りと思へば、君のうちねぶりて言葉まぜたまはぬを、さうざうしく心やましと一「君」は源氏。源氏の無関心が 中将には物足りず、じれったい。 ニ。へちゃくちゃしゃべる意。 思ふ。 語 三以下、次ハー末まで女性を種々 むまのかみ 物 に喩えた比喩論。↓五八ハー 0 。 馬頭、物定めの博士になりて、ひひらきゐたり。中将はこ 氏〔セ〕左馬頭の弁ー芸能 四木工の職人。ここは細工師 源のたとえごと のことわり聞きはてむと、心入れてあへしらひゐたまへり。五その場かぎりの遊び道具で。 六明確な作法。「跡」は様式。 たくみ 馬頭「よろづの事によそへて思せ。木の道の匠のよろづの物を心にまかせてセ外見のしゃれているのも。 〈大事な仕事として、の意。 六 作り出だすも、臨時のもてあそび物の、その物と跡も定まらぬは、そばっきさ「難なくし出づる」にかかる。 九真に格式ある調度で、家の装 飾となる。以下、「臨時の : ・」と比 ればみたるも、げにかうもしつべかりけりと、時につけつつさまを変へて、 肩すべくもない木工本来の技芸で、 まめかしきに目移りて、をかしきもあり。大事として、まことに , つるはしき人この上手が「まことの物の上手」。 一 0 こちらには一定の様式がある。 の調度の、飾りとする定まれるやうある物を難なくし出づることなむ、なほま = 宮中で絵画をつかさどる役所。 一ニ絵所では、主任格の画師「墨 じゃうず 書き」が墨で下書きし、下級の画 ことの物の上手はさまことに見え分かれはべる。 師に指示を与えて彩色などをさせ、 ゑどころ すみが さらに墨書きをして仕上げる。 また絵所に上手多かれど、墨書きに選ばれて、次々に、さらに劣りまさるけ 一三以下「ありぬべし」まで挿入句。 ほ、つら・い あらうみいか ぢめふとしも見え分かれず。かかれど、人の見及ばぬ蓬莱の山、荒海の怒れる一四中国古代以来空想されてきた 仙山。渤海の東方海上にあり、神 から・くに けだものかたち 仙の住む不老不死の世界 ( 列子な 魚のすがた、唐国のはげしき獣の形、目に見えぬ鬼の顔などのおどろおどろし ど ) 。以下の猛魚・猛獣・鬼など からえ とともに、唐絵の伝統的な画材 く作りたる物は、、いにまかせてひときは目おどろかして、実には似ざらめど、 い てうど 五 はかせ 四 なん じち 」っかい
まふ。 一元服者から帝への献上品。 * 一かな 「折櫃物」は、檜の薄板の器に肴類 おまへをりびつものこもの その日の御前の折櫃物、籠物など、右大弁なむうけたまはりて仕うまつらせを入れたもの。「籠物」は、籠に入 1 = ロ れた五菓 ( 柑・橘・栗・柿・梨 ) 。 とんじきろく からびつ 物ける。屯食、禄の唐櫃どもなどところせきまで、春宮の御元服のをりにも数ま = 強鯲を握り固めたもの。宴の 折、庭にいる身分低い者に賜る。 源 されり、なかなか限りもなくいかめしうなん。 三「唐櫃」は、脚のついた櫃。 四「春宮・ : まされり」は挿入句。 おとど五 その夜、大臣の御里に源氏の君まかでさせたまふ。作法世にめづらしきまで五「里」は、私邸、の意。 六源氏を婿として迎える儀式。 もてかしづききこえたまへり。 いときびはにておはしたるを、ゆゅしううつく七源氏の少年らしい抜群の美貌。 ^ 後の巻からの逆算で、葵の上 をむなぎみ ^ しと思ひきこえたまへり。女君は、すこし過ぐしたまへるほどに、、 しと若うおはこの時十六歳、源氏より四歳上。 九帝のご信任。 おば 一 0 葵の上の母。↓三七ハー注一三。 はすれば、似げなく恥づかしと思いたり。 = 父方母方のどちらにつけても。 この大臣の御おばえいとやむごとなきに、母宮、内裏のひ三「はなやか」は盛大に栄える意。 ニ六〕左右大臣家並び立 一三東宮即位後、右大臣は外戚と きさいばら っ蔵人少将と四の君 しての国政掌握が予想される。そ とっ后腹になむおはしければ、、。 しつ方につけてもいとはな の摂関家的な繁栄と、帝の厚遇に おほぢ やかなるに、この君さへかくおはし添ひぬれば、春宮の御祖父にて、つひに世よる現在の左大臣の繁栄とは異質。 一四多くの夫人たちに。 みぎのおとど ↓三七ハー注 = = 。 の中を知りたまふべき右大臣の御勢ひは、ものにもあらずおされたまへり。御一五 一六「右大臣の」は、次一 4 劣らず は 4 つば、り くらうどのせうしゃう ・ : 」に続く。中間は挿入句。 子どもあまた腹々にものしたまふ。宮の御腹は、蔵人少将にていと若うをかし 宅右大臣は蔵人少将の将来を見 きを、右大臣の、御仲はいとよからねど、え見過ぐしたまはで、かしづきたま込んで、見過せず、の意。 なか 六 一はふ
465 図録 石ー物」′川を物 . ー 東対 西渡殿 透渡殿 西中門 東中門 池 - 中島 西釣毅一 しん ( づ ( り 寝殿造復原図 ( 上 ) 寝殿造平面図 ( 右 ) 寝殿造ー東三条殿復原図ー ( 下 ) : 西北対 : 北対 渡殿 東対 西対 東中門廊 西中門廓 遣水 西中門 置人 神ロ・ ←西四足門 応・を一←亠 町尻小路 西院大発 第待 東四足門 東中門。 )
あの光源氏のような超人的美質とはかけ隔った存在なのだ。光源氏の「まめ」 ( 誠実さ ) の面は薫に、「すき」 かたよ ( 好色 ) の面は匂宮にそれそれ分与したともいわれるように、この二人はそれそれ偏りを持ち、対照的な配 語置に甘んじる小さい格の人物である。 物 事件は、先述のごとくもはや彼らの主体的・積極的な行動によって引き起されるというよりは、宇治の姫 氏 源君たちと都の人々という群像集団の相互の絡み合いの中から、その個性に応じておのずから醸成され、展開 はしひめしいが - もレ J してゆくというふうのものだ。しかも、語り手の視座は、発端の橋姫・椎本の巻を除けば、おおむね宇治の 姉妹三人の上に据えられる。前編の叙述が、ほとんど光源氏を基軸としたのに対して、大きな違いであり、 作者の愛と共感とは、もはや薫の上にはなく、女君たちの上に移っている。特に、浮舟登場以後は、薫・匂 宮はもはや脇役か舞台廻しの役割を果すにすぎないのである。だから、ここで、後編の主人公として、特に 薫について述べることは、あまり意味がないだろう。 五表現 かかいしよう 『源氏物語』が古来もてはやされた最大の理由は、たとえば『河海抄』が「詞の妖艶さらに比類なし」と評 あんどうためあきら しかしちろん したように、その文章の美しさであった。安藤為章の『紫家七論』にも、「やまと文の上なき物」で、「女の から 筆にては珍らかにあやしく、式部は誠に古今独歩の才」だという。それと前後して出た成瀬維佐子の『唐 ・ついい「・れ 錦』は大冊の女訓物であるが、『源氏物語』は誨淫の書で女子教育には無益のものだと断罪しながら、一方 では、その文は、「妙なる文」で『史記』にも劣らぬとほめちぎっているのは興味が深い。名文ということ から うきふね
す りし女のさまも同じゃうにて見えければ、荒れたりし所に棲みけん物の我に見一某院での事件。「物」は、霊物。 ニ「たより」は、ついで、折。 三余韻をこめて言いさした形。 かくなりぬることと思し出づるにも、ゆゅしくなん。 入れけんたよりに、 四伊予介の下向は、すでに予告 語 ついたち されていた。↓一一八ハー。 物 伊予介、神無月の朔日ごろに下る。源氏「女房の下らんに」 三一〕空蝉、伊予国に下 氏 五「月立ち」で、月初め。 源向、源氏、餞別を贈る とて、手向け心ことにせさせたまふ。また内々にもわざと六伊予介への表向きの挨拶。 「女房」は空蝉と侍女を含めた表現。 くしあふぎ したまひて、こまやかにをかしきさまなる櫛、扇多くして、幣などわざとがま七「手向け」は、餞別。 ^ 内密に空蝉のために。「わざ 一 0 こうちきっか と」は、格別に、の意。 しくて、かの小袿も遣はす。 九旅先の要所の道祖神に奉る幣 帛。布切れや紙片などで作る。 源氏逢ふまでの形見ばかりと見しほどにひたすら袖の朽ちにけるかな 一 0 空蝉の脱ぎ捨てた小袿。↓空 蝉一〇一ハ こまかなることどもあれど、うるさければ書かず。御使帰りにけれど、 = 「逢ふまでの形見とてこそ留 めけめ涙に浮ぶもくづなりけり」 君して小袿の御返りばかりは聞こえさせたり。 ( 古今・恋四藤原興風 ) 。 せみは 一ニ語り手の、省筆の弁。詳細を 空蝉蝉の羽もたちかへてける夏衣かへすを見ても音はなかれけり 省いて、空蝉の側の叙述に移る。 づよ 思へど、あやしう人に似ぬ心強さにてもふり離れぬるかなと思ひつづけたまふ。一三源氏の使者の帰邸後あらため て小君を派遣。空蝉の、返歌せず にはいられぬ気持。 今日そ、冬立つ日なりけるもしるく、うちしぐれて、空のけしきいとあはれな 一四蠅の羽のはかなさに己が身を 一八 象徴。「たち」は、「立ち」「裁ち」 り。ながめ暮らしたまひて、 の掛詞。「つらくなりにける男の ふたみち 一九 もとに、今はとて装束など返し遣 源氏過ぎにしもけふ別るるも二道に行く方知らぬ秋の暮かな 四 たむ かた つかひ めさ
( 現代語訳一一九九ハー ) しうことわりなりと、いとほしき筋はまづ思ひきこえたまふ。何心もなきさしの霊物と、夢の中の御息所の形姿 とが二重になっていよう。前ハ 向かひをあはれと思すままに、あまり心深く、見る人も苦しき御ありさまをす「六条わたりにも : こにひびきあい、 タ顔に耽溺する源氏の、御息所へ のうしろめたさが、夢で源氏自身 こし取り捨てばやと、思ひくらべられたまひける。 を責めているともみられる。 まくらがみ よひ 宵過ぐるはど、すこし寝入りたまへるに、御枕上にいとを一九すぐれた点のない人。タ顔。 ニニ〕物の怪、タ顔の女 ニ 0 「時めかす」は、寵愛する。 を取り殺す かしげなる女ゐて、「おのがいとめでたしと見たてまつる三「めざまし」は、心外さに目を みはる感じ。「つらし」は、相手ゅ をば尋ね思ほさで、かくことなることなき人を率ておはして時めかしたまふこえのつらさと恨む気持。 一三「人」は、タ顔。 そ、いとめざましくつらけれ」とて、この御かたはらの人をかき起こさむとすニ三「物」は、霊物、魔物。 ニ四目覚めて周囲を眺める。 ニ四 ニ五儀礼用・護身用の太刀。ここ と見たまふ。物に襲はるる、い地して、おどろきたまへれば、灯も消えにけり。 では、魔除けのために太刀を抜く。 たち うたて思さるれば、太刀を引き抜きてうち置きたまひて、右近を起こしたまふ。 = 六右近も奇怪な夢にうなされた。 ニ七 毛西の対の「西の妻戸」 ( 後出 ) を とのゐびと わたどの ニ六 これも恐ろしと思ひたるさまにて参り寄れり。源氏「渡殿なる宿直人起こして、出た渡り廊下。その片側に設けら れた部屋に従者 ( 「宿直人」 ) が寝る。 しそく 顔紙燭さして参れと言へ」とのたまへば、右近「いかでかまからん、暗うて」と = 〈↓一一三注 三 0 ニ九人を呼ぶ合図。 やまびこ ニ九たた 言へば、源氏「あな若々し」とうち笑ひたまひて、手を叩きたまへば、山彦の三 0 人気のない広大な邸で、あた タ かも物の怪が返答してでもいるよ こた うな無気味さである。 答ふる声いと疎まし。人え聞きつけで参らぬに、この女君いみじくわななきま 三一自他の区別もできない、意識 を失った状態。 どひて、いかさまにせむと思へり。汗もしとどになりて、我かの気色なり。 ものけ 一八 ひ
う、心とどめても問ひ聞けかし、とあぢきなく思す。小君「まろはここに寝は一次行にも「べし」を用いる。内 四 部を推量する源氏の心にそう表現 さうじぐちすぢか べらむ。あな苦し」とて、灯かかげなどすべし。女君は、ただこの障子ロ筋違ニ「女君」の呼称に注意。源氏の 語 意識の中に重要な存在となる。 ふすま 三襖の入口。 物ひたるはどにそ臥したるべき。空蝉「中将の君はいづくにぞ。人げ遠き、い地し 四はすかいにあたる場所に。 しも 六 源 五空蝉に仕える女房の名。 てもの恐ろし」と言ふなれば、長押の下に人々臥して答へすなり。「下に湯に 六下の「すなり」とともに、伝聞 おりて、ただ今参らむとはべり」と言ふ。 推定。 : ・の声 ( 音 ) がする意。 セ母屋と廂の境の横木で、上長 かけがね みな静まりたるけはひなれば、掛金をこころみに引きあけたまへれば、あな押 ( 鴨居 ) ・下長押 ( 敷居 ) の二種あ るが、ここは後者。母屋から一段 きちゃうさうじぐち たよりは鎖さざりけり。几帳を障子口には立てて、灯はほの暗きに見たまへば、下がった廂に人々がいる。 ^ 襖の鍵。内外両側につく。 からびつ 唐櫃だつ物どもを置きたれば、乱りがはしき中を分け入りたまへれば、ただ独九「 : ・けり」で、意外さに驚く ながびつ 一 0 足のついた長櫃。衣料・調度 りいとささやかにて臥したり。なまわづらはしけれど、上なる衣おしやるま品を収める。室内は納戸めいた趣 = 以下空蝉。何となくうるさく 思ったが。彼女は夢うつつである。 で、求めつる人と思へり。源氏「中将召しつればなむ。人知れぬ思ひのしるし 三先刻呼んだ女房の中将。 ある、い地して」とのたまふを、ともかくも思ひ分かれず、物におそはるる、い地一三近衛中将の官である源氏は、 空蝉が女房の中将を呼んだのを、 して、「や」とおびゆれど、顔に衣のさはりて音にも立てず。源氏「うちつけに、 自分が呼ばれたとして、自分の行 為を合理化する。 一八 深からぬ心のほどと見たまふらむ、ことわりなれど、年ごろ思ひわたる心の中一四以前からひそかに恋慕してい たとする、常套的な口説き文句。 も聞こえ知らせむとてなむ。かかるをりを待ち出でたるも、さらに浅くはあら一五「物」は、魔性など超人的な力。 九 ひ げ し きぬ ひ きめ うち ひと
が高まってきたといえる。 しかし、事柄は、延喜・天暦か否か、という二者択一的な解答を求め得るほど、簡単であろうか。作者は 現に、まぎれもなく延喜・天暦の人ではなく、一条朝の人である。常識からいっても、たとえば、作品がす べて延喜・天暦調で覆い尽せるかと問われれば、首を傾げたくなるだろう。歌舞伎の時代物といわれるもの が、源義経や曾我兄弟などを材料にしているからといって、彼らの考え方や家庭内の姿あるいは言葉遣いま で、その時代そっくりにしたわけではなく、もちろん江戸の武士や町人らしい心や言葉が見物の心を打った のである。時代物は常に設定された昔と今という二重構造をもっている。そして『源氏物語』もまた、時代 物として同様の性格をもっている。 しかし、ここではまず物語の背景として設定されたといわれる延喜・天暦の時代とは何か、について述べ る必要があろう。 史家の言によれば、藤原良房が摂政となった貞観八年 ( 会六 ) 以来、摂関の地位がなお不安定で、一時的 に天皇親政が実現した時期がある。律令制の側からいえばその小康期ともいえる。それが醍醐・村上朝、 わゆる延喜・天暦期、延喜元年 ( 九 (1) から康保三年 ( 九六六 ) の間である。 この六十余年間がはたして「聖代」と呼ばれるに値するほど、政治が当を得、民生が安穏であったかどう 論 評 かは、史家の論に俟たねばならないが、そういう政治実績の大小によって、「聖か否かを測定するという 巻よりは、むしろ右のような形骸化しつつある律令制の残照の中で、天皇親政の形式が復活していたこと、ま た醍醐天皇が人間的に聡明を失わなかったこと、藤原時平が格式制定・国史編纂・諸国風土記の撰進という ような文化事業を推進したことなどから、この時代を讃美することも自然に起ってきたであろう。
わしく立派に育っているとしても、それがあたりまえ、そ頭にしてそう言われるのだろうと気をまわすのか、ものも 2 うなってしかるべきだと思われ、別に珍しいことだなどと 言わない。「さてどんなものか、上流どころにだって理想 驚くにもあたりますまい この私ごときが手の届くところ的な女はめったにいそうにもないのに」と、源氏の君はお 語 のうし 物ではないのですから、そういう上の上に属する方について考えのようである。白い柔らかなお召物の上に、直衣だけ 氏 は申さぬことにいたします。 をわざとしどけなげにお召しになり、紐なども結ばないま 源 ほかげ さて、そんな人がいるのだと誰からも知られず、寂しく まで物に寄りかかっていらっしやる、その灯影のお姿はま 荒れた草深い家に、意外にも愛らしい娘が引き籠っている、 ことに美しく、女にして拝見していたいくらいである。こ というようなことがあったら、それこそこれ以上珍しく感 のお方のためには、上の上の女を選び出しても、まだ満足 じられることはありませんでしよう。どうしてまたこんな ということはありそうもないとまでお見受けされる。 所にこうした人がと、想像外なだけに不思議と心がひきっ 〔五〕左馬頭の弁ー理想さまざまの人のことについて、語り の妻は少ないこと けられるものです。また父親は年を取ってみつともなく肥 合い語り合いして、左馬頭は、「通 りすぎ、男兄弟は顔つき憎らしげで、どう考えても別段の りいつべんの仲として付き合っている分には難のない女で こともなさそうなと思われる家の奥の間に、気位だけはじ も、いざ自分の妻として頼れる人を選ばうということにな つに高くて、なんとはなしにたしなんだ芸事もひとかどあ ると、たくさんある中でも、なかなかこれをと決めること りげに見えるというような場合、それがたいしたものでは はできないものです。男だって、朝廷にお仕えして、しつ なくても、どんなにか予想以上に興味をひかれずにおられかりとした世の柱石となるような人々の中でも、真の大器 ましようか。何一つ瑕がないのを選ぶというのでしたら及となりそうな人材を選び出すということになると、まった くむずかしいものでしょ , つ。しかし、 第はおばっかないとしても、これはこれなりのものとして いくらすぐれた人だ しきぶのじよう 捨てがたいものですが」と言って、式部丞のほうに目をや からとて、一人や二人で世の中を治めてゆけるというもの ではありませんから、上の者は下の者に助けられ、下の者 ると、式部丞は、自分の姉妹たちがかなりの評判なのを念 こも ひも
人の部屋の方角に去って行くらしい。君が宮中をお思いや「もっとこちらへ持ってまいれ」とおっしやる。ふだんに とのいもうし なだいめん 繝 りになって、名対面の時刻は過ぎただろう、滝ロの宿直奏ないことなので、おそば近くにも参上できない遠慮のため、 がちょうど今ごろかしら、と推測なさるのは、まだたいし長押にもあがりかねている。「もっと近くへ持ってまいれ。 語 物て夜が更けていないのであろう。 遠慮も場所によりけりそ」とおっしやって、明りをお取り 氏 部屋に戻って手探りに探ってごらんになると、女君はさ寄せになって女をごらんになると、ついその枕元に、夢に 源 かたわら つきのまま臥していて、右近はその傍にうつ伏せになって現れたのとそっくりの顔だちの女が幻のように見えて、ふ こわ いる。「これはどうしたことだ。なんと、気違いじみた恐 っと消え失せた。昔の物語などにこそこうしたことも聞い がりようではないか。こういう荒れた所では狐などのよう ているがと、まったく異様なことで気味がわるいけれども、 な物が人を脅かそうとして、恐がらせるのだろう。わたし それよりもまずこの人がどうなってしまっているのかと気 がいる以上、そんな物に脅かされはしない」と言って、右が気ではないので、ご自身のことをかまっているゆとりも 近をお引き起しになる。「どうにもひどく気分がおかしく なく、寄り添って、「これこれ」とお起しになるけれども、 なって、うつ伏しているのでございます。それよりもお方ただ冷え入っていくばかりで、息はとうに絶え果ててしま っていた。なんとも言いようがない。どうしたらよいのか、 様のほうこそどんなに恐がっていらっしゃいますことか」 と言うので、「そうだ。何だってこんなに」と言って、探頼りにして相談のできる人もない。法師などがいたら、こ ってごらんになると、もう息も通っていない。ゆすぶってんな場合は寄りすがれるのだろうが : : : 。君はあんなに強 ごらんになるが、ぐったりとして正気も失せている様子な がりをおっしやってはいたものの、まだお年若のこととて、 ものけ ので、じっさいひどく子供子供している人だから物の怪に 女がどうにもならなくなったのをごらんになると、手を下 気を奪われてしまったのだろうと、手の下しようもないおすすべもなく、ひしと抱きしめて、「あが君、生き返って しそく 気持である。滝口が紙燭を持ってまいった。右近も動けそ おくれ。わたしを悲しいめにあわせないでおくれ」とおっ うもない有様なので、手近の几帳を引き寄せておいて、 しやるけれども、女はすっかり冷えきってしまっているの