297 図録 平安京条坊図 右京 左京 条大路 土御門大路 近衛大路 中御門大路 大炊御 . 門大路 条大路 条大路 四条大路 五条大路 、条大路 七条大路 八条大路 九条大路 大内裏 丑田田 田田靆 田田。ロ田田丑 旺曰田田 回田丑 8 9 7 19 2 5 2 3 -0 ( 0- っ 0 27 3 4 42 44 46 4 48 52 54 6 56 58 東京極大路 東洞院大路 西洞院大路 東堀川小路 東大宮大路 壬生大路 6 朱雀大路 皇嘉門大路 西大宮大路 西堀川小路 佐比大路 西京極大路 木辻大路 1 内裏 2 朝堂院 ( 八省院 ) 3 豊楽院 4 真言院 5 朱雀門 6 羅城門 7 宇 多院 8 一条院 9 染殿 10 清和院 11 土御門殿 12 高倉殿 13 京極殿 14 枇 杷殿 15 小一条殿 16 花山院 17 本院 18 菅原院 19 高陽院 20 近院 21 小松 殿 22 冷泉院 23 陽成院 24 小野宮 25 穀倉院 26 大学寮 27 神泉苑 28 堀河 院 29 閑院 30 東三条殿 31 鴨井殿 32 小二条殿 33 右京職 34 左京職 35 弘 文院 36 御子左殿 37 高松殿 38 西三条殿 39 奨学院 40 勧学院 41 朱雀院 42 四条後院 43 六角堂 44 淳和院 ( 西院 ) 45 紅梅殿 46 後院 47 小六条殿 48 河原院 49 中六条院 50 釣殿院 51 六条院 52 西市 53 鴻臚館 54 東市 55 亭 子院 56 西寺 57 花園殿 58 東寺 59 施薬院 60 九条殿
四国の辺地を通る僧知らぬ所へ行きて馬に打ち成さるる語第十四 : 北山の狗人を妻と為す語第十五 : 佐渡の国の人風の為に知らぬ島に吹き寄せらるる語第十六・ 常陸の国凵凵郡に寄る大きなる死人の語第十七 : 越後の国に打ち寄せらるる小船の語第十八・ 愛宕寺の鐘の語第十九 : 霊巌寺の別当巌を砕く語第一一十 : 能登の国の鬼の寝屋島の語第二十一・ 讃岐の国の満農池を頽す国司の語第二十二 多武峰比叡山の末寺と成る語第一一十三 : 祇薗比叡山の末寺と成る語第二十四 : 豊前大君世の中の作法を知る語第一一十五 : 打臥の御子巫の語第二十六・ 兄弟一一人萱草紫苑を殖うる語第一一十七 : 藤原惟規越中の国に於て死ぬる語第二十八・ 蔵人式部拯貞高殿上に於て俄に死ぬる語第二十九 : 尾張宀寸冂凵鳥部野に於て人を出だす語第三十 : 大刀帯の陣に魚を売る嫗の語第三十一・ 人酒に酔ひたる販婦の所行を見る語第三十二 : : 一一四三
137 愛宕寺鐘語第十九 ふねなり あらはひとのり タル事無限シ。然レバ見ル人、「現ニ人ノ乗タリケル船也ケリ」ト見テ、「何也六楫・橄とも。櫓や櫂など、水 をかいて船を進める道具。 一とかぎりな おもひあさまし ちひさきひとのり ケル少人ノ乗タリケル船ニカ有ラム」ト思テ、奇異ガル事無限シ。「漕ラム時摩耗している。長く使 0 てす りへっている。 たちもてゆき よめづらしものなり むかでてやう ニハ蜈蚣ノ手ノ様ニコソハ有ラメ。世ニ珍キ物也」ト云テ、館ニ持行タリケレ ^ 実際に。たしかに。 九小人。 いみじあさまし かみこれみ 一 0 しきりに驚きあきれる意。 、守モ此ヲ見テ極ク奇異ガリケリ。 = むかでの足。船の両舷側の多 一キ一ギ、ぎかか こぶねよ おとな 長ナル者ノケルハ、「前々此ル小船寄ル時有」トナム云ケレバ、然レバ其数の梶をむかでの足に見たてたも の。 ゑつご きたあ せかい ばかりひとあ ノ船ニ乗ル許ノ人ノ有ルニコソハ。此ョリ北ニ有ル世界ナルペシ、此ク越後ノ三国司 ( 守 ) の官舎。 一三分別ある年配者。古老。↓一 かか こぶねより くにどどより 一八ハー注一一。 外ノ国ニハ此ル小船寄タリトモ不聞工ズ。 国ニ度々寄ケルハ。 一四国土。一 ↓一二ハー注四。 かたった ききつぎ かみきゃうのばりくゑんぞくどもかた 此事ハ守京ニ上テ眷属共ノ語リケルヲ、聞継テ、此ナム語リ伝へタルトャ。一 = 倒置表現で、本句の下に上句 の「此ョリ北ニ : ・」が続くのが普通 の文。 ふねの - 一の、一と ことかぎりな もの おたぎでらのかねのことだいじふく 愛宕寺鐘語第十九 おたぎでら おののたかむら 本話の典拠は未詳。小野篁が建てた愛宕寺の鐘を造った鋳物師が、その鐘を土中に埋め、 「人がっかずとも十二の時を告げるように細工してあるから、満三年たって掘り出すように」 と言っておいたのに、寺の別当が待ちきれず早く掘り出したため、普通の鐘になってしまった ふね ひと ときあり み カ いかなり とき そ ↓三八ハー注六。
いましえ おもひあ おもか をむなおち たむけい 三郡名の明記を期した欠字。 「今ハ為得ツ」ト思テ有ルニ、此ク思ヒ不懸ヌ女ニ落ヌレバ、湛慶、「先年ニ 四人名の明記を期した欠字。 ふどうそんしめたま をむなころし おも あ一まし 不動尊ノ示シ給ヒシ女ヲバ殺テシニ、此ク思ヒ不懸ヌ者ニ落ニタルコソ奇異ケ五↓七六ハー注一三。 六↓注一一。 おもひ をむないだきふ きず たむけいをむなくびさぐ くびおほき レ」ト思テ、此ノ女ト抱テ臥シタル時ニ、湛慶女ノ頸ヲ捜ルニ、頸ニ大ナル疵セ不動尊の夢のお告げ通りの者。 ^ 下仕えの男。人夫。 あり や あとなりたむけい きず をむないは 有テ、炙キ綴タル跡也。湛慶、「此ハ何ナル疵ゾ」ト問へバ、女ノ云ク、「我レ九あの娘こそめざす相手なのだ。 一 0 これでうまくやってのけた。 くにひとなり一四 ものむすめなりをさな にはあそあり ハ「〔凵凵〕ノ国ノ人也。「凵凵凵ト云フ者ノ娘也。幼カリシ時、家ノ庭ニ遊ビ行キ = これ以下一七字底本欠。内閣 文庫本により補う。 くびかききり なりのち いへひとみつけののしり シヲ、不知ヌ者ノ出来テ捕へテ、頸ヲ掻斬タリシ也。後ニ家ノ人見付テ隍ケレ三焼いて癒着した跡である。 きゅう 「炙」字を用いているのは、炙をす ゆきがたしら そののちたれしら なりあさまし ドモ、行方ヲ不知デ止ニケリ。其後、誰ト不知ヌ、其レヲ炙キ綴タル也。奇異えて治癒した意か。 一三↓注一一。 きく いのちいき ことえんあり まゐり との たむけい 三キ命ヲ生テコソ」ト、「事ノ縁有テ此ノ殿ニハ参タル也」ト云フヲ聞ニ、湛慶一四↓注 一七 一五「誰ト不知ヌ人ノ」の意。「ヌ」 三ロあさまし あは おば わふかしくせ ふどうそんしめたま ことたふと 第奇異クモ哀レニモ思ュ。我ガ深キ宿世ノ有レバ、不動尊ノ示シ給ヒシ事ヲ貴クが「ス ( ズ ) 」の誤写なら挿入句。 一六危うい命。↓一二四ハー注二。 向 なくな をむなこ ことかたり かなしおばえ ながめをうと をむなあはれおもひ 高悲ク思テ、泣々ク女ニ此ノ事ヲ語ケレバ、女モ哀ニ思テケリ。然テ永キ夫妻ト宅前世からの因縁。 一 ^ 身にしみて貴く思われて。 あり 俗 一九戒律を守らず、行状が乱れる 還シテゾ有ケル。 こと。妻をめとったことをさす。 闍たむけいらむぎゃうな ちうじんこう たむけいほふしすでらむぎゃうなり 阿湛慶濫行ニ成リ畢ニケレバ、忠仁公、「湛慶法師既ニ濫行ニ成タリ。僧ノ身 = 0 ( 才能を ) むだに朽ちさせるべ きではない。なお、三代実録によ 湛 ことやうなりまたないぐゑのみちつき きはめ ものなり あら いたづらすてらるべ すみやか ニテ異様也。亦内外道ニ付テ極タル者也。此レヲ徒ニ可被棄キニ非ズ。速ニれば、比叡山の高僧たちはひとし く湛慶の還俗を惜しんだという。 8 ぐゑんぞく おほやけつかまつるべなり さだめられ な きむすけ もとのしゃうたかむこ 還俗シテ、公ニ可仕キ也」ト被定テ、還俗シッ。名ヲ公輔ト云フ。本姓高向ニ一僧が俗人にもどること。 しら つづり ものいでき はて やみ とら - とき しカ カ ぐゑんぞく あ カ と ものおち とき や つづり そうみ せんねん わ
品賤しからぬ人妻を去りて後返り棲む語第十一 丹波の国に住む者の妻和歌を読む語第十一一 : 夫死ぬる女人後に他の夫に嫁がざる語第十三 人の妻化して弓と成り後鳥と成りて飛び失する語第十四 : 今昔物語集巻第一一一十一本朝付雑事 : 東山科の藤尾寺の尼八幡の新宮を遷し奉る語第一・ 鳥羽の郷の聖人等大きなる橋を造りて供養する語第一一・ 湛慶阿闍梨還俗して高向公輔と為る語第三 : 絵師巨勢広高出家して還俗する語第四・・ 大蔵の史生宗岡高助娘を傅く語第五 : 加茂祭の日一条の大路に札を立てて見物する翁の語第六・ 右少弁師家の朝臣女に値ひて死ぬる語第七 灯火に影の移りて死ぬる女の語第八 : 常澄安永不破関に於て夢を見る語第九 : ・ 尾張の国の勾経方妻を夢に見る語第十 : ・ 陸奥の国の安倍頼時胡国に行きて空しく返る語第十一・ 鎮西の人度羅島に至る語第十二 : 大峰を通る僧酒泉郷に行く語第十三 九五・ : / 、フ、プくプく サし - ・ヒ . 五 . : 一一三四 ・ : 七三
ほどとほ かうらいわたば ほどおも かぜいちにちいちやはしりわた一 0 四この一句、挿入句。 風一日一夜走テゾ渡ルナリ。然レバ程ヲ思フニ、高麗ニ渡ル許カリ程ノ遠サハ 五現在の石川県輪島市の光浦か。 ひとゆか しかれそねこしま ある 六漁師。漁夫。 有ニヤ有ラム。然ドモ其ノ猫ノ島へハ「凵」ニテ人不行ザルナリ。 セ弁済の意。税として納入した。 つか ) あはびよろづ ひとり おにねやわたりかへり ひかりうらあま 然テ光ノ浦ノ海人ハ彼ノ鬼ノ寝屋ニ渡テ返ヌレバ、一人シテ鮑万ヲゾ国ノ司〈↓注 = 。本島の由来や景観に ついては巻二六第九話に詳しい おもやるべ あはびおほ いちどしごじふにんわたり 九「追風」に同じ。順風 ニ弁ケル。其レニ一度ニ四五十人渡ケレバ、其ノ鮑ノ多サヲ思ヒ可遣シ。 一 0 「ナル」とありたいところ。 のと かみにむはてとしそひかりうらあまども しかあひだふぢはらみちむねあそむ = 高麗国に渡るほどの距離。地 而ル間、藤原ノ通宗ノ朝臣ト云フ能登ノ守ノ任畢ノ年、其ノ光ノ浦ノ海人共 理的知識が欠けていたことを示す あまどもわび あながちせめ くにつかさあはびわきまへ おにねゃ一四わたりかへり 句。「高麗」は朝鮮王朝の一で、王 ノ、鬼ノ寝屋ノニ渡テ返テ、国ノ司ニ鮑弁ケルヲ強ニ責ケレバ、海人共佗テ、 建が九三六年、全半島を統一して おにねやわたりあはび そひかりうらひとりひとな かへりわたり ゑつご 越後ノ国ニ返テ渡ニケレバ、其ノ光ノ浦ニ一人ノ人無クテ、鬼ノ寝屋ニ渡テ鮑樹立した国だが、ここでは漠然と 朝鮮半島をさしたのだろう。 ことたえ 一ニ「オポロケ」の漢字表記を期し 取ル事絶ニケリ。 た欠字。↓一二七ハー注一三。 のち ほど せめおほと ひとあながちよくしむあ + 然テ人ノ強ニ欲心有ルハ弊キ事也。一度ニ責テ多ク取ラムトシケル程ニ、後一 = 経平の子。右衛門佐、能登・ 周防・若狭守等を歴任。応徳元年 きはめ ま くにつかさそあはびとら えとら やみ ひと 第 五ロ 一ハ一ッヲダニ否不取デ止ニケリ。于今モ国ノ司其ノ鮑不取ザナレバ、極テ ( 一 0 会 ) 没。歌人。弟に後拾遺撰者 1 一 = ロ 通俊、子に歌僧隆源がいる。後拾 島 かたった みちむねあそむそしる ものどもか 、」となり 寝益無キ事也トゾ、国ノ者共モ彼ノ通宗ノ朝臣ヲ謗ナル、トナム語リ伝へタル遺、金葉に五首採録。能登守在任 は延久四年 ( 一 0 七一 l) 前後。 鬼 一四前例はすべて「鬼ノ寝屋」なの で、「ノ」は衍字とみたい。 一五このままなら、ところで、の され 意だが、「然バ」とあるほうが自然。 143 と やくな わきまへ 0 ったなことなり し そ
めも なほきた うたがおもひ これいひ 一 0 実践女子大本により「一一」を補 見ト云ンレ、、ヒ 、ノ / 止ヲ云ケルニヤ」ト疑ヒ思テ、「妻若シ尚ャ来ル」ト待テドモ、 、つ も おにがみ をうと - 」 かなし かひな = 「張」は助数詞で、弓を数える 遂ニ不見工ズシテ、夫恋ヒ悲・フト云へドモ、甲斐無シ。「此レハ若シ鬼神ナム 単位。 し十 6 いカ おそろ おも へんぐゑ ここでは、和語の「もの」に当 ドノ変化シタリケルニヤ」ト怖シク思ヒケリ。「然リトテ今ハ何ガハセムト為三 たる霊鬼や魔物をさす。 て め こひ おもひそゆみかたはらちかたて ル」ト思テ、其ノ弓ヲ傍ニ近ク立テ、明ケ暮レ妻ノ恋シキマ、ニハ、手ニ取リ一三神仏や霊鬼が仮に人の姿で現 れること。↓ 3 一七二ハー注七。 かきのご 一四霊魂が白鳥、広くは鳥類に化 掻巾ヒナドシテ、身ヲ放ッ事無力リケリ。 して他界に移るのは国際的古代信 はるか ほど 然テ月来ヲ経ル程ニ、其ノ弓前ニ立タルガ、俄ニ白キ鳥ト成テ飛ビ出テ、遥仰。↓本話解説。 一五現在の和歌山県。古代より熊 をとこたづゆき くもつぎゅ をとこあ一まし おもひいでみ みなみさしゅ ニ南ヲ指テ行ク。男、「奇異」ト思テ出テ見ルニ、雲ニ付テ行クヲ、男尋ネ行野地方を中心に神域視、霊界視さ れていた地方。 をとこさ いたり とりまたひとなり 一六普通の者。並みの人間。 テ見レバ、紀伊ノ国ニ至ヌ。其ノ鳥亦人ト成ニケリ。男、「然レバコソ、此ハ 四 宅俊頼髄脳は第五句を「いづ ( 一 さをとこわか よみ おもひそこ キ・ただもの 本、くる ) さやむさや」とする。 第只物ニハ非ザリケリ」ト思テ、其ョリゾ返ニケル。然テ男和歌ヲ読テ云ク、 五ロ 1 三ロ 「アサモョヒ」は「麻裳よし」の音便 失 で、「紀」の枕詞。上の句は、紀の 飛 アサモョヒキノカハュスリュクミヅノイヅサヤムサヤイルサヤムサヤ 川をどよめかせて流れてゆく水の 成 ように、の意。下句は、後文に当 弓 時の解釈を記すが、不明 うたこのごろわか 成 天本集成立時より見ての近代で、 此ノ歌近来ノ和歌ニハ不似ズカシ。「アサモョヒ」トハ朝メテ物食フ時ヲ云 妻 ニ 0 平安末期の和歌をいう。 うた かり・ 人 ~ 聞ク、何ト一九以下は俊頼髄脳の解釈の転載。 フ也。「イヅサヤムサヤ」トハ狩スル野ヲ云フ也。此ノ歌ハ、 あさもよ 「朝催ひ ( 朝食、またその支度 ) 」よ こころえ りの連想か モ心不得マジケレバナム。 み つひ 0 つきごろふ あら み はなことな ゆみまへたち そ の あ かへり ーし力しろとり っと なりと ものく ま とき と す
たむのみねひえのやまのまつじとなることだいにじふさむ 多武峰成比叡山末寺語第一一十三 そんえいりつし きようみようあぎり 本話の典拠は末詳。本話は、すぐれた観相家だった叡山の尊睿律師が、若い慶命阿闍梨 ( 後 とうのみね に天台座主 ) の人相を見て律師の官を彼に譲った話と、尊睿が多武峰に移り、当時無所属だっ た多武峰を関白殿に願って叡山の末寺にしたため、興福寺の大衆が騒ぎ出して関白殿に抗議し たがあとの祭りだった、という話から成っている。本話は、一、尊睿賞賛譚、二、多武峰の所 属をめぐる南都北嶺の確執譚、三、多武峰寺 ( 妙楽寺 ) 由来譚の三性格を備えているが、第三 の性格が前話につながることからここに配されたものであろう。多武峰の沿革は『多武峰略 十 記』に詳しく、天暦年中、叡山無動寺の別院になった記事もみえるが、本話はいわばその裏話 第 でもある。 五ロ 1 一 = ロ 寺 一四京都市北区紫野にあった寺。 山 大鏡が当寺の菩提講を舞台とした いまはむかしひえやまそんえいりつし ひとあり としごろやまぢう けんみつほふまな ことで著名。 比今昔、比叡ノ山ニ尊睿律師ト云フ人有ケリ。年来山ニ住シテ顕蜜ノ法ヲ学 成 一五↓ 3 一二九ハー注九。 やむごとな ものなりまたきはめ のち きゃうくだりう 武ビテ、止事無力リケル者也。亦極タル相人ニテナム有ケル。後ニハ京ニ下テ雲一六無動寺の検校職に十九年在任 多 ↓ 3 一三一ハー注一五。 りむゐん 宅慶命は長保四年 ( 一 00 一 D に法性 林院ニゾ住ケル。 寺阿闍梨となっている。時に三十 しかあひだむどうじきゃうみやうぎす いまとしわか ときあじゃり 八歳。↓ 3 一二九ハー注一 0 。 而ル間、無動寺ノ慶命座主ノ末ダ年若カリケル時、阿闍梨ニテ有ケルニ、此 ぢうし き一うにん あり あり この 三顕教と密教。密教はここでは 天台密教。↓八一ハー注一四。 一三人相・手相などを見て占う人。
133 常陸国匚コ郡寄大死人語第十七 ( 現代語訳二四四ハー ) かふねものどもさどくに かへりかたり きくひといみじおぢ 一一六ハー注七。 ム有ケル」、彼ノ船ノ者共ノ佐渡ノ国ニ返テ語ケレバ、聞人モ極ク恐ケリ。 一三下の「此ノ国」即ち日本に対し こと あり あら ただひとおほ しまよそのくに 其ノ島ハ他国ニハ非ザリケルニヤ、此ノ国ノ言ニテゾ有ケル。只、人ノ大キて異国、外国。 一四日本語。 こと あり著一ま なり 、一となり いかめし ↓一二八ハー注一 0 。 ニ器量ク、有様ノ不似ザリケル也。此ノ事ハ糸ト近キ事也 一六衣服などの様子。身なり。 あり かたった 佐渡ノ国ニ此ル事ナム有ケル、トナム語リ伝へタルトャ。 あり一 そ さど くにかかこと ひたちのくに こまりによるおほきなるしにんのことだいじふしち 常陸国冂凵寄大死人語第十七 ふじわらののぶみち 本話の典拠は未詳。藤原信通が常陸守在任中、その国の東西浜に身長五丈余りの巨人の死体 が漂着して大騒ぎになった。また同じころ、陸奥国の海道に巨人の女の死体が漂着し、学識あ あしゆらめ る僧が阿修羅女ではないかといったが、これを京に報告すると面倒なことになるというのでそ のままにしたところ、一武人がこれにためし矢を試みたという話。前話とは怪奇な異境の巨人 を介してつながっている。海流の関係で、常陸・陸奥の海岸には遠国からの漂着がままあった ようで、『常陸国風土記』香島郡の条には、今の神栖町高浜の海岸に長さ十五丈、幅一丈の大船 が漂着した記事がある。本話にみえる巨人の正体も、あるいは外洋の難破船の水死人などが異 常に浮腫して漂着したものではなかったか。本話は史実に合致する国司も登場することから、 根も葉もない作り話ではなかったろうが、上記のような事件が火種となり、在地の巨人伝説か らの連想も手伝って粉飾誇張された匂いが強い。実在の同時代的人物が伝説や昔話と結びつき、 事実談風に取り沙汰されることもあったことは巻二七第二二話に徴せられる。 ちか 0 とうギ一いのはま
59 住下野国去妻後返棲語第十 ( 現代語訳二〇九ハー ) もとごとやしなひ ト云テ、亦其ノ山ノ峰ニ行テ、姨母ヲ迎へ将来タリケル。然テ本ノ如クゾ養ケ一四「本ノ妻」に対する語だが、こ こではもとからいる姨母に対して、 新しく来た妻の意。 一五ふとどきな考え。 一六夜の寝覚一に「さし出づる月 の光、姨捨山の心地して、ひとや りならず、いみじく物思はし」と あるなども一例。 なぐさめがた たとへ ふることこ 然テ其ノ山ヲバ其ョリナム姨母棄山ト云ケル。難曖シト云フ譬ニハ旧事ニ此宅↓五六ハー注七。 一九 天姨捨山という名がつく前には。 かうぶりやま カうふり、」じ かた レヲ云フニゾ。其ノ前ニハ冠山トゾ云ケル。冠ノ巾子ニ似タリケル、トゾ語リ一九冠の頂きの後部に高く突き出 た部分。これ以下、俊頼髄脳にも った ほば同文が見える。 伝へタルトャ。 しか いまめ よしな しま一 こころおこすべから - 一とあり 然レバ今ノ妻ノ云ハム事ニ付テ、由無キ心ヲ不可発ズ。今モ然ル事ハ有ヌべ そやま またそやまみねゆき しもつけのくににすみてめをさりてのちかへりすむことだいじふ 住下野国去妻後返棲語第十 本話の典拠は未詳。本妻を捨てて新しい愛人に打ち込んだ下野国の住人が、家財も残らず新 居に運び込み、わずかに残した飼葉桶を取りにやった時、本妻が桶に添えて使者にことづけた 詠歌に心打たれ、本妻のもとへ立ちもどった話。本妻のつつましく情趣深い心情に男は翻意し たわけで、次話とは、一旦別れはしたがある動機から元の状態にもどるという共通の要素を介 こころね してつながっている。なお、両妻の争いが本妻の優雅な心根によって、本妻に最後の勝利をも たらすというのは一個の説話的定型で、本話もそれを踏んだもの。↓巻二六第一一話・本巻第 そ それ まへ 、 ) とっき をばすてやま むかゐてき