今昔物語集巻第二十七 294 本話の典拠は未詳。これもまた狐の妖異と解せられた怪奇譚の一。西京に住した重病の母の おうてんもん たっての願いで、深夜恐怖をこらえて弟僧を迎えに行った兄侍が、帰途、応天門の上層で声を ぶらくいん かぶらや 立てて笑う真っ青な光り物を見、さらに西進して豊楽院の北の野で円形の光り物を見て、鏑矢 で射散らしたが、帰宅後高熱を発してわずらった話。本話の光り物は狐の所為と判断されてい ちゅうゆうき るが、内裏周辺にそうした光り物が出現したことは『中右記』嘉保二年十月二日の条にもみえ、 「二日夜、禁中北中門方有 = 大光物→是有 = 人魂之疑一」としている。狐のあやかしとみ、人魂の 怪とするも、見る人それぞれの主観によるものだったろうが、いずれにせよ、平安末期は各種 各様の怪事の絶え間ない時勢ではあった。 いまはむかしにしきゃうのわたりすものあり ちちうせ あり 一右京。左京に比べて人家も少 今昔、西ノ京辺ニ住ム者有ケリ。父ハ失テ、年老タル母独ナム有ケル。男 なく、さびれていた。 ごふたりあり あにひとさぶらひ つかはれ おとうとひえやまそう ニある屋敷に侍として奉公して 子二人有ケルガ、兄ハ人ノ侍ナドニテ被仕ケリ、弟ハ比叡ノ山ノ僧ニテナム有 いた。↓二六八ハー注一。 三比叡山延暦寺。 ケル。 しかあひだそ ふたり こみなそひ にしきゃういへ 四世話をする。面倒をみる。こ 而ル間、其ノ母重キ病ヲ受テ日来煩ケレバ、二人ノ子皆副テ、西ノ京ノ家 こでは、看病する意。↓一一五ハ 四 五 ありあっかひ ははすこやまひげんきあり あり 注一一 0 ・一一六九ハー注一四。 おとうとそうさむでうきゃうごくわたり ニ有テ繚ケルニ、母少シ病減気有ケレバ、弟ノ僧、三条京極ノ辺ニ、師ノ有ケ = 軽くなる気配。快方に向う様 子。 ゆき ル所へトテ行ニケリ 六三条大路と京極大路の交差す る付近。 しかあひだそははやまひなほおこりしぬべおば あにをとこそひあり 而ル間、其ノ母ノ病尚発テ可死ク思工ケレバ、兄ノ男ハ副テ有ケルニ、母ノセ病気が悪化して。 ははおもやまひうけひごろわづらひ 0 としおひ ははひとり し をのこ あり
をどり ありき おとどこ いとあやしこと 踊ツ、行ケレバ、大臣此レヲ見テ、「糸怪キ事力ナ。此ハ何物ニカ有ラム。此四大宮大路を南に下られた時。 五「少 [ は「小」に通用。 ものけ あん おもひたまひおはし おほみや にし ^ ハ物ノ気ナドニコソ有メレ」ト思給テ御ケルニ、大宮ョリハ西、冂〕凵ョリハロ六びよんびよん飛びはねながら。 セ「物ノ怪」に同じ。↓二一八ハー ひと いへかどとぢられ あぶらかめそかども をどいたり 注一。 ニ有ケル人ノ家ノ門ハ被閉タリケルニ、此ノ油瓶、其ノ門ノ許トニ踊リ至テ、 とぢ ^ 東西の大路名の明記を期した かぎあなある どどをどあが 戸ハ閉タレバ鎰ノ穴ノ有ョリ、入ラム入ラムト度々踊リ上リケルニ、無期ニ否欠字。 をどあが あり 九北か南かの方角の明記を期し つひをどあがっき かぎあな た欠字。 踊リ上リ不得デ有ケル程ニ、遂ニ踊リ上リ付テ、鎰ノ穴ョリ入ニケリ。 一 0 いつまでも。 おとどかみおきかへたまひのち ひとをし そこそこあり いへゆき 大臣ハ此ク見置テ返リ給テ後ニ、人ヲ教へテ、「其々ニ有ツル家ニ行テ、然 = 「エ : ・エズ」という言い方は誤 用だが、散見する。「え」に「否」を いへなにごとあ ききかへ つかはし つかひゆきすなは 気無クテ、『其ノ家ニ何事力有ル』ト聞テ返レートテ遣タリケレバ、使行テ即当てるのは、「え」が常に下に否定 語を伴うために結びついた用字で、 かへきたりいは わかむすめさぶらひ ひごろわづらひこ ひるがたすでうせ チ返リ来テ云ク、「彼ノ家ニハ若キ娘ノ候ケルガ、日頃煩テ此ノ昼方既ニ失実際は「え」は「得、の意。 三今通りすがりに見てきたさっ おとど あり あぶらかめさ ものけ 九候ニケリ」ト云ケレバ、大臣、「有ツル油瓶ハ然レバコソ物ノ気ニテ有ケル也きの家、という気持。↓二五一ハ 十 注一九。 かぎあな ころ おもひたまひ 語ケリ其レガ鎰ノ穴ョリ入ヌレバ、殺シテケル也ケリ」トゾ思給ケル。其レヲ一三↓二三八謇注一 = 。 人 一四さっきの油瓶は思ったとおり みたまひ一五おとど いとただびと おはせ 形見給ケム大臣モ糸只人ニハ不御ザリケリ 物の怪だったのだなあ。「也ケリ」 ↓二二二ハー注五。 しか かかものけ さまぎまものかたちげん なり 然レバ此ル物ノ気ハ様々ノ物ノ形ト現ジテ有ル也ケリ。 一五「ケム」は過去の推量で、今ま 鬼 おも で「ケリ」で表されてきた過去のこ あたうらみ あ かく かたった 此レヲ思フニ、怨ヲ恨ケルニコソハ有ラメ。此ナム語リ伝へタルトャ。 とを、現在の立場から回想的に推 量したもの。 一六怨恨。遺恨。 さぶらひ と あり え そ ほど み 0 なり なにもの あり なり さる
^ 今の宇治市木幡の地。 四 六 九領有している所。所領。 今。昔、民部ノえ夫凵ノ清トフ者有ケリ。斉院ノ年預ニテナム有ケル 一 0 身分が中位の者の意。女に用 さいゐんかむだうかうぶり そ ほどこはた ところしところあり そこ いた珍しい例で、「はしたもの ( 半 ニ、斉院ノ勘当ヲ蒙タリケレバ、其ノ程、木幡トフ所ニ知ル所有ケレバ、其 物↓一一七八ハー注一四 ) 」と同意。 ゆき あり = 女性、特に女房の呼び名や身 ニ行テナム有ケル。 分の下につける一種の敬称で、親 しか よりきょちうげんつかひをむなあり みかはおもと 愛の情をこめたもの。 ちつきょ 而ルニ、頼清ガ中間ニ仕ケル女有ケリ。名ヲバ参川ノ御許トナムケル。年 一ニ蟄居していたので。 , 卞ごろっかへ そをむなきゃういへあり あるじよりきょゐんかむだう 一三主人が蟄居中だったので出仕 三来仕ケルニ、其ノ女京ニ家有ケレバ、主ノ頼清モ院ノ勘当ニテ木幡ニ入居ニケ せす、暇だったのである。 語 そをむないとまありひさしきゃうあり よりぎよもと ほど とねりのをのこおこ いそ 一四貴族家に仕え、馬の世話など、 子レバ、其ノ女暇有テ久ク京ニ有ケル程ニ、頼清ガ許ョリ舎人男ヲ遣セテ、「公 0 種々の雑用にあたる下男。 家 ことあ ただいままゐ ひごろおはし , ) はたとのことさらことあり きのふたたたま 一五以下の命令は、頼清自身から 清グ事有リ。只今参レ。日来御マシッル木幡ノ殿ハ故ノ事有テ、昨日立セ給ヒニ ではなく、頼清の近仕者を介した 夫 ところ もの。 やましろ ひとしへかりわたらたま 大キ。山城ナル所ニナム人ノ家ヲ借テ渡セ給ヒタル。疾々ク参レ」ト云ケレバ 一六特別の用件。 民 宅山城国の某所の意となるが、 もち かきいだきいそぎゅき 女、五ッ許ナル子ヲナム持タリケル、其レヲ掻抱テ念テ行ニケリ。 「山城」は不審。「山科」の誤りか。 天山城 ( 科 ) へ行ったのである。 ゆきっきみ つね よりきよめ をむなとりきゃうおう もの 行着テ見レバ、常ョリモ頼清ガ妻、此ノ女ヲ取饗応シテ物ナド食セテ、念ガ一九待ち受けてもてなす意。歓待。 をむないつばかり た。現存したはずの邸宅が一転して荒野に化し、そこに置去りにされていたという異変は巻一 七第三三話にもみえ、同話に「汝ガ今夜被謀タル事ハ、 狐狸等ノ獣ノ為ニ被謀ルニハ非ズ。 ・ : 」としるすところをみると、この種の珍聞奇事は多く狐狸の所為に帰せられがちな世情人心 だったのであろう。 な こはたいりゐ とし
( 現代語訳四七五ハー ) たま ひとあまたぐ をむなゆき う殺されているに違いない 人ヲ遣ハシテ見セサセ給へ」ト云ケレバ、人ヲ数具シテ遣タリケレバ、女行テ、 一六意識も確かでない状態で。 はるばるあの くさいとたかおひ むねふさ ひとかたちな ↓二八〇ハー注九。 有ツル所ヲ見ケレバ、遥々ト有ル野ニ、草糸高ク生タリ、人ノ形無シ。胸塞ガ宅 天広々とした野原。 もとめ そこただひとをぎすすきしげり ははよろこび いそギ、一 リテ念テ子ヲ求ケレバ、其ノ子只独リ荻薄ノ滋タル中ニ居テ哭ケレバ、母喜一九「ふさガリテ」は漢文訓読語。 和文では「ふたがりて」。 あるじこ もとこはたかへり しかしかあり かたり いだとり ながこ 乍ラ子ヲバ抱キ取テ、本ノ木幡ニ返テ、「然々有ツ」ト語ケレバ、主モ此レヲ ニ 0 あり どうれいども いといとあやしび なむぢそらごとなり うそ 聞テ、「汝ガ虚一一 = ロ也」トゾ云ケル。同僚共モ糸々奇テゾ有ケル。然レドモ幼キニ 0 嘘。作り話。 なかゐてゆきすておき 子ヲ野ノ中ニ将行テ棄置タラムャハ うしなは しょゐ あん おも 此レヲ思フニ、狐ナドノ所為ニコソ有メレ。然ルニテコソ子ヲ不失ザリケル三狐のしわざだからこそ。 一三そろって。 かたった かあさましこと よろづひとこぞりとののしり 十事、トナム、万ノ人挙テ問ヒ隍ケル。此ク奇異キ事ナム有ケル、トナム語リ伝 = = 口々に尋ねては大騒ぎした。 語へタルトャ。 物 光 上 天 応 見 人 京 西 ひとっか あり きき こと の ところみ にしのきゃうのひとおうてんもんのうへにひかるものをみることだいさむじふさむ 西京人見応天門上光物語第三十三 み 一七 きつね ニ三 なかゐ やり あり なき し をさな
うせ いひみめぐら なみ上せ はまぎはちか コソ失ニケレヾ ノ此ハ何ニシッル事ゾ」ト云テ見廻スニ、浪ノ寄ツル浜際近ク、一種で、石帯の装飾に用いた。 一五石帯。束帯 ( 正装 ) の時、袍の まろ はじめなか もの くろものあるみつけ かのはまあるなん いふとき 初ハ無リツル物ノ、円ニテ黒キ物ノ有ヲ見付テ、「彼浜ニ有ハ何ゾ」ト云時ニ腰を締める帯。犀角を飾ったもの は四、五位の用とされる。 をのここれみつけ ゆきみ はしよりみ めり ちひさき 一六天地を支配する神。天帝。 ゾ、男モ此ヲ見付タル。「去来、行テ見ン」トテ、走リ寄テ見レバ、塗タル小 宅満ち満ちて。満ちあふれて。 をけふたおほひありそれとりひらきみ とうでんさい つのえもいはめでたおびありこれ 桶ノ蓋覆ナル有。其ヲ取テ開テ見レバ、通天ノ犀ノ角ノ艶ズ微妙キ帯有。此ヲ一〈富豪。けたはずれの金持で。 一六 一九財産は衰えないまま。 おもひいは これてんたうたま 」のさレ」ーレ 4 のり・ 見テ、「希有ノ態哉」ト思テ云ク、「此ヲ天道ノ給ハントテ、此怪ハ有ケル也ケニ 0 「善滋」は正字一、慶滋」。保章の 子。能登・河内の守、文章博士。 いまいぎかへり そのおびとり いへかへり 従四位上 ( 下 ) 。儒者、詩文家。長 リ。今ハ去来返ナン」トテ、其帯ヲ取テ家ニ返ヌ。 元元年 ( 一 0 = 0 から五年の間に没。 そののちにはかいへゆたかなり たからあきみち あさましとくにん ふけしそん 其後、俄ニ家豊ニ成テ、財ニ飽満テ、奇異キ徳人ニテ、鳳至ノ孫トテ有ケル任能登守は寛弘三年 ( 一 00 六 ) 正月。 一九 三次々に言いがかりをつけて。 とくおとろへずながうせ そのこをのこごただひとりあり そのおび 程ニ、年漸ク老テ、徳ハ不衰乍ラ失ニケレバ、其子男子只一人有ケルガ、其帯一三責めさいなもうとして。 ニ 0 ニ三当時は日に二食を定めとする。 おなじゃう とくにーれ ほど かみ よししげためまさ + ヲモ受伝へテ、同様ナル徳人ニテ有ケル程ニ、其国ノ守ニテ善滋ノ為政ト云ケそれを三度としたのは、食いつぶ 第 しをはかったいやがらせ。 ひとこのおびありきき それみ ことつけせ あまた 語 ル人、此帯有ト聞テ、「其見セョ」ト云テ、事ニ事ヲ付テ責タメントシテ、数 = 四連体形止め。言外に詠嘆の意 ニ四 得 をこめる。 ふけしそんい らうどうくゑんぞくひきゐ へゆきゐ さむどじきもっそなへしめ かみ 至ノ郎等眷属ヲ引将テ、鳳至ノ孫ガ家ニ行居テ、日ニ三度ノ食物ヲ令備ケル。上 = 五難癖をつけて。 ニ六 鳳 ニ六少しでも粗末なものは。 よ しもあはせごろっぴやくにんばかりあり もどきく じきもっ っゅ 登下合テ五六百人許有ケルニ、「食物ヲバ吉ク嫌テ食へ」ト教へタリケレバ、露毛鳳至の孫はそうしたいやがら ニ七 能 せにも十分堪え得る財力を持った よ おろか かへすてせめ もの いふしたがひととのそな モ愚ナルヲバ返シ棄テ責ケレバ、吉ク堪タリケル者ニテ、云ニ随テ調へ備へケ者で。 一穴しばし ( 数日間 ) の滞在で、そ しばら ゐ おも ほどあながちしごぐわっゐ のうちに帰るだろうと思ったのに。 然ドモ、「暫クゾ居タラン」ト思ヒケル程ニ、強ニ四五月モ居タリケレバ ほど み 0 うけった しかれ としゃうやおい わぎかな いか あり たへ そのくに ひ をし あり なり
いまはむかしかうちのかみみなもとのよりのぶのあそむかむつけのかみそのくにあり ときそ 一↓五七ハー注一。 今昔、河内守源頼信朝臣上野守ニテ其国ニ有ケル時、其ノ乳母子ニテ、 ニ上野守在任は長保元年 ( 究九 ) ひやうゑのぜうふぢはらのちかたかいふものあり 前後。 兵衛尉藤原親孝ト云者有ケリ 五 五 三頼信の乳母の子。 きはめつはもの よりのぶともそ あひだそ 十そ 四貞正の子。右兵衛尉。 一一其レモ極タル兵ニテ、頼信ト共ニ其ノ国ニ有ケル間、其ノ親孝ガ居タリケル 六 五この上なくすぐれた武者。 めすびととら うちつけおき 六ものに縛りつけておいた意。 家ニ、盗人ヲ捕へテ打付テ置タリケルガ、何ガシケム、枷錬ヲ抜テ逃ナムトシ 集 セ「枷」は首かせ、首綱、「錬」は 五ロ にげうべやうな いつむばかり ^ あり 枷ケルニ、可逃得キ様ャ無力リケム、此ノ親孝ガ子ノ五ッ六ッ計ナル有ケル男子手足を縛る鎖で、共に刑具。 昔 九 ^ 「ナリケル」と同義。「ナル有 かたいつくし はしありき めすびとしちとり つばやあり 今 ケル」は同意語の重出に近い。「ナ ノ、形チ厳カリケルガ、走リ行ケルヲ、此ノ盗人質ニ取テ、壺屋ノ有ケル内ニ ル男子」と「有ケル男子」の混態か ひぎもとこのちごかきふ かたなめき ち ) ) はらさしあ 九美麗の意。かわいらしい 入テ、膝ノ下ニ此児ヲ掻臥セテ、刀ヲ抜テ、児ノ腹ニ差宛テ、居ヌ。 一 0 間仕切りをし、三方を壁仕立 そのときちかたかたちあり ひとはしゆき わかぎみ めすびとしちとたてまっ てにした物置・納戸のような部屋。 其時ニ親孝ハ館ニ有ケレバ、人走リ行テ、「若君ヲバ盗人質ニ取リ奉リッ」 = 腰に差す短刀・懐剣の類。 っげ ちかたかおどろさわぎはしきたりみ まことめすびとつばやうちちごはらかたな ト告ケレバ、親孝驚キ騒テ走リ来テ見レバ、実ニ盗人壺屋ノ内ニ児ノ腹ニ刀ヲ三国守の居館。国。 一三驚きと悲嘆に目の前が暗くな さしあてゐ かたな ただより おば ばひ ったような気がして。 差宛テ居タリ。見ルニ目モ暗レテ、為ム方無ク思ュ。「只寄テャ奪テマシ」ト 一四しやにむに近寄って子供を奪 おも おほ かたなきら あらはち′ ) はらさしあて ちか おはしま 思へドモ、大キナル刀ノ鋼メキタルヲ現ニ児ノ腹ニ差宛テ、「近クナ寄リ不御い返してやろう ( か ) 。 一五はた目にはっきり見えるよう し ちか よりおはしまさっ ころたてまっ あらはいふ に子供の腹にさし当てて。 座ソ。近クダニ寄御座バ突キ殺シ奉ラムトス」ト云へバ、「現ニ云マ、ニ突キ 一六一歩でもお近づきになったら。 ひやくせんこやっき きざみ なにやく あるべ おもひ 一 ^ らうどうども 殺テパ、百千ニ此奴ヲ切リ刻タリトモ、何ノ益力ハ可有キ」ト思テ、ロ郎等共宅「現ニ」は「突キ殺テパ」にかか 一九 ニ 0 る。警告通り、盗人が実際に突き あなかしこちか ただとほよそ まもりあ みたちまゐりまう ニモ、「穴賢、近クナ不寄ソ。只遠外ニテ守テ有レ」ト云テ、「御館ニ参テ申サ殺したならば。 - 一ろし み め 0 せ ちかたか しカ ちかたかゐ めきにげ めのとご をのこ′ ) うち
ねむ かれをどいり ゃう たきなかをどいり おもてみづそそゃう 一もう。じき。 ト念ジテ、彼ガ踊リ入ツル様ニ、滝ノ中ニ踊リ入タレバ、面ニ水ヲ灑ク様ニテ、 うつ ニ「現シ心」の意で、正気。 、 1 たきとほり おも いまみづおばほ なほうつごころあ たちかへり 滝ヲ通ヌ。「今ハ水ニ溺レテ死ヌラン」ト思フニ、尚移シ心ノ有レバ、立返テ三あともどりして。 四 四なんとまあ。さては。 たきただひとへ はやすだれかけ ゃう たき うちみちあり + 見レバ滝ハ只一重ニテ、早ウ簾ヲ懸タル様ニテ有也ケリ。滝ョリ内ニ道ノ有ケ = 滝を隔てて異郷が展開するの は隠れ里伝説に類型的なモチーフ。 第 ゆき やましたとほり かなたおほ 巻ルマ、ニ行ケレバ、山ノ下ヲ通テ、細キ道有、其ヲ通リ畢ヌレバ、彼方ニ大キ六「有ツル」は「物荷タリツル男」 全体にかかる。さっきの荷物をか 集 ひとぎとあり ひと ついでいた男。「ツル」は直前の過 語ナル人郷有テ、人ノ家多ク見ュ。 去を表す。 昔 ーしか おもひあゆゆくほど をとこになひ 今然レバ僧、「喜シ」ト思テ歩ビ行程ニ、此有ツル、物荷タリツル男、荷タル七相応の年配の男。 〈正字は「浅葱」。黄色みがかっ もの おとな おきはしむかひきたしりへ をとこあさぎのかみしもき おくれじはしきたり た薄い青色。 者ヲバ置テ走リ向テ来ル後ニ、長シキ男ノ浅黄上下着タル、不後ト走リ来テ、 九上衣に袴を着用した男。 そうひか そう しカ このあさぎのかみしもき をとこただわがもと ↓一一〇ハー注一。 僧ヲ引ヘッ。僧、「此ハ何ニ」ト云へバ、此浅黄上下着タル男、只、「我許へ、 = 引っ張り合ったから。 いぎたま ひきゐてゆく こなたかなた ひとどもあまたきたりおのおのわがもと 去来給へ」ト云テ、引将行ニ、此方彼方ョリ人共数来テ、各、「我許へ、去来三このようにむちゃくちゃな奪 い合いをしてはならない。 たま そう ひき いかがすことあら おもほど 給へ」ト云テ、引シロへバ、僧、「此ハ何為ル事ニ有ン」ト思フ程ニ、「此ク狼一三郡司殿の意。 一四郡司殿の裁定に従って、この こほりのとのゐてまゐり そのさだしたがひ一四え ガハシクナ不為ソ」トテ、「郡殿ニ将参テ、其定メニ随テコソ得メ」ト云テ、男の所有権を決めたらよかろう。 一五訳もわからず、、いにもなく引 あつまっきゐてゆけ われ あらずゆくほど おほ ゐてゆき っ張られてゆくうちに。 集リ付テ将行バ、 我ニモ非シテ行程ニ、大キナル家ノ有ルニ将行ヌ。 一六もったいぶった様子の。 そのいへ としおい おきな 、と ) 」とげ 宅この表現はこの地が異郷であ 其家ョリ年老タル翁ノ、事々シ気ナル出テ、「此ハ何ナル事ゾート云へバ ることを示唆する。 ゐてまうできこのひとたま なり このものになひをとこいはく おのれにつぼんくに 天「賜」の意。 此物荷ツル男ノ云、「此ハ、己ガ日本ノ国ョリ将詣来テ此人ニ給ヒタル也」ト、 そう せ うれ いへおほみ し ほそみちありそれとほ 六 このあり あるなり ものになひ しカ かみだり いぎ
おおかがみ 進む説話構造は類型的なもので、本巻第四一・四三話をはじめ、『大鏡』道長伝所収の胆試しの ここんちよもんじゅう エピソード、『古今著聞集』八の三一三 ・一六の五一六・同五三八など、類例はきわめて多い。こうし さん′一うしいき た類型の存在は、集会・雑談の場を舞台に借りた作品群 ( 『三教指帰』『大鏡』以下のいわゆる 七 ほうぶっしゅうむみようぞうし さんごくでんき とぎ 十 鏡物、『宝物集』『無名草子』『三国伝記』など ) の盛行と相まって、雑談・お伽の場が文学的創 第 造に果した役割を考える上に注目すべきもの。 巻 一姓名の明記を期した欠字。 集 ニ国守の居館。近江国府は栗本 語 郡勢多 ( 瀬田町 ) に所在した。 いまはむかしあふみかみ一 ひとそ あひだたちわかをのこ 昔今昔、近江ノ守、冂凵ノ冂凵ト云ケル人、其ノ国ニ有ケル間、館ニ若キ男三元気のよいのが。 今 四 五六 四古今の噂話・世間話の類。 いさみあまたゐ むか いまものがたり ごすぐろくうちょろづあそび ものくひ 共ノ勇タル数居テ、昔シ今ノ物語ナドシテ、棊双六ヲ打、万ノ遊ヲシテ物食、五「棊」が正字、「碁」は俗字。 六 ↓一九九ハー本話解説。 さけのみ ひとゆき セ普通は「安吉ノ橋」と表記。近 酒飲ナドシケル次デニ、「此ノ国ニ安義ノ耨ト云フ橋ハ、古へハ人行ケルヲ、 江国蒲生郡安吉郷内の日野川に掛 ったへ ひとすぎ ことな っていた橋か。梁塵秘抄三一一五にも 何ニ云ヒ伝タルニカ、今ハ 、『行ク人不過ズ』ト云ヒ出テ、人行ク事無シ」ナ 近江の名所として引かれている。 ひとり ものくちき きらきら かたおばあり ^ 通行人が無事に渡れない。 一人ガ云ケレバ、オソバエタル者ノロ聞キ鑞々シク、然ル方ニ思工有ケル 九調子に乗ってふざける者。 ものいは かあぎ ことまこと あり おばえ おの 一 0 ここでは、弁舌がさわやかで ガ者ノ云ク、彼ノ安義ノ橋ノ事、実トモ不思ズャ有ケム、「己レシモ其ノハ 巧みなさま。↓三三ハー注。 わたり おになり おほむたちあ いちかげ のり = 寄合や座談の席で人気のあっ 渡ナムカシ。極ジキ鬼也トモ、此ノ御館ニ有ル一ノ鹿毛ニダニ乗タラバ渡ナ た者。「有ケルガ者ノ」は、「有ケ ルガ」と「有ケル者ノ」の混態か。 のこりものどもみなあかぎりこころひとっ いと、よ ム」ト。其ノ時ニ、残ノ者共、皆有ル限心ヲ一ニシテ云ク、「此レ糸吉キ事也。三「一ノ」は第一の、の意で、最 もすぐれた鹿毛の馬。 なほゆくべみち かかこと よこみち まことそらことし 直ク可行キ道ヲ、此ル事ヲ云ヒ出テョリ横道スルニ、実虚言モ知ラム。亦此ノ一三横道・回り道に対して、まっ ども しカ そ とき いみ くにあぎ くに・あり・ ひとゆ またこ わたり きもだめ
つけゆくほど 一うまくなだめすかして。 無ニテ目ヲ付テ行程ニ、将着ヌ。 ニ腹心の従者。 こしら むつ らうどうひとり おとうとい うちゐていれむ 其ニテモ介臥シ丸ビ泣ク。弟云ヒ誘へテ内ニ将入トテ、睦マシキ郎等一人三↓六三謇注高。 五 四 四さりげなく見張につけた。 よびはなち こ、むに , ればかりこころあはせまもり このちごうづみをのこさるけなくつけ 五ここでは監視の意。 + ヲ呼放テ、此児埋ノ男ニ然気無テ付ツ。然レバ、「 i 一三人許心ヲ合テ守テ、 六「人ヲ迷ハサントス ( シケリ ) 」 第 からめ したがひたしかから いひおき すけ うちゐていれ このちごあるつば 巻『搦ョ』ト云ンニ随テ、慥ニ搦メヨート云置テ、介ヲ内ニ将入テ、此児ノ有壺の意。わしをとまどわせようとし 六 たのだと早合点して。 こころえ や いれみ すけ ち′ ) とりかく ひとまど ただいかりいかり 五ロ セ冗談にもほどがあるぞ。 屋ニ入テ見スレバ、介、「児ヲ取隠シテ人ヲ迷ハサン」ト心得テ、只嗔ニ嗔テ、 物 九 ^ 不吉にも。 こと おとうとあなかまたま たはぶれすべきゃうあり しまいましカカ ひとまどは 九「穴」「鎌」ともに当字。「あな、 今「戯モ可為様有テコソ。忌々ク此ル事シテ人迷ス」トイへバ、弟、「穴鎌給へ。 かまし」 ( ああ、うるさい ) の略で、 あり かぎりなくちごと ゃうしかしか なくなくかた すけこれきき 有ツル様ハ然々」ト泣々語レバ、介此ヲ聞テ、云ベキ限モ無テ児ニ問へバ、児人を制止する言葉。 一 0 言うべき言葉もなくて。あっ けに取られたさま。 有ノマ、ニ。 = この句の下に「 ( 有ツル事共 ) すけあさましおばえ 介奇異ク思テ、「先、此男有ツルハ逃ヤシヌラント云へバ、弟、「人付テ云 ( テ ) ケリ、などと補うとよい 一ニこ ( あ ) の男はついさっきまで や」と」 あは おもひ しカ いひなが はべり いだしからめ 侍」トテ、出搦サスレバ、此ノ男ハ、「此ハ何ニ」ト云乍ラ、「哀レ。然ハ思ッおったが逃げはしまいか。 一三「云テゾアリケル」の意。こん あり をとこくびき おとうどひか すけたちめき なことになりはしまいかと恐れて ル事ヲ」ト云テゾ、介ハ太刀ヲ抜テ、男ノ頸ヲ切ラント為ヲ、弟引へテ、「有 いたのに。言外に、とうとうその ゐてはなちとふ し・はしいはギり ゃうたしかとひしたた ッラン様、慥ニ問拈メテコソ何ニモセメ」トテ、将放テ問ニ、暫ハ不云ケレド通りになったという気持をこめる。 一四問いただして事情をはっきり おち あり ことどもいひ せめとひ させてから、いかようにでも処分 モ、責テ問ケレバ、落テ、有ノマ、ニ事共云テケリ。 したらよかろう。 どもみなひときき いへかため ままははこころあさま おもひ ひとやり 一五自白して。白状して。 「継母ノ心奇異シ」ト思テ、人ヲ遣テ家ヲ堅サセッ。隠ストスレ共、皆人聞テ、 118 なげ あり そこ 、一と め すけふまろな まづこのをとこあり ゐてつき か する おとうとひとつけ ちご
かなしむ もつおほやけこのよしまうあげ おほやけきこしめおどろ たまひすみやかまさかど 悲デ、国解ヲ以テ公ニ此由ヲ申シ上タルニ、公聞食シ驚カセ給テ、速ニ将門一三田租・労役などの税務。 一四国司が太政官以下中央政庁に とはるべきよしせんじ くだされ まさかどめしよりすなはきゃうのばりおのれあやまためよしちんじ ヲ召シ可被問由ヲ宣旨ヲ被下ヌ。将門召ニ依テ即チ京ニ上テ、己ガ不過由ヲ陳上申する公文書。 一五陳弁の意。申し立てた時に。 まうし どどさだあり まさかどあやまちな きこしめしすじつあり 申ケル時ニ、度々定メ有ケルニ、「将門過無力リケリ」ト聞食テ、数日有テ一六不審。将門記には「良正」。 宅将門記に常陸前大掾とみえる。 ゆるされ もとのくにかへくだり 天護の子。将門と戦って敗死。 被免ニケレバ、本国ニ返リ下ヌ。 一八 一九国香の子。丹波・陸奥などの そののちまたほどへず かふせんむね をぢよしかぬまさかどならびみなもとまもるたすく 其後、亦、程ヲ不経シテ合戦ヲ宗トシテ、伯父良兼、将門拜ニ源ノ護、扶守。鎮守府将軍。通称平太。 ニ 0 高望王の子。常陸大掾、鎮守 ら あひたたかことひまな またたひらのさだもりさきちちくにかまさかどうたれ あた 等ト合戦フ事隙無シ。亦、平貞盛ハ前ニ父国香ヲ将門ニ被罸ニケレバ、其ノ怨府将軍。従五位上。承平五年二月 将門に殺害された。 さだもりきゃうありおほやけつかまつり さまのぜう ほうこうらう ヲ報ゼムトテ、貞盛京ニ有テ公ニ仕テ、左馬允ニテ有ケレドモ、奉公ノ労ヲニ一左馬寮の三等官。ただし将門 記には当時常陸大掾とみえる。 すていそくだりあり まさかどゐせい あふべ あら ほんい えとげ カく モ棄テ急ギ下テ有ケルニ、将門ガ威勢ニ可合クモ非ザレバ、本意ヲ否不遂デ隠 = = 常陸国をさす。 ニ三伝未詳。以下の事件を将門記 に承平八年二月中のこととする。 レテ国ニ有ケリ ニ四興世王は定員外の権官で、正 第かやうしばしばあひたたかほど むさしのごんのかみおきょわう いふものあ まき ) かどひとこころ 語此様ニ念合戦フ程ニ、武蔵権守興世ノ王ト云者有リ。此レハ将門ガ一ッ心規の武蔵国守ではなかった。 ニ四 ニ五ニ六 ニ七 一宝無理に。不法に。 被ものなりまさしくに つかさならず おしにふぶ そのくにぐんじありれいな ニ六国司が領国内にはいること。 反ノ者也。正キ国ノ司ニ不成シテ、押テ入部ス。其国ノ郡司有テ例無キ由ヲ云へ 毛足立郡司武蔵武芝 ( 将門記 ) 。 発 おきょのわううけひか ぐんじ しかれぐんじかく しかあひだそのくに 門ドモ、興世王不承引デ、郡司ニ誡ム。然バ郡司隠レヌ。而ル間、其国ノ = ^ 当時武蔵介。清和源氏の祖。 ニ九 貞純親王の子。臣籍に降下。美濃 正ーすけみなもとのつねもといふも ひそかきゃうはせのばりおほやけそうしいは まきかど ・伊予・武蔵などの守を歴任。正 介源経基ト云者ノ有テ、此ノ事ヲ見テ蜜ニ京ニ馳上テ公ニ奏テ云ク、「将門 四位上。応和元年 ( 九六一 ) 没。 すでむさしのかみおきょのわうとも むほんな おほやけきこしめおどろ たまひ ハ既ニ武蔵守興世王ト共ニシテ謀反ヲ成サム」ト。公聞食シ驚カセ給テ、実ニ九上奏は天慶一一年三月三日。 め くに . あめ・ とき 0 あり ことみ あり そ