殿上人 - みる会図書館


検索対象: 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)
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1. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

かん したことがおありにならないのか」と心もとない気がする。御使いがしきりにある、その間、たいへん騒がしい。お迎 えんどう ひつじ 未の時ぐらいに、「筵道をお敷き申しあげるーと声がすえに、主上付きの女房、東宮方の女房なども参上して、 きぬ 「早く」とおのばりをおすすめ申しあげる。「先に、それで ると間もなく、主上がお召物の衣ずれの音をおさせになっ しげいしゃ おもや は、あの淑景舎の君をあちらへお行かせ申しあげなさって、 てお入りあそばされたので、中宮様もこちらの母屋のほう みちょうだい ふたかた それから」と殿に中宮様が仰せあそばすと、「それでもど にお移りあそばされた。そのまま御帳台にお二方がお入り わたくし ひさし うして私が先には」と淑景舎のお言葉があるのを、「やは あそばされたので、女房は南の廂に衣ずれの音をさせて出 てんじようびと りあなたをお見送り申しあげましよう」などと中宮様が仰 た。廊や馬道に、殿上人がとてもたくさんいる。殿の御前 しき に、職の役人をお呼び寄せになって、果物や酒の肴を取りせあそばす折のその場の様子など、とてもおもしろく、す かた よ ばらしい。「それならば遠いお方を先に」ということで、 寄せさせなさる。殿は「みなを酔わせよ」などと仰せにな はじめに淑景舎がそちらへお越しになって、殿などがその る。ほんとうにみな酔って、南の廂の女房と話をかわすこ お供から中宮様のもとへおもどりあそばされてから、中宮 ろは、互いにおもしろいという気分になっている。 日がはいるころに主上はお起きあそばされて、山の井の様はおのばりあそばされる。そのお供の道中も、殿のおど けたご冗談に、女房たちなどはひどく笑って、ほとんどう 大納言をお呼び入れなさって、お召替えに奉仕おさせにな って、お帰りあそばされるので、殿の大納一言、山の井の大ち橋からも落ちてしまいそうである。 さんみ くらかみ 納言、三位の中将、内蔵の頭などみなお供申しあげなさる。 せいりようでん 一〇九殿上より 段 中宮様が今夜清涼殿におのばりあそばされるようにとの てんじようま うまないし 殿上の間から、梅の花が散っているのに、「以下脱文ガ 主上の御使いとして、馬の内侍のすけが参上していらっし くろど しぶ 第 アロウ〔その詩を誦んじて、黒戸に殿上人がとてもたくさ やる。「今晩はとても」などとお渋りあそばすのを、殿が しゅじよう ん座っているのを、主上がお聞きあそばしていらっしやっ お聞きあそばして、「はなはだよくないことだ。早くおの とうぐう て、「並一通りの歌などを詠んでいようのよりも、こうい ばりあそばせ」と申しあげなさっていると、また、東宮の めどう さかな

2. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

( 原文八五ハー ) いあそばされる。そうしてお立ちあそばされる時に、「二 ったのに、そんなにじっくりとは」と言う。「『女は寝起き つばね の顔が、とてもいい』ということだから、ある人の局に行 人とも、さあ」と、参上をお命じあそばすので、「ただい って、のぞき見をして、また、ひょっとしてあなたの顔が ま、顔など整えましてから」といって参上しない 主上と中宮様が奥にお入りあそばされてから、やはりす見られるかもしれないと思って、やって来てしまったので しゅじ・よろ′ ばらしい御ありさまのあれこれを、わたしは式部のおもとす。まだ主上がおいでになっている時からそのままいるの きちょう と、話し合って座っている時に、南の引戸のそばに、几帳を、あなたは気づくことができなかったのですね」と言っ すだれ すだれ の手のつき出ているのにつかえて、簾が少しあいている所て、それからのちは平気で、わたしの局の簾をおくぐりに のりたか なって中に入りなどなさるようだった。 から、黒ずんだ物が見えるので、則隆が座っているのだろ うと思って、気をつけて見もしないで、やはりいろいろな 五八殿上の名対面こそ ことを話していると、たいへんにこにこしている顔が、差 てんじようなだいめん し出たのを、「則隆なのだろう、それは」と思ってそちら 殿上の名対面こそは、やはりおもしろいものだ。主上の くろうど に目を向けたところ、別の顔である。あきれたことだと笑御前に人ー点呼の番の蔵人ーが伺候している時には、殿上 の間に立ちもどらず御前に侍するままで点呼をとるのもお ってさわいで、几帳を引きなおして隠れるけれど、それは もしろい。殿上人たちの足音がして、どやどやと出て来る 頭の弁でいらっしやったのだった。顔を見られ申しあげな こきでんうえみつばねひがしおもて いようにしようとしていたものをと、たいへん残念だ。一 のを、弘徽殿の上の御局の東面の所で、耳をすましてわた 段 緒に座っている人は、こちらに向いて座っているので、あ したち女房が聞いているのに、その中のだれか自分のひそ ちらからは顔も見られない。頭の弁は立ってこちらに姿を かに知っている人の名告りには、さだめしはっとして胸が 第 つぶれていることであろう。また、それつきり生きている 現して、「全くあますところもなく見てしまったことだ」 とも聞いていない人の名告りをも、この折に聞きつけたよ とおっしやるので、「則隆と思っておりましたので、気を ゆるしていたのですよ。どうして、『見まい』とおっしゃ うな時にはどう感じられることだろう。名告りようのよい ふた

3. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

いるので、みなが笑うと、「ちょっとお待ちなさい。『どう ではない」などと言うので、人をやって見させなどすると、 よ してそんなに夜 ( 世 ) を見捨てて急いで行くのか』という 言い当てた者は「それだからこそ言ったのよ」などと言う ことがあるようですよ」などと言うけれど、気分などが悪のも、おもしろい ありあけ いのだろうか、倒れてしまいそうなほどに、もしや人が追 有明のころのひどく霧が立ちこめている庭などにおりて、 いかけてつかまえるのか、と見えるまで、あわてて退出す女房たちが歩きまわるのをお聞きあそばされて、中宮様に る人もあるようだ。 おかせられてもお起きあそばしていらっしやる。当番で御 ーに詰めている女房たちは、みな庭におりなどして遊ぶう さえもん 八〇職の御曹司におはしますころ、木立など ちに、しだいに明けはなれてゆく。「左衛門の陣を、行っ しきみぞうし こだち 職の御曹司に中宮様がおいであそばすころ、庭の木立な て見物しよう」と言って行くと、われもわれもと後を追っ てんじようびと ど、はるばると奥深く古色を帯びて茂り、建物の様子も、 て続いて行く時に、殿上人が大勢で、「なになに一声の秋」 ぎん みぞうし 高くて何となく親しみが持てない感じだけれど、どういう と詩を吟じてこちらへ入って来る音がするので、御曹司の むしよう おもや わけか無性におもしろく感じられる。母屋は、鬼がいると内に逃げ込んで、その殿上人たちと女房たちが物などを言 いうので、みな、そちらを仕切って外側へ建増しして、南う声が聞える。「月を見ていらっしやったのですね」など ひさしま みきちょう またびさしま の廂の間に中宮様の御几帳を立てて御座所とし、又廂の間 と感心なさる殿上人もある。夜も昼も、殿上人の訪れの絶 さんだい このえみかど さえもん かんだちめたいげ さんだい に女房は伺候している。参内のため近衛の御門から左衛門 える時がない。上達部も退下したり参内したりなさる時に、 かんだちめごぜんく けいひっ 段 の陣にお入りになる上達部の御前駆たちの警蹕の声、それ特別のことがなく急ぐことのない方は、必ずこちらの職に おおさき にくらべて殿上人のそれは、短いので、大前駆、小前駆、 参上なさる。 第 とそれそれ名前をつけて、聞きなれてたび重なるので、そ 八一あぢきなきもの の声々も自然みな聞き分けられて、「それはだれそれ、あ れはだれそれよ」とも言うのに、また、他の女房が「そう 無意味でどうしようもないものわざわざ思い立って、 しき

4. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

一登華殿からは東宮御所のほう りともいかでか」とあるを、「なほ見送りきこえむ」などのたまはするほど、 が清涼殿よりも遠い しげいしゃ いとをかしう、めでたし。「さらば遠きを先に」とて、まづ淑景舎わたりたまニ仮に板でかけた橋。先に見え た登華殿と弘徽殿の間の切馬道。 子 ひて、殿など帰らせたまひてそのばらせたまふ。道のほども、殿の御さるがう 0 長徳元年 ( 究五 ) 二月の中宮と淑 草 景舎の対面を機とする道隆一家の ごと 栄華のさま。道隆はこのあとわず 枕言に、いみじく笑ひて、ほとほとうち橋よりも落ちぬべし。 か二か月、四月十日に薨じた。 三「その詩」とは何をさすかわか らない。三巻本に「殿上より梅の 一〇九殿上より みな散りたる枝を、『これはいか が』と言ひたるに、ただ『早く落ち てんじゃう たいゅうれい にけり』 ( 「大嶺ノ梅ハ早ク落チ 殿上より、梅ノ花の散りたるに、その詩を誦して、黒戸に殿上人いとおほく ヌ。誰カ粉粧ヲ問ハン」〔和漢朗 ゐたるを、うへの御前聞かせおはしまして、「よろしき歌などよみたらむより詠集・柳大江維時〕による ) とい らへたれば、その詩を誦して」と ある。能因本の脱落であろう。 も、かかる事はまさりたりかし。よ , ついらへたり」と仰せらる。 四清涼殿の北の廊にある戸。こ こはその戸のある部屋。 五主殿寮の役人。 一一〇二月つごもり、風いたく吹きて 六今の「ごめんくださいーという えんじ 挨拶の語に当る。「し」は衍字か 二月つごもり、風いたく吹きて、空いみじく黒きに、雪すこしうち散るほど、セ関白太政大臣頼忠の長男。当 時歌壇の第一人者。宰相は参議の きんたふ とのもりづかさ さぶら 黒戸に主殿寮来て、「かうして候ふ」と言へば、寄りたるに、「公任の君、宰唐名。正暦三年 ( 究 = ) 参議、長保 三年 ( 一 00D 八月中納言、寛弘六年 ふところがみ しゃうの ( 一 00 九 ) 権大納言、公任と宰相中将 相中将殿の」とあるを見れば、懐紙に、ただ、 ( 現代語訳一一七四ハー ) ず 四 くろど 著一い 第一う

5. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

の鼻が垂れて、ひっきりなしに鼻をかみながら物を言っ ったい何者が盗んで隠しているのか。飯や酒ならば、ほし まゆげ ている声。眉毛を抜く折の目つき。 くて人が盗むだろうが」と言うのを、また笑う。 によういん 女院がご病気でおいであそばされるということで、方弘 しゅじよう 一三方弘は、いみじく は主上のお見舞の御使いとして参上して帰って来たのに、 まさひろ 1 ) しょ 方弘は、ひどく人に笑われる者だ。親はわが子の笑われ「院の御所の殿上人はだれだれがいたか」と人がたずねる るのをどう聞いているのだろう。供としてついてまわる者と、「その人あの人」などと、四、五人ぐらい言うのに、 たち、そのなかでの、とてもひとかどの人間らしい者を呼「ほかには」とたずねると、「それから寝る人たちがいた」 び寄せて、人々は「どうしてこんな者に使われているのか と言うのをまた笑うのも、また奇妙なことであろう。 ま どう感じられるか」などと言って笑う。方弘の家は衣服な 人のいない間に寄って来て、「あなたさま。何はさてお じようず したがさね どの調製をとても上手にする所で、下襲の色、なども、 いてお話を申しあげましよう。何はさておき、何はさてお 人よりは立派な様子で着ているのを、「これを他の人に聞き、お人がおっしやっておいでのことですぞ」と言うので、 きちょう かせたいものだ」などと、なるほど言葉遣いなどが変だ。 「何事ですか」と言って、几帳のもとに寄ったところ、 とのい からだ ) 一たい 自宅に宮中での宿直の装束を取りに従者を遣わすのに、 「『身体ごとお寄りください』と言うのを、『五体ごと』と ふたり じもく 「おまえたち二人行け」と言うので、「一人でも取って来て 言った」と言って、また笑う。除目の二日目の夜、ともし 段しまいましようのに」と言うと、「変な男だな。一人で一一火にさし油をする時に、灯台の下の敷物を踏んで立ってい ひとますがめ ゆたん しと、つ・ つの物はどうして持っことができるか。一升瓶に、二升は ると、新しい油単なので、襪が、強くひつついてつかまえ 入るか」と言うのを、いったい何を言っているのかわかる られてしまったのだった。しずしずと歩いてもどるので、 第 人はないけれど、ひどく笑う。人が、使いとして来て、 そのまま灯台は倒れてしまった。襪は敷物にくつついて行 5 「ご返事を早く」と言うのを、「ああにくらしい男だな。か くので、ほんとうに方弘の歩く道は震動していた。 くろうどとう まどに豆をくべているのか。この殿上の間の墨や筆は、、 蔵人の頭がご着席にならないうちは、殿上の間の台盤に た めし

6. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

はとてもすばらしいのである。暗くなって読めないので、 三年ぐらいの間を、身なりが悪く、衣服などの色が劣って とうみ、よう・ てんじよう たきものこう いて、薫物や香などが並々である、といったさまで、殿上「どうした、御読経の灯明が遅い」などと言って、みなが じよしやく ひとなかご で人中に伍していようのは、言うかいもないものだ。叙爵読みやんでいる間、才学のある法師だけは声をひそめてあ 子 そら との文句を空で読みつづけて座っていることよ。 して、殿上をおりることが近くなろう時でさえも、命より 草 きさき ぎようけいおんうぶやりつこう 后の昼間の行啓。御産屋。立后の作法。立后の時には獅 はもっと惜しく思われるはずのことなのに、臨時に蔵人在 みちょうだい こまいめだいしようじ 任の労に賜る官職などを申請して、あたふたしているのこ子、狛犬、大床子などを持って伺って、御帳台の前に設け ないぜんしかまどがみ そは、ひどく残念なことだ。昔の蔵人は、おりる年の春かすえ、内膳司が竈神の霊をお移し申しあげなどしているの は、以前姫君などと申しあげた普通の人とは全くお見えあ らこそもう泣き出したものなのに、当世の蔵人は、目の前 そばさない。 の世の事を目ざしてわれがちにと競走をするとか。 さんけいえびぞめ かすがみようじん 摂政・関白の御外出や、春日明神への御参詣。葡萄染の 才学のある人は、とても立派だというのも一通りすぎる。 顔はとてもにくらしそうであり、身分も低くあるけれども、織物。すべて紫色であるのは、何でもかでもすばらしくこ またこれといって特別なことは何もないけれども、世の中そあるのだ。花も、糸も、紙も。紫の花の中では、かきっ ばたは、形が少しにくらしい。色はすばらしい。六位の宿 で尊重すべきものと高貴な方がおばしめして、その結果、 いすがた 高貴な方の御前に近く参上し、しかるべきことなどおたず直姿のおもしろいのにつけても、それは紫のせいであるよ きんじようみかど じどく うだ。広い庭に雪の降りしきっているの。今上の帝の一の ねあそばされる御侍読として伺候するのは、すばらしいも がんもん のと感じられる。願文も、またしかるべき詩歌の序を作り宮さまの、まだ幼児でいらっしやるのが、御おじにー上達 め 出してほめられるのは、とてもすばらしい 部などの若々しくきれいな方にーお抱かれあそばされて、 おんうま てんじようびと 法師で才学のあるのは、全く改めて言うまでのこともな殿上人などをお召し使いになり、御馬を引かせて御覧あそ じきようじゃ ばして、お遊びになっていらっしやるのは、何の思うこと 持経者が一人で読む時よりも、大勢の中で、時などが みどきよう きまっている御読経などにおいて、やはり才学のある法師もおありになるまいと感じられる。 し かんだち し との

7. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

ひとり 「一人しても取りてまうで来なむものを」と言ふに、「あやしのをのこや。一人かせたいものだ」など ( という。 「見せたいものだ」と言うべきなの ふた に ) なるほど、言葉遣いが変だ。 して二つのものをばいかで持つべきぞ。一ますがめに二ますは入るや」と言ふ 一三宮中に宿直する時の衣類など。 つかひ を、なでふ事と知る人はなけれど、いみじう笑ふ。人の、使にて、「御返事と一四「まうで来」は、中古の特殊な 対話敬語。 かまど 一 ^ てんじゃうすみふで びん 三一升瓶。 く」と言ふを、「あなにくのをのこや。竈に豆やくべたる。この殿上の墨筆は、 一六人が、使いとして来て。 いっせい 何者の盗み隠したるそ。飯、酒ならば、ほしうして人の盗まめ」と言ふを、ま一斉にばちばちとはじけ出す ことから忙 - し / 、せかす・ことにたと えた。 た笑ふ。 一 ^ 殿上で見つからないのでいう。 にようゐん てんじゃうびと 女院なやませたまふとて、御使にまゐりて来たる、「院の殿上人はたれたれ せんし 一九東三条女院詮子。一条天皇生 母。兼家二女。 かありつる」と人の問へば、「それかれ」など四五人ばかり言ふに、「または」 ニ 0 方弘がお見舞の勅使として参 と問へば、「さてはぬる人どもそありつる」と言ふをまた笑ふも、またあやし上して、帰って来たのに対して。 三それから寝る人 ( 宿直して寝 き事にこそはあらめ。 ている人の意か ) たちがいた 一三宿直中に寝るのは不謹慎だの 段ひとま にただ笑うだけなのは変だの意か 人間に寄り来て、「わが君こそ。まづ物聞えむ。まづまづ人ののたまへる事 ニ三身体ぐるみ。だが「むくろご きちゃう め」も中古文献に聞きなれぬ語。 ぞ」と言へば、「何事にか」とて、几帳のもとに寄りたれば、「『むくろごめに あがためし 第 ニ四春の県召の除目は正月十一日 から三夜行われるが、その第二夜。 寄りたまへ』と言ふを、『五体ごめに』となむ言ひつる」と言ひて、また笑ふ。 一宝「つる」は「たてる」の誤写か。 1 ぢもくなかよ とうだいうちしきふ ひとえ 除目の中の夜さし油するに、灯台の打敷を踏みてつるに、あたらしきゅたなれ = 六油単。単布に油を引いた敷物。 ふた 一四 ひと きこ かへりごと

8. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

まじきことです。まあよい、ほかの時は知らないが、今宵 一〇五御方々、君達、上人など、御前に は詠め」とお責めあそばされるけれど、きつばりと聞き入 てんじようびと お身内の方々、若君たち、殿上人など、御前に人が大勢 れもしないでイ 寺していると、別の人たちは歌を作って出し て、よしあしなどをお決めになるころに、中宮様はちょっ伺候しているので、廂の間の柱に寄りかかって、女房と話 をして座っていると、中宮様が物を投げてお与えくださっ としたお手紙を書いてわたしにお下げ渡しになった。あけ ている、それをあけて見ると、「そなたをかわいがるのが て見ると、 - もレ . 一すけ よいか、それともいやか。第一番でないならばどうか」と 元輔がのちといはるる君しもや今宵の歌にはづれては をる おたずねになっていらっしやる。 ( 人もあろうに歌詠みの元輔の子と言われるそなたが今宵の 御前で話などをする時、話のついでにも、「万事、人に っこ , つど , っし 歌に加わらないでひかえているのか ) は第一番にかわいがられるのでなくては、、 ようもない。ただひどくにくまれ、悪く扱われているほう と書いてあるのを見るのに、おもしろいことは比べるもの なん 、刀 . し . し 二番三番では、死んでも、かわいがられないでい もないほどだ。ひどく笑うので、「何だ何だ」と、内大臣 さまもおっしやる。 るつもりだ。第一番でどうしてもいよう」などと言うので、 いちじよら′ 「それは一乗の法だ」と女房たちが笑う、あの話の筋であ 「その人ののちといはれぬ身なりせば今宵の歌はまづ くほんれんだい そよままし るようだ。筆と紙をいただいたので、「九品蓮台の中では、 げばん 段 ( もしも私がだれそれの子と言われない身だったら今宵の歌たとい下品といっても」と書いて差しあげたところが、 はまっ先に詠むことでございましようのに ) 「ひどく意気地がなくなってしまったのだね。たいへん劣 第 った考えだ。いったん言いはじめてしまったことは、その 遠慮することがございませんなら、千首の歌であっても、 ままでこそ押し通すのがよい」と仰せあそばすので、「相 こちらからロをついて出てまいることでございましようの 手によりましてこそ」と申しあげる。「それがよくないの に」と申しあげた。 せ ひさしま

9. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

ぎようじ ちょうだいこころ ものいみふだ 帳台の試みの夜、行事の蔵人がとてもきびしい態度をと などが、さまざまな色の小切れを、物忌の札のようにして、 ふたり C.D さいし 釵子を着付けているのなども、珍しく見える。清涼殿の仮って、「理髪の役の女房二人、童女よりほかは入ってはい もとゆい ぞめ そりはし けない」と言って押えて、小面にくいほどにまで言うので、 の反橋の上に、結い上げた髪の元結のむら染が、とてもく 子 殿上人などが、「でもやはりこの人一人ぐらいは」などと つきりとした様子で、この人たちが出て座っているのも、 草 おっしやる。「他からうらやましがられます。どうして入 何かにつけてただもうおもしろく見える。臨時に出仕した がんこ う - 入、うし れられましよう」などと頑固に言い張る時に、中宮様の御 上雑仕や童女たちが、たいした晴れがましさだと思ってい かた おみごろもやまあい るのも、まことにもっともである。小忌衣の山藍や、冠に方の女房が二十人ぐらい一団となって、物々しく言ってい ゃないばこ る蔵人を無視して、戸を押しあけて小声でひそひそ言いな つける日陰のかずらなどを、柳筥に入れて、五位に叙せら がら入るので、蔵人はあっけにとられて、「全くこれはど れた男が持ってまわるのも、たいへんおもしろく見える。 おうぎ ひょ - っーレ た てんじようびとのうし うしようもない世の中だ」と言って、立っているのも、お 殿上人が直衣を脱いで垂れて、扇や何やとを拍子に使って、 かいぞえ もしろい。その後について、介添の女房たちもみな入る。 「つかさまされとしきなみそたっ」という歌をうたって、 しゅじよう それを見る蔵人の様子はひどくいまいましそうだ。主上も 五節の局々の前を通るころはすばらしく、舞姫に立ち添っ おいであそばして、たいへんおもしろいと御覧あそばして ていよう人の心がきっと騒ぐにちがいないことだ。まして いらっしやることだろ , つ。 殿上人が、どっと一度に笑いなどしているのは、ひどく恐 とうだい わらわまい 童舞の夜は、たいへんおもしろい。灯台に向っているい ろしい くろうどかいねりがさね くつもの顔も、たいへんかわいらしげでおもしろいものだ 事に当る蔵人の掻練襲は、何物にもましてきれいに見え しとね る。褥などが敷いてあるけれど、かえってその上に座って いることもできず、女一房が出て座っているありさまを、ほ 九七無名といふ琵琶 めたりけなしたりして、このころは他のことは念頭にない びわ むみよう 「無名という名の琵琶の御琴を、主上がお持ちになってこ よ , つだ。 ゅ こづら おん

10. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

て、聞きなれてあまたたびになれば、その声どももみな聞き知られて、「それ一「それはかれぞ」の意ともみら れるが、「それぞかれそ」の脱であ かれそ」とも言ふに、また「あらず」など言へば、人して見せなどするに、言ろうか。一一一巻本「それぞかれそ」。 子 ニそうではない。 ひ当てたるは「さればこそ」など言ふも、をかし。 三空に月があるまま夜の明ける 草 頃。陰暦十六日以後の月の頃。 ありあけ おまへ 四中宮の御前に詰めている宿直 枕有明のいみじう霧りたる庭などにおりてありくを聞しめして、御前にも起き の女房。 四 させたまへり。うへなる人は、みなおりなどして遊ぶに、やうやう明けもて行五左衛門の陣を、行って見物し よう。「まかる」は、自己の「行く」 さゑもんぢん お を謙譲していう対話敬語。 。「左衛門の陣まかりて見む」とて行けば、われもわれもと追ひつぎて行く 六「追ひ継ぎ」。一説「追ひ付き」。 てんじゃうびと ひとこゑのあきず おと ひや さんふく に、殿上人あまたして、「なにがし一声秋」と誦んじて入る音すれば、逃げ入セ「池冷ャカニシテ水ニ三伏ノ 夏無シ、松高ウシテ風ニ一声ノ秋 よるひる りて、物など言ふ声。「月見たまひける」などめでたまふもあり。夜も昼も殿有リ」 ( 和漢朗詠集・納涼源英明 ) 。 「なにがし」は、わざとおばめかし かんだちめ九 上人の絶ゆるよなし。上達部まかでまゐりたまふに、おばろけにいそぐ事なきて記したもの。 ^ 三巻本は「声」がない。仮に かならずまゐりたまふ。 「声」の下に「聞ゅ」を補って解く。 九退下したり参内したりなさる。 一 0 一通りで。並々で。 = こちらの職に参上なさる。 八一あぢきなきもの 一ニ筋道に添っていなくて無益だ、 無意味でつまらない、どうしよう みやづか ものう もない、などの意という。 あちきなきものわざと思ひ立ちて、宮仕へに出でたる人の、物憂がりて、 一三やっかいな。煩わしい うるさげに思ひたる。人にも言はれ、むつかしき事もあれば、「いかでかまか一四退出してから。 しき