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検索対象: 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記
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1. 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記

男の、まだいと若かりけるを、この女あひしりたりけり。男、女がたゆるされ一年少ゆえに女房の控え所に出 入りを許されたのである。 たりければ、女のある所に来てむかひをりければ、女、「いとかたはなり。身ニ普通でない、見苦しい、の意。 ちよくかんこうむ 三勅勘を蒙り破滅すること。 語 四下句「し」は強意、「かへ」は 物も亡びなむ、かくなせそ」といひければ、 勢 「代ふ」で、逢うことに代えれば。 四 伊 別に「肯ふ」 ( することができる ) と 思ふにはしのぶることそまけにけるあふにしかへばさもあらばあれ する解あり。第五句、どうともな ギ、うし といひて、曹司におりたまへれば、例の、このみ曹司には、人の見るをもしられ。『古今集』恋一、読人しらず、 『古今六帖』第五に類歌がある。 ここは宮中の女房の居室。 でのばりゐければ、この女、思ひわびて里へゆく。されば、なにの、よきこと、五 六宮仕えの女房の自宅。 とのもづかさ と思ひて、いきかよひければ、みな人聞きて笑ひけり。っとめて主殿司の見る七どうしていけないことがあろ うか、かえってよいことよ、の意。 くっ 〈宮中の掃除・灯火・輿などの に、沓はとりて、奥になげ入れてのばりぬ 事を司った役所または役人。女官 九 をもいうがここは男官であろう。 ゝこはにしつつありわたるに、身もいたづらになりぬべければ、つひに 九官職も失い、無用者になる意。 ほろ 亡びぬべし、とて、この男、「いかにせむ、わがかかる心やめたまへ」と、仏一 0 陰陽寮に属する職員で、占い や、地相判断などに従う。 かむなぎ 神にも申しけれど、いやまさりにのみおばえつつ、なほわりなく恋しうのみお = 「神和」の意で、神を祭り、神 意を伺ったりする人。 はら はら 三祓えの道具。これに罪・穢れ ばえければ、陰陽師、神巫よびて、恋せじといふ祓への具してなむいきける。 を移して川に流した。 はら かず 祓へけるままこ、、 ししとど悲しきこと数まさりて、ありしよりけに恋しくのみお一三↓一三三ハー注一 = 。 一四『古今集』恋一、読人しらず、 下句小異。『新撰和歌』第四。「み ばえければ、 かみ ほろ おんやうじ かむなぎ れい 六 ぐ ほとけ けが

2. 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記

131 伊勢物語 づか ( 現代語訳一一一五ハー ) あまぐも そ」に掛かる枕詞。 天雲のよそにのみしてふることはわがゐる山の風はやみなり 三『古今集』に、前の歌に続き、 業平の返しとして出る。初・二句 とよめりけるは、また男ある人となむいひける。 「ゆきかへりそらにのみして」。 「経る」と「降る」を掛け、「降る」は 「雲」の縁語。「山」は女。「はやみ」 二十楓のもみぢ の「み」は「はやし」の語幹につく接 一四尾語。早いのでそうなのです。 やまと みや むかし、男、大和にある女を見て、よばひてあひにけり。さてほどへて、宮一三奈良辺をさすか。平安遷都後、 奈良は「ふる里」になる。↓初段。 やよひ 一四宮廷勤めの身なので、大和か 仕へする人なりければ、かへり来る道に、三月ばかりに、かへでのもみぢのい ら平安京に帰って来るのである。 一 = 秋の紅葉ではなく若葉がく とおもしろきを折りて、女のもとに、道よりいひやる。 なっているもの。 一六歌も紅葉した枝につけて贈る。 君がため手折れる枝は春ながらかくこそ秋のもみぢしにけれ 宅あなたへの「思ひ ( 緋 ) 」の色で きっ 深まったという意を含めている。 とてやりたりければ、返りごとは京に来着きてなむもて来たりける。 天やや程へて返事が来たこと。 一九「うつろふ」は、色変りする、 いつのまにうつろふ色のつきぬらむ君が里には春なかるらし の意。下句、あなたの住む所は秋 ( 飽き ) ばかりなのでしよう。「ら し」は確かな根拠に基づく推量。 二十一おのが世々 ニ 0 程度の甚だしいことを示す。 ニ一男女それそれ、他の異性にひ をとこをんなニ 0 ごころ かれる心は持たなかった。 むかし、男女、いとかしこく思ひかはして、こと心なかりけり。さるを、 一三「世の中」はこの場合男女の仲。 「憂し」と思ったのは女の方。 かなることかありけむ、いささかなることにつけて、世の中を憂しと思ひて、 一セ きみ たを を きみ ひ

3. 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記

かはじり みをつくし 六日。澪標のもとより出でて、難波に着きて、川尻に入る。一航路標識。淀川河口のデルタ えんぎしき 0 〔一巴難波より、水浅き 四 五六 地帯に立てられたもの。『延喜式』 おむなおきなひたひ 淀川を溯る みな人々、媼、翁額に手を当てて喜ぶこと、二つなし。か巻五十に見える。 ニ大阪市南区辺り。 ふなぞこ ふなゑ あはぢ おほいご かしら 日の船酔ひの淡路の島の大御、「都近くなりぬ」といふを喜びて、船底より頭を三淀川の河口。 佐 匹老女。 五年老いた男性。 土もたげて、かくぞいへる。 六額の前で手を合せること。仏 そ なにはがたあしこ みふねき を拝んだり喜んだりする動作。 いっしかといぶせかりつる難波潟葦漕ぎ退けて御船来にけり セ他にまたとない。 いと思ひのほかなる人のいへれば、人々あやしがる。これが中に、心地悩む船 ^ 一月二十六日の「淡路の専女」。 ゅううつ 九早く着きたいと憂鬱な思いを みかほ たう していた難波潟に。 君、いたく賞でて、「船酔ひし給べりし御顔には、似ずもあるかな」といひけ 一 0 貫之。 る。 = 上に係助詞がなくて連体形で 文を終止する余情的表現。 の水干て、脳み煩ふ。船三中に深く入り込む。 七日。今日、川尻に船入りたちて、漕ぎ上るに、川 一三「悩む」も「煩ふも似たような の上ること、いと難し。かかる間に、船君の病者、もとよりこちごちしき人に意味。二つ重ねて難儀をしている 様子を強調している。 あはぢたうめ て、かうやうのこと、さらに知らざりけり。かかれども、淡路専女の歌に賞で一四貫之。 一五無風流な人で、このような歌 みやこぼこ て、都誇りにもやあらむ、からくして、あやしき歌ひねり出だせり。その歌は、を詠むなどということは、全然知 らないのであった。貫之をさして かはのばぢ いるが、もちろん虚構である。 来と来ては川上り路の水を浅み船もわが身もなづむ今日かな おほい ) ~ 一六「淡路の島の大御」のこと。 ひとうたニ一 宅挿入句。都が近くなって意気 これは、病をすればよめるなるべし。一歌にことの飽かねば、し ぎみ なぬか のば き 一九 やまひ め かた のば ・は、つギ、 オょには あ ひ 、ま一つ、 一三わづら ここち ふな

4. 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記

= 『古今集』雑上、業平、布引の 滝で詠んだと詞書にある。同巻に、 行平の布引の滝の詠を載せる。 『新撰和歌』第四。『古今六帖』第三、 くないきゃう かへり来る道とほくて、うせにし宮内卿もちよしが家の前来るに、日暮れぬ。第四・五句小異。「乱る」は四段他 動詞、乱す、の意。「白玉」は真珠 をいう。 やどりの方を見やれば、あまのいさり火多く見ゆるに、かのあるじの男よむ。 三作者は自卑の体で、人々がこ かは の歌を笑ったと示しつつ、人々が 晴るる夜の星か河べの蛍かもわがすむかたのあまのたく火か この歌をほめて自分たちの歌を詠 よ まなくなってしまったことをいう。 とよみて、家にかへり来ぬ。その夜、南の風吹きて、浪いと高し。っとめて、 一三「帰りくる道遠きほどに、と 一五みる たれびと その家の女の子どもいでて、浮き海松の浪に寄せられたるひろひて、家の内にある家を見て、これは誰人の家な どとこそいひつらめ。その前にて をんながた たかっき もて来ぬ。女方より、その海松を高坏にもりて、かしはをおほひていだしたる、日の暮たるなどいふ、物語の余情 けつぎしよう 也」 ( 闕疑抄 ) 。宮内卿は宮内省の 長官。「もちよし」は伝不明。 、か , しはにかけ・い , 。 い ) りび 一四きらめく海人の漁火を、星か 蛍かと言ったもの。 わたつみのかざしにさすといはふ藻も君がためにはをしまざりけり 一五根が切れて海上に浮く海松。 一六木の台に高い一本足をつけた 語ゐなか人の歌にては、あまれりや、たらずや。 器具。食物を盛る。 物 宅柏の広葉は古くから食物を盛 勢 伊 った。ここは塵よけのためか 八十八月をもめでじ 一〈『古今六帖』第四、第二句小異。 「わたつみ」は海神。 とも いと若きにはあらぬ、これかれ友だちども集りて、月を見て、それ一九三十三段末尾と似た評言。 とよめりければ、かたへの人、笑ふことにゃありけむ、この歌にめでてやみに むかし、 かた め き ほたる び きみ なみ

5. 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記

かきくらす かーー ) 、がまーし かずかずに かすがのの かぜふけば ーおきっしらなみ ーとはになみこす かたみこそ かちびとの 索 歌からごろも 一和かり・ノ、らし かりそめに かりなきて きのふけふ おもひあらば おもひつつ ーぬればやひとの ーをればすべなし おもふかひ おもふこと おもふには おもへども おもほえず か行 一一八きみがあたり きみがため 一一 0 四きみこむと 一一 0 一きみにより 一三 = きみやこし 一空 ノ、らべこし 一夭くりはらの 一七五くれがたき 一三七くれなゐに ーにほふがうへの にほふま、づら けふこずは こころをぞ こぬひとを こひし / 、は こひしとは こひせじと こひわびぬ こもりえに これやこの ーあまのはごろも ーわれにあふみを 、行 さくはなの 一公 一三五 一犬 一六三 一九七 一三五 さくらばな 、ーけ・ふこ挈、かノ、も ーちりかひくもれ さっきまっ さむしろに 一三四 さよふけて き、り・とも一と 一四七したひもの しなのなる 一三 0 しのぶやま 一三 0 しほがまに 一一一九しらたまか 一九七しらっゅは = 0 一しるしらぬ 一六四すまのあまの 一九 0 すみわびぬ 一堯するがなる ーうつのやまべの ーうつみのやまの そでぬれて 一一一九そむくとて 一璧そめかはを た行 一会たにせばみ たまかづら 一天たまのをを 一八一一ちぢのあき 一五四ちはやぶる 一契 ーかみのいがきも 一一 0 三 ーかみよもきかず 一堯ちればこそ 一九 0 つきしあれば つきゃあらぬ っ / 、 . しより・ つつゐつの つひにゆく 一全 つみもなき つれづれの 一九 0 てををりて 一吾一ときしらぬ としだにも 一 = 三としをへて = 00 とへばいふ 一六五とりとめぬ 一会とりのこを 一五四 な行 ながからぬ 一四一なかそらに 一七 0 一六四 一八七 一一 0 三 一三四 一空 一全 一九四 一五七 一九三 一八 0 一九 0

6. 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記

35 竹取物語 国に仰せたまひて、手輿作らせたまひて、によふによふ荷 = 前後二人で腰のあたりまで持 〔一三〕大納言、家来たち ち上げて運ぶ輿。 を許す はれて、家に入りたまひぬるを、いかでか聞きけむ、つか三『日本霊異記』では「呻」を、 『名義抄』では「吟」を、「ニョフ」と たっくび との はしし男ども参りて申すやう、「龍の頸の玉をえ取らざりしかばなむ、殿へも読む。それを二つ重ねているので ある。うめきうめき。 かんだう え参らざりし。玉の取り難かりしことを知りたまへればなむ、勘当あらじとて 一三龍の頸の玉を取るために派遣 なんぢ された召使たち。 参りつる」と申す。大納言起きゐて、のたまはく、「汝ら、よく持て来ずなり 一四刑罰を受けることはあるまい かみるい ぬ。龍は鳴る雷の類にこそありけれ、それが玉を取らむとて、そこらの人々の一五すっかり変って、龍の頸の玉 を取って来なかったからよい、と 力し たっとら ほめているのである。 害せられむとしけり。まして、龍を捕へたらましかば、また、こともなく我は 一六多数の人々。↓五三ハー五行目。 おほめすびとやっ 宅次行の「まし」と呼応して反実 害せられなまし。よく捕へずなりにけり。かぐや姫てふ大盗人の奴が人を殺さ 仮想。「事実は : ・ではなかったが、 をのこ あり むとするなりけり。家のあたりだにいまは通らじ。男どもも、な歩きそーとて、もし : ・であったら・ : のようになっ ていただろう」の意。 たっ 天盗人に限らす、悪い奴、悪党 家にすこし残りたりける物どもは、龍の玉を取らぬ者どもに賜びつ。 というほどの意。相手をののしる もとうへ はら これを聞きて、離れたまひし元の上は、腹を切りて笑ひたまふ。糸を葺かせのに用いる。「奴」も、平安時代の 物語には珍しい。 とびからす 作りし屋は、鳶、の、巣に、みな食ひ持ていにけり。 一九別居なさった元の奥方。 たっくび ニ 0 腹わたがよじれるほどにお笑 世界の人のいひけるは、「大伴の大納言は、龍の頸の玉や取りておはしたる」、 、ヤ ) 、よっ , ) 0 . しーをナ . 子′ すもも 「いな、さもあらず。御眼二つに、李のやうなる玉をそ添へていましたる」と三↓三一一ハー注四。 たっ をの一 や 一九 みまなこ がた おほ おほとも たごし も 一五も た

7. 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記

流れる。染河の名によって物の色 女、返し、 を染める意をきかせた。 一四『後撰集』羇旅に読人しらずの 名にしおはばあだにそあるべきたはれ島浪のぬれぎぬ着るといふなり 類歌。初句は、「たはれ」の名を持 っているなら、の意。「たわれ島」 六十二こけるから は熊本県宇土市緑訓川口近くの海 中の岩。「浪の」は「濡れぎぬ」を引 き起す。 むかし、年ごろ訪れギ、りける女、心かしこくやあらギ、りけむ、はかなき人の一五男が何かの事情で、思うよう に訪ねてやれなかったのだろう。 こと 言につきて、人の国なりける人につかはれて、もと見し人の前にいで来て、も女は男の心を見通せなかった。 一六人の甘言に乗り地方に下った。 の食はせなどしけり。夜さり、「このありつる人たまへ」とあるじにいひけれ宅夜になってから。饗宴も時刻 が移り時分を見計って言う。塗籠 本はこの前に「長き髪を絹の袋に ば、おこせたりけり。男、「われをばしらずや」とて、 ずり 入れて ( 給仕の用意 ) 、遠山摺の長 さく、らばな き襖 ( 田舎じみた様子 ) をそ着たり いにしへのにほひはいづら桜花こけるからともなりにけるかな ける」とあり、女の零落を示す。 いづら」は「いづこ」よりも漠 といふを、いとはづかしと思ひて、いらへもせでゐたるを、「などいらへもせ天 然とした方向・場所をさす。動詞 「こく」は、むしり取る、の意。「こ 語ぬ」といへば、「涙のこばるるに目も見えず、ものもいはれず」といふ。 けるから」とは花をこき落したあ 物 一九 との、何の見所もない幹をいう。 勢 これやこのわれにあふみをのがれつつ年月経れどまさりがほなき 伊 一九「これやこの」は「これがまあ きめ ・ : なのか」の意で、「まさりがほな しっちいぬらむともし といひて、衣ぬぎてとらせけれど、捨てて逃げにけり。 ) き ( 人 ) 」が応する。「逢ふ身」に「近 江」を掛け、遠国流離を示すか。 らす。 おとづ 一セ としつきふ なみ あを

8. 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記

1 一 = ロ 下心でもあるかと不自然に感じた。 また、或人よめり。 一四京を発って行った時よりは帰 って来る時の方が、人は何かと親 桂川わがこころにもかよはねど同じ深さにながるべらなり 切にしてくれるものだ。財産を当 てにする者の多いことへの批判。 京のうれしきあまりに、歌もあまりぞ多かる。 一五夜になるのを待って。 一六「世の中はなにか常なるあす 夜ふけて来れば、所々も見えず。京に入り立ちてうれし。家に至りて、 ふち か川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」 あか 、とよくありさま見ゅ。聞きしよりもまして、いふかひ ( 古今・雑下読人しらす ) 。 入るに、月明ければ、し 宅桂川はわたしの心の中にも流 なかがき ゃぶ かよ なくぞこばれ破れたる。家に預けたりつる人の心も、荒れたるなりけり。中垣れ通っているわけではないけれど、 わたしが恋しく思っていた心と同 こそあれ、一つ家のやうなれば、望みて預かれるなり。さるは、便りごとに物じ深さで、今も流れているようだ。 一〈家に託してあった留守番の人 こわだか こよひ も絶えず得させたり。今夜、「かかること」と、声高にものもいはせず。いとの心も家と同様にすさんでいるの であった。家がどんな状態になる か、留守番の心にそれを託してあ はつらく見ゆれど、志はせむとす。 ったが、よく分ったという皮肉。 いっとせむとせ さて、池めいてくばまり、水つける所あり。ほとりに松もありき。五年六年一九先方が希望して。不満の語気。 ニ 0 だが、ついでのある度に。 己のうちに、千年や過ぎにけむ、かたへはなくなりにけり。今生ひたるそまじれ = 一大声で言うこともさせない。 一三出発時に生えていた松が五、 日 おほかた 佐る。大方のみな荒れにたれば、「あはれ」とそ、人々いふ。思ひ出でぬことな六年のうちに樹齢の千年がたった のか、半分はなくなってしまった。 土 をむなご こひ ニ三どんなに悲しいことか く、思ひ恋しきがうちに、この家にて生まれし女子の、もろともに帰らねば、 ニ四同船の人もみな子供が寄り集 ふなびと いかがは悲しき。船人も、みな子たかりてののしる。かかるうちに、なほ悲し ちとせ 一八あづ たよ かど

9. 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記

で悲しく思うのである。「さへ」は すでにあるものの上に、さらに他 のものの加わる意を表す助詞。 九「春のかぎりの今日の日」は三 みそか 月晦日。「タ暮にさへ」は、その上 晦日も暮れようとしていることを いう。『後撰集』春下、読人しらず、 第三句、けふのまた」。 一 0 「消息」は便り。逢うことはも ちろん恋文さえもやることができ = 男が一人で口ずさむのである。 せうそこ 一ニ「棚なし小舟ーは、舟ばたに打 むかし、恋しさに来つつかへれど、女に消をだにえせでよめる。 ちつけた舟棚 ( 渡り板で、水夫が たな をぶね この上にあがって漕ぐ ) のない小 あしべこぐ棚なし小舟いくそたびゆきかへるらむしる人もなみ さな舟。「いくそたび」は幾度。 「しる人」とは女をさす。「なみ」は 形容詞「なし」の語幹に接尾語「み」 九十三たかきいやしき がついたもの。ないので、の意。 『古今集』恋四に類歌。 一七四ハー注一。 語むかし、男、身はいやしくて、いとになき人を思ひかけたりけり。すこし頼一 = ↓ 一四たぐいのない、高貴な女性。 物 一五本来身分違いで問題にならぬ 勢みぬべきさまにゃありけむ、ふして思ひ、おきて思ひ、思ひわびてよめる。 が、希望が持てそうな様子だった。 伊 一六『古今六帖』第五。「あふなあ あふなあふな思ひはすべしなぞへなくたかきいやしき苦しかりけり ふな」は、身分相応に。「なそへな く」は身分不相応をいう。 むかしもかかることは、世のことわりにゃありけむ。 九十一惜しめども むかし、月日のゆくをさへ嘆く男、三月つごもりがたに ゅふぐれ をしめども春のかぎりの今日の日の夕暮にさへなりにけるかな 九十二棚なし小舟 九 よ なげ やよひ たの

10. 完訳日本の古典 第10巻 竹取物語 伊勢物語 土佐日記

子を、なにびとか迎へきこえむ。まさにゆるさむや」といひて、「我こそ死な三打消や反語と呼応して、「絶 対に : ・しない」。ここは反語の た め」とて、泣きののしること、いと堪へがたげなり。かぐや姫のいはく、「月「や」と呼応。絶対に許さない。 一三現実的な人間である翁は月の 一五ときあひだ ↓っち・はは の都の人にて父母あり。かた時の間とて、かの国よりまうで来しかども、かく世界を信ぜず、かぐや姫が月世界 へ帰ることを死ぬこととして受け ちちはは この国にはあまたの年を経ぬるになむありける。かの国の父母のこともおばえ取っていたので、自分の方こそ死 にたい、と言っているのである。 ず。ここには、かく久しく遊びきこえて、慣らひたてまつれり。いみじからむ一四月の都の人として。 一五人間世界の「あまたの年」が天 こ、一ち 心地もせず。悲しくのみある。されど、おのが心ならずまかりなむとする」と上界の「かた時」にあたる。浦島説 話と同じである。 いひて、もろともにいみじう泣く。使はるる人も、年ごろ慣らひて、立ち別れ一六『日本書紀』の古訓は「逍遥」を 「アソビ」と読む。この人間世界へ 一九 なむことを、心ばへなどあてやかにうつくしかりつることを見慣らひて、恋し来たのも、天人としては「かた時」 の「逍遥」なのである。 なげ ゆみづ 宅月へ帰るのがうれしいという からむことの堪へがたく、湯水飲まれず、同じ、いに嘆かしがりけり。 気持もしない。 みかどきこ このことを、帝、聞しめして、たけとりが家に、御使っか天「嘆かしがりけり」に続く。 三 0 〕帝、姫の昇天を確 一九現代語と違って、かわいらし かめさせる かった、の意。 はさせたまふ。御使に、たけとりいであひて、泣くことか 語 ニ 0 一四ハー一一行目の「翁、年七 ひげ あま 物 十に余りぬ」と矛盾するが、文脈 ぎりなし。このことを嘆くに、鬚も白く、腰もかがまり、目もただれにけり。 取 ニ 0 から見ると両者とも誤写とは言い 竹おきなことし ・カ学 / し 。この物語の複雑な成立過 翁、今年は五十ばかりなりけれども、物思ひには、かた時になむ、老いになり 程を反映したものであろう。↓解 おほ おきな にけると見ゅ。御使、仰せごととて、翁にいはく、「『いと心苦しく物思ふなる説九三ハー た ひさ へ な な みな おほんつかひ 一八