ろくしちすんばかりあ へみながにぢゃうあまりばかりなり ここでは太さの意。胴回りで サズシテ咋付タルヲ見レバ、大キサ六七寸許有ル蛇ノ長サ二丈余許ナル也ケ一 あろう。一寸は約一元トル へみかしらいめ いたくはれ おち なり あるじこ 蛇頭ヲ狗ニ痛ク被咋テ、否不堪ズシテ落ヌル也ケリ。主此レヲ見ルニ、極 = 六余り。↓二六七ハー注一 三逆接の接続助詞「ものからーの 十テ怖シキ物カラ、狗ノ心哀レニ様エテ、大刀ヲ以テヲバ切殺シテケリ。其ノ当字。 = ・ものの。 第 四感心に思われて。身を捨てて のちいぬはな 巻後ゾ狗ハ離レテ去ニケル。 主人を助けようとした犬の心根に 感動したもの。 はや こずゑはるかたかおほ うつほなか へみすみ 五退去した。その場を離れた。 語早ウ、木末遥ニ高キ大キナル木ノ空ノ中ニ、大キナル蛇ノ住ケルヲ不知ズシ 昔 おもひへみさがり かしらみ いぬをどりかか ほえ 今テ寄臥タリケルヲ、呑ムト思テ蛇ノ下ケルガ頭ヲ見テ、此ノ狗ハ踊懸リッ、吠〈なんとまあ。さては。二行後 の「也ケリ」と呼応し、はじめてそ しら あるじそ みあげ ただわ ケル也ケリ。主其レヲ不知ズシテ上ヲバ不見上ザリケレバ、「只我レヲ咋ムズれと悟って驚く気持を表す定型。 セもし大を殺していたなら、ど おもひ たちめきいめころ なり ころ ルナメリ」ト思テ、大刀ヲ抜テ狗ヲ殺サムトシケル也ケリ。「殺シタラマシカんなにか後悔されただろうに。 「マシカバ : ・マシ」は反実仮想。 いかばかりくや おもひねられ ほどよあけ へみおほ なが ハ何許悔シカラマシ」ト思テ、不被寝ザリケル程ニ夜明テ、蛇ノ大キサ長サヲ ^ なかば生きたそらもなかった。 ↓二六八ハー注一五。 み なかばし ねいり ほど へみおりまきっき 見ケルニ、半ハ死ヌル心地ナムシケル。「寝入タラム程ニ、此ノ蛇ノ下テ巻付九どうしたらよかろう、どうす ることもできまい なにわざ このいめ いみじ わためこ よならたから 一 0 全くすばらしい。下の「財」を ナムニハ、何態ヲカセマシ。此狗ハ、極力リケル、我ガ為ノ此ノ不世ヌ財ニコ 修飾する。 おもひ = この世だけではない、永遠の ソ有ケレ」ト思テ、狗ヲ具シテ家ニ返ニケリ。 宝物。生々世々の重宝。 おも まこといめころし いめしにあるじそ のちへみのまれ 一ニじっくり心を落ち着けて。平 此レヲ思フニ、実ニ獨ヲ殺タラマシカバ、獨モ死テ主モ其ノ後蛇ニ被呑マシ。 静に熟慮して。 こと 一ゃう よくよ おもしづめ なすべなり 一三どのようなことでも。 レバ然様ナラム事ヲバ吉々ク思ヒ静テ、何ナラム事ヲモ可為キ也。 し よりふし あり くひっき のき こと み のま おほ えたへ いへかへり おほ きはめ
きのすけのぶ ていた者たちも帰って来た。 せられて大蔵大夫と呼ばれた紀助延という者がおった。若 まったく、どんなにおかしかったことだろう、五位ほど い時から米を人に貸し、利息をとって返却させたので、年 の者が、昼日中、大路を馬にも乗らず徒歩で、しかも〔は 月がたつにつれ、その量が積り重なり、四、五万石にもな 八 ももだ まんごくたいふ 十だし〕のまま、指貫の股立ちを取り、息せき切って、七、 っていた。そこで、世間ではこの助延に万石の大夫とあだ 第八町も走り続けたとは。道行く人はこれを見てどんなに笑名をつけていた。 びんごのくに とうりゅう ったことだろう。その後一月ほどして、春家は染殿に参上 この助延が備後国に行き、用事があってしばらく逗留し 語したが、落ち着いて伺候することなく、あわてた様子で ていたが、ある日浜に出て網を引かせていると、甲羅が一 昔早々に退出したので、人々はこれを見て目くばせをしなが尺ほどもある亀を引き上げた。助延の郎等たちがそれをい ら笑い合った。 じめてもてあそんでいたところ、中に年五十ぐらいの薄馬 されば、春家の蛇に対するこわがり方は、世間一般の人鹿者がいた。いつもたいそう見苦しい悪〔ふざけ〕を好ん のそれとは違っていたのだ。蛇は即座に人に危害を加える でする男だったが、そのためだろうか、この男は亀を見つ ことはないが、ふっと目にとまると気味悪く不快な気持が けるや、「そいつは、逃げたおれのもとの女房の奴だ。こ するのは、蛇の〔本性〕だから、だれでもそのように思わこにいたのか」と言って、亀の甲羅の左右の端をつかんで れるのだ。それにしても、春家は特に気違いじみていた、 さし上げると、亀は足も手も甲羅の下に引っ込め、首もす とこう語り伝えているということだ。 つばり引き入れたので、細い口だけがわずかに甲羅の下に 見える。この男はさし上げて、幼児に「高い、高い」をす 大蔵の大夫紀助延の郎等唇を亀に咋はる るようにして、「亀来い、亀来いと川岸で言った時に、ど うして出て来なかったのだ。長いことお前さんが恋しくて る語第三十三 ならなかったのに。ひとっ口を吸おうな」と言って、細く うどねり おおくらのじよう 今は昔、内舎人から大蔵丞になり、後には従五位下に叙突き出た亀のロに自分のロをくつつけ、わすかに見える亀 ・一うら
おちゅき ほど えだしげさしあひ 一擬声語とみれば、ざざあっと ニ落入ツルニ、我レハ送レテソメキ落行ツル程ニ、木ノ枝ノ滋ク指合タル上ニ、 音を立てて、の意。「フメキ」の誤 おり きえださへ そき えだとら したおほ おちかか 不意ニ落懸リツレバ、 其ノ木ノ枝ヲ捕へテ下ツルニ、下ニ大キナル木ノ枝ノ障写なら「振メキ」で、回転しながら 落ちたさま。 八 とどま ふま またえだとりつき ニ「抱カフ」は「抱ク」の継続態。 + ツレバ、其レヲ踏へテ大キナル胯ノ枝ニ取付テ、其レヲ抱力へテ留リタリツル 抱き続けて。↓一四四ハー注五。 第 みすてがたく ておよ か挈とり ひらたけおほおひ 巻ニ、其ノ木ニ平茸ノ多ク生タリツレバ、難見棄テ、先ヅ手ノ及ビッル限リ取テ、三「物カナ極キ損ヲ取ツル」の十 字を欠く本もある。 いまのこりあり かたなおほ はた′」 なり 四まったくご損をなさいました、 語旅籠ニ入レテ上ツル也。未ダ残ャ有ッラム。云ハム方無ク多カリツル物カナ。 などと言って。あきれ返った郎等 昔 こ・】ち らうどうども もの いみじそんとり いみじそんとり 今極キ損ヲ取ツル物カナ。極キ損ヲ取ツル心地コソスレ」ト云へバ、郎等共、のひやかしの言葉。 四 五やや軽快な笑いで、ハハハと とき そ あつまりさわら げ ごそんさぶらふ ↓二八五ハー注一一。 「現ニ御損ニ候」ナド云テ、其ノ時ニゾ集テ散ト笑ヒニケリ。 六郎等の気持をさとった守が、 こ、 ) ち むなし なむぢら たからやまいり かみひがこと 守、「僻事ナ不云ソ、汝等ョ。宝ノ山ニ入テ、手ヲ空クシテ返タラム心地ゾ彼等の考え違いをたしなめたもの。 ことわざ セ正法念処経に由来する諺。仏 おとなだち おほむもくだい じゅりゃうたふるところっちつか スル。『受領ハ倒ル所ニ土ヲ馴メ』トコソ云へ」ト云へバ、長立タル御目代、法に会いながらそれを修めない愚 を言ったものだが、ここでは平茸 さぶらことなりたよりさぶら こころうち おも げし しみじにく 心ノ内ニハ、「極ク愡シ」ト思へドモ、「現ニ然力候フ事也。手便ニ候ハム物ヲの大産地に出くわしながら、取り 残してきた無念さのたとえ。 あら みこころ たれさぶら さぶらふべ いかでとらたま 何力取セ不給ハザラム。誰ニ候フトモ、不取デ可候キニ非ズ。本ョリ御心 ^ 当時の受領の強欲ぶりをたと えた諺で、転んでもただは起きぬ みこころさわが よろづことみなただ かし , 一おはしひと かかしぬべきはみ がめっさを言ったもの。 賢ク御マス人ハ、此ル可死キ極ニモ、御心ヲ不騒サズシテ、万ノ事ヲ皆只ナル 九年配の、分別のありそうな。 たま とき′ ) と たま、 ) とさぶ、ら さわがずか もちつか 時ノ如ク、用ヒ仕ハセ給フ事ニ候へバ、不騒此ク取ラセ給ヒタル也。然レバ国以下の目代のお世辞半分の賛辞の 裏には、陳忠の苛酷な徴税と私腹 たま よ たまひおほむおもひごと もの まつりこと をこやす貪欲ぶりが読み取れる。 ノ政ヲモ息コへ、物ヲモ吉ク納メサセ給テ、御思ノ如クニテ上ラセ給へバ、 おちいり わ おく おほ をさ とら て かへり なり 【もと もの うへ もの
やましろのすけみよしのはるいえ かえる 今は昔、山城介で三善春家という者がおった。前世が蛙ロもきかず、装束も脱がす、着たままうつ伏せに倒れ込ん でしまった。 でもあったのか、ひどく蛇をこわがった。世の中の人はだ れであろうと、みな蛇を見てこわがらない者はないが、こ 人々がそばに寄って尋ねても答えようともしない。装束 は、皆寄り集って、あっちにころがしこっちにころがしし の春家ときたら蛇さえ見れば気が狂ったようになる。 そめどの 最近では、夏のころのことだ。染殿の東南の隅の山の木て脱がせた。人事不省の状態で横たわっているので、湯を きんだち 陰に、殿上人や公達二、三人ほどが行って、涼みがてら四 口に入れてやったが、歯をひしと食いしばっていて受けっ もやま 方山の話をしていた。そこにこの春家もいた。ところが、 レなし。からだを探ると火のように熱い。これを見た妻子 人のそばといってもまたよりによって、この春家のすわっ は肝をつぶし、えらいことになったとおろおろするばかり。 からすへびは ているすぐそばから、三尺ほどの烏蛇が這い出した。春家一方、春家の従者はこの出来事を何も知らず、あたりの物 十は気がっかなかったが、公達が、「それを見ろ、春家」と陰にいたが、ある宮の下男の一人がこれを見ておかしくて しかたがないものの、春家のあとを追って走り、家に駆け 第言ったので、春家がひょいと目をやると、袖のわき一尺ば かりの所を、三尺ほどの烏蛇が這って行く。それを見つけ込んで来た。妻子が、「いったい何事が起って、主人はあ んなに走って来て倒れ込んだのですか」と尋ねると、「じ 恐た春家は顔色が朽ちた藍のように青ざめて、なんともいし つは蛇をご覧になり、走ってお逃げになったのです。お供 蠏ようのない恐怖の悲鳴を一声あげたなり立っこともできな 春い。立とう立とうとして二度もひっくり返った。やっと立の人もみな涼もうとして物陰におりまして、事の次第を知 三ち上がるや、沓もはかず〔はだし〕のまま逃げ出し、染殿らなかったので、わたしが遅れまいと走って来たのですが、 城の東の門から走り出して北向けに走り、一条大路を西に西とても追いつくことができませんでした」と言った。妻子 山 洞院大路まで走り、そこから西洞院大路を南へ走った。家はこれを聞き、「前にもそういうことがありましたよ。 っちみかど つもの気違いじみた物おじをなさったのでしよう」と言っ 町は土御門西洞院にあったので、そのまま家に走り込んだ。 妻や子が、「いったい何事です」と聞いたが、まるつきり て笑い出した。家の従者共も笑った。そのあとで、供をし くっ
さと いでたま かあつまたま そひてんじゃうびとくらうどあ 一堀川の自邸をさす。 其ノ日、殿上人蔵人有ル限リ集リ給ヘート云テ、里へ出給ヒケリ。 みなみびさし ニ殿上の間。清涼殿の南庇にあ なり とがあかふべ てんじゃうびとみなまゐ そひ ほりかはちうじゃうあをつねきみよび 其ノ日ニ成テ、「堀川ノ中将、青経ノ君呼タル過可贖シ」トテ、殿上人皆不る殿上人の詰所。 八 三高位高官の普段着。 かたち らひとな みなまゐり てんじゃうゐなみま ほど ほりかはちうじゃうなほしすがた 二参ヌ人無ク、皆参タリ。殿上ニ居並テ待ッ程ニ、堀川ノ中将、襴姿ニテ、形ハ四魅力あふれるばかりで。 第 五 五なんともいえないほど。 まゐたま ひとあいぎゃうこばれこばれえもいはかうばし 〕ひかやう 光ル様ナル人ノ愛敬ハ泛ニ泛テ、艶ズ馥クテ参リ給ヘリ。襴ノナョ、カニ微六着衣に薫き込めた香りをかぐ 集 わしくただよわせながら。 あをいだしうちぎ さしぬきあを いろさしめきき ずいじんよたりみなあを のりけ たすそ 物妙キ裾ョリ青キ出褂ヲシタリ、指貫モ青キ色ノ指貫ヲ着タリ。随身四人ニ皆青セ糊気がこなれて、柔らかく優 昔 美なさま。 をしき あをし かりぎぬはかまあこめき あをいろどり さらこくは一五もり ひとり のうし 今 キ狩衣袴、袙ヲ着セタリ。一人ニハ青ク綵タル折敷ニ、青瓷ノ盤ニ蓿ヲロテ盛 ^ ( 直衣の裾から ) 下着の裾を少 しのぞかせた着付。儀式など改っ すゑ ) さげ・さ あをしかめさけ あをうすやうもっくちつつみ ひとり テ居タルヲ捧セタリ。一人ニハ青瓷ノ瓶ニ酒ヲ入レテ、青キ薄様ヲ以テロヲ裹た時の着方。 九直衣の下にはく袴。裾にくく もた ひとり あをたけえだ あをことりいつむばかりつけもた これ テ持セタリ。一人ニハ青キ竹ノ枝ニ、青キ小鳥五ッ六ッ許ヲ付テ持セタリ。此り紐が通ってすばめられるように 一七 なっている。 らてんじゃうのくち もちつづ てんじゃうまへまゐり てんじゃうひとどもこれみみなもろこゑ 等ヲ殿上ロヨリ持次キテ、殿上ノ前ニ参タレバ、殿上ノ人共、此ヲ見テ皆諸音一 0 中将には、衛府長一人、小随 身四人 ( または二人 ) が従うのが決 わらひののしことおび オり・。 ニ咲隍ル事愕夕、シ。 ↓二七ハー注一二。 そ なにごとわらふ たまひ によ、つばう ときてんわうこ ここでは、狩衣の下に着る小 其ノ時、天皇此レヲ聞食シテ、「此ハ何事ヲ咲ゾート問ハセ給ケレバ、女房、三 袖。↓三〇九ハー注一四。 - 一とより かねみちあをつねよびさぶら てんじゃうをのこどもせめられ そのつみあかさぶら さるなし 「兼通ガ青経呼テ候へバ、其ノ事ニ依テ、殿上ノ男共ニ被責テ、其罪贖ヒ候フ一 = 青磁の皿。「盤」↓四五「注一〈。 一四「猿梨」の古名。マタタヒ科の まう いかやう わらののしさぶらなり てんわう つる ヲ、咲ヒ隍リ候フ也」ト申シケレバ、天皇、「何様ニシテ贖フゾ」トテ、日ノ蔓性低木。果実は球状、緑黄色。 一九 一五漢字表記を期した欠字。該当 はじ かねみちちうじゃうわみ おまし たまひ こじとみ のぞかたまひ 語は不明。 御座ニ出サセ給テ、小蔀ョリ臨セ給ケルニ、兼通ノ中将、我ガ身ョリ始メテ、 きこしめ そ と あか なほし七 めで ひも
ちち いつくわうせ ゅふ がたおやかへりづし ひらきうりみ タサリ方祖返テ、厨子ヲ開テ瓜ヲ見ルニ、一菓失ニケリ。レバ父、「此ノ同様の用法は本集に散見し、多く 上に「許」を付した年齢がくる。 とら いへものどもわ うりいつくわうせ ^ 中途半端でない意から、きび 瓜一菓失ニケリ。此ハ誰ガ取タルゾ」ト云へバ、家ノ者共、「我レモ不取ズ」、 しく。容赦なく。 とら まさ いへひとしわぎなり わ あらそひあひ 「我レモ不取ズ」ト諍合タレバ、「正シク此レ、此ノ家ノ人ノ為態也。外ョリ人九母屋で主人たちの身辺に仕え る女。奥女中。 とき をむないは とるべ あら はしたなせめと うへ 来テ可取キニ非ズ」ト云テ、半無ク責問フ時ニ、上ニ仕ヒケル女ノ云ク、「昼一 0 若君。「阿子」は「吾子」で、わ が子に対する愛称。転じて、主人 うりひと あこまろ みづしひらき みさぶらひ 見候ツレバ、阿子丸コソ御厨子ヲ開テ、瓜一ッヲ取リ出テ食ツレ」ト。祖此レや貴人の子息を呼ぶに用いる語。 = 市街地の、大路・小路で四周 そ まちすみ おとなひとびとあまたよびあっ ききとかく を区切られた一区画。平安京では ヲ聞テ此モ彼モ不云デ、其ノ町ニ住ケル長シキ人々ヲ数呼集メケリ。 一町は四十丈 ( 約一一一〇 ) 四方。 あ なにゆゑかくよびたま いへうちかみしもなむによこ 家ノ内ノ上下ノ男女此レヲ見テ、「此ハ何ノ故ニ此ハ呼給フニカ有ラム」ト三年かさで分別のある人々。長 老格の人々。 ちごなが おもあひ ほど さとひとどもよばれみなきたりそときちちそうりとり 思ヒ合タル程ニ、郷ノ人共被呼テ皆来ヌ。其ノ時ニ父、其ノ瓜取タル児ヲ永ク一三「里」で、注二の「町」と同意。 一四親子の縁を切る。勘当する。 なり はん ひとども ふけう ひとびとはんと 一五 ( 立会人としての ) 署名を集め + 不孝シテ、此ノ人々ノ判ヲ取ル也ケリ。然レバ判スル人共、「此ハ何ナル事ゾ」 第 たのであった。「判」は、彫った みなはんとり いへうちものどもこ たださおもやうはべなり 1 言ロ 「只然思フ様ノ侍ル也」ト云テ、皆判ヲ取ツ。家ノ内ノ者共ハ此レ「印」に対して、図案化・簡略化し 孝ト問へバ、 かおう 一七 不 た自筆の署名、花押の類をいう。 あら いとものぐる ふけうたまふべ かばかりうりいつくわより ヲ見テ、「此許ノ瓜一菓ニ依テ、子ヲ不孝シ可給キニ非ズ。糸物狂ハシキ事力一六これ。ば。ちの、の意。 宅はなはだ気違いじみたこと。 あら いみじうら はは一九 いふべ ほかひといか 天はたの者はどうしようがあろ 児ナ」ト云へドモ、外ノ人ハ何ガハ可為キ。母ハタラ可云キニモ非ズ、極ク恨ミ 幼 うか、いかんともしがたい。 ちち みみ やみ よしな 云ケレドモ、父、「由無キ事ナ不云ソ」ト云テ、耳ニモ不聞入レズシテ止ニケ一九本集中に散見する副詞または 副助詞であるが、他書に例を見な まして、なおさら、の意。 と み 0 た こと とり み ひ しか と つか いでくひ し いか ま、 おやこ ひと ひる
まらうどども ただいましかるべものさぶらは このごろむまきものあぎやか 遣レ」ト云フ。客人共モ、「只今可然キ物ノ不候ザリツルニ。近来美物ハ鮮ナ一「ハ未ダ」は原ハタラ」とみ られ、まして、いわんやの意。 とりあじはいとったな こひ一いま いみじもの ル鯛ゾカシ。鳥ノ味ヒ糸弊シ、鯉ハ未ダ不出来ズ。然レバ、生キ鯛ハ極キ物 = 生きのいい鯛。 八 三馬のロを取り押えている従童。 いひあへ 十ナ、リ」ト云合リ。 四あの ( 主人茂経が ) 預けてある。 第 五「云テ、手掻テ遣ツ」の意。 とり もちつねむまひ わらはよ みかどっなぎ 巻然レバ、茂経、馬引力へタル童ヲ呼ビテ取テ、「其ノ馬ヲバ御門ニ繋テ、只と言。て、手を振。て追い立てた。 集 六正字は「庖丁」。料理または料 いまはしりとのにへどのゆき にへどのあづかりぬし おき あらまきみまきただいまおこたま 語今走テ殿ノ焚殿ニ行テ、燹殿ノ預ノ主ニ、『其ノ置ツル荒巻三巻、只今遣セ給理人 ( は ) 。 昔 セ魚の料理に用いる木箸。その とり ささや はしはし いひかきやり つど新しく作り用いた。 今へ』ト云テ、取テ来」ト私語キテ、「走レ走レート云掻テ遣ツ。 ここでは、庖丁刀の意。↓ かへまゐり まないたあらひもてまうでこ こわだかいひ けふはうちゃうもちつね 然テ、返リ参テ、「爼洗テ持詣来」ト音高ニ云テ、「ヤガテ今日ノ包丁茂経一九九ハ , 注 = = 。 九下の「様ニ」と呼応して、あた まなばしけづ さや はうちゃうとりいだ うちとぎ おそおそし かも・ : かのように、の意。ちょう 仕ラム」ト云テ、魚箸削リ、鞘ナル包丁ヲ取出シテ、打鋭テ、「遅シ々々」 ど大鯉などを料理するかのように。 いひゐ やり わら いとと えだあらまきみまきゅひつけささげはしり ト云居タル程ドニ、遣ツル童ハ、糸疾ク木ノ枝ニ荒巻三巻ヲ結付テ捧テ、走テ一 0 ここは、たすきを掛けて袖を たくし上げたさま。 もてき もちつねこ み まうでき あはれとぶごと わらは 持来タリ。茂経此レヲ見テ、「哀、飛ガ如クニ詣来タル童カナ」ト云テ、爼ノ = ( 大がかりな料理にとりかか るのに ) 似つかわしい居ずまいを こと うへあらまきおき おほごひ ゃう さうそでひきつくろひ かたひぎた 上ニ荒巻ヲ置テ、事シモ大鯉ナドヲ作ラム様ニ、左右ノ袖ヲ引蹄テ、片膝ヲ立して。 一ニ横向きになって。斜に構えて。 いまかたひざ きはめつきづき すこしそば 一三かたなもつあらまき テ、今片膝ヲバ臥テ、極テ月々シク居成シテ、少喬ミテ、シメ刀ヲ以テ荒巻ノ一三「シメ」は不審。衍字か。 一四ぶつりぶつりと。 おしきり なは一四 かたな わらおしひらき ものどもこぼお ひらあし 縄ヲフリ / 、ト押切テ、刀シテ藁ヲ押披タルニ、物共泛レ落ツ。見レバ、平足一五高足駄に対して普通の下駄 一六はき古した草履。 だやぶれ ふるわらぐっきれ かやうども一七 宅擬態語。ばろばろと。 駄ノ破タル、旧尻切ノ壊タル、旧藁沓ノ切タル、此様共ホロ / 、ト泛レ出ヅ。 や つかまっ たひ ふるしりきれやぶれ ふせ み たひ まないた ただ
ろうに。昔はこんな古風でおおらかな心を持った人がいた こに待ち合せていた男と耳打ちをし、「凵〔長いを持たせ のだ、とこう語り伝えているということだ。 て屋根の上に登らせました。必ずや何かよからぬことをた くらんでのことと見受けました。それを見ますと、あなた 民部の大夫則助の家に来たる盗人殺害の 様にとってまことに皮ロいことと思われましたので、黙っ てもおられず、ともあれ、このことをお知らせした上で逃 人を告ぐる語第十三 十 第 げようと思った次第でございます」。これを聞いた則助は、 みんぶのたいふ る 今は昔、民部大夫一凵〔凵贐という者がお 0 た。 男に、「しばらく隠れていよ」と言い、従者を呼んで耳打 告 をある日、終日外出して、夕方家に帰って来ると、車宿り ちをして行かせた。男は、「おれを縛るのだろうか」と思 ったが、逃げ出しもならずいるうちに、えらく強そうな男 のの片隅から男が一人現れた。則助はこれを見て、「お前は を二、三人連れて来た。 殺いったい何者だ」と聞くと、男は、「内密に申し上げねば たいまっ 直ちに松明をともして、屋根の上に登らせ、縁の下を口 盗ならぬことがございます」と言う。則助が、「かまわぬ、 る 早く言え」と言ったが、男が、「本当に内密に申し上げたす。しばらくして、天井から水干装束の侍ほどの者を捕え て引きずり出して来た。ついで、鉾を取って持って来た。 にいのです」と言うので、人をみな遠ざけた。 のすると、近く寄ってささやくように言う、「わたしは盗天井には穴があけてあった。そこで、この男を訊問すると、 助 人でございます。じつは、あなた様がお乗りの栗毛の御馬「わたしは何某の従者です。もはや隠しだてはいたしませ ん。奥様が『ここの殿がよく寝入られたら、天井から鉾を 大はすばらしい逸物だと拝見し、今日明日のうちに、受領の 部供をして東国の方に行くことになりましたので、これに乗さし降せ。下で穂先を胸にあてがった時、思いきり突き刺 民 って行きたいと思いまして、なんとかして盗もうと思い せ』とおっしやったので」と白状したので、この男を捕え けびいし 開いておりました御門から中にはいり、隠れて様子をうか て検非違使に引き渡した。 がっておりますと、中から奥様らしい女性が出て来て、そ このことを告げ知らせた盗人は召し出して、ほしがって
たかはさ かたなあらはさ あやゐがさくびかけ テ高ク交ミテ、前ニ大キナル刀現ニ差シテ、綾藺笠頸ニ懸テ、下衆ナレドモ月一四同じ色で上の方を淡く、下に なるほど濃くした染め色。 - も づき かろ いできたり そうばうそうどもゐ ところゆき そうども ゃう 々シク軽ビカナル出来ヌ。僧房ニ僧共ノ居タル所ニ行テ、僧共ニ云フ様、「若一五袴のわきを高々とはしよって 腰にはさみ。 おほむてらわたりとしおい まかあり そうどもひとひ かねだう シ此ノ御寺ノ辺ニ年老タル法師ャ罷リ行ク」ト問へバ、僧共、「一日ョリ鍾堂一六腰差しの長い刀。帯取りでは たち く「太刀」に対して、源平時代ごろ した としはちじふばかり らうそうたけたかあ け一み しにふ から登場して下人が用いたとされ ノ下ニコソ年八十許ナル老僧ノ長高キ有リツレ。其レガ今朝見レバ死テ臥セル うちがたな る「打刀」をさすか。とすれば、刀 , 一をのこども いみじさむら ただ トコソ聞ケ」ト云へバ、此ノ男共、「極ク候ヒケル事力ナ」ト云フマ、ニ、只剣史上最古の貴重な用例 宅目立つように差して。 そうども なきなき なき 泣ニ泣ヌ。僧共、「此ハ何ナル人ナレバ此ク泣テハ尋ヌルゾ」ト問へバ、男共、天↓四六ハー注五。 一九↓三三〇ハー注三。 そ 、 ) とおも おいほふし おのれらちちはべ おいひが はかな ことたが 「其ノ老法師ハ己等ガ父ニ侍リ。其レガ老僻ミテ、墓無キ事モ思フ事ニ違ヒヌニ 0 「月」は当字。それなりにさっ ばりと軽快ないでたちで。 にげかっ ことっかまつなり はりま くにあかし すみさむら レバ、此モスレバ逃テ此ク失スル事ヲ仕ル也。幡磨ノ国ノ明石ノ郡ニナム住候ニ一大変なことになりました。 ニ四 七 一三「墓」は当字。些細なこと。 ひとひう てわけこ ひごろもとさむらひなりおのれらふがふ 第フ。其レガ一日失セテ候へバ、手ヲ分テ此ノ日来求メ候ツル也。己等ハ不合ノ = 三↓一六五ハー注一三。 語 一西↓四七ハー注一八。 しり さむら たじふよちゃうなおはべ げにんあまたはべ となりこほり 盗身ニモ不候ハズ、田十余町ハ名ニ負ヒ侍リ。此ノ隣ノ郡マデ知タル下人ハ数侍 = = 自分の名をつけております。 寺 いわゆる名田で、平安時代以後中 さむら まかりみまことそ ゅふ はうぶりさむら かねだう 屋 然ルニテモ罷テ見テ実ニ其レニ候ハ、、タサリ葬候ハム」ト云テ、鍾堂世を通じて、開懇や譲渡によって 来 得た田地に自分の名を冠して所有 したいり 権を明確にしたもの。 津ノ下ニ入ヌ。 摂 ニ六「知ル」は治める、領有する意 と ぢうぢそひゆき たちみ こをのこどもはひいり で、ここでは配下にしている従者 住持モ副テ行テ、外ニ立テ見レバ、此ノ男共這入テ、老法師ノ顔ヲ見ルマ、 毛「在リ」「居リ」の尊敬語。下 まろ わちちここいまそ ただふ こゑあげなきさけ の「ハ」は詠嘆の終助詞。 ニ、「我ガ父ハ此ニ坐カリケルハ」ト云テ、只臥シ丸ビテ、音ヲ挙テ泣叫プ。 み 0 と ま ほ六 さむら ほふし ニ五 ひと と おいほふしかほみ と をのこども ニ 0 つき ささい
( 原文一一九ハー ) おわりのかみ でいたが、やっとのことで尾張守に任じられたので、大喜 を振り返って、笑いながら追いかけて来る者共に向い大声 びをして任国に急ぎ下ったところ、その国はすっかり荒廃 で、「お前らは何を笑うか。わしはもう恥もない老人だ していて、田畑を作ることすらまったくない。 この新任の だから言ってやるそ。よく聞け。太上天皇が子の日におで よしただ 守はもともと誠実で、私欲のない公正な人物だったので、 ましになる。その時、歌人共を召されると聞いて、好忠が 参上して、座に着く。そして掻栗をばりばり食う。次に追以前歴任した国々でも善政を施していたから、この国に下 い立てられ、次に蹴飛ばされる。それがなんで恥だ」と叫って来てからも国政に努力した結果、尾張国を並の国にし、 さらに豊かにした。そこで、隣国の農民が雲のように集っ ぶ。これを聞いて、上中下すべての人々は割れんばかりに て来て、丘といわず山といわず開墾して田畑に作り上げた 笑った。その後、曾丹はどこかに逃げ去ってしまった。そ ので、二年のうちによい国になった。 の当時は、人々はこのことを語り合って笑いの種にしたも のだ。 そこで、天皇もこれをお聞きになり、「尾張国は前の国 司に滅されて、疲弊しきっていると聞いていたが、今度の されば、素姓の卑しい者は、やはりどうしようもないも 四のだ。好忠は和歌はうまかったが、思慮が足りず、歌人共国司は在任二年にして、よくぞ国を富ました」と仰せられ かんだちめ たので、上達部も世間の人も、「尾張はよい国になった」 語を召すと聞いて、お召しもないのに参上し、こんな恥をか とほめたたえた。 所き、大勢の人の笑い物になって、末代までの笑い話の種に ′一せち 節 さて、三年目に、尾張国は五節の担当国に定められた。 された、とこう語り伝えているということだ。 尾張は絹・糸・綿などの産地であるから、何一つ乏しいも のはない。まして、守はもともと諸事に明るい人物であっ 尾張守「〔凵五節所の語第四 張 尾 たから、衣装の色や打ち方や縫い方など、どれもたいそう じようねいでん りつばに調製して奉った。五節の舞姫の控所は常寧殿の西 今は昔、冂凵天皇の御代に冂凵の買〕という者がおっ きちょう すだれ 北の隅に設けられていたが、そこの簾の色、几帳の垂れ布、 た。長い間、うだつのあがらぬ受領で、任官もできず不遇 かいぐり