権中納言 - みる会図書館


検索対象: 完訳日本の古典 第35巻 新古今和歌集(一)
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1. 完訳日本の古典 第35巻 新古今和歌集(一)

しやくあ 釈阿に、後鳥羽院が九十歳の祝いをお催しください さみだれ びようぶ 摂政太政大臣 ました時、屏風に、「五月雨」 山田に引き渡すしめ縄がずっと延ばしてあって、それが、 集 2 今、すべて朽ちてしまっているのであろうか。五月雨の 和ころで。 五月雨の情景の絵からの想像である。しめ縄の朽ちる 古 新 ほどに五月雨が長く降りつづくというところに、長命 の祝意をこめたのであろう。 伊勢大輔 題知らず 田に働く農夫の着物の裾が、まあ、どれほど濡れている ことであろうか。雲の晴間も見えないころの五月雨の中 田で働く農夫への思いやりの心がしみじみとにじみで ている。 て、 227 大納言経信 三島江の入江の真菰は、雨が降るので、いよいよしおれ て、刈る人もいない。 五月雨の中で一面に傾いている真菰の寂しい眺め。 「いとどしをれて」が、抒情を深くしている。 前中納言匡房 0 五月雨どきで、真菰を刈る淀の沢水は深いが、その水の 底にまで、月の光が澄んで映っていることだ。 もとは秋の月の作であるが、ここでは、「真菰刈る」 で夏の五月雨どきの季節感が生き、五月雨で水の深く なった淀の沢水に美しい月の光を発見した感動を、新 鮮に伝える作になっている。

2. 完訳日本の古典 第35巻 新古今和歌集(一)

表 年 ( 4 ・ 8 ) 永万元一一六五六条 ( 6 ・ 5 ) ( 6 ・ ) 応保元一 ( 9 ・ 4 ) 長寛元一一六三 ( 3 ・四 ) 仁安元一 ( 8 ・ ) 嘉応元一一六九 一一六四 一一七〇 ( 2 ・四 ) 八月十一日、藤原公能没 ( 四十七歳 ) 。 九月十三日、平清盛、権中納言。 五月一一十七日、源雅定没 ( 六十九歳 ) 。六月十八日、四月七日、平清盛、皇太后宮権大夫を兼ねる。 藤原忠実没 ( 八十五歳 ) 。七月一一十八日、藤原実行十月一一十八日、平重盛、右兵衛督。 没 ( 八十三歳 ) 。 ニ月十九日、藤原忠通没 ( 六十八歳 ) 。『田多民治十ニ月十七日、後白河院、平清盛に造営させ 集』。八月二十六日、崇徳院、讃岐で崩 ( 四十六た蓮華王院の供養。 歳 ) 。 四月二十六日、藤原範兼没 ( 五十九歳 ) 。八月二十七月二十八日、二条天皇崩 ( 二十三歳 ) 。八月 三日、藤原親隆没 ( 六十七歳 ) 。『親隆集』。この年十七日、平清盛、権大納言。 のころ、『続詞花集』 ( 藤原清輔撰 ) 『今撰集』 ( 顕 昭 ) が成る。 この年、中宮亮重家朝臣家歌合 ( 藤原俊成判 ) 。平重盛、四月六日、左兵衛督、七月十五日、 「風体は幽玄調」の判詞が見える。 権中納言。十一月十一日、平清盛、内大臣。 十ニ月一日、京都大火。 八月、太皇太后宮亮平経盛朝臣家歌合 ( 藤原清輔平清盛、ニ月十一日、太政大臣、五月十七日、 判 ) 。 辞する。ニ月十一日、平重盛、権大納言。 十月十日、西行、四国へ旅立つ。 ニ月十一日、平清盛出家。ニ月十三日、京都 大火。栄西、四月、渡宋、九月、帰国。十ニ月 十三日、平重盛、病により権大納言を辞する。 六月十七日、後白河院出家。七月、式子内親王、 斎院を辞する。十ニ月十一日、覚性法親王寂 ( 四 十一歳 ) 。『出観集』。 五月二十九日、左衛門督実国卿家歌合 ( 藤原清輔平重盛、四月二十一日、権大納言に更任、十 判 ) 。十月九日、住吉社歌合 ( 藤原俊成判 ) 。同十ニ月三十日、辞する。五月二十五日、藤原秀

3. 完訳日本の古典 第35巻 新古今和歌集(一)

祐子内親王の家の歌合ののち、鹿の歌を詠みました 時に 権大納言長家 過ぎ去っていく秋の思い出の形見として、牡鹿は、自分 集の鳴く声も惜しくないことがあろうか 和 鳴く季節である秋が過ぎ去ろうとしている晩秋の鹿に、 今 秋を惜しむ作者の感情を移入しての作。即興歌だが、 古 新 「惜しくやはあらぬ」の激しい反語表現に、鹿の声の 切迫した悲哀感が響き出ている。 前大僧正慈円 摂政太政大臣の家の百首の歌合に 3 とりわけどうして、田の庵を守るわたしの袖が涙で濡れ ているのであろうか。稲葉だけにかぎって吹く秋の風で あろうか、そうではないのに。 秋風が田守の身に呼び起す格別に深い哀感を詠んだ作。 上句の疑問表現と下句の反語表現とが緊密に呼応し、 重厚な抒情にしている。 題知らず 読人しらず 秋の田を守る仮庵を作 0 て、そこにわたしがいると、袖 が寒い。露が置いたのだ。 かりいお 前中納言匡房 5 秋が来ると、夜明けの風にあたる手が寒いので、山田の - ) なるこ 4 鳴子を、風の鳴らすのにまかせて聞いていることだ。 鳴子を風の鳴らすにまかせて聞くという発想は、風雅 を求めてのものだが、奇抜さだけに終っているうらみ がある。 善滋為政朝臣 さみだれ 6 ほととぎすの鳴いていた夏の五月雨のころに植えた田を、 今、刈り取る時になり、雁の声が寒く聞えて、秋が暮れ てしま , っことだ。 さなえ 夏の早苗植えの情景を回想しながら、稲を刈るわびし い晩秋になった季節の推移の感懐を詠んでいる。発想 は知的で、題材配合の苦心は見えるが、感味は少ない。 原歌は、生活実感の鮮烈な『万葉集』の作であるが、 第一・二句、第四・五句のわずかな変形が、やわらげ て、優雅な歌境に近づけている。

4. 完訳日本の古典 第35巻 新古今和歌集(一)

きんとききゃうのはは だいなごんさねくに 公時卿母身まかりて嘆き侍りけるころ、大納言実国 ごとくだいじのさだいじん が・もとに由・し遣はしける 後徳大寺左大臣 四 の ふるさとね 傷悲しさは秋のさが野のきりぎりすなほ故郷に音をや鳴くらん 八 第 巻 さがへん 母の身まかりにけるを嵯峨の辺にをさめ侍りける夜、 くわうたいごうぐうのだいぶとしなりのむすめ よみ侍りける 皇太后宮大夫俊成女 じゅいちゐみなもとのもろこニ しんせうしゃう 従一位源師子かくれ侍りて、宇治より新少将がもと 一作者の妻。ニ亡くなりまして。三京 としより たいけんもんいん 五 都府宇治市。四源俊頼の娘。待賢門院 ちそくゐんのにふだうさきのくわんばくだいじゃうだいじん ただざね に遣はしける 知足院入道前関白太政大臣に仕えた女房。五藤原忠実。六「上葉の」ま で、「露」にかかる有意の序詞。「上葉」は、上 はギ ) つは・は のほうの葉。セ「露」に、」 印詞の「つゆ ( すこ 袖濡らす萩の上葉の露ばかり昔忘れぬ虫の音そする しも ) 」をかけた。 さがのだいなごんただいへ あらしやま 法輪寺に詣で侍るとて、嵯峨野に大納言忠家が墓の侍 一京都市右京区、嵐山のそばにある寺。 四 真言宗。行基の創建。ニ京都市右京区 ほど ごんちゅうなごんとしただ ただいえ りける程にまかりて、よみ侍りける 権中納言俊忠嵯峨一帯の野。三藤原忠家。作者の父。 六 四あたり。五そうでなくてさえ。昔を思う っゅ あと九 というようなことがなくてさえ。六露つば さらでだに露けきさがの野べに来て昔の跡にしをれぬるかな さが セ「性」と「嵯峨」とをかけた。「性」は、 常のならい。〈昔のことを思わせる跡。父 の生前のことを思わせる墓のあたり。九悲 しみの涙で袖がしおれてしまったことよ。 そでぬ ほふりんじ うぢ -6 一藤原実国の子。ニ藤原実国。三藤原 -8 きねさだ さが 実定。四「性」と「嵯峨」とをかけた。 五こおろぎ。実国を暗示した。六やはり。 セ亡くなった実国の妻の住んでいた所。 ^ 声をたてて鳴いていることであろうか。

5. 完訳日本の古典 第35巻 新古今和歌集(一)

前大僧正慈円 旅の歌として詠みました歌 東国への旅路で、わたしが夜中にしみじみ眺め入 0 てい ることを、都の人に語ってほしい。都の山に落ちかかる 集月の光よ。 和発想の基盤は前の歌と同様。自分の面影を見ている都 今 という。「都の の人に、自分の思いを語ってはしい、 古 新 山にかかる月影」が哀切にしている。 「海浜に夜を重ぬーといった題を詠みました歌 幾夜、月を感深いものと見入ってきたことだろうか。そ のように見入ってきて、今夜もまた、波の寄せかける海 べで、伊勢の浜荻を折り敷いて旅寝をすることよ。 題中の「海浜」を伊勢の海浜とし、本歌の浜荻に月を 配し、旅情のわびしさを優雅にしている。 宜秋門院丹後 百首の歌をさしあげた時 すずかがわ ~ 今まで知らなか 0 た鈴鹿川の多くの瀬の波を舟で分け過 ぎてきて、独り寝のために敷くものは、片袖ならぬ伊勢 946 の浜荻であることよ。 前の歌と同様、伊勢の海浜の旅寝のわびしさ。二首の 本歌により、浜荻を折り敷いての独り寝に、道中の鈴 鹿川の八十瀬の波をくわえ、「知らざりし」「片敷くも のは」の驚きで、新味を生んだ。 前中納言匡房 題知らず 風が寒くて、伊勢の浜荻を分けていくと、衣を借りると いう雁が、波の上で鳴くのが聞える。 本歌の「衣かりがね」を主題にした作。本歌の「夜」 を「風」に変え、「かりがね」を海上のものとし、「伊 勢の浜荻」を配して、感味新鮮な旅情にした。 権中納言定頼 - 一もまくら 磯に慣れないで心もうち解けて寝られない旅寝の菰枕に、 荒くかけてくれるな。水の白波よ。 ちくぶしま 『定頼集』によると、琵琶湖竹生島の旅寝のわびしさ で、題詠的手法の誇張はあるが、実感の重さがある。

6. 完訳日本の古典 第35巻 新古今和歌集(一)

135 巻第三夏歌 ほうみよう 一藤原俊成の法名。ニ九十歳の祝い 建仁三年 ( 一一一 0 三 ) 十一月二十三日に、後鳥 羽院が主催。三屏風に、五月雨の情景の絵 が描かれていて、それに合せて、色紙形の歌 よしつね として詠んだ。四藤原良経。五「小」は美称 の接頭語。六ずっと延ばしてあって。「すべ せのたいふ 題知らず 伊勢大輔て」という意もかけた。セ朽ちてしまってい 五 るのであろうか。 もすそ四 く。もま 6 いかばかり田子の裳裾もそばつらん雲間も見えぬころの五 月雨 226 一『伊勢大輔集』によると、歌合の作で、 題「さみだれ」。ニ田に働く農夫。三着 物の裾。「も」は詠嘆の助詞。四濡れている ことであろうか。五雲の晴間。 よどがわ 一大阪府高槻市、淀川の入り込んだ所。 ニィネ科の多年生の植物。沼や川辺に生 むしろ え、筵に作られる。三いよいよしおれて。 さはみづ 本歌「真菰刈る淀の沢水雨降ればつねよ りことにまさるわが恋」 ( 古今・恋二貫 之 ) 。第三句まで、「つねよりことに」の序詞。 さきのちゅうなごんまさふさ 前中納言匡房一京都市伏見区淀。淀川の北岸。真菰の産地。 ニ月の光。釜・堀河百首」の作。「月」の題で、 よどさはみづ 秋の歌として詠まれたもの。「真菰刈る」は 真菰刈る淀の沢水深けれど底まで月の影は澄みけり 「淀の枕詞だが、ここには、実際に真菰を刈 る五月雨の季節の歌として据えられた。 し だいなごんつねのぶ 大納言経信 みしまえ いりえ ま ) ) も 三島江の入江の真菰雨降ればいとどしをれて刈る人もな をやまだ なは六 さみだれ 」山田に引くしめ縄のうちはヘて朽ちゃしぬらん五月雨の ころ

7. 完訳日本の古典 第35巻 新古今和歌集(一)

( ↓吾一一の注 = 。題は「暮秋」。 = 藤原良 経。三秋をつかさどる女神。四秋も終 るので、別れを告げようとしているこのごろ。 五「時雨」に、秋を惜しむ涙の意を兼ねさせた。 ・六百番歌合」で、藤原俊成は、「今は」を、 「秋を惜しむ心切なるべし」と評した。 せんごひやくばんのうたあはせ ごんちゅうなごんかねむね からにしき 本歌「唐錦枝にひとむら残れるは秋の形 千五百番歌合に 権中納言兼宗 た へんじよう 見を断たぬなるべし」 ( 拾遺・冬遍昭 ) 。 かたみ あす 歌ゆく秋の形見なるべきもみぢ葉も明日は時雨と降りやまが「唐錦、は、唐織の錦で、美しい紅葉をたとえ た。一「降りまがふ」は、区別しにくいよう に降る状態。「降り」に「古り ( ここでは、色の 五はん 巻 あせる意 ) 」をかけた。 0 、・あすを待つもみぢ よろ の色のふりやまがはんと侍るは、宜しく侍る にや」 ( 千五百番歌合藤原定家の評 ) 。 543 一ひやくしゅのうたあはせ せっしゃうだいじゃうだいじん 家に百首歌合し侍りける時 摂政太政大臣 たったひめ四 立田姫今はのころの秋風に時雨をいそぐ人の袖かな 一大阪府三島郡島本町。ニ嵐山。京都 ごんちゅうなごんきんつね 4 ・ さが 市右京区嵯峨にある山。三涙とともに 権中納言公経 散るということ。四そのように。さぞ。 四 ふもと もみぢ葉をさこそ嵐のはらふらめこの山もとも雨と降る = この水無瀬の山の麓でも。六雨のように 降るようだ。紅葉と涙とを暗示している。 ながっき あらし 長月のころ、水無瀬に日ごろ侍りけるに、嵐の山の紅 葉涙にたぐふよし申し遣はして侍りける人の返事に もみぢ 紅葉見にまかりてよみ侍りける みなせ 五 しぐれ かへりごと そで もみ さきのだいなごんきんたふ 前大納言公任 六 545

8. 完訳日本の古典 第35巻 新古今和歌集(一)

寿丞兀年、大嘗会主基方の稲舂歌、「丹波国長田村」 を詠んだ歌 権中納言兼光 やっかほ 神代から、今日のためと、八束穂の豊かに実った穂とな 集 0 て、長田の稲がしないはじめたのであろうか。 和 『日本書紀』に典拠を求め、長田村の新穀の豊かさを、 古神代から、この日のための豊かさであったのかと、賞 新 でたのである。『日本書紀』の記述内容・記述用語に よって、荘重に歌いあげている。 建久九年、大嘗会悠紀の歌、「青羽山」 式部大輔光範 立ち寄ると、涼しいことだ。青羽山の、松を吹くタ風は。 びようぶ 屏風の絵の歌であろう。「松」の一語が暗示している 長久感、その松のタ風の、「水鳥の青羽の山」が高め ている清涼感が、おのずから、新しい曇りない御代を め 迎えた感動を響かせている。 だいじようえすき 同じ大嘗会主基の屏風に、六月、「松井」 権中納言資実 常緑の松井の水をすくう手の雫ごとに、わが君の千年の お栄えが見えることだ。 屏風の絵の山の「松井」の「井」から、本歌によって、 「むすぶ手の雫」を連想し、常磐の松が影をひたして いる井の水の、手から光りつつしたたる無数の雫に、 「千代」の数を感じている。発想に新味があってさわ やか。勅撰和歌集で、賀の歌に大嘗会の歌が重視され はじめたのは『金葉集』からで、特に、『千載集』『新 古今集』の二集になって、賀の歌のしめくくりの位置 に据えられている。時代的変動のきびしさが反映して いると見られる。

9. 完訳日本の古典 第35巻 新古今和歌集(一)

新古今和歌集 178 325 大中臣能宣朝臣 6 しよいよ思いがせつなくて、、いも消え入ってしまうにち かいない。夜明けがたの七夕の別れの袖に、白露が置き、 涙も乱れて。 天の川の岸に立ちつくし、別れを嘆く織女星の姿を思 い描いての作。袖にきらめく白露と涙とが「いとどし く思ひ消ぬべし」の推量を自然にした。 女御徽子女王 まれに七夕の寄り合う天の川は、川波の寄る夜のままで、 明ける空にはまかせないでおきたいものだ。 ほしあい 天の川の星合のいとなみを、いつまでもそのままにし ておいてやりたいという思いやりを、自在な才気で詠 みあげている。 327 びようぶ 紀貫之 中納言兼輔の家の屏風に 七夕は、今、いよいよ別れるのであろうか。天の川には 川霧が立って、千鳥の鳴いているのが聞える。 絵は、夜明けがたの川霧の立った天の川の絵か。川霧 の中から聞える千鳥の声が、おのずから、織女星の忍 び泣きを思わせる。流麗な作である。 堀河院の御代、百首の歌の中に、「萩」を詠みまし 前中納言匡房 た歌 しがらみ 日水に、鹿の作った柵をかけてあることだ。浮いて流れ 3 ないでいる秋萩の花よ。 本歌から発想の手がかりを得て、川水に浮いている秋 萩の花を、鹿の柵だと興じたのである。

10. 完訳日本の古典 第35巻 新古今和歌集(一)

もろこ 従一位源師子が亡くなりまして、宇治から新少将の もとに詠み贈りました歌知足院入道前関白太政大臣 こばれかかって袖を濡らす萩の上葉のはかない露に涙を 集 もよおしている時、露ばかりも昔を忘れない虫の音が聞 歌 和えることだ。 今 古袖を濡らす萩の上葉の露の哀感を、妻の生前とすこし 新 も変らない虫の音が、し ) っそうせつなくしたというの であろう。声調のなだらかさが情味を浅くした感があ る。 法輪寺に参拝に行くというので、嵯峨野で大納言忠 家の墓のありましたあたりに行きまして、詠みまし 権中納言俊忠 た歌 そうでなくてさえ、露つばいのが常のならいの嵯峨の野 7 べに来て、父の生前のことを思わせる墓のあたりで、悲 力、 786 しみの涙で袖もしおれてしまったことよ。 「露けきさがの野べ」は、涙つばい感をともない、「昔 の跡にしをれぬる」が当然の感を呼んで、しっとりと した悲しみの抒情にしている。 公時卿の母が亡くなって悲しんでいましたころ、大 納言実国のもとに申し贈りました歌後徳大寺左大臣 悲しいのは秋のならいで、嵯峨野のきりぎりすは、やは り、故郷に、悲しい声をたてて鳴いていることでしよう 秋の嵯峨野に鳴くきりぎりすの想像が、亡き妻の故郷 の家で嘆き暮す実国の面影につながって、情味が深い