( 原文一四九ハー ) 「これではおれの頭が打ち割られるやも知れぬ」とおじけ づき、それほどの大声でなく、「おう」と叫んで妻のいる 兵立ちたる者我が影を見て怖れを成す語 所に舞いもどり、妻に、「そなたは名うての武士の妻とば 第四十一一 かり思っていたが、えらく見誤ったものだ。何が童髪の盗 今は昔、ある受領の郎等で、人に勇猛の士と思われよう人だ。髻を出して太刀を抜き持った男じゃないか。あやっ はえらい臆病者だそ。おれが出て来たのを見て、持った太 として、やたら勇者ぶった振舞をする男があった。 刀を落さんばかり震えおったわ」と言う。これは自分の震 一一ある日、朝早く家を出て、どこかへ行くつもりでいたの えている影が映ったのを見て言ったのだろう。 四で、男がまだ寝ているうちから、妻は起き出して食事の用 さて、妻に、「そなた行って、あいつを追い出せ、おれ 語意をしようとしていると、有明の月の光が板間をもれて家 成の中にさし込んできた。その月の光で、妻は自分の影が壁を見て震えていたのは恐ろしかったからだろう。おれはこ わらわがみ れに映ったのを見て、童髪を振り乱した大男の盗人が物取りれから用足しに出かける門出の際だから、ちょっとした手 傷でも負うてはつまらぬ。女はよもや切るまい」と言って、 に押し入ったと早合点し、あわてふためいて、夫の寝てい をる所に逃げて行き、夫の耳に口をつけて、ひそかに、「あ夜着をひっかぶって寝てしまった。妻は、「なんてだらし 影 こんなざまで、よくも夜の見回りなんかできるこ そこに大きなばさばさの童髪の盗人が物取りにはいって立かない と。せいぜい弓矢を持って月見に行くのがせきの山でしょ 者っていますぞとささやいた。聞いて夫は、「さてどうし う」と言い、起き上がってもう一度様子を見に出て行こう たたものか。一大事だ」と言って、枕元に置いた太刀を探り としたとたん、夫のそばの障子が不意に倒れ、夫に倒れ掛 立取り、「そやつのそっ首、打ち落してくれる」と跳ね起き もとどり 兵 かった。夫は、さてはあの盗人が襲い掛かった、と思い るや、髻も丸出しの裸のまま、太刀を持って出て行ったが、 また、その自分の影が壁に映ったのを見て、「なんと、童大声で悲鳴をあげた。妻は腹が立つやらおかしいやらで、 「もし、あなた。盗人はもう出て行きましたよ。あなたの 髪の奴ではなく、太刀を抜いた者ではないか」と思い
ひさげ また、一人の侍が大きな銀の提に大きな銀の匙を立て、 わん 芻重そうに持って前に据えた。すると、中納言はお椀を取っ て侍に渡し、「これに盛れ」とおっしやる。侍は匙で飯を 八 十すくいすくい、高々と盛り上げ、わきに水を少し入れてさ もんとくてんのう 今は昔、文徳天皇の御代に、波太岐の山という所に一人 第し上げると、中納言は台盤を引き寄せ、お椀を取り上げな の聖人がおった。長年の間、穀類の食断ちをしていたが、 さった。なんと大きな椀だろうと見えたのが、えらく大き 集 天皇がこの由をお聞き及びになり、召し出して神泉苑に住 語な手でお取りになると、それが少しも不似合には見えない わせ、たいそう帰依なさった。この聖人は生涯穀類を断っ 昔くらいであった。まず、〔干〕瓜を三切れほどに食い切り、 今 ているので、木の葉を常食としていた。 三つほど食べる。次に、鮨鮎を二切れほどに食い切って、 ところが、若く元気のいい殿上人で、いたずら好きの連 五つ六つべろりと平らげてしまった。次に、水飯を引き寄 中が大勢連れ立って、「どれ、出かけて行って、その穀断 せ、二度ほど箸でかき回しなさったとみるや飯はなくなっ てしまったので、「もう一膳盛れ」と言ってお椀をさし出ちの聖人とやらを見ようじゃないか」と言い、その聖人の 住いに出かけた。聖人がいかにも尊げにすわっておられる される。 のを見て、殿上人共は礼拝してからお尋ねした、「お聖人 これを見て〔重秀〕は、「水飯だけをおあがりになるか は穀類を断ってから何年になられますか。また、お年はい らといって、こんな具合にあがられたのでは、絶対にご肥 くつになられますか」。聖人は、「年はもう七十になりまし 満のおさまるはずはありません」と言って逃げ出し、後に たが、若い時から穀物を断っておりますので、もう五十年 このことを人に語って大笑いした。 されば、この中納言はますます太り、相撲取りのようで余りになります」と答えた。これを聞いて、一人の殿上人 が声をひそめ、「穀断ちをした人間の糞はどんなものだろ あった、とこう語り伝えているとのことだ。 う。普通の人のとは違うに相違ない。ひとつ、行って見よ 穀断の聖人米を持ちて咲はるる語第二十 四 はたき
て、これはすばらしい財宝だろうと思い 「さっそく、別 当にお知らせせよ。それまでは開くわけにはゆかぬ」と言 いながら、別当に報告しに人をやって待っていたが、だ、 八 十 ぶたってから、「捜してもどこにもお姿が見えません」と 第今は昔、年配の世慣れたある受領の妻に、祇園の別当で 言って、使いが帰って来た。すると、誦経料の唐櫃を持っ かんしゅう て来た使いの侍が、「いつまでも長々とお待ちしているわ 感秀という定額寺の僧が忍んで通っていた。 語 守 ( 受領 ) はこのことをうすうす感づいてはいたが、そ けにはまいりません。わたしが見ておりますから、ご心配 物 はありますまい。かまわずすぐにお開きください。わたし 昔知らぬ顔で過しているうち、ある日守の外出中、入れ替り 今 は忙しいのです」と言う。僧共は、「それもどうしたもの に感秀がはいってきてわが物顔に振舞っていた。そこへ守 か」と決しかねていると、唐櫃の中で蚊の鳴くような声で、 が帰って来た。見れば、妻も侍女たちも妙にそわそわして 「別当に言わずとよい。役僧開きにせよ」という声がする。 いる。守は、さては来ているのだなと思い、奥に行ってみ 僧共も使いの侍も、これを聞いてびつくり仰天した。とい ると、そこにある唐櫃にふだんと違って鍵が掛けてある。 って、そのままにしておけもせず、こわごわ唐櫃をあけた。 きっとこの中に入れて鍵を掛けたのだろうと見てとって、 曽共はこれを見 年配の侍一人を呼んで人夫二人を連れて来させ、「この唐見れば、唐櫃から別当が頭をさし出した。イ て、目も口も〔あけつばなし〕で、皆どこかに立ち去った。 櫃を今すぐ祇園に持って行き、誦経料にさし上げてこい」 たてぶみ と命じて立文を持たせ、唐櫃をかつぎ出して侍に渡すと、 誦経料の使いも逃げ帰った。その間に、別当は唐櫃から出 て、走り隠れてしまった。 侍は人夫にになわせて出て行った。そこで、妻も侍女たち も、困惑の色を浮べていたが、〔呆然とし〕てものも言わ 思うに、守が、感秀を唐櫃から引きずり出して、踏んだ り蹴ったりするのは外聞が悪かろう、ただ恥をかかせてや さて、侍がこの唐櫃を祇園に持って行くと僧共が出て来ろう、と思ったのは、まことに賢明なことである。感秀は 祇園の別当感秀誦経に行なはるる語第十 からびつ ぎおん
う方がいらっしやった。この宮もまた非常に鷹を好んでお な様子も見せないので、見ていた人々の中で、あの、「よ もや、鷲が蛇にとろかされることはあるまい」と言った者られたので、忠文民部卿の家によい鷹がたくさんいると聞 は、「それみろ、どんなことがあろうと、鷲がとろかされき、それをもらい受けようと思って、忠文の宇治の家にお るわけがない。 これは鳥獣の王だから、やつばり魂がほか出かけになった。 忠文はすっかり驚き、あわててお出迎えして、「思いも の獣とは違っているのだ」など言って、盛んにほめたたえ よらず、いったい何事でお訪ねくださったのでございます か」と尋ねると、親王は、「鷹をたくさんお持ちと聞き、 思うに、蛇の心はじつに身のほど知らずだ。もともと蛇 ちょうだい 一羽頂戴しようと思って伺ったのです」とおっしやった。 は自分より大きなものを呑むとはいえ、鷲をねらうとはな 忠文は、「お使いなどをもって仰せくださってしかるべき 四んとも愚かなことである。 十 ところ、かようにわざわざお訪ねいただきましたからには、 されば、人もこれで思い知るべきである。自分に勝るも どうしてさし上げぬわけにまいりましよう」と言って、鷹 語のを滅し犯そうなどという了見は決して起してはならない。 を献上しようとしたが、たくさん持っている鷹の中で第一 知このように、かえって自分の命を失うことがあるのだ、と きじ のものにしている鷹は、世にまたとない利ロな鷹で、雉に 主こう語り伝えているということだ。 の 合せると、必ず五十丈と飛ばさぬうちに取ってくる鷹であ 本 鷹 るから、それは惜しんで、その次にすぐれた鷹を持って来 民部卿忠文の鷹本の主を知る語第三十四 の 文 て献上した。これもよい鷹ではあったが、前の第一の鷹と 忠 みんぶのきようふじわらのただふみ は比べようもない。 部今は昔、民部卿藤原忠文という人がおった。この人は 民 さて、親王は鷹をもらい、喜んでみずから手首の甲に据 宇治に住んでいたので、宇治民部卿と世間の人はいってい えて京に帰ってくるうち、途中、雉が野に伏しているのを しげあきらのしんのう たか 見て、この手に入れた鷹を放ったところ、この鷹は下手く たいそう鷹を好んでいたが、当時冂凵卿重明親王とい まさ
た着物を引っさげ、東の山の中に走り入った。 そこで、主の女と女童は泣き暮れていたが、今更どうに ・もしょ , つがない 。といって、このままでもおられず、女童 三が清水寺の師僧の所に行き、「これこれしかじかです。鳥 一一部寺にお参りに行きましたところ、追剥ぎに会い、主は裸 語のままその寺においでになります」と言って、僧のねずみ つむぎ る色の衣一枚を借り、自分は僧の紬の衣を借りて身につけ、 縛法師一人を付けてくれたので、それを連れて鳥部寺に引き 於返し、主にその借りてきた衣を着せて京に帰った。途中、 臨賀茂川原で迎えに来た車に出会ったので、それに乗り家に た帰って行った。 男 されば、分別の浅い女の出歩きはやめるべきである。こ 行 んな恐ろしいことがあるのだ。その男も、主の女とからだ のの関係までもったのなら、着物だけは取らずに行けばよい ものを。なんとも不人情な奴だ。男は、もとは侍だっこが、 し盗みを働いて牢にはいり、その後放免になった者であった。 をこのことは人に隠そうとしていたが、いっか世間に広が 妻 ったのであろうか、とこう語り伝えているということだ。 妻を具して丹波の国に行く男大江山に於 て縛らるる語第二十三 今は昔、京に住む男が、妻は丹波国の者だったので、そ の妻を連れて丹波国に出かけたが、妻を馬に乗せ、自分は えびら 矢を十本ほど差した箙を負い弓を持って、そのあとについ て歩いて行くうち、大江山の近くで、太刀だけを帯びたた いそう強そうな若い男と道連れになった。 そこで、連れ立って歩いて行ったが、互いに話し合いな がら、「おぬしはどちらへ」など言っているうち、この今 道連れになった太刀を帯びた男が、「わたしの帯びている むつのくに この太刀は陸奥国から得た高名の太刀です。ご覧なされ」 と言って抜いてみせる。見れば、まことにすばらしい太刀 であった。はじめの男はこれを見て、ほしくてしかたがな 若い男はその様子を見て、「この太刀がご所望なら、 あなたのお持ちの弓とお取り替えなさい」と言う。弓を持 っ男にすれば、自分の持っている弓はそれほどのものでは ない、あの太刀はまことに見事な太刀なので、太刀がほし くてたまらない上に、交換すればえらく得をするだろうと たんばのくに
に行っていたので、使いはそこに持って行った。あけて見 うすねずみ ると、烏帽子はあるが狩衣はなく、薄鼠色の僧衣がたたん ではいっている。いったいどうしたことかとあきれると同 時に、さては間男の僧衣と取り違えたのだな、と気がつい た。殿上人が居並んで遊んでいる所なので、他の公達もこ れを見てしまった。恥ずかしく情けない思いがしたが、ど うしようもなく、衣をたたんだまま袋に入れ、こう書いて 返してやった。 ときはいかにけふはうづきのひとひかはまだきもしつ 第今は昔、だれだとは聞えが悪いので書かないが、ある殿 るころもがへかな 上人の妻に身分ある名僧が忍んで通っていた。夫はそれに ( いったい今日はいつだったのかな。四月一日でもありはし '@ 気づかず過しているうち、三月二十日余りのころ、夫が参 曽 ないのに、なんとはやばやと衣替えをしたことだ ) 各内した隙に、名僧はその家にはいり込み、着ていた僧衣を び脱いで、わがもの顔に〔振舞っ〕ていたが、仕えている女と「〔〔〔凵凵書いてやって、そのまま家にも帰らず、夫婦の縁 は切れてしまった。 房がその脱いだ僧衣を取って、夫の衣装が掛けてある棹に 女房が愚かで、狩衣を取って袋に入れたと思ったのに、 の一緒に掛けておいた。 上そのうち、夫が内裏から使いをよこし、「内裏から人々暗闇の中で僧衣を同じ棹に掛けたため、あわてて取った時、 なんと、同じように〔なよ〕やかな僧衣と取り違えて入れ ると一緒に遊びに行くことになったが、烏帽子と狩衣を持っ てしまったのだった。妻は夫の手紙を見て、どんなにか驚 て来させてくれ」と言ってきたので、女房は棹に掛けた いたことだろう。だが、もはやどうすることもできなかっ 〔なよ〕やかな狩衣を取り、烏帽子に添えて袋に入れ、持 きんだち たしてやった。ところが、夫はすでに他の公達と遊ぶ場所た。 もともとたいそう冗談事の上手な男であったから、唐櫃の 中でこのようなことを言ったのである。 この話が世に知れて、人々はおもしろいことをしたもの だとほめたたえた、とこう語り伝えているということだ。 或る殿上人の家に忍びて名僧の通ふ語第 十二 かりぎめ さお
え、すばらしい弓矢や太刀・刀を持っ千人の軍勢が防いだ 今は昔、陸奥国「凵凵郡に一人の卑しい男が住んでいた。 とてとうていかないはしまい。まして、狭い船内では、太家に多くの犬を飼っておき、し 、つもその大を連れて深い山 刀・刀を抜いて立ち向っても、あの虎があんなにも力が強 にはいり、猪や鹿に犬をけしかけて噛み殺させ、猟をする 九 十く足が速いときてはどうなるものではない」とめいめい言 ことを日夜仕事にしていた。そこで、大共ももつばら猪や 第い合って肝をつぶし、船を漕ぐそらもなく九州に帰って来鹿に噛みつくように飼い慣らされ、主人が山にはいると、 た。そして、おのおの妻子にこのことを話し、危うく生き どの犬も喜んで、主人の前後に立って進んで行った。この 集 語延びて帰って来たことを喜び合った。他の人々もこれを聞ようなことをするのを世間では犬山といっているようであ る。 昔き、ひどく恐れおののいた。 今 思うに、鰐も海中では強く利ロなものだから、虎が海に ある日のこと、この男はいつものことで、犬共を連れて 落ち込んだのを見て、その足を食い切ったのである。それ山にはいった。これまでも食物などを持って二、三日山に なのに、考えもなく、なおも虎を食おうとして、岸に近づ はいっているのは常のことなので、この日も山で夜を明か うつろ いたため命を失ったのである。 すことになった。夜、一本の大木の空洞の中にはいり、そ ゃなぐい されば、万事はみなこのようなものである。人はこれを ばに粗末な弓・胡・太刀などを置いて、前に火を焚いて 聞いて、身のほど知らずの振舞は思いとどまるべきである、 いたが、犬共はみなその回りで寝ていた。ところで、多く こだ、ほどほどにしておくべきだ、と人々は語り伝えてい の犬の中に長年飼い慣らしていたとりわけすぐれて賢い犬 るとい , っことだ。 かいたが、夜もふけるころ、ほかの犬共はみな寝ていたの に、この大一匹だけ、にわかに起き上がって走り出し、木 陸奥の国の狗山の狗大蛇を咋ひ殺す語第 の空洞の中で寄り掛かって寝ている主人の方に向い、けた 三十二 たましく吠え立てたので、主人は、いったい何に吠えてい るのだろうと怪しんで、左右を見回したが別に吠えつくよ ( 原文一一六九ハー ) むつのくに
気がっかなかったが、どうにもこの袖口が気になってなら を開けて見ると、主人の持って出た物が全部はいっていた。 ず、さりげないふりをしてよく見ると、まさに夫のものだ。 「思ったとおりだ」と言い、今度は法師の頭のてつべんに、 とたんに、女は驚き怪しみ、隣の家に行って、ひそかに、 皿に火を入れて置き、問い詰めると、ついに法師は熱さに 「こういうことがあります。いったいどうしたことでしょ堪えす、「じつはどこそこの山中で、しかじかの男がおり う」と耳打ちすると、隣の人は、「それはじつに怪しい ましたが、それを殺して奪った物です。それにしても、こ んなことをお聞きになるのはどなたです」と言う。「これ 九もしかしたら盗んだのかも知れぬ。なんとも怪しいことだ。 はその人の家だ」と言うと、法師は、「さてはわしは天罰 語本当に疑いなくご主人の着物だと見きわめられたのなら、 るその聖を捕えて問いただすべきです」と言う。女が、「盗をこうむったのだ」と答えた。さて、夜が明けて、その法 殺んだか盗まないかはわかりませんが、とにかく着物の袖は師を前に立て、村の者共が集ってその場所に行ってみると、 て 確かに主人のものです」と言うと、隣の人は、「ならば、 本当に主人の男が殺されていた。まだ、鳥や獣に食い散ら 宿 法師の逃げ出さぬうちに早いとこ問いただす必要がある」 されず、そのままの姿で残っていたので、妻子はこれを見 て泣き悲しんだ。そこで、この法師を、「こいつを連れて のと言って、その村の屈強な若者四、五人ほどにこのことを て知らせ、夜、その家に呼び寄せて、法師が食事を終え、そ帰ってもしようがない」と言って、即座にその場ではりつ 殺うとは知らず気をゆるして寝ているところを、にわかに飛けにして射殺してしまった。 これを聞いた人はみなこの法師を憎んだ。男に慈悲の心 人び掛かって取り押えた。法師が、「いったい、何事じゃ」 があって、わざわざ呼び寄せて飯を分けてくれたその恩も のと言うのもかまわず、がんじがらめに縛り上げて引きずり 思わず、法師の身でありながら邪心強く、持物を盗み取ろ 弥出し、足をしめつけて拷問したが、「わしは絶対何もして いない」と言って白状しない。すると別の者が、「その法うとして殺したのを、天がお憎みになり、ほかの家には行 かず、まっすぐ殺された本人の家に行って、まさしくかよ 師の持っている袋を開けて見ろ。この家の主人の持物があ るかも知れぬ」と言ったので、「なるほど、そうだ」と袋うに殺されてしまったとは、まことに感深いものがある、
( 原文五六ハー ) いのです」と得意然として言う。僧正が、「それで」とお ろ、僧正は中庭に招き入れて話相手になさっていたが、武 っしやると、声を少し低くして、「あと五つは入れものが員は僧正の御前にうずくまった姿勢で長いことしやがんで 見つからないのです」と申し上げる。僧正が、「ところで いるうち、誤って、えらく大きなものを一発放った。僧正 あとの五つは」とお尋ねになると、助泥は声をいっそうひもこれをお聞きになり、御前に大勢伺候していた僧たちも そめ、震え声で、「それは、ふつつりと忘れてしまいましみなこれを聞いたが、物ロいことなので、僧正も黙したま た」とお答えした。僧正は、「とんでもない気違いめ。 ま、僧たちもしばらくは互いに顔を見合せていた。その時、 人々に言って集めたなら、四十荷でも五十荷でも整えられ武員はふいに左右の手を広げて顔を覆い、「ああ、死にた たろう。こやつはいったい何と思ってこんな大事をおろそ い」と言ったので、その声を聞くと同時に、御前にいた僧 かにしたのか」と怒って、その訳を糾問しようと、「奴を たちはみな、どっと吹き出した。その笑いに紛れて武員は 十呼べ」と大声をあげなさったが、跡をくらまして逃げ去っ立ち走り、逃げ去った。その後、武員は長いこと僧正の所 第 にお伺いしなかった。 す ら この助泥はいつも冗談事ばかり言う男であった。 こんなことは、やはり、聞いたその時こそおかしいのだ。 を このことから「助泥の破子」という言葉ができたのであ時間がたっと、かえって〔恥ずかし〕いことである。もと もとおもしろいことを言う近衛舎人の武員なればこそ、こ 員る。これはなんともばかげた話だ、とこう語り伝えている のように「死にたい」などと言えたのだ。そうでない人な 秦とい , っことだ。 人 ら、ひどく苦りきった顔をして、何も言わずにすわってい 舎 の るだろうが、それはまことにかわいそうなことであろう、 近衛の舎人秦武員物を鳴らす語第十 衛 近 と人々は言い合った、とこう語り伝えているということだ。 はだのたけかず こんえのとねり 今は昔、左近衛の将曹である秦武員という近衛舎人がお った。この男がある時禅林寺の僧正の御壇所に伺ったとこ さかん
て持っていた。 をお聞きになった院はお怒りになり、「わが門前を乗りう 院は馬が盛んに跳躍するのをご覧になって感心され、庭 ちするとは何事であるか。そやっ、馬に乗せたまま南面に 引き連れて来い」と仰せられたので、二人がかりで馬の左を何度も引き回させたが、馬はこおどりしながら盛んに跳 くつわ 右の轡を取り、別の二人が左右の鐙を押えて南面に連れてねるので、「鐙を押えている者も離れよ。馬のロも放せ」 と仰せられて、みなのけられた。すると、馬はいよいよは 来た やりにはやるが、男は手綱を緩め、馬をかき〔なで〕ると、 院は寝殿の南面の御簾の中でご覧になると、年のほど三 びん ひげ 馬はおとなしくなり、膝を折って挨拶する。院は、「見事 十余り、鬚は黒々としており、鬢のはえぎわも見事で、少 あやいがさ である」と返す返す感心なさって、「弓を持たせよ」とお し面長、色白のりつばな顔つきの男である。綾藺笠もかぶ っしやる。弓を取らせると、男は弓を取り小脇に掻い込ん ったままだが、笠の下から〔のそい〕て見える面構えはな で馬を乗り回す。その間、中門のあたりは人が市をなして 十かなかの人物とみえ、肝っ玉も太そうに思われる。紺色の むかばき ひとえぎぬ 見物し、大声でほめそやした。 第水干に白い単衣を着、夏毛の行騰の、赤地に白い星のつい あらみ かりまた 語 そのうち、男は庭を回りながら中門に馬を押し向け、に るたものをはいている。そして、新身の太刀を佩き、雁股の ゃなぐい ど矢を二本添え、征矢を四十本ほど差した節黒の胡を背負わかに掻き〔やっ〕て馬を出すや、飛ぶように走り出した。 えびら っている。箙は塗箙なのであろう、黒く〔つや〕めいて見それを見て中門に集っていた者共はとっさに身をかわすこ 院える。猪の皮の片股をはき、所々に皮を巻いた太い弓を持ともできず、先を争って逃げ出し、あるいは馬に蹴られま いとして走る者もあり、あるいは馬に蹴られて倒れる者も 花っている。馬はたてがみを剃った真鹿毛の、丈四尺五寸ほ のどのもので、足は堅くしまり、七、八歳ぐらいである。大ある。その間に、男は御門を走り抜け、東洞院大路を南に 東 した逸物だ、すばらしい乗馬よとほればれするほどだ。そ向け飛ぶようにして逃げ去った。院の下部共があとを追っ たが、一散に疾駆して行く逸物にどうして追いつけよう。 れが左右のロを取られ、盛んに跳躍している。弓は、馬に しもペ 乗せたまま御門から引き入れた時に、院の下部が取り上げついにどことも知れず消えうせてしまった。 かたまた