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検索対象: 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記
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1. 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記

221 伊勢物語 わればかりもの思ふ人はまたもあらじと思へば水の下 にもありけり ( 私ほど悲しい思いの人は、ほかにあるまいと思っています と、この水の下にもいたのでしたよ ) と詠んで口ずさむのを、来なかった男が物陰で立ち聞いて 詠む、 した みなくちにわれや見ゆらむかはづさへ水の下にてもろ 声に鳴く ( 水の下の泣く人とは、水口に私の姿があらわれたのでしょ う。田の水口の蛙までもが、水底で声を合せて鳴いているで はありませんか。私もあなたと声を合せて泣いているのです よ ) 二十八おうごかたみ 昔、色好みであった女が、男の家を出ていったので、男 が詠んだ歌、 などてかくあふごかたみになりにけむ水もらさじとむ すびしものを ( どうしてこう逢うことがむずかしくなってしまったのだろ う。水も漏さない仲でいようと、固く約束して愛しあってい かえる みなくち 二十九花の賀 とうぐう に . よろ 0 ) 昔、春宮の女御のもとで催された花の賀に召し加えられ たときに、男が詠んだ歌、 なげ こよひ 花にあかぬ嘆きはいつもせしかども今日の今宵に似る 時はなし ( 花に、いを残して別れる悲しさは、、 しつの年にも覚えたもの ですが、今日の今宵はいままでにも似す、とりわけ悲しい思 しがいたします ) 三十はつかなりける女 昔、男が、思うように逢えなかった女のところに、詠ん でやった歌、 あふことは玉の緒ばかりおもほえてつらき心の長く見 ゆらむ ( あなたに逢うことは、玉の緒ほどのほんのわずかの間のよ うに思われて、冷淡なお心が長く感じられるようですが、ど うしたことなのでしよう ) たのに ) が

2. 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記

よ と詠んだ。まったく、逢うことがむずかしい女であった。 人々がお供物を奉った。おおぜいの人々が奉ったささげ物 は千ささげほどある。多くのささげ物を木の枝につけて、 七十六小塩の山 堂の前に立てたので、まるで山のようで、それもいま新た 語 にじようき一き とうぐうみやすんどころ 物昔、二条の后がまだ春宮の御息所と申しあげていたころ、 にその山が堂の前に動いて出てきたように見えたのであっ おきな このえづかさ うだいしよう ふじわらのつねゆき 勢うじがみさんけい 氏神に参詣なされたおりに、近衛府にお仕えしていた翁が、 た。その情景を、右大将でいらっしやった藤原常行と申す 伊 ちょう ろくたまわ かた お供の人々が禄を賜るついでに、御息所のお車から禄を頂方がおいでになってごらんになり、お経の講義が終るころ たてまっ 戴して、こう詠んで奉った。 に、歌を詠む人々を召し集め、今日のご法要を題にして、 かみよ みぎうまかみ 大原や小塩の山も今日こそは神代のこともおもひいづ春の趣のある歌を奉らせなされる。右の馬の頭であった翁 らめ が、うつかり本物の山かと見まちがえながら、こう詠んだ。 ( この大原の小塩山にまします神様も、春宮の母御息所のご 山のみな移りて今日にあふことは春の別れをとふとな 参詣の今日の日には、神代の昔の、天孫守護のことをもお思 るべし い出しになって、なっかしんでおいででありましよう。なっ ( 山がみな、今日のご法要に移り動いて来あわせるのは、行 かしいことではございませんか ) く春のような、悲しい女御様とのお別れを惜しむためであり 亠ましょ , っ ) と詠んで、翁は自分の心の中にも深い嘆きをいだいたので あろうか、どう田 5 っただろうか、それはわからない と詠んだのを、いま見るとよい出来でもなかった。当時は これがすぐれていたのであろう、人々は感じいっていた。 七十七春の別れ たむらみかど 七十八山科の宮 丑日、田邑の帝と申しあげる帝がいらっしやった。その時 によう′」 たかきこ の女御に、多賀幾子と申しあげる御方がいらっしやった。 昔、多賀幾子と申しあげる女御がおいでになった。お亡 な あんじようじ ほう画う その御方がお亡くなりになり、安祥寺でご法要を行った。 くなりになって四十九日のご法要を、安祥寺で行った。右 をしほ あ かみよ ち おもむき くもっ

3. 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記

( 原文三二一 は、元来無骨な人で、このような歌を詠むなどということ所の近くに泊る。今夜、船の主人はいつもの病気が起って、 は、全然知らないのであった。そうだけれども、淡路の老ひどく苦しむ。 女の歌に感、いして、都に近づいた心強さからでもあろうか、 ある人が新鮮な魚を持って来た。お米で返礼する。男た めしつぶ、、 やっとのことで、変な歌をひねり出した。その歌は、 ちがこっそり言っているらしい。「『飯粒でもつを釣る』と かはのばぢ しようじん 来と来ては川上り路の水を浅み船もわが身もなづむ かね」。このようなことは、方々である。今日は、お精進 日かな をするので、お魚は無駄。 ( やっとの思いで来てみたら、川を上る水路の水が浅いので、 一五〕渚の院に昔を偲び九日。じれったさに、夜の明けない つつ、都に近づく 船も自分もはかばかしくない今日だなあ ) うちから、船を引っ張り引っ張りし これは、自分が病気をしているからこんな風に詠んだのだ て上るけれども、川の水がないので、ぐすぐずしてばかり わだ ろう。一首では言いたいことが言い足りないので、もう一 いる。ところで、曲の泊りの分れの所という所がある。乞 首、 食たちが米や魚などを欲しがるので、施してやった。 なぎさいん こうして、船を引っ張って上って行くうちに、渚の院と 疾くと思ふ船悩ますはわがために水のこころの浅きな いう所を眺めながら進んで行く。その院は、昔をしのびな ( 早く早くと思う船を困らせるのは、わたしに対して川の水 がら眺めると 、、かにも趣の深い所である。後ろにある丘 の思いやりが浅いからなのだ ) には、松の木がたくさんあり、邸内の庭には、梅の花が咲 1 三ロ この歌は、都が近くなったうれしさに我慢しきれないで、 いている。そこで、人々が言うには、「これは、昔、有名 日 佐詠んだのだろう。「淡路のご老女の歌よりまずい。悔しい だった所である」、「故慨親王のお供をして来て、茁。 なりひら 土 言わなければよかったのに」と、悔しがっているうちに、 業平の中将が、 夜になって寝てしまったのだった。 世の中に絶えて桜の咲かざらば春のこころはのどけか らまし 八日。やはり、川上りに難儀をして、鳥飼の御牧という とりかい みまき

4. 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記

昔、男が、すげない女をなんとかしてなびかせたいと思 八十八月をもめでじ いつづけていたので、女は心うたれて、しみじみとした気 昔、ぐっと若いというのではない、あれこれの友人たち持になったのであろうか、「では、明日、物を隔ててでも 語 物が集って、月を見て、そのなかに一人が、こう詠んだ。 お逢いしましよう」と言ったのを、男はとてもうれしく思 お 勢 おほかたは月をもめでじこれそこのつもれば人の老い また女の心がほんとうかどうか、信じられなかったの 伊 となるもの で、みごとに咲いた桜の枝につけて、 あすよ ( 月は美しいものだが、よほどのことがなければとくに賞美 桜花今日こそかくもにほふともあな頼みがた明日の夜 なが はすまい。この月がそれ、眺めて積り重なれば、人が年老い のこと ていくものなのだから ) ( 桜の花が今日はこんなに美しく咲きほほえんでいても、明 日の夜にはどうなることやら、なんとも頼みにはなりませ 八十九なき名 ん ) 昔、身分の低くない男が、自分よりまさった身分の女性と詠んでやったが、こういう気持になるのももっともであ ろう。 を慕うようになって、何年かたった、その思いを詠む。 人しれずわれ恋ひ死なばあぢきなくいづれの神になき 九十一惜しめども 名おほせむ ( だれにもわからずに、私が恋い死にをしたならば、つまら 昔、月日が流れてゆくのをまで嘆く男が、三月の末ごろ たた ないことに、世の人はどの神様のせいにして、ありもせぬ祟 こう詠んだ。 ゅふぐれ りを思いめぐらすことだろうか ) をしめども春のかぎりの今日の日の夕暮にさへなりに けるかな 九十桜花 ( 名残を惜しんでも、春のおしまいの今日の日の、そのうえ、 ( 原文一七八ハー ) あ な一り たの

5. 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記

、か。り・け・ . C ノ ければ ( 吹く風がやまぬ限り波が立って来るので、海路はいっそう ( 子の日は今日なのだが、若菜も摘まない。若菜を摘む春日 遠いことだ ) 野が、わたしの漕いで行く浦にないものだから ) 1 三ロ つま 日一日中、風がやまない。爪はじきをして寝てしまった。 こんなことを言いながら漕いで行く。 佐 二十八日。夜どおし雨がやまない。今朝も。 景色のよい所に船を着けて、「ここはどこ」と尋ねたら、 土 なんと「土佐の泊り」と言ったことだった。以前、土佐と 三〕船出してより三十二十九日。船を出して行く。日はう 九日、和泉に至る ららかに照って、漕いで行く。爪が 言った所に住んでいたという女が、この船に乗り合せてい たいそう長くなってしまっているのを見て、日を数えてみ たのだった。その人が言ったことには、「昔、しばらく住 ねひ ると、今日は子の日だったので、切らない。正月なので、 んでいた所と同じ名ですわ。ああ懐かしいこと」と言って、 都の子の日のことを言い出して、「小松があればいいのに 詠んだ歌は、 きょ なあ」と言うけれど、海の真ん中にいるのだから、無理な 年ごろを住みし所の名にしおへば来寄る波をもあはれ ことだ。ある女が書いて見せた歌は、 とぞ見る けふね うみまっ ( 幾年かを過した土地の名を持っているものだから、寄せて おばっかな今日は子の日か海人ならば海松をだにひか ましものを 来る波までもああ懐かしいと思って見ることだ ) ( 頼りないこと。今日はほんとに子の日なのだろうか。もし と言ったのだった。 あま わたしが海人だったら、海にもぐって、せめて小松ならぬ海 三十日。雨も降らず風も吹かない。「海賊は夜の行動は あわ まっ 松でも引くだろうになあ ) しないものだ」と聞いて、夜中ごろに船を出して、阿波の と言ったことだった。海上で、子の日の歌では、どんなも海峡を渡る。夜中なので、西も東も分らない。男も女も、 のだろう。また、ある人が詠んだ歌は、 必死に神仏を祈って、この海峡を渡りきった。午前五時ご かすがの わかなっ めしま 今日なれど若菜も摘まず春日野のわが漕ぎ渡る浦にな ろに、沼島という所を通過して、たな川という所を通る 342 うみ

6. 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記

曳く船の綱手の長き春の日を四十日五十日までわれは 必死に急いで、和泉の灘という所に到着した。今日は、海 、。申ムのお恵みを受けたように見える。 . 経にけ一り . に波らしい波もなしネイ ( 引き船の綱のように長い春の日を、四十日五十日までわた 今日、船に乗った日から数えると、なんと三十九日になっ しは過してしまったことだ ) てしまっていた。今はもう、和泉の国に来てしまったから、 聞いている人が思うことには、「なんだって、こんなに平 海賊なんか物の数でもない。 〔一 = 〕ニ月に入り、白波二月一日。朝のうち雨が降る。お昼凡な歌なんだろう」と、こっそり言っているにちがいない。 青松の黒崎を過ぐ 「船のご主人が、やっとひねり出して、よくできたと思っ ごろにゃんだので、和泉の灘という 所から出発して、漕いで行く。海上は、昨日と同様に、風ている歌だよ。聞えて恨みでもなさると大変だ」と言って、 こそこそ言ってやめにした。 も波も見当らない。黒崎の松原を通って行く。土地の名は すおう 急に風波が高くなったので、泊ってしまった。 黒く、松の色は青く、磯の波は雪のようで、貝の色は蘇芳 ) 」しき 二日。風雨がやまない。一日中、夜どおし、神仏を祈る。 ところで、今日は箱の で、五色にもう一色だけ足りない。 三日。海上は、昨日と同様なので、船を出さない。風の 、冫という所から、引き綱を引っ張って行く。こうして行く 吹くことがやまないので、岸の波が寄せては返る。これに うちに、ある人が詠んだ歌は、 たまくしげ箱のうらなみ立たぬ日は海を鏡とたれか見つけて詠んだ歌は、 つも 麻をよりてかひなきものは落ち積る涙の玉を貫かぬな ざらむ 一三ロ . り . ・け・ . り . ( 箱の浦に波ひとっ立たない日には、海を鏡のようだと、だ 日 ( いくら麻を縒って糸にしても、なんのかいもないというこ 佐 れが見ないだろうか ) とは、こばれてたまる涙の玉を貫きとめることができないか また、船の主人が言うには、「今月にまでなってしまった らなのだ ) 3 こと」とため息をついて、苦しさに堪えかねて、「ほかの こうして、今日は暮れてしまった。 人も詠むことだから」と言って、気晴しに詠んだのは、 いずみなだ ひ へ つなで よそか か

7. 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記

の男になびいてしまったので、こう詠んだ。 須磨のあまの塩焼くけぶり風をいたみ思はぬかたにた なびきにけり ( 須磨の浦の海人が塩を焼く煙は、風がはげしいのでたなび く、そのように、私の愛人は思いもよらぬ方になびいてしま ったなあ ) 百十三短き心 昔、男が、女と別れ、ひとり暮しをしていて、こう詠ん 、、つ ) 0 長からぬいのちのほどに忘るるはいかに短き心なるら む ( 長くはない人の命の一生の間に、私を忘れるとは、なんと 短い心だろうか。もっとのどかに、私の愛情を受け入れてほ しかったのに ) 語 物 百十四芹河行幸 勢 にんなみかどせりかわ 伊 昔、仁和の帝が、芹河に行幸なさったとき、男はいまは たか・かり もう年老い、鷹狩のお供など似つかわしくなく思ったけれ ど、以前その役についていたしだいであったから、帝は大 や たかがい 鷹の鷹飼としてお供をおさせになった。その男が、着用の すりかりぎめたもと 摺狩衣の袂に歌を書きつけた。その歌、 おきなさび人なとがめそかりごろも今日ばかりとぞ鶴 も鳴くなる ( 私が老人ふうなのを、人々おとがめなさるなよ。狩のお供 の狩衣を着るのも今日かぎり、狩場の鶴も今日かぎりと鳴い ているようだ ) それをご覧になって、帝のご機嫌はわるかった。男は自分 の年齢を思って詠んだのだが、若くはない人は、わが身の ことと又けとったとかい , っことだ。 百十五都島 おうしゅう 昔、奥州に、男女が共に住んでいた。男が、「都へ行き せん たい」と一一一一口う。この女はたいそう悲しく思って、せめて餞 別なりともしようと思い、「おきのゐて、みやこしま」と いう所で、男に酒を飲ませて詠んだ。その歌は、 おきのゐて身を焼くよりも悲しきはみやこしまべの別 れなりけり おきび ( 燠火がついてからだを焼くよりも悲しいのは、都へ行くあ みやこしまべ なたに別れる、この都島辺の別れでございますよ ) や かりば

8. 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記

蛍の灯を消したところで、その美しい方への私の思いは消え ( 自分から女が去ってゆくのなら、こんなに別れがたくも思 ませんよ ) わないだろう。無理に連れ去られるのだから、今日は、い 天下の色好みの歌としては平凡であった。 までのつらい思いよりもいっそう悲しいことだなあ ) し 4 ) う じようぶつ 至は順の祖父である。この一件、皇女様の成仏を願うご と詠んで、気を失ってしまった。親はうろたえてしまった。 本志にはそわないことなのだ。 なんといっても子を思って、女と別れるように意見をした のだ。まさか、これほどでもあるまい と思ったところ、 ただ 四十すける物思い ろうばい ほんとうに息も絶え絶えになってしまったので、狼狽して 昔、若い男が、ちょっと人目をひく召使女を愛しいと思願を立てた。今日の日暮れごろに気絶して、翌日の戌の刻 った。この男には、子を思うあまり、気をまわす親がいて、 ごろに、やっと生き返った。昔の若者は、こんないちずな わが子が女に執着しては困ると思って、この女をほかへ追 恋をしたものだ。当節の老人めいた者などに、どうしてこ い出そうとする。そうは思っても、まだ追い出してはいな のような恋愛ができようか 男は、親がかりの身なので、まだ進んで思うままにふ 四十一紫 るまう威勢もなかったので、女をとどめる気力がない。女 も身分が低い者なので、対抗する力がない。そうこうして 昔、姉妹二人がいた。一人は身分が低くて貧しい男を、 いるうちに、女への愛情はますます燃え上がる。にわかに、 一人は高貴な男を、夫としていた。身分の低い男を夫とし 語 親が、この女を追い出した。男は、血の涙を流して悲しんた女は、十二月の末に、夫の袍を洗って、自らの手で張る 物 勢だが、女を引きとどめようもない。人が女を連れて家を出仕事をした。一生懸命に心をつくしてしたのだけれど、そ 伊 た。男は、涙ながらに詠んだ。 のような下女などのする仕事も習い覚えていなかったので、 いでていなばたれか別れのかたからむありしにまさる袍の肩のところを張り破ってしまった。どうしようもなく 今日は悲しも て、たださめざめと泣くばかりだった。このことを、あの かた がん

9. 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記

もがな」といへど、海中なれば、難しかし。或女の書きて出だせる歌、 一「おばっかなし」の語幹。頼り ないな、今日はほんとに子の日な けふね うみまっ のだろうか おばっかな今日は子の日か海人ならば海松をだにひかましものを あま ニわたしが海人だったら海にも 日とそいへる。海にて、子の日の歌にてま、、 : ゝ 。しカカあらむ。また、或人のよめるぐって、せめて小松の代りに海松 佐 ( ミル ) でも引くだろうになあ。 三海上で子の日の小松引きの歌 四 では、どうもふさわしくない。 わかな かすがの かすがの 四奈良市の春日野は、古くから 今日なれど若菜も摘まず春日野のわが漕ぎ渡る浦になければ 子の日の行事の行われる所として かくいひつつ漕ぎゅく。 歌に多く詠まれている。「春日野 しろたへ の若菜つみにや白妙の袖ふりはヘ て人のゆくらむ」 ( 古今・春上貫 おもしろき所に船を寄せて、「ここやいどこ」と問ひければ、「土佐の泊り」 之 ) 。 といひけり。昔、土佐といひける所に住みける女、この船にまじれりけり。そ五「いづこ」の古い形。 なると と一どまり 六徳島県鳴門市の大毛島土佐泊。 。ゝ、ひけらく、「昔、しばしありし所の名たぐひにそあなる。あはれ」といひセ貫之一行は土佐から帰京の途 中であるから、この表現は不自然。 て、よめる歌、 亡くなった女の子を残して来た土 佐を懐かしむ気持を強調するため きょ この女性を登場させたのであろう。 年ごろを住みし所の名にしおへば来寄る波をもあはれとそ見る ^ その人が。 とそいへる。 九同じ名。 一 0 「し」は強調。名として持って よる あめかぜ いるから。 三十日。雨風吹かず。「海賊は、夜あるきせざなり」と聞きて、夜なかばか = この「なり」は断定。 よ にしひむがし をとこをむな りに船を出だして、阿波の水門を渡る。夜なかなれば、西東も見えず。男女、三鳴門海峡。 314 みそか うみなか っ みと あま かた 五 九 な ある 六 よ とま

10. 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記

この柳の影が、川の底に映っているのを見て、詠んだ歌は、 てくれた。わざわざしてくれなくても、 しいことだ。京を発 あをやぎ さざれ波寄する文をば青柳のかげの糸して織るかとぞ って出かけた時よりは、帰って来る時の方が、人はなにか 見る と親切にしてくれるものだ。これにも返礼する。 ( さざ波が寄せて水面に描く緯糸の模様を、青柳の影が経糸 夜になるのを待って、京には、はいろうと思うので、べ かつらがわ となって織り出しているかのように見えること ) つに急ぎもしないうちに、月が出た。桂川を、月の明るい あすかがわ 十二日。山崎に泊っている。 光のもとに渡る。人々が言うには、「この川は、飛鳥川で ふち 十三日。やはり山崎に。 はないから、淵も瀬も以前と全然変っていないね」と言っ 十四日。雨が降る。今日、車を、京へ取りに人を出す。 て、ある人の詠んだ歌は、 ひさかたの月に生ひたる桂川底なるかげもかはらざり 〔一六〕荒れはてた我が家十五日。今日、車を引っ張って来た。 に、亡き娘を偲ぶ船内のうっとうしさに、船からある 人の家に移る。この人の家では、喜んでいる様子で、もて ( 月の中に生えている桂の名を持った桂川は、月の桂と同じ なしてくれた。この家の主人の、またそのもてなしぶりの ように、その流れも、川底に映る月の光も、以前と少しも変 っていないなあ ) よいのを見るにつけても、なんとなく嫌な感じがする。 かじんたちいふるまい ろいろと返礼をする。家人の立居振舞は、感じがよく礼儀また、ある人が言ったのは、 そで 正しい あまぐものはるかなりつる桂川袖をひてても渡りぬる ・カナ′ 十六日。今日の夕方、京へ上る。そのついでに見ると、 日 まカり 佐山崎の店屋の小櫃の絵看板も、曲の釣道具屋の大釣針の下 ( 空の雲のように、土佐の国からはるかに遠かった桂川を、 土 げ看板も、以前と少しも変っていなかった。だが、「売っ 今、袖を濡らして渡ったことだ ) 9 ている人の心はどうだか分りはしない」と言うそうだね。 また、ある人が詠んだ。 こうして京へ向って行くと、島坂で、ある人がもてなし 桂川わがこころにもかよはねど同じ深さにながるべら 1 一 = ロ こびつ あや たていと お た