を創りあげていた。それをのちに記述法を変えて『今昔』 語辞典』『今昔物語集一 ~ 四 ( 日本古典文学全集 ) 』 ( 共著 ) 。 の世俗部に収めた。また直接『今昔』記述法で書いたもの国東文麿 ( くにさきふみまろ ) もあったろう。仏教説話など、典拠の漢文を『今昔』文に 大正五年、東京都生れ。昭和十五年、早稲田大学卒。中 翻訳する場合にも、やはり登場人物に人間の息を吹き込も世文学専攻。現在、早稲田大学教授。主著は『今昔物語 うとした。『今昔』全話にわたって表現的統一性がみられ集成立考』『今昔物語集一 ~ 四 ( 日本古典文学全集 ) 』 ( 共 るのはそのためである。 著 ) 『今昔物語集一 ~ 九 ( 学術文庫 ) 』『今昔物語作者考』。 だから、『今昔』は単なる編集の書ではなく、半ばは編今野達 ( こんのとおる ) 集者自身の創作、半ばは創作性の濃い翻訳話を抱えもっ作昭和一一年、岩手県生れ。昭和一一十六年、東京文理科大学 品なのである。『今昔』は、これによって人間の文学にな卒。中世文学専攻。現在、横浜国立大学教授。主著は っており、そこに「作者」を捉えることができる。芥川が 『新注今昔物語集選』『今昔物語集一 ~ 四 ( 日本古典文学全 『今昔』を「人間喜劇」といい、その表現を通じて作者と 集 ) 』 ( 共著 ) 。 いったのは、芥川という作家の眼の確かさといってよかろ《編集室より》 う。その「作者」はいったい誰なのか。筆者にはその姓名☆第四十三回配本『今昔物語集二』をお届けいたします。 が用意されているが、今は触れないでおく。 定評ある、各話の典拠解説によって、説話間の相関関係や、 ( 一九八六・六 ) その発展してゆく姿をたどってみるのも興味深いことでし よ、つ 《著者紹介》 ☆次回配本 ( 六十一年十月 ) は『萬葉集五』 ( 小島憲之・木 馬淵和夫 ( まぶちかずお ) 下正俊・佐竹昭広校注・訳定価千七百円 ) です。創作歌 あずまうた 大正七年、愛知県生れ。昭和十七年、東京文理科大学卒。とは一味ちがった魅力をもち、民謡の源流を思わせる東歌 国語学専攻。現在、中央大学教授。主著は『日本韻学史二百三十首を配列した巻十四から、大伴家持の生活記録と の研究』『上代のことば』『今昔物語集文節索引』『古もいうべき巻十七までの四巻を収めました。
集成というに価し、これを統一する根本思想は、現世を仏化の波及する法界と見る仏教的世界観であったろ う。『今昔』においては、仏法と世俗は並立または対立関係にある二つの世界ではなく、仏法に包摂される 集一つの世界であったと見る。編者は仏法東伝の歴史に照らして、天竺・震旦・本朝を仏法の照臨する一世界 語 物と見なし、そこに生きる仏縁なき衆生の営みも、王権が君臨する俗界の世態も、所詮は仏界の一相ととらえ 昔 今 たわけである。こうした認識または世界観に立って、仏法の光被の下に生きる一切有情の実相を写すのが編 集の本意で、『今昔』の説話集としての特質もそこにあると見ることができよう。世俗的説話の類集に当っ て、巻二十六に宿報、巻二十九に悪行と言った仏教思想的支柱を立てたのも、仏法による世俗包摂の意図の 具体的現れと言える。しかし、『今昔』の編集を支えたもう一つの柱、即ち編者の世俗的説話に対する強い 興味と関心は、往々にしてその本来的意図の枠を越えて世俗的説話の醍醐味を生かしがちで、時にテーマと 内容のずれが見られることもあった。それが『今昔』理解の姿勢に、仏法本位、世俗本位という二極化現象 や、仏法・世俗並立という解釈をもたらす結果ともなったが、『今昔』を文学作品として見る時は、それは むしろ幸いなことだったとも言えよう。 七素材について 『今昔物語集』が膨大かっ多彩な内容を収載する作品であるにつけて、それが何を素材として制作されたも のかは、『今昔』の研究が始った当初から、研究者が抱いた最大の関心事の一つであった。江戸末期の『今 昔』研究のバイオニアたちも、こぞってその解明を志し、取材の典拠、即ち収載話の出典研究に努力した。
日本の古典」全巻の内容 荻原浅男 ( 千葉大学 ) 国 古事記 小島憲之 ( 大阪市立大学 ) 佐竹昭広 ( 成城大学 ) ロロ萬葉集 7 因 木下正俊 ( 関西大学 ) 中田祝夫 ( 筑波大学 ) 回 日本霊異記 小沢正夫 ( 中京大学 ) 回古今和歌集 竹取物 片桐洋一 ( 大阪女子大学 ) 福井貞助 ( 静岡大学 ) 伊勢物 松村城一 ( 成蹊大学 ) 土佐日記 木村正中 ( 学習院大学 ) 回 蜻蛉日記 松尾聰 ( 学習院大学 ) 回回枕草子冒 阿部秋生 ( 東京大学 ) 回ー源氏物語 7 田 秋山虔 ( 東京女子大学 ) 和泉式部日記 藤岡忠美 ( 神戸大学 ) 中野幸一 ( 早稲田大学 ) 紫式部日記 大養廢 ( お茶の水女子大学 ) 更級日記 鈴木一雄 ( 明治大学 ) 四夜の寝覚冒 堤中納言物語 稲賀敬一一 ( 広島大学 ) 久保木哲夫 ( 都留文科大学 ) 無名草子 橘健二 ( 岐阜女子大学 ) 四大鏡冒 今昔物語集 7 質馬淵和夫 ( 中央大学 ) 国東文麿 ( 早稲田大学 ) ⑩ー国 今野達 ( 横浜国立大学 ) 本朝世俗部 新間進一 ( 青山学院大学 ) 梁塵秘抄 曰ロ峯村文人 ( 国際基督教大学 ) 3 国新古今和歌集 ロロ 松田成摠 ( 金城学院大学 ) 鈴今永伊 木井井牟 日源和田 出衛子経 久 東光習鹿 京女院児 大学大島 学院学大 学 学 別 2 蕪春雨近芭芭世万日好好好御狂謡謡平宇と徒方 古村雨月松蕉蕉間の本色色色伽言曲曲家治は然丈 典集物物門文句胸文永一五一草集集集物拾す草記 詞こ語語左集集算反代代人代子 ロ旦語遺カゞ 用古蔵女女男集 華 姿道 7 物た 集 同語り 花 集 伝 山暉栗中高森村井堀井神谷東暉大北 佐小市小小久永神 本畯山村田 松本本保脇 埈島川 藤山古林林保積田 健康理博 友農信農五理 明康建忠 喜弘貞保智田安秀 降ー保衛修次一夫一 彌史雅降彦彦 久志次治昭淳明夫 文早成静都大東実神実早筑信早東京 . 一、国東早専東神武 芸稲城岡立阪洋践戸践稲波州稲洋都 学文京稲修京戸蔵 評田大大大市大女大女田大大田大女 習学大田大大大大 論大学学学立学子学子大学学大学子 院研学大学学学学 大大大学 学 大 大究 学学学 学 学資 館 . 島栗堀中 安 表佐 越山切村 藤 田 文理俊 章健 蔵 実定 章 早成早早 京 稲城稲稲 都 大武 田大田田 大 学蔵 大学大大 学 学 学学 美 大 学 石埜敬子 ( 跡見学園短期大学 ) 丸山一彦 ( 宇都宮大学 ) 松尾靖秋 ( 工学院大学 ) 増古和子 ( 上野学園大学 )
今昔物語集 10 一、題はすべて漢字のみで書いてあるため、その読下しはかなり困難であるが、これも一応の試訓を提示し た。ただし、当時のこのような題は、ほとんど現在形で書くのが慣行であったと思うので、本書でもすべ て現在形で統一した。 一、「御」の字のよみは、「み」もしくは「おほむ」とし、「おんー「お」は用いなかった。「おほむ」と「み」 のつく語の相異は『源氏物語』などの和文の平仮名資料によった。 一、各話の解説は伝承史的解説を主とし、出典や同類話の指摘に力点をおいたが、説話内容の大要、説話発 生の史的背景、説話配列の有機性などにも触れ、説話の総合的理解と本集の組織・構成をうかがう一助と した。伝承研究については、『攷証今昔物語集』以下の諸成果に負うところが大きいが、新たに出典・同 類話を追加し、従来の説を補正した箇所も少なくない。また、表題だけで本文を欠く話群についての推理 も、撰集意図への接近をはかったものである。 一、脚注は本集をより深く味読、研究しようとする人の手引きとして、特に次の諸点に留意した。 一般的語句については、現代語訳に譲れるものは多く割愛し、必要最小限にとどめた。 2 社会的、歴史的理解を重視し、事件・人物・歴史・風土・民俗・信仰などについても触れた。 3 出典との対比や本集の表記法・用字用語法の調査結果に基づき、できるだけ破損による欠字・欠文や 原初以来の意識的欠字の推理補填を行い、原本への復元を期した。 一、現代語訳は平易・雅馴を旨とし、原文の味わいを伝えることに心がけた。 一、本文の欠字・欠文で、他の資料により確実にその内容が推定できるものは、現代語訳中に〔〕でその 部分を補った。現代語訳で通読する場合、できるだけ文意が通る方が好ましいと思ったからである。
郎・小島政一一郎等も有縁の人であった。戦後は『今昔』の読者層の急激な増大に連動して、取材作家も鰻登 りに増加し、列挙にいとまがないほどであるが、故人の中では、福永武彦などが最もよき『今昔』の知己だ 集ったような気がする。 五ロ 1 一 = ロ 物無責任な物言いであるが、一般読者にとっても作家にとっても、多分『今昔』は今後とも魅力ある作品で 昔 ひながた 今 あり得よう。時が移れば人間も変るのが世の常であるが、いかように変っても、考えられる変化の雛型が、 大体『今昔』の中にそろっているからである。作品の中に自分たちに似た人間の類型を発見したい読者にも、 逆に失われた人間の姿をなっかしみたい読者にも、『今昔』はその要求に応じて、お好みのメニューを手つ 取り早くそろえてくれそうな作品なのである。 ( 今野達 ) 九『今昔物語集』の諸本 『今昔物語集』の一番古い写本は、京都の鈴鹿家に蔵する九冊の本で、普通「鈴鹿本」と呼ばれている。現 存する数多くの写本はみなこの鈴鹿本を写したものである。そのことは何によってわかるかというと、鈴鹿 本で虫損や破損で不明の部分が、他の本ですべて空白となって残っているからである。中にはその部分に文 言が入っているものもあるが、それは同じ話を載せている『宇治拾遺物語』の文をそこへあてはめたもので、 たんかく 『今昔物語集』の異本があって、それと対校したものではない。ただし、丹鶴叢書といって、江戸時代の終 り頃に、今の三重県新宮市、その頃の新宮城、一名丹鶴城ともいった城の城主であった水野忠央という人が 編纂させた叢書中に収められた『今昔物語集』の中に、他では補えないような本文がその空格の中にあるも うなぎ
今昔物語集
れが他本のように訂正されていることについては別に考えなければならない。 さて、前述のごとく、すべての本が鈴鹿本から出ているとすれば、『今昔物語集』というものは、鈴鹿本 集を一番根本にすえて、それによっていろいろなことを考えていけばよいわけであるが、現存する鈴鹿本は九 語 物冊 ( 巻でいえば、二・五・七・九・十・十二・十七・二十七・二十九の九巻 ) しかない これはこの本があった奈 今良興福寺 ( 後述 ) から鈴鹿家に移った間に、借出しゃ持出しがあったからであろうと思われる。そこで、他 の本によって、一番鈴鹿本に近いと認められるものによって鈴鹿本に欠けている巻を補充していけばよいわ けである。そこで諸本の系譜関係を調べてみると、前ページの系統図のようになる。その各本の紹介は、小 学館『日本古典文学全集・今昔物語集一』解説を参照せられたい。 ここで古本系に類せられている一群のものを表にしてみると左のようになる。なお、巻八・十八・二十一 の三巻はすべての本で欠巻となっているから、鈴鹿本にもなかったものであろうと思われる。 この表を見て気づくことは、これら古本系の祖本となったものは、現存鈴鹿本の各巻を、巻二十九を除い てすべて含んでいるのであるから、おそらく、実践女子大二十六冊本・国学院大本のごとく、巻一・二・ 三・四・五・六・七・九・十・十二・十三・十四・十五・十六・十七・十九・二十・二十二・二十七の十九 巻は全部あったものと思われ、あるいは東大十五冊本のごとく、巻二十八・三十・三十一の三巻もあったか もしれない。 しかし現在となっては、そういう祖本がどれだけそろっていて、いつ、どうして各本に欠損し た形で伝えられているのか、確かな手がかりはない。 そこで、鈴鹿本に一番近いものを選んでいくと、古本系で、巻一・三・四・十三・十四・十五・十六・十 九・二十・二十二・二十五・二十六・二十八・三十・三十一の十五巻を充足することができ、残りの巻十
今昔物語集巻第一一十五本朝付世俗
今昔物語集巻第一一十七本朝付霊鬼
今昔物語集巻第一一十 , ハ本朝付宿報