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検索対象: 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記
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1. 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記

かもがは むかし、左のおほいまうちぎみいまそがりけり。賀茂河のほとりに、六条わ一「おほいまうちぎみ」は大臣。 とおる 左大臣源融 ( 公三 ~ 八九五 ) をさす。 かんなづき さが たりに、家をいとおもしろく造りて、すみたまひけり。十月のつごもりがた、 融は嵯峨帝皇子。↓一一七ハー注一一一。 かわらのいん 一一融の邸宅河原院は、六条坊門 語 までのこうじ 物菊の花うつろひさかりなるに、もみぢのちぐさに見ゆるをり、親王たちおはしの南、万里小路の東、賀茂川の西。 勢 三菊花は秋の末、紅色が増し色 との 伊まさせて、夜ひと夜、酒飲みし遊びて、夜明けもてゆくほどに、この殿のおも変りする「うつろひさかり」を、特 に賞美した。 四お出でになるようにさせて。 しろきをほむる歌よむ。そこにありけるかたゐおきな、板敷のしたにはひ歩き つまり、お出でいただいて。 酒宴をし、詩歌・管絃の遊び て、人にみなよませはててよめる。 をして。 しほがま = こじき爺 ~ 卑しめた言い方。 塩竈にいっか来にけむ朝なぎに釣する船はここによらなむ セ底本「たいしき」。他系本に となむよみけるは。陸奥の国にいきたりけるに、あやしくおもしろき所々多か「いたしき」とあるものが多い。こ いたじき れらにより「板敷」と改めた。 ^ 「塩竈」は、松島湾内にある名 りけり。わがみかど六十余国のなかに、塩竈といふ所に似たる所なかりけり。 所。融はこの景を模して邸に造園 あつら さればなむ、かのおきな、さらにここをめでて、塩竈にいっか来にけむとよめした。「なむ」は誂え望む意の助詞。 九「は」は感動の意の助詞。 . ノ・けらつ。 一 0 「みかど」は、天皇の治める国 家。『延喜式』によれば、当時わが 国には六十六国二島があった。 0 本段は、かって陸奥国へ下った 八十二渚の院 男が、後に自ら記している文章に 擬したような書きぶりである。 これたか むかし、惟喬の親王と申すみこおはしましけり。山崎のあなたに、水無瀬と = 惟喬親王 ( 八四四 ~ 八九七 ) は文徳帝 ( 現代語訳一一四四ハー ) これたかみこ 九 つり 六 いたじき みなせ 四 あ

2. 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記

一『古今集』恋三、読人しらず。 8 『古今六帖』第五、人麿。「ものゆ いたづらにゆきては来ぬるものゆゑに見まくほしさにいざなはれつつ ゑに」は、・ : のに、の意。「見ま く」の「まく」は助動詞「む」に助詞 おほみやすんどころそめどのきさき ロみづを 「く」がっき体一一 = ロ化し、見ること。 物水の尾の御時なるべし。大御息所も染殿の后なり。五条の后とも。 勢 一一清和天皇。山城国葛野郡水尾 伊 が出家後の隠棲地で、御陵がある。 三染殿后は明子。↓一五七ハー注 六十六みつの浦 四仁明皇后、文徳母、冬嗣女の むかし、男、津の国にしる所ありけるに、あにおとと友だちひきゐて、難波順子。この大息所も染殿后ではな く五条后のことだともいう、の意。 なぎさ 摂津国。大阪府・兵庫県の地。 の方にいきけり。渚を見れば、船どものあるを見て、 六 ↓一一七ハー注三。↓八十七段。 なにはづけさ セ大阪市。入江で港となる。 難波津を今朝こそみつの浦ごとにこれやこの世をうみ渡る船 ^ 『後撰集』雑三、業平、『古今 六帖』第三、同、共に第二包・けふ これをあはれがりて、人々かへりにけり。 こそみつの」。『後撰集』には、身 の憂えがあったとき、津の国に行 って住んだ際の歌、という詞書が 六十七花の林 ある。「三津」は難波津の一名で 「見つ」に、「憂み」に「海」を掛ける。 きさ、りギ一 せうえう いづみ 九心のままに方々遊び歩く意。 むかし、男、逍遥しに、思ふどちかいつらねて、和泉の国へ二月ばかりにい 一 0 「かきつらねて」の音便。 くも かふち あした きけり。河内の国、生駒の山を見れば、曇りみ晴れみ、立ちゐる雲やまず。朝 = 大阪府の南西部に当る。 三↓一三五ハー注 = 一。ここでは河 ひる より曇りて、昼晴れたり。雪いと白う木の末にふりたり。それを見て、かのゆ内から東方に見ている。 たふ。 かた っ 一 0 きすゑ 广ょに・は

3. 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記

いらなかった。だんだん待望の夜明けになる、そのうす明 昔、男かいた。京に、、、 しつらくて東国に行ったが、伊勢の おわり 加りに見ると、倉はがらんとして、昨夜連れてきた女の姿も国と、尾張の国との間の海岸を行くときに、浪がたいそう 見えない。口惜しがって泣いてもいまさらしかたがない。 白く立つのを見て、 語 しらたまなに す 物 白玉か何ぞと人の問ひし時っゆとこたへて消えなまし いとどしく過ぎゅく方の恋しきにうらやましくもかへ 勢 ものを る浪かな 伊 ( 白玉かしら、何かしらと愛しい人がたずねたとき、露のき ( 東への旅を重ねるにつれて、過ぎ去ってゆく都の方がいよ らめきさと、そう答えて、露のように私の身も消えてしまっ いよ恋しく思われるのに、うらやましいことよ、浪は返って たらよかったのに。こんな悲しみもなかろうに ) ゆくのだなあ ) にじト - う・き * 、き によう′ ) おん この話は、二条の后が、従姉妹の女御の御もとに、お仕え と詠んだのだった。 するようなかたちでおいでになったが、后はたいそうな美 八浅間の嶽 人でいらっしやったので、男が恋慕し、盗み出して背負っ ほりかわのおとどもとつね くにつね て行ったところが、后の兄の、堀河大臣基経、ご長男国経 昔、男がいた。京が住みづらかったのだろうか、東国の かたがた 大納言といった方々が、その時は、まだ位も低くいらして、方に行って、住む場所をさがそうと言うので、友人、一、 さ・れだ、い しなの 参内なさるおり、ひどく泣く人がいるのを聞きつけて、男二人とともに行った。途中、信濃の国の、浅間の山に噴煙 が連れて行くのを引きとどめて、后を取り返しなされたの が立ちのばるのを見て、歌を詠む。 だ。それをこのように鬼と言ったんだよ。后がまだずっと 信濃なるあさまのたけに立つけぶりをちこち人の見や じゅだい お若く、入内などなさらぬ前のときのことだとか言うこと はとがめぬ ( 信濃の国にある浅間山に立ちのばる煙、遠近の人々はこれ いぶか を見て怪しまないだろうか。さぞ奇異なものよと訝ることだ 七かえる浪 ろう ) かた あさま おちこち なみ

4. 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記

「さすがにを掛ける。 一三「武蔵鐙」は「かかるーの序。 十四くたカレ 一四「みちのくーは「道の奥」の約で、 いわ 「陸奥の国」は「道の奥の国」。磐 みち いわしろ むかし、男、陸奥の国にすずろにゆきいたりにけり。そこなる女、京の人は城・岩代・陸前・陸中・陸奥。 一五はっきりした目的もなく、な んとなく心ひかれて、の意。 めづらかにやおばえけむ、せちに思へる心なむありける。さてかの女、 一六このような所に都人の訪れは たまを まれ。作者もまた都人である。 なかなかに恋に死なすは桑子にそなるべかりける玉の緒ばかり 宅『万葉集』三 0 八六に類歌。「ずは」 歌さへそひなびたりける。さすがにあはれとや思ひけむ、いきて寝にけり。夜は打消の助動国ず」の連用形に助 詞「は」がついて強める。・ : ずし まゆ て、の意。「桑子」は蚕で、繭の中 ぶかくいでにければ、女、 ・一も に雌雄が共に籠るので夫婦仲むつ まじいたとえ。「玉の緒」は緒に貫 夜も明けばきつにはめなでくたかけのまだきに鳴きてせなをやりつる いた玉の間隔の微少から、短いの 意で、蚕の短命をいう。 といへるに、男、京へなむまかるとて、 一〈夜深い中に出るのはこの女に あまり執着していないことを示す。 栗原のあねはの松の人ならばみやこのっとにいざといはましを 一九「きつ」は一説に水槽 ( 東北方 言に残存 ) 。鶏の腹を水で冷やす 語といへりければ、よろこばひて、「思ひけらし」とぞいひをりける。 と早鳴きが治る。一説に狐。狐に 物 食わせる。今前者に従う。「くた 勢 伊 かけ」は鶏を罵って呼ぶ称という。 十五しのぶ山 ニ 0 『古今集』東歌に類歌。底本は 「あれはの松」と「ね」を傍書。宮城 むかし、陸奥の国にて、なでふことなき人の妻に通ひけるに、あやしう、さ県栗原郡所在の名物の松。 くり・はら・ 一九 め ね

5. 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記

もある。六十段は、男が宮仕えに忙しくて妻への愛情が十分でなかったため、妻は他の男と一緒になって他 国へ行った。ところが後に男が勅使になってその国に行き以前の妻にめぐりあう。男は「さっき待っ花たち ばなの香をかげばむかしの人の袖の香そする」と詠じたので、女は昔の男だとわかり恥じて尼になる。これ はおそらく「さっき待っ」という古い名歌を基にして作られたものだろう。『伊勢物語』にはさまざまな男 ぎいごのちゅうじよう 女の離合の物語が語られるが、なかでも六十三段は、老女の在五中将への恋と、男の思う人思わぬ人に差 別を見せない心を伝えているし、六十五段は、初部の二条后や東下り物語を凝縮して語ったような、長大な 歌話になっているのも特徴的であろう。 かりつかい 半ば過ぎるあたりのところ、狩の使の段および伊勢の国物語の一連が出てくる。男が伊勢の国に狩の使に さいぐう 行き、伊勢の斎宮と夢のような一夜を過し、血の涙を流して別れ行く物語が六十九段である。斎宮は業平の これたか 親しみ近侍した惟喬親王の妺で、この話は二条后物語に並ぶ主要な恋物語で、伊勢の国での恋物語のくり返 しは東下りと東国物語の連鎖を思わせるものである。『伊勢物語』の後半に至ると、男の宮仕え物語が目立 みぎのうまのかみ つようになる。右馬頭という名で出てくる男が惟喬親王に仕える八十二・八十三段等の物語も光っている。 きみ 出家した旧主を小野に訪ねて、「忘れては夢かとぞ思ふおもひきや雪ふみわけて君を見むとは」と詠じた歌 は、深く読者の心にくい入る絶唱として響いてくる。もとより恋の歌物語を主とする『伊勢物語』ではある が、後半部にはこのような、主とする人への愛、親への愛、親しい友との遊楽、慶賀の歌等の物語が恋物語 解に交って現れてくるのである。それらはいずれもやさしい情愛から発した優美な歌で彩られているのであっ て、恋の心と混融して『伊勢物語』の世界を形造っていると言えるであろう。そして終末に至ると、それは 老いの影を一段と濃くして、病にかかって臨終に至る。つまり、「つひにゆく道とはかねて聞きしかどきの そでか

6. 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記

七十一神のいがき 語 さいぐう 物むかし、男、伊勢の斎宮に、内の御使にてまゐれりければ、かの宮に、すき 勢 伊ごといひける女、わたくしごとにて、 おほみやびと ちはやぶる神のいがきもこえぬべし大宮人の見まくほしさに 男、 恋しくは来ても見よかしちはやぶる神のいさむる道ならなくに 七十二大淀の松 むかし、男、伊勢の国なりける女、またえあはで、となりの国へいくとて、 うら いみじう恨みければ、女、 おほよど 大淀の松はつらくもあらなくにうらみてのみもかへる浪かな 七十三月のうちの桂 五 なみ 一好色事の話をした女。男に響 そう 想の心で言いかけた。一説に「『す ぎ子』といひける女」と解する。 ニ主人の恋の取持ちではなく。 三「ちはやぶる」は、神の枕詞。 いカき 「斎垣」は、神社の周りの垣。「見 まく」は、見ること、の意。↓一 六〇ハー注一。『万葉集』一一六六三、『古今 六帖』第一一、『拾遺集』恋四、人麿 などに類歌がある。 四「恋しくは」は形容詞「恋し」に 「は」がつく。↓ 一四七ハー注一一三。 「なくに」↓一一七ハー注一 = 。 五伊勢国にいた女に、の意、伝 本により「女に」「女を」等の異文 がある。 六隣の国とは尾張であろう。行 くのは男。男女が一度逢って後、 再び会えず、男が隣国へ行く話は 六十九段にある。 セ「大淀」↓一六三ハー注一八。「松」 に男を「待っ」意を掛け、女自身を たとえる。「恨みて」に「浦見て」を 掛け、男を「浪」にたとえる。 ^ 女の身辺を意味し、女のこと を漠然とさす。六十九段の話に出 る斎宮を思わせるような女である。

7. 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記

一海のほとり。三重、愛知の県 はひの海づらをゆくに、浪のいと白くたつを見て、 境辺の海岸を伊勢湾沿いに下る。 ニ『後撰集』羇旅、業平、詞書に いとどしく過ぎゅく方の恋しきにうらやましくもかへる浪かな 「東へまかりけるに、過ぎぬる方 語 恋しくおばえけるほどに、河を渡 物となむよめりける。 勢 りけるに、浪の立ちけるを見て」 伊 とある。 三東国。足柄山以東、遠江以東、 八浅間の嶽 尾張以東いずれの称かは不明。 四友人。一説、従者とする。 むかし、男ありけり。京やすみ憂かりけむ、あづまの方にゆきて、すみ所も五信濃国にある浅間山は、古く より噴煙が歌に詠まれているが、 しなの たけけぶり とむとて、友とする人、ひとりふたりしてゆきけり。信濃の国、浅間の嶽に煙諸注に、その煙は東下りの道順か らいっても、尾張・三河などから 見えるものではない、と指摘する。 の立つを見て、 六『新古今集』羇旅に業平の歌と して出るが、『伊勢物語』がもとに 信濃なるあさまのたけに立つけぶりをちこち人の見やはとがめぬ なったものらしく、本来は読人し らずの古歌で、奇異な景を歌った ものであろう。本段はこの古歌を 九東下り 用い東下りの一話となる。 セ「要なきもの」で、必要のない むかし、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、京にはあらもの、つまらぬもの、の意。広 本・塗籠本等に「ようなきもの」と じ、あづまの方にすむべき国もとめにとてゆきけり。もとより友とする人、ひあるのによれば「用なきもの」とな るが、意味は同じと見てよい みかは ちりゅう とりふたりしていきけり。道しれる人もなくて、まどひいきけり。三河の国八〈愛知県知立市に旧跡がある。 六 かた す なみ かた かた あ著一ま やっ かた

8. 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記

の関を越えて、ふたたびお逢いしましよう ) ( 私は越えてはならぬこの神垣も越えてしまいそうです。宮 幻と詠んで、夜が明けると尾張の国へ越えて行ってしまった。 廷人のあなた様にお逢いしたくて ) さいぐうせいわ おんときかた もんとく 斎宮は清和天皇の御時の方で、文徳天皇の皇女であり、惟と詠んだ。男はこう歌を返した。 ロたかみこ 物喬の親王の妹である。 恋しくは来ても見よかしちはやぶる神のいさむる道な 勢 らなくに 伊 七十あまの釣船 ( 恋しく思うのなら、来てごらんなさい。恋の道は神様が禁 おおよど 昔、男が、狩の使いから帰ってきたときに、大淀の渡し 止なさるものではないのですから ) 場に泊って、斎宮に奉仕する童女に歌を詠みかけた。 さを か 七十二大淀の松 みるめ刈るかたやいづこそ棹さしてわれに教へよあま のつり船 昔、男が、伊勢の国に住んでいた女に、ふたたび逢うこ みるめ ( 人を見る目という名の海松布、それを刈る潟はどこでしょ とができず、隣の国へ行くというので、ひどく女を恨んだ さお うか。海人の釣船よ、船に棹さして連れていって、その場所ので、女が詠む、 おほよど を私に教えてください ) 大淀の松はつらくもあらなくにうらみてのみもかへる なみ 浪かな 七十一神のいがき ( 伊勢の国の大淀の松、待つのは私も同じこと、つれないも みかど なみ 昔、男が、伊勢の斎宮に、帝のお使いとして参上したと のではございません。それなのにあなたは浪のように、もっ ごてん ころ、その御殿で、色めかしい話をしてきた女が、自分自 と近寄ろうともなさらずに、ただ浦を見て、恨むばかりで帰 身の恋歌として、 ってゆくのですね ) おほみやびと ちはやぶる神のいがきもこえぬべし大宮人の見まくほ 七十三月のうちの桂 . ーしき、に せ かた これ かみがき

9. 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記

209 伊勢物語 乾飯はふやけてしまった。 いっ - 一う するが 九東下り 一行は、旅をつづけて駿河の国に着いた。宇津の山に来 昔、男がいた。その男が、わが身を無用のものであると てみると、これから自分がはいろうとする道はひどく暗く ったかえで 思いこんで、京にはおるまい、東国の方に居住できる国を細いうえに、蔦や楓は茂り、なんとなく心細く、とんでも しゅぎようじゃ 求めようと思って出かけて行った。古くからの友人、一、 ない目にあうことよと思っているところに、修行者がやっ 二人とともに行った。道を知った人もおらず、さまよいっ てきて出会ったのだった。「どうして、このような道はお みかわ やつはし つ行ったのである。三河の国の八橋という所に行き着いた。通りなさる」と言うのを見ると、見知った人であった。京 に、あの方の御もとにと思って、手紙を書いてことづける。 そこを八橋と名づけたわけは、水が八方に流れわかれてい るので、橋を八つ渡してあるゆえに、八橋といったのであ その歌、 駿河なるうつの山辺のうつつにも夢にも人にあはぬな った。その沢のかたわらの木陰に馬から下りてすわり、乾 かきつばた 飯を食った。その沢に燕子花がたいそう風趣あるさまで咲 ( 駿河の国の宇津の山のほとりに来てみると、ものさびしく いていた。それを見て、同行のある人が言うには、「『かき えい うつつ 人けもありません。現にはもとより、夢の中にも、あなたに つばた』という五文字を句の頭に置いて、旅中の思いを詠 お逢いできぬのでしたよ ) じてごらんなさい」とのことだったので、男は詠んだ。 ′ ) ろも から衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬるた 富士の山を見ると、五月の末ごろだというのに、雪がた びをしそ思ふ いそう白く降り積っている。それを見て詠んだ歌、 かのこ からごろも ( 唐衣は着ているとなれる、私にはその、なれ親しんできた 時しらぬ山は富士の嶺いっとてか鹿子まだらに雪のふ 愛しい妻が京にいるので、はるばるやってきた旅をしみじみ るらむ 物悲しく思うのだよ ) ( 時節をわきまえない山は富士の山だ。いったい今をいっと 思って、鹿子まだらに雪が降り積ったままでいるのだろう と、こう詠んだので、人々はみな、乾飯の上に涙を落して、 かれ かた やまペ

10. 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記

れて歌を詠みなさい」と言う。そこで、 渡る人の姿にたとえられるものであろうか ) 雁鳴きて菊の花さく秋はあれど春のうみべにすみよし 2 と詠んだ歌を深く嘆賞して、人々は帰ったのだった。 のはま 語 六十七花の林 ( 雁が鳴いて、菊の花が咲く秋の風光もよいが、それにもま 物 し、よ・つよう 勢 して春の海辺に住んだらよいなあ、と思える住吉の浜だ ) 昔、男が、逍遥をしに、親しい者同士いっしょに、和泉 伊 かわち と男が詠んだので、人々はみな感服して、つづけて詠まな の国へ二月ごろに行った。河内の国の生駒の山を見ると、 くも くなってしまった。 曇ったり晴れたりして、高く上ったり低く垂れたりする雲 が絶えない。朝から曇って、昼晴れた。雪がたいそう白く こずえ 六十九狩の使 梢に降っている。その景色を見て、かの一行のうち、ただ 昔、男がいた。その男が伊勢の国に狩の使いに行ったと 一人この男が歌を詠んだ。 ちよくし さいぐう きに、あの伊勢の斎宮だった人の親が、「いつもの勅使の きのふけふ雲の立ち舞ひかくろふは花の林を憂しとな かた 方よりは、この人をよくおもてなししてあげなさい」と言 ってやったので、斎宮は親が言うことだったから、たいそ ( 昨日今日雲が立ち舞って、山が隠れているのは、梢に花咲 う心をこめてもてなした。朝には狩に出かけられるように く林を、人に見られるのがいやだと思ってのことなのでし ′一てん 世話して送り出し、夕方は帰ってくると自分の御殿に来さ た ) せるというふうにした。このように心をこめてお世話した。 六十八住吉の浜 二日めという夜、男が、「お逢いしたい」としいて言う。 すみよしこおり 昔、男が、和泉の国へ行った。住吉の郡、住吉の里、住女もまた、それほど固く、逢うまいとも思っていなかった。 けれど人目が多かったので、思うようにすらすらとは逢え 吉の浜を行くおりに、たいそう風景が趣深いので、馬から ない。男は正使として来ている人だから、離れた場所にも 下りて腰をおろしては行く。ある人が、「『住吉の浜』を入 ( 原文一六一 かり せ