人 - みる会図書館


検索対象: 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)
331件見つかりました。

1. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

こ一ち と人の言ふを、制せで聞く心地。思ふ人のいたく酔ひさかしがりて、同じ事し一自分が愛している人。 ニ酔いのあまりに利ロぶった様 つかひびと たる。聞きゐたるをも知らで、人の上言ひたる。それは何ばかりならぬ使人な子をすることか。 うわさ 三噂をしている人とも噂をされ 子 れど、かたはらいたし。旅立ち所近き所などにて、下衆どものざれかはしたる。ている人とも考えられるが前者か。 草 四自宅以外に泊るのが旅である。 五制止することができないのだ 枕にくげなるちごを、おのれが心地にかなしと思ふままに、うつくしみ遊ばし、 から、その家の下衆どもであろう。 これが声のまねにて、言ひける事など語りたる。才ある人の前にて、才なき人六痛切にかわいい。 セ直訳すれば、物が自然頭に浮 の、物おばえ顔に、人の名など言ひたる。ことによしともおばえぬを、わが歌んでくるというような顔つき。 ^ 史伝などに見える古人の名。 を人に語り聞かせて、人のほめし事など言ふも、かたはらいたし。人の起きて九調律していない琴。「琴」は絃 楽器の総称として用いられる。 ねひ 物語などするかたはらに、あさましううちとけて寝たる人。まだ音も弾きとと一 0 「いとどしう」は「住まぬ」程度 の甚だしさを修飾する。 かた のヘぬ琴を、心一つやりて、さやうの方知りたる人の前にて弾く。いとどしう = しかるべき晴の場所など。 一ニあまりの意外さにあきれてし し、つレ」 まっ・もの。 住まぬ婿の、さるべき所にて舅に会ひたる。 一三飾りとして髪に挿す櫛。っげ や象牙で作り木賊で磨いたという。 一四つかえる意の下二段自動詞。 一〇二あさましきもの 三度が過ぎて大きいさまか 一六堂々として。 あさましきものさし櫛みがくほどに、物にさへて折りたる。車のうち返さ宅「あや」は物事の筋目。筋が通 らない、物の道理がわからない 天幼児。 れたる。さるおはのかなる物は、所せう久しくなどやあらむとこそ思ひしか、 むこ こと 四 ゑ ざえ ね

2. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

の鼻が垂れて、ひっきりなしに鼻をかみながら物を言っ ったい何者が盗んで隠しているのか。飯や酒ならば、ほし まゆげ ている声。眉毛を抜く折の目つき。 くて人が盗むだろうが」と言うのを、また笑う。 によういん 女院がご病気でおいであそばされるということで、方弘 しゅじよう 一三方弘は、いみじく は主上のお見舞の御使いとして参上して帰って来たのに、 まさひろ 1 ) しょ 方弘は、ひどく人に笑われる者だ。親はわが子の笑われ「院の御所の殿上人はだれだれがいたか」と人がたずねる るのをどう聞いているのだろう。供としてついてまわる者と、「その人あの人」などと、四、五人ぐらい言うのに、 たち、そのなかでの、とてもひとかどの人間らしい者を呼「ほかには」とたずねると、「それから寝る人たちがいた」 び寄せて、人々は「どうしてこんな者に使われているのか と言うのをまた笑うのも、また奇妙なことであろう。 ま どう感じられるか」などと言って笑う。方弘の家は衣服な 人のいない間に寄って来て、「あなたさま。何はさてお じようず したがさね どの調製をとても上手にする所で、下襲の色、なども、 いてお話を申しあげましよう。何はさておき、何はさてお 人よりは立派な様子で着ているのを、「これを他の人に聞き、お人がおっしやっておいでのことですぞ」と言うので、 きちょう かせたいものだ」などと、なるほど言葉遣いなどが変だ。 「何事ですか」と言って、几帳のもとに寄ったところ、 とのい からだ ) 一たい 自宅に宮中での宿直の装束を取りに従者を遣わすのに、 「『身体ごとお寄りください』と言うのを、『五体ごと』と ふたり じもく 「おまえたち二人行け」と言うので、「一人でも取って来て 言った」と言って、また笑う。除目の二日目の夜、ともし 段しまいましようのに」と言うと、「変な男だな。一人で一一火にさし油をする時に、灯台の下の敷物を踏んで立ってい ひとますがめ ゆたん しと、つ・ つの物はどうして持っことができるか。一升瓶に、二升は ると、新しい油単なので、襪が、強くひつついてつかまえ 入るか」と言うのを、いったい何を言っているのかわかる られてしまったのだった。しずしずと歩いてもどるので、 第 人はないけれど、ひどく笑う。人が、使いとして来て、 そのまま灯台は倒れてしまった。襪は敷物にくつついて行 5 「ご返事を早く」と言うのを、「ああにくらしい男だな。か くので、ほんとうに方弘の歩く道は震動していた。 くろうどとう まどに豆をくべているのか。この殿上の間の墨や筆は、、 蔵人の頭がご着席にならないうちは、殿上の間の台盤に た めし

3. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

枕草子 198 が、そんな見苦しいことをしていたか。年寄めいてみつと た、かるがるしい女性。土塀の崩れ。 もない人こそ、きまって火鉢のふちに足までもひょいとか にくきもの けて、物を言いながら足をこすったりなどもするようだ。 ながばなし にくらしいもの急用のある時にやって来て、長話をすそんな無作法な者は、人の所にやって来て、座ろうとする ちり る客。それが軽く扱ってもいい程度の人なら、「あとで」所を、まず扇で塵を払って掃き捨てて、座り場所も定まら かりぎめ などと言っても追い帰してしまうことができるであろうけずにふらふらと落ち着かず、狩衣の前の垂れを、膝の下の りつば れど、そうはいっても、気のおける立派な人の場合は、ひ方にまくり入れでもして座るのである。こうしたことは、 言うに足りない身分の者がすることかと思うけれど、いく どくにくらし、 しきぶ たゆう するがぜんじ すみ す すずり らか身分がある者で、式部の大夫とか、駿河の前司などと 硯に髪の毛がはいって磨られているの。また、墨の中に いった人が、そうしたのである。 石がはいっていて、きしきしときしんでいるの。 こうちゅう ひげ しゅげんじやさが また、酒を飲んでわめいて、ロ中をまさぐり、髯のある 急病人があるので、修験者を探し求めると、いつもいる さかずき 所にはいないで、別の所にいるのを探しまわっているうち人はそれを撫でて、杯をほかの人に与える時の様子は、ひ はた どくにくらしい。苦しがって、ロの端をまで引き垂して、 に、待ち遠しくて長い時間がたつが、やっと待ち迎えて、 からだ ものけちょうぶく 相手に「もっと飲め」などときっと言うのであろう、身体 よろこびながら加持をさせるのに、このごろ物の怪調伏に との を震わせて、子どもたちが「こほ殿にまゐりて」などを歌 疲れきってしまったのだったせいであろうか、座るやいな どきよう う時のようなかっこうをする。それは、人もあろうに、ほ や読経が眠り声になっているのは、ひどくにくらしい んとうに身分の高い立派な人が、そうなさったので、気に これということもない平凡な人が、わけもなくしきりに ひばち いらないと思うのである。 にこにこ顔をして物をさかんにしゃべっているの。火鉢の しわ 人のことをうらやましがり、自分の身の上をこばし、他 火ゃいろりなどに、手のひらを裏返し裏返しして、皺を押 し伸ばしなどしてあぶる者。いったいいっ若々しい人など人のことをあれこれ言い、ちょっとしたことも知りたがり ( 原文四五ハー ) ふる な た ひぎ

4. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

枕草子 194 きねん 方に向って、一日中祈念して、お過しあそばされたことも、 ものだと感じられる。 おもむき みやづか 風流でしみじみと趣深いことだ」などとお言葉に出して 「宮仕えをする人は、軽薄だ」などと、よくないことに思 しゅじよう お話しあそばされるのを、主上がお聞きあそばされて、お ったり言ったりしている男性こそは、ひどくにくらしい ほめあそばされ、「村上の帝はどうしてそんなにたくさんしかしそう思うのももっともなことなのだ。宮仕えすれば、 みまきょまき かんだちめてん お読みあそばされたのだろう。わたしは三巻、四巻でさえ このうえなく尊い主上をはじめたてまつって、上達部、殿 じようびと も、読み終えることができないだろう」と仰せになる。 上人、四位、五位、六位、朋輩の女房はいうまでもなく、 「昔はつまらぬ者も、風流で、おもしろみがあったのです顔を合せない人は少ないことであろう。女房の従者たち、 みかわようど ね。このごろは、こんなことは耳にするでしようか」など そうした女房の里の家から来る者たち、長女、御厠人、さ たびしかわら と、御前に伺候する人々や、主上にお仕えする女房でこち ては礫瓦といったような物の数でもない者まで、いつ、そ らに伺うのを許されている人などが参上して、口々に話しれらの人たちを宮仕え人は恥ずかしがって隠れているとい くったく などしている時のありさまは、ほんとうに少しも屈託なく うことがあったろうか。でも一方、宮仕えした女生をわる すばらしく感じられる。 く言う殿方などは、あまりそんなふうにもいろいろな人に 会わないのであろうか。それらの殿方でも、宮中にお仕え 二一生ひさきなく、まめやかに している限りは、おそらく同じことであろう。 おくがた これといった将来の見込みもなく、ただまじめに、ほん 宮仕えをしたことのある人を「奥方」などといって、大 ものでない幸福などを幸福とみて、じっと座って暮してい 切に世話している場合、奥ゆかしい感じがとばしく思われ るような人は、わたしにとっては、うっとうしく軽蔑すべ ようのは、道理であるけれど、内侍のすけなどといって、 さんだい き人のように自然推量されて、やはり、相当な身分の人の時々参内し、賀茂祭の使いなどに出ているのも、名誉でな いことであろうか 娘などは、人の仲間入りをさせて、世間のありさまも見せ な て馴れさせたく、内侍などにも、しばらくさせておきたい 宮仕えのあとで家庭に籠ってどっかと腰をすえてしまう ( 原文三九ハー ) けいべっ とのがた おさめ

5. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

庭におりて、見て立っているのは、とてもやりきれない感 一〇一かたはらいたきもの 2 じで、いまいましく、追いかけて行くけれど、御簾のもと で立ちどまって見るのこそ、今にも飛び出して行ってしま いたたまれない感じのもの来客などに会って話をして 子 いたい気持がするものだ。 いる時に、奥の方でくつろいだ内輪話を人がするのを、止 草 つまらないこと、それに女が腹を立てて、一つ所にも寝めないで聞く気持。自分の思っている人がひどく酔ってえ ふとん ないで、蒲団から身じろぎをして抜け出るのを、男がこっ らそうにふるまって、同じことを繰り返しているの。そば にいて聞いているのをも知らないで、人のうわさをしてい そり引き寄せるけれど、むやみに強情なので、あまりのこ とに思って、男も「それならそのままでよさそうなのだ るの。それはたいした身分の人でもない使用人であるけれ ね」と恨んで、夜具を引きかぶって寝てしまったあとで、 ど、いたたまれない感じがする。外泊をしている家の近い ひとえもの 女は、ひどく寒い折などに、ただ単衣物ぐらいしか着てい 所などで、下男たちがふざけ合っているの。かわいげのな ちのみご い乳呑児を、自分の気持で痛切にかわいいと思うのにまか ないありさまで、ちぐはぐな気持で不愉快がって、たいて こわいろ いだれもが寝ている時に、そうはいうものの起きて座ってせて、かわいがり遊ばせ、その子の声色をまねて、言った いようのも、変なので、夜が更けるにつれて、いまいまし ことなど話しているの。才学のすぐれている人の前で、才 さっき くて、先刻起きて出て行けばよかったのだったなどと思っ学のない人が、物知り顔に、古人の名など言っているの。 て寝ていると、奥の方でも、外の方でも何か音が鳴りなど とりわけてよいとも思われないのに、自分の歌を人に話し して恐ろしいので、そっと、男の方へころがって寄ってい て聞かせて、人がほめたことなど言うのも、聞いてはいら って、夜具を引き上げると、たぬき寝入りをしているのこ れない感じだ。人が起きて話などをしているそばに、あき ねひ そ、ひどくいまいましい。何とまあ、「そのままやはり強れるほどくつろいで寝ている人。まだ音も弾いて整えてい つう 情を張っていらっしやるのがよい」などと言っていること ない琴を、自分の心だけを満足させて、そちらの方面に通 ぎよう よ。 暁している人の前で弾くの。ひどく通ってくることの疎遠 ( 原文一四三ハー ) げなん

6. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

すましてしまおうと思う人が来ている時に、たぬき寝入り 2 をしていると、自分のもとで使っている者たちが、起しに ノにくきもの、乳母の男こそあれ 近寄って来て、寝坊だと思っている顔つきで、引っぱって 子 めのと にくらしいものは、何といっても乳母の夫である。その 揺すぶっているのは、ひどくにくらしい 草 しんぎんもの 新参者がもとからいる人をさし越えて、物知り顔で教え子が女の子である場合は、それでも近くに寄って来ないか 枕 らよい。男の子の場合は、いちずに自分の物として独り占 るようなことを言い、世話をやいているのは、とてもにく めにして、付きっきりで世話をし、ほんの少しでもこの男 そむ きつもん ぎんげん 自分がいま恋人関係にあるころの、その人が、以前に関のお子のお気持に背くような者は詰問し、讒言して、相手 を人間とも思っていない。悪い奴なのだけれど、この男の 係のあった女のことをほめて口に出して言いなどするのも、 それはもう過去のことで、時がたってしまってはいるけれ非難すべき点は、言いたいままに正直に言う人がないもの たいそう だから、得意になって、ご大層な顔つきをして、万事を取 ど、やはりにくらしい。ましてその関係が現在のことであ りしきったりなどすることよ。 るとしたら、そのにくらしさは思いやられる。けれど、そ れは、時と場合によって、それほどでもないようなことも、 二七文ことばなめき人こそ たしかにある。 とな 手紙の言葉がぶしつけな人こそ、なんともひどくにくら くしやみをしてまじないを唱える人。大体、一家の男主 こわだか しい世間をまるでないがしろにしたように書き流してあ 人でなくて、無遠慮に声高くくしやみをしている者は、と る言葉のにくらしさといったら。かといって、たいしたこ てもにくらしい のみ 蚤もひどくにくらしい。着物の下でおどりまわって、着とのない人の所に、あまりかしこまった言葉を使うのも、 いかにもおかしなことだ。しかし、文句のぶしつけな手紙 物を持ち上げるようにするのも、にくらしい。また、犬が は、自分がもらった場合は当然のこと、人の所によこして 声を合せて長々と鳴きたてているのは、不吉な感じで、に くらしい

7. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

つばね 来ているのまでが、にくらしいのである。 そう言ったりしないで、女房の局に召し使われているよう おまえ 大体、対談でも、失礼な言葉は、どうしてこんなふうに な身分の女をまで、「あの御前」とか「君」などと言うと、 言っているのだろうと、はたで聞いても聞くにたえない。 めったにないことでうれしいと思って、そう言ってくれた りつば まして身分のある立派なお方などを、そんなふうに失礼に 人をほめることはたいへんなものである。 わかきんだち 申しあげる者は、本人は利ロぶっているつもりだろうが実 殿上人や若君達のことを言う時は、尊いお方の御前以外 く一よう は、愚か者で、ひどくにくらしい では、官名だけを言う。また、御前で公卿同士で物を言う 男主人などに対してよくない言葉遣いをするのは、とて としても、尊いお方がお聞きあそばすような時には、どう も劣ったしわざだ。自分が召し使っている者などが、自分して自分のことを「まろが」など言おうか。そのように自 こんなふう の夫について「おはする」「のたまふ」など言っているの分の官名を言わないようなのは、にくらしい はペ は、ひどくにくらしい。そうした言葉のあたりに「侍り」 に官名を言おうのには、どうして悪いはずのことであろう という言葉を、代りに置きたいと思って、聞くことが多い のだ。 別にこれということもない平凡な男性が、息を引き入れ なんあいきよう すみ すずり わたしが「まあ何て愛嬌がないこと。どうしてあなたの て作り声をして、優雅めかしているの。墨ののらない硯。 言葉は、ぶしつけなの」などと言うと、そう言われる人も女房が何かと知りたがるの。ただでさえ、たいして好まし 笑う。こんなふうにわたしには感じられるからだろうか。 いとは思えない人力 。ゝ、にくらしく見えることをしているの ひとりぎっしゃ 段 人の言葉とがめをするので、「あまり人をばかにしている」 一人で牛車に乗って見物をする男。いったいどういう身 % などと人から言われる場合まであるのも、その人にとって分の者なのだろうか。陪乗の人が常にいるような尊い身分 ていさい 第 は、きっと体裁が悪いからにちがいない。 の人でなくても、若い男たちで見物したがっている人たち てんじようびと じつみよう 殿上人や参議などを、ただその実名を、少しも遠慮もな などを、どうせ席があいているのなら、陪乗させてでも見 ちゅうちょ みすすきかげ げに言うのは、ひどく聞き苦しいことであるが、躊躇なく ればよいのだ。牛車の御簾の透影として、たった一人ちら

8. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

も語り伝えられるほどに、と一、いに説き出している。とこ でいじりまわし、数珠のすがりを、物を言う時の調子をと 2 るために、話し相手のほうにぶつけてよこしなどして、車ろが、それらの貴公子たちは、説経を聴聞するとて騒がし く行動して礼拝する熱心さの程合いにも似ず、よいかげん のよい悪いをほめたりけなしたりして、そんなことをあれ 子 なんなにがし きよ、つくようほっけはっこう なところで立ち出てゆくという時に、女車どもの方に視線 やこれやして、何の某が行った経供養や法華八講と比較し 草 を流して、自分たち同士で話をしているのも、 ったい何 てどうのこうのと、座り込んでしゃべっているうちに、こ 枕 や、なに、、 しつを言っているのかと思われる。それらの貴公子たちについ の説経のことも耳に入れようとしない。い て、こちらが見知っている人の場合はおもしろいと思うし、 も聞くことなのだから、耳馴れて、きっと珍しくも感じら れないのであろう。 見知らない人の場合は、だれだろうか、あの人かしらこの くろうど そんな蔵人の五位のような者ではなくて、講師が座って人かしらなどと、注目して自然と推量をめぐらすようにな けいひっ るのこそ、おもしろい。「だれだれが説経した、八講をし しばらくするうちに、警蹕の声を申訳ばかりにかけさせる せみ た」などと、人が言い伝える時に、「だれそれはいたか」 牛車をとめておりて来る人々、それは、蝉の羽よりも軽そ さしめきすずしひとえ のうし うな直衣や、指貫、生絹の単衣などを着ている人も、狩衣「どうしていないはずがあろう」などと、いつもきまって すがた 言われているような人は、それは、あまり度が過ぎている。 姿である人も、そんなふうな軽快な服装で若くほっそりし もちろん、どうして、説経の場所に全然顔を出さないでい ている三、四人ぐらいで、それにお供の者がまたそのくら いの人数で入って来るので、もとから座っていた人も、少ようか、顔を出すのは結構なことだ。いやしい女でさえた そうし からだ いへん熱心に聞くようであるものを。だけれど、この草子 し身体を動かして、席のゆとりを作って、高座のそば近い などができはじめたころは、車で出かけて、徒歩で歩く人 柱のもとなどに座らせると、ついでにちょっと立ち寄った おが つばしようぞく とはいえ、さすがに数珠を押しもみ、あわただしく伏し拝はなかった。たまには、壺装束などぐらいをして、優雅に - もの - もう めんぼく んで説経を聞いて座っているのを、講師もきっと面目あるお化粧をしていたものだが、それにしてもそれは物詣でを したのだ。そうした装束で、説経などは、特に大勢出かけ ことのように思うのだろう、どうかして世間に後々までに かりぎめ

9. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

ひとり 「一人しても取りてまうで来なむものを」と言ふに、「あやしのをのこや。一人かせたいものだ」など ( という。 「見せたいものだ」と言うべきなの ふた に ) なるほど、言葉遣いが変だ。 して二つのものをばいかで持つべきぞ。一ますがめに二ますは入るや」と言ふ 一三宮中に宿直する時の衣類など。 つかひ を、なでふ事と知る人はなけれど、いみじう笑ふ。人の、使にて、「御返事と一四「まうで来」は、中古の特殊な 対話敬語。 かまど 一 ^ てんじゃうすみふで びん 三一升瓶。 く」と言ふを、「あなにくのをのこや。竈に豆やくべたる。この殿上の墨筆は、 一六人が、使いとして来て。 いっせい 何者の盗み隠したるそ。飯、酒ならば、ほしうして人の盗まめ」と言ふを、ま一斉にばちばちとはじけ出す ことから忙 - し / 、せかす・ことにたと えた。 た笑ふ。 一 ^ 殿上で見つからないのでいう。 にようゐん てんじゃうびと 女院なやませたまふとて、御使にまゐりて来たる、「院の殿上人はたれたれ せんし 一九東三条女院詮子。一条天皇生 母。兼家二女。 かありつる」と人の問へば、「それかれ」など四五人ばかり言ふに、「または」 ニ 0 方弘がお見舞の勅使として参 と問へば、「さてはぬる人どもそありつる」と言ふをまた笑ふも、またあやし上して、帰って来たのに対して。 三それから寝る人 ( 宿直して寝 き事にこそはあらめ。 ている人の意か ) たちがいた 一三宿直中に寝るのは不謹慎だの 段ひとま にただ笑うだけなのは変だの意か 人間に寄り来て、「わが君こそ。まづ物聞えむ。まづまづ人ののたまへる事 ニ三身体ぐるみ。だが「むくろご きちゃう め」も中古文献に聞きなれぬ語。 ぞ」と言へば、「何事にか」とて、几帳のもとに寄りたれば、「『むくろごめに あがためし 第 ニ四春の県召の除目は正月十一日 から三夜行われるが、その第二夜。 寄りたまへ』と言ふを、『五体ごめに』となむ言ひつる」と言ひて、また笑ふ。 一宝「つる」は「たてる」の誤写か。 1 ぢもくなかよ とうだいうちしきふ ひとえ 除目の中の夜さし油するに、灯台の打敷を踏みてつるに、あたらしきゅたなれ = 六油単。単布に油を引いた敷物。 ふた 一四 ひと きこ かへりごと

10. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

うそうあっさり離れて行ってしまえそうもない者は、来年 いだと、胸をどきどきさせて来たのに、何もないのは、ほ けつかん の闕官予定の国々を、指を折ってかそえたりして、ひょろんとうに興ざめである。 ひょろあたりをうろついている、その様子はとても気の毒 婿を取って、四、五年までも子どもがなく産屋の騒ぎを で、興ざめに見える。 しない家。もう成人した子どもがあり、悪くすると孫たち まずまず一通りに詠んである、と思う歌を、人のもとに が這いまわっていそうな年の、人の親同士が、昼間に寝て 贈ったのに、返歌をしないの。恋の手紙は返事がなくても いるの。だいたいが、かって子どもであった年ごろの気持 ふぜい どうもしかたがない。でも、それでさえも、季節が風情が にしても、親が昼寝しているのは、頼りどころがなく、そ ありなどする時に贈った手紙に返歌をしないのは、予想よれこそ興ざめなものであった。寝て起きてすぐ浴びる湯は、 り劣った感じがする。また、忙しく時勢に合って栄えてい 興ざめどころか腹立たしいまでに感じられる。十二月の末 しよぎい しようじん る人の所に、古めかしい人が、自分の、所在なくて暇が多の長雨。こういうのを百日ぐらいの精進の怠りというべき しらがさねちち いのにまかせて、昔風で、特にどうということもない「歌であろうか。秋八月に着る白襲。お乳が出なくなってしま めのと 詠みーをしてよこしているの。 っている乳母。 ぎようじ おうぎ 何かの行事の折、扇を大切にと思って、その方面に趣味 一一三たゆまるるもの があると知っている人にわたしておいたのに、その当日に なって意外な絵などを描いてあるのを自分のものとしたの。 自然に気がゆるむもの精進の日のお勤め。当日までに せんべっ 段うぶやしない 産養や、旅立ちの餞別などの、物を持って来る使いに 長い期間があることの準備。寺に長い間籠っているの。 しゅうぎ くすだまうづち 四ご祝儀などを与えないの。ちょっとした薬玉や卯槌などを 二四人にあなづらるるもの 第 持って歩きまわる者にも、必ず与えるべきである。思いが きよう けないことでもらったのは、たいへん興のあることだと思 人にばかにされるもの家の北側。あまりにも気がいし っている。一方、今日は必ずご祝儀をいただけるはずの使人だと人に知られている人。年をとっているじいさん。ま むこ - 一も うぶや