わらはペ ただいまさと いでたまひ たづね 冂凵ヲ尋ケレバ、「只今里へ出給ヌル」ト大盤所ノ女ノ童部ノ云ケレバ、ヤガが地方だったことから所領の意か。 一〈破損による欠字とすれば「局」 あり にしむき ほど なめかやうか ほどっきにしかたぶき いへゆきたづね テ家ニ行テ尋ケルニ、七日八日ノ程ノ月ノ西ニ傾タル程ニテ有ケルニ、西向ナとあったものか。場所の明記を期 した欠字とも。 うち たかつねつまど おしひらきいり あり こちうじゃういで つまど 一九「台盤所」とも。食物を調理す ル妻戸ノ有ケル内ニ、小中将出タリケレバ、隆経妻戸ヲ押開テ入テ、「暁ニ る所。宮中では清涼殿の一室で、 こちうじゃうみ おもひ かへり かくつばかり 物へ行カムズレバ、此ト告グ許ニテ返ナム」ト思ケルニ、此ノ小中将ヲ見ルニ、女房の詰所。 ニ 0 ↓五四ハー注七。 こちうじゃう こころばそげおもひすこしなや あは いとほしおばえ 例ョリモ身ニ染テ糸惜ク思ケルニ合セテ、小中将モ心細気ニ思テ、少悩マシ気 = 一この「許」は終止形を受けるが、 限定的意味。告げるだけで。 とどま ふし かへり おもひ あり たかつねあそむ 一三「みちすがら」のよみは「竟夜」 ニテ有ケレバ、隆経ノ朝臣、「返ナム」ト思ケレドモ、留リテ臥ニケリ。 「終霄」「終夜」を「ヨモスガラ」と みおき こひしげおもひ よもすがらかたらあかっきかへり 終夜語ヒテ暁ニ返ケルヲモ恋気ニ思タリケルヲ見置テ出ニケレバ、隆経家よむことなどから類推。途中。 ニ三「何シカト」の意。早く早くと。 いまと かへり いぶかし つき かへりみちすがらこころかかりいへかへ へ返ケル終道心ニ懸テ家ニ返リ着ケルニ、「不審カルベキ事。今疾ク返ナムト = 四今鏡には「鳥部山谷に煙の燃 えたらばはかなく消えしわれと知 もてき とりあ まちゐ かきやり ス」ナド書テ遣タリケルヲ、返事ヲ何シカ待居タリケルニ、持来タレバ、不取らなむ」とする。本歌は拾遺集二 ニ四 〇に収め、更級日記では作者が手 たかつね ただ ばかりかき ことことな とりべやま とりひらきみ 敢ズ取テ披テ見レバ、異事ハ無クテ、只、「鳥部山」ト許書タリケレバ、隆経習い歌としたなど、当時周知の歌 語 で、「鳥部山」といっただけで本歌 みち ものゆき あは おばえふところさしい 死此ヲ見テ哀レニ思テ、懐ニ差入レテヒタ秦ニ宛テナム出テ、物へ行ニケル。終をさすことがわか 0 たもの。鳥部 影 山はいわゆる鳥部野で京都五三昧 いとよ かしこしばあるべ とりいで すがら 炉道モ、此レヲ取出ツ、見ケレバ、手モ糸吉カリケリ。然テ彼モ暫シ可有キ事有の一。古来共同墓地とされ、火葬 移 が行われた。↓ 3 二三二ハー注九。 いそかへり ひとこひし ニ五肌にびったりつけて。「秦は ケレドモ、此ノ人ノ恋サニ、急ギ返ニケリ。 「膚・肌」の当字。 はやうせたま ま ゆき きゃうのばりつき ニ六筆跡。 京ニ上着ケルニ、先ヅ急ギテ行タリケレバ、家ョリ人出テ、「早ウ失給ヒニ ものゆ これみ そみ み いそ かへり′一といっ て ニ五はだあて 一九 だいばんどころめ ひといで - 」と たかつねいへ あかっき 、 ) とあり
ま ) り をうとめ はな こころみおもひ そのち いよいみったな な つひきゃう 一すっかり農夫になりさがって。 夫ハ妻ヲ離レテ試ムト思ケルニ、其ノ後ハ弥ョ身弊クノミ成リ増テ、遂ニ京ニ ニ「サスガ ( 一 l) 」の漢字表記を期 えをら くにわたりまどゆき ひとへでんぶ なりひとっかはれ した欠字。 モ否不居デ、摂津ノ国ノ辺ニ迷ヒ行テ、偏ニ田夫ニ成テ人ニ被仕ケレドモ、 十 三やりつけない気持。なじめな - 一こち・ げすす はたけつく ならは い気持。「習」は「慣」の当字。 第冂凵ニ下衆ノ為ル田作リ、畠作リ、木ナド伐ナド様事ヲモ、不習ヌ心地ナレバ 巻 四摂津国難波の海辺 ( 入り江 ) 。 あり つかひものこ うらあしかりやり ゆき 集否不為デ有ケルニ、仕ケル者、此ノ男ヲ難波ノ浦ニ葦ヲ苅ニ遣タリケレバ、行五一同をそぞろ歩きさせて。景 語 勝を遊覧させて。 かみそめ くだり なにはの 物あしかり 昔テ葦ヲ苅ケルニ、彼ノ摂津ノ守、其ノ妻ヲ具シテ摂津ノ国ニ下ケルニ、難波六郎等よりも身分の低い、うち 六 うちの下僕の類。 わたりくるまとど せうえう ものく おほらうどうくゑんぞくとも 辺ニ車ヲ留メテ逍遥セサセテ、多ク郎等眷属ト共ニ、物食ヒ酒呑ナドシテ遊ビセ品があって心ひかれる男 ^ 「護」は「守」の当字。見守る意。 たはぶれ そかみきたかたくるま によら・ばう と - もに . なにま うらをかしおもしろ 戯ケルニ、其ノ守ノ北ノ方ハ車ニシテ、女房ナド、共難波ノ浦ノ可咲ク譿キ九見まちがいか。下の空格は破 損による欠字。該当語は「ト」か みきよう そ う久 - あしか そ ′よかげ・す . おほ 事ナド見興ジケルニ、其ノ浦ニ葦苅ル下衆ドモ多カリケリ、其ノ中ニ下衆ナレ一 0 相変らすあわれな境遇でおっ たものよ。 ゅゑありあは をのこひとりあ = それなる男よ。↓二三四ハー ドモ故有テ哀レニ見ュル男一人有リ よ まも あやしわ むかしをうとに かみきたかたこ み 守ノ北ノ方此レヲ見テ、吉ク護レバ、「怪ク我ガ昔ノ夫ニ似タル者カナ」ト三「ヒタ黒」の「ヒ」脱と見る。ま 九 っ黒な。↓ 3 四九ハー注一一一。 おも そ なり ひがめ おもひあながちみ あさましすがた 一三麻布で作った単衣の。「帷」は 思フニ、僻目カ冂凵思テ強ニ見レバ、「正シク其レ也」ト見ル。奇異キ姿ニテ 裏をつけない衣服。 さきょ あし もの しカ むくし なほこころう 一四膝の裏側のくばむ部分。ひか 葦ヲ苅立テルヲ、「尚心踈クテモ有ケル者カナ。何ナル前ノ世ノ報ニテ此ルラ がみ。膝の辺までしかない衣を。 おも なむだこばる ひとよび かあしかげすなか 一五衣製の冠り物。ここでは、烏 ム」ト思フニモ、涙泛レドモ、然ル気無クテ人呼テ、「彼ノ葦苅ル下衆ノ中ニ、 のりけ 帽子の糊気が落ちて形のくずれた あをのこみくるまめ しかしかあをのこめ つかひはしゆき 然々有ル男召セ」ト云ケレバ、使走リ行テ、「彼ノ男御車ニ召ス」ト云ケレのをかぶっているさま。 えせ かりた っ たっく み っ あり 四 をとこなには 0 ま一 こる ゃうのこと っ み さけのみ もの カカ あそ と え
ヲ入レテケリ 一九本妻の親の家。 ニ 0 男の親の郡司に使われていた そのちをとこなれむつ こころさりがたおもひ あふみゐてくだり うちに。女は国に着いてから捨て 其ノ後、男馴睦ビテ、不見習ヌ心ニ難去ク思テ、近江へ将下ケレバ、女モ、 られ、男の親の家に身を寄せて使 いまいカ おもひぐ ャ ) をと ) ) もと 「今ハ何ガハセム」ト思テ、具シテ下ニケリ。其レニ、此ノ男本ョリ国ニ妻ヲ用人になっていたもの。 ニ一新しい国守が任命されて。こ もち おや いへすみ をと′ : 」 そのもとめいみじねたののしり きゃうひと 持タリケレバ、祖ノ家ニ住ケルニ、其本ノ妻極ク妬ミ隍ケレバ、男此ノ京ノ人の男の親は、国守の下の郡司。 もと 一三国守の新任は地方政治の変化 よりつか きゃうひとおやぐんじ つかはれあり ほど につながり、在地官民の利害に直 ノ許ニハ寄モ不付ズ成ニケリ。然レバ京ノ人、祖ノ郡司ニ被仕テ有ケル程ニ、 結する重大事だった。 くにあたらしかみなり くだりたま くにこぞりさわあひ 」とかぎりな ニ三国守の敬称。 其ノ国ニ新ク守成テ下給フトテ国挙テ騒ギ合タル事無限シ。 ニ四盛大に準備して。りつばに整 しかあひだすでかうとのおはし ぐんじ さわあひ 而ル間、「既ニ守ノ殿御マシタリ」トテ、此ノ郡司ノ家ニモ騒ギ合テ、菓子えて。郡司は有力な在地豪族とし ニ四 ニ六 て、新任国守歓迎の主役的存在だ くひもの いかめしととのたてたちはこび きゃう きゃうひと つけ ぐんじ 食物ナド器量ク調へ立テ館へ運ケルニ、此ノ京ノ人ヲバ、「京ノ」ト付テ郡司ったもの。 四 ニ七 ニ五国守の邸宅。地方在庁の官人 第 - としごろっかひ たちものどもはこび をとこをむなおほ きゃう 語年来仕ケルニ、館へ物共運ケルニ、男女ノ多ク入ケレヾ / 、此ノ京ノニ物ヲ持セの官舎。 ニ六「京ノ」と名づけて。「京ノ人」 「引たちやり 郡テ館へ遣ケリ の略。 毛「入ル」は「要ル」で、入用・必 近 しかあひだかみたち おほくをとこをむなげすどもものもちはこ 成而ル間、守館ニテ多ノ男女ノ下衆共ノ物ヲ持運プヲ見ケル中ニ、異下衆ニモ要の意。饗応のための人手が大勢 ニ九 必要だったもの。 輔 あは きゃう みえ かみこどねりわらはめし しのび 太不似ズ、哀レニ故有テ、此ノ京ノガ見ケレバ、守小舎人童ヲ召テ、忍テ、「彼 = 〈圭語は下出の「京ノ ( ガ ) 」。 ニ九しんみりとした風情があって。 市・をむないか もの たづねゅふ まゐ こどねりわらはたづ 三 0 使用人。召使。 ノ女ハ何ナル者ゾ。尋テタサリ参ラセョ」ト云ケレバ 小舎人童尋ヌル一一、 三一会話文を受ける「ト」を省略し しかしか ぐんじとものものなりきき ぐんじ カく かうとの′、らむ おほせらる っ ) ′ / 0 「然々ノ郡司ノ徒者也」聞テ、郡司ニ、「此ナム、守ノ殿御覧ジテ被仰ル」ト「ム そ 0 0 ゅゑあり みならは くだり なか 」とげす . ものもた をむな くだもの オ形
みちむまのりじうしやどもあまたぐ をむなあひ ケルニ、途ニ馬ニ乗テ従者共数具シタル女会タリ。此レハ、其ノ国ノ城下ノか。これほどの秘密をうち明ける ことで万事を察してくれ、の句意。 ところすみ とうたいふ もの せいとくいかめし すぐし 郡ト云フ所ニ住ケル藤太夫ト云ケル者ノ、勢徳器量クテ過ケルガ、何ニモ子ノ一六当時「・あフ」は目的を示す助詞 「ニ」を伴わないのが普通。 ことなげき としごろつねはっせまゐり たまへ ねがまうし 無力リケレバ、此ノ事ヲ歎テ、年来常ニ長谷ニ参テ、「子ヲ給」ト願ヒ申ケル宅現在の奈良県磯城郡。 天藤原氏で五位の者の通称 そ とうたいふ そときはっせまゐりぐゑんかう 一九権勢。また、権勢と財力。 ニ、其ノ藤太夫ガ妻ノ、其ノ時ニ長谷ニ参テ還向シケル也ケリ ニ 0 盛大なさま。豪勢なさま。 めのとをし ち ) ) す おもひ ↓っ ) 一いといつくーレげなり 此ノ乳母ノ教ヘッル様ニ、「此ノ児ヲ棄テム」ト思ケルニ、児ノ糸厳気也ケ = 一長谷寺の観音に願をかけて申 し子をしたもの。類例は多い。 すてがたくゆ とうたいふ めゆきあひみ げすをむなちごかきいだ レバ、難棄テ行クニ、此ノ藤太夫ガ妻行会テ見レバ、下衆女ノ児ヲ掻抱キタレ = = 参詣の帰り道。下向。 ニ三赤子が下衆女の子には不相応 おも おのこ あ おもひゆきすぐ ほどみ あやしきぬなか のかわいらしさだったので疑った 、思フニ、「己ガ子ニコソハ有ラム」ト思テ行過ル程見レバ、賤ノ衣ノ中ョ もの。 ちご ひやくにちばかりなり をむな′ ) いといつくしげ あら うたがひ そ ニ四「レーは不審。上の「人ノ」を主 リ百日許ニ成タル女子ノ糸厳ナレバ、「子ニハ非ヌニヤ」ト疑テ、「其ノ児ハ きん 語とみると、「産セ」または「産シ」 ちご そこ いといつくーしげ・ をむないは こほしあまりひともってと とありたいところ。下の「即チ」は、 其ノ子力。糸厳気ナル児カナ」ト、子欲キ余ニ人ヲ以問ハスレバ、女ノ云ク、 すぐに、の意。 あら やむごとな むまたまひすなは そ ばだニ五う 第「此レハ己ガ子ニモ非ズ。止事無キ人ノ御子ヲ産レ給テ即チ、其ノ母堂フ失セニ五「フ」は「母堂」の終音「ウ」の表 語 記で捨て仮名。 えう ひと ひとたまひ 娘たま 人給ヒタレバ、『要セム人ニモ取セョ』トテ人ノ給タレバ、然様ニ、『要セム人ヲニ六この子の母方の人がください ましたので。 ごゐ 人 ( たづね おもひまかなり めこころうち うれ 毛藤大夫の妻。↓注一八。 国モ尋テコソ』トテ思テ罷ル也」ト云へバ、此ノ五位ノ妻、心ノ内ニ、「喜シ」 夭子供を授かること。 ゃうわ , 入おもひ としごろはっせまう ト思テ云ハスル様、「我レナム子無クテ、年来長谷ニ詣デッ、、其ノ事ヲ祈リニ九そうしためぐり合せで、つま ニ九 り観音のお導きで。 をむな ちごすみやかわれえ 三 0 さるべ あひ -4 ・まうし 申ツルニ、可然キニテ此ク会タリ。其ノ児速ニ我ニ得サセテョ」ト云バ、女三 0 「セ」を補う。「テ」は強意。 な おのれこ えう め ゃう とら こな ひとみこ そ ) ゃう 0 ニ八 しカ しきのしも ひと
こころばそおもつづ ここむげひとげ とかく やしなひ ニ 0 物陰。人目につかぬ所。 此彼シテ養ケルニ、此ハ無下ニ人気モ遠クテ、故へ無ク心細ク思ヒ次ケラレテ、 一九 三ちょっと出かけてくる、の意。 なき ことどもたがひかた あは すぎ かたゆくすゑ はるばるみわたり 遥々ト見工渡ケルニ、過コシ方行末ナドノ哀レナル事共ヲ互ニ語リッ、泣ケリ。 = = ↓一八ハ , 注 ニ 0 ニ三↓三三ハー注三一。 ややびさしみ かた あから しかあひだせうしゃうかく 而ル間、少将隠レナル方ニ、「白地サマニートテ行ニケルガ、良久ク不見ェニ四「モ」は「ハ」とありたいところ。 一宝田 ( のあぜ道 ) をどこまでも分 ものどもつぐ をむない おもひとも ひさし け入ってみると。 ザリケレバ、女、「何カニ此ク久クハ不見エヌニカ」思テ、共ナル者共ニ告レ ニ六狩猟用の衣服の意であるが、 かきある せうしゃうニ四な をむなおどろきをだふかゆきみ それらゆきみ 、其等行テ見ケレバ、少将モ無シ。女驚テ小田深ク行テ見ケレバ、垣ノ有当時の貴族や官人が外出時などに ニ六 ニ七 着用した平服。軽装である。 一らに、ま を。むカよこ あないみじ かたはらせうしゃうかりぎぬそでかぎかか 傍ニ少将ノ狩衣ノ袖ノ限リ懸リタリ。女此レヲ見テ、「穴極」トダニ更不云レ毛まあ、大変。↓注三。 ニ ^ 漢字表記を期した欠字で、該 なほおくみ うしろかたせうしゃうはき まどはれ ズ被迷テ、尚奥ヲ見ケレバ、其ノ後ノ方ニ少将ノ履タリツルロノ、片足ノミ有当語は「タビ ( 足袋・単皮 ) 」か ニ九 三 0 ニ九この辺から記事が飛躍し、主 をむなまへ おろか かなしいみじ、一とい とりあげみ ただあしひら 語が女から供の者に転換する 取上テ見レバ、只足ノ平ノミゾ有ケル。悲ク極キ事云へバ愚ニテ、女ノ前 三 0 「あなひら」と同意で、足の甲。 もち - ゆき ふ まろなきまど みをむないかばかりおば ここでは履物の甲の部分。これだ 七ニ此レヲ持行テ、臥シ丸ビ泣迷フ。此レヲ見ル女何許思工ケム。ャガテ其コ けを残して失踪した少将は、霊鬼 語 なきふし に取り殺されたものか。↓巻二七 西ニ泣臥ニケリ。 第七・八・九話。 かくききちんぜい ほど をむなおやだいに ふつかばかりそこあり 然テ二日許其ニ有ケル程ニ、女ノ祖ノ大弐、此ト聞テ鎮西ョリ数ノ人ヲ遣三一↓ 3 二五九ハ。注一戸 三ニそのままその場に。 せうしゃうちんぜいゆき またせうしゃうおやだいなごんもと三三 たづね 三三「ノ」は衍字であろう。 少セテ尋ケルニ、亦少将ノ祖ノ大納言ノ許ノョリモ、「少将鎮西へ行ニケリ」ト 三四 = 西少将一行の姿を見つけて。 ともこ もとたづきたあひ かくみつかひょろこなが 亠心ききひとやり 聞テ人ヲ遣ケルニ、共ニ此ノ木ノ本ニ尋ネ来リ会ニケリ。此ト見テ使喜ビ乍ラ、三五どちらですか。↓一四一ハ 三五 ー ) 、かーしか せうしゃうどの とひ こたふべかたな 「何ラ、少将殿ハ」ト問ケレバ、可答キ方無シ。辛クシテ、「然々」ト云ケレ三六や 0 とのことで。 カ そ あり とほ み ゅ み 三六 から ゆき な あまたひとおこ かたあし あ 注一九。
やまきたあなゐ いほりたちいでみありき をむなまちわびこころばそおば 一穴を掘って湧水などをためた 、女待侘テ心細ク思工ケルマ、ニ、奄ヲ立出テ見行ケルニ、山ノ北ニ穴井ノ 囲いのない浅井戸。後出の「山ノ かがみみ み わかげみづうつり あり 井」と同類。 有ケルヲ見テ、我ガ影ノ水ニ移タリケルヲ見ケルヲ、鏡見ル世モ無力リケレバ 十 ニ自分の姿の水に映ったのを見 しら きはめはづ み いとおそろげなり みづうつり ゃう たところが。「移」は「映」の当字。 第顔ノ成ニケル様モ不知デ、水ニ移タルヲ見レバ、糸怖シ気也ケルヲ、「極テ恥 巻 三生活にゆとりがなく、山中に ひとり′といひ おもひかく は鏡もなかったのであろう。 集カシ」ト思テ、此ナム独言ニ云ケル。 語 四万葉一六 、に、四・五句を「浅 やま やまゐ 物 き心を我が思はなくに」として所 アサカ山カゲサヘミュル山ノ井ノアサクハ人ヲオモフモノカハ 昔 今 収。古今、序には「歌の父母のや いへありときぶも いほりかへゆき うにてそ手習ふ人の初めにもしけ ト云テ、此レヲ木ニ書付テ、奄ニ返リ行テ、我ガ家ニ有シ時、父母ョリ始メテ る」とみえ、当時周知の歌。上の 著 ) き しカ こころばそことかぎりな ことどもおも よろづひとかしづかれめでた 万ノ人ニ被傅テ微妙カリシ事共ヲ思ヒ出シテ、心細キ事無限ク、「何ナル前ノ句は「アサクハ」をいう序で、真意 は下の句にある。底の浅い山の井 おもしにし おもひ もくい カカ 世ノ報ニテ、此ルラム」ト思ケルニ、否ャ不堪ザリケム、ヤガテ思ヒ死ニ死ニを引合いに出してわが思いの深さ を強調したものであるが、女の男 もちき ー ) にふ もとめ じうしやもた のちをとこじきもっ への恨みも感じられる。 ケリ。其ノ後、男食物ナド求テ、従者ニ持セテ持来テ見レバ、死テ臥セリケレ 五紙がないので、手近の立ち木 うたみ かのかき おもひ いとあは あさまし に書きつけたもの。 「糸哀レニ奇異」ト思ケルニ、山ノ井ニ木ニ彼書タリケル歌ヲ見テ、弥ョ 六そのまま思いつめて嘆き死に おもしにし めかたはらそふ いほい・かへめ・ かなし をしてしまった。実践女子大本に 悲ムデ、奄ニ還テ、死タル妻ノ傍ニ副ヒ臥シテ、思ヒ死ニ死ニケリ。 より下の「死ニ」を補う。 よ ふること ことじうしやかたったへ 七世に言い古されてきた話や事 此ノ事ハ従者ノ語リ伝タルニヤ。世ノ旧事ニナム云スル。 柄。↓四六ハー注九。 かたった こころゆるす をむな とものものなり しか 然レバ女ハ、徒者也トモ、男ニハ心不許マジキ也、トナン語リ伝へタルトャ。〈人々に言わせている。つまり 取り沙汰されている、の意。 み かきつけ を」と、 ) やまゐ え いだ たへ わ ひと み よ
ためこころあらおろか ことどもおほ をばいといたおい 一心ならすもおろそかな取扱い ノ姨母ノ為ニ心ニ非デ愚ナル事共多ク成リ持行ケルニ、此ノ姨母糸痛ク老テ、 が。「愚」は「疎」の当字。 こしふたへ 腰ハ二重ニテ居タリ。 二つに折れ曲って。 十 三意訳すれば、この婆さんった よめ し・よし - ) いとひ おもひをうと 第婦ハ弥ョ此レヲ厭テ、「今マデ此レガ不死ヌ事ョ」ト思テ、夫ニ、「此ノ姨母らなかなか死なないわね。 四 四気の毒がって。 こころきはめにく ふかやまゐてゆきす をうといとほし すて 集ノ心ノ極テ憾キニ、深キ山ニ将行テ棄テョ」ト云ケレドモ、夫糸惜ガリテ不棄五困りきって。 語 六↓五二ハー注一。 めあながちせめいひ をうとせめらわび おもこころっき は 昔ザリケルヲ、妻強ニ責云ケレバ、夫被責レ侘テ、「棄テム」ト思フ心付テ、八、婆さんや。↓ 3 二四九注 今 六 ^ 法会・説教などをさす。なお、 づきじふごや いとあか いぎたま おうなどもてらきはめたふとこと 月十五夜ノ月ノ糸明カリケル夜、姨母ニ、「去来給へ、嫗共。寺ニ極テ貴キ事これを口実に婦女子をあざむいて 誘い出すのは常套的で、巻二九第 みたてまっ いとよ まう 二四話にもみえる。 為ル、見セ奉ラムート云ケレバ、姨母、「糸吉キ事力ナ。詣デム」ト云ケレバ 九本集に頻出する「ニ・ : ニ」の語 をとこかきおひ たかやまふもとすみ やま九はるばるみねのばたち をばお 男掻負テ、高キ山ノ麓ニ住ケレバ、其ノ山ニ遥々ト峰ニ登リ立テ、姨母下リ法で、最初「山ニ」といい、次に具 体的に「峰ニ」といったもの。↓ 3 あらほどなり をとこにげ かへり ジ 可得クモ非ヌ程ニ成テ打居へテ、男逃テ返ヌ。 一 0 呼掛けの語。 さけびをと、こた おもふ = 「テ」は逆接で「叫ペドモ」の意。 姨母、「ヲイ、、」ト叫テ、男答へモ不為デ、逃テ家ニ返ヌ。然テ家ニテ思 一ニ男の心中思惟が地の文に移行 せめられかやます としごろおやごとやしな あひそひあり した形。「 : ・糸悲シト思工ケルニ ニ、「妻ニ被責テ此ク山ニ棄テッレドモ、年来祖ノ如ク養ヒテ相副テ有ツルニ、 とあるべきところ。 すて いとかなし おば こやまうへ いとあかさしいで 此レヲ棄ツルガ糸悲ク」思工ケルニ、此ノ山ノ上ョリ月ノ糸明ク差出タリケレ一三大和・古今一七・俊頼髄脳な どに、第二句「なぐさめかねつ」と よもすがらねられ こひしかなしおぼえ ひとり′」とか 、終夜不被寝ズ、恋ク悲ク思テ、独一言ニ此クナム云ケル、 して所収。「ヲバステ山」は、長野 ぜんこうじだいら かむりきやま 県善光寺平南方の姥捨山。冠着山 やま 一・も ワガコ、ロナグサメカネテサラシナャヲバステ山ニテルッキヲミテ す め つき うちす よ そ しな せ もてゆき こと - 一と す つき いへかへり いへ
こころまか うしろやまにげさり 三「濫」に同じ。気まま勝手に レ」ト云テ、後ノ山ニ逃去ニケリ。心ニ任セテ良算ヲ追却シテケリ。 一六一七 一三なだめさとす意。 しふぎゃうせしめ そのちゃましなでらだいしうおこりくげうった えいか べったうな 然テ睿荷ヲ別当ニ成シテ令執行ケルニ、其ノ後、山階寺ノ大衆発テ公家ニ訴一四なんとまあ。↓三四ハー注 = 。 一五寺務をとり行わせたが。 ほしいままえん まうやうぎをんわうご やましなでらまつじなりてら ↓一四九ハー注一一一一。 へ申ス様、「祇薗ハ往古ノ山階寺ノ末寺也。寺ノ、其レヲバ何カデカ恣ニ延一六 宅大勢で決起して。以下はいわ どど なすべよしおほせくださるべ すみやかもとごとやましなでらまつじ りやくじおしとられ 暦寺ニ被押取ム。速ニ本ノ如ク山階寺ノ末寺ト可為キ由ヲ可被仰下シ」ト度々ゆる朝廷への強 ( 嗷 ) 訴である。 天「そういう寺が」と切り出して ′一」いき。よ↓っち やましなでらそこばくだいしうきゃうのばり うったまう ほど から、改めて「それをどうして」と 訴へ申シケル程ニ、御裁許ノ遅々シケルニヤ、山階寺ノ若干ノ大衆京上シテ 言い直したもの。 くわんがくゐんっき 一九多数。大勢。 勧学院ニ着ケリ ニ 0 左京三条の北側にあった藤原 ざす そ 、きか おどろきごさたあるべ しか おほやきこめ 公ケ聞シ食シテ、驚テ御沙汰可有力リケルニ、其ノ前ニ彼ノ座主ノ氏一門の子弟の教育機関。弘仁十 一一年 ( 八一一一 ) 藤原冬嗣創設。 やま さたあすあるべし すでおほせくだされ じゑそうじゃううせ 慈恵僧正失ニケリ。然テ、「其ノ沙汰明日可有ト既ニ被仰下タリケルニ、山 ニ四 四 ニ一裁決。 さたすべもの そ てらちうざんむねこのこと しなでらだいしうみなくわんがくゐんあり 一三慈恵は永観三年 ( 九八五 ) に没し、 二階寺ノ大衆ハ皆勧学院ニ有ケルニ、其ノ寺ノ中算ハ宗ト此事ヲ可沙汰キ者ニテ 仲算は貞元元年 ( 九実 ) に没してい がたまへでしども いへやどりゐ くわんがくゐんちか ロあり 有ケルニ、勧学院近キ小家ニ宿テ居タリケルニ、其ノタサリ方、前ニ弟子共ナるから、以下の話はあり得ないの だが、両者が応和三年 ( 九六三 ) 宮中 そこたちしばらと ただいまここひとき にレかちうざん あまたゐ で行われた天台・法相の宗論で対 叡ド数居タリケルヲ、俄ニ中算、「只今此ニ人来タラムトス。其達暫ク外ニ出デ 比 決したことなども影響するところ でしどもみなのきあり ほど ひとほか があったか。↓本話解説。 薗ョ」ト云ケレバ、弟子共皆去テ有ケル程ニ、人外ョリ入来ルトモ不見エヌニ、 ニ三興福寺僧。法相宗の学匠。 でしども あやし おもひ ほどーしばしばかりあり こゑきこ ちうぎんひとものがたり 3 五二ハー注二。 中算人ト物語スル音ノ聞工ケレバ、弟子共、「怪」ト思ケル程ニ、暫許有テ、 ニ四中心となってこの事件を処置 ここやまじゑそうじゃうおはし ちうざん みないでき 1 ちうぎんでしどもよび 中算弟子共ヲ呼ケレバ、皆出来タリケルヲ、中算、「此ニ山ノ慈恵僧正ノ御タすべき者。 0 そ らうざんついきやく そ ゅふ いりきた み
みちふみ かはそこひしら ふかめまやう 一底もわからぬほど深い。限り 道踏タル跡モ無力リケリ。河ハ底モ不知ズ深キ沼ノ様ナル河ニテナム有ケル。 もなく深い もひとのけはひすところあ ほど かはのばりざまさしのばり ただおなじゃう ひとひす 「若シ人気ノ為ル所ャ有ル」ト、河ヲ上様ニ差上ケル程ニ、只同様ニテ一日過 = なんとあきれたことだ。 三どんな川に行きづまりがない ふつかすぎ おもひ ただおなじゃう 十ギ二日過ケルニ、「奇異」ト思ケルニ、七日差上ニケリ。其レニ只同様ニテ有はずがあろうか、必ず水源がある はずだ。 第 はてなく ほど 巻ケレバ、「然リトモ何ニノ河ノ畢無テハ有ラムゾ」ト「ムテ、差上ケル程ニ、一一 集 つかさしのばり なほひとけ なおなじゃうなり みそかさしのばり 四隙間。陰。「サ」は清音。 語十日差上ニケリ。尚人ノ気ハヒモ無ク同様也ケレバ、三十日差上ニケリ。 五古代中国の西北方に興亡した あや ちひびやうおば ふねひとみな ひとあ 今其ノ時ニ、怪シク地ノ響ク様ニ思工ケレバ、船ノ人皆、「何ナル人ノ有ルニ遊牧民族の国。いわゆる北方騎馬 民族の国。 おば あしはらはるかたか ふねさしかく ひびやうす カ有ラム」ト怖シク思エテ、葦原ノ遥ニ高キニ船ヲ差隠シテ、響ク様ニ為ル方六漢字表記を期した欠字で、該 当語は「カラミ」または「カラゲ」。 は ) ま ひとゑかき すがた ものやう ヲ葦ノ迫ョリ見ケレバ、胡国ノ人ヲ絵ニ書タル姿シタル者ノ様ニ、赤キ物ノ上の「ノ」は「物」の捨て仮名で、赤 いものを巻きつけて、の句意。 かしらゆひ いっきうちいづふねひとこ おもひ セ河岸。「鉉」は、ヘり、端。 冂凵テ頭ヲ結タル、一騎打出。船ノ人此レヲ見テ、「此ハ何ナル者ゾ」ト思テ ^ 胡人が意味不明の言葉で話す ほど いでき きき ひとうちつづ かずしら はたみなうちたち のを鳥のさえずりにたとえたもの。 見ル程ニ、其ノ胡ノ人打次キ、員モ不知ズ出来ニケリ。河ノ鉉ニ皆打立テ、聞 九擬態語。ばらばらっと。大勢 しら ことども もしこ なにごと ふねみ いふ モ不知ヌ一一 = ロ共ナレバ、何事ヲ云フトモ不聞工ズ。「若此ノ船ヲ見テ云ニヤ有ラの者がいっせいに行動を起すさま。 ↓五九ハー注一九。 おも おそろ し画しカく ほど ひとひとときばかりさへづりあひ ム」ト思へバ、怖シクテ弥ョ隠レテ見ル程ニ、此ノ胡ノ人一時許囀合テ、河一 0 わきにびったりと引き寄せ引 き寄せして。↓ 3 一八一ハー注一一三。 九 うちいりわたり せんきばかりあ かち ものども = 段初の「怪シク地ノ響ク様ニ ニハラ / 、ト打入テ渡ケルニ、千騎許ハ有ラムトゾ見工ケル。歩ナル者共ヲバ 思工ケレバ」を受けたもの。なん むまのり ものどもそばひきっ わたり ものどもむまあしおと 馬ニ乗タル者共ノ喬ニ引付ケ引付ケッ、ゾ渡ケル。早ウ、此ノ者共ノ馬ノ足音とまあ。↓三四ハー注三。 み 六 あ あし とき あとな おそろ み あさまし ひきっ み なめかさしのばり はや み さしのばり もの あ あり かた あり
ぐんじ ゅあみ かへすがへかしづきたて ぐんじおどろきい へかへり きゃう ケレバ、郡司驚テ家ニ返テ、京ノニ湯浴シ、髪洗セト、返々ス傅立テ、郡司一念入りに磨き立てて。 ニよそおい立てたさま。飾り立 一まうるはし み きゃう てた様子。 妻ニ、「此レ見ョ、京ノガ為立タル様ノ美サヲ」トゾ云ケル。 十 三なんとまあ。次行の「也ケリ」 もとを、つと かみ きゃう よ はや そ きめ たてまつり 第然テ其ノ夜、衣ナド着セテ奉テケリ。早ウ、此ノ守ハ、此ノ京ノガ本ノ夫と呼応して、初めてそれと気づい 巻 た意を表す。↓一一五七ハー注一一一一。 きゃう ちかめしょ み なり ひやうゑすけ ありひとなり しんみ 四親身に感じられたから。赤の 集ノ兵衛ノ佐ニテ有シ人ノ成タリケル也ケリ。此ノ京ノヲ近ク召寄セテ見ケルニ、 語 四 他人とは思えなかった意。 きはめむつ いだきふし ゃうおば 物あやしみ 五感動表現で、不思議に見たこ 昔怪ク見シ様ニ思工ケレバ、抱テ臥タリケルニ、極テ睦マシカリケレバ、「己ハ 六 今 とがあるように思われるがね、の をむなさ 五 もの あやしみやうおば 何ナル者ゾ。怪ク見シ様ニ思ュルゾトヨ」ト云ケレバ、女然モ否心不得ザリ句意 六男が前の夫だとも気づかなか あり 七ばかりいひ かみ きゃう あら きゃうに おのれこ ったので。 ケレバ、「己ハ此ノ国ノ人ニモ非ズ、京ナム有シ」ナム許云ケレバ、守、「京ノ 九 セ この「ナム」は、あるいは「ナ うちおもひあり をむなうるはし 八あ ものきたり ぐんじ つかはれ 者ノ来テ、郡司ニ被仕ケルニコソト有ラメ」ナド、打思テ有ケルニ、女ノ娥クムド」または「ナド」の誤りか。 〈「ト」は衍字か。ただし、巻一 かみをむな ゃうおば よなよなめし なほあやしものあは おば 七第三三話にも「極テ聡敏ニ御ス 思工ケレバ、夜々召ケルニ、尚怪ク物哀レニ、見シ様ニ思工ケレバ、守女ニ、 ルニト有ケレ」と類似の表現が見 おも あは きゃう さるべ 「然テモ京ニハ何也シ者ゾ。可然キニヤ、『哀レニ糸惜』ト思へバ云フゾ。不隠える。 九本来は端正な美をさすが、本 まことしかしかあり ものなり ふるをとこ をむなえかく サデ云へ」ト云ケレバ、女否不隠サデ、「実ニ然々有シ者也。若シ旧キ男ニテ集での用法は優美な感じをも伴う ようである。 おもひ ひ・ころまうさ ありひとゆゑ 有シ人ノ故ナドニテモャ御マスラムト思ツレバ、日来ハ不申ザリツルニ、此ク一 0 前世からの因縁であろうか。 一一、心か、らいドし、りーしい」。 かみ あやし あり かたりなき たま あながちと 強ニ問ハセ給へバ申ス也」ト、有ノマ、ニ語テ泣ケレバ、守、「然レバコソ怪一 = 前の夫だった人の縁故の方。 一三「者ヲ」は終助詞「ものを」で、 おも あ寺 ) まし なむだこばるるさ おもひもの わふるめ ク思ツル者ヲ。我ガ旧キ妻ニコソ有ケレ」ト思フニ、奇異クテ、涙ノ泛ヲ然ル詠嘆表現。 め しカ いかオより くにひと もの おはし したち あり かみあらは み えこころえ おのれ