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検索対象: 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)
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1. 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)

おほとの 一鬚黒。源氏への親交が従前に 右の大殿の参り仕うまつりたまふこと 、いにしへよりもまさりて親しく、△フ もまして深まる。互いの権勢を補 すぢ 強しあう関係である。 は、北の方もおとなびはてて、かの昔のかけかけしき筋思ひ離れたまふにや、 ニ玉鬘。右大臣の正妻の座に安 語 たいめん 物さるべきをりも渡りまうでたまひつつ、対の上にも御対面ありて、あらまほし定している。三十二歳。 三六条院で源氏の懸想に苦慮し 源く聞こえかはしたまひけり。姫宮のみぞ、同じさまに若くおほどきておはしまたが、その後源氏も放念した。 五 四女三の宮。降嫁当時の幼さ おほやけ す。女御の君は、今は、公ざまに思ひ放ちきこえたまひて、この宮をばいと心 ( 若菜上四八ハー ) と変らない。 五帝にすべてお任せ申されて。 六死の間近さを直感した表現。 苦しく、幼からむ御むすめのやうに、思ひはぐくみたてまつりたまふ。 以下、女三の宮への消息だが、三 朱雀院の、今はむげに世近くなりぬる心地してもの心細き行後・ : ・たまふべく」で、間接話法。 〔三〕源氏、院と宮との 七執着心の切実な表現。 たいめん 対面のため御賀を計画 を、さらにこの世のことかへりみじと田 5 ひ棄つれど、対面 ^ 現世への強い執着は往生の支 障になる。「もこそ」は懸念の語法。 ひと なんいま一たびあらまほしきを、もし恨み残りもこそすれ。ことごとしきさま九一一品内親王の外出では大仰に なりがち。簡素にと言う。 おとど 一 0 院の意向に全面的に納得。 ならで渡りたまふべく聞こえたまひければ、大殿も、「げにさるべきことなり。 = 「 : ・だに・ : まして : ・」の文脈で、 かかる御気色なからむにてだに、進み参りたまふべきを。ましてかう待ちきこ院への恐縮と厚情を強調的に言う。 三きっかけもなく何の趣向もな いままには気軽に出かけられない。 えたまひけるが心苦しきことーと、参ノりたまふべきこと思しま , つく。 積極的な理由づけを考える。 「ついでなくすさまじきさまにてやは、這ひ渡りたまふべき。何わざをしてか、一三朱雀院は来年五十歳。院のた めに若菜を奉り算賀を催そうとす る妙案。時期はおのずと正月。 御覧ぜさせたまふべき」と思しめぐらす。このたび足りたまはむ年、若菜など ( 現代語訳三一八ハー ) 七 けしき す

2. 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)

ロ絵目次 源氏物語若菜上図色紙 源氏物語若菜上図屏風 : 源氏物語若菜下図色紙 : ・ 〈装丁〉中野博之

3. 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)

凡例・ : 若菜上・ 若菜下・ 校訂付記 : 巻末評論・ 引歌一覧 : 各巻の系図 : 官位相当表・・ 図録・ 目次 原文現代語訳 ・ : 旨三 ・ : 三 0 四 : ・三九五 ・ : 四一六 ・ : 四天

4. 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)

、第物強ツ 0 ぃ 0 た↓ふすら 正月一一十三日、玉鬘は源氏の 四十賀を祝して若菜を贈った。 画面左奥に玉鬘、その右に源 のうし 氏、手前には振分け髪に直衣 を着けた玉鬘の息子たちが連 れられて来て着座している。 四人の前には、若菜を少しす しん っ盛った沈の木の折敷が置か オているこのレつに源氏私 五十四帖の各場面において、 鮎名出所の段を選択すること は少なからす行われたが、 すしもそれがその帖の中心的 テーマにかかわるとは限らな 筆者土佐光吉もさりげな くこの場面を描きなが、らこま やかな情感を漂わせている 源氏物語「若菜上」図色紙 土佐光吉筆 和泉市久保惣記念美術館蔵 おしき

5. 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)

43 若菜上 一 ^ 行事全体をことさら控え目に。 人々参りなどしたまひて、御座に出でたまふとて、侍の君に御対面あり。 内々のことは雅趣豊かにした。 うち いと若一九源氏が 、こしへ思し出づることども、さまギ、まなりけむかし。 御心の中こま、 ニ 0 女は式に参列できない。玉鬘 かぞ は式場とは別の部屋に控えている。 くきよらにて、かく御賀などいふことは、ひが数へにやとおばゆるさまの、な ニ一以下、語り手が源氏の未練の 心を推測し、変らぬ風貌をも叙述。 まめかしく人の親げなくおはしますを、めづらしくて、年月隔てて見たてまっ 一三玉鬘が結婚して二年目になる。 りたまふま、 。いと恥づかしけれど、なほけざやかなる隔てもなくて、御物語聞 = 三養父養女の関係で、僚越しで もなく女房を介した対話でもない。 ニ四 かむ ニ四後文に「二人」。鬚黒との間に こえかはしたまふ。幼き君もいとうつくしくてものしたまふ。尚侍の君は、う 生れた二子。上の子は二年前の十 ちつづきても御覧ぜられじとのたまひけるを、大将の、かかるついでにだに御一月出生。↓真木柱 3 一七七ハー ニ ^ ニ五源氏に心寄せながらも、鬚黒 ふたり なほしすがた の子を続けて産んだのを恥じる。 覧ぜさせむとて、二人同じゃうに、振分髪の何心なき直衣姿どもにておはす。 兵鬚黒は、玉鬘をわがものにし、 よはひ 源氏「過ぐる齢も、みづからの、いにはことに思ひとがめられず、ただ昔ながら続けて出産したのを自慢したい。 毛八歳ごろまでの髪型。両方に の若々しきありさまにて、改むることもなきを、かかる末々のもよほしになむ、振り分け肩のあたりで切り揃える。 わらわのうし 夭いわゆる童直衣。 まう 三 0 なまはしたなきまで思ひ知らるるをりもはべりける。中納言のいっしかと儲けニ九孫たち。玉鬘は源氏の養女 三 0 自分の老齢が たなるを、ことごとしく思ひ隔てて、まだ見せずかし。人よりことに数へとり三一タ霧。昨年四月に結婚。子が あるとするのは、やや不自然 たまひける今日の子の日こそ、なほうれたけれ。しばしは老を忘れてもはべる三 = 玉鬘の若菜進上に感謝しつつ も、老齢を意識させたとして恨む。 かむ べきを」と聞こえたまふ。尚侍の君も、いとよくねびまさり、ものものしき気玉鬘への愛執ゆえの悩みもひそむ。 が おまし 一九 ふりわけがみ ニ六 む 三ニ ニ九 たいめん かぞ

6. 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)

若菜下 わか

7. 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)

わか 若菜上

8. 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)

55 若菜上 うぐひす に友待っ雪ぞ消え残りたる」 ( 家持 へり。鶯の若やかに、近き紅梅の末にうち鳴きたるを、源氏「袖こそ匂ヘーと ニ 0 みす 花をひき隠して、御簾おし上げてながめたまへるさま、ゆめにもかかる人の親天「折りつれば袖こそにほへ梅 の花ありとやここに鶯の鳴く」 ( 古 今・春上読人しらず ) 。 にて重き位と見えたまはず、若うなまめかしき御さまなり。 一九前掲の歌による挙措。 ニ 0 廂と簀子の間の御簾 御返り、すこしほど経る心地すれば、入りたまひて、女君に花見せたてまっ ニ一返事の遅いのも女宮の欠点 ニ四 りたまふ。源氏「花といはば、 かくこそ匂はまほしけれな。桜に移してば、ま一三以下、源氏の機嫌とりの言葉。 ニ三この白梅のように。 ちり た塵ばかりも心わくる方なくやあらまし」などのたまふ。源氏「これも、あまニ四「梅が香を桜の花ににほはせ て柳が枝に咲かせてしがな」 ( 後拾 たうつろはぬほど、目とまるにゃあらむ。花の盛りに並べて見ばや」などのた遺・春上中原致時 ) 。 ニ五多くの花に目移りがしないこ ろに。女三の宮を降嫁させたこと まふに、御返りあり。 の、理屈の立たぬ言い訳でもある。 くれなゐうすやう 紅の薄様にあざやかにおし包まれたるを、胸つぶれて、「御手のいと若きを、ニ六桜の盛りに、桜と白梅を。暗 に女三の宮と紫の上を並べたら好 しばし見せたてまつらであらばや。隔っとはなけれど、あはあはしきゃうなら一対になろう、の意。このあたり、 紫の上が応じない源氏の独り相撲。 毛紫の上に見られないかと。 んは、人のほどかたじけなし」と思すに、ひき隠したまはむも心おきたまふべ ニ ^ 女宮の欠点を隠したい気持 しりめ ニ九浮ついた書きぶりであったら。 ければ、かたそば広げたまへるを、後目に見おこせて添ひ臥したまへり。 三 0 女宮の高貴な身分柄 三一下句が源氏の歌に対応。実際 女三の宮はかなくてうはの空にそ消えぬべき風にただよふ春のあは雪 には乳母の作とみる説もある。 御手、げにいと若く幼げなり。さばかりのほどになりぬる人はいとかくはおは三ニ以下、紫の上の心中。 ニ八 一大 て 三 0 ふ - ) うよ・い ニ三 三一一 そふ ニ九 一八 すのこ

9. 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)

大げさに分け隔てをして、まだわたしには見せてくれない 南の廂にご着席になる。 2 のですよ。あなたが誰よりも先にわたしの年を数えてお祝 式部卿宮は参上しにくいお気持でいらっしやったけれど いしてくださった今日の子の日は、やはりかえって恨めし も、ご招待があったので、殿とこうした近しい御間柄であ 語 物い気持です。しばらくは老いを忘れてもいられたでしよう りながらまいらぬのも、何かわけがあるようにとられるの 氏 に」と申しあげなさる。尚侍の君も、まことに美しく女ざ も具合がわるく、日が高くなってからお越しになった。大 源 ふうさい かりとなり、重々しい風采までそなわってきて、見るには将が殿の御婿という間柄とて、得意そうにして、わがもの りあいのある有様でいらっしやる。 顔にとりしきっていらっしやるのが、いかにもいまいまし わかば 若葉さす野辺の小松をひきつれてもとの岩根をいのる いていたらくと見えるけれど、お孫の若君たちはどちらの 今日かな 筋からも縁続きなので、骨身惜しまず雑用をつとめておい 、一もの おりびつもの ( 若葉が芽ぐむ野辺の小松ー幼い子供たちを引き連れて、も でになる。籠物四十枝、折櫃物四十など、中納一一 = 口をはじめ との岩根ーこの私をお育てくださいましたあなた様の幾久し として、しかるべき方々がみな順々におさしあげになる。 きご繁栄をお祈りにあがった今日なのでございます ) 御盃が流れて、若菜のお汁物を召しあがる。院の殿の御前 じんかけばん と、尚侍の君はしいて母親らしく大人ぶってお申しあげに には、沈の懸盤が四つ並び、食器類も優美に現代風な趣向 じんおしき にととのえられていた。 なる。沈の折敷を四つ並べて、殿は、御若菜をかたちばか さかずき り召しあがる。御盃をお取りになって、殿は、 朱雀院のご不例が、まだすっかりよくおなりあそばさな すゑ 小松原末のよはひに引かれてや野辺の若菜も年をつむ いので、派手なことはひかえて、楽人などはお呼びになら べき ない。お笛などは、太政大臣がそちらのほうをおそろえに ( 小松原ー孫たちの行く末長い齢にひかされて、野辺の若菜 なり、「世の中に、この御賀以上にすばらしく善美を尽さ ーわたしもきっと長生きすることができましよう ) ねばならぬ催しはまたとあるまい」とおっしやって、すぐ かんだちめ などと、詠みかわしていらっしやるうちに、上達部が大勢れた楽器ばかりを前もってご用意になられていたので、ひ ひさし

10. 完訳日本の古典 第19巻 源氏物語(六)

源氏物語 44 ばん さへ添ひて、見るかひあるさましたまへり。 一「若葉さすは若葉が芽ぐむ意。 「小松」は子供をさし、「ひき」と縁 わかば 語。「もとの岩根」は源氏。 玉鬘若葉さす野辺の小松をひきつれてもとの岩根をいのる今日かな ニ恥じながらも強いて母親らし ぢんをしき とせめておとなび聞こえたまふ。沈の折敷四つして、御若菜さまばかりまゐれく大人ぶり、源氏の恋情をそらす。 三「小松原」は孫たち ( 玉鬘の子 り。御土器とりたまひて、 ら ) 。「若菜」は源氏自身。「摘む」 「積む」の掛詞。「小松」「引く」が すゑ 縁語。玉鬘の歌の表現に導かれ、 源氏小松原末のよはひに引かれてや野辺の若菜も年をつむべき 長寿を祈る老齢の身の歌となる。 かむだちめ ひさし 四宮は玉鬘ゆえに娘 ( 鬚黒の北 など聞こえかはしたまひて、上達部あまた南の廂に着きたまふ。 の方 ) が離縁されたので ( 真木柱同 四 五せうそこ 式部卿宮は参りにくく思しけれど、御消息ありけるに、かく親しき御仲らひ〔一一一〕 ~ 〔一四〕 ) 出席しにくい。 五源氏からのお誘い にて、心あるやうならむも便なくて、日たけてぞ渡りたまへる。大将の、した六源氏は宮に冷淡でもあったが、 婿として宮の五十賀も盛大に主催 したこともある。↓少女団〔三 = 〕。 り顔にて、かかる御仲らひに、うけばりてものしたまふも、げに、いやましげな セ躊躇して出かけるのが遅れた。 一一むまご ざふやく るわざなめれど、御孫の君たちは、いづ方につけても、おり立ちて雑役したま ^ 鬚黒。以下「雑役したまふ」ま で、宮の心中に即した叙述。 こものよそえだをりびつものよそぢ ふ。籠物四十枝、折櫃物四十、中納言をはじめたてまつりて、さるべきかぎり、九源氏と鬚黒の、舅・婿の関係。 一 0 すべてをとりしきられるのも。 かはらけ おほむあついもの おまへ ぢんかけ とりつづきたまへり。御土器くだり、若菜の御羹まゐる。御前には、沈の懸 = 鬚黒の前の北の方の子供たち ( ↓真木柱 3 一六二ハー ) 。「いづ方 おほむつき 盤四つ、御坏どもなっかしくいまめきたるほどにせられたり。 につけても」は、鬚黒は父、玉鬘 は義母、紫の上は叔母の関係の意。 たひら がくにん 朱雀院の御薬のこと、なほ平ぎはてたまはぬにより、楽人などは召さず。御三骨身を惜しまず。 かはらけ びん 六