源氏物語 42 一「生ひなほり」は、悪かったも こばれ出でたるほどいとめでたし。生ひなほりを見出でたらむ時と思されて、 のがよくなること。前ハー一〇行 かうし 「いかにぞ、あらためて : ・」に照応。 格子ひき上げたまへり。 ニ雪の朝、姫君の醜貌に気づい もの′ ) いとほしかりし物懲りに、上げもはてたまはで、脇息をおし寄せてうちかけて不憫に思い、それに懲りたので。 四 三上げかけた格子を、その途中 きゃうだい から て、御鬢ぐきのしどけなきをつくろひたまふ。わりなう古めきたる鏡台の、唐で脇息の上にのせた。明るくして 姫君が見えすぎ、いやな思いをし ぐ かかげ ないための配慮。 櫛笥、掻上の箱など取り出でたり。さすがに、男の御具さへほのばのあるを、 四「唐櫛笥」は、中国ふうの櫛笥。 っ、く されてをかしと見たまふ。女の御装束、今日は世づきたりと見ゆるは、ありし「掻上の箱」は、髪結い道具の箱。 五多少混じっている、の意。 きよう , : : つば 箱の心葉をさながらなりけり。さも思しよらず、興ある文つきてしるき表着ば六源氏が贈った衣装箱。姫君は、 源氏の意向で選ばれた衣装をその かりぞあやしとは田 5 しける。源氏「今年だに声すこし聞かせたまへかし。待たまま着用していたことになる。 セおやっと思い出される。源氏 けしき るるものはさしおかれて、御気色のあらたまらむなむゆかしき」とのたまへば、は表着だけに気づいた。 あした 〈「あらたまの年たちかへる朝 末摘花「さへづる春は」とからうじてわななかしいでたり。源氏「さりや。年経ぬより待たるるものは鶯の声」 ( 拾 遺・春素性法師 ) 。 ももちどり るしるしよ」とうち笑ひたまひて、「夢かとそ見る」とうち誦じて出でたまふ九「百千鳥さへづる春は物ごと にあらたまれども我ぞふりゆく」 ふ そばめ すゑつむはな を、見送りて添ひ臥したまへり。ロおほひの側目より、なほかの末摘花、いと ( 古今・春上読人しらず ) 。 一 0 前掲歌・・我そふりゆく」に即し て、年をとったから物が言えた。 にほひやかにさし出でたり。見苦しのわざやと思さる。 = 「忘れては夢かとぞ思ふおも ひきや雪踏みわけて君を見むと び お けふそく もん うはぎ 一 0 へ
前ハー八行の「宮たち」。 まひて、帝「わざとあめるを、早うものせよかし。女御子たちなども生ひ出づ ニあなたを他人とは思うまい よそ る所なれば、なべてのさまには思ふまじきを」などのたまはす。御装ひなどひ三表が白の唐織の綺 ( 錦に似た すおう 語 薄い織物 ) 、裏が蘇芳。若人向き。 から 物 きつくろひたまひて、いたう暮るるほどに、待たれてぞ渡りたまふ。桜の唐の直衣は、貴族の常用服。 氏 四赤紫色。「下襲」は、正装の際、 なほし えびぞめしたがさねしり うへのきめ 綺の御直衣、葡萄染の下襲、裾いと長く引きて、皆人は袍衣なるに、あざれた袍・半臂の下に着る衣。その裾を 長く垂れ下げるのを「裾」と呼ぶ。 るおほきみ姿のなまめきたるにて、いっかれ入りたまへる御さま、げにいとこ源氏は直衣を正装に準じて着用 五源氏以外はみな正装。袍に指 となり。花のにほひもけおされて、なかなかことざましになん。遊びなどいと貫を着けて下襲の裾を長く引く。 六身分高いほど略装が許される。 おもしろうしたまひて、夜すこし更けゆくほどに、源氏の君、いたく酔ひなや略装の源氏のしゃれた皇子姿。 セ「いつく」は、丁重に世話する。 めるさまにもてなしたまひて、紛れ立ちたまひぬ。 〈源氏の美麗さをたたえる表現。 九酔いを装い女君に近づく魂胆。 しんでん一 0 ひ・むがし 寝殿に女一の宮、女三の宮のおはします、東の戸口におはして、寄りゐたま一 0 一行目の「女御子たち」。 = 宴席の東の対から寝殿の東に。 へり。藤はこなたのつまにあたりてあれば、御格子ども上げわたして、人々出三下長押に寄りかか 0 てすわる。 一三出し衣のこと。居並ぶ女房た そでぐち でゐたり。袖ロなど、踏歌のをりおばえて、ことさらめきもて出でたるを、ふちが御簾の下から袖口を出す。踏 歌 ( ↓末摘花四一ハー注一一 0 ) や大饗な さはしからすと、まづ藤一亞わたり思し出でらる。源氏「なやましきに、 ど宮中行事の風俗。これをまねる 右大臣家の派手好みに批判的な源 一五おまへ たう強ひられてわびにてはべり。かしこけれど、この御前にこそは、にも隠氏」、 = = でもひるがえ 0 て藤壺 の奥ゆかしさを想起。↓八六ハー。 つまど させたまはめ」とて、妻一尸の御簾をひき着たまへば、「あな、わづらはし。よ一四酒を無理強いさせられて。 たふか みす ふ みかうし をむなみこ めき はんび
( 現代語訳三四三ハー ) ない源氏を恨み、そらとばける歌。 わりにもあれば、さすがなり。「かやうの際に、筑紫の五節がらうたげなりし 宅女がわざと不審がる、の意。 いとま としつき はや」とまづ思し出づ。いかなるにつけても、御心の暇なく苦しげなり。年月一 ^ 「花散りし庭の梢も茂りあひ て植ゑし垣根もえこそ見わかね」 なさけ を経ても、なほかやうに、見しあたり情過ぐしたまはぬにしも、なかなかあま ( 紫明抄 ) 。家を間違えたか、の意。 一九女は内心では悔まれ感慨も深 たの人のもの思ひぐさなり。 源氏への執着を捨てていない。 ニ 0 遠慮すべき事情。新しい男が ニ五 かの本意の所は、思しやりつるもしるく、人目なく静かに通っているのでは、と直感される。 〔三〕源氏、麗景殿女御 ニ一同じ中流階級の女。 と昔語りをする 一三五節の舞姫に選ばれ、筑紫に ておはするありさまを見たまふもいとあはれなり。まづ、 いたことのある女。須磨巻に後出。 ニ七 女御の御方にて、昔の御物語など聞こえたまふに、夜更けにけり。二十日の月ニ三源氏の性行 ( ↓一一〇三ハー注一 l) 。 ニ九 関係を断ち切れぬための苦悩。 こぐら こだか たちばな さし出づるはどこ、 しいとど木高き影ども木暗く見えわたりて、近き橘のかをりニ四麗景殿女御・花散里のいる邸。 一宝想像なさったとおり。 なっかしく匂ひて、女御の御けはひ、ねびにたれど、飽くまで用意あり、あて兵世の移り変りを見る気持。 毛故桐壺院在世当時の昔話。 三 0 にらうたげなり。すぐれてはなやかなる御おばえこそなかりしかど、睦ましう = ^ 五月二十日。月の出が遅い ニ九橘は懐旧のよすが ( 次ハー注一 ) 。 三ニ 三 0 かばってやりたい弱々しさ。 里なっかしき方には思したりしものを、など思ひ出できこえたまふにつけても、 三一桐壺院の寵愛。 散 三ニ主語は桐壺院。 昔のことかき連ね思されてうち泣きたまふ。 花 三三先刻の中川の宿の垣根。 ほととぎす三三 「いにしへのこと語らへばほ 郭公、ありつる垣根のにや、同じ声にうち鳴く。慕ひ来にけるよ、と思さる三四 ととぎすいかに知りてか古声のす 三四 ずん る」 ( 古今六帖五 ) 。 るほども艶なりかし。「いかに知りてか」など忍びやかにうち誦じたまふ。 えん きは つくし ニ六 ごせち ニ ^ むつ
レしいとかたはらいたう、立一源氏が不体裁に立ちつくす意。 な」と、まめやかに聞こえたまへば、人々、「デこ、 ニ定めかねる気持からの発語。 三周囲の女房の目にも。 ちわづらはせたまふに、いとほしう」などあっかひきこゆれば、「いさや、こ 四源氏の思惑にも。一説には、 語 物この人目も見苦しう、かの思さむことも若々しう、出でゐんが今さらにつつま斎宮の思惑にも。「若々し」は年が 氏 いもない意。自制心がないとする。 な ) け 五逢うまいと薄情にふるまうの 源しきこと」と思すにいとものうけれど、情なうもてなさむにもたけからねば、 にも、それだけの気丈さがない。 六↓前ハー注 = 九。 とかくうち嘆きやすらひてゐざり出でたまへる御けはひいと、いにくし。 セ「簀子」は、廂の外側の板敷。 すのこ のば ここでの対面は最も疎略な扱い 源氏「こなたは、簀子ばかりのゆるされははべりや」とて、上りゐたまへり。 〈上旬の月で、夕方から出る。 ゅふづくよ はなやかにさし出でたるタ月夜に、うちふるまひたまへるさまにほひ似るもの物語では、恋の訪問の場面に多用。 九内から発する、つややかな美。 なくめでたし。月ごろのつもりを、つきづきしう聞こえたまはむもまばゆきほ一 0 もっともらしい弁解もきまり わるいくらいに疎遠であった。日 どになりにければ、榊をいささか折りて持たまへりけるをさし入れて、源氏「変常的な言葉では心を通わしがたい。 = 野宮にふさわしい景物。歌語 : : つう がき として和歌を引き出す点に注意。 らぬ色をしるべにてこそ、斎垣も越えはべりにけれ。さも心憂く」と聞こえた 一ニ簀子にいる源氏が、廂にいる 御息所に、隔ての御簾をくぐらせ。 まへば、 一三変らぬ私の心を。「ちはやぶ る神垣山の楙葉は時雨に色も変ら 御息所神垣はしるしの杉もなきものをいかにまがへて折れるさかきそ ざりけり」 ( 後撰・冬読人しらす ) 。 一四理不尽な逢瀬。「ちはやぶる と聞こえたまへば、 神の斎垣も越えぬべし大宮人の見 をとめご さかきばか まくほしさに」 ( 伊勢物語七十一 源氏少女子があたりと思へば楙葉の香をなっかしみとめてこそ折れ き一かき 六
れなど思ふ心もなけれど、もの思ひにあくがるなる魂は、さもやあらむと思し一物思いで魂が肉体から遊離。 「物思へば沢の蛍もわが身よりあ たま くがれ出づる魂かとぞ見る」 ( 後拾 知らるることもあり。年ごろ、よろづに思ひ残すことなく過ぐしつれどかうし 語 遺・雑六和泉式部 ) も同発想。 くだ 四 物も砕けぬを、はかなきことのをりに、人の思ひ消ち、無きものにもてなすさまニ↓「年ごろは : ・」 ( 一〇七ハー末 ) 。 三ありったけの物思い みそぎ ひと 源なりし御禊の後、一ふしに思し浮かれにし心鎮まりがたう思さるるけにや、す車争い。御息所には重大事件。 五人が自分を問題にもせず、軽 こしうちまどろみたまふ夢には、かの姫君と思しき人のいときよらにてある所蔑し無視する態度をとった。 六車争い。「けにや」まで挿入句。 うつつ に行きて、とかくひきまさぐり、現にも似ず、猛くいかきひたぶる心出で来て、セ浮遊した魂。↓「御心地も浮 きたるやうに」 ( 一〇六ハー三行 ) 。 たびかさ こ、一ろう うちかなぐるなど見えたまふこと度重なりにけり。あな心憂や、げに身を棄て ^ 以下、無意識のうちに物の怪 として葵の上をなぶる自分を見る。 九あちこち引き回し。 てや往にけむと、うっし心ならずおばえたまふをりをりもあれば、さならぬこ 一 0 荒々しく恐ろしい、やりとげ とだに、人の御ためには、よさまのことをしも言ひ出でぬ世なれば、ましてこようとする気持。語の重畳に注意。 = 荒々しく揺さぶり動かす。 れはいとよう言ひなしつべきたよりなりと思すに、、 しと名立たしう、「ひたす三自分の行動が夢に見える。 一三わが運命の痛恨を繰り返す。 な 一四わが魂の浮遊に自ら納得。 ら世に亡くなりて後に恨み残すは世の常のことなり、それだに人の上にては、 一九 「身を捨ててゆきやしにけむ思ふ うつつ 罪深うゆゅしきを、現のわが身ながらさる疎ましきことを言ひつけらるる、宿よりほかなるものは心なりけり」 ( 古今・雑下凡河内躬恒 ) による。 ニ 0 三魂の浮遊などない人の場合で 世のうきこと。すべてつれなき人にいかで心もかけきこえじーと思し返せど、 さえ。以下、世の人の口さがなさ。 一六「だに」の文脈を受けて、まし せ 「思ふもものを」なり。 たけ たましひ す すく
一京に留まろうと思い返してみ さりとて立ちとまるべく思しなるには、 かくこよなきさまにみな思ひくたすべ ると、世間からの侮蔑にさらされ かめるも安からず、「釣する海人のうけなれやーと、起き臥し思しわづらふけているわが身が堪えがたい。 ニ「伊勢の海に釣する海人の泛 語 四 子なれや心ひとつを定めかねっ 物にや、御心地も浮きたるやうに思されて、なやましうしたまふ。大将殿には、 る」 ( 古今・恋一読人しらす ) 。下 くだ 源下りたまはむことを、もて離れて、あるまじきことなども妨げきこえたまはず、向をも在京をも決めかねる気持。 三精神の不安定。「浮き」は前の す ものけ 引歌による言辞。後の物の怪の出 源氏「数ならぬ身を見まうく思し棄てむもことわりなれど、今は、なほいふか 現を予示させる表現か。 ひなきにても、御覧じはてむや浅からぬにはあらん」と聞こえかかづらひたま四精神不安から肉体的にも病む。 五御息所の下向について無関心。 みそぎがは へば、定めかねたまへる御心もや慰むと立ち出でたまへりし御禊河の荒かりし六お引き留めにならず、の意。 セ私ごとき人数にも入らぬ者を、 見るのがいやとお見捨てになるの 瀬に、いとどよろづいとうく思し入れたり。 も。責任転嫁のいやみな言い方。 大殿には、御物の怪めきていたうわづらひたまへば、誰も ^ ふがいのない自分であっても。 三〕懐妊中の葵の上、 九末長く逢ってくださるのが。 一四あり 物の怪に悩まされる 誰も思し嘆くに、御歩きなど便なきころなれば、二条院に一 0 「かかづらふ」は難癖をつける。 一一これも前の引歌による表現 三車争いをさす。 も時々ぞ渡りたまふ。さはいへど、やむごとなき方はことに思ひきこえたまへ 一三「物の怪」は、人に取りつく死 る人の、めづらしきことさへ添ひたまへる御悩みなれば、心苦しう思し嘆きて、霊・生霊 ( 生きている人の霊 ) など。 一四源氏の愛人たちへの忍び歩き。 みずほふ ものけ いきすだま 御修法や何やなど、わが御方にて多く行はせたまふ。物の怪、生霊などいふも三葵の上に薄情だとはいえ。 一六れつきとした正妻としては。 ニ 0 の多く出で来てさまざまの名のりする中に、人にさらに移らず、ただみづから宅懐妊をさす常套表現。 つり 一九 一三ものけ びん ふ 寺一また たれ
源氏物語 38 ことこ こえさせにくくなむ」と 、いたう一言籠めたれば、源氏「例の艶なる」と憎みた一思わせぶりだ。この「艶」は恋 愛的な情趣。前にも「あまり色め いたり」 ( 一六ハ ー一行 ) とあった。 まふ。命婦「かの宮よりはべる御文」とて取り出でたり。源氏「ましてこれはと ニめったに手紙をくれない姫君 みちのくにがみあつご からの手紙だから、まして。 り隠すべきことかは」とて、取りたまふも胸つぶる。陸奥国紙の厚肥えたるに、 三檀紙。白く厚ばったい。懸想 うすよう 文は薄様で、これは用いない 匂ひばかりは深う染めたまへり。いとよう書きおほせたり。歌も、 四あの姫君にしては、の皮肉。 五「着るーの枕国・からころも」が 末摘花からころも君が心のつらければたもとはかくぞそばちつつのみ 「君」にかかるのは異例。「たもと ころもばこ は縁語。「そばっ」は ( 涙で ) 濡れる。 心得ずうちかたぶきたまへるに、つつみに衣箱の重りかに古代なる、うち置き 六唐衣や袂を詠み込んだ理由、 ておし出でたり。命婦「これを、いかでかはかたはらいたく思ひたまへざらむ。「かく」が何をさすか、不審に思う。 セ元旦の源氏のお召物。これを されど、朔日の御よそひとてわざとはべるめるを、はしたなうはえ返しはべら贈るのは普通は北の方の仕事。 ^ 姫君におし返せば、ばつの悪 たが い思いをすると、分っている。 ず。ひとり引き籠めはべらむも人の御心違ひはべるべければ、御覧ぜさせてこ 九自分 ( 命婦 ) が。「人」は姫君。 一 0 その後に適宜処理しよう。 そは」と聞こゆれば、源氏「引き籠められなむはからかりなまし。袖まきほさ = 「からし」は、つらい意。 あわゆき 三「沫雪は今日はな降りそ白た しとうれしき心ざしにこそは」とのたまひて、ことにもの言 む人もなき身に、、 への袖まき乾さむ人もあらなく に」 ( 万葉一一三 = l) 。姫君の「そばちっ はれたまはず。「さても、あさましのロつきや。これこそは手づからの御事の つのみ」への戯れ。 じじゅ・つ はかせ 一三精いつばいの詠みぶり。 限りなめれ。侍従こそとり直すべかめれ、また筆のしりとる博士ぞなかべき」 一四字を教える人。 、とも一五流行色。後の「紅の」の歌から と言ふかひなく思す。心を尽くして詠み出でたまへらんほどを思すに、し ついたち 四 えん
もみぢ 一「秋の野になまめき立てる女 紅葉やうやう色づきわたりて、秋の野のいとなまめきたるなど見たまひて、 郎花あなかしがまし花も一時」 ( 古 1 ふるさと ろんぎ 古里も忘れぬべく思さる。法師ばらの才あるかぎり召し出でて論議せさせて聞今・雑体僧正遍照 ) によるか。 ニ経文の義をめぐる論議。 語 物こしめさせたまふ。所からに、い とど世の中の常なさを思しあかしても、なほ三「明かし」で次の引歌を導く。 氏 四「天の戸をおしあけ方の月見 がた 源「うき人しもぞ」と思し出でらるるおし明け方の月影に、法師ばらの閼伽たてれば憂き人しもぞ恋しかりける」 ( 新古今・恋四読人しらず ) で、 まつるとて、からからと鳴らしつつ、菊の花、濃き薄き紅葉など折り散らした次の「おし明け方の : ・」を導く。こ こでの「う ( 憂 ) き人」は、藤壺。 るもはかなけれど、この方の営みは、この世もつれづれならず、後の世はた頼五仏に供える水。 六仏道修行に明け暮れる生活。 もしげなり。さもあちきなき身をもて悩むかな、など思しつづけたまふ。律師セ仏道生活への憧れから反転し て、自分の苦悩の人生を顧みる。 九 ねんぶっしゅじゃうせふしゅふしゃ のいと尊き声にて、「念仏衆生摂取不捨」と、うちのべて行ひたまへるがいと ^ 『観無量寿経』の一節。阿弥陀 如来は、念仏する衆生を自らのも うらやましければ、なそやと思しなるに、まづ姫君の心にかかりて、思ひ出でとに摂取して捨てはしない、の意。 九声を長く引いて。 一 0 なぜ自分は出家できないのか。 られたまふぞ、いとわろき心なるや。 ここでも紫の上の存在から出 例ならぬ日数も、おばっかなくのみ思さるれば、御文ばかりぞしげう聞こえ家が留保。↓葵一二一ハー注 = 五。 一ニ語り手の評。読者の非難を先 取りしながら、源氏の苦衷を暗示。 たまふめる。 一三紫の上に逢わぬ気がかり。 ゅ 源氏行き離れぬべしやと試みはべる道なれど、つれづれも慰めがたう、、い細五現世からの離脱。「道ーは縁語。 三僧への質問を聞き残している。 さまさりてなむ。聞きさしたることありて、やすらひはべるほどを、いか一六あなたはどうお過しか。 いとな ぎえ
は、この女君のいとらうたげにてあはれにうち頼みきこえたま〈るをふり棄てが留保される。↓葵一二一「注一三。 三藤壺。逢瀬での危機感か残る。 一六源氏に恨みを持たれては東宮 むこといとかたし。 が不憫。藤壺は源氏を東宮唯一の 宮も、そのなごり例にもおはしまさず。かうことさらめきて籠りゐ、おとづ後見と考え、以下に彼の出家を懸 念。源氏自身の「なそや : ・と照応。 みやうぶ 宅源氏をむげに疎略にできない。 れたまはぬを、命婦などはいとほしがりきこゅ。宮も、春宮の御ためを思すに むしろ、懸想抜きの親交を切望 は、「御心おきたまはむこといとほしく、世をあぢきなきものに思ひなりたま天反転し、源氏との恋を恐れる。 一九右大臣方専横の現実をさす。 はば、ひたみちに思し立っこともや」とさすがに苦し , っ思さるべし。「かかるニ 0 藤壺が中宮になったことを、 大后が恨み続けているという噂。 一九 おほきさき 三中宮の位の返上はありえない こと絶えすは、、 しとどしき世にうき名さへ漏り出でなむ。大后のあるまじきこ ので、ここは出家の意志。 とにのたまふなる位をも去りなん」とやうやう思しなる。院の思しのたまはせ一三藤壺を中宮に立てた院の深慮 に想到しながら、状況の変化に応 しさまのなのめならざりしを思し出づるにも、「よろづのこと、ありしにもあじて東宮擁護の新たな方途を模索。 りよ・一う ニ三漢の高祖は呂后を顧みず妾の せきふじん らず変りゆく世にこそあめれ。戚夫人の見けむ目のやうにはあらずとも、かな戚夫人を熱愛。高祖崩後、呂后の ニ四 子の孝恵が即位すると、呂后は戚 ひとわら 木らず人笑へなることはありぬべき身にこそあめれ」など、世の疎ましく過ぐし夫人とその子趙王を虐殺 ( 史記・ 呂后本記 ) 。物語の情況や人間関 がたう思さるれば、背きなむことを思しとるに、春宮見たてまつらで面変りせ係なども、この史実に類似。 一西世間の物笑い。「うき名さへ 漏り出で」るような危機感を自ら むことあはれに思さるれば、忍びやかにて参りたまへり。 に招き入れて、以下に出家を決意。 一宝熟考の末に決心する意。 一六 おもがは す
( 現代語訳二三六 一七 もしかりしをや。さりとも消えじとねび人どもは定むる。女房「御歌も、こ両意。「かさね」は、衣手 ( 袖 ) を重 ねる、逢わぬ夜を重ねる、の両意。 一ニ姫君の檀紙に合せる趣向。 れよりのは、ことわり聞こえてしたたかにこそあれ、御返りは、ただをかしき 一三縦糸が赤、横糸が紫の織物。 方にこそなど口々に言ふ。姫君も、おばろけならでし出でたまへるわざなれ一四表が薄朽葉、裏が黄色の色目 一五姫君が源氏に贈った装束。 一六紅が禁色で高貴な色合いゆえ。 ば、物に書きつけておきたまへりけり。 一九 宅源氏の贈物に見劣りはすまい ついたち 朔日のほど過ぎて、今年、男踏歌あるべければ、例の所ど一 ^ 年配の女房たち。 〔宅〕正月七日の夜、源 一九正月の数日間。源氏十九歳。 氏、末摘花を訪れる ころ遊びののしりたまふにもの騒がしけれど、さびしき所ニ 0 正月十四日、足を踏みならし ながら催楽を歌って宮中や諸院 せちゑ ぜん のあはれに思しやらるれば、七日の日の節会はてて夜に入りて御前よりまかでを巡り歩く行事。毎年は行われな 。天元六年 ( 九八三 ) 以後廃絶。 よふ ニニとのゐどころ あおうませちえ たまひけるを、御宿直所にやがてとまりたまひぬるやうにて、夜更かしておはニ一正月七日の白馬の節会。左右 馬寮から白馬を庭上に引き出して ニ四 したり。例のありさまよりは、けはひうちそよめき世づいたり。君もすこした天覧の後、群臣に酒食を賜る。 一三宮中の源氏の宿直所。 。、かにぞ、あらためてひきかへたらむニ三夜が更けてから末摘花の邸に。 をやぎたまへる気色もてつけたまへり ニ四にぎやかになって。源氏の援 助で世間並の暮しぶりになる。 時とそ思しつづけらるる。日さし出づるほどにやすらひなして出でたまふ。 花 ニ五「君」は末摘花。柔和な風情。 らう あ ひむがしつまど 摘東の妻一尸おし開けたれば、むかひたる廊の上もなくあばれたれば、日の脚ほニ六末摘花の望ましい変貌を想像。 毛「なす」は意識的にする意。以 なほ どなくさし入りて、雪すこし降りたる光に、、とけざやかに見入れらる。御直前は早々に帰った源氏が、ここで はいかにも帰りにくそうに振舞う。 夭以下、源氏を見送る末摘花。 衣など奉るを見出だして、すこしさし出でて、かたはら臥したまへる頭つき、 かた なめか をとこたふか ニ七 ふ かしら あし