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検索対象: 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)
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1. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

つばね 来ているのまでが、にくらしいのである。 そう言ったりしないで、女房の局に召し使われているよう おまえ 大体、対談でも、失礼な言葉は、どうしてこんなふうに な身分の女をまで、「あの御前」とか「君」などと言うと、 言っているのだろうと、はたで聞いても聞くにたえない。 めったにないことでうれしいと思って、そう言ってくれた りつば まして身分のある立派なお方などを、そんなふうに失礼に 人をほめることはたいへんなものである。 わかきんだち 申しあげる者は、本人は利ロぶっているつもりだろうが実 殿上人や若君達のことを言う時は、尊いお方の御前以外 く一よう は、愚か者で、ひどくにくらしい では、官名だけを言う。また、御前で公卿同士で物を言う 男主人などに対してよくない言葉遣いをするのは、とて としても、尊いお方がお聞きあそばすような時には、どう も劣ったしわざだ。自分が召し使っている者などが、自分して自分のことを「まろが」など言おうか。そのように自 こんなふう の夫について「おはする」「のたまふ」など言っているの分の官名を言わないようなのは、にくらしい はペ は、ひどくにくらしい。そうした言葉のあたりに「侍り」 に官名を言おうのには、どうして悪いはずのことであろう という言葉を、代りに置きたいと思って、聞くことが多い のだ。 別にこれということもない平凡な男性が、息を引き入れ なんあいきよう すみ すずり わたしが「まあ何て愛嬌がないこと。どうしてあなたの て作り声をして、優雅めかしているの。墨ののらない硯。 言葉は、ぶしつけなの」などと言うと、そう言われる人も女房が何かと知りたがるの。ただでさえ、たいして好まし 笑う。こんなふうにわたしには感じられるからだろうか。 いとは思えない人力 。ゝ、にくらしく見えることをしているの ひとりぎっしゃ 段 人の言葉とがめをするので、「あまり人をばかにしている」 一人で牛車に乗って見物をする男。いったいどういう身 % などと人から言われる場合まであるのも、その人にとって分の者なのだろうか。陪乗の人が常にいるような尊い身分 ていさい 第 は、きっと体裁が悪いからにちがいない。 の人でなくても、若い男たちで見物したがっている人たち てんじようびと じつみよう 殿上人や参議などを、ただその実名を、少しも遠慮もな などを、どうせ席があいているのなら、陪乗させてでも見 ちゅうちょ みすすきかげ げに言うのは、ひどく聞き苦しいことであるが、躊躇なく ればよいのだ。牛車の御簾の透影として、たった一人ちら

2. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

枕草子 198 が、そんな見苦しいことをしていたか。年寄めいてみつと た、かるがるしい女性。土塀の崩れ。 もない人こそ、きまって火鉢のふちに足までもひょいとか にくきもの けて、物を言いながら足をこすったりなどもするようだ。 ながばなし にくらしいもの急用のある時にやって来て、長話をすそんな無作法な者は、人の所にやって来て、座ろうとする ちり る客。それが軽く扱ってもいい程度の人なら、「あとで」所を、まず扇で塵を払って掃き捨てて、座り場所も定まら かりぎめ などと言っても追い帰してしまうことができるであろうけずにふらふらと落ち着かず、狩衣の前の垂れを、膝の下の りつば れど、そうはいっても、気のおける立派な人の場合は、ひ方にまくり入れでもして座るのである。こうしたことは、 言うに足りない身分の者がすることかと思うけれど、いく どくにくらし、 しきぶ たゆう するがぜんじ すみ す すずり らか身分がある者で、式部の大夫とか、駿河の前司などと 硯に髪の毛がはいって磨られているの。また、墨の中に いった人が、そうしたのである。 石がはいっていて、きしきしときしんでいるの。 こうちゅう ひげ しゅげんじやさが また、酒を飲んでわめいて、ロ中をまさぐり、髯のある 急病人があるので、修験者を探し求めると、いつもいる さかずき 所にはいないで、別の所にいるのを探しまわっているうち人はそれを撫でて、杯をほかの人に与える時の様子は、ひ はた どくにくらしい。苦しがって、ロの端をまで引き垂して、 に、待ち遠しくて長い時間がたつが、やっと待ち迎えて、 からだ ものけちょうぶく 相手に「もっと飲め」などときっと言うのであろう、身体 よろこびながら加持をさせるのに、このごろ物の怪調伏に との を震わせて、子どもたちが「こほ殿にまゐりて」などを歌 疲れきってしまったのだったせいであろうか、座るやいな どきよう う時のようなかっこうをする。それは、人もあろうに、ほ や読経が眠り声になっているのは、ひどくにくらしい んとうに身分の高い立派な人が、そうなさったので、気に これということもない平凡な人が、わけもなくしきりに ひばち いらないと思うのである。 にこにこ顔をして物をさかんにしゃべっているの。火鉢の しわ 人のことをうらやましがり、自分の身の上をこばし、他 火ゃいろりなどに、手のひらを裏返し裏返しして、皺を押 し伸ばしなどしてあぶる者。いったいいっ若々しい人など人のことをあれこれ言い、ちょっとしたことも知りたがり ( 原文四五ハー ) ふる な た ひぎ

3. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

一『古事記』に「縄伊呂泥」「縄伊 たるなどよ。人の名につきたるは、かならずかたし。 8 呂杼の名が見える。この頃にも 夏虫、いとをかしくらうたげなり。火近く取り寄せて物語など見るに、草子身分の低い者には例があったのか。 子 ニ仮に「生きがたしと解くが あり うへ 草の上に飛びありく、いとをかし。蟻はにくけれど、かろびいみじうて、水の上「かならず」が不安である。三巻本 「いとうとましは意改本文か。 あゆ 三歌では火取虫をいうが、「ら などをただ歩みありくこそをかしけれ。 うたげ」とあるから、うすばかげ ろうのようなものをさすかという。 四初秋の頃。 五一七月ばかりに、風の 五「抱ふ」で、消えずに保ってい る、の意とみる。 わたあ 七月ばかりに、風のいたう吹き、雨などのさわがしき日、おほかたいと涼し六三巻本「綿衣」。 セ不相応だったり、不釣合だっ 五 あふぎ あせか たりすることからくる不快な感じ ければ、扇もうち忘れたるに、汗の香すこしかかへたる衣の薄きを引きかづき をもつものを主としてあげている。 きわだ ^ 髪が際立つからである。 て、昼寝したるこそをかしけれ。 九ちちこまっている髪。 一 0 四月の賀茂祭につける。 = 月光が、そんな家にではその 五二にげなきもの 真価を十分に発揮できないのを 「朽ち惜し」と作者は思うのである。 あやきめき にげなきもの髪あしき人の、白き綾の衣着たる。しじかみたる髪に葵つけ三車蓋のない車。荷車か。 一三あめ色をした牛。高貴で上等 な牛として尊ばれたのであろう。 たる。あしき手を赤き紙に書きたる。下衆の家に雪の降りたる。また、月のさ 一四老女。 やかた し入りたるも、いとくちをし。月のいと明かきに、屋形なき車にあめ牛かけた一五妊娠のさま。腹を前に突き出 かみ きめ 一 0 あふひ さう . し はヘいろね

4. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

ふう したら、それこそかえって驚く人もおりますでしよう。そ だろうかと : でも、これは昔のことである。現代風は、 れにしてもまあ、これほどの人の家に、車の入らないよう 法師生活は気楽そうである。 な門があってよいものだろうか。ここに現れたら笑ってや 六大進生昌が家に ろう」などと言っている折も折、「これを差しあげましょ すずり だいじんなりまさ う」と言って、生昌が御硯などを御簾の中に差し入れる。 大進生昌の家に、中宮様がお出ましあそばす折、東の門 よっあし においては、四足の門に改造して、そこから中宮様の御輿「まあ、あなたは、とてもつまらない方でいらっしゃいま したね。どうして、その門を狭く作って、お住みになった はお入りあそばされる。北の門からそれそれ女房の牛車は、 のですか」と言うと、笑って「家の程度、身分の程度に合 陣屋の武士が詰めていないから多分入ってしまえるだろう と思って、髪かたちのみつともない人もたいして手入れもせているのでございます」と応じる。「でも、門だけを高 く作った人もあると聞きますよ」と言うと、「これはまあ せず、車は直接建物に寄せておりるはずのものだとのんき び . りト - うげ 恐れいったことで」とびつくりして、「それはどうやら于 。目ーカ・召き」いもの に考えていたところ、檳榔毛の車などよ、、、ゝ、 しんじ こう 公の故事のようでございますね。年功を積んだ進士などで だから、つかえて入ることができないので、例のとおりに えんどう 筵道を敷いておりるというのには、ひどくにくらしく、腹ございませんと、とても伺ってわかりそうにもないことで もんじよう・ わたくし てんじようびとじげ 立たしいけれど、どうしようもない。殿上人や地下の役人ございましたよ。私はたまたまこの文章の道にはいってお りましたから、せめてこれぐらいのことだけは自然に弁別 いまいましい たちが、陣屋のそばに立ち並んで見るのも、 おん ごぜん 段 いたすのでございます」などと言う。「いえもう、その御 中宮様の御前に参上してさきほどのありさまを申しあげ みち ると、「ここでだって、人は見まいものでもなかろう。ど『道』も立派ではないようです。筵道を敷いてあるけれど、 第 うしてそんなに気を許してしまっているのか」とお笑いあみな落ち込んで大さわぎしましたよ」と言うと、「雨が降 りましたから、なるほどきっとそ , つで、こ、いましょ , つ。ま 3 そばされる。「ですけれど、そうした人はみな見馴れてお あまあ、またあなたから仰せかけられることがあると困り りますから、こちらがよく身づくろいをして飾っておりま

5. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

うしかひ 一赤毛で白髪になったものとも、 牛飼は、大きにて、髪あかしらがにて、顔赤みて、かどかどしげなる。 赤毛ともいうが確かでない。三巻 本「あららかにて」。 子 ニ鋭く才気があるように見える。 三六雑色随身は 三蔵人所・院司・東宮・摂関家 草 四 などに属して、雑役に従う無位の をとこ 枕ぎふしきずいじん 雑色随身は、やせてほそやかなる。よき男も、なほ若きほどは、さる方なる職。ここでは公卿に使われる車副 いの者であろう。 四貴人が宮中から護衛として賜 そよき。いたく肥えたるは、ねぶたからむ人とおばゅ。 る近衛府の侍。身分に応じて人数 が異なる。 五身分のある男性。 三七小舎人は 六動作がのっそりしていて鈍感 な感じがするからであろう。 こどねり すそ こどねりわらわ セ小舎人童をいうのであろう。 小舎人は、小さくて、髪うるはしきが、裾さはらかに、すこし色なるが、声 近衛の中・少将が召し連れる少年。 ^ 髪の裾のほうがさらっとして。 をかしうて、かしこまりて物など言ひたるぞ、りゃうりゃうじき。 九『源氏物語』椎本巻に「末少し 細りて、色なりとか言ふめる。翡 すい 翠だちていとをかしげに」とある から、翡翠色に光沢がある黒髪を らうらう 一 0 「労々じ」に同じか。巧者でう つくしい、物なれていて才気があ るなどの意という。 = 当時、猫は貴人に愛玩された。 三法会で仏法の要義を講する僧。 三八猫は 猫は、上のかぎり黒くて、ことはみな白き。 三九説経師は うへ おほ 五 かた ひ

6. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

一出仕している所。必ずしも宮 にやりつる人の、「さはる事ありて」など言ひて来ぬ、くちをし。 -4 中とは限らない。 まう みやづか 男も女も、宮仕へ所などに、同じゃうなる人もろともに、寺へ詣で物へも行ニ身分・気質などが同じような。 いだしぎめ 三出衣をいう。 子 四 四「怪しくあらず」であるが、怪 くに、このもしうこばれ出でて、用意はけしからず、あまり見苦しとも見つべ 草 しくあるどころではなく、甚だ怪 しくある、の意を表すという。ひ 枕くぞあるに、さるべき人の馬にても車にても、行きあひ見ずなりぬる、いとく どく異様だ。 五身分教養高く見せがいのある。 ちをし。わびては、好き好きしからむ下衆などにても、人に語りつべからむに 六落胆して情けなく思っては。 セ正月、五月、九月を斎月と称 てもがなと思ふも、けしからぬなンめりかし。 し、戒を保って精進する。この中 宮の精進は長徳四年 ( 究 0 のこと と推定されている。 一〇四五月の御精進のほど、職に ^ 周囲を壁で塗り籠めた部屋。 調度などを納める。 さう・じ しき あいだ 九柱の間を二間とった部屋。 五月の御精進のほど、職におはしますに、塗籠の前、二間なる所を、ことに 一 0 三巻本「なにさきとかや」。 かささぎ = 鵲の橋。七夕の夜、織女星 御しつらひしたれば、例様ならぬもをかし。ついたちより雨がちにて、曇り曇 を渡すという。 ほととぎす ひぐらし らずつれづれなるを、「郭公の声たづねありかばや」と言ふを聞きて、われも三蜩。「なンなり」の「なり。は 推定。あなたが「日ごとに鳴く」と たなばた かも われもと出で立つ。賀茂の奥に、なにがしとかや、七夕のわたる橋にはあらで、言うのから推定すると、それは日 を暮れさせる「日暮し ( 蜩 ) 」である にくき名ぞ聞えし。「そのわたりになむ、日ごとに鳴く」と人の言へば、「それようだ、の意。 一三適当に受け答えする。 一四中宮職官人。三巻本「宮司に」。 は日ぐらしなンなり」といらふる人もあり。「そこへ」とて、五日のあした、 れいぎま めりごめ 九 ふたま

7. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

悪いを聞き苦しく批評するのもおもしろい。殿上の名対面ないものですよ」と言う。沓を取りに来ても、大笑いをし たきぐち が終ってしまったようだ、と聞いているうちに、次の滝ロ てたいへん騒がしいことだ。 くっ の武士が弓を鳴らし、沓の音がざわざわして出て来ると、 子 すみ 五九若くてよろしき男の 蔵人がたいへん足音高く板敷を踏み鳴らして、東北の隅の 草 こうらん たかひぎ 高欄の所に、高膝つきとかいう座り方で、主上の御前の方 若くてかなりな身分の男が、身分のいやしい女の名を言 さぶらい な に顔を向けて、滝ロの侍には後ろ向きに、「だれだれはひ い馴れてなれなれしく呼んでいるのこそは、ひどくにくら かえているかーとたずねる様子こそはおもしろい。細く しい。知っていながらも、何といったか、名の一部は思い なんにん みやづか あるいは高く滝ロは名告り、また、何人かが伺候していな出さないふうに言うのは、好ましい。宮仕え所の女房の局 いからであろうか、今夜は名対面をし申しあげない旨を奏などに立ち寄って、夜などに、そうばやかして言うのは、 とのもりづかさ 上するのに、蔵人が「どうしてか」と事情をたずねるので、 きっと悪いにちがいなかろうけれど、宮中なら主殿寮、そ さしさわ さぶらいどころ くろうどどころ 滝口が差障りの理由などを申しあげる時に、蔵人はそれを うでない普通の所では、侍所や、蔵人所にいる者を連れ まさ 聞きとったうえで帰るのが例なのだが、ある時、蔵人の方て行って、女を呼ばせるのがよい。自分から呼ぶのでは、 きんだち 弘は、事情を聞かないで帰ったといって、君達がそのこと だれの声だかはっきりわかるから。 を注意したところ、方弘はたいへんに腹を立てて滝口を叱 はした者や、童女などの名は、しかし自分で呼んでもか って、とがめて、滝ロの武士にまでも笑われた。 まわない。 こうろうでんみずしどころ また、後涼殿の御厨子所の「おも棚」という物に、方弘 六〇若き人とちごとは は沓を置いて、それを人々がけがれを祓って大騒ぎをして ちのみご ずりよう いるのを、気の毒がって、「だれの沓でしようか。知りよ 若い人と乳呑児とは、ふつくらしているのがいい 。受領 とのもりづかさ うがありません」と、主殿司の女官や、他の人たちがかば などのような十分年輩の人は、でつぶりしているのがいい って言ったのだったのを、「やあやあ、それは方弘のきた あまり痩せて乾からびたようなのは、気持がいらいらして ひろ だな や ひ

8. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

軽さはたいへんなもので、水の上などをさっさと歩きまわもちを焼いているの。年老いた男が猫なで声を出している ひげ るのこそ、とてもおもしろい の。また、そんなふうに年老いて鬚だらけの男が、椎の実 をつまんで食べているの。歯もない老女が梅の実を食べて、 くれないはかま 五一七月ばかりに、風の すつばがっているの。身分のいやしい女が、紅の袴をはい 七月ごろに、風がひどく吹き、雨などがさわがしく降る ているの。このごろは、そんな連中ばかりであるようだ。 おうぎ すけ かりぎめすがた 日、総じてたいへん涼しいので、扇もすっかり忘れている 靫負の佐の夜の巡察。その狩衣姿も、皇居に似つかわし しよくしよ、つがら 時に、汗の匂いを少しのこしている着物の薄いのを頭から くなくひどくいやしげだ。そうかといって、また職掌柄、 ぎようさん 引っかぶって、昼寝しているのこそ、おもしろいものであ人に恐れられる赤色のは、さすがに仰山で、巡察の途中 つばね る。 で女の局あたりをうろうろするのも、もし人が見つけるな けいべっ ら、軽蔑したくなるありさまである。そのくせ「嫌疑の者 くろうど 五二にげなきもの はいないか」と、冗談レ こも、とがめる。また、六位の蔵人 あや うえほうがん 似つかわしくないもの髪の毛のよくない人が、白い綾で上の判官と称して、世に並びなく威光のあるものと世間 あおい の着物を着ているの。ちちれている髪に葵をつけているの。 から思われ、宮づとめに無関係な人や、身分のいやしい人 下手な字を赤い紙に書いてあるの。いやしい者の家に雪の などは、この世の人とさえも思っていず、目を見合せるこ だいり 降っているの。また、月がさし込んでいるのも、たいへん とさえしないで、おそれおののくような人が、内裏のあた やかた ほそどのつぼね 2 もったいない感じだ。月のとても明るい時に、屋形のない りの細殿の局などにこっそり入り込んで寝ているのこそ、 ぎっしゃ ひどくふさわしくない。どこからともなく匂ってくるよう 粗末な牛車にあめ牛をつけているの。年をとった女が、お きちょう 第 なかが大きくつき出て息を切らして歩きまわるの。また、 に一帯に香をたきこめてある部屋の几帳に掛けてある布の はかま 四そうした女が、若い男を持っているのは、たいへんみつと袴が重たそうで下品で、びかびかしているであろうよと推 ワ】 じふしん もないのに、男がほかの女のもとに行くというので、やき 測されるなんて、どうかと思われる。自負心たつぶりわれ へた めの

9. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

くみひも 枝を、むら染の組紐で結びつけなどしてあるのは、珍しい 四七木は ことのように言い立てるべきことでもないけれど、たいへ たちばな 。そば んおもしろい。というのは、そんなふうに毎年同じように 木はかつら。五葉の松。柳。橘。これらがいい して春ごとに咲くからといって、桜を並一通りに思う人が の木は、どっちつかずで具合が悪い感じがするけれど、花 いるたろう力し。 ) 、、よしないであろう。 咲く木々がすっかり散ってしまって、あたり一面新緑にな もみじ っている中で、時節にもおかまいなく、濺い紅葉がつやっ 戸外を歩きまわる童女たちなどが、その身分身分に応じ やした感じで、思いもかけない青葉の中から差し出ている ては、そうした身の飾りをすばらしいことをしたものだと いまさら たもと のは、目新しい。まゆみは、今更言うまでもない。一つの 思って、絶え間なく袂を見守り、人のと見比べ、何ともい やどぎ えないほどおもしろみがあると思っているのを、ふざけた 物として取り立てて言うほどの物ではないけれど、宿り木 こどねりわらわ 小舎人童などに引っぱられて泣くのもおもしろい。紫の紙という名前は、たいへんしみじみと胸にしみ入る感じがす みかぐら さかき おうち る。楙は、臨時の祭において、御神楽の時など、たいへん に楝の紫の花を包み、青い紙に菖蒲の葉を細く巻いてひき おもしろい。世の中に木はたくさんあるが、その中で特に 結び、また白い紙を菖蒲の根のところで結んであるのもお おんまえ もしろい。たいへん長い菖蒲の根などを、手紙の中に入れこの木を神の御前に奉る物と言いはじめたそうであること も、格別におもしろい。楠の木は、木立の多い所でも、特 ている人たちなども、とてもほのばのと浮きやかな感じが ぎようさん にまじって生えてはいない。仰山に茂ったさまを想像する する。その返事を書こうと相談し親しく話し込んでいる者 段 といやな感じだけれど、千の枝に分れていて、恋する人の 同士は、来た手紙を見せ合ったりなどするのもおもしろい しかるべき人の娘や、貴い方々のもとにお手紙をお差しあ千々に乱れる心の引合に歌に詠まれているのは、だれが、 かた 第 その千という数を知って言いはじめたのだろうと思うとお げになる方も、今日は、格別に心遣いして優雅でおもしろ ひ ほととぎす もしろい檜の木は、人里近く生えてはいない物だけれど、 夕暮のころに、郭公が鳴いているのも、何から何まで みつばよっぱ おもしろくてすばらしい 「三葉四葉の殿造り」に用いられるのもおもしろい。五月 くす

10. 完訳日本の古典 第12巻 枕草子(一)

枕草子 182 かない声で鳴いているのを聞きつけたような時よ、、 。しった者の言葉には、なくてもよいよけいな言葉が必ず加わって いどんなにすばらしい気持がすることだろう。 あおくちばふたあい 祭の日が近くなって、青朽葉や二藍などの布地を巻き巻 五思はむ子を き、細櫃の蓋に入れて、紙などにほんの体裁だけ包んであ ちこち行きちがい持ってまわるのこそおもしろい裾濃、 かわいい子を法師にしているような場合こそは、たいへ まきぞめ むら濃、巻染などで染めたものも、いつもよりおもしろく ん気の毒である。とはいえ、親としてとても頼りになる仕 わらわ 見える。女の童の、せいぜい頭ぐらいを洗って手入れをし事であるのを、世の人はまるで木の端などのように非情の しよう て、身なりのほうはすっかりほころびて糸目が切れ、乱れものと思っていようのは、たいへんかわいそうである。精 あしだくっ じんもの さがっているといったかっこうのが、足駄や沓などの鼻緒進物の粗末な食事をし、寝るのまでやかましく言う。若い をすげさせて、はしゃいで、早くお祭の日になってはしい 法師は好奇心もあるであろう。女性などの居場所をも、ど と大急ぎで走りまわるのもおもしろい。妙なかっこうをし うしていやがって避けているように、のぞかないでいられ りつ て踊って歩きまわる童女たちが、祭の日になって衣装を立ようか。ところが、それをもおだやかでないように言う。 たいそう ほうえ じようざ しゅげんじゃ 派に飾り着けてしまうと、ご大層に、法会の時の定者とい まして修験者などの方面は、ひどく苦しそうである。御 くまのそくせき う坊さんなどのように、もったいぶって練り歩く、それは、嶽・熊野、足跡のおよばない山もなくめぐり歩くうちに、 - 」うけん どんなに不安なことであろう。身分に応じて、大体は、親恐ろしい目にもあい、やがて、効験があり、自然評判が立 ともびと はぶり 族の女性、姉などが、供人になって世話をしながら歩くの ってくると、あちらこちらに呼ばれて、羽振をきかせるに もおもしろい つけて、気楽そうでもない。重病人にとりかかって、生 りよ、つしりよ、ったぐいちょうぶく 霊・死霊の類を調伏するのも、ひどく苦しいので、疲れき 四ことことなるもの ってついちょっと眠ると、「眠ってなどばかりいて」と非 きゅうくっ 別々なもの坊さんの言葉。男・女の言葉。身分の低い 。しったいどう思う 難するのも、たいへん窮屈で、当人ま、 ( 原文二〇ハー ) べつべっ ほそびつふた ていさい すそご たけ