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検索対象: 完訳日本の古典 第18巻 源氏物語(五)
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1. 完訳日本の古典 第18巻 源氏物語(五)

であった。大臣の君がお思いっきになってお勧めになる一 幸の古例を尋ねて、今日はあなたも同行してほしかった ) 件を、姫君は、「どうしたものか。宮仕えは、自分として太政大臣の、かような大原野の行幸に供奉なされた先例な は不本意だし、見苦しい有様になるのではなかろうか」と、 どがあったのであろうか。大臣は、お使者に恐縮して、丁 語 物遠慮したいお気持であるが、帝のお情けをいただくなどと重におもてなしになる。 いうのとは関係なく、ただ普通にお仕え申してお目通りい をしほ山みゆきつもれる松原に今日ばかりなる跡やな 源 ただくというのであれば、楽しいことでもあるにちがいな からむ 、というお気持になられるのであった。 ( 小塩山の松原に雪が降り積るように、これまでも大原野の こうして帝は大原野にご到着あそばして、御輿をとどめ、 行幸は幾度もございましたけれど、今日ほどの盛んな例はご かんだちめ ざいませんでしたでしよう ) 上達部たちが平張の中でお食事をおとりになり、御装束な のうしかりぎめ どを直衣や狩衣といった装いにお着替えになる時分に、六 と、その当時耳にしたことで、ところどころ思い起されて 条院からお酒やお菓子などを献上なさった。今日は源氏のくるほどのものであるから、覚えちがいもあろう。 大臣もお供なさるようにと、かねてより帝からご沙汰があ〔三〕源氏、玉鬘に入内あくる日、大臣は、西の対に、「昨 ものいみ を勧めて裳着を急ぐ ったのだけれども、御物忌の由を奏上おさせになっていた 日、主上を拝されましたか。あの件 く・つうどさえもんのじよう のだった。帝は蔵人の左衛門尉をお使者として、雉一枝を については、その気におなりでしようか」とお便りをさし 大臣にお贈りあそばす。その仰せ言には何とあったか、そあげなさる。白い色紙に、じっさい遠慮のないお手紙なが けそう のような折のことをつぶさに記しとどめるのもわずらわし ら、こまごまと懸想めいたふうでもないのが興深く感じら いことで : れるのを、ごらんになって、「まあ、困ったことをおっし 雪ふかきをしほの山にたっ雉のふるき跡をも今日はた やる」とお笑いにはなるものの、よくもそこまでお見通し づねよ になれるものよ、とお思いになる。そのご返事に、「昨日 ( 雪深い小塩山に飛び立っ雉の跡を尋ねてーこの大原野の行 み第し

2. 完訳日本の古典 第18巻 源氏物語(五)

おもしろみが感じられるけれど、ここでお伝えする段にな の所へお越しになる。「いかがでした。宮は夜おそくまで ると、これといったこともないものだ。 いらっしゃいましたか。あの方をあまりお近づけ申さぬよ みがく やっかい 今日さへやひく人もなき水隠れに生ふるあやめのねの うにしましよう。厄介なところがおありの方なのですよ。 語 みなかれん 物人の心を傷つけたり、何かの失態を演じたりしないという たんご 氏 ( 端午の節句の今日でさえ、引く人もなく水の下に隠れて生 人は、めったにいないものですね」などと、さきには宮を 源 えている菖蒲の根は、ただ水に流れているのでしようか。あ お近づけになるようおっしやったかと思うと、今度はこれ なたに相手にしていただけない私は、人目に隠れて独りで声 に水をさすといったおっしやりかたをしてご注意をお与え をあげて泣いていなければならないのでしよう ) になる大臣のご様子は、どこまでもまったく若々しくおき きっと後々の話題にもなりそうな、立派な菖蒲の根に結び れいにお見えになる。艶も色合いもこばれるばかりのおみ のうし いっ付けてお贈りになったので、大臣は、「今日のご返事は、 ごとなお召物に直衣を無造作に重ねられた取合せも、 必ず : : : 」などと勧めておいてお立ちになった。女房の誰 たいどこにどう付け加えられた美しさなのだろうか、とて 彼も、「やはりご返事を」と申しあげるので、姫君のお心 もこの世の人間わざの染めあげたものとは思われないし、 あやめ あやめ にもどうお思いになったのであろうか、 ふだんの直衣の色変りのない文目も、菖蒲の節句の今日は ふぜい くぬえこう 「あらはれていとど浅くも見ゆるかなあやめもわかず 格別に目新しく感じられ、風情深い薫衣香の薫りなども、 なかれけるねの もしこうした物思いがないのであったら、どんなにかすば おもて ( よくは見えずに水の下を流れていた菖蒲の根が水の面に現 らしく感じられたにちがいない大臣の君のご容姿であるこ れると、 いっそう浅く見えることです。むやみに声をあげて とか、と姫君はお思いになる。 泣かずにはいらっしゃれないというあなたのお気持のいよい 〔六〕蛍宮、玉鬘と「あ宮からお手紙が寄せられる。白い薄 よ浅いことが分りました ) やめ」の歌を贈答様の料紙で、ご筆跡もまことに奥ゅ お気の若いお方ですこと」とだけ、あっさりと書いてある かしく立派にお書きになっている。しかし、見ている間は つや

3. 完訳日本の古典 第18巻 源氏物語(五)

ころ ちすまじき人は難くこそありけれ」など、活けみ殺しみいましめおはする御さ一玉鬘をまるでなぶり物のよう 8 に扱う源氏だが、そのしたたる魅 ニぞなほし ま、尽きせず若くきょげに見えたまふ。艶も色もこばるばかりなる御衣に直衣力に感動する。 のうし うちき 語 ニ直衣の下に着る袿。 物はかなく重なれるあはひも、いづこに加はれるきよらにかあらむ、この世の人 = 夏の直衣。色の紗の地で、 みえだすき 三重襷に花菱の文様を織り出した。 源 の染め出だしたると見えず、常の色もかへぬあやめも、今日はめづらかに、を四きまった色の文様も今日は新 鮮に見え。「文目ー「菖蒲」の掛詞。 かしくおばゆる薫りなども、思ふことなくは、をかしかりぬべき御ありさまか五源氏に懸想される悩み。 0 玉鬘は源氏の美貌にひかれても なと姫君思す。 いる。以後の彼女は、蛍宮ら求婚 者を源氏と比較論評していく。 宮より御文あり。白き薄様にて、御手はいとよしありて書六菖蒲の白い根に結ぶべく白い 〔六〕蛍宮、玉鬘と「あ 紙を使用。「薄様」は薄い鳥の子紙。 やめ」の歌を贈答 きなしたまへり。見るほどこそをかしかりけれ、まねび出セあらためて語り伝えるとなる と。語り手が宮の歌を平凡と評す。 づれば、ことなることなしゃ。 ^ 「根」「音」、「流れ」「泣かれ」 の掛詞。菖蒲の根を引いて長さを お 蛍宮今日さへやひく人もなき水隠れに生ふるあやめのねのみなかれん 競う端午の日にちなみ、自らを水 中に隠れて生える菖蒲になそらえ、 例にも引き出でつべき根に結びつけたまへれば、源氏「今日の御返り」などそ顧みられぬ恋の苦衷を訴えた歌 九話題になりそうな立派な菖蒲 そのかしおきて出でたまひぬ。これかれも、「なほ」と聞こゆれば、御心にもの根。「水隠れて生ふる五月のあ やめ草長きためしに人は引かな しカか田 5 , しけ・亠び、 む」 ( 続古今・夏紀貫之 ) 。 一 0 玉鬘は返事をいやがっていた 玉鬘「あらはれていとど浅くも見ゆるかなあやめもわかずなかれけるねの のに。語り手の玉鬘の心への疑問 九 ためし かた 四 み 六 つや うすやう

4. 完訳日本の古典 第18巻 源氏物語(五)

さみだれ . 0 それと「あやめ草」を組み合せた類想歌も少なくなく、同 五月雨に物思ひをればほととぎす夜深く鳴きて ( 古今・夏・一五三紀友則 ) じ恵慶にも「わが駒の常はすさめぬあやめ草引き並べては いづち行くらむ 五月雨の音を聞きながら物思いに屈していると、ほととぎす今日こそは見れ」 ( 恵慶法師集 ) 。他にも「生ふれども駒も 語 が深夜の空を鳴いて飛ぶのが聞えるが、どこをめざして行く すさめぬあやめ草かりにも人の来ぬがわびしき」 ( 拾遺・恋 そのこま 物 のだろうか。 二・七六八凡河内躬恒 ) などとある。『神楽歌』「其駒」には、 氏 源夜の雨のほととぎすは、夏の主要な歌材。恋の苦悶に眠れ「その駒ぞや我に我に草乞ふ草は取り飼はむ水 はなちるさと ぬ夜の、孤独な情調をたたえている。物語では、直前の叙は取り草は取り飼はむや」とある。物語では、花散里の 歌「その駒もすさめぬ草と・ : 」に引かれ、源氏に顧みられ 述「 ( 蛍の宮が ) 夜深く出でたまひぬ」から導かれたともい ぬ嘆きの歌となっている。 えるが、語り手は、この情調こそが、恋を遂げえぬ宮の心 あ 若駒とけふに逢ひくるあやめ草おひおくるるや にふさわしいとする。なお、この「ほととぎす」の声が、 ( 頼基集 ) 前項の「ひぐらし」の声に照応することになる。前項参照。負くるなるらむ さっき くらべうま 8 . 1 今日の競馬の若駒が他の馬を追い越すのを勝ちとして後れる 1 人 1 水隠れて生ふる五月のあやめ草長きためしに人 のを負けとするように、この日の祝いに用いられるあやめ草 ( 続古今・夏・三一一九紀貫之 ) は引かなむ も今日という日に後れて生えたのを負けとするのであろうか 水に隠れて生えている五月のあやめ草が長いように、長いも ことばがき のの例として引いてほしい。 作者大中臣頼基は十世紀半ばに活躍した人。家集の詞書に 「五月五日駒くらべする処」とあり、端午の競馬を詠んだ 「あやめ草」「引く」が縁語。物語では、蛍兵部卿宮の わかごも ためし 「今日さへや : ・」の歌から、すぐ後の地の文「例にも引き屏風歌の一首である。「若駒」に「若薦」をひびかす。「お ひおくるる」は、「追ひ後るる」「生ひ後るる」の両意。物 出でつべき根」にかけて、この歌を引く。 語では、源氏の「にほどりに : ・」の返歌にこれがふまえら ・・ 5 香をとめてとふ人あるをあやめ草あやしく駒の えぎよう ( 後拾遺・夏・一一一 0 恵慶法師 ) すさめざりけり れて、「若駒」の自分が「あやめ草」のあなた ( 花散里 ) と その香を求めて訪れる人もあるのに、あやめ草を不思議にも と切り返した。 別れることなどない、 さみだ ほととぎす 馬は好んで食べようとしないのだった。 時鳥をち返り鳴けうなゐ子がうち垂れ髪の五月 さたん ( 拾遺・夏・一一六凡河内躬恒 ) 雨の空 「駒のすさめず」は、男に顧みられぬ女の嗟嘆の類型表現。 が れ

5. 完訳日本の古典 第18巻 源氏物語(五)

( 原文二一一ハー ) たったが、今日こちらで珍しく催されたお遊びのことだけ しあげなさって、御几帳を間に隔ててお寝みになる。大臣 で、ご自分の町の晴れがましい名誉と思っていらっしやる。 のおそばに寝床を共にするなどということはまったく不似 みぎは その駒もすさめぬ草と名にたてる汀のあやめ今日やひ合いのこととあきらめきっていらっしやるので、大臣のほ きつる うでも無理にとはお申しあげにならない。 ( 駒でさえ食べようとしない草と評判になっているあの水際〔九〕玉鬘、物語に熱中長雨が例年よりもひどく続いて、空 あやめ の菖蒲のような私を、今日は節句なのでお引き立てくださっ する源氏の物語論も心も晴れ間がなく所在ないので、 たのでしようか ) 御方々は、絵や物語などの慰みごとに夜を明かし日を暮し と、おおらかに申しあげなさる。何ほどの歌でもないけれ ていらっしやる。明石の御方は、こうしたことにも趣向を ど、大臣はいじらしく胸のせまるお気持になられた。 こらしてお仕立てになり、姫君のもとへおさしあげになる。 にほどりに影をならぶる若駒はいっかあやめにひきわ西の対では、なおさらのこと他の方々以上にもの珍しく思 かるべき わずにはいらっしゃれぬ事柄なので、明けても暮れてもせ しゅう におどり ( 雌雄そろって離れぬ鳥のように、あなたと影を並べる若 っせと書いたり読んだりしておいでになる。こういうこと 駒の私は、いっ菖蒲のあなたと別れることがありましよう に得手な若い女房も大勢いて、さまざまに、これはめった か ) にありえないような人の身の上などを、本当の話なのか嘘 率直に気をゆるしあっておられるお二人のお歌ではある。 の話なのか分らないけれども、たくさん書き集めてあるな 「朝夕いつもごいっしよというのでもないあなたとの仲で かにも、自分の身の上のようなのはありはしなかった、と すが、それでもこうしてお逢い申していると、まったく気姫君はごらんになっている。住吉物語の姫君が、いろいろ 蛍 持が休まります」と、これは半ば冗談事であるけれども、 なめにあったその時の話は話として、現実の世の中でもや かぞえのかみ 恥おっとりとしていらっしやる女君のお人柄なので、しんみ はり評判は格別のようだが、主計頭がすんでのところで姫 みちょうだい たゆうのげん りとお話しになる。この御方は、御帳台を大臣にお譲り申君を盗み取ろうとしたとかいう話などを、あの大夫監の忌 こま やす うそ

6. 完訳日本の古典 第18巻 源氏物語(五)

人数をお連れにならず、その簡略になさった御参詣がかえ したいものですが、後にお残りになるあなたが、晩年など 3 って立派な感じである。 とんでもない落ちぶれようをなさりはせぬかと、そんなこ あおいまつり 葵祭の日の明け方にご参拝になって、その帰途には、 とまでがつい心配されるものですから」とお話しかけにな 一 = ロちよくし さじき かんだちめ 物勅使の行列を見物なさるためのお桟敷にお出ましになる。 って、上達部などもこのお桟敷に参集していらっしやるの 御方々の女房もそれぞれ車を連ねて、御前に場所を占めて で、そちらのお席のほうへお出ましになった。 源 このえづかさ いる上の有様は堂々とおごそかなので、あれが六条院の紫〔 0 タ霧、祭の使いの近衛府から立てられる今日の勅使は の上なのだと、遠目にも分るたいへんなご威勢である。源藤典侍をねぎらう頭中将なのであった。出立する内大 みやすどころ 氏の大臣は、かって中宮の御母の御息所が車を見物衆の後臣のお邸に集って、そこから人々は源氏の大臣のお桟敷に とうないしのすけ ろに押しさげられなさったときのことをお思い出しになっ まいられたのだった。藤典侍も内侍所からの御使者であっ て、「権勢を笠にきたわがままなふるまいをして、ああし た。この人は評判も格別で、帝、東宮をはじめとして六条 たことをするのは思いやりのないことだったのです。あん院の大臣などからも、お祝いの品々が置き所もないまでに ひいき なふうにまったく相手をないがしろにしていた人も、その届けられて、その頂戴するご贔屓はまことにたいしたもの 恨みを身に受けるような形で亡くなったのでした」とおっ である。宰相中将は、典侍の出立の所にまで人をやってお しやって、その詳しい事情についてはお言葉をにごされ、 ねぎらいになった。人目を忍んで深く情を交される御間柄 「後に残った人々にしても、宰相中将は、ごらんのように なので、宰相がこのようにれつきとしたお方とのご縁が固 臣下として少しずつ出世していくにすぎないようです。と まっておしまいになったことを、心穏やかではなく悲しく 思っていたのだった。 ころが、中宮のほうは、肩を並べる者のない地位にいらっ しやるのも、考えてみるとまことに感に堪えないのです。 「なにとかや今日のかざしよかつ見つつおばめくまで もなりにけるかな 万事、何がどうなるとも定まらぬ世の中ですから、何事も ( 何という名だったかしら、今日のかざしは。それを目の前 自分のしたいようにして、生きているかぎりのこの世を過 かさ

7. 完訳日本の古典 第18巻 源氏物語(五)

一「朝顔」は寝起きの顔で、情交 ふ、ねくたれの御朝顔見るかひありかし。 を暗示。タ霧の満ち足りた表情に 御文は、なほ忍びたりつるさまの心づかひにてあるを、なかなか今日はえ聞内大臣は婿にした効があると満悦。 ニ後朝の文。許された仲ながら、 語 ごたち 物こえたまはぬを、もの言ひさがなき御達つきしろふに、大臣渡りて見たまふぞ、秘かに書き交す配慮が残っている。 氏 三雲居雁はかえって。 けしき 四ロの悪い主だった女房たちが。 、とど思ひ知らるる身のほ 源いとわりなきや。タ霧「尽きせざりつる御気色に、し 五雲居雁に即した、語り手の評。 六打ち解けてくれなかった。 どを、たへぬ心にまた消えぬべきも、 七耐えがたいつらさにまたも命 が絶えそうで。前ハー四 ~ 世の例 とがむなよ忍びにしばる手もたゆみ今日あらはるる袖のしづくを」 にも : ・」をふまえた言葉。 ゑ などいと馴れ顔なり。うち笑みて、内大臣「手をいみじうも書きなられにけるか ^ 初句切れで、倒置法。秘かに 涙に濡れた袖を絞り隠してきたが、 な」などのたまふも、昔のなごりなし。御返りいと出で来がたげなれば、「見今は結婚して気がゆるみその手も 動かなくなってしまった、とする。 一 0 はばか 苦しゃーとて、さも思し憚りぬべきことなれば、渡りたまひぬ。御使の禄、な九かってタ霧を遠ざけた気持は 跡形もなく消え失せた。 一 0 雲居雁が遠慮なさるので。 べてならぬさまにて賜へり。中将、をかしきさまにもてなしたまふ。常にひき = タ霧の使者へのねぎらいの品。 うこんのぞ おも 隠しつつ隠ろへ歩きし御使、今日は面もちなど人々しくふるまふめり。右近将内大臣家はタ霧を公然と婿扱い 三タ霧の文を。二行目に照応。 むつ 一三人並に公然と。 監なる人の、睦ましう思し使ひたまふなりけり。 一四タ霧の配下で、家司のように 六条の大臣も、かくと聞こしめしてけり。宰相、常よりも仕えている人物であろう。 〔六 . 〕源氏、タ霧に訓戒 一五源氏。 内大臣婿君をもてなす 一六「光」の形容は、源氏以外に、 光添ひて参りたまへれば、うちまもりたまひて、源氏「今

8. 完訳日本の古典 第18巻 源氏物語(五)

一以下、大原野到着後の様子。 , っナら Q 。 ニ雨雪や日光などを防ぐ幕。 かむだちめひらばり かうて野におはしまし着きて、御輿とどめ、上達部の平張に物まゐり、御装『李部王記』にも「平張ノ座ニ着ス」。 語 三「まゐる」は食べる意の尊敬語。 物束ども、直衣、狩の装ひなどにあらためたまふほどに、六条院より、御酒、御 0 源氏。『李部王記』に「六条院 ( 宇多法皇か ) 酒二荷炭二荷、火炉 源 くだものなど奉らせたまへり。今日仕うまつりたまふべく、かねて御気色あり一具ヲ貢ラル」。 六 五源氏は。延長四年十一月六日 くらうどさゑもんのじゃう 五ものいみ けれど、御物忌のよしを奏せさせたまへりけるなりけり。蔵人の左衛門尉を御北野行幸「其ノ日、余、物忌ニ因 リテ参ラズ」 ( 李部王記 ) が准拠か。 おほ′ ) と きじひとえだ 使にて、雉一枝奉らせたまふ。仰せ言には何とかや、さやうのをりの事まねぶ六帝は、残念に思って勅使を源 氏に遣わす。前注の行幸でも、蔵 人左衛門尉源俊春を勅使として雉 にわづらはしくなむ。 一枝を中宮に奉った。朱雀院行幸 にも類例 ( 九条右大臣集〈藤原師輔 帝雪ふかきをしほの山にたっ雉のふるき跡をも今日はたづねよ の家集〉 ) がある。 ためし おほきおとど 七二羽の雉を一枝につけたもの。 太政大臣の、かかる野の行幸に仕うまつりたまへる例などやありけむ。大臣、 ^ 女が朝廷儀式の詳細を語るの を避けるための、語り手の省筆。 御使をかしこまり、もてなさせたまふ。 九鷹狩の景の「雪・ : 雉のーは序詞。 「ふるき跡」は足跡、事跡の両意。 源氏をしほ山みゆきつもれる松原に今日ばかりなる跡やなからむ 太政大臣の野行幸供奉の故実を云 と、そのころほひ聞きしことの、そばそば思ひ出でらるるは、ひが事にゃあら云して、源氏の不参加を恨む表現。 一 0 注八と同じ趣旨の語り手の言。 源氏不参加の理由に立ち入らない。 む。 仁和一一年の光孝天皇芹川行幸に太 政大臣藤原基経の供奉の例がある。 なほし おほむみき けしき

9. 完訳日本の古典 第18巻 源氏物語(五)

( 原文一〇六ハー ) れはそれなりに、大勢を並べてみるといとおしく思われま大臣もまた、先方にそのおつもりがなさそうなのに出過ぎ す折もあるのですが、それにつけてもあの娘のことが真っ たこともいたしかねて、さすがに胸のうちのもやもやした 先に思い出されてなりません」とおっしやるついでに、あ 心地でいらっしやる。「今宵もお送り申すべきでございま の昔の雨夜の物語に、、 しろいろ語り出された色恋の道の評すが、突然のことでお騒がせするのもいかがと存じまして。 定をお思い出しになって、泣いたり笑ったり、お二方とも今日のお礼には、あらためて参上いたしとう存じます」と すっかりうちくつろいでしまわれた。夜がたいそう更けて お申しあげになると、それでは、大宮のご病気もおよろし から、それぞれお帰りになる。「このように参上してお会 いようにお見受けされるので、必ず先日申しあげた姫君の も いしますと、遠く過ぎ去ってしまった昔話が思い出されま裳着の日をおまちがいなきようお越しくださるようにと申 いとま して、懐かしさが抑えようもなく、まったくお暇いたす気しあげてお約束なさる。 にもなりません」とおっしやって、平常はけっして気弱く お二人ともご機嫌よく、それそれお出ましになるお供ま はいらっしやらぬ六条の大臣も、酔泣きというのか、涙ぐわりの威風はあたりを圧しておごそかである。内大臣のご んでいらっしやる。大宮はまた大宮で、なおさらのこと、 子息たちのお供の人々は、「何事があったのだろう。久し 亡き姫君のことをお思い出しになって、そのころよりも格ぶりのご対面で、いかにもご機嫌がよさそうだったのは、 段にまさる源氏の大臣のご容姿やご威勢をごらんになると、 またどのようなお譲りがあるのだろうか」などと、それそ 限りなく悲しくて涙をせきとめがたく、しおしおとお泣きれが見当はずれの勝手な想像をするのだが、このようなお ごろも 幸 になるあま衣は、なるほど格別の風情であった。 話だとは思いもよらないのであった。 こうしたよい機会であったが、源氏の大臣は中将の御事ニ 0 〕内大臣、源氏と玉内大臣は、突然のことなので、どう そんたく 行 をついに仰せ出だされなかった。一ふし内大臣に思いやり 鬘との仲を忖度するも納得がいかず、またもどかしいお % がないと見きわめをつけていらっしやったので、ロにする気持になられるけれども、「にわかに姫君を引き取って親 のもみつともないとお思いとどまりになり、一方あちらの ぶった顔をするのも具合がわるかろう。源氏の大臣が姫君 ふぜい

10. 完訳日本の古典 第18巻 源氏物語(五)

365 藤裏葉 のことばかりお責めにならないでください ) 話の種にもなりかねなかったこのわたしですが、一途の心 がけゆえにこそ、こうまでお許しくだされもしたのだろう長い間苦労を重ねてきたことを思うと、ほんとにせつなく と思うのです。それなのに、そうしたわたしの気持をあな悩ましくて、今は何もわきまえがっかない」と、酔いにカ たがお分りくださらないとは、普通ではないお仕打ちですこつけていかにも苦しそうにふるまい、夜の明けるのも気 よ」と恨み言をおっしやる。そして、「少将がわざと謡い づかぬといったふうである。女房たちが、お起しもできか だした『葦垣』の歌の心は、お耳におとめになりましたか。 ねているので、内大臣は、「いい気になって朝寝している」 ひどいお人ですね。『河口の』と謡い返してやりたかった」と文句をおつけになる。それでも、夜が明けはてぬうちに とおっしやると、女は、ほんとに聞き苦しくお田 5 いになっ お立ち出でになる、その寝乱れの朝のお顔は、見がいのあ て、 る風情ではある。 きめぎめ 後朝の御文は、まだやはり以前と同じに人目を忍んだ心 「あさき名をいひ流しける河口はいかがもらしし関の あらがき づかいをして届けてきたが、女君は昨夜の今日だけにかえ うきな ( あのとき私たちの浮名を世間に流した河口の関守ーあなた ってご返事もお書きになれないので、ロうるさい女房たち あらがき は、どういうおつもりで関の荒垣のことも漏されたのでしょ が目引き袖引きしているところへ、内大臣がおいでになっ うか ) て、宰相の手紙をごらんになるのは、なんとも不都合なこ あまりなお方です」とおっしやるご様子がまことにあどけ とではある。その御文は、「どこまでも打ち解けてくださ ない感じである。宰相は、少し笑って、 らなかったあなたのご様子ゆえに、ますますこの身の程を 「もりにけるくきだの関を河口のあさきにのみはおほ 思い知らされずにはいられませんので、耐えられぬ気持か せざらなん ら、またも私は命が失せてしまいそうですが、それでも、 ( きびしく守っていてもその荒垣を越えて浮名が漏れたとい とがむなよ忍びにしばる手もたゆみ今日あらはるる袖 くきだ う岫田の関なのに、河口の浅さー私のいたらなさゆえと、そ のしづくを