281 若菜上 はいえ、実のところ、けっしてそれほどの老齢でもない 六十五、六歳ぐらいである。尼姿がまことにこざっぱりと 御加持が終って修験者たちが退出したので、御方は、御 しており、様子も上品で、目はつややかに涙に濡れ光って、 くだものなどをおそば近くにさしあげて、「せめてこれぐ おももち 瞼の泣き腫れている面持が尋常でなく、どうやら昔を思い 、、かにもおいたわしく思 らいのものでも召しあがれ」と 出している様子なので、御方は胸がどきりとして、「大昔 ってお勧め申しあげなさる。尼君は、女御のお姿を拝見し の根も葉もない話がございましたのでしよう。ありもしな て、じつにおみごとなかわいいお方とお思い申しあげるに かったようなたくさんの覚え違いといっしょにして変な昔 つけても、涙をおしとどめることができない。顔は笑みほ 話をなさるのですが、そんなお話があったのではございま ころんで、ロもとなどは見苦しくひろがっているが、目も せんか。そのころのことは夢のようなものでございます」 とは涙に濡れて、泣き顔になっている。なんとみつともな と、苦笑して女御をお見あげになると、まことにみずみず いこと、と御方は目くばせをするのだが、まるで気にもと めない。 しくおきれいで、いつもよりひどく思い沈んで何かご心配 事がおありのようなご様子にお見受けされる。わが産みの 「老の波かひある浦に立ちいでてしほたるるあまを誰 かとがめむ 子とも思われなさらず、ただもったいないお方と感じられ るにつけても、「尼君がおいたわしいことをあれこれお申 ( 長く生き長らえたかいがあって、こうした晴れがましさに むせ 出合うことができ、うれし涙に咽んでいるこの私を、どなた しあげになったので、お心を痛めていらっしやるのだろう とが が咎めだてできましよう ) か。いよいよこれが最上というお位をおきわめになる日が きたら、そのときにお耳に入れ、お知りいただこうと考え 昔の世にも、私のような老人は、大目に見過していただけ すずり ていたのに、ここでくじけておしまいになるといった不本たものでございます」と申しあげる。御硯の箱の中の紙に、 意の気づかいもなかろうが、ほんとにおかわいそうに、気 しほたるるあまを波路のしるべにてたづねも見ばや浜 のとまやを 落ちしていらっしやるのであろう」と思わずにはいられ まぶた
わか 若菜上 方であったものを、格別の御後見もおいでにならず、母方 〔一〕朱雀院出家を志し、朱雀院の帝は、先ごろの御幸の後、 女三の宮の前途を憂うそのころから、ご不例でずっとわすもこれといった家柄血筋ではなくて、なんとも頼りない更 らっておいであそばす。もともと御病がちでいらせられる衣腹の方でいらっしやったから、宮仕えの間もいかにも心 ないしのかみ が、とくに今度はどうも心細くおばしめされて、「これま 細い有様で、大后が尚侍を院におさしあげになって肩を並 で長年のあいだ仏にお仕えしたいものと深く願ってきたの べる者もなく大事に扱ってさしあげられるというような事 おおきさき だが、大后の宮のご存命であった間は、万事にご遠慮申し情があって、それに気圧されてしまい、院の帝もお心の中 あげて、今までためらってきたのだけれど、やはり、仏の ではおいたわしいものと同情申しあげていらっしやるもの によう ) 道に、いが動くのであろうか、そう長くは生きていられない の、そのうち御位をお退きになってしまわれたので、女御 ような気がする」などと仰せられて、あれこれご出家のた はいまさらどうなるものでもなく落胆なさって、世の中を めにしかるべきご用意をあそばされる。 恨めしく思いながらお亡くなりになった、そのお方の御腹 ・上みこ 御子たちは、東宮をお除け申しあげると、女宮が四とこ の女三の宮を、院は、多くの御子たちの中でもとくにいと ふじつぼ ろいらっしやるのであった、その中に、藤壺と申しあげた しいものにおばしめして、たいせつにお育て申しあげてお 若 御方のーーそのお方は先帝の皇女で源氏の姓を賜った方で いでになる。そのころ、女宮の御年は十三、四ばかりでい いらっしやったのだが、院がまだ東宮と申しあげたころに、 らっしやる。院は、「いよいよ、この俗世間と縁を絶って、 やま′」も 山籠りの身となりたいが、 おそばにお上がりになって、高い位にお定まりになるべき そのあとで宮がこの世にとり残 すぎくいんみかど の ひ ・一う
それからするとこの中納言は、じっさいこのうえなく官位貴な方ばかりそろっておられるのだから、しつかりした後 2 が昇進しているようだね。代々、親よりも子のほうが世の見もないのでは、そのようなお勤めは、じっさいかえって あそん 声望も高まるものらしい。真実、朝廷に仕える学識とか心 せぬがましというものだろう。あの権中納言の朝臣が独身 語 物がまえなどは、この人もほとんど父君に負けをとらないよ でいた間に、それとなく打診してみるべきだったのだ。若 氏 うだが、よしんばそれがまちがいとしたところで、いよい 年とはいえ、じつに有能で将来がいかにも頼りになりそう 源 よ貫禄がついてきたという世評は、まったく格別のようだ な人のようだから」と仰せになる。 ね」などとおはめになる。 乳母たちは、「中納言はもとからじつにまじめな人で、 四〕女三の宮の乳母、朱雀院は、姫宮がまことにかわいら これまで何年もの間あの大臣家のお方に打ち込んで、ほか 源氏を後見に進言するしいお姿で、あどけなく無心なご様のどなたにも心を移そうとしなかったのでございますから、 子なのをごらんになるにつけても、「そなたに連れ添って その望みのかなった今は、これまで以上にどんなお方にも 引き立つようにしてさしあげ、また一方では至らぬところ その気持のゆらぐことはございますまい。その点、あの父 すきごころ を庇いとりつくろって、よく教えてさしあげられるような院のほうこそ、かえってやはり何事につけても好色心を動 人で、安心できる方があったら、お預け申したいものだ」 かされるお気持は、今も絶えないご様子でいらっしやると めのと などとお申しあげになる。分別ある年配の御乳母を幾人か のことです。とりわけ、貴い素姓のお方を得たいとのお望 もぎ お呼び出しになって、御裳着の折の支度のことなどを仰せ みが強くて、前斎院などをも、今もなかなかお忘れになれ 出されるついでに、「六条の大殿は、式部卿の親王の娘御ず何かと申しあげておいでになるとのことでございます」 をお育てあげになったそうだが、そのようにこの宮を預っ と申しあげる。院は、「さてさて、そのいつまでも衰えぬ すき て育ててくれる人があればよいのだが。臣下の中にはそう好色、いだけは、まったく気がかりだね」とは仰せになるも した人はありそうもないし、かといって帝には中宮がつい のの、なるほど、たとえ大勢の女君たちの中で苦労させら ていらっしやる。その次々の女御たちにしても、じつに高れて、心外な思いをすることがあったとしても、やはりあ ( 原文一九ハー )
事申しあげる。 ているので、そ知らぬふりをしておいでになる。 六条院の殿は、「昔、逢瀬も難儀だったころでさえ、情 その日は、女宮の寝殿へもお越しにならず、お手紙をや たきもの けを通わされないでもなかったものを。いかにも、世をお りとりなさる。薫物などに念を入れてお暮しになる。夜中 語 物捨てになった院に対しては後ろ暗いようではあるけれど、 ごろになって、気心の知れた者だけ四、五人ばかりをお供 氏 昔もなかった仲らいではないのだから、いまさらきつばり に、お若いころのお忍び歩きも思い出されるような粗末な 源 あじろぐるま いずみのかみ あいさっ と潔白にふるまってみたところで、いったん立ってしまっ網代車でお出ましになる。和泉守を遣わしてご挨拶をお申 た浮名を、あの方もいまさらお取り返しになれるものでは しあげになる。女房がこのようにしてお越しになった由を、 しのだ あるまい」と心を奮い起して、この信太の森の和泉前司を そっと女君のお耳にお入れすると、びつくりなさって、 道案内としてまいられる。 「なんとしたことでしよう。どのようにご返事申しあげた ひたち 殿は、対の上には、「東の院に暮している常陸の君が、 のですか」とご機嫌をそこねていらっしやるけれど、守の このところ長らく病気なのを、なんとなく取り紛れて見舞 ほうは、「もったいをつけてお帰し申しあげるのでは、ま ふびん もしていないので、不憫なのです。昼など人目にたつよう ことに不都合でございましよう」と言って、無理に工夫を にして出かけていくのも具合がわるいから、夜の間にこっ めぐらして殿をお入れ申しあげる。殿はお見舞のお言葉な そりとも思っているのです。誰にも、こうとは知らせますどをお申しあげになって、「ほんのここまでお出ましくだ まい」とお申しあげになって、ひどくそわそわと身だしな され。どうか物越しにでも。昔のような不都合な心などは、 みしておられるので、いつもはさほど気にしていらっしゃ もうすっかり失せてしまいましたものを」と、ただ るともお見えにならぬお方なのに、どうもあやしいとごら お願い申されるので、女君はたいそうため息をおもらしに んになって、さてはとお思いあたりになるふしもあるけれなりながら、いざり出ていらっしやる。やはりこうしたお ど、姫宮をお迎えになってから後は、何事も、まったくこ方なのだ、情のもろさは昔と変らない、と一方では思わず れまでのようではなく、多少よそよそしい心が加わってき にいらっしゃれない。お互いに知り合う者同士の身動きの おうせ
されるのでは、誰を頼りどころにして暮していかれること東宮はお年のわりには、じっさい立派に大人びていらっし やって、御後見の方々も、いずれも身分ある方々のご一統 になるのだろうか」と、ただこの女宮の御事ばかりを案じ、 でいらっしやるから、院はまったく安心なこととお思い申 お胸を痛めていらっしやる。 語 しあげあそばす。 物西山にある御寺を造り終えて、そこへ移ろうとお支度あ 氏 「わたしは、この世に恨みが残ることもございません。た そばすが、それに加えて、この女宮の御裳着のことをご用 源 だ、女宮たちが大勢あとにとり残されて、その将来がどう 意になる。院の御所の内で秘蔵していらっしやる御宝物や よみじ なるかを想像すると、そのことだけが冥土への妨げにもな 御調度品の数々は申すまでもなく、これということもない ひと ) 一と ゆいしょ りそうに思われるのです。これまで他人事として見聞して お手遊びの品々まで、多少とも由緒のあるものはすべて、 いたことから考えても、女というものは不本意にも軽々し ただこの御方にとお譲り申しあげられて、その残りのもの くあさはかなものと人から見下げられる運命にあるのが、 を、ほかの御子たちにはお分けになられたのであった。 まったく残念で悲しいのです。どの女宮も、あなたのご治 〔ニ〕朱雀院、女三の宮東宮は、このように父院がご病気で の将来を東宮に依頼 いらっしやるうえに、さらにご出家世になったあかっきには、それぞれの境遇に応じて、お気 をつけて面倒をみてくだされ。その女宮たちの中でも御後 のお心づもりとお聞きになったので、院の御所にお越しあ そばす。御母君の女御もお付き添い申しあげなさって参上見などのあるのは、そちらにまかせてもおけますが、三の ちょうあい なさる。女御は、とくに院のご寵愛をこうむっていらっし宮だけは、年端もゆかず、これまでわたし一人だけをずつ やったわけではなかったけれども、東宮がこうしてお生れと頼りにしてきているのですから、わたしが世を捨ててし になっておられるご宿縁がこのうえもなく結構なので、年まったら、その後、身の上も定まらず途方にくれることだ ねんご ろうと、それがじっさいひどく気がかりで悲しいのです」 ごろの積るお話を懇ろにお交しになるのであった。院は、 と、何度もお目の涙をふいてはお気持のほどをお聞かせ申 東宮にも、あれこれの教え、また将来世の中を治めてゆか しあげなさる。 れるうえでのお心がまえなどをお聞かせ申しあげなさる。 みてら
はり世間並のお方のように考えてまいったのでした。しか で、御方が「対へお渡し申されました」とお申しあげにな る。「それは不都合な。あちらでこの宮を独り占めにして 四し今はもう、あとさき何の気がかりもなくなりました」な ふところ どと、ほんとに長々とお申しあげになる。女御は涙ぐんで さしあげ、まるで懐から離さずお世話しては、好き好んで 語 物お聞きになっていらっしやる。御方は、このようになれな着物もみなよごして、しきりに脱ぎ替えてばかりいるよう 氏 れしくお近づきしても当然と思われる女御の御前でも、常です。どうしてやすやすとそうお渡し申されるのですか。 源 し礼儀正しくしていらっしやって、むやみにご遠慮のご様こちらに来て、お世話申されるがよいのに」と仰せになる 子である。入道の手紙の文言は、まことにかたくるしく無ので、御方は、「まあ、あまりな。お察しのないお言葉で みちのくにがみ すこと。たとえ女の御子でいらっしゃいましたとしても、 愛想な感じがするが、それも陸奥国紙の、年数がたってい あちら様でお世話申しあそばすのがよろしゅうございまし るので黄色くなって厚ばったい五、六枚、それでもさすが よう。なおさらのこと、男の御子では、どんなに貴いご身 に香を深くたきしめた紙にお書きになっていらっしやる。 分と申しましても、心安くお世話申せるものと存じあげて まったく胸がいつばいにおなりになって、御額髪のしだい に濡れていく女御の御横顔は、気品高くみずみずしいお美おりますのに。ご冗談レ こも、このよ , つに隔てがましいこと しさである。 を、変にお気をおまわしになってお申しあげなさいます な」と申しあげなさる。殿はお笑いになって、「お二人の 〔 = 三〕源氏、入山を知り、院の殿は、女三の宮のお部屋にいら 奇しき宿世を思う っしやるのであったが、隔ての御 間にお任せして、わたしは若宮をおかまい申さぬほうがよ ふすま いというのですね。このごろは、どなたも皆このわたしを 襖から突然こちらにお越しになったので、御方は文箱をお みきちょう 隠しになることもできず、御几帳を少し引き寄せて、ご自除け者にして、おせつかいなことだなどとおっしやるが、 それは愚かしいというものです。まずあなたからして、こ 身はやはり身をお隠しになった。殿が「若宮はお目覚めで すか。わずかの間も、お目にかからないと恋しいものです うしてこそこそ隠れて、情け容赦なくわたしをこきおろし ね」と申しあげなさると、御息所はご返事も申されないの ていらっしやるようだが」とおっしやって、御几帳をお引 、 ) う
どのご身分の方だけに、まことに格別で、気品高く優美で 門督は、東宮があの猫をもらい受けようとおばしめしだっ いらっしやる。 た、と察していたので、幾日かやり過して参上なさった。 わらわ すぎくいん 宮中に飼われている御猫の、何匹も引き連れていた子猫衛門督はまだ童であった時分から、朱雀院がとりわけお心 語 物たちが、所どころにもらわれていって、この御所にもあが をかけお召し使いになったので、ご出家あそばした後は、 氏 っているのが、いかにもかわいらしい格好であちこちして やはりこの東宮にも親しく参上して、お仕え申しているの 源 からね・一 いるのを見ると、まずあの唐猫を思い起さずにはいられな である。督がお琴などをお教え申されるついでに、「御猫 いので、衛門督が「六条院の姫宮の御方におります猫は、 たちが大勢集っておりますのですね。さて、どちらにおり まったく見たこともないような顔をして、かわいらしゅう ましようか、私の見たあの人は」とあたりをたずねて、そ ございました。ほんのちらっと見ただけでございますが」 の猫をお見つけになった。まことにかわいくてならないの とお申しあげになると、東宮はもとより猫を格別におかわ で、かき撫でかき撫でしている。東宮も、「なるほどかわ いがりあそばすご性分なので、詳しくお尋ねになる。衛門 いい様子をしているね。まだ心からなついてくれないのは、 督は、「それは唐猫で、こちら様のと違った様子をしてお人見知りしているのだろうか。わたしのところの猫たちも りました。猫ならどれも同じようなものでございますが、 そう見劣りはしないのだが」と仰せになるので、「猫とい 気だてがかわいらしく人なっこくなっているのは、妙に、い うものは、そんな分別はめったにあるものではございませ ひかれるものでございます」などと、東宮がごらんになりんが、しかしとくに利ロなのには、おのずと性根がござい たくおなりになるよう、うまくお申しあげになる。 ますでしよう」などと申しあげて、「もっとよい猫がこち きりつば 東宮はこの話をよくお聞きになり、桐壺の御方を通して らには幾匹もおりますようですから、これはしばらくの間 ご所望申しあげられたので、先方ではそれをこちらにおさ お預りいたしましよう」と申しあげなさる。一方、心の中 しあげになった。「なるほど、まったく見るからにかわい では、あまりにも愚かしく田 5 わずにはいられない。 い猫ですこと」と人々がおもしろがっているところへ、衛 衛門督はとうとうこの猫を手に入れて、夜も自分のそば えもんのかみ
337 若菜下 いるのだが、あなたが後し こ残って寂しくお思いになるにち 朱雀院の御賀の騒ぎも立ち消えとなった。その院からも、 ; 、ないと、それがおいたわしいあまりにこれまで思いと 上がこのようなご病気の由をお聞きあそばして、お見舞を どまっておりますのに、今度はあなたが逆にわたしをお見 まことに丁重に、たびたびお申しあげになる。 捨てになろうというおつもりなのですか」とばかりおっし 同じようなご容態のまま、二月も過ぎた。殿はいうにい やってお引きとめ申していらっしやるが、いかにも望みの われずご心痛になられて、ためしに場所を変えてごらんに なろうということで、上を二条院にお移し申しあげなさっ持てそうもないくらいお弱りになって、もうご臨終かとお 六条院の内は揺れるような騒ぎで、心を痛める人も多見えになる折もたびたびなので、どうしたものかと、あれ これお迷いになっては、女三の宮の御方には、ほんのしば 冷泉院もお耳になさってお嘆きあそばす。「このお方 らくもお越しにならない。お琴などの興もすっかり冷めき がお亡くなりにでもなったら、院もきっと出家のお志をお 遂げになってしまわれるだろう」と、大将の君なども、懸ってしまい、みな取り片づけられ、院の内の人々はみなこ みずほう ぞって二条院に参上して、六条院では、火の消えたように 命になってお世話申しあげていらっしやる。御修法などは、 ただ御方々ばかりが残っていらっしやって、そうなるとこ 殿のお手配になられたものはもとより、大将ご自身もとく れまでのはなやかさは対の上お一人のご威勢であったのか、 に命じておさせになる。上は多少ご気分のしつかりしてい と思われる。 らっしやる折には、「お願い申しあげておりますことを、 女御の君もお越しになって、殿とごいっしょにご看護申 お許しがないのもつろうございまして」とだけお恨み申し あげていらっしやるけれども、殿は、定命が尽きてお別れしあげていらっしやる。「普通のお体ではいらっしやらな ものけ になる、そのことよりも、目のあたり進んで出家しておし いのに、物の怪など憑いてはほんとに恐ろしいことでござ いますから、すぐにお帰りあそばすよう」と、上は苦しい まいになるご様子を見るのは、とうてい片時も堪えがたく、 な ) ) り ご気分のうちにもお申しあげになる。若宮のほんとにかわ 名残惜しく悲しくてなるまいとお思いになるので、「昔か いくていらっしやるのをごらんになるにつけても、上はひ ら、このわたし自身が、そうした出家の願いを強く抱いて
で」ギ、いましょ , つ、ほかに何もなさらずこ , っしてかかりき いらっしゃれない。ご自分の北の方は、亡き大宮がお教え りで教えておあげになるのですから」とお答え申される。 申されたのであったが、まだ身を入れてお習いにもならな かったうちに、大宮の御もとからお離れ申しあげなさった「そうなのですよ。いちいち手を取るようにして、わたし きん は頼りがいのある師匠というものです。琴の稽古は厄介で ので、十分に稽古をお積みにもならなかったものだから、 夫君の御前では恥ずかしがっていっこうにお弾きにならず、面倒なものですし、それに時間をとられる仕事ですから、 どなたにも教えてさしあげないのですが、院や主上の、 何事もただおっとりと、おおように構えておいでになって、 くらなんでも琴だけは宮にお教え申しあげているだろう、 次々とお子たちのお世話を、休む暇もなくしていらっしゃ との仰せの由を耳にすると、おいたわしいものだから、手 るので、なんの風情もないように感じないではいられない はかかってもせめてそれくらいの仕事だけでも、こうして それでもさすがに、腹を立てたりして何かと嫉妬している のは、愛敬があって憎めないお人柄でいらっしやるようでわざわざ宮のお世話役としてこのわたしにお預けになりま ある。 したので、そのかいのあるところをお見せしなければと発 〔 = = 〕源氏、紫の上と語院の殿は、その夜、東の対へお越し奮してお教え申したのです」などとお話し申される、その ついでに、「昔、まだ幼かったあなたをお世話したものだ りわが半生を述懐するになった。上は、寝殿にお残りにな が、そのころにはなかなか余裕もなかったものだから、落 り、宮にお話などをお申しあげになってから、ご自分のお ち着いて特別にお教え申すようなことなどもなく、また近 部屋には夜明け方お帰りになった。殿とともに日が高くな やす 下 るまでお寝みになる。「宮のお琴の音は、ほんとにお上手ごろになっても、これといったこともなく次々と忙しさに とり紛れては月日を過しておりますので、聞き役になって になられましたね。どうお思いになりましたか」と殿がお 若 尋ね申されるので、「はじめのころ、あちらでちらとうかあげることもできなかったのですが、そのお琴の音が際だ ったできばえであったのも、わたしとしては面目の立っこ 訂がいましたところでは、どんなものかしらと思われました が、今は格別のご上達ではありませんか。それもそのはずとで、大将が耳を傾けてひどく感心していた様子も、願っ
とお思い申しあげていらっしやる。 にお世話申しあげていらっしやる。 夏の御方は、対の上がこうして大勢の孫宮たちのお世話〔三〕源氏、院と宮との朱雀院から、「今はわたしの寿命も ないしのすけばら をなさるのをうらやんで、大将の君の典侍腹の君を、ぜひ 対面のため御賀を計画終りに近いような気がして、何やら 語 物ともと迎え取ってお世話をなさる。まことにかわいらしく、 心細いからーーもうけっしてこの世のことに未練は残すま 氏 そのお人柄も年のわりに利発でおとなしいので、大殿の君 いと覚悟はしてみたものの、やはりもう一度だけは宮に会 源 もおかわいがりになる。以前は御子たちが少ないとお思い っておきたいのですが、その願いのかなわぬためにもしも であったが、末広がりに、あちらこちら御孫がまことにた この世に恨みの残るようなことでもあっては : そう大 くさんおできになっているので、今はただこの御孫たちを げさなことではなくお越しくださるように」とお便りをお かわいがってお世話をなさることで、所在なさも慰めてい 寄せあそばしたので、大殿も、「いかにもごもっともなこ らっしやるのであった。 とです。このような仰せがなくてさえ、こちらから進んで 右大臣が参上してお仕え申しあげなさることも、これま参上なさるべきですのに。なおさらのこと、こうもおいで で以上にお親しさが加わり、今ではその北の方もすっかり をお待ち申していらっしやるとは、おいたわしいことで すき 落ち着かれたお年になられたので、殿もあの昔の好色がます」とお伺いになるよう、その支度をお考えになる。 しいお気持は忘れておしまいになったせいか、何かの折々 大殿は、「これといった折でもなく、また格別の趣向も にお越しになっては、対の上にもご対面になり、申し分の なしには、気軽に参上なさるわけにもいくまい。どんなこ ない睦まじさでお付き合いになっていらっしやるのだった。 とをして、お目にかけたらよいだろう」とあれこれご思案 ただ女三の宮だけは、いつに変らず若くおっとりしておら になられる。ちょうど来年五十歳におなりあそばすのだか れる。女御の君については、今はすっかり帝にお任せ申し ら、若菜などを調理してさしあげてはどうか、とお考えっ あげなさって、この女宮お一人をまことにいじらしくお思 きになって、いろいろの御法服のことやら、精進物をさし いになり、まるで幼い御娘でもあるかのように、たいせつ あげる準備やら、何やかやと俗人の御賀と勝手がちがうこ ( 原文一四二ハー ) むつ