とはことになし。あながちに動かしきこえたまひても、わが心ながら知りがた一六源氏の心。無理に御息所の心 を動かして逢っても、その後は我 一七 あり ながら疎遠になるかもしれず、彼 く、とかくかかづらはむ御歩きなども、ところせう思しなりにたれば、強ひた 女の恨みをつのらせよう、と思う。 るさまにもおはせず。斎宮をぞ、いかにねびなりたまひぬらむとゆかしう思ひ宅諸所への忍び歩きなど、政務 多端の重鎮としては慎むほかない。 きこえたまふ。 天反転して、二十歳の娘前斎宮 にあらためて関心を抱く。下向時 一九 ふるみや すり に - も、い騒 いだ。↓賢木一五四ハ なほ、かの六条の古宮をいとよく修理しつくろひたりければ、みやびかにて 一九帰京後も下向以前と同様に。 住みたまひけり。よしづきたまへること古りがたくて、よき女房など多く、す = 0 「みやびか」 ( 優雅 ) 「よし」 ( 由 緒 ) など、御息所らしさの表現。 つどどころ いたる人の集ひ所にて、ものさびしきゃうなれど、心やれるさまにて経たまふ三以前から、風流人の集う所。 ↓葵一二四・賢木一五一ハ ほどに、にはかに重くわづらひたまひて、もののいと、い細く思されければ、罪一三源氏に逢うこともなく、ただ 風流生活に心をつなぐ。 あま ニ三神域の斎宮は仏教を忌むので、 深き所に年経つるも、いみじう思して、尼になりたまひぬ。 「罪深き所」という。御息所は死を おとど 大臣聞きたまひて、かけかけしき筋にはあらねど、なほさる方のものをも聞予感、生涯の愛執の罪をも思うか。 ニ四懸想の仲ではないが、やはり 標こえあはせ人に思ひきこえつるを、かく思しなりにけるが口惜しうおばえたま時節の情趣などを言い交せる相手。 一宝出家後は交際できにくい。 ニ六御息所は。遺言めく場面。 へば、驚きながら渡りたまへり。飽かずあはれなる御とぶらひ聞こえたまふ。 毛源氏は、几帳などの向う側の まくらがみおまし 御息所を、物音などから想像する。 近き御枕上に御座よそひて、脇息におしかかりて御返りなど聞こえたまふも、 ニ ^ 変らぬ私の気持を理解しても いたう弱りたまへるけはひなれば、絶えぬ心ざしのほどはえ見えたてまつらでらえぬまま終るのか、の意。 ニ六 びと へ ニ七 ニ四 けふそく ニ 0
あま しぐれ あづまや つる。雨そそきも、なほ秋の時雨めきてうちそそけば、惟光「御かささぶらふ。」、催馬琴東屋」の前半「東屋の 8 真屋のあまりのその雨そそき したっゅ さしぬきすそ とのど げに木の下露は、雨にまさりて」と聞こゅ。御指貫の裾はいたうそばちぬめり。我立ち濡れぬ殿戸開かせ」の、 語 雨の茅屋に女を訪ねる趣。 ちゅうもん かた ニ露しとどの情景の強調表現。 物昔だにあるかなきかなりし中門など、まして形もなくなりて、入りたまふにつ みや 五 氏 三「みさぶらひみかさと申せ宮 むとく 源けてもいと無徳なるを、立ちまじり見る人なきぞ心やすかりける。 城野の木の下露は雨にまされり」 ( 古今・東歌 ) で、雨以上の露の趣。 姫君は、さりともと待ち過ぐしたまへる心もしるくうれし四↓末摘花三五ハー四行。 〔 lll) 末摘花、源氏と対 五「無徳」は、役立たない意。 たいめん 面、和歌を唱和する けれど、いと恥づかしき御ありさまにて対面せんもいとっ 六「さりとも : ・」↓一五〇ハー一行。 セ願望もはっきりかなえられて。 たてまっ つましく思したり。大弐の北の方の奉りおきし御衣どもをも、心ゆかず思され〈みすばらしい格好で。 九 ↓一五一ハー八行。 からびつ しゆかりに、見入れたまはざりけるを、この人々の香の御唐櫃に入れたりける一 0 不愉快だった人のゆかりの品。 = どうにも、仕方がなくて。 ; 、となっかしき香したるを奉りけれま、 一五一ハー一四行。 ししかがはせむに着かへたまひて、か三↓ 一三何も言って来ないのが恨めし きちゃう のすすけたる御几帳ひき寄せておはす。 く。「おどろかす」は便りする意。 一四心くらべしてきたが、の意。 一五「わが庵は三輪の山もと恋し 入りたまひて、源氏「年ごろの隔てにも、心ばかりは変らずなん思ひやりき くはとぶらひ来ませ杉立てる門」 こえつるを、さしもおどろかいたまはぬ恨めしさに、今まで試みきこえつるを、 ( 古今・雑下読人しらず ) 。 一六几帳の隙間からのそこうと。 かたびら 杉ならぬ木立のしるさにえ過ぎでなむ負けきこえにける」とて、帷子をすこし宅おいたわしさも一通りでなく。 一 ^ 心変りしない私の性癖から。 かきやりたまへれば、例の、いとつつましげに、とみにも答へきこえたまはず。一九あなたのお心のうちも。 ( 現代語訳三〇八ハー ) か かう あま
源氏物語 22 月影のなまめかしうしめやかなるに、うちふるまひたまへるにほひ似るものな一同じ月光も、恋の場面に転じ て、優艶な情趣をかもし出す。 くて、いと忍びやかに入りたまへば、すこしゐざり出でて、やがて月を見ておニ源氏の衣にたきしめた薫香。 ー ) っ - につ 四 三膝行して源氏を迎え入れなが みじかよ あがた ら、物思いのまま月を見やる。 はす。またここに御物語のほどに、明け方近うなりにけり。源氏「短の夜のほ 四晩春で、夜が長くない たいめん どや。かばかりの対面もまたはえしもやと思ふこそ。事なしにて過ぐしつる年五「君見ずて程のふるやの廂に は逢ふことなしの草ぞ生ひける」 ためし ごろも悔しう、来し方行く先の例になるべき身にて、何となく心のどまる世な ( 新勅撰・恋五読人しらず ) 。 六流離の身となる自分をさす。 とり きめぎめ くこそありけれ」と、過ぎにし方のことどものたまひて、鶏もしばしば鳴けば、セ後朝の別れをせきたてる鶏鳴。 〈月の西山に沈む景が、源氏の なぞら 世につつみて急ぎ出でたまふ。例の、月の入りはつるほど、よそへられて、あ立ち出る姿に、擬えられる。 九紫または紅の濃い色。 一 0 「あひにあひて物思ふころの はれなり。女君の濃き御衣に映りて、げに濡るる顔なれば、 わが袖に宿る月さへ濡るる顔な る」 ( 古今・恋五伊勢 ) 。 花散里月影のやどれる袖はせばくともとめても見ばやあかぬ光を 一一「月影」「光」が源氏、「袖」が おば 花散里。袖が狭いとは、貧しい意 いみじと思いたるが心苦しければ、かつは慰めきこえたまふ。 の常套表現。通例とは逆の、女か らの贈歌である点に注意。 源氏「行きめぐりつひにすむべき月影のしばし曇らむ空なながめそ 三「行きめぐり」は、月の運行と、 思へばはかなしゃ。ただ、知らぬ涙のみこそ心をくらすものなれ」などのたま源氏の須磨退去の両意。「すむ」は、 澄む、潔白を証す、さらに、花散 里とともに住む意。「月影」は源氏。 ひて、明けぐれのほどに出でたまひぬ。 「曇る」は冤罪にあうこと。以上、 「月影」にかかわる縁語。 九 かた ぞうつ とし ひさし
ったな ったりする不幸をいう。顔回の不 ひしに、拙きこともなく、またとりたててこのことと心得ることもはべらざり 幸 ( 論語 ) などによるか。桐壺院は、 か き。絵描くことのみなむ、あやしく、はかなきものからいかにしてかは心ゆく源氏の長寿と福運を願い、彼の学 才の突出する伸長を抑えたとする。 一三正式な学問以外の諸方面、す ばかり描きてみるべきと思ふをりをりはべりしを、おばえぬ山がつになりて、 なわち諸々の芸能 よも 四方の海の深き心を見しに、さらに思ひょらぬ隈なくいたられにしかど、筆の一四どうしたら満足のゆくほどに 描いてみることができようかと。 ゆく限りありて、心よりは事ゆかずなむ思うたまへられしを、ついでなくて御三予期もしなかった流離の生活。 一六画境を窮めるに至った。 のち 覧ぜさすべきならねば、かうすきずきしきゃうなる、後の聞こえやあらむ」と、宅何かの機会がなくては。帥宮 を判者に勧誘したことをも合理化。 一九 天物好きという後々の評判。 親王に申したまへば、帥宮「何の才も、心より放ちて習ふべきわざならねど、 一九精神がこもっていなくては。 ニ 0 師に学んで習得できる芸能は。 道々に物の師あり、まねびどころあらむは、事の深さ浅さは知らねど、おのづ 三習得の度合いの深浅。 たましひ からうっさむに跡ありぬべし。筆とる道と碁打っこととそ、あやしう魂のほど一三学んだ結果が残るだろう。 ニ三書画の道と碁だけは、ほとん ニ四らう 見ゆるを、深き労なく見ゆるおれ者も、さるべきにて描き打ったぐひも出で来どその人の魂 ( 天分 ) によるとする。 一西習練したとも思えぬ凡愚の者。 合れど、家の子の中には、なほ人に抜けぬる人の、何ごとをも好み得けるとそ見 = = 名門の子弟。 ニ六以下、桐壺院の親王・内親王 ニ六ごぜん えたる。院の御前にて、親王たち、内親王、いづれかはさまざまとりどりの才の諸芸の育成を回顧、追懐する。 絵 毛前の「またとりたてて : ・」 ( 一 ならはさせたまはざりけむ。その中にも、とりたてたる御心に入れて伝へうけ行 ) を受け、源氏の抜群さをいう。 天次ハー一習ひたまへる」まで 一も・ん一い とらせたまへるかひありて、文才をばさるものにていはず、さらぬことの中に桐壺院の言葉。「文才は詩文の才。 か ニ 0 ぎえ ないしんわう ニ七 か ぎえ
りがたきまで遊びののしり明かしたまふ。惟光やうの人は、心の中に神の御徳一源氏の流離の辛苦を知る者。 一一君が奥からふとお出ましの時。 をあはれにめでたしと思ふ。あからさまに立ち出でたまへるにさぶらひて、聞三歌・すみよし」は、多く「松」 を連想。「松」「先づ」の掛詞。「神 語 物こえ出でたり。 代」は、神話時代の意に、流離生 氏 活の昔の意をこめる。「神の御徳」 源 ( 三行前 ) への感嘆を表した歌。 惟光すみよしのまっこそものは悲しけれ神代のことをかけて思へば 四「あらかりし波のまよひ」に、 げに、と思し出でて、 流離の辛苦をこめる。住吉の神慮 への感動を、惟光と共有する歌。 五惟光が源氏に 源氏「あらかりし波のまよひにすみよしの神をばかけてわすれやはする 六住吉の神慮ゆえの、明石との 宿縁を思う。↓一〇九ハー三行以下。 しるしありな」とのたまふもいとめでたし。 セ明石の君は「なかなか」の思い ペー 0 を繰り返した。↓一一三 ~ かの明石の舟、この響きにおされて過ぎぬることも聞こゆれば、知らざりけ ^ 前回は、難波の祓と、住吉へ の使者派遣だけ。↓明石九七ハー るよとあはれに思す。神の御しるべを思し出づるもおろかならねば、「いささ 九仁徳天皇時代に掘ったと伝え せうそこ みやしろ かなる消息をだにして心慰めばや。なかなかに思ふらむかし」と思す。御社立られる。今の天満川という。 一 0 「わびぬれば今はた同じ難波 せうえう ょに。は なるみをつくしても逢はむとぞ思 ちたまひて、所どころに逍遥を尽くしたまふ。難波の御祓などことによそほし ふ」 ( 後撰・恋五元良親王 ) 。 ほりえ = 無意識に。歌を仲立ちに、難 う仕まつる。堀江のわたりを御覧じて、「いまはた同じ難波なる」と、御心 波↓澪標↓女君思慕、と連想。 これみつ 一ニ逍遥の場所。 もあらでうち誦じたまへるを、御車のもと近き惟光うけたまはりやしつらむ、 一三明石の君を思う折しも、彼女 ふところまう さる召しもやと例にならひて懐に設けたる柄短き筆など、御車とどむる所にてへの贈歌を促す惟光の機転に喜ぶ。 ず これみつ つか 五 はらへ
23 須磨 よろづのことどもしたためさせたまふ。親しう仕うまつり一三帰京を切望しても頼みがたい。 〔五〕旅立ちの準備邸 一四「行く先を知らぬ涙の悲しき かみしも 内の雑事や所領の処置 はただ目の前に落つるなりけり」 世になびかぬかぎりの人々、殿の事とり行ふべき上下定め わたる ( 後撰・離別羇旅源済 ) 。 おかせたまふ。御供に慕ひきこゆるかぎりは、また選り出でたまへり。 一五留守宅二条院の事務。 一六須磨の地での生活の道具。 かの山里の御住み処の具は、え避らずとり使ひたまふべきものども、ことさ 宅飾り気もなく簡素にして。 一 ^ 「漆琴一張儒道仏書各三両 らよそひもなくことそぎて、またさるべき書ども、文集など入りたる箱、さて巻楽天既ニ来リテ主為リ」 ( 白氏 文集巻二十六・草堂記 ) 。次の「文 きん てうど は琴一つそ持たせたまふ。ところせき御調度、はなやかなる御よそひなどさら集」は『白氏文集』、「琴」は七絃。 このあたりの所持品から、須磨で に具したまはず、あやしの山がつめきてもてなしたまふ。さぶらふ人々よりはの文人趣味の生活が予想される。 一九源氏づきの女房。 りゃう じめ、よろづのこと、みな西の対に聞こえわたしたまふ。領じたまふ御庄、御 = 0 紫の上。源氏の留守をあすか るれつきとした女主人へと格上げ。 けん 牧よりはじめて、さるべき所どころの券などみな奉りおきたまふ。それよりほ = 一「庄」は荘園、「牧」は牧場。 一三所有権を証明する書類 みくらまちをさめどの かの御倉町、納殿などいふことまで、少納言をはかばかしきものに見おきたまニ三倉の建ち並ぶ一画。多くの倉。 ニ六 ニ四財宝を収納する場所。 ニ五紫の上の乳母。紫の上の代行。 へれば、親しき家司ども具して、知ろしめすべきさまどものたまひ預く。 兵家政をつかさどる事務職。 なかっかさ ニ九 わが御方の中務、中将などやうの人々、つれなき御もてなしながら、見たて毛とりしきるべき心得の数々。 ニ ^ 二人とも源氏の召人。 まつるほどこそ慰めつれ、何ごとにつけてかと思へども、源氏「命ありてこの = 九源氏の情の深くなかったこと。 三 0 源氏の離京後は。 世にまた帰るやうもあらむを、待ちつけむと思はむ人はこなたにさぶらへ」と三一紫の上のほうに。 まき 一セ すか ぐ ニ 0 三 0 ニ七 ニ五 ふみ え みさうみ
一ひとかどの人物として処遇。 さまをものめかし出でたまふは、、かなりける御心にかありけむ。これも昔の ニ前世からの因縁。源氏の末摘 花厚遇は宿世の力としか思えない。 契りなめりかし。 三末摘花に見切りをつけて、離 語 きほ うへし・も 物 いまは限りと侮りはてて、さまざまに競ひ散りあかれし上下の人々、我も我散した上下の召使たち。源氏の庇 五 氏 護で豊かになると、戻って来る者 むも もいる。「競ひ散り」「あらそひ出 源も参らむと争ひ出づる人もあり。心ばへなど、はた、埋れいたきまでよくおは づる」とあり、離散も帰参も、先 六ずりゃう する御ありさまに心やすくならひて、ことなることなきなま受領などやうの家を競う軽薄さ。三行售うちつけ の心みえに」とあるゆえん。 にある人は、ならはずはしたなき心地するもありて、うちつけの心みえに参り四末摘花の気だてなど。 五「埋れいたし」は、引っ込み思 案で内気すぎるさま。前の「ひた 帰る。 ぶるにものづつみ : ・」 ( 一六一一ハー 君は、いにしへにもまさりたる御勢ひのほどにて、ものの思ひやりもまして〇行 ) と同じく、高貴な血統ゆえ の気品が推称される。 添ひたまひにければ、こまやかに思しおきてたるに、にほひ出でて宮の内やう六なまはんかな受領。 セ今まで経験したこともない、 やりみづ ゃう人目見え、木草の葉もただすごくあはれに見えなされしを、遣水かき払ひ、ばつのわるい思いをして。 〈「うちつけの心」は、状況の変 せんぎいもとだ 化に応じて変る現金な心。 前栽の本立ちも涼しうしなしなどして、ことなるおばえなき下家司のことに仕 0 女房たちの動向に即して、当時 一五けしき へまほしきは、かく御心とどめて思さるることなめりと見とりて、御気色たまの世相人情が活写されていよう。 一六 九他者に思いを馳せる力。 ついしよう おき 一 0 この「掟つ」は、指図する意。 はりつつ追従し仕うまつる。 = 光彩を放って。 一ニこれまでの零落ぶりを象徴。 あなづ しもげいし
うれ 尽くすべき。年経たまへらむ春秋の暮らしがたさなども、誰にかは愁へたまは一「尽くす、とあり、語り尽した くなるほどの親密さをおばえる。 ニ私以外の誰に訴えられるもの むとうらもなくおばゆるも、かつはあやしうなむ」など聞こえたまへば、 かと、衷心から思われるのも。 語 三自分の末摘花への親愛感を、 物 末摘花年をへてまっしるしなきわが宿を花のたよりにすぎぬばかりか 氏 一方では疑う。親しみ深さを強調 そでか 源と忍びやかにうちみじろきたまへるけはひも、袖の香も、昔よりはねびまさり 0 「待っ」に「松」をひびかす。待 っ身のかいなさを嘆きながら、あ なたは花を見るついでだけで立ち たまへるにやと思さる。 寄ったのか、と切り返した歌。 わたどの いがた 月入り方になりて、西の妻戸の開きたるより、さはるべき渡殿だっ屋もなく、五人間的な成長があったと感取。 六「さはる」は、さえぎる意。 、とよなやかにさし入りたれば、あたりあたり見ゅセ軒先も壊れて残っていない。 軒のつまも残りなければ、し。 九 〈月光が。情趣の喚起に注意。 しのぐさ うへ るに、昔に変らぬ御しつらひのさまなど、忍ぶ草にやつれたる上の見るめより九忍ぶ草が生えて荒れた外観よ りも。「君しのぶ草にやつるる故 はみやびかに見ゆるを、昔物語に、たふこばちたる人もありけるを思しあはす里はまっ虫のぞ悲しかりけや ( 古今・秋上読人しらず ) による。 るに、同じさまにて年ふりにけるもあはれなり。ひたぶるにものづつみしたる一 0 皇族の気品が浮びあがる。後 の「あてやか」「心にくし」にも注意。 けはひの、さすがにあてやかなるも心にくく思されて、さる方にて忘れじと心 = 末詳。親が建てた供養塔を親 不孝の子が壊す物語とも。また、 散佚の『桂中納言物語』の、貧女が 苦しく思ひしを、年ごろさまざまのもの思ひにほればれしくて隔てつるほど、 几帳の帷子を衣に仕立てた話とも。 一五 三非難されがちな内気で遠慮深 つらしと思はれつらむといとほしく思す。 い人柄が、ここでは、貧しいなが かの花散里も、あざやかにいまめかしうなどははなやぎたまはぬ所にて、御ら高貴な奥ゆかしさとして推称。 のき 四 あ や ふる
ひとみやうち 時しあらば」と聞こえて、なごりもあはれなる物語をしつつ、一宮の内忍びて一六引歌があるらしいが不明。 宅悲嘆の返事を書いた後の余韻。 泣きあへり。一目も見たてまつれる人は、かく思しくづほれぬる御ありさまを、周囲の人々と源氏の悲運を語った。 一 ^ 東宮御所全体。 な 嘆き惜しみきこえぬ人なし。まして常に参り馴れたりしは、知りおよびたまふ一九源氏の悲嘆の様子。 ニ 0 源氏がご存じのはずもない。 をさめみかはやうど した まじき長女、御厠人まで、ありがたき御かへりみの下なりつるを、しばしにて三雑用に従事する下級女官。 一三便器の清掃にあたる下級女官。 ニ三源氏の庇護下にあったことを。 も見たてまつらぬほどや経むと思ひ嘆きけり。 一西普通のことと思うだろうか。 たれ ニ四 ふみはじめ 一宝読書始などをしたころ ( 桐壺 おほかたの世の人も、誰かはよろしく思ひきこえん。七つになりたまひしこ 田三〇ハ -) 。内裏住いであった。 おまへよるひる ニ六 のかた、帝の御前に夜昼さぶらひたまひて、奏したまふことのならぬはなかりニ六桐壺帝に奏上したすべてが実 現した。これまで特に叙述がない。 毛太政官の弁官。左右の、大・ しかば、この御いたはりにかからぬ人なく、御徳を喜ばぬやはありし。やむご ニ七 中・少に分けられる。四、五位。 しも かむだちめべんくわん 一四ハー注一 0 。 となき上達部、弁官などの中にも多かり。それより下は数知らぬを、思ひ知ら = ^ ↓ 堯源高明の突然の流罪に類似。 はばか 「二十五六日のほどに、西の宮の ぬにはあらねど、さしあたりて、いちはやき世を思ひ憚りて参り寄るもなし。 三 0 左大臣流されたまふ。見たてまっ ニ九 した らむとて、天の下ゆすりて、西の 世ゆすりて惜しみきこえ、下には朝廷を譏り恨みたてまつれど、身を棄ててと 宮へ人走りまどふ」 ( 蜻蛉日記中 ) 。 ぶらひ参らむにも、何のかひかはと思ふにや、かかるをりは、人わろく、恨め三 0 「下」に注意。右大臣方勢力を はばかりながらも、源氏に共感。 三一人目に体裁がわるく。 しき人多く、世の中はあちきなきものかなとのみ、よろづにつけて思す。 三ニ「あちきなし」は、行きづまっ て、どうにもならない感じ。 ひとめ 三ニ へ おほやけそし ニ五 ニ 0
な ふ からもりはこや き御あたりをもさらに馴れたまはず、古りにたる御厨子あけて、唐守、藐姑射一散佚物語の一つ。内容不明。 てるみち = 散物語。照満姫 ( 刀自の養 女 ) に太玉の帝が求婚する話か。 の刀自、かぐや姫の物語の絵に描きたるをぞ時々のまさぐりものにしたまふ。 語 三『竹取物語』。↓絵合一八六ハー。 え ふるうた 物古歌とても、をかしきゃうに選り出で、題をも、よみ人をもあらはし心得た四歌を、題詞・作者など作歌事 五 氏 情とともに鑑賞。当時の鑑賞法。 かむやがみみちのくにがみ 五以下、末摘花。「紙屋紙」は公 源るこそ見どころもありけれ、うるはしき紙屋紙、陸奥国紙などのふくだめるに、 文書用、「陸奥国紙ーも雑用向き。 ふること 古言どもの目馴れたるなどはいとすさまじげなるを、せめてながめたまふをり六ぶくぶくと、けばだった状態。 セこの「古言」は、古歌。 ^ ひたすら物思いにふける折々。 をりは、引きひろげたまふ。今の世の人のすめる経うち誦み、行ひなどいふこ 九当時、経文の曲節をつけた誦 とはいと恥づかしくしたまひて、見たてまつる人もなけれど、数珠など取り寄読が流行。他方、女の仏道への関 心は賢しらと非難。「昔は経読む せたまはず。かやうにうるはしくそものしたまひける。 をだに人は制しき」 ( 紫式部日記 ) 。 一 0 以下、父の監視がなくとも、 じじゅ・う・ めのとご 侍従などいひし御乳母子のみこそ、年ごろあくがれはてぬその訓戒による折目正しい生活。 〔五〕叔母、末摘花に対 0 宮家のいたましい凋落のなかで、 かよ して報復を企てる 者にてさぶらひつれど、通ひ参りし斎院亡せたまひなどし家門の誇り高き末摘花は、亡父の 遺言を墨守。その頑固な志操が、 て、いとたへがたく心細きに、この姫君の母北の方のはらから、世におちぶれ反時代的な趣味教養として顕現。 = ↓末摘花二五ハー一二行。 ずりゃう て受領の北の方になりたまへるありけり、むすめどもかしづきて、よろしき若三この邸を見捨てない意。 一三↓末摘花三一一ハー一一行。 まう 一セ 一四この「心細し」も、生活不如意。 人どもも、むげに知らぬ所よりは、親どもも参で通ひしをと思ひて、時々行き 以下は「 : ・思ひて、時々行き通ふ」 むつ 通ふ。この姫君は、かく人疎き御癖なれば、睦ましくも言ひ通ひたまはず。 ( 現代語訳二九八ハー ) か さか