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検索対象: 完訳日本の古典 第16巻 源氏物語(三)
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1. 完訳日本の古典 第16巻 源氏物語(三)

39 須磨 おとど 「奏したまひければ」は、「赦され 尚侍の君は、人笑へにいみじう思しくづほるるを、大臣い 〔一巴朧月夜、帝の寵を たまひて」に続き、中間は挿入句。 せち一三 受けつつも源氏を慕う とかなしうしたまふ君にて、切に宮にも内裏にも奏したま一四「限り」は、後宮の后妃として の掟。他の男との恋は許されない。 おほやけ みやづかへ ひければ、限りある女御、御息所にもおはせず、公ざまの宮仕と思しなほり、 三尚侍は本来、女官であり帝寵 の対象でない。帝は、朧月夜の情 ゆる またかの憎かりしゅゑこそ厳しきことも出で来しか、赦されたまひて、参りた事を尚侍ゆえに許すべく考え直す。 一六源氏との情事が原因で、朧月 一七 まふべきにつけても、なほ、いにしみにし方そあはれにおばえたまひける。 夜が参内を停止させられたこと。 宅朧月夜は源氏を忘れえない。 そし 七月になりて参りたまふ。いみじかりし御思ひのなごりなれば、人の譏りも一《朱雀帝が熱愛した名残。帝の 熱愛の記事は、ここが初見。 うへ 一九 知ろしめされず、例の上につとさぶらはせたまひて、よろづに恨みかつはあは一九以下、愛すればこその言動。 一一 0 以下、語り手は朧月夜の美貌 かたち れに契らせたまふ。御さま容貌もいとなまめかしうきよらなれど、思ひ出づるから、源氏との思い出に生きる心 中に転じ、畏れ多い心と評する。 ニ一帝はもともと源氏と共感を持 ことのみ多かる心の中ぞかたじけなき。御遊びのついでに、帝「その人のなき ちえた。↓賢木〔 = 三〕など。 こそいとさうざうしけれ。いかにましてさ思ふ人多からむ。何ごとも光なき心一三自分にもまして。「さ思ふ人」 の一人が朧月夜であるとして嫉妬。 たが ニ三源氏を朝廷の補佐役にとする 地するかな」とのたまはせて、帝「院の思しのたまはせし御心を違へつるかな。 故桐壺院の遺戒。↓賢木〔 0 。 ニ四ねん 罪得らむかし」とて涙ぐませたまふに、え念じたまはず。帝「世の中こそ、あ = 四朧月夜は動揺を抑えられない。 一宝「あちきなし」↓二九ハー注三 = 。 るにつけてもあぢきなきものなりけれと思ひ知るままに、久しく世にあらむも = 六私 ( 帝 ) が死んだら。 毛源氏との生き別れ。自分との ニ六 のとなむさらに思はぬ。さもなりなむに、いかが思さるべき。近きほどの別れ死別との対照から「近き」とする。 ニ五 いかめ ニセ

2. 完訳日本の古典 第16巻 源氏物語(三)

371 各巻の系図 兵部卿宮 藤壺中宮 ( 入道の宮 ) 春宮 △桐壺院 ( 帝故院〕父帝、 右大臣 ( 太政大臣 ) ー弘徽殿大后 ( 后、大宮 ) 右大臣 明石 △大臣 ( 親 ) 北の方 ( 母君 ) 紫の上 ( 二条院、二条の君、 明石の入道切新発 ) 明石の君けめ、 承香殿女御 源氏 ( 君、源氏、源氏の君、男 ) 朱雀帝 ( 帝、内裏、当帝、上 ) 男御子 花散里 六条御息所 ( 伊勢の御息所 ) 大宰大弐 ( 帥 ) ーー・五節 良清 ( 源少納言、少納言 ) 惟光 二条院の御使 ( 賤の男 ) 明石の君の乳母

3. 完訳日本の古典 第16巻 源氏物語(三)

巻名藤壺女院の御前、冷泉帝の御前と両度にわたって行われた絵合の行事による。巻中に「絵合」の語はみえない。 すぎく 梗概六条御息所の遺女前斎宮は、藤壺女院の促しで冷泉帝の後宮に入内することになった。朱雀院の意向をまったく無視 することになる源氏は、表立った動きをすることがはばかられる。入内当日豪華な品々に添えて歌を贈った院の心中を察 すれば、源氏の心は傷むのであった。 こきでん 斎宮の女御 ( 梅壺女御 ) は、すでに入内していた弘徴殿女御と帝寵を一一分した。入内当初こそは年齢の近い弘徽殿女御 に帝の寵愛も傾きがちであったが、絵画をことに好む冷泉帝は、絵に堪能な斎宮の女御にしだいにひきつけられていった。 これに焦慮した権中納言は、帝の関心をわが娘弘徽殿女御に引き戻そうと、当代有数の絵師たちを集め、贅を尽して絵画 を製作させる。そのかどかどしい挑み心を笑いながらも、源氏も紫の上とともに秘蔵の絵画を取りそろえる。後宮を舞台 、こうして双方の絵画の蒐集競争はしだいに白熱化していった。 せつけん 絵画論議が後宮を席捲した三月、藤壺の御前で物語絵合が行われることになった。斎宮の女御方の古物語に弘徽御女御 方の今物語を合せての競い合いは優劣決しがたく、勝敗は、源氏の提唱によって後日の帝の御前での再度の絵合まで持ち そちのみや 越されみことになった。、当日は藤壺も臨御し、源氏も権中納言も臨席、判者は風流の聞え高い帥宮 ( 源氏の弟宮 ) 、斎宮 の女御には朱雀院が、弘徽殿女御には大后がそれそれ加勢をするといった、まさに宮中挙げての盛儀となった。いずれ劣 らぬ名品揃いに判定は難航を極めたが、最後に出品された源氏の須磨の日記絵一巻が斎宮の女御方を圧倒的勝利へと導く ことに . なった。 その夜、源氏は帥宮とともに故桐壺院をしのびつつ、学芸・芸道論を交した。 冷泉帝の理想的な御代に、源氏はわが栄耀の極みを実感し、いっしかその心には出家への思いが萌していた。 いた 〈源氏三十一歳の春〉

4. 完訳日本の古典 第16巻 源氏物語(三)

にはなれまい」と、その時機の到来を待っておいでになる。 を、格別に立派な紙に幾枚も描かせなさる。「わけても物 ちょうあい このお二方へのご寵愛はそれそれに厚く、互いに競い合っ 語絵は、その意味が分って見ごたえのするものだ」と言っ ていらっしやる。 て、おもしろく興趣のゆたかな物語を選りに選ってはお描 語 かせになる。例の月次の絵も、目新しい趣向に詞書を書き 物〔五〕帝、絵を好み、後帝は何にもまして絵に興味をお持ち 氏宮、絵の蒐集を競うでいら 0 しやる。格別に好尚がおあつらねて、ごらんに供される。とくに入念におもしろく描 りになるからだろうか、またとなく上手にお描きあそばす。 いたものなので、帝は斎宮の女御方にいらっしやるときも、 斎宮の女御も、まことに上手にお描きになるので、こちらやはりこれをごらんになろうとするが、権中納言はそう容 にお心が移って、しげしげとお渡りになっては、ごいっし易にはお取り出しにならず、ほんとにひどく秘密にしてい てんじよう ょに絵を描いてお気持を通わしておいでになる。若い殿上て、帝がこちらのお方のほうにお持ち出しになるのを惜し 人などでも、絵を習う者に対しては、お目をかけてお気に がってお手放しにならないものだから、源氏の大臣はこの 入りにおばしめしたので、なおさらのこと、お美しいお姿ことをお聞きつけになって、「やはり権中納言のお気持の のこのお方が、風情あるさまに型どおりではなく自由に描大人げなさは、相変らずのようだ」などとお笑いになる。 き興じ、物腰もやさしく物に寄りかかって、何かと筆をと 「むやみと隠しだてして、帝が気持よくごらんあそばすよ うにせず、お気をもませたりするとは、まったくけしから めて想を練っていらっしやるご様子、そのかわいらしさに 帝はお心をとらえられて、まことに頻繁にお越しになって ぬことです。私のほうに昔の御絵がいろいろございます、 は以前よりも際だってご寵愛が深くなっていくのを、権それをさしあげましよう」と奏上なさって、お邸で、古い ずし 中納言はお耳になさり、どこまでも人と張り合って現代ふ のと新しいのと数々の絵を納めてある御厨子をいくつもお うに派手でいらっしやるご性分から、こちらが負けてなる開かせになって、女君とごいっしょに、目新しいのはあれ ちょうごんかおうしようくん ものかと奮起なさって、すぐれた名人たちをお呼び取りに とこれとと選び出しておそろえになる。長恨歌や王昭君な なり、きびしく口封じをしてまたとなくみごとな絵の数々 どのような絵は、おもしろく心うたれるけれども、不吉な ( 原文一八二ハー ) びと つきなみ

5. 完訳日本の古典 第16巻 源氏物語(三)

一源氏が桐壺院を。↓明石〔 = 一〕。 ニ源氏は故院の冥界での苦患を 推量し、救済をと思う。菅原道真の 伝説 ( 北野縁起 ) では、地獄の醍醐 天皇が在位中の罪で責め苦にあい 救済を日蔵上人に依頼。その類似 のち みかど から桐壺院醍醐帝准拠説に従う読 さやかに見えたまひし夢の後は、院の帝の御事を心にかけ 〔こ故院追善の御八講 み方が多い。↓明石六四ハー注四。 と源氏の政界復帰 三すでに予告。↓明石九九ハー きこえたまひて、いかでかの沈みたまふらん罪救ひたてま 参考、宇多帝が父光孝帝を夢に見 おば て御八講を主催 ( 寛平御記 ) 。 つることをせむと思し嘆きけるを、かく帰りたまひては、その御いそぎしたま 0 御八講開催は、源氏の孝心に発 かむなづきみはかう しながらも、彼の強大な権勢の誇 ふ。神無月に御八講したまふ。世の人なびき仕うまつること昔のやうなり。 四 示ともなる。↓明石九九ハー注一一一一。 おほきさき 四弘徼殿大后。↓明石八一一ハー。 大后、御悩み重くおはしますうちにも、つひにこの人をえ消たずなりなむこ 五源氏を相談相手とせよ、とす や ゆいごん る故院の遺言。↓賢木〔 0 。 とと心病み思しけれど、帝は院の御遺言を思ひきこえたまふ。ものの報いあり 六源氏が無実なら「かならずこ ぬべく思しけるを、なほし立てたまひて、御心地涼しくなむ思しける。時々おの報いあ」ると思う ( 明石八二ハ -) 。 セ源氏を召還させたこと。 標こり悩ませたまひし御目もさわやぎたまひぬれど、おほかた世にえ長くあるま〈夢の中で故院と眼を合せて以 来の眼病。↓明石〔一一〕。 じう、心細きこととのみ、久しからぬことを思しつつ、常に召しありて、源氏九退位を目前に、大后への対処 こんばい などに困憊し、無常を思う。 の君は参りたまふ。世の中のことなども、隔てなくのたまはせつつ、御本意の一 0 以下の源氏との関係は故院の 遺言どおり。帝の本意でもあった。 = 関係がないのに。語り手の評。 ゃうなれば、おほかたの世の人もあいなくうれしきことに喜びきこえける。 みをつくし すく

6. 完訳日本の古典 第16巻 源氏物語(三)

めのわらわ からにしきうちしきえびぞめ がしまして、神にお仕えしていた昔のことも、今となっては紫地の唐の錦、打敷は葡萄染の唐の綺である。女童が六人、 うちきさくらがさねかぎみあこめ 懐かしゅうございます ) 赤色の袿に桜襲の汗衫、衵は紅に藤襲の織物である。姿や じん はなだいろから 心用意などが、並々ならぬ様子に見える。右方は、沈の箱 とお書きになって、縹色の唐の紙に包んでさしあげられる。 せんこう に浅香の下机、打敷は青地の高麗の錦、足結いの組紐、華 お使いへの賜り物などもじつに優美な感じである。 うわ 院の帝はこれをごらんになって、限りなく深い感慨をお足の趣など当世ふうである。女童は、青色の表着に柳の汗 衫、山吹襲の衵を着ているが、みな御前に絵の箱をかつい 催しになるにつけても、昔のわが御代をとりもどしたくお でいって並べすえる。帝づきの女房は、左が前、右が後に、 ばしめすのだった。源氏の大臣のお仕向けを恨めしくお思 い申しあげあそばしたことであろう。これも過ぎし年ごろ装束の色を別々に仕分けている。 帝のお召しがあって、源氏の内大臣と権中納言が参内な のご返報ということでもあったのだろうか。 そちのみや こきでんのによう′ ) さる。その日、帥宮も参内しておられた。じつに趣味がゆ 院の御絵は、大后の宮から伝わって、あの弘徽殿女御の たかなお方でいらっしやるが、わけても絵をおたしなみに 御方にも数多く集っていたことであろう。尚侍の君も、こ なるので、大臣が内々でお勧めになったのであろうか、表 のような絵についてのご趣味は人にすぐれていらっしやる 立ってのお召しではなしに殿上に伺候していらっしやるの ので、おもしろく趣をこらしては数々お集めになる。 を、帝の仰せ言があって、御前に参上なさったのである。 〔 0 帝の御前の絵合何日と定めて、にわかの御催しのよ この判者をおっとめになる。いかにもまったくみごとに筆 源氏の絵日記他を圧倒うであるけれども、風情があって、 の限りを尽した絵が数々ある。じっさい優劣の判定をつけ しかも儀式ばらぬ設けで、左方と右方の数々の絵を御前に ることがおできにならない。例の、左の四季の絵も、昔の さしあげなさった。女房の控え所に帝の御座所もしつらえ 絵 させて、北と南にそれそれ分れて伺候している。殿上人は名人たちが興あるさまざまの題材を選んで、筆力も自在に こうろうでんすのこ 5 後涼殿の簀子におのおのの肩入れしている方に心を寄せな描きすすめている風情は、たとえようもなく立派なものと したん すおうけそく いう印象であるが、しかし紙絵は紙幅に限りがあって、山 がら控えている。左方は紫檀の箱に蘇芳の華足、敷物には き さ・ん補 ~ い

7. 完訳日本の古典 第16巻 源氏物語(三)

いかにも仰せ います」などとお申しあげになって、後日、 毒なことはだまって見過せぬ性分でございまして、どうに のとおり、何げないふりをして二条院にお連れしてしまお かして草葉の陰からでも、あの恨みを忘れてくれるような みかど うとお考えになる。女君にも、「こうこう思っております。 ことをと思うのでございますが、さて帝におかせられても このお方をお話相手としてお過しになれば、ちょうど年頃 あれだけご成人あそばしましたが、まだまだ幼いご年齢で もお似合いの間柄でしよう」とお話しになると、女君はう いらっしゃいますから、少しは分別のある方がおそばにお 付き添い申されてもよろしくはございますまいかと存じまれしくお思いになって、前斎宮のご移転のことの準備をな さる。 すので、ご判断いただきたくて : : : 」などと申しあげなさ 入道の宮は、御兄の兵部卿宮が姫君をなんとか早く入内 ると、「よくそお気がっかれました。院からもご所望があ おそ させたいと大騒ぎで養育していらっしやるご様子であるに るのは、それはそれでいかにも畏れ多くお気の毒ではござ つけても、源氏の大臣との御仲がよろしくないので、大臣 いましようけれども、母君のご遺言を口実にして、院のお ばしめしには気づかなかったというふりをして入内おさせがどういう態度に出られるだろうかと心を痛めておいでに こきでんのによう′」 なる。権中納言の御娘は、弘徽殿女御と申しあげる。太政 申しあげなさいまし。院も今はやはりそうしたことにはご 執心でなく、仏道の御修行にご熱心におなりになって、こ大臣の御養女として、まことに美々しくたいせつにかしず とが いていらっしやる。帝もよいお遊び相手とお思いあそばす。 の旨をお申しあげになっても、さほど深くお咎めになるこ ともありますまいと存じます」、「では、帝へ入内をとのご入道の宮は、「兵部卿宮の中の君も帝と同じ年頃でいらっ 標 しやるから、どうもお人形遊びのような気がしましようか 意向がおありで、前斎宮をも人数にお加えくださいますな ら、この大人びたお世話役は、ほんとにうれしいことで らば、私のほうはご本人におロ添えするだけのことにいこ しましよう。あれこれと十分に考えつくしましたし、こうす」と、お考えを仰せになって、そのようなご意向を帝に までこの私の心づもりもそっくり申しあげるのですが、そ幾度もほのめかし申しあげなさって、また一方では、源氏 うわさ の大臣が万事によく行き届いて、政の御補佐はもとより れでも世間でどんな噂をするだろうかと、気がかりでござ まつり′」と

8. 完訳日本の古典 第16巻 源氏物語(三)

( 原文八三ハー ) い夜、帝の御夢に、桐壺院が御座所の前の御階段の下にお報いがあるにちがいないと思われます。このうえは、やは もと にら 立ちになり、ひどくご機嫌がわるくてお睨み申しあげなさ りぜひ元の位を授けることにいたしましよう」と、たびた るので、帝はかしこまっていらっしやる。すると、院は、 びお考えを仰せになるけれども、「そんなことになっては、 さまざまの多くのことをご注意申しあげあそばす。源氏の世間からもあまりに軽率との非難を受けることになりま 君の御事だったのであろう。帝はまことに恐ろしく、またす。罪科を恐れて都を立ち去った人を、わずか三年もたた 父院をおいたわしくお思いあそばして、母后にお申しあげ ぬうちに許されるようなことがあったら、世間の人はど うわさ になると、「雨などが降り、空の荒れている夜は、そうとんな噂を立てることでしよう」などと、大后がきびしくお お思いこみのことが、そんなふうに夢に現れるものです。 戒めになるので、ご遠慮あそばす間に月日は重なって、お そう軽率にお驚きになってはいけません」と仰せられる。 二人のご不例はさまざまに重くおなりになるいつばうであ る。 帝は、父院がお睨みになったお目に、ご自分のお目をお 合せになった、と夢にごらんになったせいか、眼病をおわ〔三〕入道の娘や親たち明石では、例年に変りなく、秋とも ものいみ 思案にくれる ずらいになって、堪えがたくお苦しみあそばす。御物忌 なれば浜風がことさら身にしみるの を、宮中でも大后のお邸でも手を尽して十分におさせにな で、源氏の君は独り寝も心底ものわびしくて、入道にも る。 折々話をもちかけられる。「なんとか、人目にたたないよ 太政大臣がお亡くなりになった。すでにご無理もないお うにして、こちらへ伺わせよ」とおっしやって、ご自身か 石 年であるけれども、次から次へとしぜんに穏やかならぬこ ら先方へお越しになるなどとんでもないというお気持でい とが起ってくるうえに、大后までなんとなくおかげんがお らっしやるが、当の本人はこれまた、まるでその気にはな 明 悪くて、日がたっとともにお弱りになるご様子なので、帝りそうもない。「まったく取るに足りない分際の田舎者な いっとき 浦はあれこれお嘆きあそばす。「やはり、あの源氏の君が無らば、ほんの一時都から下ってきている人の心やすだてな 実の罪でこうした逆境におかれているのならば、必ずその 言葉につられて、そんな軽はずみな契りを結ぶこともしょ

9. 完訳日本の古典 第16巻 源氏物語(三)

くだ みやすどころ 身分に応じてそれぞれ下しおかれる。大臣はどのようなご し分のない気分がただよっている。「ああ、御母御息所が 8 返事かと、じっさい拝見したくお思いになるけれども、と もしご存生であったら、どんなにかはりあいのあるお気持 てもそのことをお申し出にはなれない で姫君をお世話なさったことだろう」と、亡き人のご気性 語 をお思い出しになり、「自分との特別の関係を別にして考 物〔ラ源氏参内、故六条「院のご容姿は、女にしてお目にか 氏御息所を回想する かっていたいくらいにお美しいが、 えるならば、捨てがたく惜しむべきお人柄ではあった。あ この女宮のご様子もそれに不似合いではなく、じっさい結れほどの方はめったにありはしなかった。趣味教養の面は 構な御間柄と思われるのに、帝のほうはまだまだ幼いご様なんといってもぬきんでていらっしやって」と、何かの折 子なので、このように院のお気持にさからってお取り持ち ごとにお思い出し申していらっしやる。 するのを、女宮も内心不快でいらっしやるだろうか」など 〔三〕冷泉帝、斎宮の女中宮も宮中においであそばすのであ じゅだい と、源氏の大臣はいやな気のまわされかたをまでなさって 御・弘徽殿女御と睦ぶった。帝は、立派なお方が入内なさ お胸を痛めていらっしやるけれども、今日になってお思い るとお聞きあそばしたので、まことにいじらしくお心づか とどまりになれることではないのだから、万事しかるべき いになっていらっしやる。お年のほどよりはたいそう気を すりのさい さまにお指図をなさって、ご信頼になっておられる修理宰おきかせになって、大人びていらっしやる。母宮も、「こ 相に、こまごまとお世話申しあげるようお言いつけになっ のように気のおける方がお上りになるのですから、お気を さ , れが、い て、参内なさった。 おつけになって、お逢いになりますよう」とご注意あそば ひと 源氏の大臣は、表立った親代りというふうにお思し 、、、こすのだった。帝はお心のうちで、年上の女に逢うのは気づ だかぬようにしようと院に気がねなさって、ただのご機嫌まりではなかろうかとお思いになるのだったが、前斎宮が 伺い程度に見せかけていらっしやる。すぐれた女房などが、 たいそう夜が更けてから参上なさったところ、まったくい きやしゃ 以前から大勢お仕えしている宮邸なので、平素は里にこも かにも慎み深くおっとりとしていて、小柄で華奢な感じで りがちだった女房たちも今はまいり集って、またとなく申 いらっしやるので、じつにすばらしい方と帝はお思いにな

10. 完訳日本の古典 第16巻 源氏物語(三)

そのころのことには、この絵のさだめをしたまふ。源氏「か天源氏の当初の思惑「中宮ばか 〔一 0 〕源氏、わが栄華の りには : ・」 ( 一八四ハー ) と照応。 極みを恐れ後生を思う の浦々の巻は中宮にさぶらはせたまへ」と聞こえさせたま一九絵合のような些細なこと。 ニ 0 源氏の斎宮の女御への世話。 ひければ、これがはじめ、また残りの巻々ゆかしがらせたまへど、源氏「いま一 = 「おばえ」は、弘徽殿女御への 世評。絵合の敗北から世間の信望 つぎつぎに」と聞こえさせたまふ。上にも御心ゆかせたまひて思しめしたるを、の低下を、やはり免れまいと推測 する。「なほ」の語気にも注意。 うれしく見たてまつりたまふ。はかなきことにつけても、かうもてなしきこえ一三決定的な敗北に心痛む気持。 ニ三弘徽殿女御に。 たまへば、権中納言は、なほおばえおさるべきにやと心やましう思さるべかめニ四以下、権中納言の心中。 一宝わが女御への帝寵は衰えまい り。上の御心ざしは、もとより思ししみにければ、なほこまやかに思しめした兵「節会」は宮廷行事。「この御 時」は冷泉帝時代。宮廷行事に新 るさまを、人知れず見たてまつり知りたまひてぞ、頼もしくさりともと思され例を加え整備するのは、その御代 あかし が聖代であることの証。源氏は、 冷泉帝治世が後代から聖代と仰が ける。 れるべく新趣向を考える。前の桐 ニ六 せちゑ さるべき節会どもにも、この御時よりと、末の人の言ひ伝ふべき例を添へむ壺聖代への回顧ともひびきあう。 ニセ 毛民間的な行事。 わたくし ニ〈盛んな聖帝の御代。冷泉帝を 合と思し、私ざまのかかるはかなき御遊びもめづらしき筋にせさせたまひて、 なぞら 村上天皇に准える読み方もある。 前の天徳内裏歌合准拠もその根拠。 みじき盛りの御世なり。 絵 ニ九源氏の無常観。 大臣ぞ、なほ常なきものに世を思して、いますこしおとなびおはしますと見三 0 冷泉帝が。 三一出家遁世。「なほ」の重用は、 ためし 心底の出家志向。↓次ハー注四。 たてまつりて、なほ世を背きなんと深く思ほすべかめる。「昔の例を見聞くに ニ九 三 0 ニ 0 れい ニ ^