むつ すりのさいしゃう のたまひおきて、睦ましう思す修理宰相をくはしく仕うまつるべくのたまひて、一参議で修理職の長官を兼任。 ニ表立った親代りには思われま 、の意。院に憚る気持である。 内裏に参りたまひぬ。 語 三冷泉帝へのご機嫌伺いぐらい 物うけばりたる親ざまには聞こしめされじと院をつつみきこえたまひて、御と四前斎宮には。↓澪標一二七ハー 氏 五御息所の死後、女房たちが里 源ぶらひばかりと見せたまへり。よき女房などはもとより多かる宮なれば、里が に引きこも 0 た。↓澪標一三三一 六源氏の、宮家復興への感動 つど ちなりしも参り集ひて、いと二なくけはひあらまほし。「あはれ、おはせましさらに御息所在世ならば、の仮想 から、彼女と自分の関係を回顧。 力。いかにかひありて思しいたづかまし」と昔の御心ざま思し出づるに、おセ自分との特殊な関係を抜きに して、一人の女性としてみれば。 ^ 「惜し」は、失われたものを惜 ほかたの世につけては、惜しうあたらしかりし人の御ありさまぞや、さこそえ しむ気持。「あたらし」は、すぐれ たものを惜しむ気持。 あらぬものなりけれ、よしありし方はなほすぐれてもののをりごとに思ひ出で 九御息所を特徴づける語。 きこえたまふ。 一 0 心内語が直接、地の文に続く。 = 藤壺が参内。源氏とは逆に、 うへ 中宮も内裏にぞおはしましける。上は、めづらしき人参り藤壺が表面に立っ点に注意。 〔三〕冷泉帝、斎宮の女 三並々ならす清新で美しい人、 御・弘徽殿女御と睦ぶ たまふと聞こしめしければ、 いとうつくしう御心づかひし前斎宮。以下斎宮の女御と称す。 三冷泉帝は、実際の年齢よりも。 「さる」は、世なれて気がきく意。 ておはします。ほどよりはいみじうされおとなびたまへり。宮も、「かく恥づ 一四藤壺の宮。 かしき人参りたまふを、御心づかひして見えたてまつらせたまへ」と聞こえた一五恥ずかしいほど、すばらしい 一六大人の女に逢うのは。斎宮の おとな よふ まひけり。人知れず、大人は恥づかしうやあらむと思しけるを、いたう夜更け女御は九歳年長である。 ひと
源氏物語 370 北山僧都 ( 僧都 ) △姫君 丘 ( 部卿宮 ( 父親王 ) 藤壺中宮 ( 入道の宮、宮 ) 春宮 ( 宮 ) △大臣ー - ー明石の入道 ( 父の入道、父君 ) 明石の君 北の方 ( 母君、母 ) △按察大納言ーー△桐壺更衣 ( 故母御息所 ) 院 ( 院、帝、国王 ) △桐 壺 〒帥宮 ( 親王 ) 麗景殿女御 ( 女御 ) 女 花散里 ( 女君 ) 朱雀帝 ( 上、帝、内裏の上 ) 弘徼殿大后 ( 后の宮、宮 ) 右大臣 ( 大臣 ) 、・・ー占 朧月夜の君 ( 女、尚侍、尚侍の君、君 ) 宮 ( 宮の御前 ) 頭中将 ( 三位中将、宰相 ) 大臣実 = 、螽 ) / / ノ 各巻の系図 六条御息所籬叫砌宮、 葵の上の女房 中納言の君 タ霧の乳母 君、女君、西の対 宰相の乳母 ( 宰相の君 ) 少納言の乳母 ( 少納言 ) 大宰大弐 ( 帥 ) 筑前守 ( 守 ) 中務 五節中将 王命婦 ( 命婦の君 ) 北の方 朧月夜尚侍の女房 中納言の君 源氏 ( 大〔殿、主、の君、主、 伊予介 ( 親 ) 右近将監の蔵人 タ霧 ( 若君 ) 良清 摂津守 ( 国守 ) 准光 ( 民部大輔、大輔 ) 二条院の御使 一、本巻所収の登場人物を各巻ごとにまとめた系図である。 一、△は、その巻における故人を示す。 、 ( ) 内は、その巻での呼び名を示す。 △葵の上
ないしのかむ きさいみや 院の御絵は、后の宮より伝はりて、あの女御の御方にも多く参るべし。尚侍一弘徽殿大后。 ニ弘徹殿女御。大后は実母の姉。 の君も、かやうの御好ましさは人にすぐれて、をかしきさまにとりなしつつ集三朧月夜。女御の実母の妹。 四帝前の絵合の日取を。 語 五台盤所。清涼殿の女房の詰所。 物めたまふ。 以下、場所と人物の配し方も『天 源 その日と定めて、にはかなるやうなれど、をかしきさまに徳内裏歌合』に酷似。 〔 ^ 〕帝の御前の絵合 六清涼殿の西隣。 ひだりみぎ 源氏の絵日記他を圧倒 はかなうしなして、左右の御絵ども参らせたまふ。女房のセ以下の左右の調度・服装の色 彩も、『天徳内裏歌合』に似る。 こうらうでん きたみなみかたがた おまし さぶらひに御座よそはせて、北南方々分かれてさぶらふ。殿上人は後涼殿の《「紫檀」も「蘇芳」も香木。「華 足」は花形の彫刻のある脚。 すはうけそく九 セしたん すのこ 簀子におのおの心寄せつつさぶらふ。左は紫檀の箱に蘇芳の華足、敷物には紫九華足の下の敷物。 一 0 華足の上に敷くもの。「葡萄 さくらがさねかぎみあこめ わらは からにしきうちしきえびぞめからき 地の唐の錦、打敷は葡萄染の唐の綺なり。童六人、赤色に桜襲の汗衫、衵は染」は薄紫色。 = 「桜襲」は表が白で裏が赤また くれなゐふぢがさね は葡萄染。「汗衫」は童女用。 紅に藤襲の織物なり。姿、用意などなべてならず見ゅ。右は沈の箱に浅香の ひとえ 三「衵」は、表着の下、単衣の上。 けそく もえぎ あをぢこま したづくゑ 「藤襲」は表が薄紫で裏が萌黄。 下机、打敷は青地の高麗の錦、あしゅひの組、華足の心ばへなどいまめかし。 一三「沈」も「浅香」も香木の一種。 おまへ やまぶきがさね 童、青色に柳の汗衫、山吹襲の衵着たり、みな御前にかき立つ。上の女房前一四華足に結んである組紐。 一五「柳」は表が白で裏が青。 しりへさうぞ 一六「山吹」は表が薄朽葉で裏が黄、 後と装束き分けたり。 あるいは表が黄で裏が紅とも。 そちのみや うちのおとど 宅帝の意思で、万事が進行。 召しありて、内大臣、権中納一一 = ロ参りたまふ。その日、帥宮も参りたまへり。 一〈源氏の弟。後の蛍兵部卿宮。 一九源氏が内々勧められたのか。 いとよしありておはするうちに、絵を好みたまへば、大臣の下にすすめたまへ 一セ 一九 ぢん せんかう まへ
れども、内容としての充実度はかえって稀薄になりがちである。須磨の巻のこの種の「美文」は古来名文と して讃美されてきたものであるが、近年では、必ずしもそうとは限らず、時には修飾過多をもって忌避され る傾向さえ生じているようである。 しかし、こうした引歌の陥りがちな弱点は、すでに作者自身十分に気付いていたらし い。たとえば会話に 取り入れられた引歌が、しばしば我が意を相手に知らせるための優雅な方法となったことは、前述のとおり だが、その度が過ぎると、きざになりいやみになる。 おうみ 道化者として名高い近江の君は、無教養でがさつで、親兄弟もさじを投げてしまう代物であるが、姉の弘 きでんのにようご 徽殿女御に親しくしてもらおうと、せいいつばいの手紙をかく。 葦垣 ( ) のま近きほどにはさぶらひながら、今まで影ふむばかりのしるしもはべらぬは、勿来こ ) の関 をや据ゑさせたまへらむとなん。知らねども、武蔵野と言へばかしこけれども。あなかしこや、あなか しこや。 ( 常夏 ) 論傍線の部分が引歌だが、本歌は示す必要もあるまい。要するに、これは非常識な気取りであり、田舎者の滑 評稽にすぎない。 この手紙がそのまま皆の笑い草となるだけだ。 これほどの道化者でなくとも、えてして気取り屋の女房にも、同様の手合いがいる。明石の君が明石の浦 から源氏に迎えられて京に上った際に、田舎育ちの女房が付き添ってくる。彼女は昔の知合いで、今は都に くろうど 上り五位蔵人になっている男に久しぶりに顔を合せると、うれしくて声をかける。 いなかもの
いまものがたり 『今物語』にこんな話が出ている。 つばね しもつけめたけまさ 下毛野武正という武者が、さる女房の局の前を通りかかったところ、中から、「まあ、すてき。あなたの ことは『鳩吹く秋』と思ってますわ」と声がかかった。武正は、「うるさい」と言い捨てて、通り過ぎたが、 はたのかねひろ そのあと友人の秦兼弘という男に会って、「さきほど、女房にばかにされた」とこばした。兼弘は、「いった たず いどうした」と訊ねる。しかじかとわけを話すと、兼弘は、「それは残念。その女房は君が好きなのだよ。 評それは、 みやま 深山出でて鳩吹く秋の夕暮はしばしと人をいはぬばかりぞ という歌の文句だ。『しばしとまりたまへ』と声をかけたのだ」と言う。これを聞くと、武正、あわててと って返すと、女房の局の前に立って、「武正、鳩吹く秋そ、ようよう」と大声でわめきたてた 《巻末評論》 『源氏物語』の引歌・引詩 今井源衛
くだ みやすどころ 身分に応じてそれぞれ下しおかれる。大臣はどのようなご し分のない気分がただよっている。「ああ、御母御息所が 8 返事かと、じっさい拝見したくお思いになるけれども、と もしご存生であったら、どんなにかはりあいのあるお気持 てもそのことをお申し出にはなれない で姫君をお世話なさったことだろう」と、亡き人のご気性 語 をお思い出しになり、「自分との特別の関係を別にして考 物〔ラ源氏参内、故六条「院のご容姿は、女にしてお目にか 氏御息所を回想する かっていたいくらいにお美しいが、 えるならば、捨てがたく惜しむべきお人柄ではあった。あ この女宮のご様子もそれに不似合いではなく、じっさい結れほどの方はめったにありはしなかった。趣味教養の面は 構な御間柄と思われるのに、帝のほうはまだまだ幼いご様なんといってもぬきんでていらっしやって」と、何かの折 子なので、このように院のお気持にさからってお取り持ち ごとにお思い出し申していらっしやる。 するのを、女宮も内心不快でいらっしやるだろうか」など 〔三〕冷泉帝、斎宮の女中宮も宮中においであそばすのであ じゅだい と、源氏の大臣はいやな気のまわされかたをまでなさって 御・弘徽殿女御と睦ぶった。帝は、立派なお方が入内なさ お胸を痛めていらっしやるけれども、今日になってお思い るとお聞きあそばしたので、まことにいじらしくお心づか とどまりになれることではないのだから、万事しかるべき いになっていらっしやる。お年のほどよりはたいそう気を すりのさい さまにお指図をなさって、ご信頼になっておられる修理宰おきかせになって、大人びていらっしやる。母宮も、「こ 相に、こまごまとお世話申しあげるようお言いつけになっ のように気のおける方がお上りになるのですから、お気を さ , れが、い て、参内なさった。 おつけになって、お逢いになりますよう」とご注意あそば ひと 源氏の大臣は、表立った親代りというふうにお思し 、、、こすのだった。帝はお心のうちで、年上の女に逢うのは気づ だかぬようにしようと院に気がねなさって、ただのご機嫌まりではなかろうかとお思いになるのだったが、前斎宮が 伺い程度に見せかけていらっしやる。すぐれた女房などが、 たいそう夜が更けてから参上なさったところ、まったくい きやしゃ 以前から大勢お仕えしている宮邸なので、平素は里にこも かにも慎み深くおっとりとしていて、小柄で華奢な感じで りがちだった女房たちも今はまいり集って、またとなく申 いらっしやるので、じつにすばらしい方と帝はお思いにな
れてしまってからのちは、わざわざお便りすることなどと中には命の尽きる者もあって、月日がたつにつれて上の者 な′」り 2 てもおできにならない。女君は、君のお情けの名残で、し も下の者も、小人数になっていく。 ばらくの間は泣く泣くもどうにかお過しになったものの、 〔三〕末摘花、荒れまさもともと荒れていた邸の内は、ます 語 る邸を守り生きる 物年月がたつにつれて、いよいよ悲しくも寂しい御身の上に ます狐のすみかになって、気味わる ひとけ 氏 なられるのである。 く人気のない木立に、梟の鳴く声が朝にタに耳なれて聞え、 源 古くからお仕えする女房たちなどは、「いやもう、ほん これまでは人の住む気配があったればこそ、そういうあや とに情けないご運だったのです。思いがけなく神様仏様が しげなものも阻まれて影を隠していたのだったけれども、 ・」だま お立ち現れになったかのようだった源氏の君のお心寄せを今は木霊など奇怪なものの数々がわが物顔に姿を現し、何 ちょうだい 頂戴して、このようなご縁も、人によっては降って湧くこ やら堪えがたいことばかりがあとからあとから殖えてくる ともおありになるものだった、と信じられないような思い ので、たまたま居残ってお仕えしている女房は、「やはり、 ずりよう でしたのに、移り変るのは世間の習いとは申すものの、ほ これではとてもたまりません。あの受領たちで、風流な家 かには頼るお方とてない姫君の御身の上が悲しゅうござい を造りたがっている者が、このお邸の木立に目をつけて、 ますーと、ぶつぶつ嘆いている。そうした貧しいお暮しが 『お手放しくださらぬか』と、伝を求めて、ご意向を伺わ 普通であった昔の幾年かは、言いようもない寂しさも、そせたりしておりますので、そんなふうにあそばして、まっ れなりにあたりまえのこととしてお過しであったものを、 たくこうまで何やら恐ろしくはないお住いに、お移りにな なまじ多少とも世間並のお暮し向きになじんで年月を送っ ってくださいまし。ここに居残ってお仕えしております私 しんばう てきたために、女房たちはじつに辛抱できない思いを嘆い どもも、まことに辛抱いたしかねます」などと申しあげる ているのであろう。かっては少しでもものの役に立ちそう けれども、「まあ、とんでもないことを。世間の思惑とい な女房たちが、しぜんにこの邸に参上して住みついていた うこともあります。この私が生きている間に、そうした昔 のだが、今はみな次々と離れ去ってしまった。女房たちのを忘れてしまうようなことが、どうしてできましよう。こ ふくろう
みるめ 一「海松布」「見る目」、「浦古 藤壺見るめこそうらふりぬらめ年へにし伊勢をの海人の名をや沈めむ り」「心古り」の掛詞。「海松布」 をむなごと ひとまき かやうの女言にて乱りがはしく争ふに、一巻に言の葉を尽くしてえも言ひやら「浦」「伊勢をの海人」 ( 須磨三七 ハー ) 「沈め」が縁語。海人の住む海 語 わかうど うへ 物ず。ただ、あさはかなる若人どもは死にかへりゆかしがれど、上のも、宮のも浜のわびしい景に流離の業平像を 氏 形象。源氏の流離ともひびきあう。 平典侍の歌よりも業平像が鮮明。 源片はしをだにえ見ず、いといたう秘めさせたまふ。 ニ女たちのとりとめのない論議。 大臣参りたまひて、かくとりどりに争ひ騒ぐ心ばへどもを三絵に心得のない若い女房たち。 〔セ〕朱雀院、秘蔵の絵 四帝づき、藤壺づきの女房も。 六 かちまけ 巻を斎宮の女御に贈る かしく思して、源氏「同じくは、御前にてこの勝負定めむ」 0 左方が作中人物の精神の高潔さ、 古代への回帰に論評の基準を置く とのたまひなりぬ。かかることもやとかねて思しければ、中にもことなるは選のに対し、右方は朝廷とのかかわ り、現代的な華麗さを重視する。 五源氏の大臣。 りとどめたまへるに、かの須磨、明石の二巻は、思すところありてとりまぜさ 六帝の御前で。 せたまへりけり。中納言もその御心劣らず。このころの世には、ただかくおもセ「なり」に注意。源氏個人の意 思よりも、宮廷全体の関心による。 あめしたいとな しろき紙絵をととのふることを天の下営みたり、源氏「今あらため描かむこと ^ 源氏の、かねてよりの心用意。 九特に秀抜の絵は残していた。 は本意なきことなり。ただありけむかぎりをこそ」とのたまへど、中納言は人一 0 前に「中宮ばかりには : ・」 ( 一 八四ハー一三行 ) とあったのに照応。 にも見せで、わりなき窓をあけて描かせたまひけるを、院にもかかること聞か = 紙に描いた絵。 三無理に部屋を用意して秘密裡 むめつば に製作。源氏とは対照的な措置。 せたまひて、梅壺に御絵ども奉らせたまへり。 一三朱雀院。次文以下、斎宮の女 うちせちゑ じゃうず 年の内の節会どものおもしろく興あるを、昔の上手どものとりどりに描ける御への絵の贈与の経緯とともに、 ( 現代語訳三一一四ハー ) かた ふたまき え
源氏物語 98 の思ひのほどに、ところせかりし御髪のすこしへがれたるしもいみじうめでた一少し減ったのが、かえって。 こうしていつも逢えるのだと。 きを、いまはかくて見るべきそかしと御心落ちゐるにつけては、またかの飽か三反転して、明石の君を想起。 四やはり絶えることのない源氏 四 しカカる方にの女性関係への、語り手の言辞。 ず別れし人の思へりしさま心苦しう思しやらる。なほ世とともこ、ゝ、 五明石の君との仲を告白。 て御心の暇そなきや。その人のことどもなど聞こえ出でたまへり。思し出でた六「忘らるる身をば思はず誓ひ てし人の命の惜しくもあるかな」 けしき る御気色浅からず見ゆるを、ただならずや見たてまつりたまふらん。わざとな ( 拾遺・恋四右近 ) 。紫の上の控 えめな嫉妬に、かえって魅了。 みちのくあさか らず、紫の上「身をば思はず」などほのめかしたまふぞ、をかしうらうたく思ひセ「陸奥の安積の沼の花がつみ かつ見る人に恋ひやわたらむ」 ( 古 今・恋四読人しらず ) 。 きこえたまふ。かつ見るにだに飽かぬ御さまを、いかで隔てつる年月ぞとあさ ^ 堪え得た自分の意外さに驚く。 九須磨退去の昔に立ち返ると。 ましきまで思ほすに、とり返し世の中もいと恨めしうなん。 一 0 ひとまず旧官 ( 参議右大将 ) に 復し、さらに改って昇進した。 ほどもなく、もとの御位あらたまりて、数より外の権大納言になりたまふ。 = 定員外の大納言、つまり権大 つかさかへたまは 次々の人も、さるべきかぎりは、もとの官還し賜り世にゆるさるるほど、枯れ納言。なお、中納言を経ない大納 言への昇進は、異例である。 一ニ源氏方には、須磨への供人な たりし木の春にあへる心地して、いとめでたげなり。 ど、昇進の滞った者も多かった。 一三源氏を見る女房の目。次行で 召しありて、内裏に参りたまふ。御前にさぶらひたまふに、 三 0 〕源氏参内、しめや は、それが帝へと移る。 ぎんき かに帝と物語をする ねびまさりて、いかでさるものむつかしき住まひに年経た一四源氏を罪に陥れた慚愧の念に、 源氏の美麗さがいっそうまぶしい 三帝はもともと病気がちである。 まひつらむと見たてまつる女房などの、院の御時よりさぶらひて、老いしらへ いとま ぐし一 へ
家居ぞ、まづいかにと思しやらぬ時の間なき。 の意味を知るのは藤壺以外にない。 一ニ不出来でなさそうな一帖ずつ。 かう絵ども集めらると聞きたまひて、権中納言いとど心を尽くして、軸、表一三明石の君を常に思う点に注意。 一四源氏の対抗に、権中納言はさ ひも やよひ 紙、紐の飾りいよいよととのへたまふ。三月の十日のほどなれば、空もうらららに対抗。双方で絵の蒐集に熱中。 一セ 三絵巻物の芯にする木などの軸。 せちゑ かにて、人の心ものび、ものおもしろきをりなるに、内裏わたりも、節会ども一六巻物を巻いてしばる紐。 じようしはらえ 一セ上巳の祓、石清水臨時祭くら かたがた いで、三月は概して閑暇。 のひまなれば、ただかやうのことどもにて、御方々暮らしたまふを、同じくは、 一 ^ 「見どころ」の尊敬表現。帝が 御覧じどころもまさりぬべくて奉らむの御心つきて、いとわざと集めまゐらせ楽しくごらんになれるように。 一九源氏の発案である。 ニ 0 たまへり。こなたかなたとさまざまに多かり。物語絵は、こまやかになっかしニ 0 斎宮の女御方、弘徽殿女御方。 ようかしゃ 三凝花舎。斎宮の女御の局が、 むめつば さまさるめるを、梅壺の御方は、いにしへの物語、名高くゆゑあるかぎり、弘ここで初めて語られた。 一三現代名画である。↓一八三ハー。 きでん ニ三帝づきの女房。二人の女御方 徽殿は、そのころ世にめづらしくをかしきかぎりを選り描かせたまへれば、う に限らず、宮中あげての熱中ぶり。 うへ ち見る目のいまめかしき華やかさよ、、 。しとこよなくまされり。上の女一房なども、ニ四藤壺は、常に自分の御所で仏 道修行の日々を送っているが、参 内中の今は絵画熱にひきこまれる。 合よしあるかぎり、これはかれはなど定めあへるを、このごろのことにすめり。 ニ五歌合に准じて左右に分れて勝 す 中宮も参らせたまへるころにて、かたがた御覧じ棄てがた敗を決する。『源氏物語』以前に絵 〔六〕藤壺の御前で物語 合の史実はない。ここは、歌合の 絵の優劣を争う く思ほすことなれば、御行ひも怠りつつ御覧ず。この人々範とされる『天徳内裏歌合』に准拠。 なぞら 冷泉帝の治世を天暦期に准えるか。 ろん ひだりみぎかた むめつば のとりどりに論ずるを聞こしめして、左右と方分かたせたまふ。梅壺の御方に実左方の斎宮の女御方。 いへゐ ニ四 一九