花散里 - みる会図書館


検索対象: 完訳日本の古典 第16巻 源氏物語(三)
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1. 完訳日本の古典 第16巻 源氏物語(三)

源氏物語 22 月影のなまめかしうしめやかなるに、うちふるまひたまへるにほひ似るものな一同じ月光も、恋の場面に転じ て、優艶な情趣をかもし出す。 くて、いと忍びやかに入りたまへば、すこしゐざり出でて、やがて月を見ておニ源氏の衣にたきしめた薫香。 ー ) っ - につ 四 三膝行して源氏を迎え入れなが みじかよ あがた ら、物思いのまま月を見やる。 はす。またここに御物語のほどに、明け方近うなりにけり。源氏「短の夜のほ 四晩春で、夜が長くない たいめん どや。かばかりの対面もまたはえしもやと思ふこそ。事なしにて過ぐしつる年五「君見ずて程のふるやの廂に は逢ふことなしの草ぞ生ひける」 ためし ごろも悔しう、来し方行く先の例になるべき身にて、何となく心のどまる世な ( 新勅撰・恋五読人しらず ) 。 六流離の身となる自分をさす。 とり きめぎめ くこそありけれ」と、過ぎにし方のことどものたまひて、鶏もしばしば鳴けば、セ後朝の別れをせきたてる鶏鳴。 〈月の西山に沈む景が、源氏の なぞら 世につつみて急ぎ出でたまふ。例の、月の入りはつるほど、よそへられて、あ立ち出る姿に、擬えられる。 九紫または紅の濃い色。 一 0 「あひにあひて物思ふころの はれなり。女君の濃き御衣に映りて、げに濡るる顔なれば、 わが袖に宿る月さへ濡るる顔な る」 ( 古今・恋五伊勢 ) 。 花散里月影のやどれる袖はせばくともとめても見ばやあかぬ光を 一一「月影」「光」が源氏、「袖」が おば 花散里。袖が狭いとは、貧しい意 いみじと思いたるが心苦しければ、かつは慰めきこえたまふ。 の常套表現。通例とは逆の、女か らの贈歌である点に注意。 源氏「行きめぐりつひにすむべき月影のしばし曇らむ空なながめそ 三「行きめぐり」は、月の運行と、 思へばはかなしゃ。ただ、知らぬ涙のみこそ心をくらすものなれ」などのたま源氏の須磨退去の両意。「すむ」は、 澄む、潔白を証す、さらに、花散 里とともに住む意。「月影」は源氏。 ひて、明けぐれのほどに出でたまひぬ。 「曇る」は冤罪にあうこと。以上、 「月影」にかかわる縁語。 九 かた ぞうつ とし ひさし

2. 完訳日本の古典 第16巻 源氏物語(三)

うれ 尽くすべき。年経たまへらむ春秋の暮らしがたさなども、誰にかは愁へたまは一「尽くす、とあり、語り尽した くなるほどの親密さをおばえる。 ニ私以外の誰に訴えられるもの むとうらもなくおばゆるも、かつはあやしうなむ」など聞こえたまへば、 かと、衷心から思われるのも。 語 三自分の末摘花への親愛感を、 物 末摘花年をへてまっしるしなきわが宿を花のたよりにすぎぬばかりか 氏 一方では疑う。親しみ深さを強調 そでか 源と忍びやかにうちみじろきたまへるけはひも、袖の香も、昔よりはねびまさり 0 「待っ」に「松」をひびかす。待 っ身のかいなさを嘆きながら、あ なたは花を見るついでだけで立ち たまへるにやと思さる。 寄ったのか、と切り返した歌。 わたどの いがた 月入り方になりて、西の妻戸の開きたるより、さはるべき渡殿だっ屋もなく、五人間的な成長があったと感取。 六「さはる」は、さえぎる意。 、とよなやかにさし入りたれば、あたりあたり見ゅセ軒先も壊れて残っていない。 軒のつまも残りなければ、し。 九 〈月光が。情趣の喚起に注意。 しのぐさ うへ るに、昔に変らぬ御しつらひのさまなど、忍ぶ草にやつれたる上の見るめより九忍ぶ草が生えて荒れた外観よ りも。「君しのぶ草にやつるる故 はみやびかに見ゆるを、昔物語に、たふこばちたる人もありけるを思しあはす里はまっ虫のぞ悲しかりけや ( 古今・秋上読人しらず ) による。 るに、同じさまにて年ふりにけるもあはれなり。ひたぶるにものづつみしたる一 0 皇族の気品が浮びあがる。後 の「あてやか」「心にくし」にも注意。 けはひの、さすがにあてやかなるも心にくく思されて、さる方にて忘れじと心 = 末詳。親が建てた供養塔を親 不孝の子が壊す物語とも。また、 散佚の『桂中納言物語』の、貧女が 苦しく思ひしを、年ごろさまざまのもの思ひにほればれしくて隔てつるほど、 几帳の帷子を衣に仕立てた話とも。 一五 三非難されがちな内気で遠慮深 つらしと思はれつらむといとほしく思す。 い人柄が、ここでは、貧しいなが かの花散里も、あざやかにいまめかしうなどははなやぎたまはぬ所にて、御ら高貴な奥ゆかしさとして推称。 のき 四 あ や ふる

3. 完訳日本の古典 第16巻 源氏物語(三)

だ世にやおはすらむとばかり思し出づるをりもあれど、たづねたまふべき御心一源氏二十九歳。澪標巻と同じ。 ニ四月から夏。これまでも、花 散里との物語はほとんど夏に集中。 ざしも急がであり経るに、年かはりぬ 三この時期の源氏の徴行は稀。 語 はなちるさと 物 卯月ばかりに、花散里を思ひ出できこえたまひて、忍びて、四紫の上。 〔九〕源氏、末摘花の邸 四 氏 五花散里巻 ( 〔一〕 ) ・澪標巻 いとま たいうへ 源のそばを通りかかる ( 〔九〕 ) 、ともに五月雨の候の、雨 対の上に御暇聞こえて出でたまふ。日ごろ降りつるなご あがりの月の出るころの訪問。 あり りの雨すこしそそきて、をかしきほどに月さし出でたり。昔の御歩き思し出で六花散里巻のころの昔であろう。 セタ月。妻訪いの場面に多い えん ゅふづくよ ^ 見るかげもない荒廃ぶり。 られて、艶なるほどのタ月夜に、道のほどよろづのこと思し出でておはするに、 九松と藤は大和絵に多い構図。 かた こだち 一 0 藤の枝のなよなよしたさま。 形もなく荒れたる家の、木立しげく森のやうなるを過ぎたまふ。 このあたり、「人もなき宿に 九 にほへる藤の花風にのみこそ乱る 大きなる松に藤の咲きかかりて月影になよびたる、風につきてさと匂ふがな べらなれ」 ( 貫之集 ) によるか。 たちばな つかしく、そこはかとなきかをりなり。橘にはかはりてをかしければさし出で三同じ香でも、橘への連想には、 昔の記憶の「橘の香をなっかしみ ついぢ たまへるに、柳もいたうしだりて、築地もさはらねば乱れ伏したり。見し、い地ほととぎす花散る里をたづねてそ とふ」 ( 花散里二〇六ハー ) などに よる。花散里↓橘 ( 香 ) ↓ ( 香 ) 藤の しとあはれにておしとどめさ する木立かなと思すは、はやうこの宮なりけり。、 連想から、車外の風情にひかれる。 これみつ おく せたまふ。例の、惟光は、かかる御忍び歩きに後れねばさぶらひけり。召し寄一三車から身を乗り出す意。 ペー 0 一四土塀の崩れよう。↓一四四 ひたち 一五木立から、偶然にも気づいた せて、源氏「ここは常陸の宮そかしな」、惟光「しかはべる」と聞こゅ。源氏「ここ 下の「けり」の語感に注意。 にありし人はまだやながむらん。とぶらふべきを、わざとものせむもところせ一六もともとそのはず、の語感。 ( 現代語訳三〇五ハー ) うづき あ 五

4. 完訳日本の古典 第16巻 源氏物語(三)

一ひとかどの人物として処遇。 さまをものめかし出でたまふは、、かなりける御心にかありけむ。これも昔の ニ前世からの因縁。源氏の末摘 花厚遇は宿世の力としか思えない。 契りなめりかし。 三末摘花に見切りをつけて、離 語 きほ うへし・も 物 いまは限りと侮りはてて、さまざまに競ひ散りあかれし上下の人々、我も我散した上下の召使たち。源氏の庇 五 氏 護で豊かになると、戻って来る者 むも もいる。「競ひ散り」「あらそひ出 源も参らむと争ひ出づる人もあり。心ばへなど、はた、埋れいたきまでよくおは づる」とあり、離散も帰参も、先 六ずりゃう する御ありさまに心やすくならひて、ことなることなきなま受領などやうの家を競う軽薄さ。三行售うちつけ の心みえに」とあるゆえん。 にある人は、ならはずはしたなき心地するもありて、うちつけの心みえに参り四末摘花の気だてなど。 五「埋れいたし」は、引っ込み思 案で内気すぎるさま。前の「ひた 帰る。 ぶるにものづつみ : ・」 ( 一六一一ハー 君は、いにしへにもまさりたる御勢ひのほどにて、ものの思ひやりもまして〇行 ) と同じく、高貴な血統ゆえ の気品が推称される。 添ひたまひにければ、こまやかに思しおきてたるに、にほひ出でて宮の内やう六なまはんかな受領。 セ今まで経験したこともない、 やりみづ ゃう人目見え、木草の葉もただすごくあはれに見えなされしを、遣水かき払ひ、ばつのわるい思いをして。 〈「うちつけの心」は、状況の変 せんぎいもとだ 化に応じて変る現金な心。 前栽の本立ちも涼しうしなしなどして、ことなるおばえなき下家司のことに仕 0 女房たちの動向に即して、当時 一五けしき へまほしきは、かく御心とどめて思さるることなめりと見とりて、御気色たまの世相人情が活写されていよう。 一六 九他者に思いを馳せる力。 ついしよう おき 一 0 この「掟つ」は、指図する意。 はりつつ追従し仕うまつる。 = 光彩を放って。 一ニこれまでの零落ぶりを象徴。 あなづ しもげいし

5. 完訳日本の古典 第16巻 源氏物語(三)

まめかしう、いにくきさまにそばみ恨みた一前ハー一一 ( めづらしく : ・な を頼みにて過ぐいたまふ所なれば、し きほど」に照応。女の消極的な態 まふべきならねば、心やすげなり。年ごろにいよいよ荒れまさり、すごげにて度。「心にくし」は、思わせぶりな。 ニ三年ぶりの再訪。荒廃に驚く 語 物おはす。女御の君に御物語聞こえたまひて、西の妻戸には夜更かして立ち寄り三花散里の姉、麗景殿女御。 氏 四花散里は同じ邸の西側に住む。 源たまへり。月おばろにさし入りて、いとど艶なる御ふるまひ尽きもせず見えた = 源氏の輝かしい優美さ。 六源氏に対面して気がひけるが。 まふ。いとどっつましけれど、端近ううちながめたまひけるさまながら、のどセ夏の景物。鳴き声が戸を叩く 音に似て、「たたく」ともいう。 くひな ^ 「月 - は源氏。水鶏以外に戸を やかにてものしたまふけはひいとめやすし。水鶏のいと近う鳴きたるを、 叩く者もない、廃邸であるとする。 自卑ながら、女からの贈歌に注意。 花散里水鶏だにおどろかさずはいかにしてあれたる宿に月をいれまし 九再会を率直に喜び、源氏の無 といとなっかしう言ひ消ちたまへるそ、「とりどりに捨てがたき世かな。かか音への恨み言を抑えた態度を。 一 0 どの女も。「世」は男女の仲。 = 女の率直な応じ方に、かえっ るこそなかなか身も苦しけれ」と思す。 て気苦労する。「とりどりに」以下、 源氏の色好みの性向が顕著。 源氏「おしなべてたたく水鶏におどろかばうはの空なる月もこそいれ 三「うはの空なる月」は自分以外 こと の浮気男。「もこそ」は懸念の語法。 うしろめたう」とは、なほ言に聞こえたまへど、あだあだしき筋など疑はしき 一三語り手の言辞。源氏は内心と は別に、言葉だけで女の浮気を懸 御心ばへにはあらず。年ごろ待ち過ぐしきこえたまへるも、さらにおろかには 念したが、の意。和歌贈答の機徴 思されざりけり。「空なながめそ」と頼めきこえたまひしをりのことものたまが互いの共感を生み出すとする。 一四源氏流離の数年間、花散里が。 一五源氏の、花散里への惜別の歌 ひ出でて、花散里「などて、たぐひあらじといみじうものを思ひ沈みけむ。うき 六 えん 四 つまど

6. 完訳日本の古典 第16巻 源氏物語(三)

21 須磨 と聞こえたまへば、 として、離別の相手に鏡を形見に 贈る風習があった。「身を分くる ますかがみ 紫の上別れても影だにとまるものならば鏡を見てもなぐさめてまし 事の難さに増鏡影ばかりをぞ君に 添へつる」 ( 後撰・離別大窪則善 ) 。 一七 柱隠れにゐ隠れて、涙を紛らはしたまへるさま、なほここら見る中にたぐひな一六「 : ・ば : ・まし」の反実仮想の構 文で、実際には慰めがたい気持。 かりけりと、思し知らるる人の御ありさまなり。 0 別離を惜しむ源氏は、在京の人 人と次々に歌を詠み交し、心の連 帯を強化。身は遠のいても、あた 親王は、あはれなる御物語聞こえたまひて、暮るるほどに帰りたまひぬ。 かも魂が交信しうるごとくである。 花散里の心細げに思して、常に聞こえたまふもことわりに 須磨退去後も歌で都とつながる。 〔四〕源氏、花散里を訪 宅多くの妻や愛人たちの中でも。 ひと れて懐旧の情を交す て、かの人もいま一たび見ずはつらしとや思はんと思せば、天麗景殿女御の邸をさす。 一九「心細げーは、生活の不如意。 この邸を特徴づける語。 その夜はまた出でたまふものから、いとものうくて、いたう更かしておはした ニ 0 主語は、女御。 かず れば、女御、「かく数まへたまひて、立ち寄らせたまへること」とよろこび聞 = 一妹の三の君 ( 花散里 ) 。 一三紫の上を思う気持から。 こえたまふさま、書きつづけむもうるさし。 ニ三語り手の、省筆の語り口。 いといみじう心細き御ありさま、 ニ四源氏の御庇護。 ニ四みかげ としつきニ五 ただこの御蔭に隠れて過ぐいたまへる年月、いとど荒れまさらむほど思しやら = = 源氏の離京後。 ニ六人少なで、ひっそり。 とのうちニ六 、 ) ぶか れて、殿の内いとかすかなり。月おばろにさし出でて、池広く山木深きわたり、毛下旬で、月の出が遅い。春の おばろな月光に、闇の底に沈んで いはほ」よか せきりよう 、い細げに見ゆるにも、住み離れたらむ巌の中思しやらる。 いた寂寥の庭が浮び出る趣。 ニ九 にしおもて ニ ^ 須磨の地。↓前ハー二行。 西面は、かうしも渡りたまはずやとうち屈して思しけるに、あはれ添へたる = 九花散里は。 に・よろ・′ す ニ七 ニ 0

7. 完訳日本の古典 第16巻 源氏物語(三)

あま しぐれ あづまや つる。雨そそきも、なほ秋の時雨めきてうちそそけば、惟光「御かささぶらふ。」、催馬琴東屋」の前半「東屋の 8 真屋のあまりのその雨そそき したっゅ さしぬきすそ とのど げに木の下露は、雨にまさりて」と聞こゅ。御指貫の裾はいたうそばちぬめり。我立ち濡れぬ殿戸開かせ」の、 語 雨の茅屋に女を訪ねる趣。 ちゅうもん かた ニ露しとどの情景の強調表現。 物昔だにあるかなきかなりし中門など、まして形もなくなりて、入りたまふにつ みや 五 氏 三「みさぶらひみかさと申せ宮 むとく 源けてもいと無徳なるを、立ちまじり見る人なきぞ心やすかりける。 城野の木の下露は雨にまされり」 ( 古今・東歌 ) で、雨以上の露の趣。 姫君は、さりともと待ち過ぐしたまへる心もしるくうれし四↓末摘花三五ハー四行。 〔 lll) 末摘花、源氏と対 五「無徳」は、役立たない意。 たいめん 面、和歌を唱和する けれど、いと恥づかしき御ありさまにて対面せんもいとっ 六「さりとも : ・」↓一五〇ハー一行。 セ願望もはっきりかなえられて。 たてまっ つましく思したり。大弐の北の方の奉りおきし御衣どもをも、心ゆかず思され〈みすばらしい格好で。 九 ↓一五一ハー八行。 からびつ しゆかりに、見入れたまはざりけるを、この人々の香の御唐櫃に入れたりける一 0 不愉快だった人のゆかりの品。 = どうにも、仕方がなくて。 ; 、となっかしき香したるを奉りけれま、 一五一ハー一四行。 ししかがはせむに着かへたまひて、か三↓ 一三何も言って来ないのが恨めし きちゃう のすすけたる御几帳ひき寄せておはす。 く。「おどろかす」は便りする意。 一四心くらべしてきたが、の意。 一五「わが庵は三輪の山もと恋し 入りたまひて、源氏「年ごろの隔てにも、心ばかりは変らずなん思ひやりき くはとぶらひ来ませ杉立てる門」 こえつるを、さしもおどろかいたまはぬ恨めしさに、今まで試みきこえつるを、 ( 古今・雑下読人しらず ) 。 一六几帳の隙間からのそこうと。 かたびら 杉ならぬ木立のしるさにえ過ぎでなむ負けきこえにける」とて、帷子をすこし宅おいたわしさも一通りでなく。 一 ^ 心変りしない私の性癖から。 かきやりたまへれば、例の、いとつつましげに、とみにも答へきこえたまはず。一九あなたのお心のうちも。 ( 現代語訳三〇八ハー ) か かう あま

8. 完訳日本の古典 第16巻 源氏物語(三)

とはことになし。あながちに動かしきこえたまひても、わが心ながら知りがた一六源氏の心。無理に御息所の心 を動かして逢っても、その後は我 一七 あり ながら疎遠になるかもしれず、彼 く、とかくかかづらはむ御歩きなども、ところせう思しなりにたれば、強ひた 女の恨みをつのらせよう、と思う。 るさまにもおはせず。斎宮をぞ、いかにねびなりたまひぬらむとゆかしう思ひ宅諸所への忍び歩きなど、政務 多端の重鎮としては慎むほかない。 きこえたまふ。 天反転して、二十歳の娘前斎宮 にあらためて関心を抱く。下向時 一九 ふるみや すり に - も、い騒 いだ。↓賢木一五四ハ なほ、かの六条の古宮をいとよく修理しつくろひたりければ、みやびかにて 一九帰京後も下向以前と同様に。 住みたまひけり。よしづきたまへること古りがたくて、よき女房など多く、す = 0 「みやびか」 ( 優雅 ) 「よし」 ( 由 緒 ) など、御息所らしさの表現。 つどどころ いたる人の集ひ所にて、ものさびしきゃうなれど、心やれるさまにて経たまふ三以前から、風流人の集う所。 ↓葵一二四・賢木一五一ハ ほどに、にはかに重くわづらひたまひて、もののいと、い細く思されければ、罪一三源氏に逢うこともなく、ただ 風流生活に心をつなぐ。 あま ニ三神域の斎宮は仏教を忌むので、 深き所に年経つるも、いみじう思して、尼になりたまひぬ。 「罪深き所」という。御息所は死を おとど 大臣聞きたまひて、かけかけしき筋にはあらねど、なほさる方のものをも聞予感、生涯の愛執の罪をも思うか。 ニ四懸想の仲ではないが、やはり 標こえあはせ人に思ひきこえつるを、かく思しなりにけるが口惜しうおばえたま時節の情趣などを言い交せる相手。 一宝出家後は交際できにくい。 ニ六御息所は。遺言めく場面。 へば、驚きながら渡りたまへり。飽かずあはれなる御とぶらひ聞こえたまふ。 毛源氏は、几帳などの向う側の まくらがみおまし 御息所を、物音などから想像する。 近き御枕上に御座よそひて、脇息におしかかりて御返りなど聞こえたまふも、 ニ ^ 変らぬ私の気持を理解しても いたう弱りたまへるけはひなれば、絶えぬ心ざしのほどはえ見えたてまつらでらえぬまま終るのか、の意。 ニ六 びと へ ニ七 ニ四 けふそく ニ 0

9. 完訳日本の古典 第16巻 源氏物語(三)

源氏物語 12 一「なほ・ : おばえ」は、源氏の雲 むにてだに、なほ一二日のほど、よそよそに明かし暮らすをりをりだにおばっ 林院への短期間の参籠 ( 賢木 をむなぎみ かなきものにおばえ、女君も心細うのみ思ひたまへるを、幾年そのほどと限り〔一凸 ) などを具体例に、直前の叙 述を補強する一続きの叙述。 あ ゅ ある道にもあらず、逢ふを限りに隔たり行かんも、定めなき世に、やがて別る = 「 : ・だに : ・だに」の文脈を受け て、まして : ・の気持。自発的な退 かどで べき門出にもやといみじうおばえたまへば、忍びてもろともにもやと思しよる去ゆえ、期限のない流離である。 ゆくへ 三「わが恋は行方も知らず果て をりあれど、さる心細からん海づらの波風よりほかに立ちまじる人もなからんもなし逢ふを限りと思ふばかり ぞ」 ( 古今・恋一一凡河内躬恒 ) 。 かくらうたき御さまにてひき具したまへらむもいとっきなく、わが心にも四そのまま死出の門出にならぬ かと。「かりそめのゆきかひぢと なかなかもの思ひのつまなるべきをなど思し返すを、女君は、「いみじからむぞ思ひこし今は限りの門出なりけ り」 ( 古今・哀傷在原滋春 ) 。 おば 五紫の上を伴って行こうかと。 道にも、おくれきこえずだにあらばとおもむけて、恨めしげに思いたり。 六出入りする人。「立ちは縁語。 かよ セつらい旅路。死出の道。 かの花散里にも、おはし通ふことこそまれなれ、心細くあはれなる御ありさ ^ 自分一人だけ残りたくない意。 まを、この御蔭に隠れてものしたまへば、思し嘆きたるさまもいとことわりな九さりげなく自らの意思を言う。 一 0 源氏の庇護にある麗景殿女御 り。なほざりにてもほのかに見たてまつり通ひたまひし所どころ、人知れぬ心の邸。直接には、その妹の三の君 をさす。↓花散里〔こ。「心細 し」↓二一ハー注一九。 をくだきたまふ人ぞ多かりける。 = 以下、源氏の逢瀬の相手。敬 語に注意。身分低からぬ愛人たち。 入道の宮よりも、ものの聞こえやまたいかがとりなされむと、わが御ためつ 三藤壺。「入道」の呼称、初出。 つましけれど、忍びつつ御とぶらひ常にあり。昔かやうにあひ思し、あはれを三源氏との秘事の発覚を恐れる。 ひとひふつか ぐ 六 いくとせ 一四 四

10. 完訳日本の古典 第16巻 源氏物語(三)

かすがひとぎし . しょ , つ。 鎹も錠もあらばこそその殿戸我鎖さめおし開い われ ( 催馬楽「東屋」 ) て来ませ我や人妻 詞書によれば、越国に赴任の知人への惜別の歌。「白山」 はくさん 男東屋の軒先の、真屋の軒先の、その雨だれで、外に立って は、石川・岐阜両県にまたがる白山で、深い雪を連想させ 語 いる私は濡れてしまった、お宅の戸を開けてください る歌枕。「白山」「知ら」の同音繰返し、「雪」に「行き」 物 女鎹も錠もあるならば、それをこの家の戸にさしておこうが 氏をひびかす技法。物語の「越の白山思ひやらるる雪の中 さっさと開いていらっしゃ い、私を人妻とでもお思いな 源に」の叙述は、特にこの歌だけを引歌として限定しなくて のかしら。 よいかもしれないが、歌枕「白山」の典型的用法として、 前出 ( ↓紅葉賀三七六ハー上段 ) 。物語では、特にこの前半の、 よく知られている。 ・・ 8 人もなき宿ににほへる藤の花風にのみこそ乱る男が雨の茅屋に女を訪ねる情趣をかたどる。草木の伸びる ( 貫之集 ) べらなれ にまかせた邸内は、その露のしげさから時雨を思わせるほ 住む人とていない邸に咲きにおっている藤の花は、吹く風に どだという。外からは想像もできない、別世界に踏みこむ まかせるばかりに乱れているようである。 ような感じで、源氏は末摘花と再会することになるが、そ 人に接するくらいの新鮮な感動でもあろう。 詞書には延喜十七年八月の宣旨によるとある。大和絵の構れだけに、」 みやぎの びようぶ 図による屏風歌であろう。廃屋にも季節の到来によって藤・刪・ 1 みさぶらひみかさと申せ宮城野の木の下露は雨 ふぜい ( 古今・東歌・一 0 九 I) にまき、れり が咲きほこっている風情である。物語でも「大きなる松に お供の者よ、御傘をどうぞと、御主人に申しあげてくれ。何 藤の」以下に、零落の末摘花邸の夏の風情が、この歌によ しろ宮城野の木の下露ときたら、雨以上に濡れるのである。 って構成されたとみられる。藤と松との組合せは大和絵の 典型的な構図であるが、ここには「月影」が加わり、さら巡視の国司に、土地の人が詠みかけた歌であろう。物語で しぐれ は、末摘花邸の「秋の時雨めきてうちそそ」く露のしげさ に「橘」に匹敵するほどの「かをり」が強調されている。 末摘花の廃屋が美の対象となり、それが花散里訪問の源氏から、惟光が源氏に傘をさしのべて言う言葉である。 いほみわ 8 . 3 11 1 に目を向けさせることになったともいえよう。 わが庵は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ あま かど あづまや まや ( 古今・雑下・九全読人しらず ) ・嫺・ 1 東屋の真屋のあまりのその雨そそき我立杉立てる門 とのど 私の粗末な家は三輪山のふもとにある。私のことが恋しくな ち濡れぬ殿戸開かせ われ これみつ われさ