おいは 「追剥ぎでござる。名は袴垂と申してござる」と答えると、 この人がなんとなく恐ろしく思われてならない。そこで、 あとについたまま二、三町 ( 約二、三百メートル ) ほど行く 「さような者が世におるとは聞いておるそ。かくも執念深 くつけまわすとは、なんとけったいなやつよ。ついてこ と、この人は、「自分をだれかがつけてきているそ」と気 五 十にする様子もなく、いよいよ静かに笛を吹いて歩いて行く。 い」とだけ言って、また前と同じように笛を吹いて歩き出 第袴垂は、「えい、やってやれ」と思い、足音高く走り寄っ たが、少しの騒ぐ気配もなく、笛を吹きながら振り返った。 袴垂はこの様子を見て、「これは並たいていの人ではな 集 ばうぜん いそ」と震え上がり、鬼神につかまえられたように茫然と 語その様子は、とうてい打ち掛れるものでなく、急いで飛び くっ 昔すさった。 ついて行くうち、この人は大きな家の門にはいった。沓を こうして、何度か、ああこう襲い掛ろうとしたが、つゆ はいたまま縁の上に上がったので、「この人はこの家の主 人だったのか」と思っていると、この人ははいったと思う ほども動じる様子がないので、「これは驚くべき人物だ」 とすぐに出て来て袴垂を呼び寄せ、綿の厚くはいった着物 と思い、十余町ほど、あとについて行った。「それにして もこのまま引き下がるわけにはゆかぬ」と気を取り直し、 を一枚お与えになり、「今後もこういう物がほしい時には やってきて申せよ。気心も知れぬ人に襲い掛って、お前、 刀を抜いて走り掛ると、その時はじめて笛を吹きやめて、 ひどい目にあうな」と言って中にはいって行った。 振り返り、「いったい何者じゃ」ときく。たとえ、どのよ その後、この家はいったいだれの家だろうと考えてみる うな鬼であろうと神であろうと、こんな夜道をたった一人 せつつのぜんじふじわらのやすまさ と、摂津前司藤原保昌という人の家だった。「あの人がこ でいる者に襲い掛ったとすれば、それほど恐ろしいはずは ないのに、いったいどうしたことなのか、肝っ玉も身に添の保昌だったのか」と思うと、死ぬほど恐ろしくなり、ま ったく生きた気もせず、家から出て行った。その後、袴垂 わず、ただ死ぬほどに恐ろしい思いがして、我にもあらず、 ひぎ べったり膝を突いてしまった。「いったい何者じゃ」と重は捕われ、「なんともいえず薄気味悪く恐ろしい様子の人 でした」と言ったという。 ねて問われ、「もはや逃げようにも逃げられまい」と思い
ざ引き下がるのはつまらないでしよう。この杉の木に矢を 射立てておいて、夜が明けてから様子をご覧になったらい かがです」と言ったので中大夫も、「まことにそれがよか 狐女の形に変じて幡磨安高に値ふ語第三 ろう。では、二人で射よう」と言って、主人、従者ともに 十八 弓に矢をつがえた。従者の男が、「それでは、もう少し近 はりまのやすたか このえのとねり うこんのじようさだ 今は昔、幡磨安高という近衛舎人がおった。右近将監貞 くに歩み寄って射なさいまし」と言うので、一緒に歩み寄 まさ ほろ・第一ろ・いん り、二人で同時に射たところ、手ごたえがあったと聞くと正の子である。法興院 ( 藤原兼家 ) の御随身であったが、 八同時に、その杉の木がばっと消えうせた。それを見て、中それがまだ若いころのこと、殿が内裏においでになってい る間、安高も内裏で控えていたが、自分の家が西の京にあ 三大夫は、「案の定、化け物に出会ったのだ。やれ、恐ろし ったので、そこに行って来ようと思った。だが、従者の姿 語や。さあ帰ろう」と言い、逃げるように帰って行った。 うちの が見当らなかったので、ただ一人で内野通りを通って行く 値さて、夜が明けたので、中大夫は朝早く従者を呼んで、 と、ちょうど九月中旬ごろのこととて、月がたいそう明る 部「さあ、昨夜の場所に行って様子を見てこよう」と言い えん 。夜ふけて、宴の松原あたりまで来ると、前方を濃い紫 磨従者と二人で行って見ると、毛もない老狐が杉の枝を一本 あこめしおんいろ のよく打ってつやを出した衵に紫苑色の綾織の衵を重ね着 て口にくわえ、腹に矢を二本射立てられて倒れ死んでいる。 めのわらわ 変これを見て、「さればこそ、昨夜はこいつが惑わしたのだ」した女童が歩いていたが、月の光に冂凵凵て、その姿といし 、ようもなくすばらしい。安高は長い 髪の様子と、 と言って、矢を引き抜いて帰って行った。 女この話は、つい二、三年のうちの出来事らしい。世の末沓をはいていたが、ごそごそ音を立てながら追いっき、並 狐 んで歩きながら見ると、絵を描いた扇で顔を隠していて、 にもこんな不思議なことがあるものだ。 されば、道をまちがえて知らぬ方に行ったりしたら、怪よくも見せない。額や頬の辺に一筋二筋髪の乱れかかった 8- 様子は、なんともいえず魅力的である。 しいことだと思うべきである、とこう語り伝えているとい , っことだ。 くっ
の男とひそかに通じていると聞いていたが、「その間男が 不思議なことだと思った。 思うに、人の命は、どのようであれ、すべて宿報による今夜きっとやってくるはずだ」と告げる者があったので、 ものなのだ、と皆言い合った、とこう語り伝えているとい 「なんとかして現場を押えて殺してやろう」と思い、妻に , っことだ。 は、遠くに出かけて四、五日は帰らないと言っておき、出 かけたふりをして様子をうかがっているところだった。 そんなこととも知らず、この明衡はすっかり気を許して 藤原明衡の朝臣若き時女の許に行く語第 寝ていると、真夜中ごろになって、この家主の男がひそか 四 に家に近づき、中の様子を立ち聞きする。すると、男と女 だいがくのかみふじわらのあきひら がひそひそと話し合っている気配がするので、「案の定だ。 第今は昔、大学頭藤原明衡という博士がおった。この人が 語 若い時、しかるべき所に宮仕えしていたある女房と深い仲聞いた通り本当だった」と思い、そっと足音を忍ばせて中 行 にはいり、聞き耳を立てると、自分の寝所の辺で男と女が になり、ひそかに通っていた。 ある夜訪れたが、女の部屋にはいり込んで寝るのが都合寝ている様子だ。だが、暗くてはっきりとは見えない。男 いびき は鼾のする方にそっと近寄り、刀を抜いて逆手に持ち、腹 時悪かったので、その家の近くの下賤の者に、「お前の家に の上と思われる所を探って突き刺そうと腕を振り上げたと 若女房を呼び出し、そこで寝させてくれないか」と頼み込ん すきま さしめき たん、屋根板の隙間からさし込んだ月の光に、指貫のくく 朝だ。ちょうどこの家の主人の男は留守で、妻が一人でいた り紐が長く垂れ下がっているのがふと目にはいった。はっ 衡が、「お安いご用です」と言ったものの、狭く小さい家で、 自分一人よりほかに寝る所もなかったので、自分の寝場所として、「はて、おれの妻のもとに、こんな指貫をつけた 藤 もし人違いでもしようものな を提供した。そこで、この女に女房の部屋の薄べりを取っ人が間男に来るはずはない。 らとんでもないことになる」とためらっているうち、たい 四て来させ、それを敷いて、そのままそこで共寝した。 そうすばらしい香の匂いがふっとかおってきたので、やは ところで、その家の主人の男は、かねて自分の妻がほか ひも
「本当にうれしいこと」と言って歩き出したが、この女の かり明けはなれて後、この家にちょっとした知合がいたの 様子がどうにも怪しく恐ろしいように思われてならない。 で、その人を呼び出して様子をきいてみると、「じつは近 だが、こんなことはよくあることなのだろうと思って、女江国においでになる奥様が生霊になって取り憑きなさった 七 十の言った民部大夫の家の門まで送りつけ、「ここがその人といって、ここのご主人がずっと煩っておられましたが、 第の家の門です」と言うと、女は、「たいそう急いでお出か この明け方、『その生霊が現れた様子だ』など言っている けのところ、わざわざ後戻りしてここまで送りつけてくだ うち、にわかにお亡くなりなさったのです。本当に生霊と 集 語さいまして、返す返すうれしく存じます。わたくしは近江 いうものはこうもはっきりと人を取り殺すものなのです 昔国冂凵〕郡のこうこういう所の、こういう者の娘でございまね」と語った。これを聞いて、この男もなんとなく頭痛が す。東国の方にお出での節は、その道筋に近い所ですから、 してきた。と同時に、「あの女はたいへん喜んでいたが、 ぜひお立ち寄りくださいまし。いろいろ申し上げたいこと この頭痛はさてはその時の毒気に当てられたためだろう」 もございますので」など言って前に立っていたと見えた女と気がっき、その日は出立を思いとどまって家に帰った。 ; 、にわかにかき消すように見えなくなった。 その後三日ほどして下って行ったが、あの女の教えたあ 「これは驚いた。門があいていればこそ中にはいれもしょ たりを通りかかった時、男は、「ひとつ、あの女の言った ; 、門はしまったままだ。これはいったいどうしたこと ことが本当かどうか確かめてみよう」と思い、尋ねて行く だ」と思うと、男は髪の毛が太くなるほど恐ろしくなり、 と、本当にそういう家があった。立ち寄って、これこれし すくんだように立っていると、にわかにこの家の内で泣き かじかと取り次がせると、「確かにそういうこともありま すだれご わめく声がする。何事だろうと思い、家の外で聞いている しよう」と言って家に呼び入れ、女が簾越しに会って、 と、人が死んだ気配である。怪しいことだと思って、しば 「先夜のうれしさは永久に忘れることはございません」と らくあたりを行ったり来たりうろうろしているうちに夜も言い、食事などさせ、絹と麻布などをくれたので、男はひ 明けてきた。何事が起ったのか尋ねてみようと思い、すっ どく恐ろしい気がしたが、いろいろな物をもらってそこを
ってきた。「さあ、まいりましよう」と言うので、一緒に宿るようなことはございません」と言う。そう言う様子は 出かけたが、西の方一町余り行くと、古びた堂があった。 じつにいいようもなく恐ろしい。正親大夫は、「わたしは 仲立ちの女は堂の扉を引きあけ、自分の家から持って来た ここに人がおいでになるとは少しも存じませんでした。た うすべり 薄縁一枚を敷き、「夜が明けましたらお迎えにまいります」 だ、ある人が、今夜だけここにいるようにと申しましたの で、やってきたのです。本当に失礼いたしました」と一言う と言って、あとをまかせて帰って行った。 そこで、正親大夫は女と横になり、寝物語などしていた と、その女が、「今すぐ出て行ってください。お出になら が、供に連れた従者もなく、ただ二人きりで人気のない古ぬと、おためになりますまい」と言う。そこで、正親大夫 びた堂にいるので、薄気味悪く思っていると、真夜中にも は愛人の女を引き立てて出て行こうとしたが、女は汗みず くになって立ち上がることもできない。それを、無理に引 六なったかと思われるころ、堂の後ろの方に火の光が現れた。 めのわらわ き立たせて外に出た。肩に引きかけて歩かせたが、歩けな 第人が住んでいたのか、と思っていると、女童が一人灯をと 語 いのを、どうにかこうにか女の主人の屋敷の門まで連れて もして持って来て、仏の御前とおばしき所に置いた。正親 たた 大夫は、これは困ったことになったぞ、と弱っていると、 行き、門を叩いて女を中に入れ、正親大夫は家に帰った。 家に帰っても、このことを思い出すと、頭の毛が太くな 時その後ろから一人の女が現れた。 これを見るや、怪しくも恐ろしい気がして、いったいど るように恐ろしく、気分も悪いので、翌日も一日じゅう床 うなるのだろうと正親大夫は起き上がり、見ていると、女 についていたが、夕方になって、やはり、昨夜あの女が歩 くこともできなかったのが気にかかり、例の仲立ちの女の 大は一間はど離れた所にすわって横目で様子をうかがってい 親たが、しばらくして、「ここにはいって来られた方はどな家に行って様子をきくと、「あの方は帰って来られてから 正 たでございます。まことに奇怪なことです。わらわはここ人事不省になり、ずんずん死んでいくように見えましたの あるじ の主でございますが、どうして主に断りもなく、ここには で、皆が『何事があったのです』と尋ねたのですが、何一 いっておいでになったのですか。ここには昔から人が来て つおっしゃいません。ご主人様も驚き騒がれましたが、あ
馬に鞍を置き、引き出して来て押しつけた。男は胸も〔っ馬から飛び降り、抱き乗せて行こうと思うほどいとしい気 がしたが、 ぶ〕れるような気がしたが、みずから言い出したことなの 「待てよ、ここにこういう者がいるはずはない しり で、この馬の尻の方に油をたつぶりと塗り、腹帯をきつく てつきり鬼であろう。このまま通り過ぎよう」とひたすら 絞めて鞭を手首に通し、軽装して馬にまたがり、出かけて 自分に言い聞かせ、目をふさいで馬を走らせた。この女は、 行った。やがて橋のたもと近くにさしかかると、胸が〔っ男が今に何か言い掛けるだろうと思って待っていたのに、 ぶ〕れて、気分も悪くなるような恐怖に襲われたが、今更声も掛けず通り過ぎて行ったので、「もし、そこなお方、 引き返すわけにもゆかず進んで行くうち、日も山の端近く どうしてそんなにつれなく行ってしまわれるのです。思い なって、なんとなく心細い。まして、場所が場所なので、 もよらぬこんなひどい所にわたしは捨てて行かれたのです。 せめて人里までお連れくださいまし」と呼び掛けたが、し 十人の気配もなく、村里も遠くに見やられ、人煙もはるかか まいまで聞こうともせず、髪も身の毛も太くなるような気 語なたにかすんでいる。どうしようもなくわびしい思いをし らながら行くうち、橋の真ん中辺に、遠くからは見えなかっ がして、馬に鞭打って飛ぶように逃げて行くと、後ろで、 、人が一人立っている。 女の、「なんとまあ、つれない」と叫ぶ声が、大地をゆる をたカ がすように聞えた。そしてあとを追って来る。「やはり鬼 鬼あれが鬼だな、と思うと胸さわぎを覚えたが、見れば だったのか」と思い、「観音様、お助けください」と念じ 橋〔なよ〕やかな薄紫の衣に濃い紫の単衣を重ね、紅の袴を て、驚くほどの駿馬に鞭打って疾駆すると、鬼は走り掛り、 安長やかにはいて、手でロを覆いなんとも悩ましげなまなざ 馬の尻に手を掛け手を掛け引き止めようとしたが、油が塗 国しをしている女がいた。こちらを物思わしげに見やってい ってあるので、引き〔はず〕し引き〔はず〕しして、どう 江る様子も哀れげである。茫然とだれかに置去りにされたよ 近 してもっかまえることができない うな様子で、橋の欄干に寄り掛っていたが、人の姿を見て、 男は馬を走らせながら後ろを振り向くと、顔は朱色で、 7 恥ずかしそうにしながらも、うれしく思っている様子であ る。男はこれを見ると、すっかり前後の見境がなくなり、 円座のように大きく、目が一つついている。丈は九尺ばか くら
中にもなろうとするころ、天井の格子の上で、何やらごそ って生えている。何と驚いた奴だと見ているうちに、塗籠 貯ごそする音がする。見上げると、格子のひとますごとに顔 にはいって戸を閉ざした。 が見えた。どれもみな違った顔だ。宰相はこれを見て騒ぐ 宰相はそれにも騒がずすわっていると、白々とさす有明 十けしきもなく平然としていると、その顔が一度にば 0 と消の光のもと、木々の茂みで暗がりになっている庭のあたり ひさしま 第えうせた。またしばらくすると、南の庇の間の板敷を、身から、浅黄色の上下を着た老翁が平らに「凵凵かいた文挟み の丈一尺 ( 約三十センチメートル ) ほどの者が四、五十人ば に文を差して目の上に捧げ、平伏して階の下に近づき、ひ 集 五ロ ニ = ロ かり、馬に乗って西から東へ通って行く。これを見ても、 ざまずいた。それを見て、宰相は大声で、「そこな翁、何 物 昔宰相は驚く様子もなくすわっていた。 事を申そうとするか」と尋ねると、翁はロしわがれたかす 今 めりごめ またしばらくすると、塗籠の戸を三尺ほど引きあけて、 かな声で、「わたくしが長年住んでおります家に、こうし いたけ ひわだ 女がいざり出て来た。居丈は三尺ぐらいで、檜皮色の着物ておいでになられますので、たいそう困ったことと存じま を着ている。髪が肩にかかった様子はたいそう上品で美し して、そのことをお願い申そうと出てまいったのでござい 香のかおりがいいよ , つもなくこ , つばしく、体じゅ , つ、 ます . と一一 = ロ , つ。 じゃ - う 麝香のかおりに包まれている。赤い色の扇で顔を隠した上 それを聞いて、宰相は、「お前の願いはまったく当を逸 から見える額の様子は白くて美しい。額髪が曲線を描いて しておるそ。人の家をわが物にすることは正当な手続を踏 ふぜい いる風情、切れ長の目で流し目にこちらを見ている目つき んでできることなのだ。ところが、お前は、人が前の者か は、気味悪いほど気高い。鼻やロなどはどんなにすばらし ら受け伝えて住むべき所を、その人をおびやかして住わせ いかと思いやられるほどである。宰相はわき目もふらず見ず、強引に居すわっている。これはじつに非道な振舞であ つめていると、しばらくしてから、いざりもどろうとして る。まことの鬼神というものは、道理を知り、曲ったこと 扇を顔からのけた。見れば鼻は高々として色赤く、ロの両をしないからこそ恐ろしいのだ。お前は必ずや天の罰をこ わきには四、五寸ほどの銀〔で〕作ったような牙が食い違うむるであろう。これはほかでもない、老狐が住み着いて
に家に着いた。「それ見ろ。本当だった」と、家じゅうの がっていただこうと思い、お連れ申したのです」と利仁が 者が大騒ぎをして迎える。五位は馬から降りて家の様子を言うと、舅は、「それはまたぞうさもないものに満足なさ 見ると、 しいようもないほど裕福である。はじめ着ていた らなかったことですね」とたわむれ言を一一一一口うと、五位は、 二枚の着物の上に利仁の夜着まで着たが、腹もへっていて 「いや、この方が東山に湯を沸かしてあるとわしをだまし ひどく寒そうな様子なので、火鉢にたくさん火を〔おこ て連れ出し、こんなことをおっしやるのですよ」などと言 くだもの 互いに冗談ごとを一言いムロっている , っち、少し夜がふけ 十し〕て、畳を厚く敷き、その上に果物や菓子を並べたが、 たので、舅は自分の部屋に帰って行った。 語じつに豪勢である。「道中、お寒かったでしよう」と言っ 五位も寝所とおばしき所にはいって寝ようとすると、そ 行て、練色の着物に綿の厚くはいったのを三枚重ねて掛けて ひたたれ こに綿の厚さ四、五寸もある直垂が置いてあった。もと着 将くれたので、なんともいえずいい気分になった。 しゅうと 位やがて食事が終り、あたりが静かになってから、舅の有ていた薄い着物は着心地が悪く、また何がいるのか、かゆ 五 仁がやってきて、利仁に、「いったいどういうことで、こ い所も出て来たので、みな脱ぎ捨て、練色の着物三枚重ね た上にこの直垂を引き覆って横になった気持といったら、 敦のようにだしぬけにお下りになり、あのようなお使いをい いまだ経験したこともないほどで、汗びっしよりになって 従ただいたのか。どうも気違いじみてますな。あなたの奥方 京 時がにわかに発病され、まことにお気の毒なことでしたよ」寝ていると、そばに人のはいってくる気配がした。「だれ だ」ときくと、女の声で、「おみ足をおさすり申せと言わ 若と言うと、利仁は笑って、「どうするかためしてみようと 将存じて申したのですが、本当にやってきて告げたのですれましたのでまいりました」と言う様子がなかなかかわい いので、抱き寄せて、風がはいってくる所に寝かせた。 仁ね」と一言う。舅も笑いながら、「驚き入ったことです」と 利 言って、「いったいお連れになった方とは、ここにおいで やがて騒がしい声が聞えるが何だろうと思って聞いてい の方のことですか」と尋ねる。「さようです。芋粥をまだ ると、男の叫び声がして、「この近くの下人共よく聞け。 腹一杯上がったことがないと仰せられるので、十二分に上明朝卯の時 ( 午前六時 ) に、切ロ三寸、長さ五尺の山芋を
しか八か月ほど過ぎた。 ながら帰って行った。それを主人は送り出してもどってく ところがそのころから、この妻の顔色が変り、ひどく悲るや、「どうだ婿殿に何かさし上げたか。十分にさし上げ しんでいる様子である。この家の主人は前にもましてよく よ」など言って、食べ物を持って来させた。それを食べる 面倒をみてくれ、「男は肉が付き肥えているのがいいので につけても、妻の思い嘆くことがどうにもわからず、客が すよ。お太りなされ」と言って、日に何度となく物を食べ 言ったことも、どういうことなのかと恐ろしい気がして、 させるので、ますます太ってゆく。それにつれてこの妻は妻をなだめすかして尋ねてみたが、妻は何か言いたげな顔 さめざめと泣く。夫は不思議に思い、妻に、「何を嘆いて つきながら何も言わない おられるのじゃ。さつばり訳がわからぬ」と言ったが、妻 こうしているうち、この里の人々が何やら準備に追われ ちそう は、「ただなんとなく心細く思われるのです」と言って、 ている様子で、家ごとに大騒ぎしてご馳走の用意を始める。 第それにつけてもいよいよ泣くので、夫は訳がわからず怪し妻の泣き悲しむさまも日ましに募ってゆくので、夫は妻に、 語 るい気がするものの、人に聞くべきことでもなく、そのまま「泣くにつけ笑うにつけ、どんなことがあってもわたしに は決して隠し事などなさるまいと思っていましたが、こん 止過しているうち、客がやってきて、この家の主人と会った。 なに隠し事をなさるとは情けないことですね」と言って恨 贄互いに話をしているのを、そっと立ち聞きすると、客が、 の「いいあんばいに思いも寄らぬ人を手に入れなさって、娘み泣きをしたので、妻も涙を落し、「どうして隠しだてし ようなどと思いましようや。けれど、お顔を見、お話しす 猿御が無事になられたことをさぞやうれしくお思いでしょ 国う」など言うと、主人は、「そのことですよ。もしこの人ることが、もういくらもあるまいと思うので、このように 弾を手に入れなかったなら、今ごろはどんな気持でいましたむつまじくなったことが今更悔やまれるのでございます」 飛 ことやら」と言う。「わたしの方は今までのところだれも と言いもやらす泣く。夫は、「では、わたしが死ななけれ 手に入れていませんから、来年の今ごろはどんなにつらい ばならぬことでもあるのですか。死は人にとって結局免れ 気持でいることでしよう」と言って、そっとあとじさりし得ぬ道だから、別にどうということもない。ただ、それ以
卩はあいていたので、中にはいって見ると、以前とすっか い、いよいよ下ることになった。ところで、この侍には長 年連れ添う妻がいた。日ごろの貧乏暮しは堪えられぬほど り様子が変り、家も驚くほど荒れ果て、人の住んでいる気 これを見るにつけ、いっそう物哀れで、いいよ であったが、妻は年も若く、容姿も整い、心も優しかった 配もない。 十ので、ひどい貧しさの中でも、互いに離れがたい思いで一 うもなく心細い。九月中旬ごろのこととて、月がたいそう 第緒に暮してきていた。だが、この男は、今度遠国に下るこ 明るい。夜気が冷え冷えとして、哀れさは胸に迫るほどで ある。 とになって、にわかにこの妻を捨てて、ほかの裕福な家の 家の中にはいって見ると、昔いた場所に妻が一人でいた。 語女を妻にした。この妻が旅装万端調えて出してくれたので、 昔その妻を連れて国に下った。そして、国にいる間、何かに他には人影もない。妻は夫を見て、恨む様子もなく、うれ 今 しそうに、「これはまたどうしておいでになったのですか。 つけ生活は豊かになった。 いつご上京なさいましたか」ときく。夫は田舎で長い間思 このように満ち足りた生活を送っているうち、京に捨て い続けていたことなどを話し、「これからはこうして一緒 て来たもとの妻のことがむしように恋しくなって、会いた に住もう。田舎から持って来たものは、明日にでも取り寄 い思いがにわかに募り、早く上京してあれに会いたいもの だ、今ごろどうしているだろうと、居ても立ってもいられせよう。従者なども呼ばう。今宵はただこのことだけを言 おうと思って来たのだ」と言うと、妻はさもうれしげに来 ず、何一つ身に添わぬ思いで過していたが、いっしか月日 し方の積る話などしているうち夜もふけたので、「さあ、 もたって守の任期も終り、守が上京する供をしてこの侍も もう寝よう」と、南面の方に行き、二人抱き合って横にな 京に上った。 った。夫が、「ここにはだれもいないのか . と尋ねると、 「おれはさしたる理由もなくもとの妻を捨ててしまった。 京に帰り着いたら、直ちに妻のもとに行って一緒に住も女は、「こんなひどい暮しですので、召使に来る者もおり う」。こう心に決めていたので、京に着くや否や、今の妻ません」と言い、秋の夜長をよもすがら語り合ったが、か ってのころより身にしみるように哀れに思われた。 を実家にやり、男は旅装束のままもとの妻の家に行った。