佚巻の中に、その詳しいいきさつが書かれていただろうと、推察する説もあるが、どんなものか。作者が書 きたかったのは、二人が結婚してから後のことだったのではあるまいか この御息所の口説き落しに、源氏がどんな手を使ったかは、何の記事もないことだから分りようがないけ れど、空蝉の場合に示したような、強引極まる迫り方がなかったという保証はない。 あの重大な源氏と藤壺中宮との関係も、はたしてどんなものか。中宮は桐壺の巻末で入内し、御簾の中で おさな′ ) ころ 幼い源氏とともに日を送るうちに、源氏は幼心に、亡き母への思慕を中宮に寄せたが、いっしかそれは異性 への恋に変貌していったとある。次の帚木の巻、タ顔の巻では、十七歳の源氏は、どうやらすでに藤壺との 間に重大な秘密の関係を結んでいるように見え、さらに十八歳の若紫の巻に至って、はっきりと二人の情交 場面が贈答歌を添えて描き出される。 こうしてみると、藤壺との関係も、実質上は二人の間に情交があってから後のことを熱をこめて語るとい う形である。心ひそかに思慕していただけ、というのでは、それがどんなに耐えがたいことであったところ とい , っことではあるまいか で、肉の交渉がないかぎりは、さして物語るに値しない、 やどり 若紫の巻に描き出される二人の運命的な恋は、「くらぶの山に宿もとらまほしげ」で、暗黒の情熱の導く おうせ ままに、「再び逢うことができないのなら、真っ暗な夢のようにはかない逢瀬の中でこのまま死んでしまい 評たい」と、源氏は歌う。肉体の交わりという深刻な事実の中にこそ、藤壺と源氏の物語は語るべきものがあ 巻るわけだ。 紫の上と源氏についても、ほば似たようなことがいえる。 北山で十一、二歳の少女を発見して、盗むようにして自邸へ連れ帰ってから葵の巻での新枕までの満四年 じゅだい にしまくら
源氏物語 36 一いかにも尋常の臣下の者とは にゆかしき御ありさまなれば、思し過ぐしがたくて、源氏「げにただ人よりも、 違って、こうした内親王方に、 わたくし うしろみ かかる筋は、私ざまの御後見なきは、口惜しげなるわざになむはべりける。春内々のお世話役 ( 夫 ) がないのは。 「げに」と、納得しながら応じた。 あめした ニ女三の宮の兄。 宮かくておはしませま、 。いとかしこき末の世のまうけの君と、天の下の頼みど 三まことに末世の今の時代には 過ぎた立派なお世継ぎ ( 皇太子 ) と。 ころに仰ぎきこえさするを、ましてこのことと聞こえおかせたまはんことは、 五 四世人一般さえ頼みにしている ひとこと かろ 一事としておろそかに軽め申したまふべきにはべらねば、さらに行く先のことのだから、まして朱雀院が 五主語は東宮。 思し脳むべきにもはべらねど、げに事限りあれば、おほやけとなりたまひ、世六物事にはきまりがあるので。 ことわざ 「事限りあり」は当時の諺か。 まつり′ ) と の政御心にかなふべしとはいひながら、女の御ために、何ばかりのけざやかセ東宮が即位なさって。 ^ 姫宮のために、どれほど際だ った親切を約束なされるものでも なる御心寄せあるべきにもはべらざりけり。すべて女の御ためには、さまざま あるまい。公的立場の帝は、内親 まことの御後見とすべきものは、なほさるべき筋に契りをかはし、え避らぬこ王を私的に援助できないとする。 九前述の「女の御ために・ : 」を、 さらに一般論として言い直す。 とにはぐくみきこゆる御まもりめはべるなむ、うしろやすかるべきことにはべ 一 0 やはり夫婦としての契りを交 のちょ るを、なほ、強ひて後の世の御疑ひ残るべくは、よろしきに思し選びて、忍びし、当然の義務としてお守り申す お世話役のおりますのが。 てさるべき御あづかりを定めおかせたまふべきになむはべなる」と奏したまふ。 = 東宮に世話してもらえそうだ が、やはりどうしても将来への懸 かた 念が残るようであれば 朱雀院「さやうに思ひょることはべれど、それも難きことになむありける。 一ニ引受け手。姫宮の夫。 ためし しへの例を聞きはべるにも、世をたもっ盛りの皇女にだに、人を選びて、さる一三姫宮の結婚をさす。 六 九
そ素直につねるなり何なりして、はっきりお恨み言をおっ で、まことに困ったこととお思いになる。ご懐妊のご様子 しやってください。他人行儀なお方のようにあなたをおし なのであった。まだまったくいたいけなお年頃とて、ほん とに恐ろしいことと、どなたもお案じになっていらっしゃ つけ申さなかったはずですのに、思いのほかのご気性にな 1 = ロ るようである。ようやくのことで、お里にお下がりになる。 物ってしまわれた」と、あれこれご機嫌をとっていらっしゃ ひがしおもて 氏 るうちに、何もかも残らず白状しておしまいになったよう姫宮のお住まいになっていらっしやる寝殿の東面に、その 源 である。殿は、女三の宮のお部屋にもすぐにはお越しにな お部屋をしつらえた。明石の御方は、今ではその御娘のお れず、上をなんとかなだめておあげになりながらお過しに そばに付き添って宮中に出入りしておいでになるが、それ なる。 につけても申し分のないご運というものではある。 対の上がこちらにお越しになって、明石の姫君にご対面 姫宮は、殿のお越しのないのを何とも思っておられない あいさっ のだが、お世話役の人々が、不満を申しあげるのだった。 になるその折に、「姫宮にも、中の戸を開けてご挨拶申し やっかい あげましよう。かねてからそのように思っておりましたが、 宮ご自身が厄介なお気持を示されるようであったら、そち らのほうもこちら以上にお気の毒な思いにもなろうが、今何かの機会がなくてはそれも遠慮されますので、このよう はただおっとりして、かわいらしいお遊び相手のようにお な折にお近づき願えましたら、これから気がねもなくなり 思い申しあげていらっしやる。 ましよう」と大殿に申しあげなさるので、殿はにつこりな きりつば さって、「それこそ私には願ったりかなったりのお付合い 三 0 〕紫の上、はじめて桐壺の御方は、久しく里下がりもお 女三の宮に対面するできにならずにいらっしやる。容易というものです。宮はほんとに幼いご様子のお方のようで いとま にお暇がいただけないので、気安いお暮しに慣れていらっすから、安心のいくようによく教えてあげてくだされ」と お許し申しあげなさる。女三の宮とのご対面はともかく、 しやったお年若の御身とて、ほんとにただつらいお気持で いらっしやる。夏のころ、ご気分がおすぐれにならないのそれよりも、明石の君が気のひける様子をして姫君のおそ 東宮がすぐにはご退出をお許し申しあげなさらないのばに控えているにちがいないと、上はお察しになるので、 ( 原文六七ハー )
つけても、今年はこの御賀に事よせて行幸などもなさりた う多くなかったのですから、このたびはやはり世間の騒ぎ いとご計画あそばしたのであったが、殿は、「世間の迷惑 になるようなことはおとりやめになって、本当にこの後、 になるようなことは、けっしてなさいませんように」と、 余生を全うすることができたようなときに祝ってください 語 物たびたびご辞退申されたので、残念ながらお思いとどまり まし」とご挨拶があったのだけれど、やはり公の儀式とて、 氏 っ ) よっこ。 たいそう盛大な催しとなるのであった。 源 中宮がお住まいでいらっしやる町の寝殿にご設営になら 三 = 〕秋好中宮源氏のた十二月の二十日過ぎのころ、中宮が め諸寺に布施し饗宴す宮中よりご退出あそばして、今年の れたりなどして、これまでの例とたいして異なることなく、 かんだちめ 残りの御祈願として、奈良の都の七大寺にお布施として布上達部の禄などは大饗に準じて、親王たちには特別に女の たん てんじようびと 四千反、この近くの京都の四十の寺に、絹四百疋を分けて装束を、非参議の四位や公卿など普通の殿上人には白い細 かさね ご奉納になられる。またとないご養育のご恩を十分お分り長を一襲、巻絹などまで順次お与えになる。装束は、この うえなく善美を尽して、名高い帯、御太刀など、亡き前東 になっていらっしやりながら、今まで格別のこともせすに 過してこられたので、この機会をはずしては何の折に深い 宮のほうからご相伝になられたものであるのも、また感慨 感謝のお気持をはっきりごらんいただけようか、とお思い が深いことではある。昔から天下の逸品として名のある みやすどころ になって、父宮と母御息所がもしご存命であったならこう 品々はすべてここに集ってまいるという御賀のようである。 もしてさしあげたであろう報恩の気持までをもお添えにな 昔物語にも、引出物の詳細を結構なこととしていちいち数 えたてているようだが、まったくわずらわしいことなので、 って、盛大にとお考えであるが、院の殿が帝に対してさえ もこうして強ってご辞退申しあげなさったのであるから、 この仰々しいご交際のことは、とてもすべて数えあげられ るものではありません。 あれこれのご計画を大部分おとりやめになったのである。 殿からも、「四十の賀ということは、先例を耳にしまして 。しったんご計画あ 三三〕勅命によりタ霧、帝におかれてま、、 よわい も、そのあと残りの齢をいつまでも保つ例というものはそ 源氏のため賀宴を行うそばした数々のことを、そうやすや ( 原文七七ハー ) びき あいさっ
源氏物語 40 一まったく気になさらぬ様子で。 すさびごとをだに、めざましきものに思して、心やすからぬ御心ざまなれば、 ニ源氏のいうままに、朱雀院に しカか思さむと思すに、、 しとつれなくて、紫の上「あはれなる御譲りにこそはあ同情。紫の上の本心ではない。 三私は。源氏の言う「心なおき 四 なれ。こここよ、、、 たまひそよ」 ( 前ハ し。し力なる心をおきたてまつるべきにか。めざましく、かくて ー一二行 ) に対応。 四私が姫宮から、目障りな存在 とが として煙たがられないのだったら。 はなど咎めらるまじくは、心やすくてもはべなむを、かの母女御の御方ざまに 源氏には痛烈ないやみ。 かず ても、疎からず思し数まへてむや」と卑下したまふを、源氏「あまり、かう、 五従姉妹の関係。↓一一ハー注九。 六心内を隠蔽する紫の上の態度。 うちとけたまふ御ゆるしも、 いかなればとうしろめたくこそあれ。まことは、 セあなたの情愛の薄い証拠、の 気持。本心ならざる駆引 ^ せめてそのように大目に見て さだに思しゆるいて、我も人も心得て、なだらかにもてなし過ぐしたまはば、 くださり。「 : ・だに」の気持に注意。 こと 一 0 こと いよいよあはれになむ。ひが一一 = ロ聞こえなどせむ人の言、聞き入れたまふな。す九紫の上も女三の宮も。 一 0 源氏の紫の上への情愛が薄れ た たなどと言う、根も葉もない噂 べて世の人のロといふものなむ、誰が言ひ出づることともなく、おのづから人 = 他人の夫婦仲について内情に の仲らひなど、うちほほゆがみ、思はずなること出で来るものなめるを、心ひ反する噂を立てられ、その結果、 心外なことも起るようだから。 とつにしづめて、ありさまに従ふなんよき。まだきに騒ぎて、あいなきもの恨三成行きを見定めた上で処する がよい。姫宮降嫁後も自分の紫の みしたまふな」と、 いとよく教へきこえたまふ。 上への情愛は変らぬ、とする気持 一三つまらぬ嫉妬などなさるな。 一四うち 心の中にも、「かく空より出で来にたるやうなることにて、のがれたまひが一四紫の上は。姫宮降嫁を、逃れ かたい運命的な事態と受け止める。 はばか たきを、憎げにも聞こえなさじ。わが心に憚りたまひ、諫むることに従ひたま三源氏自身気が咎められたり、
23 若菜上 ニ六 あそむ じかなむ、なにがしの朝臣にほのめかしはべしかば、かの院にはかならずうけ一三それぞれの縁で源氏がお世話 しておられる方々は。 ひき申させたまひてむ、年ごろの御本意かなひて思しぬべきことなるを、こな一四素姓の分らぬような低い身分。 三きまりきった臣下の身分で。 一六准太上天皇にふさわしい正妻 たの御ゆるしまことにありぬべくは伝へきこえむ、となむ申しはべりしを、 のいないことをいう。 宅朱雀院のご意向どおり。 かなるべきことにかははべらむ。ほどほどにつけて、人の際々思しわきまへつ えうてう こうきゅう 天「窈窕タル淑女ハ君子ノ好逑 かんしょ つ、ありがたき御心ざまにものしたまふなれど、ただ人だに、またかかづらひタリ」 ( 詩経・国風関雎 ) によるか。 一九語り手が要約した表現。 思ふ人立ち並びたることは、人の飽かぬことにしはべめるを、めざましきことニ 0 二行後・伝へきこえむ」まで、 弁の言葉。弁の危惧は伝えない。 ニ五うしろみ もやはべらむ。御後見望みたまふ人々はあまたものしたまふめり。よく思しめ三高貴な正妻をとの本心。 一三朱雀院の許諾。 ニ三源氏は、妻妾たちの身分身分 し定めてこそよくはべらめ。限りなき人と聞こゆれど、今の世のやうとては、 をよくお考えになっては。 みなほがらかに、あるべかしくて、世の中を御心と過ぐしたまひつべきもおはニ四臣下の者でも、自分以外に夫 ひと の情けを受ける女が横にいては誰 しますべかめるを、姫宮は、あさましくおばっかなく心もとなくのみ見えさせでも不満だから、まして姫宮は。 一宝女三の宮の御後見を。その希 たまふに、さぶらふ人々は、仕うまつる限りこそはべらめ。おほかたの御心お望者を後に列挙。↓二六 兵みなわだかまりなく立派に処 しもびと きてに従ひきこえて、さかしき下人もなびきさぶらふこそ、たよりあることに理して、夫婦仲を考えどおりに過 されるが。女三の宮は異なる。 はべらめ。とりたてたる御後見ものしたまはざらむは、なほ心細きわざになむ毛姫宮の幼さを補いきれない意。 ニ〈主人の意向に従って、賢い下 人も従順に仕えるのが頼もしい はべるべき」と聞こゅ。 ニ七 ニ四 きはぎは
源氏物語 76 き御はぐくみを思し知りながら、何ごとにつけてかは深き御心ざしをもあらは一源氏の秋好中への世話。 ニ源氏に深い謝意を示し得るの みやすどころ はこの機会を措いてない、の気持 し御覧ぜさせたまはむとて、父宮、母御息所のおはせまし御ための心ざしをも 三父 ( 前坊 ) や母御息所がご存命 なら、源氏の御賀のためになさっ とり添へ田 5 すに、かくあながちにおほやけにも聞こえ返させたまへば、事ども ただろう、報恩のお気持までをも。 五 四帝にも源氏は辞退したので。 多くとどめさせたまひつ。源氏「四十の賀といふことは、さきざきを聞きはべ 五仰々しい儀式を抑えようと故 よはひ ためし るにも、残りの齢久しき例なむ少なかりけるを、このたびは、なほ世の響きと意に短命の例を挙げる。『河海抄 などは、仁明天皇四十一、村上天 のち どめさせたまひて、まことに後に足らむことを数へさせたまへ」とありけれど、、皇四十二、東三条院四十、を列挙 六本当に五十、六十になった時 おほやけ にお祝いください、の意。 公ざまにて、なほいといかめしくなむありける。 七中宮の主催ゆえ、公的になる。 まち 九 ^ 六条院西南の町 ( 秋の町 ) 。 宮のおはします町の寝殿に御しつらひなどして、さきざきにことに変らず、 九玉鬘や紫の上が主催したのに。 かむだちめろく だいきゃう さうぞく一 ・、だ、・つの 上達部の禄など、大饗になずらへて、親王たちにはことに女の装束、非参議の一 0 ご宮大饗。正月二日、東宮・ 中宮を参賀した群臣が饗膳を賜る。 まうちきむ そながひとかさねこしざし 四位、廷臣たちなどただの殿上人には 1 冒き細長一襲、腰差などまで次々に賜 = 四位で、参議の有資格者。 三高官。ここは五位の殿上人。 さうぞく はかし ふ。装束限りなくきよらを尽くして、名高き帯、御佩刀など、故前坊の御方ざ一三巻絹。腰に差して退出する。 一四以下、源氏のお召し料。 いちもの 一五束帯に用いる黒革の帯。↓紅 まにて伝はりまゐりたるも、またあはれになむ。古き世の一の物と名あるかぎ 葉賀五七ハー注一九。 ものえ つど 一六中宮の父の形見として伝わる。 りは、みな集ひまゐる御賀になむあめる。昔物語にも、物得させたるをかしこ 宅古来の夫下の逸品として名高 一九 いのは。次ハー一行まで語り手の評。 きことには数へつづけためれど、 いとうるさくて、こちたき御仲らひのことど 四 一七
あまかけ 物の怪「中宮の御事にても、いとうれしくかたじけなしとなむ、天翔りても見一三源氏も紫の上に、御息所への 償いとして秋好中宮を後見すると うへ 一五こと たてまつれど、道異になりぬれば、子の上までも深くおばえぬにゃあらん、な語ったことがある。↓一六七ハー 一四成仏できず霊魂がさまよう。 ほみづからつらしと思ひきこえし心の執なむとまるものなりける。その中にも、一五幽明、境を異にしたので。 一六愛人として。源氏への執心。 す 生きての世に、人よりおとして思し棄てしよりも、思ふどちの御物語のついで「心の執」は後の横笛・幻巻に各一 例みえる語。成仏を妨げる。 宅直接には、正妻葵の上を重ん に、心よからず憎かりしありさまをのたまひ出でたりしなむ、いと恨めしく。 じ、御息所を軽んじたことをさす。 はぶ 今はただ亡きに思しゆるして、他人の言ひおとしめむをだに省き隠したまへと天女楽の後、源氏が紫の上に御 息所を語った ( 一六六ハー末 ) 。その ニ 0 むつ′」と カくいみじき身のけはひなれば、かくところ睦言に嫉妬するなまなましい女心。 こそ田 5 へとうち思ひしばかりに、 一九他人が悪口を言う場合でさえ。 ニ 0 恨めしさが昂じて物の怪に変 せきなり。この人を、深く憎しと思ひきこゆることはなけれど、まもり強く、 った。自分の意思からではない。 いと御あたり遠き心地してえ近づき参らず、御声をだにはのかになむ聞きはべ↓「いみじき身」 ( 前ハー二行 ) 。 ニ一紫の上への憎悪はないとする。 ずほふどきゃう かろ る。よし、今は、この罪軽むばかりのわざをせさせたまへ。修法、読経とのの一三神仏の加護。源氏に備った徳。 源氏でなく紫の上に憑く由因。 下しることも、身には苦しくわびしき炎とのみまつはれて、さらに尊きことも聞 = 三成仏できない罪障。 ニ四病気の祈疇が物の怪には調伏 こえねは ・、いと悲しくなむ。中宮にも、このよしを伝へきこえたまへ。ゅめ御の責苦となる。「炎」の語勢に注意。 若 一宝帝寵をめぐる争いや嫉妬。執 さいぐう みやづかへ 宮仕のほどに、人ときしろひそねむ心つかひたまふな。斎宮におはしまししこ着心一般にふれながら、御息所自 身扱いかねる愛執の苦しみを告白。 くどく ニ六↓澪標 3 一一一七ハー注一三。 ろほひの御罪軽むべからむ功徳のことを、かならずせさせたまへ。いと悔しき ニ六かろ 一七 ことひと しふ ニ五
で」ギ、いましょ , つ、ほかに何もなさらずこ , っしてかかりき いらっしゃれない。ご自分の北の方は、亡き大宮がお教え りで教えておあげになるのですから」とお答え申される。 申されたのであったが、まだ身を入れてお習いにもならな かったうちに、大宮の御もとからお離れ申しあげなさった「そうなのですよ。いちいち手を取るようにして、わたし きん は頼りがいのある師匠というものです。琴の稽古は厄介で ので、十分に稽古をお積みにもならなかったものだから、 夫君の御前では恥ずかしがっていっこうにお弾きにならず、面倒なものですし、それに時間をとられる仕事ですから、 どなたにも教えてさしあげないのですが、院や主上の、 何事もただおっとりと、おおように構えておいでになって、 くらなんでも琴だけは宮にお教え申しあげているだろう、 次々とお子たちのお世話を、休む暇もなくしていらっしゃ との仰せの由を耳にすると、おいたわしいものだから、手 るので、なんの風情もないように感じないではいられない はかかってもせめてそれくらいの仕事だけでも、こうして それでもさすがに、腹を立てたりして何かと嫉妬している のは、愛敬があって憎めないお人柄でいらっしやるようでわざわざ宮のお世話役としてこのわたしにお預けになりま ある。 したので、そのかいのあるところをお見せしなければと発 〔 = = 〕源氏、紫の上と語院の殿は、その夜、東の対へお越し奮してお教え申したのです」などとお話し申される、その ついでに、「昔、まだ幼かったあなたをお世話したものだ りわが半生を述懐するになった。上は、寝殿にお残りにな が、そのころにはなかなか余裕もなかったものだから、落 り、宮にお話などをお申しあげになってから、ご自分のお ち着いて特別にお教え申すようなことなどもなく、また近 部屋には夜明け方お帰りになった。殿とともに日が高くな やす 下 るまでお寝みになる。「宮のお琴の音は、ほんとにお上手ごろになっても、これといったこともなく次々と忙しさに とり紛れては月日を過しておりますので、聞き役になって になられましたね。どうお思いになりましたか」と殿がお 若 尋ね申されるので、「はじめのころ、あちらでちらとうかあげることもできなかったのですが、そのお琴の音が際だ ったできばえであったのも、わたしとしては面目の立っこ 訂がいましたところでは、どんなものかしらと思われました が、今は格別のご上達ではありませんか。それもそのはずとで、大将が耳を傾けてひどく感心していた様子も、願っ
ひと さないではいられないのですけれど、どうもお付合いしに 三三〕源氏、過往の女性「それほどたくさんの女を知ってい 芻関係を回想し論評するるというのではありませんが、人柄 くく、お逢いするのが苦痛なお方でした。わたしを恨めし というものは、それそれにとりえがあって捨てがたいもの く思うのも当然、なるほどそれも仕方のないことと思われ 語 物であることがだんだん分ってくるにつれて、心底から気だ ることを、そのままいつまでも思いつめて深く恨み通され 氏 ての穏やかで落ち着いている人は、めったに得られるもの たのは、まったくつらいことでした。いつも油断がならず むつ ではないということがよく分ってきました。 気づまりで、お互いにくつろいで朝にタに仲睦まじく暮し 大将の母君を、わたしのまだ若かった時分にはじめて妻 たりするには、まことに気のおけるところがあったもので として、貴いご身分でおろそかにできぬお方とは思ってい すから、こちらが気を許しでもしたら見下されはしないだ たのでしたが、いつもしつくりとはいかなくて、打ち解け ろうかなどと、あまりにも体裁をつくろっているうちにそ ぬ気持のまま終ってしまったのが、今考えてみると、おい のまま疎々しくなってしまった間柄なのです。まったくと うきな たわしく悔まれもするのですけれど、とはいえ、また、わんでもない浮名が立って、ご身分を傷つけてしまったこと たしだけがいけないのでもなかったのだなどと、この胸一 が嘆かわしいと、深く思いつめていらっしやったのがおい つに思い出してもいます。きちんとして重々しく、どこが たわしく、いかにもそのお人柄を考えてみても、わたしの 不足と思わせられる点は一つもなかったのです。ただ、あ罪のように思われましたが、あんなことになってしまった きちょうめん まりにもくつろいだところがなく、几帳面すぎて、少し立償いとして、中宮をこのように、もちろんそうなるべきご 派すぎたとでもいうべきだったでしようか、とそんなわけ運勢とはいえ、とくにお引き立てして、世間の非難や人の で、考えてみれば頼もしく思われ、お逢いするのにも気づ恨みも無視しておカ添え申しているのを、あの世ながらも まりなお人柄でした。 今はお見直しくださっているだろうと思うのです。今も昔 中宮の御母の御息所こそ、普通の女とはまるでちがって、 も、わたしのいいかげんな気まぐれから、おいたわしく思 たしなみも深く優雅なお方の手本として、真っ先に思い出 うことや、悔まれることも多いのです」と、過ぎ去った昔 ( 原文一六六 ひと