新古今和歌集年表 集 歌 和 古 新年号西暦天畠院政 久寿二 一一五五後白河 ( 7 ・ 4 保元元一一五六 一一五七 一一五八二条後白河 ( 8 ・ ) ( 8 ・Ⅱ ) 平治元一一五九 ( 4 ・ ) 永暦元一一六〇 一、本年表は、『新古今』時代を理解するためのもので、後白河天皇時代から土御門天皇 時代までを範囲とした。 一、年号・西暦・天皇・院政・和歌事項・一般事項の欄を設けた。 一、特に和歌事項の欄は、歌壇の主要動向、ならびに『新古今集』に作の入集している歌 人の死 ( 没年齢は数え年による ) ・業績などを取りあげ、一般事項の欄は、保元の乱・ 平治の乱をはじめとする、時代の性格を表す事件を中心として取りあげた。 和歌事項 一般事項 五月七日、藤原顕輔没 ( 六十六歳 ) 。『左京大夫顕七月二十三日、近衛天皇崩 ( 十七歳 ) 。 輔卿集』。 七月一一日、鳥羽院崩 ( 五十四歳 ) 。 七月、保元の乱。崇徳院・藤原頼長側は源為 義・同為朝父子の軍、後白河天皇・藤原忠通 側は平清盛・源義朝の軍を主力として戦い 崇徳院側が敗れる。七月十四日、頼長没、二 十三日、崇徳院、讃岐に配流され、三十日、 為義ら斬罪、八月三日、為朝、伊豆大島に配 流される。 八月十一日、後白河院院政開始。 十月三日、藤原清輔、『袋草紙』を一一条天皇に献進。十ニ月、平治の乱。藤原信頼と藤原通憲 ( 信 藤原成通、この年没したか ( 六十三歳 ) 。『成通卿西 ) 、源義朝と平清盛、それぞれの対立が原 集』。この年、式子内親王、斎院にト定。 因。信頼・義朝が謀叛して敗れ、信頼は十ニ 月二十七日斬罪、義朝はのがれる。 七月、太皇太后宮大進清輔朝臣家歌合 ( 源通能判 ) 。一月四日、源義朝、尾張で殺される。三月十 一日、義朝の子、頼朝、伊豆に配流される。 九月一一十日、平清盛、右衛門督。 九月二日、藤原実能没 ( 六十二歳 ) 。
497 巻第十羇旅歌 一執着するな。 0 『山家集』に、初句「家 を出づる」。 本歌・恋ひわびて泣く音にまがふ浦波は 思ふかたより風や吹くらむ」 ( 源氏・須磨 光源氏の歌 ) 。一建仁二年 ( 一 = 0 一 l) 三月、後鳥 羽院主催の「三体和歌」。「和歌所」↓九四一の注 和歌所にて、をのこども旅の歌っかうまつりしに 一。「をのこども」は廷臣たち。ニさだめし。 ふぢはらのさだいへのあそん 藤原定家朝臣三自分の恋しく思う人の方から。・三体和 えん 歌」では、恋・旅の歌は、「艶に優しく」詠む かようらかぜ ことになっていた。 知袖に吹けさぞな旅寝の夢も見じ思ふ方より通ふ浦風 本歌「駿河なる宇津の山辺のうつつにも 夢にも人に逢はぬなりけり」 ( 伊勢物語九 ↓九 0 四 ) 。一夢の中で通う道。夢の通い路。 ふぢはらのいへたかのあそん 藤原家隆朝臣ニ↓九 0 四の注 = 。三関を、通行人をとどめる せきもり 所としていっている。四関守。関の番人。 ・も ゅめぢ うつ 一元久一一年 ( 一一一 0 五 ) 六月、後鳥羽院主催の 川旅寝する夢路はゆるせ宇津の山関とは聞かず守る人もなし 9- 「元久詩歌合」。ニ山道を、秋にたどり ゆくこと。三「うつ」に「打つ」と「宇津 [ とを かけ、「今や衣を打つらん、宇津の山 : ・」の意 あは やまぢノしうかう きめた とし、都では、砧で衣を打つのに、宇津の山 詩を歌に合せ侍りしに、山路秋行といへることを では、タ霜をはらうために衣を打つ、という ふぢはらのさだいへのあそん 藤原定家朝臣意をきかせた。「宇津の山」↓九 0 四の注一一。 四蔦の生えまつわる木の下の道。「蔦 [ はブド ウ科。 0 参考「宇津の山にいたりて、わが入 らむとする道はいと暗う細きに、蔦かへでは 茂り、もの心細く」 ( 伊勢物語九 ) 。 そで 四 ったしたみち 都にもいまや衣をうつの山タ霜はらふ蔦の下道 いうぢよたへ 遊女妙 叨世をいとふ人とし聞けば仮の宿に心とむなと思ふばかりぞ わかどころ ころも たびね かりやど一 ゅふしも せき かた 979
藤原範永朝臣 君にまた逢うことを待っていたらよいはずですが、余命 が少なくて待ちきれそうもないわたしは、悲しいことで 歌 和 「あぶくま川」で、贈歌の面会の期待の心を受けなが 今 ら、余命短い老齢の身の、再会を期しがたい悲愁を率 古 新 直に吐露している。 大宰帥隆家が下った時に、扇を賜るというので 枇杷皇太后宮 8 涼しさは、行く先にある生の松原のほうがまさろうとも、 8 あなたの身に添わせる、わたしの、この扇の風を忘れな いでくたさい 「いきの松原」の「生」と「松」とをきかせ、任地で の無事を祈りながら、なお、都の作者の形見である扇 を忘れないでほしいという。おおらかな中に情味がこ もり、気品のある歌境である。 くだ 亭子院が宮滝をご覧になりにいらっしやったお供に、 素性法師が、召しつれられて、参っていたが、住吉 ・一おり やまと の郡で暇をくださって、大和に行かせなさった時に 詠みました歌 一条右大臣 神無月のまれの御幸に誘われ申して、ここまでい 0 しょ に来たのですが、今日お別れしてしまったならば、また、 しつお目にかかれることでしようか 初冬、神無月の吉野御幸にお供として同行した帰途、 大和の寺に帰住する素性法師との別れを惜しんだ作。 率直・端的な抒情に、親交ぶりが見える。 題知らず 大江千里 0 別れてからのちも、また逢おうと思うけれど、逢う時を いっと知るか、いっとも知らないことだ。 作者が漢詩句の翻訳を試みた「句題和歌」の一首。こ の作、原詩句の意を和歌に詠み替えただけ。
531 年表 建仁元一二〇一 合 ( 俊成判か ) 。十一月二十二日、院初度百首披講。 はじめ、この百首の作者から定家が除かれていた ことについて、俊成、「和字奏状」 ( 「正治奏状」と も ) を書いて直訴。定家・家隆・隆房が追加され る。この年のうちに、院第二度百首が催される。 一月二十五日、式子内親王薨 ( 五十一歳か ) 。『式 子内親王集』。ニ月十六・十八日、院主催老若五 十首歌合 ( 衆議判か ) 。三月十六日、源通親主催影 供歌合 ( 衆議判か ) 。同二十九日、院主催新宮撰歌 合 ( 藤原俊成判 ) 。新宮撰歌合以後、三百六十番歌 合 ( 無判 ) 完成。四月三十日、院主催鳥羽殿影供歌 合 ( 衆議判 ) 。六月、院主催百首。のち、千五百番 歌合となる。七月二十七日、和歌所が二条殿に設 置される。八月三日、院主催影供歌合 ( 俊成判 ) 。 同十五日、院主催撰歌合 ( 俊成判 ) 。十一月三日、 源通具・藤原有家・定家・家隆・雅経・寂蓮の六 名に対し、上古以来の和歌撰進の院宣が下る。十 一一月一一十八日、院主催石清水社歌合 ( 判者不明 ) 。 三月二十二日、院主催三体和歌の会、「常にも似七月二十三日、源頼家、征夷大将軍となる。 ず珍しき御会」 ( 鴨長明『無名抄』 ) 。五月一一十六日、この年、栄西、京都五山の一つ、建仁寺を建 院主催影供歌合 ( 衆議判 ) 。六月十五日、院主催水立。 無瀬釣殿当座六首歌合 ( 後鳥羽院判 ) 。七月一一十日、 寂蓮寂 ( 六十余歳 ) 。『寂蓮法師集』。八月一一十六日、 守覚法親王薨 ( 五十三歳 ) 。『北院御室御集』。九月 六日、院から千五百番歌合判進の命が下る。判者、 後鳥羽院はじめ十名。藤原良経、判詞のはじめに、 ネやくもヲいづもの ニミタマヒなごりヲなにはの 「我君、尋 = 八雲於出雲之昔「酌一一余波於難波之
やヘぎくら だうみやうほふし 八重桜を折りて人の遣はして侍りければ 道命法師 しらくもたったやま 歌白雲の立田の山の八重桜いづれを花と分きて折りけん 春 第 巻 わかどころ 和歌所にて歌っかうまつりしに、春歌とてよめる しら - くも かづらきたかま たった 葛城や高間の桜咲きにけり立田の奥にかかる白雲 題知らず いそのかみ 四 圏石上古き都を来て見れば昔かざしし花咲きにけり 本歌「桜花咲きにけらしなあしひきの山 の峡より見ゆる白雲」 ( 古今・春上紀貫 之 ) 。一後鳥羽院に、歌を詠んでさしあげた 時に。建仁二年 ( 一一一 0 一 l) 三月、後鳥羽院主催の 「三体和歌」の会の時。ニ葛城山の高間山。 「葛城」山は、大阪府と奈良県の境にある山。 こん ) 一う、ん 読人しらず「高間」山は、その最高峰で金剛山の別称。 三立田山。・・三体和歌」は、春・夏を、「太 く大き」い趣に詠んだ。 なかっかさしゅうきょただしゅう びようぶ 一『中務集』『清正集』によると、屏風の 歌。ニ作者は、『中務集』によると中務、 『清正集』によると藤原清正。三奈良県天理 みなもとのきんただのあそん ふる 源公忠朝臣市の在留一帯の古名。安康・仁賢両天皇の都 ふる のあった所。なお、「古」に、地名の「布留」を あらをだ かけた。四昔、その都の大宮人たちが髪や ”春にのみ年はあらなん荒小田をかへすがヘすも花を見るべく 冠に挿して飾った桜の花。 0 第二句、『中務 集』に「ふるき渡りを」、『清正集』に「ふりにし 里を」。 一「荒小田を」で、「かへすがヘす」の序詞。 「荒小田は、荒田と同じで、「小」は美称 の接頭語。ニくり返しくり返し。「かへす」 に掘り返し耕す意をかけた。 一「立田」の「立」に、白雲の「立つ」をかけ た。ニ見分けて。 一後鳥羽院主催の「正治一一年初度百首」。 ニ「立田山」の「立」に白雲の「立つ」をかけ た。三立田山の一峰。 ひやくしゅのうた ふぢはらのさだいへのあそん 百首歌奉りし時 藤原定家朝臣 白雲の春はかさねて立田山小倉の峰に花にほふらし みやこき つか をぐらみね はるのうた わ じゃくれんほふし 寂蓮法師 かひ
五十首の歌をさしあげた時 摂政太政大臣 蛍の飛んでいる野沢に茂 0 ている蘆の下の根のあたりに、 夜ごと、ひそかに吹き通ってくる秋風よ。 集野沢の蘆の上に飛ぶ蛍の光と、下に通う風の音。その 和夏と秋の季節感の微妙な交錯に、『源氏物語』の蛍巻 たまかずら ひょうぶきよう 今 古 の、玉鬘に、蛍兵部卿の宮と光源氏とが思いを寄せて 新 いる世界の面影も見えるようで、優艶な趣がある。 刑部卿頼輔が歌合をしました時に、「納涼」を詠み ました歌 俊恵法師 楸の生えている片山陰に、秋のタ風がひそかに吹きつづ けていたのになあ。 題の「納涼」を、楸の生えている片山陰の涼しいタ風 にひそかにきざしていた秋への驚きの抒情で新鮮に歌 いあげ、題詠を思わせない。 ひさぎ とこなっしげ 「瞿麦露滋し」という題を 高倉院御歌 白露の玉で結んであるませの中に、色が美しいうえ、光 までくわわり、いちだんと美しいとこなつの花よ。 結んだ縄の白露が輝くませ。その中で、白露の光と咲 き乱れるとこなつの花の色とが映発し、しかも、『源 氏物語』のタ顔巻や常夏巻の情景までも面影となって さんらん 浮ぶ。燦爛とした美境。 「タ顔」を詠んだ歌 前太政大臣 白露が情趣を添え、情愛をこめたタ顔の花の和歌よ。ほ のかに見えた、そのタ顔の花が咲いていることだ。 タ顔の花に、『源氏物語』タ顔巻の、タ顔と光源氏と の和歌贈答の場面を思い起している。
263 巻第五秋歌下 だいじゃうてんわう 秋の歌とて 太上天皇 しもよ かげさむよもぎふ 秋更けぬ鳴けや霜夜のきりぎりすやや影寒し蓬生の月 ひやくしゅのうた せっしゃうだいじゃうだいじん 百首歌奉りし時 摂政太政大臣 三むしろころもかたし きりぎりす鳴くや霜夜のさ筵に衣片敷きひとりかも寝ん せんごひやくばんのうたあはせ とうぐうのごんだいぶきんつぐ 千五百番歌合に 春宮権大夫公継 ながっきょ とこさむけさ 寝覚めする長月の夜の床寒み今朝吹く風に霜や置くらん わかどころ ろくしゅのうた 和歌所にて、六首歌っかうまつりし時、秋歌 四 あはぢしまありあけ うらかぜ 加秋深き淡路の島の有明にかたぶく月を送る浦風 ねぎ 色変る露をば袖に置きまよひうら枯れてゆく野べの秋かな 一かは そで 、カ あきのうた さきのだいそうじゃうじゑん 前大僧正慈円 一哀感で色が紅に変る涙。紅涙。ニ草 葉の先が枯れていく。 そま 本歌「鳴けや鳴け蓬が杣のきりぎりす過 ぎゅく秋はげにそ悲しき」 ( 後拾遺・秋上 そねのよしただ 曾禰好忠 ) 。一建仁元年 ( 一 = (1) 、後鳥羽院主 催の「仙洞五十首」の作。題「月前 / 虫」。ニ後 鳥羽院。三蓬の生え茂った荒れた家。 本歌・我が恋ふる妹は逢はさず玉の浦に 衣片敷きひとりかも寝む」 ( 万葉・巻九 作者未詳 ) 、「さ筵に衣片敷きこよひもや我を 待つらむ宇治の橋姫」 ( 古今・恋四読人しら ず ) 。一鳥羽院主催の「正治一一年初度百首」。 よしね ニ藤原良経。三「さ筵」に「寒し」をかけた。 0 この作、「百人一首」に加えられている。 か 一九月。陰暦九月で、晩秋。・・昔の華 1 しゃう 省の秋思ひやられていとをかし」 ( 千五 かう 番歌合藤原定家の評 ) 。 0 参・宵ハ耿 ひとり 介ニシテ寝ネズ。独華省ニ展転ス」 ( 秋興賦 はんがく 潘缶 ) 。「耿介ーは専念するようす。「華省」は、 役所。 一建仁二年三月、後鳥羽院主催の「三体 和歌」。ニ淡路島。兵庫県内。三残月 のある夜明けがた。四「浦」は、海の陸に入 り込んだ所。・三体和歌」の秋・冬の歌は、 「からび細く」詠むことになっていた。 516 第一うるい
じんぎ 三・四・五 ) ・雑 ( 上・中・下 ) ・神祇・釈教の十二。 『万葉集』の作は勅撰和歌集外の作として除かれず、『古今集』からの七勅撰和歌集の作は除かれることと 定められていた。集名として「新古今」が選ばれたのは、第一の勅撰和歌集である『古今集』からの伝統を 受け継いで、新たな実を結んだ集という意味がこめられたからであった。 仮名序に、「時に元久二年三月二十六日なんしるしをはりぬる」と書きとめられているが、その元久二年 きようえん かすがどの 三月二十六日の夜、宮中の春日殿で、撰集事業の終了した宴としての「竟宴」が催された。その「竟宴」は、 『日本書紀』の講義が終了した時に催されてきた「印本紀竟宴」にならった催しで、勅撰和歌集の撰集事業 その竟宴に、後鳥羽院は、 の終了した時の前例にはないことであったが、 いそのかみ 石上古きを今にならべ来し昔の跡をまた尋ねつつ と述懐し、摂政太政大臣であった藤原良経は、 しきしまやまと 敷島や大和ことばの海にして拾ひし玉はみがかれにけり こッ ) ん と祝った。後鳥羽院の作は、『古今集』の昔の跡を思慕して古今の和歌を撰び集める『新古今集』の大事業 が完了したことに対する感慨であり、良経の作は、古今の歌人たちの残した和歌の中から珠玉が拾い集めら れて結晶した『新古今集』に対する賛美である。 説 はまち ところで、仮名序に「みづから定め、手づからみがけることは、遠くもろこしの文の道を尋ぬれば、浜千 、 ) とは くれたけよよ 解鳥跡ありといへども、わが国、やまと言の葉始まりてのち、呉竹の世々にかかるためしなんなかりける」と 書かれているように、後鳥羽院自身が、熱情を傾けて、親しく撰定作業に従事したが、そのようなことは、 わが国の勅撰の集には、まさに前例のないことであった。それだけに、『新古今集』が一応の成立を見ての どり ぞう こほんぎ えら ふみ
たいけんもんゐんのあき すとくのゐんひやくしゅのうた 歌 待賢門院安芸 崇徳院に百首歌奉りける時、夏の歌 さくらあさをふしたくさ 桜麻の苧生の下草茂れただあかで別れし花の名なれば 巻 葵をよめる いかなればそのかみ山の葵草年はふれども二葉なるらん しよくしないしんわう さいゐん 式子内親王 斎院に侍りける時、神館にて 四 五 むすかりね あふひ 忘れめや葵を草にひき結び仮寝の野べの露のあけばの 一京都の賀茂神社に奉仕した未婚の皇女、 または女王。ニ祭の前日に、潔斎 ( 心身 なか を清める行事 ) のために籠る仮屋。四月中の あおいのまつり 酉の日の賀茂の葵祭の神館。三葵を草枕と して結んで。四神館を仮寝の「野べ」といい、 「草にひき結び」との縁語とした。五感慨の 侍従涙を暗示。 一その昔からの、神山。「神山」は、賀茂 神社のうしろにある山。「そのかみ ( 昔の 意 ) 」と「その神」とをかけた。ニ経ているけ れど。「古れども」をかけた。三賀茂神社の 葵祭には、二葉葵が用いられた。二葉葵は、 あさかめま さいしようしてんわうゐんさうじ 藤原雅経短い地上茎に二枚の心臓形の葉を付ける。そ 最勝四天王院の障子に、浅香の沼かきたる所 しよせい 四 の「二葉」に、草の初生の意を重ねた。 ぬま あさか みちのくあさか 本・陸奥の安積の沼の花がつみかつ見 4 ・ 野べはいまだ浅香の沼に刈る草のかつ見るままに茂るころ る人に恋ひやわたらむ」 ( 古今・恋四読 ふすま 人しらす ) 。一 ↓一三三の注一。ニ襖。三福島 、刀ナ′ こおりやま 県郡山市の安積山のふもとにあったといわ れる沼。歌枕。四草が浅いの「浅」をかけた。 五ちょっと見ているうちに。「花がつみ」の 「かつみ」をかけた。「花がつみ」は花あやめの 一種という説がある。、最勝四天王院障子 和歌」の原歌では、初包・夏はまだ」。 本・桜麻の麻生の下草露しあれば明か してい行け母は知るとも」 ( 万葉・巻十一 ) 。 一久安六年 ( 二五 0 ) に催された。ニ麻の一種。 そねのよしただ 曾禰好忠三麻畑。四ひたすらに。「茂れ」にかかる。 題知らず かんだち あふひぐさ ふたば ふぢはらのまさつね じじゅう けっさい あ
479 巻第十羇旅歌 さいぎゃうほふし 題知らず 西行法師 かず 都にて月をあはれと思ひしは数にもあらぬすさびなりけり こよひめ 月見ばと契りおきてし故郷の人もや今宵袖濡らすらん ごじっしゅのうた 五十首歌奉りし時 家隆朝臣 すゑしらくも 明けばまた越ゅべき山の峰なれや空ゆく月の末の白雲 0 『山家集』の詞書に、「旅宿の月といへ る心をよめる」。一感深いニものの 数でもない慰み。格別なものとして、言うに もたりないほどの慰み。 0 『山家集』に、第 四包・・数よりほかの」。 一月を見たら思おうと。・・人もや今宵 といへる、詞を飾らずといへども、哀れ みもすそがわ 殊に深し」 ( 御裳濯川歌合藤原俊成の評 ) 。 一建仁元年 ( 一 = 0 一 ) 二月、後鳥羽院主催の ろうにやく 「老若五十首歌合」の作。ニ本来、「峰な ればや」と同じで、「や」は疑問の係りの助詞 であるが、ここでは、「や」が疑問と詠嘆とを かねて、「峰なりや」というのにあたる言い方。 三空を渡る月の傾いて行くかなた、遠く白雲 藤原雅経のかかっている所。 一故郷の人の、今日のようす。「面影」は、 けふおもかげさそこ 特に、顔のようす。ニ誘ってきて、月 故郷の今日の面影誘ひ来と月にそ契るさよの中山 の面に見せてくれよと。三「さやのなかや ま」と同じ。↓九 0 七の注 = 。「さよ」に「小夜」を きかせ、「月」の縁語。 わかどころのつきじっしゅのうたあはせ げつぜん / た 一和歌の撰集をつかさどった役所。 和歌所月十首歌合のついでに、月前旅といへる心 4 ・ 四 ニ月のさしている前での旅。三後鳥羽 せっしゃうだいじゃうだいじん を人々つかうまつりしに 摂政太政大臣院に詠んでさしあげた、という意。四藤原 よしつね 良経。五わたしの面影。六故郷の月に浮ん で見えていることであろうに、の意。 忘れじと契りて出でし面影は見ゆらんものを故郷の月 ちぎ ふるさと なかやま ふぢはらのまさつね いへたかのあそん