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検索対象: 完訳日本の古典 第35巻 新古今和歌集(一)
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1. 完訳日本の古典 第35巻 新古今和歌集(一)

後一条院がお生れになっていた九月、月がくまなく 照っていた夜、大二条関白が中将であった時ですが、 若い人々を誘い出して、池の舟に乗せて、中島の松 集 の木陰を漕ぎまわす折、月が美しい趣に見えました 歌 和 ので 紫式部 今 古濁りなく永久に澄んでいる水の面に映 0 ている月の光も、 新 のどかだ。 みちなが 濁りなく澄む池の水に、藤原道長家の永久の栄えを暗 示し、その池に澄んで映っている月に皇子を暗示して、 皇子生誕のめでたさを豊かにした。 永承四年の内裏の歌合に、「池の水」という趣を 伊勢大輔 池の水が世々にわた 0 て久しく澄んでいるので、池の底 の玉藻までも、光が見えることだ。 池水に、つづく聖朝を暗示し、底の玉藻に、聖朝ゆえ に世に埋れない偉才を暗示した作。その暗示が、池の 情景とともに生きていてすがすがしい だいり 725 堀河院の大嘗会御禊の時、幾日もつづいて雨が降っ ていて、その日になって空が晴れましたので、紀伊 ないしのすけ の典侍に申しました歌 六条右大臣 泗わが君の御代の永久にお栄えになる年数も、隠れること なく、晴れわたった空の光に見ることです。 君が代の長久を、大嘗会御禊の当日、にわかに晴れわ たった空の光に、、 しまさらのように感じた、その祝い の感動の自然さが、訴える抒情にしている。 天喜四年、皇后宮の歌合に、「祝い」の趣を詠みま した歌 前大納言隆国 住江に生えくわわる松の枝ごとに、君の長久の年数がこ もっていることだ。 めでたい松の名所住江にますます栄える松、その枝ご との無数の葉に、皇后の長久を見たのである。句々の 緊密な運びで祝意を細やかにした。

2. 完訳日本の古典 第35巻 新古今和歌集(一)

源重之 題知らず ゃなせ 3 名取川の簗瀬の波の騒いでいるのが聞えることだ。今、 紅葉が、いよいよ寄って、流れを堰きとめているのであ 集ろうか 和簗瀬にざわめく波の音で、紅葉が流れを堰きとめてい 今 る情景が想像される、というので、嵐の激しさをも暗 古 新 示し、発想が珍しく、無気味な趣がある。 てんじようびと 後冷泉院の御代、殿上人たちが、大堰川に行って、 「紅葉水に浮く」といった趣を詠みました時に 藤原資宗朝臣 筏士よ。待てよ。尋ねよう。川上では、どれほど激しく 吹いている山の嵐であるのか。 筏士に川上の山の嵐の模様を問いかけるだけで、流れ る紅葉のおびただしさを暗示し、題意を生かした。嵐 に重みがある。 いかだし せ 大納言経信 散りかかる紅葉が流れないでいる大川よ。どれが井堰 の水の柵なのであろう。 本歌の趣を余情にし、美しい紅葉が、井堰の柵もわか らないほどに流れを埋めつくした大堰川の実景を、新 鮮に描写している。 大堰川に行って、「落葉水に満つ」といった趣を詠 みました歌 藤原家経朝臣 6 高瀬舟が進みしぶるほどに、紅葉が水面に満ちて、流れ 5 下る大堰川であることよ。 眼前を漕ぎのばる高瀬舟の「しぶくばかりに」によっ て、水面を美しく埋めて流れ下る紅葉を暗示し、題意 を新鮮に生かしている。

3. 完訳日本の古典 第35巻 新古今和歌集(一)

379 巻第八哀傷歌 四 でうのうだいじん ちゅうなごんかねすけ 条右大臣に遣はしける 一醍醐天皇が亡くなられてのち。醍醐天 中納言兼輔 ほうぎよ 皇の崩御は、艇長八年 ( 〈 = 0 ) 九月一一十九 日。ニ三月の晦日。醍醐天皇崩御の翌年三 桜散る春の末にはなりにけり雨間も知らぬながめせしまに さだかた 月の晦日であろう。三藤原定方。定方の妹 胤子は、醍醐天皇の生母。四『兼輔集』によ ると、作者は定方で、定方が兼輔に詠み贈っ しゃうりやく りゃうあん みちのぶのあそん 正暦二年、諒闇の春、桜の枝に付けて、道信朝臣に た作となる。五雨の晴間。「雨」に、涙を暗 ながめ 示した。六「長雨」と、もの思いでしみじみ さねかたのあそん 遣はしける 実方朝臣と見入る意の「ながめ」とをかけた。 0 『兼輔 四 集』に、第四包・あやめも知らぬ」。 すみぞめ 、つきト 墨染のころも浮世の花盛りをり忘れても折りてけるかな 一九九一年。「正暦」は、一条天皇時代の 年号。ニ天皇が父母の喪に服すること。 正暦二年二月十二日、円融院が崩御、その喪。 みちのぶのあそん 道信朝臣三ねずみ色に染めた衣服。喪服。「ころも」に 「衣」と「頃も」とをかけた。四この世。「浮」 に「憂き ( 辛い ) 」をかけた。五諒闇の時。 川あかざりし花をや春も恋ひつらんありし昔を思ひ出でつつ 一崩御した円融院を暗示。ニ「春」で、 実方を暗示。三めでたかった円融院在 世時の昔。 一死んだ人を暗示。死んだのは、妻であ -6 ろう。ニ「嘆き」の「なげ」に「無げをか け、「き」に「木」をかけて、花がなくなって寂 しい木の下の意と、悲しみに沈んでいる人の もとの意、とを重ねている。 おく 弥生のころ、人に後れて嘆きける人のもとへ遣はしけ じゃうじんほふし る 成尋法師 はなざくら 花桜まだ盛りにて散りにけん嘆きのもとを思ひこそやれ やよひ はなざか五 あまま いんし

4. 完訳日本の古典 第35巻 新古今和歌集(一)

式子内親王 百首の歌の中に 8 桜の花は散って、なにを眺めるというのでもなく、しみ 1 じみとした思いで眺めると、なにもない空に春雨が降っ 集 歌ていることよ。 和 色美しかった桜の花のあとの、むなしい空の春雨とと 古 もに、やるせない寂しさが無限に広がる。 新 小野宮の太政大臣殿が月輪寺で花をご覧になりまし 清原元輔 た日に詠みました歌 0 ほかのだれのために、明日は花を残しておくことがあろ 1 うか。山桜よ。わが君のために、散りこばれて最後の美 しさをお見せ申せ。今日の記念として。 満開の山桜にむかって、今日という日に、豪華な落花 を見せよと言ったのである。格調が高く、太政大臣の 花見の光栄ある場にふさわしい作。 きよくすいえん 中納言家持 曲水の宴を詠んだ歌 もろこし 〔唐土の人が舟を浮べて遊ぶという今日ですぞ。わが友よ。 皆、花かずらを飾って遊んでくださいよ。 中国の詩人たちにならって、曲水の宴の風流を楽しむ 心情が、率直な詠みぶりにはずんでいる。 はななだ 紀貫之が曲水の宴を催しました時、「月花の灘に入 坂上是則 りて暗し」という題を詠みました歌 花を流す瀬をも、その光で見られるはずの三日月が、割 れた形ではい 0 てしま 0 た山の遠いかなたよ。 題の趣を生かしながら、三月三日の「三日月」に「杯」 さかずき をかけて、曲水に流す杯を暗示するなど、曲水の宴に ふさわしい風流ぶり。 つき

5. 完訳日本の古典 第35巻 新古今和歌集(一)

407 巻第八哀傷歌 四 みづぐき三 そで いにしへのなきにながるる水茎は跡こそ袖のうらに寄りけれ 808 一昔の帝。亡くなられた先帝。ニ「亡き に流るる」と「泣きに泣かるる」とをかけ た。「流るる水茎」は、伝わり残っている筆跡 の意で、「水」に涙を暗示している。三筆跡 - 一うとく・一う よ の意に、涙の跡の意をかけた。四「袖の裏」 恒徳公かくれて後、女のもとに、月あかき夜、忍びて と「袖の浦」とをかけた。「袖の裏」は、袖の中。 ふぢはらのみちのぶのあそん まかりて、よみ侍りける 藤原道信朝臣「袖の浦」は、山形県酒田市宮野浦で、歌枕 「袖の裏に寄る」は、涙の跡が筆跡とともに袖 ころもやみ 干しもあへぬ衣の闇にくらされて月ともいはずまどひぬるの中に残る、という意。「流るる」「水」「浦」 「寄り」は縁語。 ためみつ 一藤原為光。作者の父。正暦三年 ( 究一 l) 、刀ナ′ 六月十六日没。ニ月の明るい夜。三ひ そかに訪れていって。四墨染の喪服の闇に、 心も道のあたりも、おのずから暗くなって。 にふだうせっしゃう まんどうゑ 入道摂政のために、万灯会おこなはれ侍りけるに 東三条院「闇」に、喪服の墨染の色を暗示。五月の夜 であるのに。 0 『道信集』の詞書によると、 みなそこちぢ うつ 女を訪れた翌朝に詠んだ歌。 四水底に千々の光は映れども昔の影は見えずぞありける かねいええいそ 一藤原兼家。永祚一一年 ( 究 0 ) 七月一一日没。 ニ多数の灯明を点じ死者の供養をする法 事。三兼家の娘。円融天皇の皇后。四灯明 きんただのあそん みなもとのさねあきらのあそん 公忠朝臣身まかりにけるころ、よみ侍りける 源信明朝臣の数知れぬ光。五生前の父の姿。 うだいペん 一右大弁源公忠。作者の父。天暦一一年 ( 九 まくら ねざ 哭 ) 十月二十八日没。 0 『信明集』には、 Ⅷものをのみ思ふ寝覚めの枕には涙かからぬ暁そなき いみ 詞書・右大弁なくなり給ひて、人々忌にこも りてあるほどに」、第二句「思ふ寝覚めの」。 底本に、第二包・思ねざめの」と書き、「思ひ 寝覚めの」とも読める。 いちでうのゐん 一条院かくれ給ひにければ、その御事をのみ恋ひ嘆き おほんこと 五 あかっき ひがしさんでうのゐん

6. 完訳日本の古典 第35巻 新古今和歌集(一)

雪の朝に、後徳大寺左大臣の所に送ってやった歌 皇太后宮大夫俊成 今日は、ひょっとして、君が訪れてくださるかもしれな 集 いと思って、しみじみ見つめていますけれど、まだ、だ 歌 和れの人跡もない庭の雪であることです。 今 古趣深い雪を共に眺めたくて待っ心が満たされない恨み 新 を暗示した作。「まだ跡もなき」が急所。 後徳大寺左大臣 今はじめて聞くことです。心というものは跡もないもの なのですね。わたしは、雪をかき分けて、思いを送って 贈歌の、恨みを暗示した「まだ跡もなき」を逆用し、 心は雪を分けて訪れているのだが、跡もないものとは はじめて聞くと、とばけた妙味で応じている。 667 題知らず 前大納言公任 白山に年経て降る雪が、今、さらに積っているのであろ うか。夜中に片袖を敷いて独り寝をしている、その袖が 冷えるようだ。 独り寝の寒いわびしさを、年中雪におおわれている白 山に降る雪を想像して、強調した作。 刑部卿範兼 「夜深く雪を聞く」という題を 夜が明けきらない寝覚めの床に聞えてくるようだ。籬の 竹の、雪の重みによる下折れの音が。 題中の「夜深く」を「明けやらぬ寝覚めの床」で、 「雪を聞く」を「籬の竹の雪の下折れ」の音で、それ ぞれ表し、自然に感を生かしている。 へ かたそで

7. 完訳日本の古典 第35巻 新古今和歌集(一)

193 巻第四秋歌上 じゃくれんほふし 題知らず 寂蓮法師 弧寂しさはその色としもなかりけり槙立っ山の秋の夕暮 あは やまぢ / しう をのこども、詩を作りて歌に合せ侍りしに、山路秋 かう さきのだいそうじゃうじゑん 行といふことを 前大僧正慈円 四 みやまぢ 深山路やいつより秋の色ならん見ざりし雲の夕暮の空 さび 一ひやくしゅのうたあはせ 家に百首歌合し侍りけるに もの思はでかかる露やは袖に置くながめてけりな秋の夕暮 一なにもない空。漢語の「虚空」にもとづ 題知らず く。ニ秋の色。三涙。「秋」の縁語。 暮れかかるむなしき空の秋を見ておばえずたまる袖の露 0 藤原俊成は、「後京極自歌合」で、「おばえ ずたまる」というところなど、「まことに袖に 露置き添ふ心地し侍」る作と評した。 0 参考 、刀十 / 「たとへば、秋の夕暮空のけしきは色もなく しくにいかなるゆゑあるべしと 声もなし。、づ も覚えねど、すずろに涙こばるるごとし」 ( 無 名抄鴨長明幽玄体の説明 ) 。 一作者の家で催された「六百番歌合」。建 久四年 ( 一一九三 ) 。題「秋 / タベ」。ニ涙を暗 示。・かかる露やはと侍る心・姿、いみじ くをかしく侍る」 ( 後京極自歌合藤原俊成の まき ゅふぐれ 一廷臣たち。ニ元久二年 ( 一一一 0 五 ) 、後鳥 しいかあわせ 羽院主催の「元久詩歌合」。三山道に、 秋をたどること。四深山の道。五秋らしい 感じの眺め。六紅葉の色が映った雲の遠望 を暗示。 一『寂蓮法師集』によると、「左大臣家十 ひのき 題百首」中の作。ニ常緑の杉や檜の類。 さんせき 0 三六一・三六 = ・三六三の三首は、「三タの歌」とし て名高い

8. 完訳日本の古典 第35巻 新古今和歌集(一)

一後鳥羽院主催の「正治一一年初度百首」。 ニ秋の草花の美しさ。三や竹などで 粗く編んで作った垣根。四草花が、籬でし だいに枯れていくようすをいった。 本歌「鈴虫の声のかぎりを尽くしても長 き夜あかずふる涙かな」 ( 源氏・桐壺靫 だいじゃうてんわう いのみようぶ 秋の歌の中に 太上天皇負命婦の歌 ) 。一後鳥羽院。ニ秋の哀感で もよおす涙を暗示した。 たもと むす ありあ 本歌「有明けのつれなく見えし別れより 4 ・ 秋の露や袂にいたく結ぶらん長き夜あかず宿る月かな 暁ばかり憂きものはなし」 ( 古今・恋三 みぶのただみね 壬生忠岑 ) 。一「月」には、そ知らぬようすを 見せている意で、「秋の夜の空」には、無情に せんごひやくばんのうたあはせ さゑもんのかみみちてる 千五百番歌合に 左衛門督通光も月の光を消しながら明けてくる意ではたら いている。 くれ よ 一建久六年 ( 一一空 ) 正月の「民部卿家歌合」。 さらにまた暮を頼めと明けにけり月はつれなき秋の夜の空 みつふさ 経房は、藤原光房の子。ニ一般に。だ れでも。三「露ーは、涙を暗示。四「有明」の 「有」に、「袖にあり」の「あり」をかけた。 つねふさきゃうのいへのうたあはせげうげつ にでうのゐんのさめき 経房卿家歌合に、暁月の心を 一一条院讃岐・民部卿家歌合」で、藤原俊成は、「心殊に 四 深くも侍るかな」と評した。 ねぎ っゅ そでありあけ -6 本歌「涙川流す寝覚めもあるものを払ふ 歌おほかたに秋の寝覚めの露けくはまたたが袖に有明の月 4 ばかりの露や何なる」 ( 後撰・恋三読人 四 しらず ) 、「抜き乱る人こそあるらし白玉の間 第 巻 なくも散るか袖のせばきに」 ( 古今・雑上在 ごじっしゅのうた ふぢはらのまさつね 五十首歌奉りし時 藤原雅経原業平、伊勢物語八十七 ) 。一建仁元年 ( 一一一 0 ろうにやく 一 ) 、後鳥羽院主催の「老若五十首歌合」の歌。 ニ涙を暗示。 4 はらひかねさこそは露のしげからめ宿るか月の袖のせばきに やくしゅのうた あきのうた 百首歌奉りし時、秋歌に まがき四 ねやっきかげ 秋の色は籬にうとくなりゆけど手枕なるる閨の月影 たまくら よ しよくしないしんわう 式子内親王 ・一と

9. 完訳日本の古典 第35巻 新古今和歌集(一)

寛治八年、関白前太政大臣の高陽院の歌合に、「祝 8 い」の趣を 康資王母 6 万代の年を待っている、松の尾山の木陰がしげく栄えて 集 いるので、その松のようこ、、 。しつまでも不変・不動、み 歌 和栄えあれと君をお祈り申しあげることだ。 「陰茂み」でまとめた上句が、「君」の一族の繁栄をも 古 新 暗示し、下句の、ゆるぎない長久の繁栄を表した「と きはかきはに」をきかせている。 後冷泉院が幼くていらっしやった時、卯杖の松を人 の子にくださった折に、詠みました歌 大弐三位 いっしょに生えた小塩山の小松の原のような、宮様と同 7 じ年ごろの子たちょ。今から、宮様の長久にわたるお陰 を待っていてほしい。 卯杖の松からの発想で、「小松」に、早晩、帝位を継 かやのいん うづえ ね 権中納言通俊 子の日をする野べの小松を、宮中のお庭に移し植えて、 年久しく、わが君はお引きになることであろう。 祝意は、前の経信の作と同様であるが、温雅な抒情で ある。 ぐ皇子と、その帝に仕えるはずの人の子との栄えを巧 みに暗示した、優雅な抒情である。 だいりね 永保四年、内裏の子の日に 大納言経信 子の日をする宮中の小松原よ。その小松にあやかる千年 の栄えを、宮中の外のものと見ようか、見はしない ・一とほ 宮中の子の日の行事にのそみ、天皇の長久を寿いだ作。 「御垣の内の小松原」が新鮮。「外のものとやは見る」 が激しく、格調高い抒情。 みかど

10. 完訳日本の古典 第35巻 新古今和歌集(一)

びようぶ 紀貫之 延喜の御代、屏風の歌 仏に長寿を祈りながら、なおそのうえに、長寿を願う九 月の菊の花よ。いつの年の秋に、植えて見ないことがあ 集ろうか ねんぞう 和 「年三」の「長月」の仏事による長寿の祈りと、「菊」 による長寿の願いとを重ねて、屏風の絵の「九月、 古 新 菊」の題意を満たし、抒情を厚くした。 じゅだい 皇太后宮大夫俊成 文治六年、女御入内の屏風に たお 9 仙人が菊の花を手折る袖にこばれてにおう菊の露を、う ちはらうちょっとの間にも、千年は過ぎてしまうことで あろう。 同じ屏風の絵の諸作によると、絵には山路の菊に人を 配してあったらしい。その絵から本歌の世界を連想し、 本歌の、仙宮を訪れた人自身の心の境を、仙人を眺め る心の境に変え、重厚な声調で、菊の露の香気を生か 721 し、仙境のめでたさにした。 清原元輔 貞信公の家の屏風に 初冬十月の今、紅葉することも知らない常磐木に、永久 にかかっていよ。峰の白雲よ。 屏風の絵は、十月の、松などのある山の峰に白雲がか かっている絵であったらしい。「神無月紅葉も知らぬ」 で、常磐木の不変の姿を強調し、「万代かかれ峰の白 雲」で悠久への祈りをこめた。 伊勢 題知らず 山風は、吹いても吹かないでもかかわりなく、白波の寄 しつまでも変らないことだ。 せる岩根は、、 山下の海辺の絵に詠んだ作であろう。波に動じない岩 根に、永久の栄えを暗示しているが、山風の変化に世 の変動を暗示し、祝意を深くしている。 ときわぎ