これを花にたとえれば桜といったところだが、その桜より ものだろうと思われるが、一方女御の君は、同じように優 美なお姿ながら、もう少しつやつやとした美しさがあって、 もさらにすぐれた美しいたたすまいは格別でいらっしやる。 このような方々のおそばにあって、明石の御方は気圧さ 物腰といい感じといい奥ゆかしさがあり、風情に富んだ様 子でいらっしやって、十分に咲きこばれた藤の花が、夏に れてしかるべきであるが、けっしてそうではない。物腰な ど気がきいていて、こちらが恥じ入りたいくらいだし、そ はいっても咲き続け、ほかにこれと並ぶ花のない朝景色と いった感じでいらっしやる。とはいえ、ご懐妊のご様子が のたしなみのほども心ひかれる深みがあり、どことなく気 ふつくらと人目につくくらいにおなりになり、ご気分もす品のただよう、しっとりとした美しさと見えるのである。 もえ うすものも ぐれない時期でいらっしやるから、お琴も傍らから押しゃ柳の織物の細長に、萌黄であろうか、小袿を着て、羅の裳 きようそく へりくだ のさりげなく見えるのをつけて、ことさらに遜っているけ って、脇息を前し / 」こ御身をおもたせになっていらっしやる。 小さなお体でなよなよとしていらっしやるが、御脇息は並れども、その様子が、そう思うせいか奥ゆかしく感じられ、 軽々しく扱ってはならぬお方といった感じである。高麗の の大きさであるから、背伸びしている格好なので、特別に しとね い、かに・も ~ 涌々ー ) い 青地の錦で縁どりをした褥に遠慮がちにすわって、琵琶を 小さく作ってあげたいと思われるのも、 こうばいがさね っ 前に置き、ほんの触れる程度に弾こうとして、しなやかに ご様子であった。紅梅襲の御衣に御髪のはらはらとかか ばち ているのも気高い美しさで、灯影に映し出されるそのお姿使いこなした撥さばきは、その奏でる音を聞くよりも、比 さっき はなたちばな は、またとないくらいかわいらしく見えるが、紫の上のほ類なく好ましい感じで、あたかも五月待っ花橘の、花も実 こうちき うすすおう えびぞめ 下 うは、葡萄染であろうか、色の濃い小袿に、薄蘇芳の細長もいっしょに折り取ったときのかぐわしさを思わずには、 られない。 をお召しになり、その裾に御髪のゆったりとたまっている 若 ところは、うるさいくらいであり、お体などはちょうど程 どなたもどなたもとりつくろっていらっしやるご様子を 目にも耳にもお感じになるにつけ、大将も、まことに御廉 よい大きさで、全体としてのお姿は申し分なく、あたり一 の内をごらんになりたく思わすにはいらっしゃれない。対 面につややかな美しさがあふれているような風情なのは、 すそ にしきふち
281 若菜上 はいえ、実のところ、けっしてそれほどの老齢でもない 六十五、六歳ぐらいである。尼姿がまことにこざっぱりと 御加持が終って修験者たちが退出したので、御方は、御 しており、様子も上品で、目はつややかに涙に濡れ光って、 くだものなどをおそば近くにさしあげて、「せめてこれぐ おももち 瞼の泣き腫れている面持が尋常でなく、どうやら昔を思い 、、かにもおいたわしく思 らいのものでも召しあがれ」と 出している様子なので、御方は胸がどきりとして、「大昔 ってお勧め申しあげなさる。尼君は、女御のお姿を拝見し の根も葉もない話がございましたのでしよう。ありもしな て、じつにおみごとなかわいいお方とお思い申しあげるに かったようなたくさんの覚え違いといっしょにして変な昔 つけても、涙をおしとどめることができない。顔は笑みほ 話をなさるのですが、そんなお話があったのではございま ころんで、ロもとなどは見苦しくひろがっているが、目も せんか。そのころのことは夢のようなものでございます」 とは涙に濡れて、泣き顔になっている。なんとみつともな と、苦笑して女御をお見あげになると、まことにみずみず いこと、と御方は目くばせをするのだが、まるで気にもと めない。 しくおきれいで、いつもよりひどく思い沈んで何かご心配 事がおありのようなご様子にお見受けされる。わが産みの 「老の波かひある浦に立ちいでてしほたるるあまを誰 かとがめむ 子とも思われなさらず、ただもったいないお方と感じられ るにつけても、「尼君がおいたわしいことをあれこれお申 ( 長く生き長らえたかいがあって、こうした晴れがましさに むせ 出合うことができ、うれし涙に咽んでいるこの私を、どなた しあげになったので、お心を痛めていらっしやるのだろう とが が咎めだてできましよう ) か。いよいよこれが最上というお位をおきわめになる日が きたら、そのときにお耳に入れ、お知りいただこうと考え 昔の世にも、私のような老人は、大目に見過していただけ すずり ていたのに、ここでくじけておしまいになるといった不本たものでございます」と申しあげる。御硯の箱の中の紙に、 意の気づかいもなかろうが、ほんとにおかわいそうに、気 しほたるるあまを波路のしるべにてたづねも見ばや浜 のとまやを 落ちしていらっしやるのであろう」と思わずにはいられ まぶた
なので、もう今にも誰かにあのことを見聞きされてでもい よう」などとお申しあげになる。こうして殿があの件につ いてはまるでお気づきになっていらっしやらない、それに 3 るかのように、顔もあげられず気おくれしたお気持になっ ていらっしやって、明るい所ににじり出ることさえもおで つけても、宮はおいたわしくも申し訳なくもお思いになっ ニロ 物きにならない。まことに情けないわが身の上であった、と て、人知れず涙のこみあげてくるお気持にならずにはいら 氏 っしゃれない。 ご自身つくづくお感じになっていらっしやるようである。 源 宮がご気分わるくていらっしやるとお知らせがあったの 督の君は、なおさらのこと、なまじ宮との逢瀬を遂げた で、大殿はこれをお聞きになって、このご病人のたいそう ばかりにかえって苦しみがつのって、起きても寝ても、明 なご心労事のところへ、さらに加えて、またいったいどう けても暮れても、つらい思いに時を過しかねていらっしゃ したことなのかとお驚きになり、宮のもとにお越しになる。 る。賀茂の祭の日などには、先を争って見物に出かけてい どこといって苦しそうな様子もお見えにならず、ひどく恥 く君達が後から後からやってきて、口々に同行を勧めるけ ずかしそうに沈みきっていて、ろくに顔をお向け申されなれども 、、かにも気分のすぐれない様子で、物思いの身を いのを、殿は、長らくかまっておあげにならなかったのを横たえていらっしやる。北の方の女二の宮に対しては、表 恨めしく思っていらっしやるのだろうか、とおいたわしく 向きは丁重にかしずいているかのようにお扱いになって、 お感じになり、あちらのご病人の様子などをお話し申されその実、心を打ち割ってお逢い申すこともほとんどなさら て、「もうこれが最期かとも懸念されるのです。いまさらず、別のご自分の部屋に閉じこもって、ただ所在なく心細 うつ い思いでばんやりと虚けていらっしやるが、そんなとき、 通り一遍の扱いと思われたくないものですから。あの人は、 めのわらわ 幼い時分からわたしが面倒をみてきておりまして、この期女童の持っている葵をごらんになって、 に及んで放っておくこともできませんので、こうして何か くやしくぞっみをかしけるあふひ草神のゆるせるかざ しならぬに 月も万事をうち捨てた有様で過しているのです。一段落し ( 不本意にもあの女宮にお逢いするという罪を犯してしまっ ましたら、わたしの気持もしぜんとお見直しいただけまし あおい おうせ
きのけになると、御方は母屋の柱に寄り添って、じっさい んで過されたことだろう。長生きして、この多くの年月に くどく いかにも美しく、気のひけるほどのみごとなご様子をして積み重ねた功徳はこのうえもなく尊いものであろう。世間 そうりよ いらっしやる。 でも、たしなみのある賢い僧侶といわれている人々を見る ばんのう さきほどの文箱は、あわてて隠すのも見苦しいので、そ につけても、俗世に執着する煩悩が深いためだろうか、い のままにしていらっしやるのを、「何の箱ですか。深いわかに学問がすぐれていても、まったく常に限りのあること けそうびとながうたよ けがあるのでしよう。懸想人が長歌を詠んで大事に封じ込で、とても入道には及びもっかないのですね。あのお方は ふぜい めたという風情ではありませんか。と仰せになるので、御じつに悟りが深く、それでいて風格のあるお人柄であった。 方は、「まあいやなことを。派手にお若返りあそばしたよ清僧ぶってこの世を捨てたというふうではないものの、心 うなお癖から、合点のいかないご冗談をときどきおっしゃ の奥ではすっかり極楽浄土に通い住んでいる、と見えまし ほだし います」と言って、笑いをつくっておいでになるけれども、 た。まして今は、気がかりな絆もなくなって、あのころ以 おももち 何やら悲しそうな御面持もはっきりしているので、大殿も上に悟りの境地に住んでいるのだろうに。わたしが気まま 不審がっていらっしやるご様子だし、面倒に思って、「あ に動ける身分であったら、そっと会いに行きたいものだ きとうかんじゅ の明石の岩屋から、内々でいたしました御祈疇の巻数や、 がーとおっしやる。御方が「ただ今は、あの住んでおりま ほゝに、まだ願ほどきをしていない祈願などのございまし した所をも捨てて、鳥の声も聞えない山奥にこもったと聞 たのを、殿にもお知らせ申しあげる適当な機会があったら、 いております」と申しあげると、「では、これはその遺言 上 ごらんいただいたほうがよくはないかと申して送ってまい なのですね。お手紙はやりとりしておいでなのですか。尼 りましたのですが、ただいまは、まだその折でもございま君はどんなお気持でいらっしやるだろう。親子の仲よりも、 若 せんから、お開けあそばすこともございますまい」とお申そうした夫婦の間柄では格別なものがあることだろう」と しあげになると、殿は、なるほど胸を痛めている様子も無おっしやって、涙ぐんでいらっしやった。 理からぬこととお思いになり、「その後どんなに修行を積「わたしも年をとって、世間の有様があれこれと分ってく
て、僧なども、しかるべき者だけは退出せすにいるが、他し量ることができようものである。この大殿の悲痛なご心 はばらばらと帰り支度をしてざわめいているのをごらんに 中を、仏もご照覧申されたのか、この幾月かの間いっこう よりまし めのわらわ なると、それではとうとうおしまいなのか、と断念なさる に現れてこなかった物の怪が、憑坐の小さな女童にのり移 語 物情けなさは、何にたとえられようか って大声で叫びわめいているうちに、上がようやく息をお ものけ 殿は、「こうなったとしても、物の怪のしわざというこ吹き返しになるので、大殿は、うれしくもまた忌まわしく 源 とがあろう。そうむやみに騒ぎたてるものではない」とお も、冷静ではいらっしゃれない ちょうぶく 取り静めになり、これまでにもまして数々の大願を新たに 物の怪はみごとに調伏されて、「ほかの人はみな出てい げんぎ お立てさせになる。すぐれた験者衆のある限りをお召し集っておくれ。院の殿お一人のお耳に申しあげたい。 この私 めになって、「ご定命が尽きてお亡くなりになったのだと を、幾月も祈り伏せて苦しいめにおあわせになるのが嘆か しても、ただもうしばらくの間お命をお延ばしくだされ。 わしく苦しいので、どうせなら殿にこの私のつらさをお知 ほんぜい 不動尊の御本誓もあることです。せめてその日数だけでも りいただこうと思ったのだけれど、さすがにご自分の命も この世にお引きとどめ申してくだされ」と、真実、頭から危なくなるまで骨身を削るようにして悲嘆にくれていらっ 黒煙をたてて、勇猛心を奮い起して加持をしてさしあげる。 しやる殿のお姿を拝しては、この私も今は、こうしたあさ ひとのよ 院の殿も、「せめてもう一度、お目をあけて、このわたし ましい身に生れ変ってはおりますが、人間を生きた昔の心 の目をごらんになってください。あまりにもあっけないご が残っていればこそ、こうまでしてここにもまいったのだ 臨終だった、そのまぎわにさえも会うことができずじまい から、何ともおいたわしいご様子をとても見過すこともな になってしまったことが、悔しく悲しいのですよ」と取り らずに、ついに姿を現してしまったのだ。けっしてさとら 乱していらっしやるご様子は、とてもこのまま後に生きとれてはなるまいと思っていたのに」と言って、髪を額に振 どまっていることのおできになれそうもないくらいなので、 りかけて泣く様子は、まったく昔ごらんになったことのあ そのお姿を拝する人々の動転する心地も、ただそのまま推る物の怪の有様そのものと見えた。殿は、情けなくも気味
に大勢の方々とかかわりあっていらっしやって、宮もその 人目にあやしまれない程度にはこの女宮を北の方らしくお 中では負けをとっていらっしやるような有様で、お独りで 扱い申しあげていらっしやる。 やす 衛門督はやはり、あの胸に秘めた女三の宮への恋心を忘 お寝みになる夜が多く、所在なくお暮しでいらっしやるそ 第、じじゅう れることができず、小侍従という相談相手は、宮の侍従と うです』などと、ある人が奏上した折にも、いささか後悔 おももち めのと いう御乳母の娘であったが、その乳母の姉というのが、こ あそばす御面持で、『同じ臣下の者の安心できる婿を決め うわさ の督の君の御乳母だったので、早くから宮の噂などを身近るというのであれば、どうせならまじめにお仕え申すよう にお聞き申していて、まだ宮がご幼少の時分からまことに な人を選ぶべきだった』と仰せになって、『女二の宮のほ 気高くおきれいでいらっしやることや、帝がたいせつにご うがかえって心配がなくて、行く末長く添いとげられそう 養育あそばす様子などを、お聞きおき申していて、そうし な様子でいらっしやる』と仰せられたということを人伝に たことから、このような恋心もいだくようになったのであ聞いたのですが、おいたわしくも残念にも、このわたしが つつ ) 0 どんなに思い悩んだかしれません。なるほど二の宮を同じ こうして院の殿も女宮の御もとを離れていらっしやるこ お血筋と思って頂戴はいたしましたものの、それはそれで ろ、督の君は、お邸内は人目も少なくひっそりしているの別事と考えないではいられないのです」と、吐息をもらし だろうと推測して、何度も小侍従を呼び出しては熱心に相ておっしやると、小侍従が、「まあ、大それたことを。二 談を持ちかける。「昔から、こんなに命も縮むくらい思い の宮様をそれとさしおき申して、さらにまたそんなお気持 下こが 焦れておりますものをーーーあなたのような懇意な手づるが がおありとは、なんととてつもないことをお考えなのでし あって宮のご様子を伝え聞いたり、またわたしの堪えきれ よう」と言うので、苦笑して、「そのとおりなのですよ。 若 三の宮をもったいなくもお望み申しあげたことは、院も、 ない思いのほどをお聞きいただいたりして心丈夫に思って 9 いるのこ、、 しつこうにそのかいがないのだから、ひどく恨主上も、ご承知あそばしたのです。どうして、あれを婿に めしいのですよ。院の上でさえ、『六条の大殿があのよう して悪かろうと、何かの折に仰せられたこともあったので ひ ひとづて
そ素直につねるなり何なりして、はっきりお恨み言をおっ で、まことに困ったこととお思いになる。ご懐妊のご様子 しやってください。他人行儀なお方のようにあなたをおし なのであった。まだまったくいたいけなお年頃とて、ほん とに恐ろしいことと、どなたもお案じになっていらっしゃ つけ申さなかったはずですのに、思いのほかのご気性にな 1 = ロ るようである。ようやくのことで、お里にお下がりになる。 物ってしまわれた」と、あれこれご機嫌をとっていらっしゃ ひがしおもて 氏 るうちに、何もかも残らず白状しておしまいになったよう姫宮のお住まいになっていらっしやる寝殿の東面に、その 源 である。殿は、女三の宮のお部屋にもすぐにはお越しにな お部屋をしつらえた。明石の御方は、今ではその御娘のお れず、上をなんとかなだめておあげになりながらお過しに そばに付き添って宮中に出入りしておいでになるが、それ なる。 につけても申し分のないご運というものではある。 対の上がこちらにお越しになって、明石の姫君にご対面 姫宮は、殿のお越しのないのを何とも思っておられない あいさっ のだが、お世話役の人々が、不満を申しあげるのだった。 になるその折に、「姫宮にも、中の戸を開けてご挨拶申し やっかい あげましよう。かねてからそのように思っておりましたが、 宮ご自身が厄介なお気持を示されるようであったら、そち らのほうもこちら以上にお気の毒な思いにもなろうが、今何かの機会がなくてはそれも遠慮されますので、このよう はただおっとりして、かわいらしいお遊び相手のようにお な折にお近づき願えましたら、これから気がねもなくなり 思い申しあげていらっしやる。 ましよう」と大殿に申しあげなさるので、殿はにつこりな きりつば さって、「それこそ私には願ったりかなったりのお付合い 三 0 〕紫の上、はじめて桐壺の御方は、久しく里下がりもお 女三の宮に対面するできにならずにいらっしやる。容易というものです。宮はほんとに幼いご様子のお方のようで いとま にお暇がいただけないので、気安いお暮しに慣れていらっすから、安心のいくようによく教えてあげてくだされ」と お許し申しあげなさる。女三の宮とのご対面はともかく、 しやったお年若の御身とて、ほんとにただつらいお気持で いらっしやる。夏のころ、ご気分がおすぐれにならないのそれよりも、明石の君が気のひける様子をして姫君のおそ 東宮がすぐにはご退出をお許し申しあげなさらないのばに控えているにちがいないと、上はお察しになるので、 ( 原文六七ハー )
257 若菜上 やれないのである。いかにも、こうしたことになったから 〔一巴新婚三日の夜、源三が日の間は、殿が毎夜欠かさず宮 氏反省紫の上の苦悩のほうへお越しになるので、これま とて、まるであちらに気圧されて影の薄くなることもある で長年の間そうしたことにはご経験のない紫の上のお心地 まいけれど、これまで他に肩を並べる人もない日々が常で としては、こらえようとするもののやはりわけもなく悲し いらっしやったところへ、こうしてはなやかに前途のある あなど く感じられる。殿の数々のお召物にひとしお念入りに香を お若さで、しかも侮りがたいご威勢でお輿入れになられた うつ のだから、上は、なんとなく居心地わるくお思いにならずたきしめさせたりしていらっしやりながらも、虚けたよう おももち な御面持でうち沈んでいらっしやる上のご様子は、たいそ にはいられないけれども、どこまでも何気なくよそおって、 お輿入れに際しても院とごいっしょに些細なことまでお世ういじらしく美しい殿は、「どんな事情があるにせよ、 どうしてほかに妻を迎える必要があるだろうか。しつかり 話になられて、いかにもいじらしいご様子なのを、殿は、 と腰が定まらず、気の弱くなっていた自らの心のゆるみか いよいよこの世に得がたいお方であるとお感じ入りになる。 ら、このような事態にもなったのだ。まだ年若ではあるけ 姫宮は、なるほどまだほんとにお小さくて、大人にははど れど、中納言を婿にとはお考えになれずじまいだったらし 遠くていらっしやるが、そのうえまったく幼いご様子で、 いものを」と、我ながらつい情けなくご思案にふけってい まるきり子供子供しておいでになる。あの紫のゆかりを捜 らっしやると、ひとりでに涙ぐまれて、「今夜だけは、無 し出してお引き取りになった折のことをお思い出しになる 理からぬこととお許しくださいましょ , つね。もしこれから と、あちらは気がきいていて相手にしがいがあったのに、 こちらはそれに比べてじつに幼いいつばうとお見受けされ後、おそばを離れるようなことがあれば、それこそ我なが るので、まあそれもよかろう、これなら憎らしげに我を押ら愛想も尽きることでしよう。でも、そうかといって、あ の院がどうお聞きあそばすことやら」と、あれこれ悩んで し立てるようなこともあるまいとご安、いにはなるものの、 いらっしやるお心の中がいかにも苦しそうである。上は少 一方では、まったくあまりにはりあいのない御有様ではな し頬を動かされて、「ご自分のお心からさえ定めかねてい いか、とごらんになる。 ささい ほお
さかであるのを、ぶつぶつお恨み申しあげている。 つけても、やはりひどくご心配で、六条院のほうにはかり 殿は、このように宮のご気分がすぐれない由をお聞きに そめにもお越しにはなれない。 なって、やっとお出ましになる。対の女君は、暑くうっと 姫宮は、あのあるまじき一件に心を痛められてこの方、 うしいからと、御髪をお洗いになり、多少すがすがしそう そのまま常日頃の様子とはお変りになって、ご気分がわる にしていらっしやる。横になったまま御髪をうち広げてお くていらっしやるけれども、そうたいしたご病状ではなく、 いでになると、そうすぐには乾かないけれど、いささかも 先月から何も召しあがらず、ひどく青ざめておやつれにな ひと っていらっしやる。他方、あの男は、どうにも思いに堪え癖をふくんだり乱れたりする毛筋もなく、まことに気高く ゆらゆらとして、お顔の色の、青みがかっておやつれにな かねる折々には、夢路を通うような思いで宮にお逢い申し っていらっしやるのが、かえって青白にかわいらしく感じ ていたのであったが、宮は、どこまでも無体なこととつら はだ られ、透きとおるように見える御肌の感じなどは、世にま くお思いになっている。院の殿をひどくこわがっていらっ かれん えもんのかみ たとないくらいの可憐なご様子である。もぬけた虫の殻か しやる宮のお気持では、衛門督の様子といい人柄といし どうして殿と同列に比べられようか、督の君はたいそうた何ぞのように、まだじつに頼りない感じでいらっしやる。 長年の間お住まいにならなかったために、多少荒れてしま しなみがあって優美な人であるから、世間の人の目には、 っているこの院の内は、はなはだしく手狭にさえ感じられ ありきたりの男にはぬきんでて評判も上々といえようけれ ども、お年若の時分からあれほどまたとなくご立派なお方る。昨日今日はこのようにご気分がはっきりしていらっし やりみずせんぎい 下 やる折なので、念入りにお手入れをなさった遣水や前栽の、 のお人柄に常々接していらっしやる宮のお心からは、ただ にわかに気持も晴れ晴れするような景色をお眺めになるに 心外な者とのみ見ておいでになるが、そこへもってきて、 若 つけても、ああよくそ今まで命を持ちこたえてきたものよ こうしたご不例とて苦しみ続けていらっしやるとは、悲し めのと とお思いになる。 くいたわしい御宿世というものではあった。乳母たちがご 池はいかにも涼しそうで、蓮の花が一面に咲いており、 懐妊と気づいて、院の殿のお越しになるのもほんとにたま はす
どくお泣きになって、「大きくおなりになるのを拝見でき くおわずらいになるといったご容態で、いっという当ても なく月日をお過しになるので、やはりどうおなりになるの 3 ないことになりますね。私のことなそ忘れておしまいにな だろうか、お治りになる見込みのないご病気なのだろうか るのでしようね」とおっしやるので、女御は涙のあふれる 語 ものけ と殿はお心を痛めておいでになる。御物の怪などと名のり 物のを抑えきれず悲しいお気持になっていらっしやる。「忌 氏 まわしいことを。そんなふうにお考えなさいますな。まさ 出てくるものもないのである。お苦しみのご様子は、どこ 源 か、そんなにお悪くいらっしやるはずがございません。気がど , っというのでもなく、ただ日一日とご衰弱がつのるい つばうのように見受けられるので、心底からせつなく堪え 持次第で、人はどうともなるものです。気の持ちょうが広 く器量の大きな人には、幸いもそれにともなって大きくな がたくお思いになって、お心の休まる時もなさそうである。 えもんのかみ りよう・けん るのですし、了簡の狭い人は、たとえそうなる宿運から高〔一宝〕柏木、女三の宮をさてそういえば、衛門督は中納言に い身分を恵まれたとしても、ゆったりと余裕をもっところ 諦めす小侍従と語らうなっていたのである。今上の御世に みかど おいては、帝のご信任がまことに厚く、今を時めく人であ が乏しく、また気短な人はその地位に久しくはとどまりが たいものだし、穏やかな心でおっとりしている人は、長い る。自らの地位、声望の高くなっていくにつけても、願望 のかなえられぬ嘆かわしさを思い悩んで、この女三の宮の 寿命を保つ例も多かったものです」などとおっしやって、 仏神にも、このお方のご性分が前世の功徳を積んでまたと御姉君にあたる二の宮を北の方にお迎え申したのであった。 身分の低い更衣腹のお生れでいらっしやったから、督の君 なくご立派である由を詳しくお申しあげになる。 みずほうあぎり は多少軽んずる気持もまじりながらお扱い申していらっし 御修法の阿闍梨たちゃ夜居の僧なども、おそば近く控え やった。亡の宮は人柄も、普通の身分の女に比べてみれば、 ている高僧たちはみな、まことにこうまで途方にくれてい はるかにそのご様子はすぐれていらっしやるけれども、は らっしやる殿のご様子を拝すると、何ともおいたわしいの きとう じめから心に棲みついてしまっているお方への思いがやは で、心を奮い立てて御祈疇申しあげる。多少ご気分のよろ おばすて しくお見えになる日が五、六日続いたかと思うと、また重り深かった、とはいえ、「慰めがたき姨捨」の気持ながら、 ( 原文一七三ハー ) ひと