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検索対象: 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)
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1. 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)

とお思い申しあげていらっしやる。 にお世話申しあげていらっしやる。 夏の御方は、対の上がこうして大勢の孫宮たちのお世話〔三〕源氏、院と宮との朱雀院から、「今はわたしの寿命も ないしのすけばら をなさるのをうらやんで、大将の君の典侍腹の君を、ぜひ 対面のため御賀を計画終りに近いような気がして、何やら 語 物ともと迎え取ってお世話をなさる。まことにかわいらしく、 心細いからーーもうけっしてこの世のことに未練は残すま 氏 そのお人柄も年のわりに利発でおとなしいので、大殿の君 いと覚悟はしてみたものの、やはりもう一度だけは宮に会 源 もおかわいがりになる。以前は御子たちが少ないとお思い っておきたいのですが、その願いのかなわぬためにもしも であったが、末広がりに、あちらこちら御孫がまことにた この世に恨みの残るようなことでもあっては : そう大 くさんおできになっているので、今はただこの御孫たちを げさなことではなくお越しくださるように」とお便りをお かわいがってお世話をなさることで、所在なさも慰めてい 寄せあそばしたので、大殿も、「いかにもごもっともなこ らっしやるのであった。 とです。このような仰せがなくてさえ、こちらから進んで 右大臣が参上してお仕え申しあげなさることも、これま参上なさるべきですのに。なおさらのこと、こうもおいで で以上にお親しさが加わり、今ではその北の方もすっかり をお待ち申していらっしやるとは、おいたわしいことで すき 落ち着かれたお年になられたので、殿もあの昔の好色がます」とお伺いになるよう、その支度をお考えになる。 しいお気持は忘れておしまいになったせいか、何かの折々 大殿は、「これといった折でもなく、また格別の趣向も にお越しになっては、対の上にもご対面になり、申し分の なしには、気軽に参上なさるわけにもいくまい。どんなこ ない睦まじさでお付き合いになっていらっしやるのだった。 とをして、お目にかけたらよいだろう」とあれこれご思案 ただ女三の宮だけは、いつに変らず若くおっとりしておら になられる。ちょうど来年五十歳におなりあそばすのだか れる。女御の君については、今はすっかり帝にお任せ申し ら、若菜などを調理してさしあげてはどうか、とお考えっ あげなさって、この女宮お一人をまことにいじらしくお思 きになって、いろいろの御法服のことやら、精進物をさし いになり、まるで幼い御娘でもあるかのように、たいせつ あげる準備やら、何やかやと俗人の御賀と勝手がちがうこ ( 原文一四二ハー ) むつ

2. 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)

どの折にも、昔つらく悲しいことがあってなどとは、ほの どにも好意をお寄せになっている。そして今は当然のよう めかし申される折に出会ったことがございません。『こう にまたとなく親密な間柄となって、仲よくしていらっしゃ るにつけても、わたしは、い中このうえなく感謝していなが して、朝廷の御後見を中途でご辞退して、静かな出家の願 五ロ 1 三ロ いをかなえたいと一途に引きこもってから後は、何事もい 物ら、生れつき愚かなところに加え、子を思う親心の闇に迷 ひと 氏 いこんで見苦しいことになりはしまいかと、かえって他人っさいかかわらぬようにしているので、故院のご遺言のよ 源 事のように聞き捨てにふるまっております。今の帝の御事うにもお仕え申すことができすにいるが、朱雀院が御位に あられたころには、自分は年齢も若く器量も不足だったし、 については、あの故院のご遺言にそむかず、お取り計らい それに賢い目上の方々が大勢おられたので、思うところを 申しあげておきましたので、こうして、末の世の明君とし て、これまでの不面目を取り返してくださるのは、わたし実行して、それをごらんいただくこともなかった。今はこ の本望でもあり、まことにうれしいことです。この秋の行 うして御退位になって、静かにお暮しになっていらっしゃ っしょに思い出されて、そ る折から、思いのまま心置きなく参上してお話をうかがし 幸からこのかた、昔のことがい たいと思うけれども、隠退の身分とはいえ、なんとなく窮 なたの父君にお目にかかりたく、もどかしくてならないの よそおい 屈な身辺の行装のために、ついそのままお目にかかること です。お会いして申しあげたい数々のこともございます。 なく月日を過していることだ』と、折々嘆息申しておられ きっとご自身で見舞に来てくださるように、お勧め申しあ ます」などと言上なさる。 げてくだされ」などと、院は涙を落し落し仰せになる。 中納言は二十歳にもまだ足らぬ若年であるけれども、ま 中納言の君は、「過ぎ去ってしまいました昔のことは、 ったく十二分にととのって、顔だちも今を盛りにつやつや この私にはなんともわきまえにくうございます。成人い と美しく、たいそう美しく気品があるのを、院はお目にと しまして朝廷にお仕え申してまいりましてから、世の中の められて、じっとお見つめになりながら、どうしたものか ことをあれこれと見てまいりましたその間に、大小さまざ と扱いに困じていらっしやるこの姫宮の御後見としてこの まのことに関しても、また私事の、しかるべき打明け話な 1 ) と わたくしごと , 一う

3. 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)

285 若菜上 たものの、さてどういうことがきっかけになってそうし たたいそうな幸運を待ちもうけることができるのだろう かと、心の中に思っておりましたところが、そのころか らあなたが尼君の御腹に宿られまして、それ以来、俗世 間の書物を読んでみましても、また仏教の書物の真意を 探っておりますうちにも、夢を信じてよいとの記事が ふところ 多々ございましたので、私ごときいやしい者の懐の中な がら、もったいないことと思って大事にあなたをお育て 申したのでしたが、万事に力不足の身では思案にあまり まして、このような田舎に下ってきた次第なのでした。 また、この国の勤めにかかずらう境涯に落ちぶれ、老い の身でいまさら再び都には帰るまいと望みを断って、こ の明石の浦に長らく住みついておりました間も、あなた を頼みとして期待申しあげておりましたゆえ、心ひそか に多くの願を立てました。そのお礼参りを無事にめでた く果されるよう望みどおりの運勢にめぐりあわれたので す。若君が国の母とおなりになって、願いの満たされま したあかっきには、住吉の御社をはじめ、願ほどきをし てさしあげてくだされ。今はもう何を疑うことがござい ましよう。このただ一つの願いが、もう近々に成就する いなか のでございますから、はるかに西の方、十万億土を隔て じようばんじよう・しよう た極楽の上品上生に往生する望みは疑う余地もすっか みだらいごう りなくなりましたゆえ、今はただ弥陀の来迎をお待ちす るだけですが、その間、臨終のタベまでは水も草も清ら ごんぎよう かな山の奥で勤行いたそうと山にこもることにいたしま ひかり出でん暁ちかくなりにけり今そ見し世の夢がた りする ( 光のさし出てくる暁がいよいよ近づいてきたのです。それ で、今はじめて、昔私の見た夢のお話をするのです ) とあって、月日が書いてある。 私の命の尽きる月日をけっして知ろうとはなさいますな。 昔から人が喪服として染めおいた藤衣に、何も身をおや っしになることはありますまい。ただ、あなたご自身は へんげ 変化の身とお考えになって、この老法師のためには功徳 をつくってくだされ。この世の楽しみにつけても、加え て後の世のことをお忘れになりませぬよう。私の念願し ております極楽に生れることさえできましたなら、必ず えど 再びお会いすることもありましよう。穢土の外の彼岸に 行き着いて、早く親子の対面をとお思いくだされ。 かた

4. 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)

( 現代語訳三三八ハー ) い物の怪がひそみ続けているか 心を起こして祈りきこゅ。すこしよろしきさまに見えたまふ時、五六日うちま 一六どこがどう悪いのか分らす。 ぜっつ、また重りわづらひたまふこと、いっとなくて月日を経たまふは、なほ、 0 紫の上の発病は、ついに堪えが たくなった彼女の人生の帰結とも 一五ものけ いえよう。発病直前の半生の述懐 いかにおはすべきにか、よかるまじき御心地にやと思し嘆く。御物の怪など言 ( 一六五・一六九ハー ) も重々しくひ ひて出で来るもなし。なやみたまふさま、そこはかと見えず、ただ日にそへてびく。彼女の去った六条院は「火 せきりよう を消ちたる」ような寂寥。新たな いと・もいと、も非しノ、いみじ / 田 5 、丁 . に、・御、いの悲劇がここに起ろうとする。 弱りたまふさまにのみ見ゆれば、 宅話題を呼び返す語り口。 いとま 天女三の宮の猫で孤愁を慰めて 暇もなげなり。 た柏木。当時、参議兼右衛門督。 ゑものかみ まことや、衛門督は中納言になりにきかし。今の御世には一九冷泉帝よりも今上帝に縁が近 三五〕柏木、女三の宮を 東宮時代から信任が厚かった。 諦めず小侍従と語らう いと親しく思されて、いと時の人なり。身のおばえまさるニ 0 柏木は官位の低さで婿がねか ら外された。今であったらと悔む。 うれ につけても、思ふことのかなはぬ愁はしさを思ひわびて、この宮の御姉の二のニ一姉宮。↓若菜上二七ハー四行。 一三劣り腹で、父院や兄今上の げらふかういばら 宮をなむ得たてまつりてける。下﨟の更衣腹におはしましければ、心やすき方後援もない。その軽い扱われ方ゅ えに、夫の柏木も軽視する。 下まじりて思ひきこえたまへり。人柄も、なべての人に思ひなずらふれば、けは = 三初めに慕った相手、女三の宮。 ニ四「わが心慰めかねっ更級や姨 菜 すて ひこよなくおはすれど、もとよりしみにし方こそなほ深かりけれ、慰めがたき捨山に照る月を見て」 ( 古今・雑上 若 読人しらず ) 。 とが をばすて ニ五女宮降嫁後七年たった今も。 姨捨にて、人目に咎めらるまじきばかりにもてなしきこえたまへり。 ニ六 ニ六↓若菜上一〇七ハー一〇行。 ・」じじゅ、つ めのと なほ、かの下の心忘られず、小侍従といふかたらひ人は、宮の御侍従の乳母毛侍従と呼ばれる乳母。 した おも 一七 一九 ニ ~ ニ へ ニ七 ニ四

5. 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)

( 原文二〇九ハー ) まずお見舞をお申しあげになる。今出家なさると、せめて きたそのときにも、自分は寄せつけずにいたということを そのことだけでもほのめかしてくださったらと、そのつれ はっきりと世間にも認めさせて、さてあらためて親たちか なさを心からお恨み申しあげなさる。 ら正式に許されたというふうに筋道を立て、自分から進ん 「あまの世をよそに聞かめや須磨の浦に藻塩たれしも での過ちではないかのようにとりつくろったことなどは、 たれ 誰ならなくに 冫し力にも知恵のある身の処し方ではあっ 今にして思え、、、 ( 尼におなりなのをよそごとに思えましようか。須磨の浦で た。もともとそうなるべき因縁の深い仲だったのだから、 侘住いの涙に濡れたのは、どなたのせいでもない、あなたの こうして長らく連れ添っているというのも、初めがどうで せいだったのですから ) あっても同じようなものだろうけれども、当人が勝手に馴 さまざまの人の世の定めなさを、あれこれと心の中に思い れ合ったのだということを世間でも思い出すというのであ ながら、今日までぐすぐずしておりましてあなたにとり残 れば、多少は見下げたくなる気持にもなろうというもの、 されてしまったのは残念ですが、たとえこの私を捨ててお あのお方はまったくみごとに事をはこんだものだ」とお思 え・一う しまいになっても、必ずなさらねばならぬ御回向の中には、 い出しになる。 ないしのかみ まず第一に私のことを加えてお念じくださるだろうと思う 〔三五〕向侍出家につけ源二条の尚侍の君を、殿は今でもやは と、身にしみる思いでございます」などと、こまごまお申 氏、紫の上に昔を語るりしじゅう思い出し申しあげていら っしやるけれど、こうした後ろ暗い筋合いのことは、しみしあげになる。女君にとって、ご出家のことは早く決、いし 下 ていらっしやったことであるけれども、この院の殿がとか じみ厭わしいものとお悟りになって、あのお方のなびきや くお引きとめになるのに引かされて延び延びになっていた すいお心もいくらかあさはかなものとあえてお思いになら 若 ので、人にはそうはっきりとおっしゃれることではないが、 ずにはいらっしゃれないのであった。その尚侍の君がとう 心の中にしみじみと感慨がこみあげてきて、昔からの恨め とう出家のご宿願をお果しになった、とお聞きになっては、 しいご縁をやはり浅い仲とはお考えになれないなど、あれ まことに感に堪えず残念に思うお気持がこみあげてきて、

6. 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)

ひと さないではいられないのですけれど、どうもお付合いしに 三三〕源氏、過往の女性「それほどたくさんの女を知ってい 芻関係を回想し論評するるというのではありませんが、人柄 くく、お逢いするのが苦痛なお方でした。わたしを恨めし というものは、それそれにとりえがあって捨てがたいもの く思うのも当然、なるほどそれも仕方のないことと思われ 語 物であることがだんだん分ってくるにつれて、心底から気だ ることを、そのままいつまでも思いつめて深く恨み通され 氏 ての穏やかで落ち着いている人は、めったに得られるもの たのは、まったくつらいことでした。いつも油断がならず むつ ではないということがよく分ってきました。 気づまりで、お互いにくつろいで朝にタに仲睦まじく暮し 大将の母君を、わたしのまだ若かった時分にはじめて妻 たりするには、まことに気のおけるところがあったもので として、貴いご身分でおろそかにできぬお方とは思ってい すから、こちらが気を許しでもしたら見下されはしないだ たのでしたが、いつもしつくりとはいかなくて、打ち解け ろうかなどと、あまりにも体裁をつくろっているうちにそ ぬ気持のまま終ってしまったのが、今考えてみると、おい のまま疎々しくなってしまった間柄なのです。まったくと うきな たわしく悔まれもするのですけれど、とはいえ、また、わんでもない浮名が立って、ご身分を傷つけてしまったこと たしだけがいけないのでもなかったのだなどと、この胸一 が嘆かわしいと、深く思いつめていらっしやったのがおい つに思い出してもいます。きちんとして重々しく、どこが たわしく、いかにもそのお人柄を考えてみても、わたしの 不足と思わせられる点は一つもなかったのです。ただ、あ罪のように思われましたが、あんなことになってしまった きちょうめん まりにもくつろいだところがなく、几帳面すぎて、少し立償いとして、中宮をこのように、もちろんそうなるべきご 派すぎたとでもいうべきだったでしようか、とそんなわけ運勢とはいえ、とくにお引き立てして、世間の非難や人の で、考えてみれば頼もしく思われ、お逢いするのにも気づ恨みも無視しておカ添え申しているのを、あの世ながらも まりなお人柄でした。 今はお見直しくださっているだろうと思うのです。今も昔 中宮の御母の御息所こそ、普通の女とはまるでちがって、 も、わたしのいいかげんな気まぐれから、おいたわしく思 たしなみも深く優雅なお方の手本として、真っ先に思い出 うことや、悔まれることも多いのです」と、過ぎ去った昔 ( 原文一六六 ひと

7. 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)

んといっても、どことなく感じがちがうようだ。思いがけ った例も多かったのでした。この国にその奏法が伝えられ 3 ない所ではじめて耳にしたときは、めったに聞けない音色た当初のころまでは、深く音楽の道を心得ている人が、多 よ、と感心したのでしたが、あの当座よりはまた格段に上 くの歳月を見も知らぬ外国で過し、身命をなげうつ覚悟で、 語 物達しているのだから」と、しいてご自分のお仕込みででも この楽器の奥義を習い取ろうと懸命になっていたのですが、 氏 あるかのように仰せになるので、女房などはそっとつつき そんなことをしてすら望みを遂げることは容易ならぬこと 源 あい、おかしがっている。 だったのでした。なるほどまた、あきらかに空の月や星を 「何事でもそうだが、その道その道について稽古をすると、動かしたり、その季節でもない霜や雪を降らせたり、雲や 才芸というものには、どれも際限のないことがだんだん分雷を騒がせたりした例が、ずっと昔の世にはあったのです。 ってくるもので、自分としては、これで十分と満足のい このように琴は際限もなく霊力をそなえた楽器であるだけ 限度というものはなく、どこまでも習い取ろうとするのは 、伝授されたとおり習い取る人はめったになく、また今 じつにむずかしいことであるけれど、いやなに、そうした は末世でもあるせいか、どこにその昔の秘法の一端でも伝 奥義を究めている人は、今の世にはほとんどいないのだかわっているというのだろう。それでも、やはり、あの鬼神 ら、その一端なりとも無難に学び取った人が、そうしたい が耳を傾けて深く聞き入ったのがそもそもの初めだったた めでしようか、なまなかに稽古したために、かえって不如 ささかの芸を身につけたことで満足していてもよいわけだ きん が、琴というものは、やはり面倒で、うつかり手出しのな意な身の上となった例があってからというものは、これを らぬものですね。この楽器については、本式に定まった奏弾く人には災いがある、とかいう難癖をつけて、面倒なあ 法を習得した昔の人は、天地を揺るがし、鬼神の心をやわまり今ではほとんど習い伝える人がいなくなったとか。ま きん らげ、すべての楽器の音色がこの琴の音に導かれて、悲し ったくもって残念なことです。琴の音を規準としないのだ みの深い者も喜ばしい気持に変り、いやしく貧しい者も高ったら、何の楽器を用いて音調をわきまえることができょ 貴の身になり変って財宝を授かり、天下に認められるとい 。、かにも、万事に衰えてゆくばかりの当節に、ただひ きん とっくに きん なんくせ

8. 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)

それからするとこの中納言は、じっさいこのうえなく官位貴な方ばかりそろっておられるのだから、しつかりした後 2 が昇進しているようだね。代々、親よりも子のほうが世の見もないのでは、そのようなお勤めは、じっさいかえって あそん 声望も高まるものらしい。真実、朝廷に仕える学識とか心 せぬがましというものだろう。あの権中納言の朝臣が独身 語 物がまえなどは、この人もほとんど父君に負けをとらないよ でいた間に、それとなく打診してみるべきだったのだ。若 氏 うだが、よしんばそれがまちがいとしたところで、いよい 年とはいえ、じつに有能で将来がいかにも頼りになりそう 源 よ貫禄がついてきたという世評は、まったく格別のようだ な人のようだから」と仰せになる。 ね」などとおはめになる。 乳母たちは、「中納言はもとからじつにまじめな人で、 四〕女三の宮の乳母、朱雀院は、姫宮がまことにかわいら これまで何年もの間あの大臣家のお方に打ち込んで、ほか 源氏を後見に進言するしいお姿で、あどけなく無心なご様のどなたにも心を移そうとしなかったのでございますから、 子なのをごらんになるにつけても、「そなたに連れ添って その望みのかなった今は、これまで以上にどんなお方にも 引き立つようにしてさしあげ、また一方では至らぬところ その気持のゆらぐことはございますまい。その点、あの父 すきごころ を庇いとりつくろって、よく教えてさしあげられるような院のほうこそ、かえってやはり何事につけても好色心を動 人で、安心できる方があったら、お預け申したいものだ」 かされるお気持は、今も絶えないご様子でいらっしやると めのと などとお申しあげになる。分別ある年配の御乳母を幾人か のことです。とりわけ、貴い素姓のお方を得たいとのお望 もぎ お呼び出しになって、御裳着の折の支度のことなどを仰せ みが強くて、前斎院などをも、今もなかなかお忘れになれ 出されるついでに、「六条の大殿は、式部卿の親王の娘御ず何かと申しあげておいでになるとのことでございます」 をお育てあげになったそうだが、そのようにこの宮を預っ と申しあげる。院は、「さてさて、そのいつまでも衰えぬ すき て育ててくれる人があればよいのだが。臣下の中にはそう好色、いだけは、まったく気がかりだね」とは仰せになるも した人はありそうもないし、かといって帝には中宮がつい のの、なるほど、たとえ大勢の女君たちの中で苦労させら ていらっしやる。その次々の女御たちにしても、じつに高れて、心外な思いをすることがあったとしても、やはりあ ( 原文一九ハー )

9. 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)

( 原文一四ハ -) 参上しお仕え申しあげておられるが、そうした方々はみな 女御にも、三の宮をやさしくいたわってくださるように 心底からお惜しみ申しあげておいでになる。六条院からも と懇ろにお頼み申しあげなさる。しかし、この女宮の母君 お見舞がしきりに寄せられる。源氏の君ご自身も参上なさ が、ほかの女御たちよりも院のおばえもめでたくていらっ りたいとのおつもりを院はお聞きになって、じつにたいそ しやって、そのころどなたもお互いに張り合われた事情が むつ うお喜び申しあそばす。 あり、お付合いも具合よく睦まじいというわけにもいかな かったのだから、それが尾を引いて、いかにもムフはとくに 中納言の君が参上なさったのを、御簾の中にお召し入れ になって、院は懇ろにお話しになる。「故院の上がご臨終 憎いといったお気持はないにしても、心底からその気にな の折に、多くのご遺言があった、その中で、あなたの父院 ってお世話をしようとまではお思いにならないのではなか の御事と、今の帝の御事については、格別にお言い遺しに ろうか、と推し量らずにはいられないのである。 なったのに、わたしがいざ位に即いてみると、物事にきま 〔三〕朱雀院、タ霧に意院は朝晩となくこの女宮の御事をご 中をほのめかす 心配になる。年の暮れてゆくにつれりというものがあって、心の中の好意は変らぬながら、つ て、ご病気が本当にいよいよ重くおなりあそばされ、お部まらぬ行き違いからお恨まれ申すこともあっただろうと思 っているが、長い年月の間、何かにつけて、そのときの恨 屋にこもられたきり御簾の外にもお出ましにならない。今 ものけ みを根に持っていらっしやる様子を少しもお見せにならぬ。 までにも、御物の怪のためにときどきお苦しみになること いかに賢人といっても、自分自身のことになると、筋道ど もあったのだが、じっさいこういつまでも間なしにお悩み 上 おりにはいかず平静を失って、きっと仕返しをして見せ、 になるというご様子ではいらっしやらなかったのだから、 今度という今度はやはりいよいよおしまいだとおばしめさ曲ったことをもしでかすといったことが、聖代の昔でさえ 若 れる。御位をお退きになってはいらっしやるものの、やは多かったものでした。いつどのような折にかそうしたお気 5 り御在位当時からおすがり申しあげておられる人々は、今持を外にあらわされるにちがいなかろうと、世間でもそう 思って疑っていたところが、ついに抑え通されて、東宮な でもやさしくご立派な院の御有様を心の慰めどころとして のこ

10. 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)

ぐうじ ことだが、そのとき、ここの池には蓮がたくさん茂ってい り消滅してしまったのだった。 て、その夜、雨が降り、のちに月夜になった、ということ話し好きの老人に別れを告げて、裏手に回っていくと、 が、彼等の作品によってよくわかるのである。この蓮池は見上げるばかりのすばらしい楠が若葉を茂らせていた。樹 のちのちまで、晶子たちの歌材になっている。ところが今齢千年を越すというのだから、『源氏物語』の時代には若 では蓮など全く見当らない。 木だったわけである。太い幹に食い込むようにして何があ なんくんしゃ あきんど はったっ お守札の札所で、老齢の神主さんにそれを尋ねてみると、る。「楠珸社」という。というより、大阪商人には「初辰 いなり 老人はうれしそうに、 きん」として知られるお稲荷さんである。このあたりには 「蓮池 ? ありましたとも。ようご存じで」 楠の大木が多く、楠や、そこに住む神使の巳 ( へび ) を信 と応えてくれた。 仰する人々も多いという。月参りのたびに、土製の招き猫 話によると、あの太鼓橋のある大きな池は、以前は一面を受けて、四年間つづけると満願成就の由である。ここの うらばんえ の蓮池だったとか。ところが、夏の盂蘭盆会のころになるおみくじが「歌占い」であるのも、いかにも住吉らしい たねかし と、近くの人々が、仏前に供えるためにこの蓮の葉を採り近くの「種貸社」は、もとは農耕儀礼に発して、今はお に押し寄せてくる。それは長いこと黙認されていたのだが、金を繁殖させるという商売繁盛の神様で、子授けの神様と 昭和十一年に、当時、官幣大社だったこの社に、カのあるしても信仰されている。このほか、お金を集める守護神 おおとし 宮司さんが配属されて来た。その宮司はなかなかやり手で「大歳社」、女性の芸事の神として人気のある弁天さんこと あさぎわ あったらしく、さびれていた住吉大社をすっかり建て直し「浅沢社」など、摂社・末社も数々あるが、いずれも大阪 た功労者なのだが、神域にあるものを、仏前に供えるためらしく商売繁盛に結びついているところがおもしろい に採るとはけしからぬ、といって、池の蓮をすっかり取り帰り、石階の上から鳥居越しに海の方角を眺めたが、海 去ってしまったのだそうである。大社にとっては功労者なの気配もない。今は海岸まですっかり遠くなってしまった のだろうが、風流心のない宮司さんである。おかげで住吉が、舟で直接この社の下まで漕ぎ寄せたとき、明石の御方 大社の蓮は、『明星』の歌に姿をとどめるだけで、すっかの目には松原の合間にちらちら見える華麗な社と、源氏の