( 現代語訳八一ハー ) セ「さ」は、今までの求婚譚をう ける。そのようにして、の意だが、 このように書かれてしまうと、五 人の求婚者の話はかぐや姫のすば らしさを世間に知らせる役割をは たすことになってしまう。 かぐや姫、帝の召しに応ぜず昇天す ないしのじよう ^ 掌侍。天皇の近くに仕え、 そうせい 奏請・伝宣などを司る役。 みかど さて、かぐや姫のかたちの、世に似ずめでたきことを、帝九「て」を介して連用修飾。多く の人が身をほろばすほどに求めて きこ ないしなかとみ おほ 聞しめして、内侍中臣のふさ子にのたまふ、「多くの人のも結婚しないかぐや姫。 一 0 「と」は「見て参れ」に続く。 み 身をいたづらになしてあはざなるかぐや姫は、、かばかりの女そと、まかりて、 = 竹取の家において。 三帝の使者が女性であるために、 見て参れーとのたまふ。ふさ子、うけたまはりて、まかれり。 今までと違って嫗が応対したので ある。 しゃうい おうな ないし 一三帝の仰せ言に。以下、帝の言 たけとりの家に、かしこまりて請じ入れてあへり。嫗に、内侍ののたまふ、 葉は直接話法とも間接話法ともっ かぬ形で書かれている。 しかぐや姫のかたち、優におはすなり。よく見て参るべきよし、 一四形容動詞「優なり」の連用形。 のたまはせつるになむ、参りつる」といへば、嫗「さらば、かく申しはべらむ」やさしく、しとやかなこと。「お 語 はす」という尊敬語は内侍の立場 からのもの。 取といひて、入りぬ。 一五「申す」は、身分の低い人から 竹 おほんつかひたいめん かぐや姫に、嫗「はや、かの御使に対面したまへ」といへば、かぐや姫、高い人に言う場合に用いる。嫗は かぐや姫を高く扱っている。 「よきかたちにもあらず。いかでか見ゅべき」といへば、嫗「うたてものたま一六相手に見られる、の意。 「仰せごとこ、 〔一六〕帝、かぐや姫に執 しうれしきことをば、「かひあり」とはいひける。 おほ よ ひと
大将藤原常行という人がいらっしやった。当日のご法要に でも右の馬の頭であった人の歌を、石の青い苔を刻んで、 やましなぜんじみこ 参詣なされての帰りに、山科の禅師の親王がいらっしやる蒔絵模様ふうに石面に彫りつけて、献上した。その歌は、 山科の御殿、そこは、滝を落したり、水を流したりして、 あかねども岩にぞかふる色見えぬ心を見せむよしのな ければ 趣深くお造りになっているが、その御殿に参上なされて、 ( 十分ではございませんが、私の志を岩にかえて献上いたし 「長年、よそながらお仕え申してはおりますが、まだお側 ます。外にはあらわれません私の心を、お見せしようがござ 近くはお仕え申してはおりません。今宵はここに伺候いた いませんので ) します」と申しあげなされた。親王はお喜びになって、常 行の寝所の用意をおさせになった。ところが、例の大将、 と詠んだのであった。 人々のいるところへ出てきて、工夫をおめぐらしなさるに 七十九千ひろあるかげ は、「お勤めのはじめに、ただこれといってすることもな おんうぶや よしすけ ありわらし くてよいものか。三条の父良相邸に行幸があったとき、紀 昔、在原氏のなかに親王がお生れになった。御産屋の祝 ちさと 、人々が歌を詠んだ。親王のお祖父様側の翁がこう詠 伊の国の千里の浜にあった、とても趣ある石を人が献上し んだ。 てきたことがある。それは行幸の後に献上してきたので、 みぞ す かどち わが門に千ひろあるかげを植ゑつれば夏冬たれかかく そのままある人のお部屋の前の溝の所に据えておいたが、 れざるべき 庭園がお好きな宮様だから、この石を献上しよう」とおっ みずいじんとねり ちひろ 語 ( この親王がご誕生になったからには、わが家の門に千尋の しやって、御随身や舎人に命じて、石を取りにお遣わしに 物 高さの、大きな陰を作る木を植えたと同然、わが一門、木陰 勢なった。いくらもたたぬうちに持ってきた。この石は実物 伊 が夏につけ冬につけ日ざしゃ雪をふせぐように、つねに、だ を目にすると、聞きおよんでいた以上にすぐれて見えた。 れがおかげをこうむらないものがあろうか ) これをなにも趣向をこらさずに献上したならつまらないだ さだかず ろう、とお思いになり、人々に歌をお詠ませになる。なか この親王は貞数の親王である。そのころの人は、中将業平 まきえ なりひら
たまへ。あまたの人の心ざしおろかならざりしを、むなしくなしてしこそあれ。一従うということは。「む」は連 体形。下に体一一こと」が省略され みかど おきな きのふけふ 昨日今日、帝ののたまはむことにつかむ、人聞きやさし」といへば、翁答へてて主格になっている。 ニ「やさしは、現代語の「恥す みいのちあやう かしい」に相当する。 物いはく、「天下のことは、とありとも、かかりとも、御命の危さこそ、大きな 三あの娘。 竹 る障りなれば、なほ仕うまつるまじきことを、参りて申さむ」とて、参りて申四「見つけたる子にてあり」の省 わらは おほ つか 三心の傾向。心のあり方。 すやう、翁「仰せのことのかしこさに、かの童を参らせむとて仕うまつれば、 六「奏す」だけでも、帝に奏上す みやづか 『宮仕へにいだしたてば死ぬべし』と申す。みやっこまろが手にうませたる子ることだが、「さす」がつくと、さ らに謙譲の意が加わる。 セ諸本「山もとちかくなり」とあ にてもあらず。昔、山にて見つけたる。かかれば、心ばせも世の人に似ずはべ るが、「く」は「ゝ」の誤写と見た。 そう 「山もとちかゝなりは「山もと近 り」と奏せさす。 かンなり」と読む。「なりは伝聞 ちか 推定の助動詞である。山の麓に近 帝仰せたまはく、「みやっこまろが家は山もと近かなり。 宅〕帝、かぐや姫を見 いそうだね。 ハかりみゆき みかりみゆき る ^ 「御狩」「御幸」「たまはむ」は 御狩の御幸したまはむやうにて見てむや」とのたまはす。 いずれも自敬表現である。 九 みやっこまろが申すやう、「いとよきことなり。なにか。、いもとなくてはべら九いや、なあに。 一 0 諸本「御覧せん」とあるが、 みかど むに、ふと御幸して御覧ぜば、御覧ぜられなむ」と奏すれば、帝、にはかに日「ん」は「者」をくずした「は」の誤写 と考えて改訂した。 ひかり を定めて御狩にいでたまうて、かぐや姫の家に入りたまうて、見たまふに、光 = 「られ」は可能の助動詞の連用 ノ′ 0 そで おば 三光るのは最高の美の表現。 満ちてけうらにてゐたる人あり。これならむと思して、逃げて入る袖をとらへ ロ ニロ み てんか みゆき みかどおほ 五 おほ 略形。
きよう 三すこしも。現代語の「もっと 「をかしきことにもあるかな。もっともえ知らざりけり。興あること申したり」 も」とは意味が異なる。 をのこ あななひ す とのたまひて、まめなる男ども二十人ばかりつかはして、麻柱にあげ据ゑられ一三前ハーにもあったが、忠実な、 をのこ の意。「男」は召使。 一四『名義抄』『新撰字鏡』は、「麻 柱」と書いて「アナナヒ」と読んで との たま こやすかひ いる。高い所へのばるための足場。 殿より、使ひまなく賜はせて、「子安の貝取りたるか」と問はせたまふ。燕 ごてん も、人のあまたのばりゐたるに怖ぢて巣にものばり来ず。かかる由の返りごと一五御殿。中納言の邸である。 おおいづかさ 一六大炊寮で倉の番人をしている おば 一六つかさ を申したれば、聞きたまひて、「いかがすべき」と思しわづらふに、かの寮のというイメージでつけた名前。登 場人物の多くに名をつけるのが、 くわんにん おきな こやすがひ おば 官人くらつまろと申す翁申すやう、「子安貝取らむと思しめさば、たばかりまこの物語の方法。 宅中納言のような身分の高い人 おほんまへ ひたひあは むか は、ふつう、くらつまろ程度の人 うさむーとて、御前に参りたれば、中納言、額を合せて向ひたまへり。 とは直接話をしないのだが、目的 つばくらめこやすがひ あ くらつまろが申すやう、「この燕の子安貝は、悪しくたばかりて取らせたまのためには、そのようなことは言 っていられなかったのである。 ふなり。さては、え取らせたまはじ。麻柱におどろおどろしく二十人の人のの あななひ ばりてはべれば、あれて寄りまうで来ず。せさせたまふべきゃうは、この麻柱天離れて。 語 ニ 0 一九こわすこと。なお、「こほっ」 しりぞ あらこ のす つなかま 取をこほちて、人みな退きて、まめならむ人一人を、荒籠に乗せ据ゑて、綱を構の「ほ」は清音。「こばっ」と読むの はよ / 、ない 竹 あひだ へて、鳥の子うまむ間に、綱を吊り上げさせて、ふと子安貝を取らせたまはむニ 0 綱をその籠につけ、体勢をと とのえて。 ちゅうなごん なむ、よかるべき」と申す。中納言のたまふやう、「いとよきことなり」とて、三すばやいさま。さっと。 0 つかひ よ お あななひ こやすがひ と よしかへ つばくらめ
おきな いと思いますよ ) 翁がお仕え申しあげた。幾日かたって、親王は京の宮殿に 親王は水無瀬にお帰りになって離宮におはいりになった。 お帰りなされた。馬の頭はお送りして早く帰ろうと思った 一しゅ おぼしめ 夜が更けるまで酒を飲み、お話をして、主人の親王は、酔ところ、御酒を下され、ご褒美を下さろうとの思召しで、 語 物って寝所におはいりなさろうとする。ちょうど、十一日の お放しなさらなかった。この馬の頭はお許しが待ちどおし うまかみよ 勢 く、いせいて、 月も山の蝌に隠れようとするので、あの馬の頭が詠んだ。 伊 まくら よ 枕とて草ひきむすぶこともせじ秋の夜とだにたのまれ その歌、 あかなくにまだきも月のかくるるか山の端にげて入れ かりね ずもあらなむ ( 今夜は、枕として草を引き寄せてむすぶ旅の仮寝もいたし よなが ( もっと眺めていたいと思うのに、はやくも月が山の端に隠 ますまい。短夜の春ですから、秋のようにせめて夜長を頼み れるのですか。山の端が逃げ去って、月を入れないようにで にして、ゆっくりすることさえもできません。すぐに夜が明 もしてほしいものですね ) けてしまいますので ) きのありつね やす 親王におかわり申して、紀有常が返しの歌を詠む、 と詠んだ。時節は三月の末であった。親王はお寝みになら ここの短夜をお明かしなされたのだった。このよ おしなべて峰もたひらになりななむ山の端なくは月もず、歓談冫 うにしては参上しお仕え申しあげたのに、思いがけなく、 入らじを はいえっ いただき ( 突き出ている山の頂がみんな平らになってしまってほしい 出家なさってしまった。正月に拝謁申しあげようとして、 ふもと ものです。山の端がないのなら月もはいりますまいからね ) 小野に参上したところ、比叡の山の麓なので、雪がたいそ あんしつ う高く積っている。雪の中をおしてご庵室に参上して拝顔 野 八十三 し申しあげると、親王はなさることもなくばうぜんと悲し これたかみこ 昔、水無瀬の離宮にお通いになった惟喬の親王が、いっげなごようすでいらっしやったので、少々時を過して伺候 たかがり うまかみ ものように鷹狩をしにおいでになるお供に、馬の頭だった して、昔のことなど思い起してお話し申しあげた。そのま おの みじかよ ひえ ほうび
一諸本「こほしーとあるが、「ち」 麻柱をこほち、人みな帰りまうで来ぬ そうたい の草体を「志 ( し ) 」の草体に誤った つばくらめ ョ。いかなる時にか子うむと知りて、と考えて改訂した。 中納言、くらつまろにのたまはく、「燕ま、 語 ニ「さ」は「尾を捧げて七度めぐ つばくらめ 物人をば上ぐべき」とのたまふ。くらつまろ申すやう、「燕子うまむとする時る」こと。そのようにして。 三底本に「七と」とあるので、 しちど 竹 「ナナタビ」とは読まなかった。 は、尾を捧げて七度めぐりてなむうみ落とすめる。さて七度めぐらむをり、引 四「ひそかに」と同じ。 きあげて、そのをり、子安貝は取らせたまへ」と申す。中納言よろこびたまひ五召使。 六くらつまろとの会話をここで て、よろづの人にも知らせたまはで、みそかに寮にいまして、男どもの中にまもう一度総括したのである。 セ自分の着ている着物を脱いで よるひる 禄にあてるのが、当時は最高の待 じりて、夜を昼になして取らしめたまふ。 遇である。「かづく」は上から被る くらつまろのかく申すを、いといたくよろこびて、のたまふ、「ここに使は意。禄として衣を賜ったとき、肩 にかけて御礼の拝舞をするところ から、こ , つい , つよ , つに . なった。 るる人にもなきに、願ひをかなふることのうれしさ」とのたまひて、御衣ぬぎ ^ もう一度。「まうで来」に掛か つかさ てかづけたまうつ。「さらに、夜さり、この寮にまうで来」とのたまうて、つる。 九敬語を用いていることによっ て、主語がなくても、中納言のこ かはしつ。 とであることがわかる書き方。 つかさ九 一 0 くらつまろが言ったように。 日暮れぬれば、かの寮におはして見たまふに、まことに ニ五〕子安貝を取ろうと 「まことに」は、先に誰かが述べた つばくらめ して失敗 燕巣つくれり。くらつまろの申すやうに尾浮けてめぐることを受けていう。 = 上へあげて。「浮け」は下二段 つばくらめ あらこ の他動詞「浮く」の連用形。 に、荒籠に人をのばせて、吊り上げさせて、燕の巣に手をさし入れさせてさ あななひ一 ささ ねが ひく 0 四 つかさ 五 をのこ ひ ろく かぶ
おきな 鳴らしなどするに、翁、いでて、いはく、「かたじけなく、穢げなる所に、年一諸本「申も , とあるが、「申は」 の誤写として改訂した。 月を経てものしたまふこと、きはまりたるかしこまり」と申す。 ニ前ハーの「ゆかしき物を見せた まへらむに」が省略されている。 いのちけふあす 三「『人の御恨みもあるまじ』と 物翁「翁『翁の命、今日明日とも知らぬを、かくのたまふ君達にも、よく思ひさ いふーといふ・ : とあってよいとこ つか おとまさ 竹 だめて仕うまつれ』と申せば、姫『ことわりなり。いづれも劣り優りおはしまろであるが、「いふ」が一つ省略さ れたと見ておく。 かわやしろ さねば、御心ざしのほどは見ゅべし。仕うまつらむことは、それになむさだむ四契沖の『河社』や大秀の『解』が 引く、『西域記』『南山住持感応伝』 うら べき』といへば、翁『これよきことなり。人の御恨みもあるまじ』」といふ。 『水経注』などがいうように、釈迦 が成道の時に用いた鉢で、光を発 していたらしい 五人の人々も、「よきことなり」といへば、翁入りていふ。かぐや姫、「石作 五『列子』の「湯問第五にいうよ はち たま の皇子には、仏の御石の鉢といふ物あり。それを取りて賜へ」といふ。姫「く うに、渤海の東にあったという想 像上の仙島。そこに生育している ひんがし ほうらい しろかね 、 ) が。ね らもちの皇子には、東の海に蓬莱といふ山あるなり。それに、銀を根とし、金草木は金や玉でできていたという。 六求婚者が三人であった原型の を を茎とし、白き玉を実として立てる木あり。それ一枝折りて賜はらむ」といふ。名残をとどめている。↓解説九五 もろこし ひねずみかはぎめ おほともだいなごん たっくび わみようしよう しんいき 姫「いま一人には、唐土にある火鼠の皮衣を賜へ。大伴の大納言には、龍の頸セ『和名抄』は『神異記』を引いて、 汚れても火で焼くと汚れだけが焼 1 、しき いそのかみちゅうなごん つばくらめも に五色に光る玉あり。それを取りて賜へ。石上の中納言には、燕の持たる子けてきれいになるとその特性を述 べている。 おきなかた 〈『荘子』雑篇に記述がある。 安の貝取りて賜へ」といふ。翁、「難きことにこそあなれ。この国に在る物に さんさいずえ 九『三才図会』に示されている石 もあらず。かく難きことをま、 。いかに申さむ」といふ。かぐや姫、「なにか難燕のことか。安産のお守に用いら ロ 1 = ロ やすかひ くき へ 四 み つか きたな たま あ いしつくり ジ ばっかい
43 竹取物語 奉れ。顔かたちよしと聞しめして、御使賜びしかど、かひなく、見えずなり一 = 次の「賜びしかど」とともに、 自らの動作を尊敬していう自敬語。 な おほ おきな にけり。かくたいだいしくやは慣らはすべき」と仰せらるる。翁、かしこまり翁のような身分の低い者に帝が直 接話しかけることはないから、仲 わらは みやづか て、御返りごと申すやう、「この女の童は、絶えて宮仕へつかうまつるべくも介者の敬意が入り込んだとも解し 得るが、五〇ハー五行目の「一目見 おほたま あらずはんべるを、もてわづらひはべり。さりとも、まかりて仰せ賜はむ」とたまひし御心にだに忘れかむぬ に」のように、仲介者がいなくて そう おほ おきな も敬語が用いられている例もある 奏す。これを聞しめして、仰せたまふ、帝「などか、翁のおほしたてたらむも ので、自敬語と見るべきであろう。 おきな一六 のを、、いにまかせギ、らむ。この女、もし、奉りたるものならば、翁にかうぶり一三見ることができなくなってし じゅだい まった、すなわち、入内させてそ ばにおけなくなってしまった。 を、などか賜はせざらむ」。 一四はかばかしく進まぬことを不 おきな かた 翁、よろこびて、家に帰りて、かぐや姫に語らふやう、「かくなむ帝の仰せ快に思う意。 一五ご命令を拝受させましよう。 たまへる。なほやは仕うまつりたまはぬ」といへば、かぐや姫答へていはく、 二四ハー一行目の「わろき家子に賜 みやづか はせむ」と同じ用法。 「もはら、さやうの宮仕へつかまつらじと思ふを、しひて仕うまつらせたまは 一六叙爵する。五位になって貴族 みつかさかうぶり おきな ば、消え失せなむず。御官冠仕うまつりて、死ぬばかりなり」。翁いらふるの列に加わること。 か、つゅの・ 宅まったく・ : ない。 ゃう、「なしたまひそ。冠も、わが子を見たてまつらでは、なににかせむ。さ 一〈「消え失せなむとす」の約。 一九あなたの官職と位階のために はありとも、などか宮仕へをしたまはざらむ。死にたまふべきゃうやあるべ 奉仕して、それから死ぬだけです。 き」といふ。かぐや姫「なほそらごとかと、仕うまつらせて死なずやあると、見「仕うまつりて」は翁に対する謙譲 たてまっかほ おはんかへ う・ たま つか きこ め おほんつかひた こた みかどおほ
さは みなづきて しはす 一雪が降り、氷がはるのである。 十二月の降り凍り、六月の照りはたたくにも、障らす来たり。 ・ 4 ニ「六月」は、現在の七月から八 むすめ をが この人々、在る時は、たけとりを呼びいでて、「娘を我に賜べ」と、伏し拝月。最も暑い時節 語 三日が照り、雷が鳴りとどろく。 物み、手をすりのたまへど、翁「おのが生さぬ子なれば、、いにもしたがはずなむ 0 最後には結婚させないことが あろうか、必ずさせるはずだ。 竹 「やは」は反語。 ある」といひて、月日すぐす。かかれば、この人々、家に帰りて、物を思ひ、 五相手を思っていること。愛情 ぐわん を持っていること。 祈りをし、願を立つ。思ひ止むべくもあらず。「さりとも、つひに男あはせざ 六直訳すると「相手に見られる 六 あり ように行動する」、つまり「相手に らむやは」と思ひて頼みをかけたり。あながちに、心ざしを見え歩く。 九 見せるように行動する」。「見ゅ」 ほとけへんぐゑ おきな は「見える」「見られる」の意があ これを見つけて、翁、かぐや姫にいふやう、「我が子の仏、変化の人と申し るが、ここは後亠旧。 一 0 ながら、ここら大きさまでやしなひたてまつる心ざしおろかならず。翁の申さ セ「いふやう、『 : ・』といへば」と なに′ ) と 「いふ」を二つ重ねるのは古めかし むこと、聞きたまひてむや」といへば、かぐや姫、「何事をか、のたまはむこ い表現。「やう」は「こと」の意。 へんぐゑ とは、うけたまはらざらむ。変化の者にてはべりけむ身とも知らず、親とこそ ^ 「仏」は最高のものゆえ、こう 言う。四七ハーの「あが仏」も同じ。 うれ 九『宇津保物語』藤原の君の巻に 思ひたてまつれ」といふ。翁、「嬉しくものたまふものかな」といふ。翁「翁、 「この御族は、ただ人におはしま あま さず。変化の者なり。天人のくだ 年七十に余りぬ。今日とも明日とも知らず。この世の人は、男は女にあふこと りて生みたまへるなり」とあるよ のち をす。女は男にあふことをす。その後なむ門広くもなりはべる。いかでかさるうに、神仏などが仮に人間の姿に 化現している者。 ことなくてはおはせむ」。かぐや姫のいはく、「なんでふ、さることかしはべら一 0 「ここら」は量の多い形容。 あ つきひ たの や かど わ 五 た 四 をとこ ふ
け、姫の家へ行って、たたすみ歩くのだが、ききめがあり ととおりではありません。このじじいの申しますこと、な そうにもない。恋文を書いて送るのだが、返事もない。 もんとか聞いてくださいましようか」と一言うと、かぐや姫は、 うどうにもならぬと苦しい心を歌に吐露して送るのだが、 「おっしやることは、どんなことでも、うけたまわらない やはりききめがない。だから、何をしてもききめがないと ことがありましようか。変化の者でありますとかのわが身 思うものの、あきらめもせず、十一月、十二月の雪が降りのほどをも考えず、親とばかり思い申しておりますのに」 かみなり 氷がはるときにも、六月の真夏の太陽が照りつけ雷がはげ と一一一一口う。翁、「うれしがるようにおっしやるね」と言う。 しく鳴りとどろくときにも、休まずにやってきている。 また翁が「じじいは、もう七十歳をこえてしまった。命の きよう あす この人々は、やってきては、竹取の翁を呼び出して、 ほどはムフ日とも明日ともわからない 。この世の中の人は、 「娘を私に下さい」と、伏し拝み、手をすりあわせておっ 男は女と結婚する。また女は男と結婚する。そうしたのち しやるが、翁は、「私がつくった子でないのだから、思う に一門が繁栄するのです。どうして結婚をせずにいらっし とおりにはならないでおります」と言って、そのまま月日 やってよいでしよ、つか」と一一一戸つ。かぐや姫の一一一戸っことには、 をすごしている。こんな状態だから、この人々は、家に帰「どうしてまた、結婚などをするのでしようか」と一言うと、 がん へんげ って、物思いにふけり、神仏に祈り、願をかける。しかし、翁は「変化の人といっても、あなたは女の身を持っていら 姫にたいする思いはおさまりそうにもない。「だからとい っしやる。もっとも、このじじいのいる間は独身のままで って、一生涯結婚させないことがあろうか」と思い、やは もいらっしゃれましょ , つ。しかし、いまにど , つにもならな 語り期待している。そして、ことさらに、姫にたいする切な 、つも、このよ くなります。この五人の人々が、長い尸し 物 る心を見せるようにして歩きまわる。 うにおいでになっておっしやることをよく判断し、その中 取 竹これを見つけて、翁が、かぐや姫に言うには、「私のた のお一人に結婚してさしあげなさい」と一一一一口うと、かぐや姫 ようばう いせつな人よ。あなたは変僊の人とは申しますけれども、 の言うには、「私の容貌が美しいというわけでもないので 大変な大きさになるまで養い申しあげている私の気持はひすから、相手の愛情の深さを確かめもしないで結婚して、 せつ