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検索対象: 完訳日本の古典 第15巻 源氏物語(二)
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1. 完訳日本の古典 第15巻 源氏物語(二)

著者紹介 とるため、十二月まで韓国ご滞在中 阿部秋生 ( あべあきお ) 鈴木日出男 ( すずきひでお ) 明治四十年、福岡県生れ。昭和十一年、東京大学卒。平昭和十三年、青森県生れ。昭和四十六年、東京大学大学 安文学専攻。現在、東京大学名誉教授・実践女子大学教院卒。古代文学専攻。現在、成城大学教授。「古代和歌 授。主著に『書紀集解首巻』『源氏物語研究序説』『国文 における心物対応構造」「古今的表現の形式」「浮舟物語 学史概説・中古篇』『源氏物語 ( 日本古典文学全集 ) 』 ( 全試論」「光源氏の須磨流謫」など論文多数。上代・中古 六巻共著 ) など。学生時代にポート部で鍛えた壮健さ文学ゆかりの土地に精通され、よく歩かれる。 で、研究にもますます磨きのかかる昨今である。 秋山虔 ( あきやまけん ) 編集室より 大正十三年、岡山県生れ。昭和二十二年、東京大学卒。☆第十一回配本『源氏物語一一』をお届けいたします。流麗 平安文学専攻。現在、東京大学教授。主著に『紫式部日な現代語訳から入り、原文が楽しめるようになったという 8 記』『源氏物語の世界』『王朝女流文学の世界』『源氏物お便りをたくさん頂戴しました。なお『源氏物語三』は、 語 ( 日本古典文学全集 ) 』 ( 全六巻共著 ) 『更級日記』な来年四月配本の予定です。 ど。研究の合間、時には庭木の枝下ろしもする特技をお☆次回 ( 五十八年十一月 ) 配本は『新古今和歌集一』 ( 峯 持ちである。 村文人校注・訳定価千九百円 ) です。 しぎ 今井源衛 ( いまいげんえ ) 「心なき身にもあはれは知られけり鴫立っ沢の秋の夕暮」 さんせき 大正八年、三重県生れ。昭和二十二年、東京大学卒。現 ( 西行法師 ) など〃三タ〃の歌がよく口ずさまれるように、 在、九州大学名誉教授・梅光女学院大学教授。主著に『古今和歌集』にくらべ、春夏より秋冬の歌が圧倒的に多 『源氏物語の研究』『紫式部』『花山院の生涯』『王朝文学くなっています。 の研究』『源氏物語 ( 日本古典文学全集 ) 』 ( 全六巻共著 ) 真名序・仮名序・巻一 ~ 巻十を収め、巻末に「新古今和歌 『紫林照径』など。韓国外国語大学校の大学院で教鞭を集年表」を付しました。

2. 完訳日本の古典 第15巻 源氏物語(二)

る山の井の水 ( 古今六帖・第二「山の井」 ) 機知だけが、かろうじて二人をつなぎとめている。 くやしいことに、うつかり逢い初めてしまった。山の井の水 ・Ⅷ・ 1 物思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂 が浅いように、相手の浅い、いに袖を濡らしただけのことだ。 ( 後拾遺・雑六・神祇・一一六四和泉式部 ) かとぞ見る 語 物思いに屈していると、沢に飛びかう蛍も、わが体から抜け 前出 ( ↓若紫田四五一ハー下段 ) 。物語では、「袖ぬるる・ : 」の 物 出た魂ではないかと、ふっと思ってしまう。 氏歌を詠んだ御息所が、さらにその歌を補うべく、これを引 源いて、源氏の情愛の浅さゆえのわが苦衷を訴えた。「袖」 和泉式部の代表的な名歌。タ闇に明滅する蛍の光の一つぶ 「濡るる」「水」が両歌に共通。 一つぶが、わが肉体から離れ出た魂か、とする。人間を肉 ・鵬・浅みこそ袖はひつらめ涙川身さへ流ると聞かば体と魂に分析する発想は古くからあるが ( ↓三六七ハー上段 ) 、 たのまむ ( 古今・恋三・六一八在原業平 ) その魂を蛍火と見る点に、この歌の独創があった。物語で その川が浅いからこそ、あなたは袖が濡れるぐらいなのだろ は、これを引歌として意識しているかどうか疑わしいが、 う。恋うる涙の川に体まで流れるほどだと聞いたのなら、あ御息所が無意識のうちに物の怪になっている自分を見つめ なたを信頼することにしよう。 ているというのは、この歌と同じ発想によっている。 藤原敏行が「つれづれのながめにまさる涙川袖のみ濡れて ・Ⅷ・ 7 身を捨ててゆきやしにけむ思ふよりほかなるも ( 古今・雑下・九耄凡河内躬恒 ) のは心なりけり 逢ふよしもなし」と詠んできた相手の女に代って、業平が わが心は体を捨ててどこへやら行ってしまったのだろうか 代作した歌。『伊勢物語』 ( 百七段 ) にも載る、巧妙な贈答 思いどおりにならぬのが、心というものだった。 歌の典型である。恋の悲しみゆえの「涙川」と大げさに訴 ことばがき えてきた歌を、「涙川身さへ流る」と、さらに大げさに押『古今集』の詞書によれば、長く途絶えていた女の恨み言 し返した。言葉の機知を最大限に活かしながら、恋を理知 に応じた歌。言い逃れのような応答の歌だが、物語では、 的に詠み交している。物語では源氏が、御息所の「袖ぬる この「身」「心」の分離をいう発想を根拠に、御息所がわ る : ・」の歌と「 : ・山の井の水」の引歌を、あえて敏行の贈が魂の遊離を納得する。 歌ぐらいのものと受けとめようとするところから、「袖の ・Ⅷ・凵思はじと思ふも物を思ふなり一言はじと = = ロふもこ ( 源氏釈 ) れも言ふなり。 み濡るるやいかに。深からぬ御事になむ」と前置きして、 思うまいと思うのも、物を思っている証拠だ。一一 = ロうまいと一一 = ロ 業平の返歌の発想に即した返歌が導かれてくる。ここでは、 あそ ものけ たま

3. 完訳日本の古典 第15巻 源氏物語(二)

引歌一覧 375 ながら 恋しい人を限りなく思いながら、長柄の橋柱ではないが、思 の橋と我となりけり」 ( 雑上人九 0 読人しらず ) とある。物語 いながらも、その仲が絶えてしまうのだろうか。 では源典侍が、源氏の「思ひながらぞや」に「長柄」の語 「思ひながら」「長柄の橋柱」の掛詞、さらに「長柄の橋の含まれるところから、「橋柱」と応じたことになる。そ 柱」が同音繰返しの序詞で下にかかる。長柄川は淀川の支して、右の下句「ふりぬる身こそ悲しかりけれ」の、老い 流で、大阪市内を流れる。歌枕としての「長柄の橋」は、 の嘆きをこめながら、源氏への親交を哀訴する。 ぎめ 一つに、「ながら」の同音の言葉を連想させる。古く『古 憎からぬ人の着すなる濡れ衣はいとひがたくも ( 古今六帖・第五「衣」 ) 思ほゆるかな 今集』にも「逢ふことをながらの橋のながらへて恋ひわた 憎からぬあの人が着せたと噂される濡れ衣ならば、厭う気に る間に年そ経にける」 ( 恋五人一一六坂上是則 ) 。また、古びる、 もならず、乾かずに濡れ衣のままでいいとも思うことだ。 年老いる、の連想もあるが、次項を参照されたい。物語で うきな は、源典侍に泣いて訴えかけられた源氏が、その場かぎり「なる」は伝聞の助動詞。「濡れ衣」は根拠のない浮名の意、 の慰め言に「思ひながらぞや」と言った。引歌として必ず「着す」と縁語。「いとひ」は、「厭ひ」「干」の掛詞。類歌 しも右の一首とは限らないかもしれないが、その上句「限 が『後撰集』に「憎からぬ人の着せけむ濡れ衣は思ひにあ りなく思ひながらの」は、意味のうえでもふさわしいもの へず今かはきなむ」 ( 恋五・九五七中将内侍 ) 。その類歌の下句 といえよ , つ。 の大意は、思いという火 ( 「思ひ」に「火」を掛ける ) ですぐ けそう ・・貶思ふこと昔ながらの橋柱ふりぬる身こそ悲しか に乾くだろう。物語では、源氏への懸想を桐壺帝に見つけ りけれ ( 一条摂政御集 ) られた源典侍が、この歌を根拠に、「憎からぬ人ゅゑは濡 心に思うことは昔のままながら、長柄の橋柱のように古びて、れ衣をだに着まほしがる」人もいるのだからと、強弁する すっかり年老いてしまったわが身こそ悲しいものだった。 気にもならないという。典侍にとっての源氏は、「憎から 「思ふこと昔ながら」と「ふりぬる身こそ : ・」を、序詞ぬ人」以上なのであろう。 「長柄の橋柱ーで、上からは掛詞を介して、下へは比喩法・ ・昭山城の狛のわたりの瓜作りなよやらい でつないだ表現。歌枕「長柄の橋柱」のもう一つの機能は、 しなやさいしなや瓜作りはれ 古びる、年老いる、を連想させること ( 前項参照 ) 。これも瓜作り我を欲しと言ふいかにせむなよやらいしな ながら 古く『古今集』に「世の中にふりぬるものは津の国の長柄やさいしなやいかにせむいかにせむはれ へ っ め

4. 完訳日本の古典 第15巻 源氏物語(二)

源氏物語 3 も袖の濡れる時はなかった。 産んだ若君こそ、故人をしのぶ唯一の形見であるとする。 ・盟・凵時しもあれ秋やは人の別るべきあるを見るだに 出典未詳。「時雨」は、晩秋から初冬にかけて降る雨。今 恋しきものを ( 古今・哀傷人三九壬生忠岑 ) 年の時雨が格別だというのは、何か悲しみの出来事があり、 時もあろうこ、 冫ただでさえ寂しい秋という季節にあの人と死その涙が加わるから。物語ではこの歌が、源氏の悲傷の歌 に別れるとは。生きている時でさえ、恋しくて常に会ってい の「物思ふ秋はあまたへぬれど」に直接しながら、それを たいと思う人であったのに。 補うべく引かれている。初冬の雨の冷たさが、し ) 、っそう悲 ことばがき しみを強めている。 『古今集』の詞書によれば、紀友則に死別した折の歌。秋 ・・ 9 みなれ木の見なれそなれて離れなば恋しからむ は悲哀の季節、の発想を前提とする表現である。物語の葵 ( 源氏釈 ) の上の死も仲秋八月。ここでは、歌の、親しい友を喪った や恋しからじゃ すっかりなじんでしまってから別れたならば、恋しいだろう 悲しみが、愛する妻を喪った悲嘆に転じて用いられ、さら か、恋しくないだろうか。恋しく思うにきまっている。 に文脈が独り寝のわびしさへと連なっていく。 やまがっ やまと % . 3 11 1 あな恋し今も見てしが山賤の垣ほに咲ける大和出典末詳。「みなれ木」は、水に馴れた木、ここでは「 : なでしこ ( 古今・恋四・六九五読人しらず ) の」で枕詞。「見なれそなれ」に、「水馴れ磯馴れ」の意を 撫子 ああ恋しい、今も見ていたい。あの山人の垣根に咲いている ひびかす。物語では、源氏の、これまで仕えなれてきた女 大和撫子を。 房との別れを惜しむ言葉となっている。 おく しづく ・・ 8 末の露もとの雫や世の中の後れ先立っためしな 古今集時代以後、一般に「撫子」が幼い愛児を象徴するよ るらむ ( 新古今・哀傷・七五七僧正遍照 ) うになったが ( ↓三七一ハー下段 ) 、この「大和撫子」は美し 草木の先端の露と根もとの雫とは、世の中の、人がおくれて い女のこと。おそらく、万葉時代の表現の名残であろう。 死に、あるいは先立って死ぬことのたとえであろうか しかし物語の大宮の歌では、幼い若君 ( タ霧 ) をさすもの として、この歌をふまえている。 家集には、世の無常を痛切に知らされた折の歌として入集 しぐれ ・盟・ 6 神無月いつも時雨は降りしかどかく袖ひつる折 「末の露」と「もとの雫」はそれそれ、消える時間の、早 ( 源氏釈 ) はなかりき くと、遅くとの相違で、下の「後れ」「先立つ」に対応す 十月ともなると、毎年毎年時雨は降ったけれども、こんなに る。しかし、後れるにせよ、先立つにせよ、いずれも定め すゑっゅ

5. 完訳日本の古典 第15巻 源氏物語(二)

・・とりかへすものにもがなや世の中をありしなが ・Ⅲ・ 4 天の戸をおしあけ方の月見れば憂き人しもぞ恋 ( 源氏釈 ) しかり・ける ( 新古今・恋四・一 = 六 0 読人しらず ) らの我が身と思はむ もう一度とり返したいものだ。そうすれば自分を過ぎ去った 戸を押し開け、夜の明け方の月を見ると、私につらい思いを 語 以前のままの自分と思おうに。 させているあの人が恋しくてならない。 氏「天の戸をおし」が、「開け」「明け」の二重の文脈をなす前出 ( ↓帚木田四四二ハー下段 ) 。物語では、ここも、源氏と うりんいん 源序詞。物語では、雲林院での源氏の、断ちがたい藤壺への朝顔の斎院の間には、かって親交があったという前提で、 この歌が引かれている。前項参照。 執心をかたどる。これによって文脈が、「いとど世の中の もみぢ ・・ 8 見る人もなくて散りぬる奥山の紅葉は夜の錦な 常なさを思しあかしても、なほ『うき人しもそ』と思し出 てんてん ( 古今・秋下・ = 九七紀貫之 ) でらるるおし明け方の月影に」と、自転するごとく輾転すりけり る。 見る人もいないのに散ってしまう奥山の紅葉は、いわば、立 身出世しても故郷に帰らぬ人と同じで、夜の闇を錦を着て歩 ・・いにしへのしづのをだまきくりかへし昔を今に いているようなものだった。 ( 伊勢物語・三十二段 ) なすよしもがな いにしえの倭文のおだまきを繰るように繰り返して、昔をも 「富貴ニシテ故郷ニ帰ラザルハ繍ヲ衣テ夜行クガ如シ」 ( 史 う一度今に取りもどす手だてがあってほしいものだ。 記・項羽本紀 ) を下敷きにして、見られざる紅葉を惜しんだ 「をだまき」まで序詞。「しづ」は、古代の織物の一種、縞歌。物語では、源氏が雲林院から持ち帰った紅葉を、藤壺 に贈るための口実として、この歌を用いている。見られる の乱れ模様がある。「をだまき」は、織るために糸を丸く ことなく散り終るのでは惜しいというのである。 巻いたもの、糸を繰るところから「くりかへし」にかかる。 ・・ 1 山桜見に行く道を隔つれば霞も人の心なりけり 『伊勢物語』の男はこの歌を昔の女に贈ったが、そのかい ( 紫明抄 ) もなかった。物語では、源氏の、朝顔の斎院に親交を訴え 山桜を見に行こうとする道を隔ててしまうのだから、霞にも る「かけまくは・ : 」の歌を補強すべくこれが引かれ、斎院 人と同じ隔て心があるのだった。 の歌の「そのかみ」と、この歌の「昔」が照応する。二人 出典未詳。『後拾遺集』 ( 春上・天藤原隆経 ) には、下句「人 の間にはかって深い親交があったという前提でこれが引力 の心ぞ霞なりける」。物語では、源氏の歌「月かげは : ・霧 れるが、それが事実であるかどうかは別の問題である。

6. 完訳日本の古典 第15巻 源氏物語(二)

よひ ハ・ 7 わが背子が来べき宵なりささがにの蜘蛛のふる「涙川」は、涙を川に見立てた表現で、その縁から「底も そとおりひめ ( 古今・恋四・墨滅歌・一二 0 衣通姫 ) まひかねてしるしも あらは」の言葉が導かれる。物語では源典侍の、水辺の波 わが思う人の来るはすの宵だ。蜘蛛の動きまわる様子で、今 にかたどった歌に、水辺の縁から言い添えた引歌である。 からはっきり知られる。 源氏との恋の終りを思って涙も泣きからしたというのだが、 歌も引歌も女のほうから先に詠みかける積極さであり、源 前出 ( ↓帚木田四四二ハー上段 ) 。物語では源氏が、源典侍に すりのかみ 氏を断念しきっていないゆえん。 は愛人の修理大夫の来訪があらかじめ分っていただろうに こまうど ・ " ・ 3 石川の高麗人に帯を取られてからき悔す と、典侍の好色ゆえの浅薄さを難ずる言辞。 くれなるこぞめ る 紅の濃染の衣下に着て上に取り着ばしるから むかも ( 古今六帖・第五「衣」 ) いかなるいかなる帯そ縹の帯の中はたいれなるか かやるかあやるか中はたいれたるか ( 催馬楽「石川」 ) 紅に濃く染めた衣は下に着ることにしよう。もしもこれを上 石川の高麗人に、帯を取られて困ってしまい、ひどく悔んで に着たら目だってしまうだろうからー深く思いこんだ恋は秘 めておこう。 どんな、どんな帯か、縹の帯で、どうせ中が切れている帯か、 「紅の濃染の衣」は、表現の表面上のことで、内実は深く 恋の仲も絶えたのか 思いこんだ恋の気持をいう。隠喩による表現、いわゆる比 ふかそめきめ かやるか、あやるか、中は切れている、恋の仲も絶えてしま 喩歌である。『万葉集』には初二句「紅の深染の衣」、五句 つつ ) 0 「言なさむかも」とあり ( 巻七・三三 ) 、それの伝承歌であろ う。物語では頭中将の、源氏をおどす言葉で、あなた ( 源「石川」は河内国石川郡、今の大阪府南河内郡・富田林市 の石川流域。古くは、高麗人などの帰化系の人々の集落。 覧氏 ) がほころびた衣を着たら、その浮気が知れてしまうだ 「帯を取られ」るとは、手ごめにされる意か。「縹」は、薄 一ろう、の意。 あい 歌 い藍色、浅黄色。「中はたいれなるか」は、「中は絶えたる ・・ 8 別れての後ぞ悲しき涙川底もあらはになりぬと ( 新勅撰・恋四・九三九読人しらず ) か」の意か。この帯の中央には切れ目があるのだろう。そ 思へば 別れた後になってからが悲し、。 し涙の川の底もあらわになるれに、恋仲の絶える意をこめた。「かやるか、あやるか」 ほど泣きつくしてしまったと思うと。 は不明。物語の源氏の歌では、この帯を取られた者に頭中 はなだ

7. 完訳日本の古典 第15巻 源氏物語(二)

憲日本の古典」全巻の内容 荻原浅男 ( 千集大学 ) 国 古事記 小島意之 ( 大阪市立大学 ) 佐竹昭広 ( 京都大学 ) ロロ萬葉集 木下正俊 ( 関西大学 ) 中田規夫 ( 筑波大学 ) 日本霊異記 小沢正夫 ( 中京大学 ) 回 古今和歌集 竹取物語 片洋一 ( 大阪女子大学 ) 福井自助 ( 静岡大学 ) 囮 伊勢物語 松村誠一 ( 成蹊大学 ) 土佐日記 伊牟田経久 ( 鹿児島大学 ) 木村正中 ( 学習院大学 ) 回 蜻蛉日記 永井和子 ( 学習院大学 ) 橋尾聰 ( 学習院大学 ) 囮囮枕草子 秋山虔 ( 東京大学 ) 今井源衛 ( 九州大学 ) 囮ー源氏物語 阿部秋生 ( 実践女子大学 ) 鈴木日出男 ( 成城大学 ) 和泉式部日記 藤岡忠美 ( 神戸大学 ) 中野幸一 ( 早稲田大学 ) 紫式部日記 大養廢 ( お茶の水女子大学 ) 更級日記 鈴木一雄 ( 明治大学 ) 夜の寝覚 堤中納言物語 新買敬ニ ( 広島大学 ) 久保木哲夫 ( 都留文大学 ) 無名草子 橋健一 = 東京女子体育大学 ) 大鏡 馬測和夫 ( 中央大学 ) 今昔物語集 国東文 ( 早陥田大学 ) 今野達 ( 慣浜国立大学 ) 本朝世俗部 新間進一 ( 青山学院大学 ) 梁塵秘抄 峯村文人 ( 国際基督教大学 ) 新古今和歌集 松田成 ( 金城学院大学 ) 石整敬子 ( 跡見学園短期大学 ) 方丈記 神田秀夫 ( 武蔵大学 ) 永積安明 ( 神戸大学 ) 徒然草 久保田淳 ( 東京大学 ) 国国とはずがたり 小林智昭 ( 専修大学 ) ⑩回字治拾遺物語 小林保治 ( 早稲田大学 ) 市古次 ( 東京大学 ) 囮ー平家物語日 囮謡曲集三道 小山弘志 ( 国文学研究資料館 ) 佐体健一郎 ( 武蔵野美術大学 ) 佐藤喜久雄み中尺れ十知期大字 ) 表章 ( 法政大学 ) 謡曲集風姿花伝 囿 北川忠彦 ( 京都女子大学 ) 安田章 ( 京都大学 ) 瓸狂言集 大島建彦 ( 東洋大学 ) 御伽草子集 照康降 ( 早稲田大学 ) 好色一代男 好色五人女 東明雅 ( 信州大学 ) 好色一代女 谷脇理史 ( 筑波大学 ) 國日本永代蔵 万の文反古 神保五彌 ( 早稲田大学 ) 世間胸算用 井本農一 ( 実践女子大学 ) 中村俊定 ( 早稲田大学 ) 図芭蕉句集 場切実 ( 早稲田大学 ) 場信夫 ( 神戸大学 ) 栗山理一 ( 成城大学 ) 井本農一 ( 実践女子大学 ) 国芭蕉文集。去来抄 村松友次 ( 東洋大学 ) 森修 ( 大阪市立大学 ) 島越文蔵 ( 早新田大学 ) 近松門左衛門集 雨月物語 高田衛 ( 都立大学 ) 中村博保 ( 静岡大学 ) 春雨物語 栗山理一 ( 成城大学 ) 囮蕪村集。一茶集 暉岐康隆 ( 早稲田大学 ) 日ロ山本健吉 ( 文会評論家 ) 可山琶古典詞華集 増占和子 ( 上野学囿大学 ) 九山一彦 ( 字都宮大学 ) 松蜷靖秋 ( 工学院大学 )

8. 完訳日本の古典 第15巻 源氏物語(二)

である。地方に対する好奇心ならば、平安貴族にも古くからあったことで、その代表が『今昔物語集』であ ろう。しかし、当代を通じて田舎者がそれなりに評価されるということはまずなかった。 語『源氏物語』もその例外ではない。都から流れて行った人はともかくも、土着の田舎育ちの人物は、その教 ぶこっ 氏養のなさ、無骨さ、そのくせ無理に都人のまねをして優雅に見せようとする愚かなふるまい、あるいは財カ に物を言わせようとするいやしさなどが、すべて滑稽の材料となる。 たまかずら たゆうのげん その代表は、玉鬘の巻の大夫監である。彼は肥後国に一族はびこり、土地での名声も高く、強大な兵力を うち ししささか好きたる心まじりて」美女を求める趣味があり、玉鬘 有する豪族である。「むくつけき心の中こ、、 に目をつけた。武力でおどしをかける一方、香をたきしめた最上等の舶来品の唐紙に、方言まる出しの恋文 を書いて送ってきたが、やがて配下をつれて乗り込んできた。ひどく太った赤ら顔の大男で、しわがれ声で わけの分らぬことをしゃべり散らす気味悪さ。語り手はそれに付け加えて、 けさ・つびとよ 懸想人は夜に隠れたるをこそ、よばひとは言ひけれ、さま変へたる春の夕暮なり。秋ならねども、あや しかりけりと見ゅ。 ( 玉鬘 ) という。「よばひ」は「呼ばひーで、もともと求婚の意だが、ここは『竹取物語』に、「貴公子たちが、夜ご とに訪れてかぐや姫をのぞき見しようと苦心したので、以来『夜ばひ』という」旨書かれているのを利用し て、こういったのである。また、「秋ならねども」云々は、 いっとても恋しからずはあらねども秋のタベはあやしかりけり ( 『古今和歌集』恋一読人しらず ) の古歌を踏まえる。「人恋しさは、ことに秋の夕方が甚だしい」の歌意なので、今は春なのに変だ、という のである。

9. 完訳日本の古典 第15巻 源氏物語(二)

385 引歌覧 なくはかないのが人間の生命であるという。物語は、ともれはまさらで恋ぞまされる」。「雁羽」は所在不明。「櫟柴 に悲嘆にくれる源氏と左大臣の対話で、源氏がこの歌に即 の」まで、「ナラ」「ナレ」の類音繰返しによる序詞。物語 しながら人生一般の無常を説き、左大臣を慰めようともし では、紫の上をなだめる源氏の言葉。うら若い紫の上には、 ている。 源氏との新枕はあまりに唐突な出来事であった。源氏を疎 ちり す ・・ 7 塵をだに据ゑじとぞ思ふ咲きしより妹とわが寝む紫の上は、しかし源氏にはかえって魅力ある存在であっ る常夏の花 ( 古今・夏・一六七凡河内躬恒 ) 前出 ( ↓三七二ハー上段 ) 。「とこなっ」は、男女の性愛を連想。 賢木 この歌をふまえて、葵の上と死別した後の空閨の悲しみを かたどった。 ・・ 9 われをのみ思ふと言はばあるべきをいでや心は にひたまくら ( 古今・雑体・誹諧歌・一 0 四 0 読人しらず ) 若草の新手枕をまきそめて夜をや隔てむ憎くあ大幣にして らなくに ( 万葉・巻十一・一 = 作者不明 ) 私だけを思っていると言ってくれれば、それで十分なのだが、 新妻の手枕をしはじめた今、一夜でも逢わずにいることがで 困ったことには、大幣のような、あちこちに引っ張られる心 きようか。憎くもないのに。 の人なのだから。 おおはらえ へいはく 「若草の」は枕詞。新婚当座の、常に離れがたい感動を詠「大幣」は、大祓に用いる大きな幣帛。ここでは、引く手 かいぎやく んだ歌。『古今六帖』 ( 第五「一夜隔てたる」 ) には「憎から あまた、のたとえ。かなわぬ恋を諧謔的な比喩で表現した なくに」。物語でも、紫の上と新枕を交したばかりの源氏歌。これが引歌と認められるか疑問もあるが、多くの恋に の、離れがたい心情を表す。 生きる源氏の多感ぶりに対する、御息所の苦衷の心を表す かりば ならしば 犯 . 3 み狩する雁羽の小野の櫟柴の馴れは増さらず恋引歌表現とみたい。 ことね . 2 ( 万葉・巻十一一・三 0 哭作者不明 ) 一こそ増され 1 よ 1 琴の音に峰の松風かよふらしいづれのをより調 狩をなさる雁羽の小野の櫟柴ではないが、あちらの親しみな べそめけむ ( 拾遺・雑上・瑩一徹子女王 ) れてくれることは増さらず、こちらの恋しい気持ばかりが増 琴の音色に、峰の松を吹く風が通じているらしい。琴のどの すことだ。 緒から、またどこの峰で、その音色を掻き鳴らしはじめたの だろうか。 『新古今集』 ( 恋一・一 0 五 0 人麿 ) では、「狩場の小野の」「馴 とこなっ おほぬさ っ ) 0

10. 完訳日本の古典 第15巻 源氏物語(二)

、この「引歌一覧」は、本巻 ( 末摘花 ~ 花散里 ) の本文中にふまえられている歌 ( 引歌 ) で、脚注欄に 掲示した歌をまとめたものである。 弓歌一見一、掲出の仕方は、はじめに、引歌表現とみられる本文部分のページ数と行数をあげ、その引歌および出 典を示し、以下、行を改めて、歌の現代語訳と解説を付した。 みちのく ( 古今・雑下・究一一陸奥 ) き心地する 末摘花 語り尽きず満ち足りなかった気持が、あなたの袖の中に入っ てしまったのだろうか。私は、魂が身を離れ出て、ばんやり ・Ⅱ・ 2 思へども身をしわけねば目に見えぬ心を君にた かごのあっゆき ぐへてそやる した気分だ ( 古今・離別・三七三伊香子淳行 ) 別れがたく思っても自分の身を二つに分けることができない 「魂」がわが身を離れて相手に取りつくという点で、これ ので、せめて、目には見えない心だけでも、あなたに連れ添も前項と同類発想の歌。『古今集』の詞書によれば、女同 わせてやりたいと思う。 士が親しい語らいに興じた後の、なおも物足りぬ気分を詠 人間存在を「身」 ( 肉体 ) と「心」 ( 魂・精神 ) に分析する発んだ歌と分る。物語ではこれを、タ顔との恋への物足りな 想は一般的で、ここでも、「身」はここにありながらも さに転じ、源氏の今なおあきらめがたい執着の深さをかた 「心」はあなたとともに、と願う気持をいう。『古今集』のどる。 ことばがき ・ 2 しぐれつつ梢々にうつるとも露に後れし秋な忘 詞書からは東国に旅立つ人への送別の歌と知られるが、物・ ( 朝忠集 ) 覧語では死別のタ顔を追慕する気持に転じ用いられた。タ顔れそ うしな しぐれ 時雨が幾度となく降っては木々の梢が紅葉に変る季節になろ 一巻後半の、タ顔を喪い魂の抜け出たような源氏の茫然自失 歌 うとも、あの君がはかない露のように亡くなった秋という季 ぶりが、「目に見えぬ心を君にたぐへてそやる」の表現に 節を忘れてはならない。 ふさわしいといえよう。この「思へども」以下、三首の歌 が重層する引歌表現である点に注意。 『朝忠集』の詞書によれば、天暦六年 (#ll) の秋なかば八 すざくいん 飽かざりし袖のなかにや入りにけむわが魂のな 月十五日に崩御した朱雀院の四十九日の忌に詠まれた歌。