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検索対象: 完訳日本の古典 第14巻 源氏物語(一)
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1. 完訳日本の古典 第14巻 源氏物語(一)

。いつまでもなじめない自分を意識し続けながらも、里退りの時を頻繁に交ぜながら、宮仕えを続けていっ た。出仕当初は、同僚から気取り屋で人付き合いの悪い高慢な女だと思われていたのが、しだいに案外にも はくらくてん 語不思議なほどおっとりとした人だと分った、などと言われるようにもなり、その間に、中宮に白楽天の「楽 府」の進講をしたり、また『源氏物語』を読んだ一条天皇が、「この人なら、日本紀だって講読できるだろ う」とほめるようなこともでてきた。しかし、式部自身の気の遣いようは大変だったようで、この話を聞い たほかの女房から、いやみ半分に「日本紀の御局」とあだ名をつけられると、それに懲りて以後は人前では 「一」という漢字さえ読めないふりをして「ほけられたる人 ( ばけてしまった人 ) になりおおせたと、自分で えんせい 言っている。宮廷になじむといっても、それが心からのものでなく、違和感と厭世に通ずる憂愁孤独の思い は、なお消え去ることはなかったのである。 寛弘二年暮から同五年ごろまでの彰子の宮廷には、例年どおりの儀式や法要などのほか特にこれという事 ル卞キよ、。 しかし、現存する『紫式部日記』はこの寛弘五年八月の記事から始っていて、このいわば日常生 活のさまざまの記述の中に、紫式部の感受性をまざまざとしのばせるものがある。たとえば冒頭の「秋のけ 。し力にも清澄な観照に裏付けられ詩情が豊かであるが、 はひ入りたつままに」に始る土御門邸の情景描写ま、、、 ものけ あつひら 九月九日の夜から十一日の敦成親王出産までの中宮御産の記述も実に精細をきわめて、物の怪の現れるさま、 きとう よりまし これを折伏する祈疇僧・憑坐の怒号、泣き騒ぐ女房らの動きなど、狂気じみた騒ぎをあたかも傍観者のよう に冷静克明に写し取ってゆく式部がいる。その強靱な主体の堅持や客観的視点こそが、散文文学としての物 語を支える精神といえるのである。 日記には、そのほか一条天皇行幸の準備をととのえる土御門邸内のさまとか、行幸当日の様子、若宮誕生 しやくぶく

2. 完訳日本の古典 第14巻 源氏物語(一)

( 原文一四〇ハー ) ぶにん で二条院へお帰りあそばしますよう。人通りが多くなりま ここよりも無人の所がほかにあるものかーとおっしやる。 なきがら せぬうちにーと言って、車には亡骸に右近を相乗りさせ、 「いかにも、そのとおりでございましよう。あの元の住い さしめきくく 馬は君にさしあげて、自分は徒歩になり、指貫の括りを引 は、女房などが悲しみにこらえられず、泣きうろたえるこ とでございましようし、隣が建てこんでいて、聞き耳を立き上げなどして、思えばまったく奇妙な、意想外の野辺送 うわさ りであるけれども、君の深いご悲嘆を拝見すると、自分の てる町の者も多うございましようから、しぜん噂も広まり ことなどどうでもよくなって出かけてゆくが、君のほうは きーしょ , つ、が、 , 山 ~ 守な、らわ、は . り、 : つい , っ一」レ ) 、がレャかノ、亠めり気が ちなものですから、目立たないのではございませんか」と、何を考えるお力もなく、正体もない有様で二条院に帰り着 かれた あれこれと考えた末、「昔知り合った女房が尼になってお ります東山のあたりにお移し申しあげましよう。惟光の父 〔一巴源氏、ニ条院に帰女房たちは、「どこからお帰りにな めのと る、人々あやしむ られたのか、ご気分わるそうにして の朝臣の乳母でございました者が、すっかり老いこんでそ みちょう いらっしやる」などと言うが、すぐに御帳の中におはいり こに住んでおるのでございます。そのあたりは人家が多い になって、胸に手を当ててお考えになると、どうにもたま ようではございますが、ほんとにひっそりとした所でござ らないお気持なので、「どうして自分もいっしょに乗って います」と申しあげて、夜がすっかり明るくなる時分のざ いってやらなかったのだろうか。女が、もし生き返ったら、 わめきに紛れて、お車を寝殿につけた。君はとてもこの人 うわむしろ かか どんな気持がするだろう。ふり捨てて行ってしまったのだ をお抱えにはなれそうにないので、上蓆に押しくるんで、 顔 と恨みに思うだろう」と、気が動転しているうちにもそう 惟光が車にお乗せする。ひどく小柄で、気味がわるいとい お思いになるにつけて、お胸のせきあげてくるようなお気 った感じもなくいじらしく思われる。きちんとは包めない みぐし タ ので、髪の毛がこばれ出ているが、それにつけても、君は持になられる。御頭も痛く、熱もでてきたような感じで、 ほんとに苦しくどうにもたまらないので、こうしてたわい 目の前が真っ暗になり、たまらなく悲しいので、最後まで 見届けようとお思いになるけれども、惟光は、「早く御馬もなく自分も死んでしまうのだろう、とお思いになる。日

3. 完訳日本の古典 第14巻 源氏物語(一)

つる児かな、何人ならむ、かの人の御かはりに、明け暮れの慰めにも見ばやと一「かの人」は、藤壺。紫の上を、 逢いがたい藤壺の身代りにと思う。 ふか 思ふ、い深うつきぬ 0 この段の趣向は『伊勢物語』初段 語 による。かいま見によって源氏は そうづ 物 うち臥したまへるに、僧都の御弟子、光を呼び出でさす。新たな執心をかかえこんだ。 〔五〕源氏、招かれて僧 氏 ニ聖の坊に帰り、休息する源氏 源都の坊を訪れる ほどなき所なれば、君もやがて聞きたまふ。僧都「過きり三取次の者に頼んで。 四「ほど」は、源氏までの距離 おはしましけるよし、ただ今なむ人申すに、驚きながらさぶらふべきを、なに 五「過きる」は、素通りする意 六驚いて即刻伺候すべきところ。 一も うれ がしこの寺に籠りはべりとはしろしめしながら忍びさせたまへるを、愁はしくセ自分の山籠りを源氏は知って いるのにと、不満を述べる。 思ひたまへてなん。草の御むしろも、この坊にこそまうけはべるべけれ。いと ^ 旅先の粗末な御座所。源氏を 自分の坊に迎えようとする謙辞。 九 じふょにち わらはやみ 九「たまへ」は、口上を使者に言 本意なきこと」と申したまへり。源氏「去ぬる十余日のほどより、瘧病にわづ わせている僧都への尊敬表現 らひはべるを、たび重なりてたへがたうはべれば、人の教へのままに、こま、 冫。カ一 0 定評のある聖が、すぐれた験 力を現さなかった時 しるし 一一自分 ( 源氏 ) のような身分のあ に尋ね入りはべりつれど、かやうなる人の験あらはさぬ時、はしたなかるべき る相手に対しては、普通の場合以 も、ただなるよりはいとほしう思ひたまへつつみてなむ、いたう忍びはべりつ上に、面目を失うことになろうと。 三俗世を捨てた法師には、世間 る。いまそなたにも」とのたまへり。 の基準が通用しないが、の気持。 一三前にも僧都を「心恥づかしき すなはち僧都参りたまへり。法師なれど、 しと心恥づかしく、人柄もやむご人」 ( 一六四ハー ) とした。 一四僧都が自分の坊へ源氏を誘う。 かるがる 一五まだ源氏の姿を見たこともな となく世に思はれたまへる人なれば、軽々しき御ありさまをはしたなう思す。 ( 現代語訳三一一一一ハー ) ち′ ) かさ 四 六 これみつ ひとがら

4. 完訳日本の古典 第14巻 源氏物語(一)

源氏物語 248 れもしますけれど、そうかといってまた、家事一点張りで、仕込みがいがあるという気持にもなりましよう。 . し、力「を 額髪を耳挟みがちにして、美しげのかけらもない世話女房女といっしょに暮している分には、そのままでもかわいら 型で、ただひたすら見ばえぬきの世話ばかりしていて、 しいという点に免じて世話をしてもやれましようが、しか 男というものは、朝の出勤につけタの帰宅につけて、 し離れているような場合に、必要な用事を言ってやったり、 公私の人のふるまいや、よきにつけ悪しきにつけ見たり聞その折々に始末をつけたりするのに、趣味的なことでも実 いたりする出来事を、親しくもない他人に、どうしてわざ用的なことでも、自分ひとりでは判断できず行き届いた配 わざ話して聞かせられましよう。身近の妻がそれを聞いて慮のないようなのは、まったく情けないことでして、頼り 理解してくれるなら、そういう者と話し合ってみたいとい ないという欠点がやはり困りものでしよう。平生は少し無 う気持から、しぜんと笑顔にもなったり、涙ぐんでもみた愛想で人づきの悪い女が、何かの折に、見ばえのする働き り、または他人事にも腹を立てたりして、自分の胸一つに を見せてくれるというようなこともあるものです」などと、 はおさめておけないことなども多いのですが、分らずやの 八方至らざるなき論客も結論を出しかねて、深くため息を 妻に聞かせてみたところで何になろうと思うと、ついそっ ついている。 ばを向きたくなって、自分ひとりで思い出し笑いを浮べて、 〔六〕左馬頭、夫婦間の「こうなってはもう、身分のよしあ 寛容と知性を説く 『ああ』などと、ひとり言も漏れてきますと、そんなとき、 しにもよりますまいし、顔かたちな 『何事ですの』などと間の抜けた顔つきで見上げていたり どはなおさら論外でしよう。どうにもお話にならぬくらい するのでしたら、どうしていまいましく思わずにいられま にひねくれ者という感じさえしないのだったら、ただ一途 しようがいはんりよ . ー ) よ、つ、刀 に実直で、落ち着いたところのある女をこそ、生涯の伴侶 そうなると、ただもう一途に子供らしく、素直な女であ と決めておくのがよいのです。それに加えてすぐれた資質 ったら、そういう人を、何かと不足なところを補い補いし才能や気働きが伴っているのでしたら、それをもうけもの て妻とするのも悪くはないでしようし、不安はあっても、 と思い、少しは足りないところがあっても、無理な要求は ( 原文五三ハー )

5. 完訳日本の古典 第14巻 源氏物語(一)

婦の仲というものをいろいろ見てまいりましたが、想像以 は上の者に服従して、公事の範囲は広いのですから、互い 上にまったくうらやましいなと思われるようなのもまずあ に融通しあってうまくゆくのでしよう。ところが、狭い一 りませんな。なおさらのこと、若殿がたの最上の方をとい 家の主婦たるべき人一人についていろいろ考えてみますと、 うお選びには、どれほどのお方がふさわしくていらっしゃ それが欠けていたのでは困るたいせつな条件があれこれと いますか 多いのです。ああすればこうなるし、こちらがよければ、 顔かたちもこぎれいで、いかにも年若らしい女の、自分 あちらが立たすといった具合で、曲りなりにも、これなら ちり 自身は塵もっかぬようにと、そのふるまいを取りつくろい、 なんとかがまんできるといった人が少ないものですから、 浮気心の気まかせにたくさんの女の有様をあれこれ見比べ手紙を書くのにも落ち着いて言葉に工夫し、墨の濃淡もほ ようという好みからではないのですが、どこまでもこの人んのりと書いて、相手に気をもませては、今度こそはっき りした返事をもらいたいものと、やきもき待ち遠しい思い 一人と決めて一生の連れ合いとしたいばかりに、どうせな をさせ、やっとのことで一言一一言声を聞けるところまで男 ら、自分で骨を折って直したり手をかけたりしなければな が近づいて言い寄ってみても、かすかな声を途中で呑んで らないような面倒がなく、そのまま自分の気持にびったり というようなわけにはいかぬものか、とはじめから選り好言葉少ななのが、いかにも上手に難を隠すものです。もの みしているものですから、そうした相手が、なかなか決ら柔らかで女らしいな、と思っていると、あまりにも情趣本 きげん ないということなのでしよう。必ずしもすべてが希望どお位にこだわりすぎて、機嫌をとっているとたちまち色めか 木 。し力なくても、一度夫婦となったのも、そうした因しくなってくる。これがまず第一の難点というべきでしょ 縁があったのだと、それを捨てかねて別れずにいる男は、 何よりもなおざりにできない夫の世話という点からは、 どこか実意のあるように見えるし、そうして捨てられずに 7 いる女にしても、いい所があるのだろうと奥ゆかしく思わ情趣を重んじすぎて何かの折に風情をきかし、趣味の面に れるというものです。しかし、どんなものでしようか、夫身を入れるというようなことは、なくてもよかろうと思わ

6. 完訳日本の古典 第14巻 源氏物語(一)

279 空蝉 ふすま かえってはっきりと聞えるのであった。 ほど寝ている。掛けている衾をおしのけて、寄り添われる 柔らかなだけに、 と、いっぞやの感じよりは大柄といった気がするけれども、 女は、源氏の君があれきり自分を忘れてくださったのを うれしいことと、努めて思おうとしてはいるけれども、あ まさか別人とはお思いにもならない。眠りこけている様子 つかま などが、妙にあのときとは変っていて、だんだんに正体が の異常な夢のような出来事が、束の間も心を離れないこの お分りになると、あまりのことにいまいましくおなりにな ごろとて、安らかに寝入ることすらもできず、昼は物思い うつ に虚け、夜は目覚めがちといったしだいで、春の「木の るけれども、人違いと感づかれるのも愚かしいことだし、 芽」ならぬ「この目」も休まる暇がなく、ため息ばかりつ女も変に思うだろう、目当ての人を尋ねあてようにも、こ うまで逃げる気でいるのだったら、そのかいもあるまいし、 いている有様なのに、碁の相手をしていた女君は、今夜は さぞこのわたしを愚かしくも思うだろうと、おあきらめに こちらでと、陽気におしゃべりをして、隣に寝てしまって ほかげ なる。あの灯影に見えたかわいい女ならば、それでもかま わぬという気におなりになるのも、不都合な、軽率で思い 若い人は、無邪気にほんとによく寝入っているらしい やりのないお心というものだろう。女はだんだんと目が覚 そこへ、このような衣ずれの気配がして、じっこ、、 めて、まったく思いもよらぬあまりの事態にびつくりし か香ばしくただよってくるので、女は、顔をあげてみると、 すきま ひとえの帷子をうちかけておいた几帳の隙間に、暗いけれ ている様子で、別段の深い思い入れや、同情もしたくなる ような心づかいがあるわけでもない。男をまだ知らぬにし ども、何やらにじり寄ってくる気配がはっきりと分る。こ てはもの分りのよいほうで、消え入りそうにうろたえるこ れはなんとしたことかとびつくりして、とっさには判断も すずしひとえ ともないのである。君は自分が誰なのかは知らせずにおこ つかず、そっと起き出して、生絹の単衣をひとつだけ着て うとお思いになるが、この女が、どうしてこんなことにな すべるように脱け出すのだった。 ったのだろうと、後であれこれ考えた場合、自分にとって 源氏の君はお入りになられて、女がただ一人で寝ている なげし ので、ほっとしたお気持になる。長押の下に、女房が二人はそんなことはなんでもないにしても、あの薄情な人がひ かたびら

7. 完訳日本の古典 第14巻 源氏物語(一)

ても、それはそこに居合せただけの者らしく、実資となじみの深い紫式部とはとうてい思えないことが多い ことで察せられるのである。もっとも、五年間に十七度の訪問記事に紫式部を積極的に証する記事がないか らといって、直ちにその直常的な不在を物語るものとも断じがたいし、その間に時々出仕していた可能性も せのたいふしゅう ないわけではない 。しかし、少なくとも、長和二年秋から約一年間くらいは、『伊勢大輔集』に、長和二年 春、久しぶりに清水寺に参詣して紫式部と出会ったとの記事もあって、紫式部は宮廷を退いていたものと見 また道長はまたもともと怒りつばい性質で、『小右記』には、何かあると衆人環視の中で「大怒」の癖が あり、時には、「大怒吐 = 無量悪言「悪 = 一一 = ロ主上「聴者寒心」 ( 『小右記』長和三年十二月八日 ) ともある。その晩 い。だから、よしんば実資との応対のことでなくとも、長い奉仕期間中に ・はことにはなはだしかったらし そうした道長の「大怒」を買って、自尊心も高く神経質でもある紫式部がそれに耐えられず宮廷を退く、と いうことも十分考えられる。私は、右の長和三年 ( 一 0 一四 ) の後は一年どころでなくこの寛仁二年 ( 一 0 一 0 末 までの五年間は、おそらく紫式部はほとんど宮廷にはいなかったのではないかと考える。 ところが、寛仁三年正月八日の『小右記』には、紫式部らしい人物がふたたび姿を現すのである。すなわ ち、この日、実資は、その年頭元旦に道長から、彰子に自分の御給爵の一部を削って、実資の平常の的確な 説 事務処理に報いようとの意がある旨を知らされ、その御礼言上のため、内裏住いの彰子を訪れた。取次女房 解の言葉の趣旨は、「枇杷殿にいたころは、よくお出で下さった、そのことは、今も忘れられないとの仰せで ございます。また皇太后さまは、あのころはよく来て下さったのに、近ごろはさつばりで、あなたさまは非 凡なお人だけに、気恥ずかしいとお思いでございます」というものである。「枇杷殿のころ」云々とは、前

8. 完訳日本の古典 第14巻 源氏物語(一)

それにしても、 存じよりの件を十分に申しつくさずじまいになりました をのヘ 嵐吹く尾上の桜散らぬ間を心とめけるほどのはかなさ のが心残りでございます。これほどまでに申しあげるこ ( 嵐が吹いていずれは散ってしまう峰の桜の、まだ散らない とからしても、尋常ではない私の気持の深さをお分りい 語 でいるほんの一時だけ、お心を止められたのは頼りないこと 物ただけますならば、どんなにかうれしいことかと存じま 氏 でございます ) して。 源 っそ , っ気がかりでご、いまして。 などとある。その中に小さく結び文にして、 そうず と書いてある。僧都からのご返事も同じようなので、君は 「面影は身をも離れず山ざくら心のかぎりとめて来し これみつ かど 残念でならず、二、三日たってから惟光をお使いとしてお めのと ( 山桜の美しい面影が私の身を離れません。私の心のありた 差し向けになる。「少納言の乳母という人がいるはず。そ けをそちらに置いてきたのでしたが ) の人を尋ねてこまかく相談せよ」とお言い聞かせになる。 夜の間の風も気がかりで」とある。ご筆跡のみごとさはも「こうもまあ抜け目のないお心ではあるよ。あんなにもま ふぜい だ幼げな様子だったのに」と、ほんのちらりとであるが、 とよりとして、無造作にお包みになった風情も、年をとっ 自分もその人をのぞき見したときのことを思い出すにつけ た人たちの目には、目も覚めるくらいにすばらしく見える。 ても、惟光はおもしろい話だと思っている。 「まあ困ったことです。どのようにご返事したらよいもの 君からわざわざこうしたお手紙が寄せられたので、僧都 か」と思案に迷っていらっしやる。 先日のお通りすがりでの仰せ言の件は、ご冗談ごとと存も恐縮してご返事を申しあげられる。惟光は少納言の乳母 に申し入れて面会した。詳細に君のお心持やお言葉、日ご じあげずにはいられませんでしたが、わざわざお手紙を ろのご様子などを語って聞かせる。惟光はロの達者な男だ 賜りましては、なんともご返事申しあげようもございま なにわず ったから、もっともらしく一言い続けるが、まったくど , つな せん。今はまだ難波津をさえ満足には書き続けられない るものでもない姫君のお年頃をなんとお思いなのだろうと、 のでございますから、かいのないことでございまして。

9. 完訳日本の古典 第14巻 源氏物語(一)

ひがたうはべるものを」と聞こえたまふ。 一「タさればいとど干がたきわ が袖に秋の露さへ置き添はりつ せうそこ 源氏「かうやうの伝なる御消息は、まださらに聞こえ知らず、ならはぬことっ」 ( 古今・恋一読人しらず ) 。 語 ニ女房を介してではなく、尼君 物になむ。かたじけなくとも、かかるついでにまめまめしう聞こえさすべきことの直接の返答がほしいとする。 氏 三何とも申しあげられぬはど、 源なむ」と聞こえたまへれば、尼君、「ひが事聞きたまへるならむ。いと恥づか経験のないこと、の意か。自分の 申し入れを特別とする自負もある。 しき御けはひに、何ごとをかは答へきこえむ」とのたまへば、「はしたなうも四尼君は、源氏が紫の上を一人 前の女と聞き違えていると思う。 こそ思せ」と人々聞こゅ。尼君「げに、若やかなる人こそうたてもあらめ。ま五源氏の無類に立派な様子。 六尼君に返答してもらえない場 めやかにのたまふ、かたじけなし」とて、ゐざり寄りたまへり。 合の、源氏のきまりわるさを懸念。 セ「若やか」は、世慣れぬ、うぶ 源氏「うちつけに、あさはかなりと御覧ぜられぬべきついでなれど、、いには なさま。年寄りの自分 ( 尼君 ) なら ば、直接対面もできよう、とする。 さもおばえはべらねば、仏はおのづから」とて、おとなおとなしう恥づかしげ〈初対面で、しかも唐突な内容 を切り出すための、謙虚な口ぶり。 なるにつつまれて、とみにもえうち出でたまはず。尼君「げに思ひたまへ寄り九前ハー「仏の御しるべは : ・」の言 葉の縁で、自分の気持の深さは仏 がたきついでに、かくまでのたまはせ聞こえさするもいかがとのたまふ。 も知るはずだ、として相手を説得。 一 0 尼君の落ち着いた気づまりな 源氏「あはれにうけたまはる御ありさまを、かの過ぎたまひにけむ御かはりに態度に、源氏はいったんロごもる。 = 源氏の「うちつけに : ・」に照応。 よはひ むつ 思しないてむや。言ふかひなきほどの齢にて、睦ましかるべき人にも立ちおく三浅いお気持とは思われない意。 一三紫の上のこと。 一四亡くなられた母君の代りに。 れはべりにければ、あやしう浮きたるやうにて年月をこそ重ねはべれ。同じさ って としつき 六

10. 完訳日本の古典 第14巻 源氏物語(一)

みやづかへびと みて、はらからなど宮仕人にて来通ふと申す。くはしきことは、下人のえ知り一歌の詠み手は、交際なれした 宮仕人らしいと推測 はべらぬにゃあらむーと聞こゅ。さらば、その宮仕人ななり、したり顔にものニ「したり顔」は、得意げな顔。 三「・ : と・ : と」の文脈で、ともに 語 きは 五 物馴れて言へるかなと、めざましかるべき際にゃあらんと思せど、さして聞こえ「思せどーにかかる。 四つまらぬ身分の女だろうと。 六 源 かかれる心の憎からず、過ぐしがたきそ、例の、この方には重からぬ御心なめ五相手が自分 ( 源氏 ) を目ざして。 六女性関係では。「例の」に注意。 たたうがみ セ自分の筆跡ではないように。 るかし。御畳紙にいたうあらぬさまに書きかへたまひて、 源氏は身分を慎重に隠している。 ^ 助動・む」が「こそ・ : め」の形 源氏よりてこそそれかとも見めたそかれにほのばの見つる花のタ顔 で、勧誘を表す。誰であるか確か みずいじん めてはどうか。女の歌の「タ顔の ありつる御随身して遣はす。 花」に「花のタ顔」と応じて、自分 そばめ まだ見ぬ御さまなりけれど、いとしるく思ひあてられたまへる御側目を見すの顔を強調。この歌でも、自ら源 氏であることは明かさない 九「ありつる」は、先刻の、の意。 ぐさでさしおどろかしけるを、答へたまはでほど経ければなまはしたなきに、 一 0 以下、女たちの側からの叙述。 かくわざとめかしければ、あまえて、女達「いかに聞こえむ」など言ひしろふ彼女たちは源氏を見たことがない。 = はっきり源氏と分る横顔を、 そのまま見過せず、の意。 べかめれど、めざましと思ひて随身は参りぬ。 三歌を詠みかけたこと。 さき はじとみ まっ 御前駆の松明ほのかにて、いと忍びて出でたまふ。半蔀は下ろしてけり。隙一三源氏がすぐ返事しないこと。 一四わざわざ返事してくれたこと。 ひ 一五先刻「透影」を見たのに、今は。 隙より見ゆる灯の光、蛍よりけにほのかにあはれなり。 一六「タされば蛍よりけに燃ゆれ ども光見ねばや人のつれなき」 ( 古 ひま つか 四 きかよ へ かた しもびと ひま