 ( 前斎院 ) 藤大納言 ( 大納言の朝臣 ) 別当大納言 頭中将 左中弁 ( 弁 ) 侍従の乳母 ( 中納言の乳母 ) 和泉前司 納言の君 △葵の上 ( 母北の方 ) 柏 , 不 ( 督窈、宰櫺の君 頭の弁 ( 弁の君 ) 手云居雁 ( 女君、北の方、三条の北の方 ) 兵衛佐 大夫の君 タ霧将、大将の君 小侍従 中務 中将の君 藤典侍 ( 内侍 ) 中宮権亮 ( 宮の権亮 ) 大徳 阿闍梨 君達 言、 ) 若君達 玉鬘 左大将殿の北の 方、尚侍の君

10. 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)

239 若菜上 ご内意があってお漏し申されたのですが、あちらの院に、 の院をそのまま親代りに定めたという体裁にして、乳母た よい機会があったら、このことをそれとなくお耳にお入れ ちの言うようにこの姫宮をお預け申すことにしようか、な してくださいまし。皇女様がたはずっと独身をお通しにな どともお考えになるらしい。院は、「本当に少しでも世間 るのが常の習わしですけれど、あれこれにつけて心をお寄 並の暮しをさせたいと思うような娘をもっていれば、同じ ことなら、あの人のそばに添わせてやりたいものだ。どう せ申し、何事につけてもお世話なさる方のあるのは、しカ せいくらも生きてはいられないこの世に住んでいる間は、 にも、い強いものです。この姫宮は、主上を別にさせていた あの院のように満ち足りた有様で過したいもの。わたしが だくと、ほかには心底からご心配申しあげなさるような方 きようだい もしも女であったら、実の兄妹ではあっても、きっと言い もないのですから、私などがお仕え申しあげているとはい むつ 寄って睦まじい仲になっていたことだろう。若かったとき っても、どれほどのご奉仕ができましよう。それに私の一 などには、そんな気持にならずにはいられなかったものだ。存で事を運ぶというわけにもいかず、しぜん思いがレなし 男のわたしにしてこうなのだから、なおさら女が夢中にさ まちがいもおありになって、あさはかな浮名も立とうもの やっかい せられるのは、まったく無理からぬことだ」と仰せられて、 なら、どんなにか厄介なことでしよう。院の上がご在世中 お心の中には、尚侍の君の御事もしぜんお思い出しになっ に、どういう形にせよ、この宮の御身の上が定まるのでし ていらっしやるのであろう。 たら、私もさだめしお仕えしやすいというものです。いく ら畏れ多いお血筋と申しあげても、女というものはどんな 〔五〕乳母、左中弁に源姫宮のお世話役たちの中でも重々し 氏への仲介を打診するく見られている御乳母の兄で、左中運勢なのかほんとに分りにくくいらっしやるものですから、 弁の職にあり、六条院に親しく出入りして長年お仕えして何につけても心配であるうえに、こうして大勢の皇女がた いる人がいるのだった。こちらの姫宮のほうにも格別心をの中で、上がとりわけお心をかけておあげになるにつけて ねた も、ほかの方から妬まれるにちがいありませんし、なんと 寄せてお仕えしているので、ある日参上していたその人に 乳母が会って話をするついでに、「院の上は、これこれの かして些細な非難も受けないようにしてさしあげたいと思 おそ ささい