世の中が無常で、人々が多く亡くなりましたころ、 中将宣方朝臣が亡くなって、十月ごろ、白川の家に 行っていました時に、紅葉の一葉が残っているのを 前大納言公任 見まして 歌 和。今日来なかったならば、この一葉の紅葉を見ないでしま 今。 古 8 ったことであろうか。山里の紅葉も、人も、無常で、た 新 ちまち失せていく世であるのだから。 無常の現実に直接した実感が生きている。その重さが、 亡き人のわずかな形見の「紅葉の一葉」を見た感慨を 異常にしている。 十月ごろ、水無瀬にいましたころ、前大僧正慈円の もとへ、歌で、「濡れて時雨の」などと申し贈って、 次の年の十月に、無常の歌をたくさん詠んで贈りま した中に 太上天皇 1 亡き人を思い出す折に、折って焚く柴のタ煙よ。そのタ 煙にむせぶことも、火葬の煙にむせび泣いたことが思い 出されてうれしい。亡き人が忘れがたいので、そのタ煙を 形見として。 みなせ た 哀傷歌の主観表白の型を破った「むせぶもうれし」か ら、亡き更衣への切々とした思慕の情感が広がる。真 実の急所に触れているからだろう。 前大僧正慈円 亡き人を思い出された折に、折って焚かれた柴だとうか がいますので、そのタ煙は、ほかに類が知られないタ煙 だと思 , っことでご、います。 贈歌の、「むせぶもうれし」と詠んだ「折り焚く柴の タ煙ーの急所を突きとめている返歌。 太上天皇 「雨中の無常」という題を 亡き人の形見の雲がし 0 とりと沈んでいることであろう か。夕暮の雨で色は見えないけれど。 題意を、タベの雨中に見る無常の情景とし、その無常 を、亡き人の火葬の煙の形見としての雲で表している。 本歌の『源氏物語』の歌の境を、タベの雨中の境に転 じ、形見の雲の沈んだようすの想像に、亡き人への深 し愛情をこめた。
八条院高倉 秋の歌として詠んだ歌 神南備の三室山の梢は、紅葉がどんなに美しいことであ 5 ろうか。普通のすべての山も、時雨の降るこのごろよ。 集紅葉は時雨がさせるものとされ、神南備の三室山は紅 和葉の特に美しい所とされていた。そういう通念を、本 古歌をはたらかせ、巧みに生かしている。 新 ふすま 最勝四天王院の襖に、鈴鹿川を描いてある所 太上天皇 6 鈴鹿川の、深く重なり流れている木の葉を眺めながら、 5 幾日も過してきて、今、山田の原の、その木の葉を打っ て散らしたあとの時雨の音を聞くことだ。 鈴鹿川では幾日も、深く重なり流れる紅葉を見たが、 山田の原には、その紅葉を散らした時雨だけが残って いた、という趣である。さびた味がある。 入道前関白太政大臣の家で百首の歌を詠みました時 皇太后宮大夫俊成 に、「紅葉」を 紅葉は自分の心からしているのであろうか。立田山よ。 松は時雨に濡れないものであろうか。 同じ時雨に濡れても平然としている趣の松をまじえ、 美しく色を変えていく紅葉に心を感じたのである。そ の情感を高い格調で生かし、優艶である。 藤原輔尹朝臣 大堰川に行って紅葉を見ました時に 8 心酉することもなくて見るであろうに。紅葉を吹き荒ら ふもと 5 す「嵐」の名の嵐山の麓でなかったならば。 嵐山の紅葉への深い愛情を、吹き荒らす「嵐」の名を はたらかせた知的即興で詠んだ作。
源重之 題知らず ゃなせ 3 名取川の簗瀬の波の騒いでいるのが聞えることだ。今、 紅葉が、いよいよ寄って、流れを堰きとめているのであ 集ろうか 和簗瀬にざわめく波の音で、紅葉が流れを堰きとめてい 今 る情景が想像される、というので、嵐の激しさをも暗 古 新 示し、発想が珍しく、無気味な趣がある。 てんじようびと 後冷泉院の御代、殿上人たちが、大堰川に行って、 「紅葉水に浮く」といった趣を詠みました時に 藤原資宗朝臣 筏士よ。待てよ。尋ねよう。川上では、どれほど激しく 吹いている山の嵐であるのか。 筏士に川上の山の嵐の模様を問いかけるだけで、流れ る紅葉のおびただしさを暗示し、題意を生かした。嵐 に重みがある。 いかだし せ 大納言経信 散りかかる紅葉が流れないでいる大川よ。どれが井堰 の水の柵なのであろう。 本歌の趣を余情にし、美しい紅葉が、井堰の柵もわか らないほどに流れを埋めつくした大堰川の実景を、新 鮮に描写している。 大堰川に行って、「落葉水に満つ」といった趣を詠 みました歌 藤原家経朝臣 6 高瀬舟が進みしぶるほどに、紅葉が水面に満ちて、流れ 5 下る大堰川であることよ。 眼前を漕ぎのばる高瀬舟の「しぶくばかりに」によっ て、水面を美しく埋めて流れ下る紅葉を暗示し、題意 を新鮮に生かしている。
西行法師 題知らず 松の木にからまって伸びているまさの葉かずらが、散っ てしまったことだ。外山の秋は風が吹き荒れているので 集あろう。 まさき 和外山を訪れ、松の正木のかずらの葉の散りつくしたあ 今 とを見て、秋風の荒さを想像したのである。実感の響 古 新 き出ている作。 法性寺入道前関白太政大臣の家の歌合に前参議親隆 かたの 鶉の鳴いている交野に立っている櫨紅葉が散ってしまい そうなほどに、秋風が吹くことだ。 鶉の声が趣を添える交野で、色あざやかな櫨紅葉が激 しい秋風にもまれている情景。第四句が感味を強め、 「櫨紅葉」は新鮮。 一一条院讃岐 百首の歌をさしあげた時 散りかかる紅葉の色は深いが、渡ると、流れが浅いので、 5 濁る山川の水よ。 539 541 山川の真紅の紅葉を手にしたいのに、水を濁すのでた めらわれる、という心だが、紅葉の色の深さと流れの 浅さとを対照させて興趣を添えている。 柿本人麿 題知らず 飛鳥川に紅葉が流れている。葛城山の秋風が吹いたらし 飛鳥川を流れる紅葉から、その紅葉を吹き散らした葛 城山の秋風を想像した。原歌の響きを残してはいるが、 下句の変化で、優雅な美感を生んでいる。 権中納言長方 くれない 飛鳥川の瀬ごとに、波となって寄る紅よ。葛城山の木枯 しの風のしわざなのであろうか。 本歌の「もみぢ葉」を「くれなゐ」で暗示、「秋風」 を「木枯しの風」に変えて、「瀬々」の「波」をくわ しよう * ) っ えた。瀬々にざわめく紅の波と、蕭殺とした木枯しと の呼応に、無気味な妖艶さがある。
九月のころ、水無瀬に幾日か過しておりました時に、 嵐山の紅葉が涙とともに散るということを申してよ こしました人への返事の歌に 権中納言公経 集 3 さそ、嵐山の嵐が、紅葉を吹きはらって、あなたの涙と 歌 ふもと 和 5 ともに散らしていることでしよう。水無瀬のこの山の麓 今 古でも、紅葉とわたしの涙とが雨のように降るようです。 新 上句で、相手の嵐山の麓での哀感深い情景を思いやり、 下句で、作者の水無瀬の山の麓での共感を、同様の情 景で表現して、巧みである。 家で百首の歌合をしました時 摂政太政大臣 立田姫が、つかさどる秋も終るので、別れを告げようと しぐれ しているこのごろの秋風に、時雨とともに、涙に濡れる のを急いでいる、人の袖であることよ。 人は、暮秋の寂しい秋風にせきたてられるように迎え る冬の時雨を思い、秋を惜しむ涙で袖を濡らしている、 というのである。立田姫の面影が、「時雨をいそぐ人」 と交感して哀艶である。 千五百番の歌合に 権中納言兼宗 去 0 ていく秋の形見であるはずの紅葉も、明日は色もあ せ、時雨と一つになって降り乱れることであろうか 枝に残る美しい紅葉を秋の形見と見るのは、本歌にも とづく。その紅葉が、明日にも時雨にまぎれて散るの を惜しんでいる。温雅で細やかな味がある。 こま
曾禰好忠 題知らず ははそはら 9 夕日のさす佐保山のほとりの柞原では、空が曇らないで 降る雨のように、木の葉が降りつづけるよ。 集 下句の奇抜さを、上句の明るいさわやかさが安定させ、 歌 和感味のあるものにしている。巧妙である。 今 古 新 宮内卿 百首の歌をさしあげた時 。立田山よ。紅葉を吹き散らす嵐が峰で吹き弱っているの 5 であろうか。渡りもしない立田川の水も、紅葉の錦が中 断したことだ。 本歌の「わたらば錦なかや絶えなむ」を「渡らぬ水も 錦絶えけり」と転じ、「嵐や峰に弱るらん」の想像を くわえ、理を複雑に交錯させた妙味に、作者の豊かな 想像力と才気が躍如としている。 左大将でありました時、家で百首の歌合をしました 摂政太政大臣 折に「柞」を詠みました歌 柞原は、柞の露の雫も、柞の葉とともに、色が変ってい るのだろうか。漏れる露の雫に濡れる柞の森の下草が、 秋の深まった色になったことだ。 柞のあざやかな紅葉の色。それを映した露の色。その 露に濡れて枯れていく下草の色。そのすべてが暗示で、 微妙をきわめている。 533 藤原定家朝臣 季節を区別しない波までも、色に秋の色があらわれてい る泉川よ。川上の柞の森に嵐が吹いているらしい 秋のない波にまで秋の色が見えるので、嵐が柞の森の 紅葉を散らす情景を想像される、というのである。巧 緻をきわめている。 ふすま 襖の絵に、荒れた宿に紅葉の散り敷いた所が描いて 俊頼朝臣 あるのを詠んだ歌 うずま 故郷は散った紅葉に埋って、軒に生えている忍草に秋風 が吹いていることだ。 画面を、作者の故郷と見ての作。庭を埋めた紅葉、そ れを吹き落した秋風が、軒の忍草をむなしく吹く。懐 旧のやるせない寂しさが漂う幽玄な歌境。 ・一う
曾禰好忠 題知らず 露霜の置く夜中に起きていて、冬の夜の月を見ているう ちに、涙で濡れた袖は凍ってしまった。 集庭に露霜の結ぶ情景の想像が、しんしんと更ける冬の 和夜の、袖に哀感の涙の凍る感を、自然にしている。 古 新 前大僧正慈円 2 紅葉の色は、自分が染めた色であるのだよ。それなのに、 自分の知ったことではないといったようすで置いている、 今朝の霜であることよ。 霜の染めた美しい紅葉が庭に散り敷き、その上に今朝 は、染めた霜自身が冷たく置いている。その霜を「よ そげに置ける」と興じた風狂歌。 西行法師 小倉山では、麓の里に木の葉が散ってくると、峰の梢に、 晴れて明るい月を見ることよ。 ふもと 小倉山の麓の里には紅葉が散ってくる、峰には月が澄 んでくる、その情景が生動している。 藤原雅経 五十首の歌をさしあげた時 4 木枯しの風は、世の秋の紅葉の色をすっかり吹きはらっ て、今、月の桂に吹いているのであろうか 木枯しの中で、今、天心の月だけが、秋の色を残して 美しく輝いている。その月に、木枯しに吹かれる桂の 紅葉を想像した、凄艶な歌境。 式子内親王 題知らず 風が寒く吹くので、木の葉が散 0 て陰がなくな 0 ていく 夜ごとに、照らし残るすみもない、庭の月の光よ。 夜ごとに、木枯しの中で枝の紅葉が散り、冴えまさる 月の光が庭を占めていく情景の写生で、繊細な感覚が、 前の歌とは異なる凄艶味を生んでいる。 せいえん
俊恵法師 題知らず ふもと 吉野の山が曇って雪が降ると、麓の里は、しきりに時雨 が降ることだ。 集客観的詠風で、一見、淡白であるが、古京吉野の山に 和降る雪と、里に降る時雨との立体的把握による、初冬 の自然の姿が、幽玄味を生んでいる。 古 新 入道左大臣 百首の歌をさしあげた時 槙の屋に降る時雨の音が、変って聞えることよ。屋根に、 紅葉が深く散り積っているのだろうか。 槙の屋にそそぐ時雨の音が低く変っていた。その原因 を、屋根を深くおおった紅葉かと想像したのである。 繊細な感覚が生き、寂しく優艶である。 ゅうえん 一一条院讃岐 千五百番の歌合に、冬の歌 世に生きていることは苦しいものであるのに、なんの苦 5 しみもなく、さらさらと降り過ぎる初時雨であることよ。 世に生きる重苦しさと初時雨の軽やかさとの対照は、 才気による趣向であるが、感味を生んでいる。 源信明朝臣 題知らず 1 の明るい有明の月の光のもとで、紅葉を吹きおろす山 9- おろし 5 颪の風よ。 びようぶ 屏風の絵の、紅葉の散り敷いた情景から、その紅葉が 激しい山颪に吹き散らされている有明の情景を想像し た作。一気に詠みくだした声調の中で、情景が幽艶に 生動している。 やま
式子内親王 百首の歌をさしあげた時、秋の歌 0 桐の落葉も、踏み分けにくいほどに深く積ってしまった ことだ。きっと来るにちがいないと思って、人を待って 集いるというのではないのだけれど。 和桐の葉をとらえたのは漢詩により、発想の原形は本歌 今 にある。桐の落葉が道を埋めた情景と、思いの機微と 古 新 の交感に、孤独な作者の心が深々と生き、香気がある。 曾禰好忠 題知らず 人はだれも訪れず、風で木の葉は散 0 てしま 0 て、夜ご とに、虫は声が弱っていくようだ。 晩秋のわびしさを、人と木の葉と虫との状態で具体化 した作。素朴な詠風が珍しさを感じさせる。 守覚法親王の五十首の歌を詠みました時に 春宮権大夫公継 ときわぎ 紅葉の色のままに、紅葉しない常磐木も、風で色が変る 秋の山であることよ。 本歌の知的趣向を、常磐木の色も、風で紅葉の色のま まに変るという、感覚美の世界に高めている。 藤原家隆朝臣 千五百番の歌合に もるやま しぐれ 露も時雨も漏れる守山の、山陰の下葉の紅葉よ。濡れる とも折り取ろう。秋の形見として。 美に生きる作者の、秋の哀艶な情趣への愛惜の情が、 本歌にもとづく守山の「下紅葉」への愛惜の情に集中 した、といった趣の歌境である。
藤原雅経 「空を移 0 ていく雲の中に、嵐の声のするのが聞える。正 木のかずらが散るのか、葛城の山で。 集 空をあわただしく移る雲の中に聞える嵐の声に、運ば 歌 和 れる葛城山の正木のかずらの葉を想像した。緊張した 声調が、その壮大さを生かしている。 古 新 563 七条院大納言 しのぶやま 初時雨がひそかに降 0 て、信夫山の紅葉を嵐が吹き散ら すようにとは、染めなかったのであろうに。 信夫山の紅葉を嵐が無残に吹き散らす情景で、初々し い初時雨がひそかに心をこめて染めた紅葉と見ての発 想に情味がこもり、優艶である。 信濃 時雨が降り降りし涙がこばれこばれして、袖も乾かしき れない。山の木の葉に嵐の吹くころよ。 藤原秀能 〉山里の風が寂しく吹き荒れるタ暮に、木の葉が散り乱れ て、もの悲しいことだ。 前歌と同様の哀感を詠んだ作。一見、古体であるが、 「木の葉乱れて」に心の乱れをも暗示して、新しい 祝部成茂 5 冬が来て、山も地肌がはっきりと見えるまでに木の葉が 散り、散らないで残っている松までも、峰に寂しく見え ることだ。 全山、紅葉が散りつくし、地肌もあらわになった中に 残る峰の松。そこに見た寂しさである。簡素な表現に こたん 実感が生き、枯淡な画趣がある。 嵐が山の紅葉を吹き散らす哀感を詠んだ作。「しぐれ つつ」が微妙にはたらき、無理のない抒情が、優雅に している。