作 - みる会図書館


検索対象: 完訳日本の古典 第36巻 新古今和歌集(二)
568件見つかりました。

1. 完訳日本の古典 第36巻 新古今和歌集(二)

そむ 0 『拾玉集』の、建久五年 ( 一一九四 ) 、中秋の ひとかたに思ひ取りにし、いにはなほ背かるる身をいかにせん 「詠百首和歌」の作。題「述懐」。一いち ずに世をのがれようと思い込んでしまった心。 ニおのずから背いて、世に執着する身、の意。 じちんかしよう 一吉五の作と なにゆゑにこの世を深くいとふぞと人の問へかしやすく答この作、「慈鎮和尚自歌合」に、 番えられ、藤原俊成は、「両首の述懐の心は、 ともに深く侍れど」と評し、一七四五の作を、「勝る べくや侍らむ」と判定。 0 前歌と同じ「詠百首和歌」の作。題「述 懐」。 0 この作、「慈鎮和尚自歌合」に八三 のちょ = の作と番えられ、藤原俊成は、「左右の述懐、 思ふべきわが後の世はあるかなきかなければこそはこの世に またをかしくは見え侍れども」と評し、会一一の 作を、「末句、勝ると申すべし」と判定。 は住め ぞう や前歌とは別の「詠百首和歌」の雑の作。 一思い慕うことのできる自分の死後の世。 さいぎゃうほふし 西行法師「後の世」は、来世、また、後生ともいう。 、慈鎮和尚自歌合」で、藤原俊成は、「深く」 おも とどお 世をいとふ名をだにもさは留め置きて数ならぬ身の思ひ出で見える作と評した。 下 歌 一世をきらって出家した者という評判。 雑にせん ニそれでは。三人の数にはいらない、 八 十 つまらない身。 第 巻 ◆『山家集』の「五首述懐」の中の作。 0 参考「身の憂さを思ひ知らでややみな まし逢ひ見ぬさきのつらさなりせば」 ( 千載・ しようけん 恋四法印静賢 ) 。 1825 1827 1828 29 そむなら 身の憂さを思ひ知らでややみなまし背く習ひのなき世なりせ 1827 つが

2. 完訳日本の古典 第36巻 新古今和歌集(二)

後鳥羽院主催の正治二年初度百首の春の部の作。袖の上 く結びついているのであって、『新古今集』では、特に想 に、梅の花が移すにおいと、荒れた軒から漏れて懐旧の涙 像力の高揚が見のがせないであろう。わかりやすい例とし ほんかど て、『新古今』時代に盛んであった本歌取りの技巧の作をの玉に映る月の光とが争うようにしているという感覚のき 取りあげてみよう。本歌取りの技巧の作は、想像力の異常いた想像であるが、ここには、さらに、『伊勢物語』四段 おおきさいのみや な高揚によってはじめてすぐれた創造性を発揮することがの、東の五条の大后宮の邸の西の対の屋に住んでいた女と できるという性格のものだからである。その典型的なあり親しくしていた男が、ある年の正月に女が身を隠してしま 方を藤原定家の作が示している。 ったので、翌年の正月、梅の花盛りに、もとの場所に行き、 いたじき しろたへそで 荒れた板敷に月が傾くまで伏して、懐旧の涙に濡れながら、 白妙の袖の別れに露落ちて身にしむ色の秋風ぞ吹く ( 恋五一三三六藤原定家 ) 「月ゃあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身に みなせどの して」と詠んだ、という物語の世界が重なるようにしてあ 「水無瀬殿恋十五首歌合」の作で、題は、「寄レ風恋」。 題の中の「風」を秋風として、二首の本歌を取り、本歌のり、微妙を極めた歌境を創造している。本歌取りの技巧を さらに深めた、藤原定家ならではの作と言えるであろう。 「白妙の袖の別れは惜しけども思ひ乱れて許しつるかも」 このような想像力の高揚した『新古今集』では、感覚は ( 『万葉集』、作者未詳 ) から上句を導き、本歌の「吹き来れ ば身にもしみける秋風を色なきものと思ひけるかな」 ( 『古沈潜して、作の主体と客体とがまったく一如となり、陰影 今六帖』、紀友則 ) から下句を導いており、その二首の本歌が深く豊かで、無限の余韻を広がらせる作も見られる。 はなふるさと のイメージを重ねて、暁に別れて去ってゆく男の、やがて 吉野山花の故郷跡絶えてむなしき枝に春風そ吹く ( 春下一四セ藤原良経 ) の飽き心を思う悲しみの袖にふりかかる紅涙と、秋風の吹 こんぜん ようえん き落す庭前の露とを感覚的に渾然とさせた、妖艶な、女心 「六百番歌合」の作で、題は、「残春」。「故郷」は、古京 ( 旧都 ) で、昔、吉野には離宮があったのでそう言ったの の歌境を創造している。 梅の花にほひをうっす袖の上に軒漏る月の影ぞあらそである。その「故郷」の「ふる」に「花の降る」の「降 ( 春上四四藤原定家 ) る」をかけ、「花の故郷」で、桜の花の散ってしまった古 っゅ のきも スルニ たい

3. 完訳日本の古典 第36巻 新古今和歌集(二)

中納言家持に詠み贈った歌 山口女王 蘆の生えている岸べから満ちてくる潮のように、いし よ思うのか、あなたが忘れられないでいます。 集第四句が、原歌の語格の緊張をゆるめてはいるが、ひ 和 たひたと高まる恋情を鮮烈に生動させている序詞は、 今 いかにも『万葉集』の作らしい 古 新 8 火の絶えない塩竈の前の波に浮いている浮島ではないの ですが、心が落ち着かないで、思いという火の絶えない でいる、あなたとの仲であることです。 不安な恋情にいる心を訴えた作。『古今集』に下句の まったく同じ作があり、声調軽快であるが、この作は 「浮き」のくり返しにもかかわらず重い 題知らず 赤染衛門 どのように寝て、あなたと逢った夢が見えたのでしよう か。うたた寝に見えたあの夢からのちは、ずっと、もの 1379 1377 あし しおがま 参議篁 。心がうち解けて寝もしないのに、恋い慕う女の夢を見て、 1 もの思いのくわわるこのごろであることよ。 恋情の苦しさでうち解けられないうたた寝に、女に逢 えた夢を見て、もの思いがさらにまさったというので ある。直叙的詠嘆に実感の迫力がある。 思いをしていることです。 第一・二句、本歌によっている。家集によると、男か ら冷淡にあしらわれ、男と過した一夜を夢と恨む心を 訴えた作だが、本歌と同様、夢のあとの嘆きとして味 わいたい抒情である。

4. 完訳日本の古典 第36巻 新古今和歌集(二)

校訂付記 歌一、上段は本書に採用した校訂本文、下段は底本の本文を示す。 大久保正氏校訂、古典文庫刊、昭和三十三年、久松潜一氏・山崎 敏夫氏・後藤重郎氏校訂日本古典文学大系、岩波書店刊略号・ : 今一、校訂は、国歌大観所収流布本 ( 略号・ : 国 ) 、八代集抄本 ( 略号・ : 古抄 ) 、柳瀬福市氏旧蔵本 ( 昭和一一年、武田祐吉氏校訂、岡書院刊 小 ) の範囲で施し、また、出典関係文献をも援用した。 略号・ : 柳 ) 、宮内庁書陵部蔵烏丸光栄書写本 ( 昭和三年、藤村作氏一、上の数字は歌番号を示し、「詞」は詞書、「作」は作者の略号で ある。 校訂、至文堂刊略号・ : 烏 ) 、小宮堅次郎氏蔵本 ( 昭和一一十四年、 大臣 一七七四作大僧都覚弁 ( 柳・烏・小 ) ー大僧正覚 巻十一 一五詞法成寺入道前太政大臣 ( 国・抄・柳・ 弁 歌番号 烏・小 ) ー法性寺入道前太政大臣 一大 = 作ナシ ( 前大僧正慈円 ) ( 小・慈鎮和尚 一 0 夭詞女房を ( 国・抄・柳・烏・小 ) ー女を 一契六作法成寺入道前摂政太政大臣 ( 国・ 自歌合 ) ー八条院高倉 一 0 作法成寺入道前摂政太政大臣 ( 烏・小 ) 抄・柳・烏・小 ) ー法性寺入道前摂政太政一七突詞定基朝臣の ( 国・抄・柳・烏・小 ) ー ー法性寺入道前摂政太政大臣 大臣 実方朝臣の 一会 0 世をも捨てて ( 国・柳・烏・ ・西行法 巻十四 巻十七 師家集 ) ー世をも捨て せみまる せみまろ 一三 = 0 森の下露 ( 国・抄・柳・烏 ) ー杜の白露一夭六作河島皇子 ( 国・抄・柳・烏・小 ) ー河一会 0 作蝉丸 ( 国・抄・柳・烏・小 ) ー蝉麿 島王子 * 川島皇子 ( 万葉集 ) 巻十六 巻十九 一六 0 九作家隆朝臣 ( 国・抄・柳・烏・ 一四四九詞題知らず ( 国・抄・柳・烏・小 ) ー贈不 集 ) ー藤原家経朝臣 一八会作中納言資仲 ( 国・抄・柳・烏・小 ) ー 知 一六合詞題知らず ( 抄・烏・柳〈朱書〉 ) ーナシ 中納言資平 一四六五詞のがれて ( 国・抄・柳・烏・小 ) ーのが 巻十八 巻ニ十 れきて 一哭一作法成寺入道前摂政太政大臣 ( 国・ 一七五四うち絶えて ( 国・抄・柳・烏 ) ーうちた一突 ^ 詞よみ侍りける、時に ( 抄・柳・小 ) ー 抄・柳・烏・小 ) ー法性寺入道前摂政太政 〈耐〉へて よみ侍りける時

5. 完訳日本の古典 第36巻 新古今和歌集(二)

熊野へ参詣して、大峰へはいろうとして、年来養育 してくれました乳母のもとに詠み贈りました歌 大僧正行尊 集 3 わたしをかわいいと思って養育してくださった昔は、世 和 1 を捨てて出家せよとも、お思いにならなかったことでし 今 ・古よ , つ。 新 大峰でのきびしい修行にはいろうとして、愛情深く養 育してくれた乳母の心情を思っての作。発想の原形は 遍昭の作にあるが、詠風は率直で、作者独自の感味が ある。 百首の歌をさしあげた時 土御門内大臣 4 わたしは、位階を、祖先の足跡をたどってのばったけれ 1 ど、子の昇進を思って、やはり、心が乱れてしまうこと 自身は父祖を継ぎ大臣にまでなったが、子の将来は心 配されるというのである。本歌のはたらかせ方、「位 山」のたとえ方など、巧みである。 へんじよう さんけい ねんらい 百首の歌を詠みました時に、「懐旧」の歌 皇太后宮大夫俊成 5 若かった昔でも昔の人だと思った亡き親が、老いた今も 1 やはり恋い慕われるのは、はかないことだ。 作者は、十歳のとき父に、二十六歳のとき母に死別し た。この歌は七十七歳のときの作である。老境にはい ってつのる亡き親への思慕。それは、はかない命の悲 がく しみの原点であろう。その永遠の真実を透視して、愕 然とさせる玄妙な作である。 述懐の百首の歌を詠みました時に 俊頼朝臣 6 このように、たいそう恵まれないままで過した身の運を 1 思うと、夢のような気分になることだ。 題の「夢」を、官界に不運のままで過した嘆きで満た した作。「ささがにのいと」が、はかない「夢の心地」 の感味を新鮮にしている。

6. 完訳日本の古典 第36巻 新古今和歌集(二)

右衛門督通具 約束しましたか。心の満ちたりない別れに、庭に露が置 き、袖に涙が置いた、あの暁だけが形見であれとは。 集女の心での作。遠く過ぎた一夜の逢いの、別れの悲し じ・ - 画う・ 和 かった暁がいつまでも忘れられない心からの恨み。情 み 古味が深く、哀艶である。 新 1301 寂蓮法師 2 恨み悩んで、今はもう待つまいと思っている身なのだけ 1 れど、待ち慣れてしまった、この夕暮の空よ。 女の心での作。恨みの苦しさで、あきらめきろうとす るが、夕暮にはおのずから待たれて、空を見入る。そ ういう身をいとおしんでいる。哀艶である。 宜秋門院丹後 3 あの人の忘れまいと言った言葉はどのようになってしま ったのであろうか。約束してあてにさせたタ暮は、ただ 秋の風が吹くばかりであることだ。 あいえん 1304 1305 女の心での作。「言の葉」と「葉」、「秋風」と「飽き」 の掛詞で、男の言葉のむなしさを響かせた技法は、巧 みである。 摂政太政大臣 家で百首の歌合をしました時に 待っ思いの苦しさに耐えかねて寝る宵もきっとあろう。 吹き弱るようにだけでもしてくれ。庭の松風よ。 毎夜、男を待ち悩む女の心での作。松風が期待させる ので寝られない、寝られたら夢の中で逢えるかもしれ ないのに、という思いで、松風に訴えている。哀艶で ある。 有家朝臣 すそ そうでなくてさえ恨もうと思うわぎも子の衣の裾に、秋 風が吹いて裏を見せ、飽き心を見せることだ。 女が薄情で恨めしいのに、「飽き心」を聞せる「秋風」 で、いよいよ恨めしくなった男の心での作。言葉の技 法に妙味がある。

7. 完訳日本の古典 第36巻 新古今和歌集(二)

摂政太政大臣 題知らず 8 思い出して、夜ごとに、月にあの人のことを尋ねなかっ にたならば、「待っていなさい」と約束してくれた仲が絶 集えてしまうことであろうか 和 男との仲を不安に思う女の心での作。頼りになりそう なものは、互いに相手を思い出すよすがとなる月しか 古 新 ない女の心が、哀感を誘う。 法眼宗円 あらし 0 逢った夜のままで、庭の松の嵐の音も、待つわたしの心 1 とともに変らないのに、あの人は、わたしを忘れてしま ったのであろうか、訪れてくれないで、更けた夜の月よ。 藤原家隆朝臣 9 忘れるなよ。今は心が変っても、慣れ親しんで共に過し にた、その夜の有明の月を。 男への愛着を捨てきれない女の心での作。有明の月の 記憶でだけでもつながっていてほしい、と願う未練が いじらしい みれん 藤原秀能 人は薄情なことだ。あてにさせない月はまためぐってき よ - もギ一う て、昔を忘れないで照らす、蓬生の宿よ。 女の心での作。約束しながら久しく訪れず、家を荒れ させている男への恨みが、月の哀感を深めている。才 気が見える。 八月十五夜に、和歌所で「月前の恋」という題を 摂政太政大臣 2 たまたま来るといったので待っていたその夜も、更けて 1 しまったことだ。そのように約束したか、約束しなかっ たはずだ。もう山の端に傾いている月よ。 うわき 約束を果さない浮気な男を恨む女の心での作。第四句 ようえんみ の激しさが妖艶味を生んでいる。 1281 薄情な男を恨む女の心での作。待っ思いをかきたてて いる庭の松の嵐の音と、むなしく更けた夜の空の月の ゅうえん 光との対照が、幽艶の趣を生んでいる。

8. 完訳日本の古典 第36巻 新古今和歌集(二)

増賀上人 うきふね 4 どうしよう。身が苦しく、浮舟のようなその身に背負っ 1 ている罪の荷が重いので、最後に行き着く所はどこなの 集であろうか ぜんせ 和 仏道修行者として生きた作者が、前世からの罪の重さ に救われがたいことを痛感しての作。「うき舟」が、 古 新 作者の身の深切な漂泊感を響かせる。 人丸 あしがも 5 葦鴨が騒いでいる入江である水の江は澄みにくいが、そ 、わた のように、、いが澄んで世に住むことのできにくい しの身であることだ。 すま 世の中に、心を澄せて住むことのむずかしさを嘆じた じよじよう 作。序詞が抒情を新鮮にしている。『柿本集』にある 歌で、『万葉』調ではない。 大中臣能宣朝臣 6 葦鴨の羽ばたきの風でなびく浮草のような、安定しない 1 世を、だれが頼みにしよう。 不安定な世への不信感を表白した作。眼前の、葦鴨の 羽風になびく浮草の姿を序詞に生かした新鮮な抒情に 内面的きびしさを響かせている。 源順 「渚の松」という題を詠みました歌 老いてしまった渚の松の深緑の色よ。水に沈んで映って いるその影を、わが身とかかわりのないものと見ようか、 いや、とても、そう見るわけにいかないことだ。 ちんりん 老いて六位の微官に沈淪している身の嘆きを「渚の 松」に託しての作。声調に激しさをこめた感味があり、 特に、結句に力がある。 1707 なぎさ うつ

9. 完訳日本の古典 第36巻 新古今和歌集(二)

西行法師が人々に百首の歌を詠ませました時に 0 藤原定家朝臣 きよう 6 興がなく、薄情に聞える嵐の音もいやだ。どうして、タ 集Ⅱ暮に人を待つならわしになったのであろうか。 和女の心での作。夕暮に待つだけでもわびしいのに、折 からの嵐の音に耐えられないというのである。言葉の 古 新 妙味がある作。 太上天皇 恋の歌として 7 逢おうと約束してあてにさせなかったならば、人を待っ まっちゃま 1 という名の待乳山であっても寝てしまうであろうに、こ いギ、よい めらって寝られないで見ている十六夜の月よ。 逢おうと約束して待たせる男ゆえこ、、 ししつまでも寝ら れない女の心での作。「待乳の山」と「いさよひの月」 とを巧妙にはたらかせている。 水無瀬で、恋の十五首の歌合に、「タベの恋」とい った趣を 摂政太政大臣 8 なぜと、深く思い込むこともなかったタ暮でさえも、待 っていて出るのを迎えたのに、山の端の月よ。 山の端の月は、これということもないタ暮でも待たれ たが、人を待っ今は格別だ、という女の心での作。声 調優雅、「だに」がよくきいている。 「風に寄する恋」 宮内卿 9 お聞きですか、どうですか。上の空を吹く落ち着かない 1 風でさえも、「待っ」という名の松に訪れて音をたてる ならわしがあるということは。 松に吹く心ない風にも劣る薄情の暗示が妙をきわめ、 ようえん 妖艶の感味を生んでいる。

10. 完訳日本の古典 第36巻 新古今和歌集(二)

題知らず 殷富門院大輔 % 人がわたしを忘れてしまったならば、生きていようか、 1 苦しみで生きてはいまい、と思ったのに、それもかなわ 集ないこの世であることだ。 和 男の薄情さに苦しみつづけて生きる女の悲しい真実が 今 哀感をにじませている。 古 新 1298 1297 西行法師 遠のく人を、どうして恨んでいるのであろうか。その人 から知られず、わたしも知らない時もあったのに。 女の心になっての作。愛憎に生きる人間を見る作者の 目の深さが、大胆・率直な抒情を貫いている。 今知ることだ。あの人が、わたしに思い出してくれよと 約束を固めたのは、このように、わたしを忘れるであろ うと思っての情愛であったのだよ。 男に忘れられていく女の心での作。皮肉のきいた激し い恨みの表白である。 権中納言公経 。あなたと逢ったあの夜のはかない「夢」を、愛深い心の 1 迷いという「闇」のゆかりだと、まあ、だれが判断しま ーしょ , つ、刀 女の心での作。男の冷淡さから、一夜の逢いが愛情の つら 発露とは思えない、と辛く恨んだ。本歌の「心の闇」 を生かし、本歌の「世人定めよ」を「たれか定めん」 に変えて、新しくしている。 建仁元年三月、歌合に、「遇ひて逢はざる恋」の趣 を 土御門内大臣 9 逢った夜のことは、今では昔話となった現実であって、 1 その時の「また逢おう」という約束の言葉を、夢と思え と一言うのであろうか 女の心での作。逢った夜が遠く過ぎた恨みと、約束の はかない恨みとを、「うつつ」と「夢」とを巧みに配 して、優雅な訴えにしている。