能因本 - みる会図書館


検索対象: 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)
321件見つかりました。

1. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

秋は夕暮。ゅふ日のきはやかにさして山のはちかくなりたるに、烏のね にゆく三つ四つふ いとちひさくみゆるは、 たつみつなど、飛び行くもあはれなり。まして雁のおほく飛びつれたる いとをかし。日入りはててのち、風のおと、虫の声などは、いふべきにもあらずめでたし。 冬はっとめて。雪の降りたるにはさらにもいはず。霜のいと白きも、又さらねどいとさむきに、火な どいそぎおこして、すみもてありきなどするみるも、いとっきっきし。ひるになり、ぬれのやう / 、ぬ るくゆるいもていにて、雪も消え、すびつ、火をけの火も、しろきはひがちになりぬればわろし。 こう並べてみれば、その差のはげしさはわかるであろう。この程度の差は、ほば全章段を通じてみられる のであるが、この四種の本のうち、どの本が、より正しく、より原本に近いかということは容易に定めがた いことで、諸家諸説がある。しかし現在ほば通説といわれているものは、もし三巻本を原作者の初稿本とす れば、能因本はその再稿本であり、堺本は後世の人の改作増補本、前田家本は能因本と堺本との合成本であ るということにあるようである。以下、各種の本のあらましについてごく簡単に解説する。 三巻本系統本 現存諸伝本の多くが三冊に分れているのでこう呼ぶ。安貞二年 ( 一 = = 0 の耄及愚翁 ( 藤原定家の自称か ) の 奥書を持っ本の伝写本であるが、書写の時代は室町末期をさかのばるものはない。能因本系統本と比べると、 説 語句の形態に古態を見いだすことが多いといわれる。ただそれは総体としてのことであって、個々の章段に さくそう 解っいては、彼此優劣が錯綜していて、必ずしも常に三巻本本文が能因本本文に立ちまさっていると断じきれ 5 ないことは、前掲の第一段の本文をながめてみても諒解できるであろう。そしてそれは三巻本本文、能因本 本文相互だけのことではなく、前田家本本文、堺本本文のなかからも、三巻本本文、能因本本文にまさると

2. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

7 凡例 凡例 一、本書の底本には学習院大学蔵三条西家旧蔵の室町時代の書写本を用いた。「能因が本」を写したとする 奥書があるのに拠って通称「能因本」といわれる。近世から昭和十年代まで広く行われた北村季吟 ( 一六 = 四 ~ 一七 0 五 ) の著『枕草子春曙抄』の本文の源をなす本である。『春曙抄』の本文が、能因本の本文に、三巻 本などを参考にして、みだりに変改の手を加えた不純本であるのにくらべて、この本は純粋度が高い本文 を保持しているが、それまでの伝写の間に、やや粗雑な書写を経過したことがあったらしくて、魯魚章草 の誤りや脱字なども少なくはないようである。従って、それらの事情によって生ずる意味不通の箇所など については、ほば確実と考えられる範囲内で、他の若干の伝本に拠り、またきわめて稀には意によって推 測して、最小限度の校訂を試みた ( なお「校訂付記」参照 ) 。 一、学習院大学蔵三条西家旧蔵本 ( 以下「底本」と称する ) の校訂に用いた伝本は次のとおりであり、すべて 田中重太郎氏編著『校本枕冊子』 ( 古典文庫刊 ) 掲載のものに拠った。 能因本系統 イ吉田幸一氏蔵富岡家旧蔵本 ロ高野辰之氏 ( 斑山文庫 ) 旧蔵本〔上巻欠〕 十行古活字本

3. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

研究が詳細になればなるほど、『枕草子』自体の持っ複雑な問題も露わになって来て、今日のところ妥協 点が見いだされないままに各論が並び立っという情況であるのが現実である。更に、歴史学者や文学者など 子による研究や、必ずしも『枕草子』のみの専門ではない国文学者による『枕草子』の位置づけも目立ってお 草り、こうした広い面からの追求は今後ますます活発化するであろう。読者諸賢におかれては、各位それそれ ( 以上、永井和子しるす ) のくもりのない目で『枕草子』の本質を読みとっていただくことを切望する。 四諸本について 千年も昔の作品が書写を繰り返して今日に伝来するまでの間には、不用意の写し誤りのほかに、作者自身 または後人の添削変改などが加わることもあって、伝来本文の間に若干の差ができることはまぬがれがたい が、なかでも、『枕草子』の本文は異同が甚だしい点では、『狭衣物語』と並んで、中古の代表的作品の中で の双璧といってよいであろう。現在伝存する本文は、能因本系統本、三巻本系統本、前田家本、堺本系統本 の四種に分けられているが、例えば本書の底本である能因本の第一段にあたる部分を、各系統本について、 田中重太郎博士の『校本枕冊子』 ( 昭和 ~ 引年刊 ) の底本 ( 能因本 ) およびそれへの対校用底本 ( 他の三本 ) に 従って挙げてみよう ( 仮名遣い・送り仮名などは統一した ) 。 能因本 ( 本書底本 ) 春はあけばの。ゃう / 、しろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびき たる。

4. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

とするのが、本書公刊の目的の一つである。 学習院大学蔵本は上下二冊本で、筆者は三条西実隆 ( 一四璧 ~ 一五三七。室町時代の学問の代表的な存在。三条西家歌 学の祖。内大臣 ) 、またはその子公條かといわれる。その後代々三条西家で珍重されて現代の三条西公正博士 ( 元伯爵。昭和年没 ) に及んだが、昭和年に博士の母校学習院に譲渡された。この本は田中重太郎博士の 『校本枕冊子』の底本として活字化されているほかは、この稿筆者たちの手による日本古典文学全集『枕草 子』とこのたびの本書とだけがその活字刊行本である。 前田家本 前田元侯爵家の育徳財団尊経閣文庫に蔵せられ、天下の孤本で四冊本である。書写は『枕草子』の諸伝本 中抜群に古く、鎌倉中期を下らない。三巻本・能因本両系統本は、物尽し・随想・日記的記録の章段が雑然 と入り込んで列べられているのに対して、前田家本は堺本と並んで類纂形態を持つ。一冊は物尽しのうち 「は型」、一冊は物尽しのうち「もの型」、一冊は随想、一冊は日記的記録の、それそれ章段から成っている。 一見、こうした類纂形態のものが『枕草子』の原型のように思われそうだが、楠道隆氏 ( 国語国文・昭和 9 年 6 ~ 7 月 ) はこの前田家本の本文を厳密に分析して研究せられた結果、能因本 ( 厳密に言えば現存能因本の源流 説本 ) と堺本 ( 厳密に言えば現存堺本の源流本 ) との二種の『枕草子』を持 0 ていた人が、堺本の形態に準拠して 更に完璧を期して、極めて誠実な態度をもって両底本の集成を企てたものと推定され、それが今日のほば定 解説となっている。 なお三巻本や能因本の段序のままではなかったとしても、雑纂的形態が『枕草子』の原型であったとする 考えに、研究者の意見は、現在完全に一致しているようである。

5. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

思われる本文を見いだす可能性も乏しくはないようであるから、なお各章段一つ一つの本文の吟味について 2 は、将来の精細・厳密な研究に待つべきことが多く残されているというべきであろう。 子能因本系統本 草奥書に「能因が持っていた本といわれる本を書き写した」という趣旨のことばがあるのでこう呼ぶ。本書 枕 の本文はこの系統本のうちの最善本といわれる学習院大学蔵三条西家旧蔵本に拠った。この系統の本文は、 三巻本系統の本文に比べて「もの尽し」の項目に若干の増益があり、日記的文章に後年の時点における官職 名が見え、語彙・語法に、時に新しいと思われるものが見えるということなどをもととして、清少納言自身 なり、あるいは後人なりが、三巻本系統の本 ( ただし現存本本文そのものというよりは、その祖本というべき本文 ) に手を加えて改めたものであろうといわれる。後人が手を加えたと言いきらずに、清少納一一一一口自身が手を加え たことを想像しようとするのは、後人の手入れとすべきほどの証拠が見いだしかねるからであるらしいが、 ひし 率直に言えば、両本の同じ章段について具体的に一つ一つ彼此対照しつつ本文を検討してゆくとき、本文の 優劣はさて措いて、彼の本文を此の本文のように、同じ作者が言い改めるのは不自然ではないかと思われる ような箇所に出会うことが必ずしも稀ではないから、いずれが原作に近いかの論は別として、ともかく両本 共に同一作者の手に成り、後人の手は加えられていないとする考えは、なお慎重に吟味すべきようである。 江戸時代から昭和の初年に至るまでの長年月、『枕草子』の本文として幾百万読者が親しみつづけて来た 北村季吟 ( 一六一一四ー一七 0 五 ) の『枕草子春曙抄』の本文は、この能因本系統本の末流本であるが、その『春曙抄』 は、三巻本流行一辺倒の今日、一般読者の前からすっかりその姿を隠して容易に求められなくなってしまっ たので、今ここに、その、「よりはるかに純粋な祖本」というべき三条西家旧蔵本を一般読者に提供しよう

6. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

9 凡例 能因本にあって前田家本にはない段は次の諸段である。 第六・七・一〇・五七・五八・八〇・八四・八六 ~ 八八・九〇・九一・九七・九九・一〇七・一一 三一 ( この段の「八幡の行幸の、 ・一二五 ( ただし三〇六段の末に当る部分に類似の文がある ) ・一 かへらせたまふに」以下を欠く ) ・ 一三四 ~ 一四〇・一四六・一六五・一六六 ・二一五 ~ 二一八・二四八・二四九・二五三・二七〇・二七九・二八二・二八九・二九〇・二九 ~ 三二三段。 五・三〇八・三一四 ~ 三一六 っさい採らない。 堺本系統本は不純本文と認められるので、原則としては、い 一、本書の本文は底本の能因本を、最大限度あるがままの姿で活字化することを心がけたが、読解の便宜の ために、次に掲げるような操作を加えた。 章段を分け、章段には、底本原本には本来ない「見出し語」を付けた。その章段の分け方、見出し語 の付け方は、、 しっさい、『校本枕冊子』に拠った ( ただし、第二六一・二七六段だけは改めた。その段を参照 されたい ) 。 章段の中では、適宜段落を分けて改行した。 3 句読を切り、濁点を加え、会話や消息 ( 手紙の文 ) の部分を「」でくくった。また、心内語や引歌 についてもそのままでは紛れやすく読みにくいと思われるような場合は、「」でくくった。 4 本文表記については、次のように変改を加えたところがある。 イ仮名づかいを歴史的仮名づかいに統一した ( ただし意に疑いのある本文については、なるべくもとのまま にした ) 。

7. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

ることができるのではないか。 永井和子 ( ながいかずこ ) 実際、調楽に遠慮をして前駆追う声を加減するのなら、 昭和九年、東京都生れ。昭和三十一一年、お茶の水女子大 短くするより低くするほうが効果があろう。もっとも「し学卒。平安文学専攻。現在、学習院女子短期大学教授。 のびやかに」で自然低目になってはいるだろうが。また清主著に『寝覚物語の研究』『枕草子 ( 日本古典文学全集 ) 』 女が関心をもって取りあげる「人のむすめ」なら、萩谷氏 ( 共著 ) 『伊勢物語』など。国文科の主任教授として公私 も言われるとおりの、恐らく良家のお嬢さんであろう。そ ともに多忙なご日常である。 うした家のしつけは、もともと甘ったれて長く引っぱる声《編集室より》 などは許さなかったろうとすれば、良家のお嬢さんとはい ☆第二十回配本『枕草子一』をお届けいたします。この月 え、溢れる若さにはついきんきん高い声を出しがちなのを、報の随想でもお判りのように、 ことばの一つ一つに細密に 抑えて低くするのが奥ゆかしいのだと清女は言っている、 こだわりながら注釈を進められる松尾先生、繊細な女性感 と考えられまいか 覚で作者の美意識に迫る永井先生。このお二人によって扉 を開かれる清少納言の世界をお楽しみください。 《著者紹介》 ☆次回配本 ( 五十九年八月 ) は、引き続いて『枕草子二』 松尾聰 ( まつおさとし ) ( 松尾聰・永井和子校注・訳定価千七百円 ) です。 明治四十年、東京都生れ。昭和六年、東京大学卒。平安「枕草子』の伝本は、能因本系統本・三巻本系統本・前田 文学専攻。現在、学習院大学名誉教授。主著に『平安時家本・堺本系統本に大きく分類されていますが、ト土 代物語の研究ー散佚物語四十六篇の形態復原に関する試論ー』能因本系の代表的善本である学習院大学蔵三条西家旧蔵本 『全釈源氏物語一 ~ 六 ( 末完 ) 』『枕草子 ( 日本古典文学全を底本にいたしました。 集 ) 』 ( 共著 ) など。大変お元気なのに七十歳を期に学現在ではほとんど能因本系と三巻本系の二系統のみが活 会出席をやめてしまわれ、周囲を淋しがらせて居られ字化されていますので、巻末に、三巻本系にしかない章段 る。 を付載いたしました。

8. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

校訂付記 一、底本 ( 学習院大学蔵三条西家旧蔵「能因本」 ) の、あるがままの 本文を、徹底的に尊重する立場を保持することを原則としたが、 読者の便宜を考慮し、あるがままの本文では意の通ぜぬ箇所につ いては他の伝本との比較の結果、それが底本の誤脱であり、他の 伝本の本文を採用するのが、作者の原作本文に復原する道である と一応認めてよさそうな箇所は、それらの伝本本文を参考して改 訂した。また、底本と同系統の諸本 ( 後掲の「富・高〔下巻ノ ミ〕・十・十二・十三 - の各本 ) が一致して底本と異なる本文を持 っ場合は、底本の本文のままでも意が通じても、一応、底本の誤 脱と判断が可能である限りは、大体においては諸本の本文に拠っ て改訂した。ただし底本のほうがよさそうだと考えられる場合は、 そのままにしたことが多い。また、あるがままの本文では意が通 旨ロ ぜぬ箇所が、他の伝本に従えば一応通じる場合でも、その通じる 付 本文に意改 ( 作者でない人が、自己の判断によって本文を変改し 訂 校たもの ) の疑いが感じられるときには、あえてそれを採らず、意 不通のままで残した。なお、きわめて稀には、意不通の本文を、 校注者の判断で「意改」したこともある。 一、校訂に当っては、田中重太郎氏編著『校本枕冊子』 ( 古典文庫 刊 ) に全面的に拠って、次の諸本を用いた。 能因本系統 イ吉田幸一氏蔵富岡家旧蔵本ーーー富 ロ高野辰之氏 ( 斑山文庫 ) 旧蔵本〔上巻欠〕ーー高 十行古活字本ーーー十 一一十二行古活字本ーーー十ニ ホ十三行古活字本ーー十三 ・ニ・ホ」〔上巻の場合は「イ・ハ・ ( 以上「イ・ロ・ 一一・ホ」〕を合せた場合は「諸と略称する ) 2 三巻本系統ーー三 田中氏の『校本枕冊子』で「主本文 ( 三条西家旧蔵「能因本」。 本書の底本 ) 」の対校本文として採用して「本文」の右側に掲 出している三巻本だけを本書では参考した。ただ、きわめて稀 にそれで事がすまぬ場合は、「三巻本 ( 略称「三」 ) 系の諸本ある いは某本」などと記して他の本を参考したこともある。 3 前田家本ーー・・・マ 一、校訂本文の掲示のしかたは、本書の掲出箇所のページと行とを 示し、次に本書が採用した本文を掲げ、 ( ) の中に、その改訂の

9. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

などがある。また、この応答は、「枕」の一つの意味のみではなく、いくつかの意を、連想をふまえて多義 的に用いた、ウィットのきいたものとする説もある。しかし結局のところなお当時における「枕」の語は資 子料に乏しくてよくわからないというのが現状である。特にこの本に「枕草子」の名が冠されたのはやはり跋 草文によるところが多いものと考えられ、「覚え書き」といった普通名詞が、何らかの理由で特にこの書名と して定着したというようなことで、案外落ち着くべきことになろうか。 『枕草子』は、もともと本書に収めた能因本のような形態であったのであろうか。この雑多な記事はいくっ かの類型に整理しまとめられないであろうか。そして、そもそも『枕草子』はいっ書かれたのであろうか。 こうした問題に簡単に触れておきたい。 一段の「春はあけばの」以下順次読み進んでみると、さまざまの性格や形式を持っ段が入り混じって配列 ぎっさん されていることに気づ く。このような形を雑纂形態と呼び、能因本のほか三巻本もこの形態を持っている。 ところが『枕草子』の場合、これに対して大よその性格や形式別に内容を整理し、分類した形態を持っ本が るいさん 存在する。これが前田家本と堺本であり、この形態は類纂形態と称されている。この二つの形態のうちどち らを本来のものとみなすかについては、さまざまの論が行われているが、諸家の研究により現在の前田家本、 堺本の類纂形態は、後人の整理編集したものであることがほば明らかにされたことも考え合せて、現在のと ころ雑纂本来説が有力である。このように『枕草子』に関しては、本文の字句の差のみならず形態的な面か らも諸本の性格を解明する必要があり、きわめて複雑な問題をはらんでいると言えよう。詳しくは別項「諸 本について」の項にゆずることとして、ここでは内容を理解するための一助として簡単に章段を分類説明し ておきたい。そしてこの分類が、類纂説 ( または成立過程で部分的に類纂があったとする説 ) を採る立場では、 のういんぼん

10. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

一、「解説」「校訂付記」のほか、付録として、「枕草子年表」「枕草子関係系図」「図録」を収めた。 一、本書には、第一段 ~ 第一一七段を収めた。 子一、本書は、「日本古典文学全集」の『枕草子』をもととして新しく修正、添削の筆を加えて成 0 たもので あるが、曰は松尾が原稿を作成し永井が閲読加筆し、 0 は永井が原稿を作成し松尾が閲読加筆した。 枕 一、 O に、能因本にはない三巻本系統の章段を付載した。 一、ロ絵に関して、東京国立博物館、和泉市久保惣記念美術館、浅野長愛氏ほかの協力を得た。記して謝意 を表する。