ただ はうじゃうゑ・と じふごにちもつはうじゃうゑおこなひ そのぎしきほんぐう 十五日ヲ以テ放生会ヲ行テケリ。其儀式、本宮ノ放生会ニ異ナル事無シ。但故事に基づき、生類を功徳のため に山野や池沼に放っ法会。多くは かぶ ほふゑ もろもろやむ′一とな おほくそうしゃう めでたおむがくそう シ、諸ノ止事無キ多ノ僧ヲ請ジ、微妙キ音楽ヲ奏シ、歌舞ヲ調へテ、此ク法会魚貝を買い取って放流したという。 = 石清水八幡の本宮である宇佐 しゃうぞうふせ がくにんろく あまもと ともしことな おこなひ ぎ一四ゆたか ヲ行ケルニ、尼本ョリ財ヒ豊一一テ乏キ事無力リケレバ、請僧ノ布施モ楽人ノ禄八幡の神託をさす。養老四年 = ひゅ 0 ) 、宇佐八幡は朝廷を加護して日 しかれほんぐう はうじゃうゑおとら いかめし うがおおすみはやと 向・大隅の隼人族の反乱を鎮定し ナドモ器量カリケリ。然バ本宮ノ放生会ニ不劣ザリケリ たが、その後、隼人族殺生の罪障 かくの′ ) と としごとおこなひすであまたとしふ あひだほんぐう はうじゃうゑしんぐうやうや 如此クシテ、毎年ニ行テ、既ニ数ノ年ヲ経ル間、本宮ノ放生会、新宮ノ漸ク消滅のため毎年放生会を行うよう にとの託宣があって、これが八幡 ろく おとり めづら ぶにんがくにん あはたぐちはうじゃうゑみなきほひ 宮放生会の起源とされる。 劣テ、禄ナド珍シカリケレバ、舞人楽人ナドモ此ノ粟田口ノ放生会ニ皆競テ 一八 一ニ挿入句。年中行事として別々 まゐり ほんぐうゑすこすたれ ことほんぐうそうぞくじんくわんらみななげきあひぎ の所で放生会をとり行って、の意。 参ケレバ、本宮ノ会少シ廃ヌ。此ノ事ヲ本宮ノ僧俗ノ神宦等皆歎テ相議シテ、 一三漢文訓読系の文では「ただ」と だいばさっ つかひもっか あはたぐちあまもとっかは はづきじふごにち 第使ヲ以テ彼ノ粟田口ノ尼ノ許ニ遣シテ云ク、「八月ノ十五日ハ、此レ大菩薩ノ同意。「シ」は強意。もつばら。 語 一四「ヒ」は「財」の捨て仮名で「イ」 あら むかし いまにいたるおこなところはうじゃうのだいゑなりひとかまいで 宀呂おほむちかひょり に当てたもの。 新御誓ニ依テ、昔ョリ于今至マデ行フ所ノ放生大会也。人構へ出タル事ニハ非 一五法会に招いた僧。 はうじゃうゑおこな ゅゑ ほんぐうごうれい 八 そ ひまたペちそこところ 遷ズ。而ルニ其ノ日、亦別ニ其ノ所ニシテ、放生会ヲ行フ。故ニ、本宮ノ恒例ノ一六雅楽演奏者への引出物。 宅「新宮ノ」は「新宮ニ」とありた そこおこなはるところい はうじゃうゑはづきじふごにち 尼 はうじゃうゑすですたる いところ。新宮の放生会に、の意。 寺放生会既ニ廃ルニ似タリ。然レバ其ノ被行ル所ノ今マノ放生会ヲ八月ノ十五日 一〈八幡宮は神仏混交だったので 藤 おこなはず のべま、 ーカひもつおこなふべなり 僧俗両様の神官が奉仕していたも 科ニハ不行シテ、延テ他ノ日ヲ以テ可行キ也」ト。 の。「宦」は「官」の当字。 はうじゃうゑだいばさつおほむちかひょり ・一果 - あまこたへいはく 尼答テ云、「放生会、大菩薩ノ御誓ニ依テ、八月ノ十五日ニ行フ事也。然レ一九石清水放生会が神意に由来す る大法会であることを強調して、 なほはづきじふごにちもつおこなふべ あまおこなはうじゃうゑおなじだいばさつあがたてまっゅゑ バ尼ガ行フ放生会モ同ク大菩薩ヲ崇メ奉ル故ナレバ、尚八月十五日ヲ以テ可行尼を威圧したもの。 はづきじふ′一にちおこなことなりさ 0 ととの ことな ′一と カ
( 現代語訳一一三七ハー ) おも ゆき なげあひ ものひとり フ者一人モ無テ歎キ合タリケル程ニ、遂ニ不見エデ止ニケレバ、思フニ、行タ一九心配に思い。不安がり。 ニ 0 二行前の「皆出立テ行ニケリ」 こと ひとひとりのこらみなころされ ル人一人不残ズ皆被殺ニケルニコソハ有ラメ。其ノ事何シタリケリト云フ事モ、を受けて、しかし。ところが。 二、三日たっても。 、一とい しカ きか 何デカハ聞ムト為ル。極メテ益無キ事云ヒタリケル僧也カシ。我モ不死ズ多ノ = = これ以下「有ラメ」までは挿入 句。 ころ。き ) いカよ ニ三 ( だれも帰らすじまいだった 人モ不殺ズシテ有ラマシカバ、何ニ吉カラマシ。 から ) 出かけていった連中の消息 またたと かた ことゆめゅめとどむべ ひとふしん も、どうして耳にはいるはすがあ 然レバ、人ノ不信ニテロ早キ事ハ努々可止シ。亦譬ヒロ早クシテ語ルトモ、 つ , つ。か きこ のちそ ところった ゅ ものどもいとおろかなりそ ニ四無益なこと。つまらぬこと 行ク者共糸愚也。其ノ後、其ノ所ヲ伝へテモ聞ュル事モ無力リケリ。 ニ五信義に欠けて。↓注一。 きき そうかたり ひとかたった ニ六伝聞する、の意。「モ」は強意。 十此ノ事ハ、彼ノ僧ノ語ケルヲ聞タル人ノ語リ伝へタルトャ 第 毛伝承源を僧の体験談として説 語 話の真実性を強調した句で、本集 馬 に頻出。↓一一一〇ハー注一一。 成 打 被 所 知 不 行 地 辺 国 四 通 ひと し ニ七 しこくのへんぢをとほるそうしらめところへゆきてむまにうちなさるることだいじふし 通四国辺地僧行不知所被打成馬語第十四 本話の典拠は末詳。三人の僧が四国の僻地を回国修行中、山中で道に迷い、人家を見つけて 立ち寄ったが、家主の怪僧のために、二人は馬にされ、一人だけが怪僧の娘に助けられてやっ と人里にもどった。その後、生還した僧は女との約束を破ってこのことを人に語ると、若者オ ちが討ちに行こうとしたが道がわからず、そのままに終ってしまったという話。国内の隠れ里 に修行者が迷い込み、危難にあって脱出するという筋立てで前話とつながっている。妖術によ あ ニ五 きは くちと ニ四 やくな ほど あ つひ み そこといかカ やみ そうなり ′一とな くちと 0 われしな おほく
集最後に、『今昔物語集』の表記の特徴というべき、片仮名双行体というのはどのように当時の表記史上位 語 物置付けられるか、という問題に触れておく。 昔 今漢字を大きく仮名を小さく書くというのは宣命体の一般であるが、その片仮名が三字以上っづく場合に二 行に割って書くという方法を双行体と言うが、この方式は実は古くはあまりない。『東大寺諷誦文稿』を見 ても、 千ノ珎雖有母氏ハ不宣珎 父公不宣愛ッミカタシトモ无キ一ノ利モ子友等ヲコソ宣ケレ愛トハ 万ノ物ノ子雖愛ッミカタシト、、ハ、 トモ愚オ癡ナル子友等ヲコソ宣ケレ ( 仮名は古体仮名であるが、今は改めた ) 。 つみがた いへど つみがた ( 訳文 ) 万の物の子愛しと雖も、父公は愛しとも宣はず、一の利も无き子供等をこそ愛しとは宣ひ おろか たから たから けれ。千の珎有りと雖も、母氏は珎とも宣はず、愚癡なる子供等をこそ宣ひけれ。 のように、三字より長い仮名連続をも一行に書くのが普通であり、二行に書いてあるのは行末の場合などに うちきしゅう 過ぎない。また『打聞集』 ( 長承三年〈一一話〉写と見られる説話集 ) においても、 昔唐ノ王〇堂ヲ造テ仏ヲ種々 = 造顕【我。賢 , タ丿有智ノ僧 = 見尊トカラレムト思冖タレカ有智ノ尊トキ聖。ア ルト尋乃ル人 / 、奏ス天竺「リ渡タル達麼和尚ト云聖人アリソレヲ召テ拝セ又尊キ功徳之由モイハセム聞テ 増賢キワサシッルト思へキ也トテ召ニ遣ス : 実ノ功徳 0 我心ノ内ノ本体ノ清クイサ清ョキ仏 = ティマスルヲ思ヒ顕ナム実ノ功徳 = 0 シ侍ソレニクラフレハ此 ' 功徳ノ不数モ入ラヌ事也ト申ニ王無本意思テ比ハイカニイフ事 = 力アラム并无キ功徳造タリト思 = カク謗ハ思様 ①片仮名双行体の位置
ーかひもつおこなことあるべからず キ也。更ニ他ノ日ヲ以テ行フ事不可有」ト。 一一行後の「御正体」と同じく御 神体のこと。 あまことかた ほんぐうそうぞくじんくわんらみなこれききおほ いカり・亠め 一一下級の神職。神事に奉仕する 使返テ、尼ノ言ヲ語ルニ、本宮ノ僧俗ノ神官等皆此ヲ聞テ大キニ嗔、相ヒ 身分の低い者。 われらすみやかか しんぐうゆき ほうで・《 こほちみしゃうだい ほんぐうあんぢ 三議シテ、「我等速ニ彼ノ新宮ニ行テ、宝殿ヲ壊テ御聖体ヲ取テ、本宮ニ安置シ 三大勢が群がり集って決起する さまの形容。 そ一はく じんにんらくも′」と あつまおこり あはたぐちみやゅ 〕たてまつるべなり 可奉キ也」ト云テ、若干ノ神人等雲ノ如クニ集リ発テ、彼ノ粟田口ノ宮ニ行 0 下の「壊チ棄テ」にかかる。勝 集 四 五 五ロ むかひ 手次第に。やりたい放題に みだりあまよひあがたてまっしんぐう ほうでんみなこほすて みしゃうだい ニ = ロ 物キ向テ、猥ニ尼ノ夜ル昼ル崇メ奉ル新宮ノ宝殿ヲ皆壊チ棄テ、御正体ヲバ取テ = ↓注一。 昔 六 六石清水八幡宮の境内にあった 1 ) こくじ あんぢたてまっ みしゃうだいい ムフほんぐうゐてたてまつり いわゆる神宮寺。もとの寺名は石 本宮ニ将奉テ、護国寺ニ安置シ奉リツ。然レバ其ノ御聖体于今護国寺ニ御マ 清水寺で、石清水八幡宮はその鎮 れいげむあらなりあはたぐちはうじゃうゑそのちたえ シテ霊験新タ也。粟田口ノ放生会ハ其ノ後絶ニケリ。 守社としてまつられたものという。 セ↓②二〇八ハー注八。 あまもと おほやけまう おこなこと 其ノ尼、本ョリ公ニ申シテ行フ事ニテモ無力リケレバ、訴へ申ス事モ無力リ〈もともと朝廷に願い出てその ただよ 許可を得た上でやった放生会では あまそしり ほ , ルぐ - っ のへまかひおこな したがひ なかったので、の意。 ケリ。只世ニゾ尼ヲ謗ケル。本宮ョリ、「延テ他ノ日行へ」ト云ケルニ随テ、 九これ以下、段末まで、尼のや おこなひ あながちきびしいひ のばさ 他ノ日行マシカバ、于今モ並べテ行テマシ。強ニ蜜ク云テ、不延ザリケルガり方に対する非難の評語。 一 0 今もなお本宮の放生会と並び あしなりそ しかるべ だいばさつあがたてまっ わうこのやむごとな 悪キ也。其レモ可然キ冂凵事ニヤ。大菩薩ヲ崇メ奉ルト云ヒ乍ラ、往古止事無行われていたであろうに、の意。 = しいて強く拒絶して。 ゑ きほゃうす だいばさっ あ おばめし キ会ヲ競フ様ニ為ルヲ、大菩薩ノ、「悪シ」ト思シ食ケルニヤ。 一ニこの欠字を無視しても、こう した事態になったのも前世以来の そのの ほんぐう はうじゃうゑいよいげむでう いまにいたる おろかなら かたった 其後チ本宮ノ放生会弥ョ厳重ニシテ、于今至マデ不愚ズ。此ナム語リ伝へタ因縁ごとだろうかの意となり、文 意は通じる。 ルトャ。 一三尼が古来の尊い法会に張り合 ほかひおこなは そ なり ) らま つかひかへり 一ニ ) 一と なら うったまう とり かく ′一とな とり おはし
かまへきゃう さきゐ 一なんとか工夫して。あれこれ ヲ経テ既ニ太宰府ニ下着テ、可尋キ方無力リケレバ、構テ京ニテ前ニ居タリシ 骨折って。 わらはたづねよびいだ わらはあないみ おは ニ女の童。小間使の少女。 童ヲ尋テ、呼出シタリケレバ、童、「穴極ジャ。此ハ何ニシテ御シッルゾ」ト 十 三「穴」は感動詞「あな」の当字。 あるじをむなっげ あるじあひ あは おもひ けしきなり まあ、驚いた 第云テ、主ノ女ニ告タリケレバ、主会テ、「哀レ」ト思タル気色也。 四生きていけそうにも思われず。 せうしゃうなほよ ありがたおば しめべなり いまひとたびたいめん 五すぐにはとやかく言わず。そ 集少将、「尚世ノ中ニモ難有ク思エテ、可死ク成ニタレバ、『今一度対面セム』 語 の場ではなにも言わないで。 こと をむなあは おもひたまひ あひ 物おもひ 六どうして行けましようか 昔ト思テナムート云ケレバ、女、「哀レニ此クマデ思給ケル事」ト云テ、会タリ 七言い逃れようもなかったので。 せうしゃう五 カく あかっきむまうちのせきゃうかへのば ケレバ、少将ャガテ此モ彼モ不云デ、暁ニ馬ニ打乗テ京へ返リ上ラムトシケレどうにも断りきれなくて。 六 ^ どうしようもない。 をむないか ゆくべ のがるべ な 九早く京に行き着いてしまおう。 、女、「何ニシテカ可行キ」云ケレドモ、可遁クモ無力リケレバ、「何ニカハ 一 0 雪が降り積るのもかまわず、 おばえゆき しはす . ・はかりほ なり ゆきいみじふり かぜけしきたへがた セム」ト思テ行ケルニ、十二月許ノ程ド也ケレバ、雪極ク降テ、風ノ気色難堪どんどん進んで行って。 九 = 頼りない気持で、むなしく。 ただと おもひいそぎゅき ゆき 三山口県厚狭郡山陽町山野井か。 カリケレドモ、「只疾ク行着ナム」ト思テ念テ行ケルニ、日ノ暮ルマ、ニ、雪 一三手ですくい上げて。 ふりつも ゆきゅき くらなり ゅ やどところな ただはかな ノ降積ルモ不知ズ行々テ、暗ク成ニケレバ、行キ宿ル所モ無クテ、只墓無ク木一四食べ物などを調達して。 一五道中の世話をしたのも。 もとおりゐ いづ とひ ひとあり 一六ちょっとした絹布や絹織物。 ノ本ニ下居テ、「此ハ何クトカ云フ」ト問ケレバ、人有テ、「此ヲバ山井トナム 「軽物」は「かるもの」とも。絹物の まう ながれながれゆ みづむす あげ くひもの をむな 申ス」ト云ケレバ、流々行ク水ヲ結ビテ上テ、食物ナムド構テ、女ニモ食ハ総称。↓ 3 六六ハー注一一。 宅手持ちの絹物を食物に換えた われら セ、我等ナドモ食テケリ ことをいう。 天なんとなく。わけもなく。 とも かやうみちかへりみし 此様ニ道ノ遇ケルモ、此ノ共ナル者共ノ無キ軽物ナドヲ持タリケレバ 一九「来し方行く末」と同意。 へ すでだぎいふ しら と くだりつき ゆきっき 0 たづめべかたな ものども かろきもの しカ ひ かまへ もち くる やまのゐ い八 め
くちと さばかりせいごんたて しんな 一信義に欠けて、ロの軽い僧 然テ本ノ郷ニ返ルマ、ニ、然許誓言ヲ立テ云シカドモ、信無クロ早カリケル いつのまにか。早くも。 1 そう こと あひとごと かた ひとみな ここでは、人の行動を誘いう 僧ナレバ、何シカ会フ人毎ニ、此ノ事ヲ語リケレ / ヾ、此レヲ聞ク人皆、「イデ 四 ながす意の感動詞。さあさあと言 こと いひかたり そうさとありゃうさけいづみあり いみじくちき 十 って持ちかけたから。↓三二九 / 、」ト云テ語ヌレバ、僧、郷ノ有シ様、酒ノ泉ノ有シ事ナド、極クロ聞キ、 ハー注一五。 おと かたり としわか ものどもあ か・はかめ・ 巻不落サズ語ケレバ、年若キ勇タル者共有リテ、「此許ノ事ヲ聞、何カデカ不見 0 「聞」は「利」の当字。弁舌さわ 集 やかに。言葉巧みに。 かみ おそろ きけひと 五ロ 1 = 一口 五委細洩らさす語ったので。 ヌ様ハ有ラム。『鬼ニテモ神ニテモ有』ナド聞カバコソ布シカラメ、聞パ人ニ 物 昔 六血気盛んな連中。 あん たけものなり ばかり 今コソ有ナレ。其レハ何ナル猛キ者也ト云フトモ、思フニ然許コソハ有ラメ。去 ~ 人間の域を出ないだろう。神 でも鬼でもあるまいに、の気持。 ざゆきみ わかものどもたましひふとちからいみじつよ てきはめきき ごろくにんばかりおのおの 来行テ見ム」ト、若キ者共ノ魂太クカ極ク強ク、手極テ聞ケル五六人許、各〈すばらしく腕の立つ。↓一 九ハー注九。 きうぜんたい ひやうぢゃうひさげ そうぐ ただゆきゅ おとななものども 一三ハー注一一 0 。 弓箭ヲ帯シ、兵杖ヲ提テ、此ノ僧ヲ具シテ、只行ニ行カムト為ルヲ、長ル者共九 一 0 気負い立ってしやにむに行こ よしな ことなり わ っち みなかまへ ことどもあ うとするのを。 ハ、「此レ、由無キ事也。彼レハ我ガ土ナレバ皆構タル事共有ラム。此ョリ行 = 年配者で分別のある人々。 たび あし たち カムズルハ旅ナレバ悪カリナム」ト云テ、制止シケレドモ、云ヒ立タル事ナレ三↓一一三ハー注一 0 。 一三自分の土地。地の利を得た地 きき またそういひはや あ みないでたちゅき 元。 / 、聞モ不入ズ。亦僧モ云早シケルニヤ有ラム、皆出立テ行ニケリ。 一四十分な備え。 ゆき しかあひだこ ものどもぶもるいしんども おのおのいぶかし なげあひ ことか一りな 一五旅先の地。不案内の土地 而ル間、此ノ行タル者共ノ父母類親共ハ、各不審ガリ歎キ合タル事無限シ。 一六言い出したことなので。 かへら つぎひ かへら ふつかみかかへら いよいかなし 其レニ、其ノ日モ不返ズ、次ノ日モ不返ズ、二三日不返ザリケレバ、弥ョ悲ビ宅おだてあげたのであろうか。 けしかけたのであろうか まど ひさしみ たづねゅ 一〈親類。縁者 迷ヒケレドモ、甲斐無シ。然テ久ク不見工ザリケレドモ、「尋ニ行カム」ト「ム ニ 0 ゃうあ もと一とかへ そひ れ かひな し。カ い六 あり こときき す ここ - 一と ゅ
いめこれききし あ寺 ) ましうれし・ ) と いひな ここも狭い小屋で火所は一か所だ ニ坐シタレバ、奇異ク喜キ事」ト云テ泣ケバ、其ノ時ニ、狗此ヲ聞知リ顔ニテ、 ろうから、特に炉と限定して家長 を くひものいときょげ かまどまへふ ものうみ いめかたはらゐ の座と見なくてもよかろう。 入テ竈ノ前ニ臥セリ。苧ト云フ物ヲ績テ、狗ノ傍ニ居タリ。食物糸浄気ニシテ からむし 一五麻や苧の称。また、それらの をとこよ りをむなふ くひね いぬうちい 皮の繊維から作った糸をも。 食スレバ、男吉ク食テ寝ヌ。狗モ内ニ入テ女ト臥スナリ 一六主格は女。つむぐ。糸より車 よほよほあなかしこ よあけ をむなをとこもとくひものもてき をとこひそかしレ にかけて糸を引き出すこと。 然テ夜明ヌレバ、女、男ノ許ニ食物持来テ、男ニ蜜ニ云ク、「尚々、穴賢、 ↓一二四ハー注八。 かかと、 : つあり かたたまふ またときどきおは 『此ニ此ル所有』ト人ニ語リ不給ナ。亦時々ハ御セ。此ク兄ト申シタルハ、此天 一九夫である犬をさす。 き」しり かなまう はべなりおのづかえうじあ ニ 0 何かご入用な物事。「自然ラ」 レモ然知テ侍ル也。自然ラ要事有ラム事ナドハ叶へ申サムート云へバ、男、 はゆきがかり上、事のついでに、 ものくひは きゃう いままたまゐこ ねむごろいひ あ はべるべから の意。 「敢へテ人ニ申シ不可侍ズ。今亦参リ来ム」ナド懃ニ云テ、物食畢ツレバ京へ ニ一口止めされても帰還後すぐに かへり もらすのは第一三・一四話と同じ 返ヌ。 で、この種の説話での一バターン。 力、刀 きのふしかしかところゆき かへり 一三血気盛んな。元気のいし 返ケルママニ、男、「昨日然々ノ所ニ行タリシニ、此ル事コソ有シカ」ト、 ニ三若い男たち。若者ども。 あまねひとみなきき またひとかた ひときよう あひとごとかたり ニ四「落所」が「越度」「落度」と同 ヾ、此ヲ聞ク人興ジテ、亦人ニ語リケル程ニ、普ク人皆聞テ 第会フ人毎ニ語ケレ / ニ四 語 語とすれば、失敗をものともせぬ きたやまめ いさみ くわんじやばらおつど あつまり なかとし。わか 為ケリ。其ノ中ニ年若ク勇タル冠者原ノ落所モ不知ヌ、集テ、「去来、北山ニ妻勇敢なの意。こわいもの知らずの。 人 一宝さあ。「行テ : ・」にかかる。 めしいでたち ゆきそ 、ぬいころ ニ六「狗ノ人ヲ妻ニシテ奄ニ居ル 山ニシテ奄ニ居ルナル、行テ其ノ狗射殺シテ、妻ヲバ取テ来ムート云テ、召出立 ナル」の短絡形。犬が人を妻にし ゆき いちにひやくにんあり ものどもてごときうぜん ゆき をとこ一きた ているそうだが。 テ、此ノ行タル男ヲ前ニ立テ、行ニケリ。一二百人有ケル者共、手毎ニ弓箭 毛人を呼び集めて出発し。 まこと をとこをし ところゆきっきみ したがひすでそ 1 ひやうぢゃうもちゅき 兵杖ヲ持テ行ケルニ、男ノ教へケルニ随テ、既ニ其ノ所ニ行着テ見レバ、実ニ〈↓一一三ハー注 = 0 。 そ いほ。り・ - の まう ひと ひと これき , 一と め そ とき とり 0 ほど いぎ あり をとこ 一九
とも わらはしりたちゅ ものどもけしき 一その女の供人。↓四二ハー注一。 見テ来」トテ遣タレバ、童後ニ立テ行クヲ、共ナル者共気色バミテ、「己レハ ニお前は何者か。 あやしぐ まゐ ゃう わらはうちゑみ おはし 誰ソ。怪ク具シ参ラセタル様ナルハ」ト云へ 三「参ラセは対象尊敬で、女主 バ、童打咲テ、「彼コニ御マシッ 十 人を尊敬したもの。↓ 3 二五六べ せうしゃうどの たま まゐ とも ところたしかみ ひと 第ル少将殿ノ、『入ラセ給ハム所慥ニ見テ参レ』トナム」ト云へバ 、共ナル人ノ注一 0 ・一一。 六 四下に「侍ル」などが略された形。 おはし 五 ところみるべ ところなりただ たたみうら ばかりまう 五このままでは意不通。「无キ」 集云ク、「御マサム所ハ可見クモ〕所也。只、『畳ノ裏』ト許ヲ申セ」トケレ 語 が破損によって欠落したものか。 わらはそ まうし よしききかへり せうしゃう せうしゃうさらこころ 物 とすれば、姫君のご住居は見るこ 、童其ノ由ヲ聞テ返テ、少将ニ、「此ナム申ツル」ト云ケレバ 少将更ニ心 今 とのできない所です、の意。供人 えがたなげおもひ ほど をむなゅわか たづめべかたな せう の一存で、主人の住居を見るべく 難得ク歎キ思ケル程ニ、女ハ行キ別レニケレバ、可尋キ方モ無力リケルニ、少 もない卑しい所と答えるはすはな しゃういへやむごとな ) かくー ) わこつはかせ ものがたりつい せうしゃう たたみ かっ , つ。 将ノ家ニ止事無キ学生ノ博士ノ来タリケルニ、物語ノ次デニ、少将、「『畳ノ しき 六一種の言語遊戯で、「城」に同 うら とひ たたみうら やまとあ しき 訓の「敷 ( 敷物 ) 」の一種の「畳」を、 裏』ト云フ事ハ何ト云フ事ゾ」ト問ケレバ、博士、「『畳ノ裏』トハ大和ニ有ル うえ うえ また「上」の対語の「下」に「表」の対 しきのしもい いにしふるとまうし せうしゃうこれきき こころうち 城下ト云フ所ヲコソ、古へ旧事ニ申タレ」ト云ケレバ、少将此ヲ聞テ、心ノ内語の「裏」を通わせたもの。なお、 「城」と「畳」は音も似通っている。 よろこおもひ こころえ うはそら ニ喜ビ思テ、「然テハ其ニ住ム人ナ、リ」ト心得テ、上ノ空ナレドモ、彼ノ人七尋ねようもなかったので。 〈学者である博士。「博士」は、 こころうつはて ニ心移リ畢ニケリ。 大学寮で学生に教授する教官。 九昔の伝説・故事・古歌の類。 ところゅ おもこころふかっき こどねりわらはやまとわたりしり ただし、該当するものは現存せず。 「然云ラム所へ行カムバヤ」ト思フ心深ク付テ、使也シ小舎人童ト大和ノ辺知 一 0 「ナンナリ」の撥音の無表記。 さぶらひひとり とねりをのこひとりばかり むまのり しのびいでたちゃまとゆき しきの タリケル侍一人、舎人男一人許シテ、馬ニ乗テ忍テ出立テ大和へ行ケル。城 = すっかり心を奪われてしまっ し。も ところたづねゆき ただおほ いへあ 一ニ「行カム」と「行カバヤ」の混態 下ト云フ所ヲ尋テ行タレドモ、何クトモ不知ズ。只大キャカナル家ノ有ルニ、 た み と一ろ ことなに やり そこすひと一 0 こと いづ カく しら はかせ つかひなり 四 おの ひと
今昔物語集巻第三十一 126 ド 修此彼カ 行ヲノヤ 者思を修有あ ノやフ打ラ 正き 者ム シ ク身み三 日ロたヲ示 ケり棄すニう ノレテ〕区殳 り ヲ、テ 聞行 伝フな た アムノ 乍象同 此かモら法 ク ノ かむ四丐 リ下げノ 伝 タ知ら ルザ殊 ャム . 善ニ 所ぎ根え ヲ 不ゆシ 可べケ 行リ ス きたやまのいぬひとをめとなすことだいじふご 北山狗人為妻語第十五 本話の典拠は未詳。京の北山で道に迷った男が柴の庵を見つけ、主の女に一夜泊めてもらっ たが、女の夫は大きな恐ろしい白犬であった。女の取りなしで翌日無事帰ることができたが、 女との約束を破って、皆にこれを語ったので、若者たちが出かけて行き、犬を射殺そうとした が失敗し、犬は女とともに山奥に消え、ロ軽な男は死んだという話。これも常民社会とはかけ 離れた一個の隠れ里奇談で、同時に人獣婚姻譚でもある。前話とは、山中で道に迷った男が動 物の災いにあうというモチーフでつながっている。犬が女と夫婦になる話は、中国の『瀟湘 たきざわばきんなん 録』 ( 広百川学海第七冊 ) に飼い犬と通じた杜修巳の妻の話がみえ、わが国では滝沢馬琴『南 そうさとみはつけんでん ふせひめやっふさ 総里見八犬伝』の伏姫・八房の話が著名。 0 0 一同学の僧が変じた馬。 ニ来世に善所 ( 極楽など ) に生れ るもととなる所業。写経・造像・ 供養などをいう。 三いわゆる捨身の行で、仏果を 得るために身を捨てて苦行する意。 四むやみに。以下と同趣の教訓 句は、巻二六第一三話・巻二七第 七話・巻二九第二八話末等にもみ える。 ( 現代語訳二四一ハー )
たむけいさきねむごろふどうそんつかまつりおこなひ ふどうそんっげのたま に対して、それを超える絶対者大 湛慶前ニ懃ニ不動尊ニ仕テ行ケルニ、夢ノ中ニ、不動尊告テ宣ハク、「汝 日如来の教法と加力を説き、神秘 もはらわ たの わなむぢかご ( す ) べしただなむぜんしゃうえんあ よりニ ハ専ニ我レヲ憑メリ。我レ汝ヲ可加護ス。但シ汝ヂ前生ニ縁有ルニ依テ〔凵凵凵的作法と真言・陀羅尼呪による加 持の実践を主眼とする秘密教。 こほりす四 ものむすめおち めをうと = 一ノ国〔凵凵凵ノ郡ニ住ム冂凵〔〔〔〕ト「ムフ者ノ娘ニ落テ、夫妻トシテ有ラムトス」ト一 = 内典 ( 仏典 ) と外典 ( 仏典以外 の和漢の典籍 ) 双方にわたる学問。 たま 一六芸能の芸で、諸芸諸道の意。 告ゲ給フト見テ、夢覚ヌ 五 宅密教の修法。 のちたむけいこ ことなげ かなし をむなおち ただ 語 物其ノ後、湛慶此ノ事ヲ歎キ悲ムデ、「我レ何ノ故ニカ女ニ落ム。但シ、我レ一〈藤原良房の諡号。↓田三三 昔 注九。 おもえ をしたまをむなたづねころ こころやすあ しゅぎゃうやう 今か 一九病気。 彼ノ教へ給フ女ヲ尋テ殺シテ、心安クテ有ラム」ト思ヒ得テ、修行スル様ニテ、 ニ 0 若い女の声が聞えてきて。 まことし ただひと六 くにゆき そのところたづゆきと ものあ たむけい 只独リ「凵凵凵ノ国へ行ヌ。其所ニ尋ネ行テ問フニ、誠ニ然カ云フ者有リ。湛慶「音」を衍字、または「房」の誤りか とする説もある。 よろこびそ いへゆき いへみなみおもてたむけいぶのごと ひそかうかがみ 、つカカ 喜テ其ノ家ニ行テ、窃ニ伺ヒ見ル。家ノ南面ニ湛慶夫如クシテ伺フニ、十歳ニ一僧への供物。僧に供する食事。 一三「シッラ」の漢字表記を期した ・はかり をむなごたんじゃう あそあり しもをむないで 許ナル女子ノ端正ナル、庭ニ走リ出テ、遊ビ行ク。湛慶、其ノ家ョリ下女ノ出欠字。 ニ三女色に溺れ、邪淫戒を破って と いであそをむなごた カ このとのひとりむすめなり 堕落した意。 タルニ、「彼ノ出遊プ女子ハ誰ソト問へバ、「彼レハ此殿ノ独娘也ト答フ。 きき よろこび ひ つぎのひゆき みなみおもてには 湛慶此レヲ聞テ、「其レ也」ト喜テ、其ノ日ハ然テ止メ、次日行テ、南面ノ庭一不動明王。密教における五大 明王の中央尊。憤怒の形相を示し、 きのふごとをむなごいであそあり そのときあへひとな たむけいよろこなが ニ居ルニ、昨日ノ如ク女子出テ遊ビ行ク。其時ニ敢テ人無シ。湛慶喜ビ乍ラ走火炎を背負い、右手に利剣、左手 に縛縄を持って、いっさいの悪魔 、より のち をむな ) 」とらへ くびかききり ひとな みつけののしら ・煩悩を降伏退散させる。 リ寄テ、女子ヲ捕テ、頸ヲ掻斬ツ。此レヲ知ル人無シ。「後ニコソハ見付テ隍 ニ国名の明記を期した欠字。玉 おもひ は・つかに そこ きゃうかへり 葉によれば「尾張」が擬せられる。 メ」ト思テ、遥ニ逃ゲ去テ、其ョリ京ニ帰ヌ。 たむけいこ そ み ゅめさめ 一り 0 そ わなにゆゑ ゅめなか や たむけい こた わ じふき ) い なむぢ