平茸 - みる会図書館


検索対象: 完訳日本の古典 第32巻 今昔物語集(三)
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1. 完訳日本の古典 第32巻 今昔物語集(三)

したあげく、師僧と童子は死んでしまった。弟子の僧は死 同宿の僧はこの様子を見て、「いったいどこでとった平 十 6 、 ぬほど苦しんだ上、どうやら落ち着いて命を取り留めた。 茸をそんなに急に食べるのですか」と聞くと、冂凵 すぐこのことが左大臣殿のお耳にはいり、たいそう気の毒「これは「凵」が食べて死んだ平茸を取りにやって食べてい 八 十がりお悲しみになった。貧しい僧だったので、あとのこと るのですよ」と言う。「これはなんということをなさる。 第を心配されて、葬式の費用に絹や布や米などたくさん賜っ気でも狂われたか」と同宿の僧が言うと、冂凵〕は、「いや、 たところ、外に住む弟子や童子などが大勢集って来て、車食べてみたかったので」と答えて、まったく気にもかけず 集 語に乗せて葬った。 に食うのを同宿の僧はとても押えきれそうにないので、そ 昔ところで、東大寺にいる〔凵凵という僧が同じように御読うと見てとるや、急いで殿に駆けつけ、「またえらいこと 今 経にまいっていたが、この僧もこの殿の近くに、もう一人が起りそうでございます。これこれしかじかの次第です」 の僧と同じ僧房住いをしていた。ある時、その同宿の僧が と取り次がせると、殿はこれをお聞きになり、「あきれた 見ていると、冂凵〕が弟子の下法師を呼び、そっと耳打ちし ことじゃ」などおっしやっているうち、「〔凵〕が、「御読経 て使いに出した。何かの用事で使いに出したのだろうと思 の交替の時刻になりました」と言ってやってきた。 っていると、すぐに下法師は帰って来た様子である。袖に 殿が、「いったいなんと思って、あんな平茸を食ったの 何やら入れ、覆い隠すようにして持って来た。置いたのを か」とお尋ねになると、冂凵〕は、「冂凵が葬式の費用を賜 見ると、平茸を袖いつばいに入れて持って来たのだった。 りまして、死に恥を見すに終りましたことをうらやましく この僧は、これはどういう平茸なのだろう。最近あんなえ存じてのことでございます。この冂凵〕も死にますれば、大 らい事件があったばかりなのに、この平茸はどういう種類路に捨てられるのがおちでございましよう。それゆえ「〔〔凵 のものだろ、つかと、こわごわ見ていると、しばらくして、 も茸を食べて死にましたなら、冂凵凵のように葬式の費用を これをつけ焼きにして持って来た。冂凵は飯のお菜にもせ頂戴できることであろうと存じまして、食べたのでござい ます。ところが、とうとう死ねませんでしたので」と申し ず、ただ、この平茸ばかりみな食ってしまった。 ひらたけ

2. 完訳日本の古典 第32巻 今昔物語集(三)

「すぐおいでください」と言わせると、まもなく別当が杖 いたが、あたったことのない僧であった。それを知らず計 ったことがすっかり当てはずれになってしまった。 3 を突いてやってきた。この房の主は別当に向き合ってすわ ひらたけ り、「昨日、ある人が見事な平茸をくださったので、それ されば、毒茸を食べても少しもあたらぬ人もあるのだ。 八 いりもの 十を煎物にして食べようとお呼びしたのです。年を取ります このことは、その山に住んでいた僧が語ったのを聞き伝 第と、かようなうまいものがほしくなるものです」などとあ えて、こう語り伝えているということだ。 いそよく話すと、別当は喜んでうなすいている。そこで、 集 ひめ わたり 語編を炊き、この和太利の煎物を暖め、汁ものも作って食べ 比叡山の横河の僧茸に酔ひて経を誦する 昔させると、別当は腹いつばい食べた。房主は普通の平茸を 語第十九 今 別に料理して食った。 よかわ すっかり食べ終えて湯など飲んだので、房主は、もはや 今は昔、比叡山の横川に住む一人の僧があった。 やりおおせたそと思 い、今にもへどを吐き散らし、頭を痛 秋のころ、房の法師が山に行って木を切っていたが、平 がって狂い回るだろうと期待して見ていたが、まったくそ茸があったので、取って持ち帰った。これを見た僧たちの の気配もない。なんとも不思議だと思っていると、別当は中には、「これは平茸ではないぞ」と言う者もいたが、あ 歯もない口元を少しほほえませて、「この老法師は長いこ る僧が、「これは紛れもなく平茸だ」と言ったので、汁も かえ のに作り、栢の油があったのを入れ、房主がこれを腹いっ と、まだこんなに見事に料理された和太利は食べたことが ありませんでしたのでな」と言ってすわっているので、房ばい食った。その後しばらくして、身をのけそらして苦し 主は、さては和太利と知っていたのだなと思うと、驚い み出し、あたり一面へどを吐き散らす。そこで、どうしょ どころの話ではなかった。恥ずかしくて、何一つものも言 うもなく、僧衣を取り出し、横川の中堂に持って行って誦 えず、奥に引っ込んでしまったので、別当も自分の房に帰経料にした。 って行った。なんと、この別当は長年和太利ばかり食べて そして、冂〔凵という僧を導師としてこのことを申し上げ っえ

3. 完訳日本の古典 第32巻 今昔物語集(三)

なり リ。置クヲ見レバ、平茸ヲ一袖入レテ持来タル也ケリ。此ノ僧、「此ハ何ゾノ一袖一杯に入れて。 ニどんな平茸だろうか。普通な おそろ ひらたけ あ あさましことあ - ) ろほひいか ひらたけ 平茸ニカ有ラム。近来此ク奇異キ事有ル比、何ナル平茸ニカ有ラム」ト、怖シら中毒しないはすなのに、の気持。 八 四 三さきの僧と童子の中毒死事件 やきつけ しば。しばかりあり 二ク見居タルニ、暫許有テ、焼漬ニシテ持来ヌ。冂凵飯ニモ不合セデ、只此ノをさす。 第 四味付けをしてあぶり焼きにし 〕ひらたけかぎりみなくひ たもの。 平茸ノ限ヲ皆食ツ。 集 いづ どうしくそうこ 語 名の明記を期した欠字。 物同宿ノ僧此レヲ見テ、「此ハ何クノ平茸ヲ俄ニ食ゾ」ト問へバ、 冂凵ガ云ク、 昔 セ・宅・一三↓七一ハー注四。 どうしくそう とりつか くふなり くひしに ひらたけ 「此レハ〔凵ガ食テ死タル平茸ヲ、取ニ遣ハシテ食也」ト。同宿ノ僧、「此ハ何 ^ ( 毒茸と知って食べるとは ) 気 が狂われたか。 こた たまこと ものくるたま 一 0 とても制止できそうにもない ニシ給フ事ゾ。物ニ狂ヒ給フカ」トへバ、冂凵、「クレバ、ト答へテ、 状況なので。 あらほど どうしくそうせいあふべ おもひ こうと見てとるやいなや。 何ントモ不思タラデ食ヲ、同宿ノ僧制シ可敢クモ非ヌ程ナレバ、此ク見置マ、 一ニまた大変なこと ( 人死に騒ぎ ) こと まう しか・しか 一ぶら いそぎとのまゐり またいみじこといでまうできさぶら ニ、念テ殿ニ参テ、「亦極キ事出詣来候ヒナムトス。然々ノ事ナム候フ」ト申が起きそうな模様でございます、 の句意。 サスレバ、殿此レヲ聞セ給テ、「奇異キ事力ナ」、ド仰セ給フニ、げ「御一 = 「出来候」という丁寧表現に 対象尊敬の「詣」を添えた、一段と まゐり どきゃうときつがむ 丁寧な言い方。 読経ノ時継」トテ参ヌ。 一四 ( 取次の者をして ) 申し上げさ せると。 殿、「何ニ思テ、此ル平茸ヲバ食ケルゾ、ト問ハセ給へバげガ申ク、 天葬式も出してもらえないとい った、死に恥をかかずにすみまし 「げが葬料ヲ給ハリテ。恥ヲ不見給〈ズ成ヌルガウラヤマシク候也。凵 た、の意。「給」は謙譲で、普通は 自分に用いるが、ここでは、左大 モ死候ヒナムニ、大路ニコソハ被棄候ハメ。然レヾけモヲ食テ死ニ候ナバ な お このごろか み ひらたけひとそでい ひらたけ もてき もてきたり をしカくふ し と あ そう かみおく ただこ

4. 完訳日本の古典 第32巻 今昔物語集(三)

しめ・ はたごおほくひとさしなはどもと ゅひ ゅひつぎ いるようだなあ。 テ御スル也ケリ」ト知テ、旅籠ニ多ノ人ノ差縄共ヲ取リ集メテ結テ、結継テ、 三「あな、かまし」の意で、ああ、 一セ なはしりな おろ ほど なはとま ひか いまおろし ソレ / 、ト下シッ。縄ノ尻モ無ク下シタル程ニ、縄留リテ不引ネパ、「今ハ下うるさい、と騒音を制止する語。 一四旅行用具や食糧などを入れて つき そこ おもひあ いまひきあげ こゑきこ 着ニタルナメリ」ト思テ有ルニ、底ニ、「今ハ引上ョ」ト云フ音聞ュレバ、「其旅に携帯する籠。 三おっしやっているそ。「ナ」は ある一九 くりあぐ いみじかろ はた′ ) ハ、『引ケ』ト有ナルハ」ト云テ、絡上ルニ、極ク軽クテ上レバ、「此ノ旅籠コ感動の助詞。 一六馬のロにつけて引く縄。 おも またあ かろかり かうとのの たま あるべ もの ソ軽ケル。守ノ殿ノ乗リ給ヘラバ、重クコソ可有ケレ」ト云へバ、亦或ル者ハ、宅それ降ろせ、それ降ろせと掛 声をかけて、の意か。 と たま かろ あり あつまりひ 「木ノ枝ナドヲ取リスガリ給ヒタレバ、軽キニコソ有ヌレ」ナド云テ、集テ引一 ^ 縄のはしも尽きてしまうほど。 一九↓注一 = 。 ほど ひきあげ み ひらたけかぎひとはたごいり ク程ニ、旅籠ヲ引上タルヲ見レバ、平茸ノ限リ一旅籠入タリ。然レバ心モ不得ニ 0 「コソ」の結びとしては「軽ケ 八 レ」とあるべきところ。 たがひかほどもまばり ほど またき そここゑあり 三デ、互ニ顔共ヲ護テ、「此ハ何カニ」ト云フ程ニ、亦聞ケバ、底ニ音有テ、「然 = 一お乗りになっていらっしやる 第 のであれば。「ラ」は完了の助動詞 またおろ さけ 0 「り」の未然形。 壥テ亦下セ」ト叫ブナリ 御 一三平茸だけが旅籠一杯に。「平 きき また こゑあ 落此レヲ聞テ、「然ハ亦下セ」ト云テ、旅籠ヲ下シッ。亦、「引ケ」ト云フ音有茸」↓七一ハー注九。 忠 ニ三国守の姿がないのを不審に思 こゑしたがひひ たびいみじおも あまたひとかか くりあげ 、互いに顔を見つめ合ったもの。 原レバ、音ニ随テ引クニ、此ノ度ハ極ク重シ。数ノ人懸リテ絡上タルヲ見レバ 藤 ニ四命がけで取ってきた平茸とは、 かみはたご くりあげられ かみかたて なはとらたま いまかたて ひらたけみふさ 濃守旅籠ニ乗テ被絡上タリ。守片手ニハ縄ヲ捕へ給ヘリ、今片手ニハ平茸ヲ三総一体いかなる平茸かと怪しんだも の。 ひきあげ ばかりもちのばりたま かけはしうへす らうどうどもよろこびあひ そもそこ 許持テ上給ヘリ。引上ツレバ、 懸橋ノ上ニ居へテ、郎等共喜合テ、「抑モ此一宝以下、守の回顧談が、すべて ニ四 直前の過去を表す「ツ」で話されて と さぶらふ ひらたけ かみこた おちいりニ五とき むまと ハ何ゾノ平茸ニカ候ゾ」ト問へバ、 守答フル様、「落入ツル時ニ、馬ハ疾ク底いることに注意。 二ロ おは ひ なり はた′一 のり おろ またおろ はた′ ) ゃう おろ あっ ひ こころえ み そこ かご

5. 完訳日本の古典 第32巻 今昔物語集(三)

1 一口 引き上げよ」と言う声が聞えた。「それ、引けとおっしや木の枝がびっしり茂り入り組んだ上にはからずも落ち掛か ったので、その木の枝をつかんでぶらさがったところ、下 っているそ」と言ってたぐり上げると、いやに軽々と上が ってくる。「この籠はやけに軽いな。守殿がお乗りなら、 に大きな木の枝があってささえてくれた。そこで、それに もっと重いはずだが」と言うと、ほかの者が、「木の枝な足を踏ん張り、股になった大きな木の枝に取りつき、それ を抱きかかえて一息ついていたところ、その木に平茸が密 どに取りすがっておられるので軽いのだろう」と言いなが ら、皆集って引いているうち、籠が上がって来た。見れば、生しているのが目についたので、そのまま見捨てがたい気 ひらたけ 平茸ばかり籠いつばいにはいっている。訳がわからず、互がして、まず手の届く限り取り、籠に入れて引き上げさせ しいよ , つもなくたくさん たのだ。まだ取り残しがあろう。 いに顔を見合せて、「いったい、どうしたことだ」と言っ あったなあ。えらい損をしたような気がするぞ」。郎等共 十ていると、また、谷底から、「前のようにもう一度降せ」 はこれを聞き、「なるほど大変なご損をなされましたこと 第と叫ぶ声が聞えてきた。 で」と言い、とたんに一同どっと笑った。 これを聞いて、「では、もう一度降せ」と言って、籠を る 守は、「、い得違いのことを言うな、お前ら。わしは宝の ち降した。するとまた、「引け」と言う声がしたので、声に 落 山にはいって手を空しくして帰って来た気がするぞ。受領 応じて引くと、今度はひどく重い。大勢で縄に取りかかり、 たるものは倒れた所の土をつかめというではないか」と言 御たぐり上げた。たぐり上げたのを見ると、守が籠に乗って ・もく ~ い うと、年配の目代が、内心ではまったくあきれたことだと 喇上がって来た。守は、片手に縄をつかみ、もう一方の手に 藤は平茸を三房ほど持って上がって来なさった。引き上げ終思いながら、「まことごもっともでございます。手近にあ る物をお取りになるのに、何の遠慮がありましようそ。だ 濃って桟道の上に置き、郎等共は喜び合ったが、「いったい、 この平茸はどういう訳のものでございますか」と尋ねる。 れであろうと取らずにおられるものではございません。も すると、守はこう答えた、「谷に落ちた瞬間、馬は先に底ともと賢明であられる方はかように死を目前にした最期の に落ちて行ったが、わしはあとからずるずる落ちて行き、 瞬間にも、心騒がす、万事普段の時のように処理なさるこ また

6. 完訳日本の古典 第32巻 今昔物語集(三)

いまはむかしひえやまよかはすみ そうあり 今昔、比叡ノ山ノ横川ニ住ケル僧有ケリ 一 0 心・肝・肺・腎・脾の五臟。 一一「清浄」などを擬すると文意は あきのころほひばうほふしやまゆききこり ひらたけあり 通じる。仏教では、六根清浄とな 秋比、房ノ法師山ニ行テ木伐ケルニ、平茸ノ有ケルヲ取テ持来タリケリ。 れば各根の通用自在となるという。 そうどもこ ひらたけあら ひとあり またひとあり 三 ( 六根五臟を清浄に保てる境 僧共此レヲ見テ、「此レハ平茸ニ非ズ」ナド云フ人モ有ケレドモ、亦、人有テ、 地に達していないので ) 舌を用し まさ ひらたけなり しるもの かへあぶらあり るはすのところに耳を用いたため 「此レハ正シキ平茸也」ト云ケレバ、汁物ニシテ、栢ノ油ノ有ケルヲ入レテ、 に。「耳」に「茸」を掛けたもので、 ばうず . よ のちしばしばかりあり かしらたてや ものつきまどことかぎりな 舌にきのこを持っていったために 房主吉ク食テケリ。其ノ後暫許有テ、頭ヲ立テ病ム、物ヲ突迷フ事無限シ。 ( きのこを食べたがゆえに ) の意と ほふぶくとりいで よかはちうだうじゅきゃう もなる。 術無クテ法服ヲ取出テ、横川ノ中堂ニ誦経ニス。 りようじゅせんしやか 一三霊鷲山。釈迦が法華経を説い たとされるインドの霊山。 而ニ、げト云フ僧ヲ以導師トシテ申シ上サス。導師祈リ持行テニ、祕化 一四木の枝を折った道しるべ。 一一云ク、「一乗ノ峰ニハ住給へドモ、六根五ノ障凵ノ位ヲ習ヒ不給ザリケレ一 = 「山上に登る意に「往生を遂 九 げる」意を掛けている。 十 したところみみもちゐあひだみやまひな たまなり わしやまいまし 一四 第バ、舌ノ所ニ耳ヲ用ル間、身ノ病ト成リ給フ也ケリ。鷲ノ山ニ坐マシカバ、シ 一六「茸」に「岳」を掛け、「不案内 語 な山」と「見知らぬ茸」の両意を掛 経 しら のばたま たけおば ひとまどたまなり 誦オリヲ尋ネッ、モ登リ給ヒナマシ。不知ヌ茸ト思ス・ヘラニ、独リ迷ヒ給フ也ケける。 ニ 0 宅お思いなされたご様子で。 酔 ゑかうだいばだい しが、いと そうどもはらきり わらののしり 0 一 ^ 「道に迷う」意と「茸の毒にあ 廻向大菩提」ト云ケレバ、次第取ル僧共腹ヲ切テゾ咲ヒ隍ケル。 河 たって突き迷う」意を掛ける。 横そうしぬばかりまどひおちゐ かたった 山僧ハ死許迷テ落居ニケリ、トナム語リ伝へタルトャ。 一九回向文の結びの常套句。迷い を転じて悟りに向うべし、の意。 比 ニ 0 導師の誦する句をそのあとに 続けてくり返し誦する役の僧 ニ一大笑いするさま。 ずつな くひ み そ 0 とりもてき

7. 完訳日本の古典 第32巻 今昔物語集(三)

今昔物語集巻第二十八 70 さだいじんのみどきゃうじよのそうたけにゑひてしめることだいじふしち 左大臣御読経所僧酔茸死語第十七 本話の典拠は未詳。本話は一表題のものにまとめられてはいるが、本来は第一・二段と第 三・四・五段の二話から成る。前者は史実が説話化したもの、後者はそれに関連した後日譚で ある。前者は左大臣藤原道長の枇杷殿在住時、読経僧某が召使童子の取って来た平茸を弟子の 僧ともども三人で食べたところ、ひどい中毒を起して某と童子が死に、道長から多大の葬儀料 を下賜された話。後者は、その事件に触発されて、読経僧仲間の東大寺僧某も同じ平茸を取り 寄せて飽食し、理由を道長に問われるや、いずれ死ねば野ざらしになる身なので葬儀料ほしさ に、と答え、狂僧と笑われた話で、いわば一種のユーモラスな狂言自殺譚。後者については徴 しようゆうき すべき資料を知らないが、前者については『小右記』寛弘二年四月八日の条に「於レ陣左府 ( 藤原 こほんき 道長 ) 被レ談云、興福寺雅敬日来在 = 読経「而昨食レ茸、今日酔死、弟子一人同食死者」、『印本紀 りやく 略』寛弘二年四月八日の条に「今日、福田院別当雅静依 = 左大臣請「来宿洞院土御門辺之間、今朝 食レ茸、八人酔臥、其中一一人死了。残六人存レ命、京中貴賤覩者如レ堵」とみえ、その史実性が 裏付けられる。『小右記』の記事によるに、本話はどうやら道長の談を一根元として貴族社会 に伝播し、しだいに説話的成長を遂げたものらしい。↓池田亀鑑「説話文学の特性」 ( 国語と 国文学・第一八巻第一〇号。同論文は池田亀鑑著『平安時代文学概説』にも同題で転収 ) 。 一藤原道長をさす。任左大臣は 長徳一一年 ( 究六 ) 七月。 いまはむかしみだう びはどのすまたま みどきゃうっとめ ニ藤原仲平の旧邸。↓田三五ハー 今昔、御堂ノ、左大臣ト申シテ枇杷殿ニ住セ給ヒケル時ニ、御読経勤ケル さだいじんまう とき

8. 完訳日本の古典 第32巻 今昔物語集(三)

135 信濃守藤原陳忠落入御坂語第三十八 ( 現代語訳三五六ハ -) 院ハ、「此奴ハ極力リケル盗人力ナ」ト被仰テ、強ニモ腹立セ不給ズ成ニケ三疾駆して。 かれたづめことなくやみ をのこ はせちら 一三とても追いつけるはずのもの ではない。 レバ、彼尋ル事モ無テ止ニケリ。男ノ、「馳散シテ逃ナム」ト思ヒ寄ケム心コ こデ きはめふと かひな を , ) 一四なんともしたたかな曲者よ。 ソ、極テ太ケレドモ、逃ニケレバ、云フ甲斐無キ嗚呼ノ事ニテ止ニケリ、トナ「盗人」↓六七注 = 0 。騎乗に見と すき かたった れた院の心の隙につけこんで、う ム語リ伝へタルトャ。 まく逃げおおせた男の才覚を小気 味よく感じての評語。 一五物笑いの種。お笑い草。 しなののかみふぢはらののぶただみさかにおちいることだいさむじふはち 信濃守藤原陳忠落入御坂語第三十八 ふじわらののぶただ 本話の典拠は末詳。信濃守藤原陳忠が任果てて上京の途中、御坂峠で谷底に転落し、旒籠で 吊り上げられたが、意外にも最初の旅籠は平茸で一杯、二度目にや 0 と本人が乗 0 ては来たが、 片手に平茸を三房はど持ち、九死一生の生還の喜びをよそに平茸の取残しを悔んだという話。 あまりのがめっさにあきれた従者たちの笑いを、陳忠は「受領ハ倒ル所ニ土ヲ齟メ」の諺を引 いてたしなめているが、それに対する目代の返事は、迎合的言辞の中に辛辣な風刺を蔵して痛 快至極。王朝時代の国司の強欲ぶりを象徴する話としては、巻二〇第一 = 六話と好一対であろう。 宅元方の子。正五位下。天元五 一七 いまはむかししなのかみふぢはらのぶただ ひとあり 年 ( 九公 D 信濃守在任。長保五年 ( 一 0 今昔、信濃ノ守藤原ノ陳忠トフ人有ケリ。任国ニ下テ国ヲ治テ、缶畢一一 0 = ) + 一月以前に没。 ゐん こやっ み四 じ めすびと 一六国府は現在の松本市にあった。

9. 完訳日本の古典 第32巻 今昔物語集(三)

上げたので、殿は、「この坊主気でも狂ったか」と仰せら っていたが、別当はかくしやくとしてまったく死ぬ気配も れてお笑いになった。 なかったので、この二﨟の僧は業を煮やし、「あの別当は こんなわけで、なんと、この冂凵はたいへんな毒茸を食年は八十を過ぎたにもかかわらず、七十でもまれなくらい ってもあたらないことを知っていながら、人を驚かそうと びんびんしている。ところで、わしもすでに七十になった。 して、こんなことを言ったのであった。当時はこのことを もしかしたら、わしは別当にもなれず、先に死んでしまう かも知れぬ。だから、この別当を打ち殺させたいが、そう 世間で話の種にして笑い合った。 されば、同じ茸を食っても、毒にあたってたちまち死ぬすると事がばれてまずいことになるは必定。よし、毒を食 八人もあり、またこのように死なない人もあるからには、きわせて殺してやろう」と心に決めた。 「仏様がなんと思し召すか、それが恐ろしいが、といって、 第っと食い方があるのだろう、とこう語り伝えているという 五ロ ることだ。 他に方法もない」と思い、その毒をあれこれ思いめぐらす きのこ わたり うち、「人が必ず死ぬ毒は、茸のうち和太利という茸に過 酔 金峰山の別当毒茸を食ひて酔はざる語第 ぎるものはない。人がこれを食えば、必ずあたって死ぬ。 て ひ これを取って来て、おいしく調理し、『これは平茸です』 十八 食 を と言ってこの別当に食わせたなら、きっと死ぬに決ってい 茸 毒 る。こうして、わしが別当になろう」とたくらんだ。ちょ 当今は昔、金峰山の別当をしていた老僧がおった。昔は、 いちろう うど秋のころで、みずから供も連れす山に行き、多くの和 の金峰山の別当はその山の一﨟の者を用いたが、近ごろはそ 太利を取って来た。夕暮近くに房に帰り、人にも見せずす 峰ういうこともなくなった。 いり - もの 金 ところで、長い間一﨟であるこの老僧が別当を続けてい つかり鍋に切り入れ、見るからにおいしそうな煎物に料理 たところ、次の二﨟の僧がいて、「あの別当め、さっさと 死ねばいし そうしたら、わしが別当になれる」と深く願 さて、翌朝まだ明けきらぬころに別当のもとに人をやり、 みたけ

10. 完訳日本の古典 第32巻 今昔物語集(三)

ひらたけ しなののかみ とでございますから、あわてず騒がず、このように平茸を いに信濃守になった。 3 お取りになったのでございます。それゆえ、任国をも平ら さて、はじめてその任国に下った時、国境で歓迎の饗宴 かに治め、租税もきちんと収納なさって、すべて思いのま が催された。守がその宴席に着くと、多くの郎等も着座し 八 十まで上京なさるのですから、国の民はあなた様を父母のよ た。国の者共も大勢集っていたが、守が宴席に着いて見渡 くる 第うにお慕いし、惜しみ奉っておるのでございます。されば、 すと、守の前の机をはじめ末席の机に至るまで、すべて胡 行く末も千秋万歳疑いございません」と言って、陰で仲間 桃一式でさまざまに調理した食物が盛ってある。守はこれ 五ロ 1 = 一口 同士笑い合った。 を見て、どうしようもなくつらい思いがして、ひたすらか 物 思うに、あんなあぶない目に会って、心をまどわさず、 らだの水分が絞り取られるようにもだえ苦しんだ。そこで ます平茸を取って上がって来たとは、何とも強欲な心であ苦しい余り、「何ゆえにこの宴席にかくも胡桃を多く盛っ る。まして、在任中、取れる物は手当りしだいどれほど取たのであるか。いかなる訳じゃ」と問いただすと、国の者 り込んだことか、想像に余りある。 が、「この国には至る所に胡桃の木が多く生えております。 この話を聞いた人はどれほど憎み笑ったことであろう、 されば、守殿の御肴にも、また御館の上下の方々にも、す とこ , っり伝えているとい , っことだ。 べてこの胡桃をさまざまに調理してお出ししたのでござい ます」と答えたので、守はますますやりきれず、つらい思 寸白信濃守に任じて解け失する語第三十 いがして、ただからだを絞られるように苦しんでいた。 九 このように穴〔凵凵まどい、弱りきった様子を、その国の 介で、年老いて万事に通じ、世故にたけた男が見て、不思 すんばく 今は昔、腹の中に寸白を持った女がいた 〔〕〕凵〕の冂凵〕と議に思い、あれこれ思いめぐらし、「もしやこの守は、寸 いう人の妻になり、男の子を産んだ。その子を「凵凵といっ 白が人に生れ変り、この国の守となって赴任して来たので た。しだいに成長し、元服など済んでのち官途につき、つ はあるまいか。あの様子を見ると、どうにも不審でならぬ。