った。女車があったが、それに、なにかと興ありげな言葉 2 など言いかけて、「お住いはどこですか」と言ったところ、 女はこう詠んだ。 語 いへくもゐ 物 わが家は雲居の峰したかければ教ふとも来むものなら 勢 伊 ( 私の家は雲のかかっている空高い山の上にありますので、 お教えしましても、おいでになれる所ではございませんの 男は、 かりそめにそむる心し深ければなどか雲居もたづねざ るべき ( ほんのひとときお見うけして、染みついた私の恋心は深い ものですから、どうして雲のかかっている所でもたずねない ことがあり↓しょ , つか ) と詠んで、別れてしまった。 異五中空 昔、男が、ある女にこっそり逢って通ったところ、この 男に対してその女が、こう詠んだ。 なかぞら 中空にたちゐる雲のあともなく身のはかなくもなりぬ かよ べきかな ( 空の中ほどに止まっている雲が、あとかたもなく消え去る ように、私の身も、はかなく、この世を去ってしまいそうで す ) 異六時雨 昔いた色好みであった女が、自分にいやけがさしてきた 男のところへ、こう詠んでやった。 しぐれ 一とは いまはとてわれに時雨のふりゆけば言の葉さへぞうつ ろひにける ( いまは秋の時節、私の身に、あなたの飽きがきて、時雨が 降っては木の葉が落ちるように、私も古びてゆきますよ。だ から愛の固めのお言葉までが、色あせてしまいました ) 返しの歌、 人を思ふ心の花にあらばこそ風のまにまに散りもみだ れめ ( あなたを思う私の心が実のあるものではなく、うつろいや すい花のようでありますならば、それこそ風の吹くのにした がって、散っては乱れることでしよう。そんな心ではありま せんよ ) じっ
、 ) とは 思はずはありもすらめど言の葉のをりふしごとに頼まるるかな 一男の詠んだ歌。「思はずは」は、 LO 思わないで。「ずは」↓一二七ハー注 一七。「思ふ」の主語は女、「言の葉」 語 も女の言葉、「をりふし」の「ふし」 五十六草の庵 物 はある箇所で言葉の端の意を含む。 勢 「るる」は自発の意の助動・る」の 伊むかし、男、ふして思ひおきて思ひ、思ひあまりて、 連体形。女の手紙を期待する。 くさぶき ニ「草のいほり」は、田野の草葺 わが袖は草のいほりにあらねども暮るれば露のやどりなりけり の小屋。「草」の縁で「露のやどり」 と見、袖が露の置く所となるとは、 涙で袖が濡れることをいう。 三「もの」を思った。「もの」は、 五十七恋ひわびぬ ある事柄、ここは恋をさす。 四すげないそぶりをする女。 むかし、男、人しれぬもの思ひけり。つれなき人のもとに、 五第二・三句は「われから」の序 詞。「われから」は甲殻類の節足動 五 恋ひわびぬあまの刈る藻にやどるてふわれから身をもくだきつるかな 物。海藻の中にすむ虫。乾くにつ われから れ殻が割れるため割殻と称すとい う。「自分から」の意を掛ける。 「てふ」は「といふ」の融合したもの。 五十八荒れたる宿 六興趣あることに心が動き、色 めかしい行いを好む男をいう。 むかし、心つきて色好みなる男、長岡といふ所に家つくりてをりけり。そこ セ京都府向日市辺の地。延暦三 年 Q 八四 ) 平城京より遷都、長岡京 のとなりなりける宮ばらに、こともなき女どもの、ゐなかなりければ、田刈らができたが、同十三年 Q 九じ平安 京に遷都し、「ゐなか」となる。 むとて、この男のあるを見て、「いみじのすき者のしわざや」とて、集りて入 ^ 「宮ばら」は宮様方。「ばら、は そで 六 ながをか 四 九か
後へ退きに退きて、ほとほとしくうちはめつべし。楫取りのいはく、「この住忘れようとしても忘れられない亡 き子に対する情を巧みに描く みやうじん 一七 しり 一五「後」は名詞。「へ」は助詞。 吉の明神は、例の神そかし。ほしき物そおはすらむ」とは、今めくものか。さ 一六危なく船を沈めてしまいそう たいまっ ぬさたてまったま たいまっ だ。「はめ」は下二段活用の「はむ」 て、「幣を奉り給へ」といふ。いふに従ひて、幣奉る。かく奉れれども、もは の連用形。水中に落し込む。 や かぜなみあやふ 宅例の欲ばりの神様。神が風波 ら風止まで、いや吹きに、いや立ちに、風波の危ければ、楫取りまたいはく、 を立て、物を奉れば静まると信じ みこころ みふね 「幣には御心のいかねば、御船もゆかぬなり。なほ、うれしと思ひ給ぶべき物られていた。 ニ 0 天物ほしげな態度を示し続ける まなこ たいまった 奉り給べ」といふ。また、いふに従ひて、「いかがはせむ」とて、「眼もこそ船頭ばかりでなく、神様までが欲 ばりとは、なんと当世風なことか。 めさ 二つあれ、ただ一つある鏡を奉る」とて、海にうちはめつれば、口惜し。され一九幣ではご満足がいかぬから御 船もゆかぬのです。船頭のしゃれ。 ニ 0 『宇津保物語』国譲下「目もこ ば、うちつけに、海は鏡の面のごとなりぬれば、或人のよめる歌、 ひとところ そ二つあれ、ただ一所を親君と頼 み奉る」。当時のことわざか。大 ちはやぶる神の心を荒るる海に鏡を入れてかつ見つるかな 切な目でさえ二つあるのに、ただ すみのえ ひめまっ 一つしかない鏡を奉納します。 いたく、住江、忘れ草、岸の姫松などいふ神にはあらずかし。目もうつらうつ 三荒れる海に鏡を投入れて風波 みこころ の静まるのを祈る一方で、神の本 己ら、鏡に神の心をこそは見つれ。楫取りの心は、神の御心なりけり。 ニ = ロ 心を鏡に映してついでに拝見した。 日 一三住吉には決り文句になってい 佐 すみのえ 土 る「住江」などと、優雅な言葉でご 大層に言う神ではないんだ。 ニ三この目ではっきりと。『万葉 集』四四四九に用例がある。 一九 京の家、預りの人 ぐさ おもて たいまっ くちを た
( 原文四一ハー ) これを聞いて、かぐや姫は、すこし気の毒にお思いにな 会いしなさい」と言うと、かぐや姫は、「私はすぐれた容 ちよくし った。そのことから、すこしうれしいことを「かい ( ひ ) 貌などではございません。どうして勅使に見ていただけま あり」と言うようになったのである。 しようか」と言うので、嫗は、「困ったことをおっしやる。 帝の御使いを、どうしておろそかにできましようか」と言 かぐや姫、帝の召しに応ぜず昇天す うと、かぐや姫の答えるには、「帝が召すようにおっしゃ ることは、恐れ多いとも思いません」と一言って、いっこ , っ 〔一六〕帝、かぐや姫に執このような事件によって、かぐや姫 に内侍に会いそうにもない。嫗も、平素は自分が産んだ子 ようばう たぐい の容貌の、世に類なく美しいことを、 のよ , つにしているが、このときばかりは、こちらが ~ 刄がね ないしなかとみ 帝がお聞きあそばされて、内侍中臣のふさ子におっしやる させられるぐらしし ) 、こそっけないようすで言うものだから、 には、「たくさんの人が身をほろばすまでにつくしても結自分の思いのままに強制もしかねる。 婚しないというかぐや姫ま、、 。しったいどれほどの女か、出 嫗は、内侍のいる所に帰ってきて、「残念なことに、 1 」うじようもの かけて見て来い」とおっしやる。ふさ子は、命令をうけた の小さい娘は、強情者でございまして、お会いしそうにも まわって、退出した。 ございません」と申しあげる。内侍は、「かならずお会い おきな 竹取の翁の家では、恐縮して内侍を招き入れてお会いすして来いとのご命令がありましたのに。お会いできぬまま おうな る。応待に出た嫗に、内侍がおっしやる、「帝のお言葉に、 では、どうして帰参いたせましようか。国王のご命令を、 語『かぐや姫の容貌がすぐれていらっしやるとのことだ。よ この世に住んでいられる人が、どうしてお受け申しあげな すじ 物 く見て参るように』とおっしやられたので、参りました」 さらないでいられましようか。筋の立たぬことをなさって 取 竹と言うと、嫗は、「それでは、姫にそのように申しましょ はいけません」と、相手が恥ずかしくなるほど強い言葉で う」と言って、姫のいる所へはいった。 言ったので、これを聞いて、なおさら、かぐや姫は承知す おんししゃ かぐや姫にむかって、嫗が、「はやく、あの御使者にお るはずもない。「国王のご命令にそむいたというのなら、 みかど
みかど ふかな。帝の御使をま、 。いかでかおろかにせむ」といへば、かぐや姫の答ふる一おろそかにできましようか ニ出仕させてお言葉をおかけに みかどめ なること。すなわち妻妃の一人と ゃう、「帝の召してのたまはむこと「かしこしとも思はず」といひて、さらに 語 して召すこと。 三恐れ多いこととも思わない。 物見ゅべくもあらず。うめる子のやうにあれど、いと心はづかしげに、おろそか 四圧倒されるように立派で。 竹 「心はづかし」は、嫗の心が恥ずか なるやうにいひければ、心のままにもえ責めす しくなること。 くちを をさな 嫗、内侍のもとに帰りいでて、「口惜しく、この幼き者は、こはくはべる者五強硬。強情。 六どうして・ : し得ようか。「あ ないし にて、対面すまじき」と申す。内侍、「かならず見たてまつりて参れと仰せごりなむや」という反語表現と呼応。 セ説明のできぬこと。 おほ とありつるものを。見たてまつらではいかでか帰り参らむ。国王の仰せごとを、 ^ こちらが圧倒されるような言 葉で。「はづかしく」は、言葉の受 け手が恥ずかしく感じること。 まさに世にすみたまはむ人のうけたまはりたまはでありなむや。いはれぬこと 九「ましては、今まで以上に、 なしたまひそ」と、一一一一口葉はづかしくいひければ、これを聞きて、まして、かぐの意。かぐや姫は強圧的な押しつ けにかえって反発する姿勢である。 ころ や姫聞くべくもあらず。「国王の仰せごとをそむかば、はや、殺したまひてよ一 0 私の言動が、国王のお一 = 。葉に そむいたことになるなら。「・ : を そむく」という表現に注意。↓三 かし」といふ。 一ハー六行目 よしそう みかどきこ この内侍、帰り参りて、この由を奏す。帝、聞しめして、「多くの人殺して 一一翁を召して命令を下達したの おば ける心ぞかし」とのたまひて、止みにけれど、なほ思しおはしまして、この女であるが、場面中心 ( この場合は 宮中 ) の書き方であるので、「召し おば おほ なんぢも のたばかりにや負けむと思して、仰せたまふ、帝「汝が持ちてはべるかぐや姫て」は省略されているのである。 六 おうなないし たいめん や おほ せ おほ
つなではやひ すみのえ ぬ先に、綱手早曳け ( お船からご命令だぞ。朝北風の吹いて来 今見てそ身をば知りぬる住江の松より先にわれは経に ぬうちに、綱をさっさと引け ) 」と言う。この言葉が歌みたい ( 今、緑の松を見て、初めてわが身のことがよく分った。千 なのは、船頭が自然に言った言葉なのである。船頭は必ず 年も経るという住吉の松よりも先に、白髪のわたしの方が年 しも、自分が歌のような文句を言うと思っているわけでも をとってしまったのだ ) ない。聞いている人が、「変だな。まるで歌みたいに言っ たものだな」と言って、文字に書いてみたら、ほんとに一一一その時に、亡くなった子の母が、一日一、時間も忘れないの 十一文字だったのだ。 で詠んだのは、 今日は、「波よ立つな」と、人々が一日中祈る効き目が 住江に船さし寄せよ忘れ草しるしありやと摘みてゆく あって、風波が起らない。ちょうど今、かもめが集って遊 ( 住吉の岸に船を寄せておくれ。亡くなった子のことを忘れ んでいる所がある。京が近づくうれしさのあまりに、あの 子供が詠んだ歌は、 る効き目があるかどうかと、忘れ草を摘んで行きたいから ) かギ、ま 祈り来る風間と思ふをあやなくもかもめさへだに波と とさ。全然忘れてしまおうというのではなくて、恋しい気 見ゆらむ 持をしばらく休めて、なおまた恋しがる力にしようという ( 祈りながらやって来たかいがあって、風のやみ間になった のであろう。 と思うのに、変なことに、なんでかもめみたいなものまでが、 こんなことを言って、物思いにふけりながらやって来る 1 一 = ロ 白い波のように見えるのだろう ) うちに、突然風が吹き出して、漕いでも漕いでも、後ろへ 日 佐と言って進んで行くうちに、石津という所の松原が美しく どんどん戻って行って、危なく船を沈めてしまいそうだ。 みようじん て、浜辺が遠く続いている。 船頭が言うには、「この住吉の明神は、例の神様ですよ。 すみよし 5 それからまた、住吉の辺りを漕いで行く。ある人の詠ん欲しい物がおありなんでしよう」とは、なんと当世風なこ だ歌よ、 とだ。そして、「幣を差し上げなされ」と言う。言うまま ぬさ っ へ
ことができなければ、家に帰ってくるな」とおっしやるの 〔三〕大納言、海難にあ派遣した家来は、大納言が夜も昼も である。各自、ご命令を拝誦して出発した。 待っていらっしやるのに、年が越え しかし、それは表向き、「龍の頸の玉を取ることができ ても連絡してこない。大納言は待ちどおしくなって、たい とねり なければ帰ってくるな」と、おっしやっているので、「ど そうこっそりと、舎人ただ二人を、召継ぎとして連れて、 なにわ っちでもよい、足の向いた方へ行ってしまおう」とか、 人目にたたぬ服装に身をおやっしになり、難波のあたりに いらっしやって、お尋ねになることには、「大伴の大納言 「こんな物すきなことをなさって ! 」とか、文句を言いあ っている。下賜されたものは、おのおので分けて取る。そ邸の家来が、船に乗って、龍を殺して、その頸にある玉を ろうきょ ふなびと して、ある者は自分の家に籠居し、ある者は自分が行きた取ったとは聞かないかね」とお問わせになると、船人が答 い所へ行く。「親や主君とは申しても、こんなふつごうな えて言うには、「ふしぎなお一言葉ですね」と笑って、「その ご命令は : : : 」と、事が事で、簡単にはこばぬゆえに、大ようなことをする船はまったくありません」と答えると、 納言をそしりあっている。 大納言は、「ばかなことを言う船人だなあ。何も知らない 「かぐや姫を妻に据えるには、ふだんのままでは見苦し であんなことを言っている」とお思いになって、「私の弓 い」と大納言はおっしやって、りつばな建物をお作りにな のカからすれば、龍がいたら、さっと射殺して、頸の玉を うるし まきえ って、漆を塗り、蒔絵をもって壁をお作りになり、建物の取ってしまえるだろう。おくれてやってくる家来どもなど、 上には、糸を染めていろいろの色彩に葺かせ、屋内のしつ待つまい」とおっしやって、船に乗り、龍をさがしにあち 語らいは、言葉で言いあらわせないほど豪華な綾織物に絵を こちの海をおまわりになるうちに、たいそう遠いことだが、 つくし 物 描き、柱と柱の間すべてに張ってある。前からいた妻たち筑紫の方の海にまで漕ぎ出しなさった。 取 はやて 竹は、大納言が、かぐや姫とかならず結婚するだろうと用意 ところが、どうしたことか、疾風が吹きだし、あたり一 ほんろう して、すでに別居していらっしやる。 面暗くなって、船を翻弄する。どちらの方角ともわからず、 ただもう海の中に投入してしまうほどに船を吹きまわし、 あやおりもの めしつ
と、 ~ 古しいこともなくなってしま , つ。腹立たしいこともま いしつくりみこ ぎれてしまうのである。 五人の貴人と第一の求婚者石作の皇子 おきな 語その後も、翁は、黄金のはいった竹を取ることが、長く 物 つづいた。だから富豪になったのである。この子がたいそ〔三〕求婚者、五人となふつうの人が問題にもせぬような意 取 みむろどいむべ まど る 竹う大きくなったので、御室戸斎部の秋田を招いて、名をつ 外な場所にまで心を惑わしつつ行っ けさせる。秋田は、なよ竹のかぐや姫とつけた。このとき、 てみるが、何のききめもありそうにみえない。家の人たち 三日間というものは、命名式を祝って、声をあげて歌をう に何か言うだけでもと思って、言葉をかけてみるが、相手 かんげん たい、管絃を奏する。あらゆる音楽を奏したのである。男は問題にしない。それでも近辺を離れぬ貴公子たち、相変 という男、だれでもかまわず招き集めて、たいそう盛大に らずそこで夜を明かし日を暮す者が多い。しかし、 う熱意のそれほどでもない人は、「むだな行動はつまらな 管絃を奏する。 みやづか - スびと いことだよ」と思って、しだいに来なくなったのである。 〔 = 〕貴公子たち争ってこの世に住む宮仕人は、身分の高い 求婚 そんななかで、依然として結婚を申し入れていたのは、 低いの区別なく、みな、「なんとか 当代の色好みといわれる者すべて五人、あきらめもせずに、 して、このかぐや姫をわが物にしたい、妻として見たい」 いしつくり 、つわさ と、噂に聞いて感じいって心を乱す。そこらあたりの垣根夜となく昼となく通ってきたのである。その名は、石作の あべのみうしだいなごんおおとものみ 皇子、くらもちの皇子、右大臣阿倍御主人、大納言大伴御 近くやら、家の門の近くやらに、仕えている人たちでもそ ゆき いそのかみのまろたり う簡単に見られようはずもないのに、夜は安眠もせず、見行、中納言石上麿足、この人々なのであった。 やみよ この人たちは、世尸 司にいくらでもいる程度の女でさえ、 えるはずもない闇夜にさえ出かけてきて、垣根に穴をあけ ようばう たりして、中をのぞき、うろうろしている。そのときから、すこしばかり容貌がよいという噂を聞くと、わが物にした がる人たちであったのだから、かぐや姫の評判を聞いて、 あの「よばい ( ひ ) 」という言葉ができたのである。 ただもう、わが物といたしたく、食う物も食わず思いつづ ( 原文一三ハー ) こがね ひと
字に様を書き出だして、ここの言葉伝へたる人に、いひ知らせければ、心をや一日本語を習得している人。 ニ説明して聞せたところ。 もろ、 ) し ことこと 聞きえたりけむ、いと思ひの外になむ賞でける。唐土とこの国とは、言異なる三意味を理解することができた のだろうか。 1 三ロ 四言語は違うものなのだが。 日ものなれど、月の影は同じことなるべければ、人の心も同じことにゃあらむ。 佐 五目に見る月の光は同じことで ある あるはずだから、人の感情も同じ 土さて、今、そのかみを思ひやりて、或人のよめる歌、 ことなのだろう。 六貫之の一行だけでなく、好天 みやこにて山の端に見し月なれど波より出でて波にこそ入れ 候を待っていた人々の船。 セ「おばろけならぬ」の意。並々 二十一日。卯の時ばかりに、船出だす。みな人々の船出づ。 〔九〕海賊の報復を恐れ、 ならぬ。 白くなる髪 これを見れば、春の海に秋の木の葉しも散れるやうにぞあ〈使ってもらおうと思ってつい て来る子供。国府からついて来た ぐわん りける。おばろけの願によりてにゃあらむ。風も吹かず、よき日出で来て、漕ので、いよいよ室戸岬をまわろう とするとき、感無量で歌った。 くわらは ふなうた 九はやしことば。帰ろうよ。父 ぎゅく。この間に、使はれむとて、つきて来る童あり。それがうたふ船歌、 母を慕う少年の気持にびったりだ。 ちちはは なほこそ、国の方は、見やらるれ、わが父母、ありとし思へば、かへらや。一 0 クロガモか。 = 「春の海に秋の木の葉しも散 れるやうにぞありける」とあった とうたふぞあはれなる。 のと似たようなことを、欲深い船 くろとり かくうたふを聞きつつ漕ぎ来るに、黒鳥といふ鳥、岩の上に集り居り。その頭が思いがけなく口にした。 三特にすぐれた表現というわけ かぢと 岩のもとに、波白く打ち寄す。楫取りのいふやう、「黒鳥のもとに、白き波をではないが。作者の表現は「春」と 「秋」、「海の青」と「紅葉の赤」とい 寄す」とぞいふ。この言葉、何とにはなけれども、物いふやうにそ聞こえたる。う対照のみならず、春の海に秋の ( 現代語訳三三九ハー ) 310 じ さま かた ほか め あつまを 四
( 原文三一〇ハー ) 三笠山に出た同じ月なのだなあ ) 二十日。昨日と同様なので、船を出さない。みんな人々 は心配しため息をつく。苦しくはあるし気がかりなので、 と詠んだのだそうだ。あちらの国の人は聞いても分るまい ただ、日の過ぎた数を、「今日で幾日」、「二十日」、「三十と、思われたけれども、歌の意味を、漢字で大略を書き出 日」と数えるものだから、折って数える指も傷んでしまい して、こちらの言葉を習得している人に、説明して聞かせ そうだ。ほんとに、い細い。夜は眠れもしない。二十日の夜たところ、意味を理解することができたのだろうか、まっ の月が出た。山の端もなくて、なんと海の中から出て来る たく意外に感、いしたということだった。唐土とこの国とは、 のだった。このような光景を見てのことだろうか、昔、阿言葉は違うものなのだが、月の光は同じことであるはすだ べのなかまろ もろ - 一し から、人の感情も同じことなのだろう。さて、今、その当 倍仲麻呂といった人は、唐土へ渡って、帰って来ようとい せんべっ う時に、船に乗るはずの所で、あちらの国の人が、餞別を時を追想して、ある人の詠んだ歌は、 みやこにて山の端に見し月なれど波より出でて波にこ して、別れを惜しんで、あちらの漢詩を作りなどしたとい な′一り そ入れ うことだ。名残が尽きないように思ったのだろうか、二十 ( 都では出るのもはいるのも山の端に見た月だけれど、ここ 日の夜の月が出るまでいたのだそうだ。その月は、海から では波から出て波にはいって行くことだ ) 出たとのこと。これを見て、仲麻呂さんは、「わたしの国 かみよ では、こういう歌を、神代から神様もお詠みになり、今で 〔九〕海賊の報復を恐れ、二十一日。午後六時ごろに、船を出 白くなる髪 す。みんなの人々の船が出る。これ は上中下どんな身分の人でも、このように別れを惜しんだ 旨ロ り、うれしいことでもあったり、悲しいことでもあったり を見ると、春の海にまるで秋の木の葉が散っているようで 日 佐する時には、詠むのです」と言って、詠んだという歌は、 あった。並々ならぬ願のかいがあってであろうか。風も吹 あをうな かすが みかさ 土 かず、すばらしい太陽が出て来て、漕いで行く。ところで、 青海ばらふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月 力も 使ってもらおうと思って、ついて来る子供がいる。その子 ( 青海原はるかかなたの空を眺めると、あの月は春日にある が歌う船歌は、 がん