法師 - みる会図書館


検索対象: 完訳日本の古典 第32巻 今昔物語集(三)
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1. 完訳日本の古典 第32巻 今昔物語集(三)

そう喜んだ。 本当に老法師が倒れ死んでいた。 3 そこで、住持は老法師を連れて鐘つき堂の下に行き、 そこで、戸を閉じ、住持が寺の僧共にこのことを知らせ むしろこも 「鐘つき法師の莚・薦などがあります。それを使ってここ ると、僧共は、「この大和尚さん、得体の知れぬ老いばれ 九 十でお泊りなされ」と言って置いてやった。それから鐘つき坊主に宿を貸して、寺に穢れを持ち込んだことだ」と言っ 第法師に会い、「先程、宿なしの老法師が来て、『鐘つき堂の て、寄り集ってやたらと腹を立てる。「だが、今更しよう 下に泊めてくれ』と言うので、泊めることにした。『鐘も がない。村人たちを集めて取り捨てさせるがいい」という 語っく』と言うから、『泊っている間はつけ』と言っておい ことになり、村人を呼び集めたが、「お社の祭が近づいて 昔 た。その間お前は休んでいなさいー と言ったので、鐘つき いるのに、穢れるわナこま、、 。。し力ない」と言って、死人に手 法師は、「それは結構なことです」と言って引き下がった。 を触れようという者は一人もいない。「かといってこのま うまひつじ さて、その後二晩ほどはこの老法師が鐘をついた。そのまでもおけないぞ」と騒ぎ合っているうち、いっしか午未 次の日の巳の時 ( 午前十時 ) ごろ、鐘つき法師がやってき ( 午後一時 ) ごろになった。 すいかんすそ て、「このようにロに鐘をつく法師はどういう者か見て すると、年のころ三十ぐらい、薄ねずみ色の水干に裾が はかま ももだち やろう」と思い、鐘つき堂の下で、「御坊、おいでか」と濃紫の袴をはいた男が二人、袴の股立を高々と取り、腰に あやいがさ 言って戸を押し開けてはいって見ると、年八十ほどのひど大刀をこれ見よがしに差し、綾藺笠を首に掛け、下賤の者 く老いばれた背の高い老法師が、みすばらしい布衣を腰に ながら見苦しくはなく、軽快な姿で現れた。そして、僧房 まとい、手足を広げたまま死んでいる。鐘つき法師はこれ に僧共が寄り集っている所に行き、「もしやこのお寺の近 を見るや走りもどって、お堂にいる住持の所に飛んで行き、 辺に年老いた法師がまいりませんでしたか」と尋ねる。僧 「なんと、老法師が死んでいます。どうしましよう」と、 共が、「先日来、鐘つき堂の下に八十ぐらいの年老いた背 あわてふためいて告げると、住持も驚き、鐘つき法師を連の高い僧が来ていました。それが、今朝見ると死んで横た れて鐘つき堂に行き、戸を細目に開けてのぞいてみると、 わっていたとのことです」と言うと、この二人は、「これ

2. 完訳日本の古典 第32巻 今昔物語集(三)

気がっかなかったが、どうにもこの袖口が気になってなら を開けて見ると、主人の持って出た物が全部はいっていた。 ず、さりげないふりをしてよく見ると、まさに夫のものだ。 「思ったとおりだ」と言い、今度は法師の頭のてつべんに、 とたんに、女は驚き怪しみ、隣の家に行って、ひそかに、 皿に火を入れて置き、問い詰めると、ついに法師は熱さに 「こういうことがあります。いったいどうしたことでしょ堪えす、「じつはどこそこの山中で、しかじかの男がおり う」と耳打ちすると、隣の人は、「それはじつに怪しい ましたが、それを殺して奪った物です。それにしても、こ んなことをお聞きになるのはどなたです」と言う。「これ 九もしかしたら盗んだのかも知れぬ。なんとも怪しいことだ。 はその人の家だ」と言うと、法師は、「さてはわしは天罰 語本当に疑いなくご主人の着物だと見きわめられたのなら、 るその聖を捕えて問いただすべきです」と言う。女が、「盗をこうむったのだ」と答えた。さて、夜が明けて、その法 殺んだか盗まないかはわかりませんが、とにかく着物の袖は師を前に立て、村の者共が集ってその場所に行ってみると、 て 確かに主人のものです」と言うと、隣の人は、「ならば、 本当に主人の男が殺されていた。まだ、鳥や獣に食い散ら 宿 法師の逃げ出さぬうちに早いとこ問いただす必要がある」 されず、そのままの姿で残っていたので、妻子はこれを見 て泣き悲しんだ。そこで、この法師を、「こいつを連れて のと言って、その村の屈強な若者四、五人ほどにこのことを て知らせ、夜、その家に呼び寄せて、法師が食事を終え、そ帰ってもしようがない」と言って、即座にその場ではりつ 殺うとは知らず気をゆるして寝ているところを、にわかに飛けにして射殺してしまった。 これを聞いた人はみなこの法師を憎んだ。男に慈悲の心 人び掛かって取り押えた。法師が、「いったい、何事じゃ」 があって、わざわざ呼び寄せて飯を分けてくれたその恩も のと言うのもかまわず、がんじがらめに縛り上げて引きずり 思わず、法師の身でありながら邪心強く、持物を盗み取ろ 弥出し、足をしめつけて拷問したが、「わしは絶対何もして いない」と言って白状しない。すると別の者が、「その法うとして殺したのを、天がお憎みになり、ほかの家には行 かず、まっすぐ殺された本人の家に行って、まさしくかよ 師の持っている袋を開けて見ろ。この家の主人の持物があ るかも知れぬ」と言ったので、「なるほど、そうだ」と袋うに殺されてしまったとは、まことに感深いものがある、

3. 完訳日本の古典 第32巻 今昔物語集(三)

今昔物語集巻第二十九 384 この男を打 重ねておくべきだ。油断して寝ていたから、このように人えた、「ここはめったに人の来る所ではない。 ち殺し、持物や着物などを奪ったところでだれにもわかる 質にも取られたのだと人々は言い合った、とこう語り伝え ているということだ。 まい」。こう思って、今荷を持とうとしている男の不意を 襲って、やにわに金具のついた杖で首を突き押えた。男は、 阿弥陀の聖人を殺して其の家に宿りて殺 「何をなされます」と叫んで、手をすり合せてうろたえた が、法師はもともと腕っ節の強い男で、聞きも入れず打ち さるる語第九 殺してしまった。そして、持物と着物を奪い取るや、飛ぶ ように逃げ去った。 今は昔、冂凵国冂凵郡に冂凵寺という寺があった。その あみだひじり はるかに遠く山を越え、人里のある所まで逃げて来て、 寺に阿弥陀聖ということをして歩いて回る法師がいた。先 かね とあ に鹿の角を付け、末端に二股の金具をつけた杖を突き、鉦「ここまで来れば、よもやだれも知るまいーと思い る人家に立ち寄って、「阿弥陀仏をすすめて歩く法師です。 を叩いて、あちらこちらと阿弥陀念仏をすすめて歩いてい 日も暮れてしまいました。今宵一夜の宿をお願いできます たが、ある山中を通っている時、荷物を担った一人の男に まいか」と言うと、この家の主婦の女が出て来て、「夫は 出会った。 法師はこの男と道連れになって歩いているうち、男は道用足しに出ていますが、それなら今夜だけでしたらお泊り ください」と言って中に入れた。卑しい者の住む小家のこ のわきに立ち止って腰を降し、昼の弁当を取り出して食べ かまど はじめた。法師はそのまま行き過ぎようとすると、男が法ととて、女のいるすぐそばの竈の前にすわらせた。そこで、 師を呼び止めたので、そばに寄った。すると、「これをお女がこの法師に向い合って見ているうち、法師の着ている あがりください」と言って飯を分けてくれたので、法師は着物の袖口がちらっと目にはいった。それは自分の夫の着 て行った普段着の、染皮を縫い合せた袖に似ている。女は 遠慮なく食べた。さて、食べ終ると、男は前に担っていた 荷物を取り上げ、かつごうとする。その時、法師はふと考思いもよらぬことなので、まさかそんなことがあったとは ( 原文一九四ハー )

4. 完訳日本の古典 第32巻 今昔物語集(三)

はえらいことになった」と言うなり、大声で泣き出した。 てひたすら泣く。しばらくして、「こうなっては、もうお イ共が、「あなた方はどういう方です。なぜ、そのように葬式の用意に取りかかろう」と言い、戸を引き立てて出て 泣いて尋ねるのですか」と聞くと、二人の男は、「じつは 行った。住持はこの男の泣いていたことなどを寺の僧共に その老法師は我々の父なのです。それが老いの一徹で、ち語り、しきりに気の毒がる。これを聞く僧共のなかにはも よっとしたことでも思いどおりにならないと、いつもこう らい泣きする者もあった。 はりまのくにあかしのこおり して家出ばかりしていました。幡磨国明石郡に住んでおり その後、戌の時 ( 午後八時 ) ごろになって、四、五十人 ますが、それが先日また家出しましたので、手分けしてこ ほどの人がやってきて、がやがや言いながら法師をかつぎ 出したが、弓矢で武装した者も数多くいた。僧房は鐘つき 七こ数日来捜していたのです。我々はさほど貧しい者ではあ 堂から遠く離れているので、法師をかつぎ出すのを外に出 第りません。田の十余町は我々の名義になっています。この 語 て見る者はいなかった。皆こわがって房の戸にすべて錠を 隣の郡にも配下の郎等がたくさんおります。それはそれと こも をして、ともかくそこに行ってみて、本当に父であれば、タ掛け、内に籠って聞いていると、後ろの山の麓にある、十 なきがら 方葬りたいと思います」と言って鐘つき堂の下にはいって余町ほど離れた松原の中に亡骸を持って行き、一晩じゅう っ ? ) 0 念仏を唱え鉦を叩き、夜明けまで葬りをしたあと立ち去っ 来しオ 住持もついて行き、外に立って見ていると、この二人の 屋 男は中にはいって老法師の顔を見るなり、「父上はここに 寺の僧共は、それからというもの、法師の死んだ鐘つき 堂のあたりにはだれ一人近づこうともしない。だから、死 国おいでになったのだ」と言って突っ伏し身もだえをして、 穢のある三十日間は鐘つき法師もここに来て鐘をつこうと 津声を限りに泣き叫ぶ。住持もこれを見て同情し涙を流した。 摂 二人の男は、「年を取って頑固になられ、ともすれば隠れしなかった。三十日が過ぎて、鐘つき法師が鐘つき堂の下 を掃こうと思い、行ってみると、大鐘が消えうせている。 て出歩きなさって、とうとうこんな哀れな所で死んでしま われた。悲しや、死に目にもお会いできずに」と言い続け「いったい、どうしたことだ」と、寺の僧共に一人残らず かね

5. 完訳日本の古典 第32巻 今昔物語集(三)

「すぐおいでください」と言わせると、まもなく別当が杖 いたが、あたったことのない僧であった。それを知らず計 ったことがすっかり当てはずれになってしまった。 3 を突いてやってきた。この房の主は別当に向き合ってすわ ひらたけ り、「昨日、ある人が見事な平茸をくださったので、それ されば、毒茸を食べても少しもあたらぬ人もあるのだ。 八 いりもの 十を煎物にして食べようとお呼びしたのです。年を取ります このことは、その山に住んでいた僧が語ったのを聞き伝 第と、かようなうまいものがほしくなるものです」などとあ えて、こう語り伝えているということだ。 いそよく話すと、別当は喜んでうなすいている。そこで、 集 ひめ わたり 語編を炊き、この和太利の煎物を暖め、汁ものも作って食べ 比叡山の横河の僧茸に酔ひて経を誦する 昔させると、別当は腹いつばい食べた。房主は普通の平茸を 語第十九 今 別に料理して食った。 よかわ すっかり食べ終えて湯など飲んだので、房主は、もはや 今は昔、比叡山の横川に住む一人の僧があった。 やりおおせたそと思 い、今にもへどを吐き散らし、頭を痛 秋のころ、房の法師が山に行って木を切っていたが、平 がって狂い回るだろうと期待して見ていたが、まったくそ茸があったので、取って持ち帰った。これを見た僧たちの の気配もない。なんとも不思議だと思っていると、別当は中には、「これは平茸ではないぞ」と言う者もいたが、あ 歯もない口元を少しほほえませて、「この老法師は長いこ る僧が、「これは紛れもなく平茸だ」と言ったので、汁も かえ のに作り、栢の油があったのを入れ、房主がこれを腹いっ と、まだこんなに見事に料理された和太利は食べたことが ありませんでしたのでな」と言ってすわっているので、房ばい食った。その後しばらくして、身をのけそらして苦し 主は、さては和太利と知っていたのだなと思うと、驚い み出し、あたり一面へどを吐き散らす。そこで、どうしょ どころの話ではなかった。恥ずかしくて、何一つものも言 うもなく、僧衣を取り出し、横川の中堂に持って行って誦 えず、奥に引っ込んでしまったので、別当も自分の房に帰経料にした。 って行った。なんと、この別当は長年和太利ばかり食べて そして、冂〔凵という僧を導師としてこのことを申し上げ っえ

6. 完訳日本の古典 第32巻 今昔物語集(三)

ほふしあひともゆき をとこかたはらたちよりついゐ 法師相共ニ行ケルニ、男傍ニ立寄テ突居テ、昼ノ物ヲ取出シテ食フニ、法タルヲ」と補足説明した、いわゆ る「 : ・ヲ : ・ヲ」の語法。 しすぎ す より よび めせ いひわけとら 師ハ過ナムト為ルヲ、男法師ヲ呼ケレバ、寄ヌ。「此レ食」トテ飯ヲ分テ取セセ杖の下端に金具をはめて二股 にしたものか。なお、「杁」は土を ほふしょ くひ すでくひは をとこもとになひものとりにな すほど タレバ、法師吉ク食ツ。既ニ食畢ツレバ、 男本荷タル物ヲ取テ荷ハムト為ル程かきならす農具で、ここには適合 またぶり しない。「扠 ( 先が二股に分れた おも ほふし ここたちまちひとく ところなり をとこうちころ もち ニ、法師ノ思ハク、「此ニ忽ニ人不来マジキ所也。此ノ男ヲ打殺シテ、持タル杖 ) 」の誤記か。 〈念仏聖などが市教に歩く時、 と きめども たれ しるべ おもひ いまものも をのこ 物ト着タル衣共トヲ取ラムニ、誰カハ可知キ」ト思テ、今物持タムト為ル男ノ、胸の前に下げて叩く、平たい円板 状の銅製の打楽器。 おもかけ ほふしにはかかなづゑもっ タ」とこ くびつか たま 九往生極楽を願って、阿弥陀仏 思ヒ不懸ヌヲ、法師俄ニ金杖ヲ以テ頸ヲ突フレバ、男、「此ハ何ニシ給フゾ」 の名号を唱えること。念仏。 すりまど ほふしもと がうりきなり もの ききい ト云テ、手ヲ摺テ迷へドモ、法師本ョリ強力也ケル者ニテ、聞モ不入ズシテ打一 0 ↓一九三ハー注 = 当時は普通朝夕二食だったが、 ころ もち きぬども 九殺シテケリ。然テ持タル物ト着タル衣共トヲ取ルマ、ニ、飛ブガ如クニシテ逃旅行時などは昼食を取ることも多 第 、刀ナ′ さり 三「此ハ」とありたいところ。 テ去ヌ。 被 一三「突フ」は「突ク」の継続態で、 はるかやまへだ ひとざとあり ゆきいで 其遥ニ山ヲ隔テ、遠ク去テ、人郷ノ有ケルニ行出ニケレバ、「今ハョモ人モ不突き続ける意。杖の先で突いて押 宿 えつけたので。 ら・ おもひ より いへあり あみだぶっすすあり ほふしなりひくれ 殺知ジ」ト思テ、人ノ家ノ有ケルニ寄テ、「阿弥陀仏勧メ行ク法師也。日暮ニタ一四 ( ここまで来たら ) もう、まさ 聖 かだれも知るまい こよひばかりやどたまひ いへあるじをむなあり をとこものまかりゆき 陀 リ。今夜許宿シ給テムヤ」ト云ケレバ、家主ノ女有テ、「男ハ物ニ罷行ニタ一五「物」は、対象を漠然と示す語。 弥 阿 用事で出かけておりますが。 こよひばかりやどたま ほど レドモ、然ラバ今夜許ハ宿リ給へ」ト云テ入レタレバ、下衆ノ小家ナレバ、程一六竈の前にすわらせた。狭い民 家なので客を迎える場所などなく、 へだて ほふしかまどまへす しか いへのをむなこ ほふし むかひみ モ不隔ズシテ、法師ヲ竈ノ前ニ居へタリ。然レバ家女、此ノ法師ニ向テ見ルニ、居間続きの炊事場に通したもの。 ものき て ひと とほさり をとこほふし ものき と ひるものとりいだ げすこい と ごと ひとし ほふ

7. 完訳日本の古典 第32巻 今昔物語集(三)

四 てらとしはちじふばかりあ ほふしいできたりそてらぢうぢ あひ 其ノ寺ニ年八十許ハ有ラムト見ュル法師出来テ、其ノ寺ノ住持ノ法師ニ会テ「児屋」が擬せられる。 五 三正しくは「昆陽寺」。兵庫県伊 かたらやう おのれにしくに まかりのばりきゃうかたゆ おもひたま としお みつかれ 丹市所在。現在真一言宗。天平五年 語フ様、「己ハ西ノ国ョリ罷上テ京ノ方へ行カムト思給フルニ、年老ヒ身羸テ、 ( 七三三 ) 行基の開基とされる。 まか . のばるべやうおば おほむてらわたり しばさむら おもひたま 罷リ可上キ様モ不思エヌヲ、此ノ御寺ノ辺ニ、暫シ候ハムトナム思給フル。可四住職 六 五十訓抄では、嫁との折合いが ところすたま ぢうぢ たちまちをらるべところな 然カラム所ニ居へ給ヒテムヤ」ト云ケレバ、住持、「忽ニ可被居キ所コソ無ケ悪くて家出してきたとする。 六さしあたってすぐにお泊めで めぐ みだうらう をられ かぜふ すくめらたまひ きそうな所はありません。 レ。廻リモ無キ御堂ノ廊ナドニ被居テハ、風ニ吹キ被痊レ給ナム」ト云ケレバ 九 セ風に吹かれて凍えてしまうで おいほふし かねだうした さむら めぐ またはべところ しよう。「痊ム」は硬直する意。 此ノ老法師ノ云ク、「然ラバ鍾堂ノ下コソ候ヒヌべカメレ。廻リモ全ク侍ル所 ^ 鐘楼。「鍾」は「鐘」に通用。鐘 そこはべ おも ぢうぢ よところなり ナレバ、其ニ侍ラムト思フハ何ニ」ト云へバ、住持ノ云ク、「其レハ吉キ所也。つき堂の下は泊っておれそうでご ざいます、の句意。 そこ をられ かね いとよ つかれ 九周囲も完全に囲いがある所で 然ラバ其ニ坐シテ被居タレカシ。然テ鍾ヲモ被槌ムハ糸吉キ事也」ト云へバ すから。 おいほふしよろこことかぎりな 一 0 鐘つき法師が使っていた筵や 老法師喜プ事無限シ。 語 薦。 ぢうぢ おいほふしかいぐ かねだうしたゐてゆき かねつきむしろこも = それをそのまま使って、そこ 盗レバ住持、老法師ヲ掻具シテ、鍾堂ノ下ニ将行テ、「鍾槌ガ莚薦ナド有リ。 に住んでおいでなさい ゐたまひ かねつきほふし あひ おい 一こうかれ 屋 其レニャガテ居給タレ」トテ居ヘッ。然テ鍾槌ノ法師ニ会テ、「此ニ浮タル老三流浪の。浮浪者の。 来 一三「和僧」と同意。お前さんは。 かねだうしたゐ やど かねつき 津法師ノ出来テ、『鍾堂ノ下ニ居タラム』ト云ツレバ宿シッ。『鍾モ槌テム』ト云「和」は親愛の情を添える接頭語。 摂 「院」は寺院の意から、僧の呼称に ほどっ そ ほどわゐんやす ツレバ、『居タラム程ハ槌ケ』トナム云ツル。其ノ程ハ和院ハ息ミテ居タレ」用いる。↓八〇ハー注八。 一四「ナルナリ」の音便形「ナンナ いとよ 一り かねつきほふし こと一四 の撥音「ン」の無表記。 ト云へバ、鍾槌ノ法師、「糸吉キ事ナナリ」ト云テ、去ヌ。 ほふし るべ し そ いでき ゐ な す み ことなり ほふし あ

8. 完訳日本の古典 第32巻 今昔物語集(三)

ものかぎあ 一九家主の男が持って出て行った 然ル事也」トテ、袋ヲ開テ見ルニ、男ノ持テ出ニシ物ノ限リ有リ。 ニ 0 物が全部あった。 おきとひ そとき ほふしいただきうへつきひ 「然レバコソ」ト云テ、其ノ時ニ、法師ノ頂ノ上ニ坏ニ火ヲ入レテ置テ問ケレニ 0 思ったとおりだ。案の定だ。 ニ一飲食物を盛る土器。ここでは をとこしかしか そこそこやまのなか そとき ほふしあっ 、其ノ時ニナム、法師熱サニ不堪ズシテ、「実ニハ其々ノ山中ニテ男ノ然々素焼の深めの皿か。 一三法師はなぜ犯罪が発覚したの と たま ものなりそもそこ はペ か不審に思ったもの。 侍リシヲ、殺シテ取タル物也。抑モ此ハ誰ガ問ヒ給フゾート云ケレバ、「此レ ニ四 ニ三訊問の意。↓一八二ハー注九。 てんせめかうぶり こた ほふし そひと いへなり ハ其ノ人ノ家也」ト云ケレバ、法師、「然テハ我レ天ノ責蒙ニケリ」トゾ答ニ四自分が殺した男の家に泊ると は、天罰が当ったのだ。 まこと さと さきたて ものどもあつまりゆきみ よあけそ ほふし へケル。然テ夜明テ其ノ法師ヲ前ニ立テ、郷ノ者共集テ行テ見ケレバ、実ニ一宝まだ山の獣や鳥が食い荒らさ ニ五 ず、死体がきちんとしていたので。 をとこころ おき 、つるはし あり そ いまものくひうしな はりつけ 其ノ男ヲ殺シテ置タリケリ。未ダ者モ不瞰失ハデ直クテ有ケレバ、妻子此レヲニ六立木などに四肢を磔にして射 殺したのであろう。重罪人に対す そ ほふし みなきかなし 九見テ哭悲ビケリ。然テ其ノ法師ヲバ、「将返テモ何ニカハセム」ト云テ、ヤガる極刑である。 ニ六 第 毛その恩をわきまえないで。 い・一ろ そところはりつけ 夭仏教での十惑の一。因果応報 テ其ノ所ニ張付テ射殺シテケリ。 被 の真理を無視する誤った考え。 きひとほふし をとこじひあり 其此レヲ聞ク人、法師ヲナム愡ミケル。「男ノ慈悲有テ、呼ビ寄セテ飯分テ食 = 九ほかの所。他の土地または家。 ニ七 宿 三 0 そのままただちに。転じて、 しら おも じやけんふか ものめすと ほかならぬ。 殺セナドシタルヲ思ヒモ不知デ、法師ノ身ニテ邪見深クシテ、物ヲ盗ミ取ラムト 聖 三一まのあたりに ( 天罰をこうむ ころ あらはか てんにくたまひ って ) 。いわゆる現報を受けたも 弥テ殺シタルヲ天ノ憾ミ給テ、外へモ不行ズシテ、ヤガテ其ノ家ニ行テ、現ニ此 三ニ 阿 の。 ころさる あはれことなり ひといひ かたった 三ニただ恐れ入るばかりだ。因果 ク被殺ル、哀ナル事也」トゾ聞ク人云ケル、トナム語リ伝へタルトャ。 の理の歴然たるを感嘆したもの。 、一となり ころ とり ふくろあけみ ニ九 ほふしみ たへ をとこもち・いで ゆ ゐてかへりな た ま・一と わ 三 0 そ よ いへゆき 一いしこ いひわけ

9. 完訳日本の古典 第32巻 今昔物語集(三)

たが、結局腫れている日の方が多かった。 ってすわり、ほどよい高さに持ち上げて粥を飲ませる。内 そこで、物を食べ、粥などを食べる時には、弟子の法師供は、「この童はじつに上手だ。いつもの法師よりうまい を向い合ってすわらせ、長さ一尺幅一寸ほどの平たい板をそ」と言って粥を飲んでいるうち、童が顔をそむけて大き 八 十鼻の下にさし入れて上に持ち上げさせ、食べ終るまでそう なくしやみをした。とたんに、童の手が震え、鼻持ち上げ 第しておき、食べ終ると板をはずして立ち去らせた。ところ の板が動いたので、鼻が、粥の椀の中にばちゃっと落ちた。 が、ほかの者に持ち上げさせると、持ち上げ方が下手なの同時に、粥が、内供の顔にも童の顔にもしたたか飛びかか 五ロ 1 = 一口 で、機嫌をそこねて食べようとしない。それで、この法師った。 物 昔をそれと決めて、持ち上げさせていた。 内供は大いに怒り、紙を取って、頭や顔にかかった粥を ところが、その法師がある時からだをこわして出て来な ぬぐいながら、「お前はとんでもない間抜けの乞食野郎だ。 かった。内供は朝粥を食べようとしたが、鼻を持ち上げる もし、このわしでなく、高貴な方の御鼻を持ち上げている 者がいないので、どうしたらよかろうかとあれこれしてい 時にこんなことをしでかすか。うつけの馬鹿者め。立ち去 わらわ る時に、一人の童がいて、「わたしなら上手に持ち上げてれ、こいつめ」と言って追い立てたので、童は物陰に立っ さし上げるがなあ。絶対にあんな小僧に負けはしない」と て行き、「世の中にこんな鼻つきの人がほかにおられると 言ったのを、他の弟子の法師が聞いて、内供に、「この童でもいうのなら、よそに行って鼻を持ち上げることもあろ かかくかく申しております」と伝えた。この童は中童子で、 うが、ばかなことをおっしや、るお坊様だ」と言ったので、 様子もこざっぱりしており、上の間にも召し上げて使って弟子共はこれを聞き、外に逃げ出して大笑いした。 いる者なので、内供は、「ではその童を呼べ。そう言うの 思うに、実際、どんな鼻だったのだろう。じつにあきれ なら、これを持ち上げさせてみよう」と一 = ロった。そこで、 た鼻ではある。 童を呼んで連れて来た。 童のいとも痛烈に言った言葉を聞く人は、みなほめた、 童は鼻持ち上げの板を手に取り、内供にきちんと向き合 とこう語り伝えているということだ。 かゆ わん

10. 完訳日本の古典 第32巻 今昔物語集(三)

たひらのさだもりのあそむほふしのいへにしてめすびとをいとることだいご 平貞盛朝臣於法師家射取盗人語第五 本話の典拠は未詳。平貞盛と親交のあった法師某が、陰陽師賀茂忠行から賊難による死を予 言されて厳重な物忌みをしていたが、たまたま上京した貞盛を迎えて宿泊させたため、その夜 押し入った盗賊の難を免れた話。物忌みを破った悲劇譚が一般的な中に、これはその逆のケー 五 スで、死すべき法師の運命を転じさせたものが、武人貞盛の言動と法師の柔軟な思慮であった 第 語 点に注目したい。盗賊の中に紛れ込み、攪乱戦術を行って盗賊を射殺撃滅した貞盛の機略縦横 の働きが印象的である。 一三下京の辺。↓二八四ハー注三。 取 射 一四多少財産のある。小金持の。 家 一五何不自由なく。↓ 一七六ハー注 師 法 いまはむかししもわたりなまとくあ ほふしあり 臣今昔、下辺ニ生徳有ル法師有ケリ 一六神仏や霊鬼がそれとなく示す 朝 不思議な予告。 いへゆたか よろたの すぐし ほど いへさとし ただ 貞家豊ニシテ万ヅ楽シクテ過ケル程ニ、其ノ家ニ怪ヲシタリケレバ、賀茂ノ忠宅↓田一四七ハー注一三。 平 一九 一 ^ ↓二一七ハー注 = 三。 ゆきい おむやうじ そさとしきちくうと やり それのつきのそれのひものいみ 行ト云フ陰陽師ニ、其ノ怪ノ吉凶ヲ問ヒニ遣タリケルニ、「某月某日物忌ヲ一九↓一六六ハー注 = 。 ニ 0 一一 0 盗賊にかかわること。たとえ 1 かた めすびとごとよりいのちほろば もの おそ ほふしおほ 固クセョ。盗人事ニ依テ命ヲ亡サム物ゾ」ト占ナヒタリケレバ、法師大キニ怖ば襲撃されるなどの事件をいう。 のち あ かたった 後ニハ人知ニケルニヤ有ラム、此ナム語リ伝へタルトャ。 ひとしり かく 0 かくらん ( 現代語訳三七六ハー ) 一一その土地の所有権などを侵害 できる者。 一ニそれにしても、少々一緒に暮 しゅうと しにくい妻ではあった。陰の舅父 の目が厄介なのである。