123 葵 くやとて、紫の鈍める紙に、「こよなうほど経は〈りにけるを、思ひたま変え《」とする、語り手 0 推 一六初斎院での生活。↓一二一 宅御息所の「濃き青鈍」に対する。 へ怠らずながら、つつましきほどは、さらば思し知るらむとてなむ。 天遠慮すべき服喪中として、 「さらば」に万感をこめる。 とまる身も消えしも同じ露の世に心おくらむほどぞはかなき 一九生きとまる自分と死んだ葵の 上を、ともに無常の身として一般 かつは思し消ちてよかし。御覧ぜずもやとて、これにも」と聞こえたまへり。 化した表現。「心おく」は思いつめ 里におはするほどなりければ、忍びて見たまひて、ほのめかしたまへる気色る意で、御息所の怨念を暗示する。 「露」の縁語「とまる」「消え」「お ニ四 く」で、人の世の無常をかたどる。 を心の鬼にしるく見たまひて、さればよと思すもいといみじ。なほいと限りな ニ 0 思いつめるのも無理はないが。 こぜんばう き身のうさなりけり、かやうなる聞こえありて、院にもいかに思さむ、故前坊三私も、しるしだけのご返事で。 一三六条京極の、御息所の私邸。 ニ三源氏が生霊事件を。 の同じき御はらからといふ中にも、いみじう思ひかはしきこえさせたまひて、 ニ四やましく思う気持。 ねむ」 一宝以下、御息所の心情に即する。 この斎宮の御事をも、懇ろに聞こえつけさせたまひしかば、「その御代りにも、 一宍生霊事件の噂が広まって。 うちず やがて見たてまつりあっかはむ」など常にのたまはせて、「やがて内裏住みし毛以下、前東宮死後に親交を望 んだ桐壺院への思惑。↓九六ハ たまへ」とたびたび聞こえさせたまひしをだに、い とあるまじきことと思ひ離ニ ^ 自分が東宮の代りにもなって。 ニ九「内裏住み」は後宮参入を暗示。 れにしを、かく心より外に、若々しきもの思ひをして、つひにうき名をさへ流三 0 院の誘いを固く辞退したわり には、の気持。大人げないと思う。 しはてつべきことと思し乱るるに、なほ例のさまにもおはせず。さるは、おほ三一なおも精神の不安定が続く。 三ニとはいえ、全般的な生活では。 かたの世につけて、、いにくくよしある聞こえありて、昔より名高くものしたま三三御息所を特徴づける表現。 ニ 0 一九 三 0 三三 ニ六 へ ニ七 ニ三 三ニ かは ニ九 けしぎ
おんねん 、とお思い知らされなさるふしもある。この何年かの 「死んだ後にどこまでも怨念をのこすのは世間にありがち 間、あらゆる物思いの限りを尽して過してきたけれども、 のことだが、それだって、他人の身の上として耳にする場 こうまでも心を砕いてしまうことはなかったのに、ほんの 合には、罪深く忌まわしくわれるのに、現にいま生きて 語 物つまらぬあの事件の折に、あちらからないがしろにされ、 いる身でありながら、そうした厭わしいことを噂されると 氏 人並以下にさげすまれるといった扱いを受けた、あの御禊 いうのは、なんという因縁のったなさであろう。もういっ 源 の日からこのかた、例の一件ゆえに浮かされたように虚け さい、あの薄情なお方に、どうあろうとも、思いをおかけ ておしまいになった心がおさまりそうもないお気持のせい 申すまい」と、あらためてご決心になるのだが、しかし思 やす か、ほんのうとうとお寝みになると、夢の中で、あの姫君うまいと思うことが、じつは思っていることなのである。 とおばしい人がまことにきれいなお姿をしていらっしやる 斎宮は、昨年宮中におはいりになるべきだったが、いろ 所に自分が出向いていって、あちこちと引き回し、いつも いろとさしつかえがあって、この秋におはいりになる。九 ののみや の気持とはまるで変り、荒々しく恐ろしい、何としてもと 月には、すぐ野宮にお移りになるご予定なので、二度目の か いう一途の気持が生じて、乱暴に掻きむしったりしている御禊の準備がひき続いてあるはずなのに、母御息所が、た のをごらんになることが度重なるのであった。ああ、なん だ変に魂が抜けたようになってばんやりと物思わしげに病 と厭わし い、なるほど人の言うように魂がこの身を捨てて み臥していらっしやるので、斎宮にお仕えする人々は、こ 抜け出していったのだろうか、と正気を失ったようなご気れは大変なことになったと、御祈疇などさまざまに行って 分になる折もしばしばなので、これほどのことではなくて さしあげる。それほどご重態という様子ではなく、どこが ひとさま うわ * 、 も、他人様のことに関してはけっしてよい噂を立てないのどうというご病気でもなく月日をお過しになる。大将殿も が世間の常だから、なおさらのこと、これはどのようにで始終お見舞い申しあげなさるけれども、もづと大事なお方 も言いたてることができる格好の材料なのだとお考えにな がひどくわずらっていらっしやるので、お気持の安らぐ折 るにつけ、ほんとに今にも評判にもなりそうに思われて、 もなさそうである。 うつ
一朝顔の姫君の父宮。 0 ニ秀でた人は、神が魅入るので かたち しきぶきゃうのみやさじき 式部卿宮、桟敷にてそ見たまひける。「いとまばゆきまでねびゆく人の容貌不吉な存在。「もこそ」は危ぶむ意。 三↓九七ハー注一六。源氏は年来こ 語 物かな。神などは目もこそとめたまへ」とゆゅしく思したり。姫君は、年ごろ聞の姫君に消息を通わし続けていた。 氏 四女は平凡な相手にさえ動じゃ 源こえわたりたまふ御心ばへの世の人に似ぬを、なのめならむにてだにあり、ますいのに、まして源氏が相手では。 五情交関係など思いもよらない。 してかうしもいかでと御心とまりけり。いとど近くて見えむまでは思しよらず。六葵祭の当日。 セ「まねぶ」は、見聞をそのまま 伝える意。 若き人々は、聞きにくきまでめできこえあへり。 ^ 「いとほしう」は、御息所への おほとの 祭の日は、大殿には物見たまはず。大将の君、かの御車の憐憫の情。「う ( 憂 ) し , は、葵の上 〔を源氏、葵の上と御 への嫌厭の気持。 息所の車争いを聞く 、と、とまし , っ , っ九以下、葵の上評。「情おくる」 所争ひをまねびきこゆる人ありけれま、 は、細かな情愛に欠ける意。「す な一け おも くすくし」は、やさしさのない意。 しと思して、「なほ、あたら、重りかにおはする人の、ものに情おくれ、すく 一 0 自分では大してひどいことを したと思わないだろうが。直接の すくしきところっきたまへるあまりに、みづからはさしも思さざりけめども、 文脈は「次々よからぬ : ・」に続く。 おきて おば かかるなからひは情かはすべきものとも思いたらぬ御掟に従ひて、次々よから = 葵の上と御息所の仲。 三身分も教養も低い女房・召使。 みやすどころ ぬ人のせさせたるならむかし。御息所は、、いばせのいと恥づかしく、よしあり一三気づまりなほどで。 一四教養趣味の深いこと。 まう ておはするものを、いかに思しうむじにけんと、いとほしくて参でたまへり「うむ ( 倦 ) ず」は心底から厭う。 一六六条の自邸。斎宮は後に野宮 - も . ど さかきはばか に移るが、それまでは自邸も清浄 けれど、斎宮のまだ本の宮におはしませば、榊の憚りにことつけて、心やすく
源氏物語 % き御ありさまのうしろめたさにことつけて下りやしなましとかねてより思しけ一「ことつけて」に注意。幼い姫 君の伊勢下向への同伴を口実に、 こみや り。院にも、かかることなむと聞こしめして、院「故宮のいとやむごとなく思源氏への未練を断ち切るべく決意。 ばくじよう ニ斎宮ト定の時点からであろう。 かるがる 0 源氏の冷淡さに悩む御息所像は、 し、時めかしたまひしものを、軽々しうおしなべたるさまにもてなすなるがい 早くタ顔巻 ( 田一一九ハー ) にも点描。 つら とほしきこと。斎宮をもこの皇女たちの列になむ思へば、いづ方につけてもおしかし物語の本格的な展開はここ から開始。源氏と御息所との仲は すでに終末的な様相である。 ろかならざらむこそよからめ。心のすさびにまかせてかくすきわざするは、、 三「故宮」は前坊。桐壺院の兄弟。 けしき と世のもどき負ひぬべきことなり」など、御気色あしければ、わが御心地にもその死後に朱雀院が立坊したこと になる。以下、桐壺院は、故宮の げにと思ひ知らるれば、かしこまりてさぶらひたまふ。院「人のため恥がまし厚遇を得た御息所の過去の栄光に 比して現在の薄幸ぶりを思う。 きことなく、し 、づれをもなだらかにもてなして、女の恨みな負ひそ」とのたま四源氏が御息所を。 三この「なり」は伝聞の意。院は そくぶん はするにも、けしからぬ心のおほけなさを聞こしめしつけたらむ時と恐ろしけ源氏の冷淡さを仄聞し、同情する。 六自分 ( 桐壺院 ) の皇女と同列に。 セ御息所を疎略にせぬがよい。 れば、かしこまりてまかでたまひぬ。 ^ 心の勢いにまかせて。 九「人」は、特に御息所をさす。 また、かく院にも聞こしめしのたまはするに、人の御名もわがためも、すき 一 0 源氏の藤壺思慕をさす。 = 御息所のご名誉にとっても。 かきし , ついとほ 1 ) キ、に、、 しとどやむごとなく心苦しき筋には思ひきこえたまへ 一ニ公然と正式な結婚の形レ ど、まだあらはれてはわざともてなしきこえたまはず。女も、似げなき御年の一三源氏二十二、御息所二十九歳。 一四相手の気持に遠慮しているか のようにふるまう。源氏は相手に ほどを恥づかしう思して心とけたまはぬ気色なれば、それにつつみたるさまに かた ′」 0
95 葵 一前年 ( 花宴巻の翌年 ) 桐壺帝か ら朱雀帝へ譲位、その後の情勢。 一一右大臣方勢力が強く、意のま まならぬ源氏は万事気が進まない。 三源氏は右大将に昇進している。 四愛人たち。「我を思ふ人を思 のちニ おば はぬむくいにやわが思ふ人の我を 世の中変りて後、よろづものうく思され、御身のやむごと 〔一〕桐壺帝譲位後の源 思はぬ」 ( 古今・雑体読人しらず ) 。 あり 氏と藤壺の宮 五依然として自分に薄情な藤壺。 なさも添ふにや、軽々しき御忍び歩きもつつましうて、こ 六その藤壺が、譲位後の今は、 こもかしこもおばっかなさの嘆きを重ねたまふ報いにや、なほ我につれなき人以前にもまして桐壺院のもとに。 セ弘徽殿女御。新帝の母君とし うど の御心を尽きせずのみ思し嘆く。今は、まして隙なう、ただ人のやうにて添ひて皇太后となった。桐壺院と藤壺 との仲を白眼視しつつ、新帝とと いまきさき もに宮中にいつづける。 おはしますを、今后は心やましう思すにや、内裏にのみさぶらひたまへば、立 〈以下、「聞こえつけたまふ」ま ち並ぶ人なう心やすげなり。をりふしに従ひては、御遊びなどを好ましう世ので、主語は桐壺院。一説には藤壺。 たね 九藤壺腹の皇子。実は源氏の胤。 とう・ぐ、つ 響くばかりせさせたまひつつ、今の御ありさましもめでたし。ただ、春宮をぞ一 0 源氏は、わが子の後見ゆえに。 = 「まことや」は、別の話題を呼 うしろみ いと恋しう思ひきこえたまふ。御後見のなきをうしろめたう思ひきこえて、大び起す常套表現。六条御息所の物 語が新たに開始される趣である。 一ニ前東宮。↓次ハー注三。 将の君によろづ聞こえつけたまふも、かたはらいたきものからうれしと思す。 一三伊勢神宮に奉仕する未婚の皇 のみやすどころ 一いぐう ぜんばう まことや、かの六条御息所の御腹の前坊の姫宮斎宮にゐた女・女王。新帝即位時にト定。 〔ニ〕伊勢下向を思案す 一四以下、御息所の心情。 る御息所と源氏の心境 まひにしかば、大将の御心ばへもいと頼もしげなきを、幼一五姫君はこの時、十三歳。 しゃう あふひ かるがる ひま をさな だい ばくじ、よみ・
ののみや 『拾遺集』の詞書によれば、野宮の斎宮のもとで、庚申の名の惜しけくもなし」。物語では、源氏の御息所への恋の 言葉で、前項の引歌の「楙」の縁から、この「神の斎垣」 折に「松風夜ノ琴ニ入ル」の題で詠まれた歌という。「を」 は、「緒」「峰」の両意。物語では、この歌の、琴の音と松へと連なり、それが御息所の「神垣は : ・」の歌をも導く。 いほみわ 語 . 2 1 よ 1 わが庵は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ 風の交響する情趣を基に、さらに虫の音を加えながら、御・ かど ( 古今・雑下・九八一一読人しらず ) 氏息所の心象風景をかたどっていく。歌にはない「松風すご杉立てる門 私の粗末な家は三輪山のふもとにある。私のことが恋しくな 源く」の表現にも注意したい。 さか . さばしぐれ ったら、訪ねて来てくださいな。杉の木の立っている門を目 ・剏・ 9 ちはやぶる神垣山の楙葉は時雨に色も変らざり じるしにして。 ( 後撰・冬・四五八読人しらず ) 神垣山の楙の葉は、冬を迎える時季の時雨が降っても、紅葉女が男の求婚に応じて、自らの素姓を明かすという発想の することなく、色変らないのだった。 歌。もともと民謡であったらしい。物語では御息所が、こ 「ちはやぶる」は枕詞。「時雨」は木々の葉をあざやかに紅の歌の表現を逆手にとって、「しるしの杉」もなく「とぶ けそう らひ来ませ」とも言っていないのだからと、源氏の懸想に 葉させるが、楙だけは例外だという発想。物語では、野宮 反発したことになる。 にふさわしい楙を手にした源氏が、この変色しない楙に、 をとめ ) ) みづがき 御息所への己が変らざる心の表現を託そうとする。 4 少女子が袖ふる山の瑞垣の久しき世より思ひそ いがき おほみやびと . 0 ( 拾遺・雑恋・一一一一 0 柿本人麿 ) 、ー人 1 ちはやぶる神の斎垣も越えぬべし大宮人の見まめてき ふるやま ( 伊勢物語・七十一段 ) 少女が袖を振るという布留山の、その神垣のように、久しい ノ、ほしさに 前からあなたを思ってきた。 越えてはならぬ神垣をも越えてしまいそうだ。大宮人のあな たに逢いたいばっかりに。 「瑞垣の」まで序詞。「ふる山の瑞垣」は今の天理市、石上 「神の斎垣」は、神社の神聖な垣。そこを「越え」るとは、 神社の垣。『万葉集』に酷似した類歌があり「少女らが : 神に仕える者がその禁制を破って情交することを意味する。久しき時ゅ思ひきわれは」 ( 巻四・五 0 一人麿 ) 、「少女らを : 『伊勢物語』では、伊勢斎宮に勅使として派遣された男に、 久しき時ゅ思ひけりわれは」 ( 巻十一・一一四一五 ) 。物語では、源 女から贈った歌。類歌が、『万葉集』 ( 巻十一・一一六六三作者不氏の歌の前半「少女子があたりと思へば」にこれがふまえ 明 ) 、『拾遺集』 ( 恋四・九 = 四人麿 ) にあり、下句「今はわが られ、神域の恋の情緒をとりこめている。 おの ことばがき
そうまう 亡き母の兄の僧坊に滞在するが、紅葉の名所でもあった雲時代を経たという感じの民家が並ぶ。西は大徳寺の境内で 林院の秋景は、心にしみることが多いのであった。光源氏片側町になっていて、その東側に、大徳寺納豆、一休昆布 ひとこま は、ふと、哀愁を帯びた雲林院の歴史の一齣に思いを馳せなど、京都ならではの食料品を売る店々がある。精進料理 いざな たかもしれない。 で知られる「一久」も新しく店を出して、昼の休憩を誘う。 やがて左折、雲林院から徒歩二十分ほどで今宮神社である。 紫式部の誕生より百年ほども早い貞観十一年 ( 八六九 ) に、 つねやす ナつれる「あぶ 離宮紫野院は、仏寺雲林院となった。ここに入った常康親参道の両側の茶店かざりや、いち和からか : 王が出家した年である。親王は、仁明天皇の第七皇子であり餅どうどす」の呼声を聞き流して境内に入る り、父帝の愛を一身に集めたという。しかし、仁明帝崩御今宮神社は中世以来、「やすらい祭」の花傘が三月十日、 きようわらわ ののち、親王は不遇のうちにその生涯を送らねばならなか紫野一帯を練り歩き、奇祭として氏子のみならず京童の眼 きのなとら った。親王の母は、紀名虎の娘。藤原氏が勢力を伸ばす世を楽しませた。現在は四月の第二日曜日が祭の日で、民俗 はや にあって、紀氏出身の母を持っ親王が不幸に追いやられて学者がカメラのファインダーを覗きながら、笛や太鼓の囃 し 子に合せてダイナミックに踊る花傘の練り衆の後を追って いったのは、時代の必然とも言うべきであろう。 あきはぎ 歩いている。祭好きの人には必見の祭といってよい 吹き迷ふ野風を寒み秋萩の移りもゆくか人の心の えやみ ( 古今恋五大一 ) この祭は、今宮の主神の社の西に祀られている疫の神の 雲林院の親王の作は、この一首のみが古今集中にみえる。祭である。春、百花が乱れ咲く真最中にこの祭が行われる よりしろ 吹き乱れる野風にうつろう秋萩、それと同じように移りゆのは、花を依代として、京中の疫病を花に招き寄せてそこ はなしず く人の心のつれなさを親王は詠む。雲林院に参詣することに鎮まらせる、花鎮めが目的という。 今宮神社にはまた、織姫の社も建てられているし、徳川 を決心した光源氏の心境も、これと同じであった。藤壺は、 けいし・よういん あきれるほどにつれないばかりであったのだから。 五代将軍綱吉の生母桂昌院は、この西陣の出身なので、彼 からかねどうろう 大徳寺通りを北に行く。この通りは旧大宮通で、一条大女や実家本庄家の寄進の石橋や唐金灯籠が遺り、まだ完全 には剥落していない古い絵馬が掛けられている絵馬堂とと 宮と上賀茂をむすぶ古道。それだけに、曲折した道筋に、
ころがおありですが、やはりまだほんとに幼いので」など故院が管絃のお遊びをお催しあそばされて、はなやかにお と、そのご日常のさまも申しあげなさって、ご退出になる、過しになったことなどをお思い出しになるにも、同じ宮中 そのとき、大宮の御兄の藤大納言の子の頭弁というのが でありながら、昔に変ることが多く、悲しみをそそられる。 語 物 この人は今の時勢にあって得意気にふるまっている若 ここのヘに霧やヘだつる雲の上の月をはるかに思ひや るかな 源人で、何一つ気がねすることもないのであろう、妹君の麗 けいでん 景殿女御の御方に行こうとするところへ、源氏の大将の御 ( 幾重にも霧が立ちこめて私を隔てているのでしようか、雲 前駆がひそやかに先払いをして行くと、しばらく立ち止っ の上の見えない月をはるかに想像しておりますー宮中には悪 はく、一う て、「白虹日を貫けり。太子畏ぢたり」と、じつにゆっく 意ある人々がいて妨げるせいでしようか、私は帝にお目にか かることができません ) りした口調で吟じているのを、大将はまことに目をそむけ みようぶ たい思いでお聞きになるけれども、といってどうにもまと と、命婦を取次にしてお伝えになる。御座所も近いので、 とが もに咎めだてすることもできない。大后のお気持はじつに 御簾のうちのご様子が、ほのかながらも懐かしく漏れ聞え 恐ろしく、気のつまるようなことばかり耳にはいってくる るので、源氏の君は日ごろの恨めしさもつい忘れて、まず し、またこのように大后の近親の人々までこれ見よがしに 涙がこばれ落ちる。 あてこするようなことが数々あって、君は面倒なお気持で 「月かげは見し世の秋にかはらぬをへだつる霧のつら くもあるかな いらっしやるけれども、もつばら気にもとめぬふりをよそ おうておられる。 ( 月の光はこれまでの秋と変りませんのに、それを隔てる霧 の心が恨めしく思われます ) 「帝の御前にまいりまして、今まで夜を更かしてしまいま あいさっ した」と、中宮にご挨拶申しあげなさる。 『霞も人の』とか、昔もございましたのでしようか」など と申しあげなさる。 三巴源氏、藤壺の方に中宮は、折から月の光が明るくさし な′一り 参上、歌に思いを託すているので、昔このような折には、 宮は、東宮とのお別れをいつまでも名残惜しくおばしめ ふ れい
271 葵 ( 原文九九ハー ) て、さまざまの御物忌などをさせておあげになる。こうし錐の余地もなく、恐ろしいほどに雑踏している。あちらこ さじき いとま ちらの方々の御桟敷は、思い思いに趣向の限りをこらした た取込みの間は、君は一段とお気持の安らぐ暇もなく、な いだぎめ みもの おざりになさるおつもりではないけれども、御息所などに 飾りつけや、女房の出し衣の袖口までもたいへんな見物で ある。 はしぜんご無沙汰も重なるにちがいない。 左大臣家の女君は、このようなお出かけもあまりなさら 〔四〕新斎院御禮の日、そのころ、斎院もお退きになって、 葵の上物見に出る ぬうえに、ご気分もすぐれなかったので、そのおつもりも 皇太后腹の女三の宮がお立ちになっ なかったのだが、若い女房たちが、「どんなものでしよう、 た。父帝や母后が格別たいせつな人と思い申していらっし 私どもだけでひっそりと見物いたしましてもおもしろみが やる姫宮であるし、こうした特別のご身分におなりになる ございますまい。ご縁のない人たちでさえ、今日の物見に のをまことにつらくおばしめされるが、他の姫宮たちで適 やまがっ は、まず大将殿を、いやしい山賤までが拝見しようという 当な方がいらっしやらないので、その儀式など、規定どお ことだそうです。遠い国々から妻子を引き連れ引き連れ都 りの神事ではあるけれども、盛大に催される。賀茂の祭の に上って来るといいますのに。ごらんになりませぬのはい 折は、定まった表向きの行事のほかに付け加わることが多 みもの かにもあんまりでございます」と言うのを、大宮がお聞き く、このうえない見物である。それもこの斎院のご身分に かんだちめ になって、「ご気分もまずまずという折です。お付きの人 よると思われた。御禊の日は、上達部などもきまった人数 ぐぶ と人もつまらなさそうにしているようですから」と急に触れ で供奉申しあげられることになっているけれども、 したがさね に人望が厚く、容姿の立派な方々ばかりを選んで、下襲をお回しになったので、物見にお出ましになる。 くら うえのはかま の色合い、表袴の模様、馬や鞍までみな立派にととのえて 〔五〕葵の上の一行、御日が高くなって、お支度もそう格式 いたが、特別の仰せ言があって、大将の君もご奉仕なさる息所の車に乱暴をするばらぬ程度にしてお出かけになった。 すぎま 隙間もなく物見車が立ち並んでいるので、一行は美々しく のである。そんなわけで、物見車で見物の人々は、かねて りつ からその支度に気をくばっていたのだった。一条大路は立列をなしたまま、立往生している。身分のある女房車がた も ひ すい
斎宮をも、ここの皇女たちと同列に考えているのだから、 この一件が院のお耳にもはいり、世間の人も知らぬ者はな いずれにしても、疎略なことがあってはなるま、 くなってしまっているのに、それほどに深くも思ってはく になって、こうした浮気をしていては、じっさい世間の非 ださらない、そのお心のつれなさを、御息所はたいそうお 語 物難を免れぬことになる」などとご機嫌がわるいので、また嘆きになるのだった。 氏 君ご自身のお気持としても、 いかにも仰せのとおりと胸に 〔三〕朝顔の姫君の深慮、こうした噂をお聞きになるにつけて 源 こたえるので、恐縮して控えていらっしやる。「相手の面葵の上の懐妊 も、朝顔の姫君は、何としても自分 目をつぶすようなことなく、どちらをも角の立たぬように だけはあのお方の二の舞はすまい、と強く決心していらっ 扱って、女の恨みを負わぬようにせよ」と仰せられるにつ しやるので、これまでの形ばかりのご返事なども、今はあ けても、けしからぬわが心の大それた気持を万一にもお聞 まりおあげにならない。かといって、無愛想な、また相手 きつけあそばすようなことになったら、と恐ろしいので、 に気まずい思いをさせるようなそぶりをお示しになるので かしこまって御前を退出なさった。 はないご様子を、源氏の君も、やはりこの方はどこか違っ また、こうして院のお耳にもはいって、あのように仰せ ていらっしやる、といつもお思いになっている。 になるにつけても、そのお方のご名誉のためにも、またご 左大臣家の女君は、こうしてはっきりしない君のお気持 自身のためにも、 いかにも浮気沙汰めいて見苦しく思われを快からずお思いになるけれども、あまりにもはばかりな とが るので、いよいよ捨ておけぬ大事なお方として、おいたわ いお仕打ちが、咎めだてしてもはじまらぬことだからであ しいこととは思い申しあげていらっしやるものの、まだ表ろうか、それほど深くお恨み申しあげなさらない。その女 だってはとくにはっきりとしたお扱いをしておあげになっ君は、今おいたわしいお体でご気分もすぐれず、いかにも ていない。女のほうも、不似合いなお年の違いをきまりわ 心細そうにしていらっしやる。源氏の君は、はじめてのご おも - もも・ るくお思いになって、とかくご遠慮がちの面持なので、君懐妊とてしみじみいとおしくお思い申しあげられる。皆一 は、そうしたお仕向けに気がねしているかにふるまわれて、同うれしいものの、一方では不吉な場合をもお考えになっ うわ