右衛門督通具を思うというので。 袖を濡らす涙の露を、露だといって、人には隠している 廷臣として生きる幸福を君が代の長久に託している身 うつ くれない けれど、映り慣れていく月は、悲しみの紅の色を知って をいとおしむ感慨。上句が切実にした。 集 しることであろうか 歌 和毎日、ひとり悲しみつづけている身の上についての感 9 和歌の浦よ。すぐれた歌人たちの集る所で、認められて、 古慨。夜を重ねての「なれゆく月」が、悲しみの時間の 1 高い地位にのばるようになる、ああ、わが身の、その頼 新 経過を生かし、哀感を深くしている。 り所を知らせてくれよ。 歌人として高い地位にのばることの願いの述懐。象徴 的抒情で、「あはれ」の挿入が、情感を深切にしてい る。 。その山で、と約束していない月も秋風も、出家・遁世を 1 すすめるわたしの袖に、露とともに涙がこばれこばれし ている。 月も秋風も出家・遁世をうながしているように感じて ゅうげん の作。月と秋風とを擬人化して、幽玄の感味がある。 家隆朝臣 8 だれもの秋の寝覚めが長い、その秋の長い夜も、君が代 1 の長久をお祈り申しあげることだ。廷臣としてのわが身 定家朝臣 みかどみよ 7 わが帝の御代に逢わないならば、何を命にしよう、命が 1 長くあってほしいとまでは惜しまれないであろうと思わ れる身であるのに。 生きがいのある御代に逢いえた感慨。歌道ゆえの生き がいを露出させず、「長く」による帝の代の長久のき かせ方、本歌の「あはずはなにを玉の緒にせむ」の取 、一うち り方も巧緻で、品位と重みとがある。 1756 ていしん きみよ とんせい
校訂付記 歌一、上段は本書に採用した校訂本文、下段は底本の本文を示す。 大久保正氏校訂、古典文庫刊、昭和三十三年、久松潜一氏・山崎 敏夫氏・後藤重郎氏校訂日本古典文学大系、岩波書店刊略号・ : 今一、校訂は、国歌大観所収流布本 ( 略号・ : 国 ) 、八代集抄本 ( 略号・ : 古抄 ) 、柳瀬福市氏旧蔵本 ( 昭和一一年、武田祐吉氏校訂、岡書院刊 小 ) の範囲で施し、また、出典関係文献をも援用した。 略号・ : 柳 ) 、宮内庁書陵部蔵烏丸光栄書写本 ( 昭和三年、藤村作氏一、上の数字は歌番号を示し、「詞」は詞書、「作」は作者の略号で ある。 校訂、至文堂刊略号・ : 烏 ) 、小宮堅次郎氏蔵本 ( 昭和一一十四年、 大臣 一七七四作大僧都覚弁 ( 柳・烏・小 ) ー大僧正覚 巻十一 一五詞法成寺入道前太政大臣 ( 国・抄・柳・ 弁 歌番号 烏・小 ) ー法性寺入道前太政大臣 一大 = 作ナシ ( 前大僧正慈円 ) ( 小・慈鎮和尚 一 0 夭詞女房を ( 国・抄・柳・烏・小 ) ー女を 一契六作法成寺入道前摂政太政大臣 ( 国・ 自歌合 ) ー八条院高倉 一 0 作法成寺入道前摂政太政大臣 ( 烏・小 ) 抄・柳・烏・小 ) ー法性寺入道前摂政太政一七突詞定基朝臣の ( 国・抄・柳・烏・小 ) ー ー法性寺入道前摂政太政大臣 大臣 実方朝臣の 一会 0 世をも捨てて ( 国・柳・烏・ ・西行法 巻十四 巻十七 師家集 ) ー世をも捨て せみまる せみまろ 一三 = 0 森の下露 ( 国・抄・柳・烏 ) ー杜の白露一夭六作河島皇子 ( 国・抄・柳・烏・小 ) ー河一会 0 作蝉丸 ( 国・抄・柳・烏・小 ) ー蝉麿 島王子 * 川島皇子 ( 万葉集 ) 巻十六 巻十九 一六 0 九作家隆朝臣 ( 国・抄・柳・烏・ 一四四九詞題知らず ( 国・抄・柳・烏・小 ) ー贈不 集 ) ー藤原家経朝臣 一八会作中納言資仲 ( 国・抄・柳・烏・小 ) ー 知 一六合詞題知らず ( 抄・烏・柳〈朱書〉 ) ーナシ 中納言資平 一四六五詞のがれて ( 国・抄・柳・烏・小 ) ーのが 巻十八 巻ニ十 れきて 一哭一作法成寺入道前摂政太政大臣 ( 国・ 一七五四うち絶えて ( 国・抄・柳・烏 ) ーうちた一突 ^ 詞よみ侍りける、時に ( 抄・柳・小 ) ー 抄・柳・烏・小 ) ー法性寺入道前摂政太政 〈耐〉へて よみ侍りける時
新古今和歌集 334 1651 炻 50 めのびきたき 京極前太政大臣が布引の滝を見に行きました時に 一一条関白内大臣 みなかみ 水上の空に見えるのは、白雲の立っているのに見誤られ るようにかかった布引の滝であることよ。 作風は、『古今』風で知的。しかし、高く壮大な布引 ほうふつ の滝の情景を髣髴とさせる。 ふすま 最勝四天王院の襖に、布引の滝を描いてある所 藤原有家朝臣 天女が夏衣を天上にさらしているかと思われる布引の滝 よ。 おもむき 襖に描かれた布引の滝の絵の趣。不老不死の美しい天 は′ろも 女の、夏の白い羽衣を天上はるかにさらしている情景 たけ を、感の清く冴えた長高い声調で髣髴とさせる。夢幻 ゅうげん 的で、幽玄。 1653 天の川原を過ぎるというので 摂政太政大臣 2 昔のことを聞いている天の川原を尋ねてきて、昔の跡の 1 残っていない水の流れを、しみじみと見入るばかりであ ることよ。 なりひら 「昔聞く天の川原」に、業平が「狩り暮し」の歌を詠 みなどした昔のことをそれとなくきかせ、「跡なき水」 ひょうびよう で、むなしく縹渺とした感を高めて、哀感を深くした。 幽玄の趣がある。 題知らず 藤原実方朝臣 天の川を行き来する筏に尋ねよう。天上の天の川に渡し もみじ てあるという紅葉の橋は、散るか散らないかと。 ちょうけん 眼前の天の川を下る筏に、中国の張騫の故事を連想し、 眼前に散る紅葉に、本歌の紅葉の橋を連想しての作。 ゅうきゅうかん 天の川の幽久感を生かした。 いかだ
梅 2 1 降る雪で、色をわからなくさせている梅の花よ。鶯だけ が見分けて、賞で慕うことであろうか 集鶯が雪の中でも梅の花を賞で慕う趣の歌は、『万葉』 し・よう・じん 和時代から見られる。前歌との関連で、小人たちの濁し ている世に、賢者だけが君子を見分けて慕う意の、象 古 新 徴的歌境として味わえる。 枇杷左大臣が大臣になりましたおよろこびを申しあ 貞信公 げるというので、梅の花を折って 2 遅く早くという違いはあっても、ついに咲いた梅の花よ。 だれが植えて置いた種であるのであろうか すでに摂政・左大臣の地位にあった作者が、兄仲平の め 1443 右大臣就任で三兄弟が大臣になりえた喜びを、季節の 梅の花に託した作。父祖の徳への追慕の情を合せ、誇 らしくおおらかにうたいあげている。 くろうど りにーへ 延長のころ、五位の蔵人でありましたのを離任しま して、朱雀院の承平八年、また復任して、翌年一月 かんげんよゅう 、管絃の御遊がありました日、梅の花を折って詠 みました歌 源公忠朝臣 かんむり 宮中で変らないものは、梅の花を折って冠に挿している 美しさであることだ。 天皇の御代が変り、宮中の正月の御遊にくわわる人々 のようすも一変した。変らない梅の花の美しさをとら えて、その感慨の陰影を深くした。
一袖を濡らす涙。「置く」は「露」の縁語。 ・一うるい ニ映り慣れていく月。三悲しみの紅涙 よ 本歌「片糸をこなたかなたに縒りかけて あはずはなにを玉の緒にせむ」 ( 古今・恋 一読人しらず ) 。「片糸」は、縒り合せてな い糸。「あはず」に、「合はず」と「逢はず」とを かけ、上三句は、その序詞。一何を命 ( 生き がい ) にしよう。「何を玉の緒 ( にせん ) 、玉の 緒の長く」とつづく。「玉の緒」は、命。「玉を ひも 貫く紐」の意をかけて、「長く」の縁語。「長 く」は「命長くあれ」の略。 一寝覚めの長い意と、秋の夜の長い意と 家隆朝臣 をかけた。ニ帝の御代 ( 君が代 ) の長久。 三廷臣としてのわが身。 あわ おほかたの秋の寝覚めの長き夜も君をぞ祈る身を思ふとて 本歌「わたつみの沖っ潮合に浮ぶ泡の消 えぬものから寄る方もなし」 ( 古今・雑上 読人しらず ) 。「消えぬものから」は、命は消 うらおきしほあひうか 和歌の浦や沖っ潮合に浮び出づるあはれわが身の寄るべ知らえないものの。一和歌山市の南の海岸一帯。 下 和歌の神の意と、和歌の意とをかけた。 ニ沖の潮流の合流する所。すぐれた歌人たち 雑せよ の集る所の意を暗示。そこに浮び出るという 八 十 のは、歌人として認められて、高い地位にの 第 ばるようになる意を暗示。 とんせい 一出家・遁世して籠る山。ニ出家・遁 世をすすめる。三涙をも暗示。 1756 1758 1757 1760 そで うゑもんのかみみちとも 右衛門督通具 袖に置く露をば露と忍べどもなれゆく月や色を知るらん きみよ わか 定家朝臣 君が代に逢はずは何を玉の緒の長くとまでは惜しまれじ身を その山と契らぬ月も秋風もすすむる袖に露こばれつつ ちぎ ねぎ なにたまを よ さだいへのあそん いへたかのあそん 1757 の 1756 色 1760
百首の歌をさしあげた時に 藤原家隆朝臣 3 2 滝の音も松の嵐の音も、慣れてしまったので、すこしま 1 どろむぐらいの夢は見せてくれることだ。 ちょうたっ 集 声調暢達。夜ごとに激しい滝の音と松の嵐が、慣れて 歌 和 も、短い夢しか結ばせてくれない、わびしい山家の生 今 古活を髣髴とさせる。 新 題知らず 寂然法師 3 事が多くてわずらわしい世をのがれてきてしまった奥山 如覚 1 のあたりに、嵐の風も、気をつけて吹いてくれよ。 5 白露が朝夕に置く奥山の苔の衣は、風もさえぎられない すま 世をのがれて奥山にはいったのは、心を静め澄せるた 1 で、絶えず濡れています。 涙の露が朝夕に置いて絶 めだ、だから嵐もそれをわかって吹いてほしい、 と訴えず濡れている奥山のわたしの苔の衣は、朽ちて、風も自 えた。嵐を友としている感に滋味がある。 由に吹き通しています。 感のきいた、見事な象徴的表現に歌才がうかがえる。 よかわ 少将高光が横川に行って出家してしまいました時に ほうふつ じみ 僧衣を贈るというので 権大納言師氏 ・一ろも 4 わたしの贈る苔の衣を、あなたの着ている奥山の苔の衣 炻にくらべて見てください。どちらがいっそう多く露が置 いているかと。 贈る僧衣に添えた作。「苔の衣」と「露」とを無理な くはたらかせて、恨みに近い悲しみの深さを訴えてい る。
守覚法親王が五十首の歌をお詠ませになりました時 藤原定家朝臣 に、「閑居」の趣を 4 まれに人に訪れられた、その人のことも昔になって、そ 集炻れから、庭の、人の訪れた足跡は絶えてしまった。 和訪れる人の絶え果てる時間的推移の、一見、淡々とし た叙述の中から、題の「閑居」の深まりを感じさせる。 古 新 そこから滋味も生れている。 都からある所へ行った道で、山人の多くに逢ったの を見て 赤染衛門 つら 5 辛さを嘆きながら木を伐って生きている身は、山にいる 1 ままで過しなさいよ。辛い世の中に、どうして、帰るの 「、ーしょ , つ、か 作者の足は、都の「憂き世」の悩みから救われたくて 山里に向っている。山人たちの足は、山里の生活の憂 さから救われたいらしく、都に向っている。その対照 的な姿に感を発した妙味がある。 題知らず 人丸 跖秋になると、狩人たちは勇みたって立田山を越えるが、 1 わたしは、立っていてもすわっていても、絶えずもの思 いをしていることだ。 『万葉集』の原歌は新鮮な恋愛の歌であるが、これは、 歌形が変貌し、山里でもの思いに閉ざされている嘆き の歌としての重い抒情になっている。 1687 天智天皇御歌 まろどの 朝倉の木の丸殿にわたしがいると、名のりをしながら行 く子がいるが、あれはだれの子であろうか ちくぜん 都を遠く離れた辺境筑前での感懐の作。心温まる情味 を、おおらかな民謡的声調で豊かに広がらせている。
高陽院で花の散るのを見て詠みました歌 肥後 2 万代を過すのに過しがいのある、そして降るのに降りが いのある宿だからでございましようか。雪のように、ま 集た、帝の行幸のように見えて、花が美しく散ることでござ 和います。 今 古藤原師通邸、高陽院の桜をたたえた作。「み雪」は 新 「行幸」をかけていると解すると、「万代をふるにかひ ある」も生きよう。 一一条関白内大臣 3 枝ごとの末まで美しく咲いている花だから、散るのも、 1 雪のように、また、帝の行幸のように見えているのであ ろう。 贈歌の「み雪と見えて」を受け、作者の一族の末々も かやのいん 栄えている満足感で応じている。その満足感の生きて いる歌境である。 てんじようびと 近衛司で年久しくなってのち、殿上人たちが宮中の 花見に参っていた時に詠んだ歌 藤原定家朝臣 さ・一ん 4 幾年もの春を過して、帝の行幸に立ち慣れてきた左近の 1 桜の、雪と降る花の木陰よ。同じ状態で古くなっていく わたしの身をも、かわいそうだと思うであろうか 春ごとの行幸に、花を雪と降らせつつ年経た左近の桜 の姿と、十余年にわたり、行幸に供奉してその木陰に 立ち慣れ、はかばかしい昇進もなく年経た嘆きを訴え こんぜん る作者の姿とが、渾然と融合して、哀感を美しく広が らせている。 ぐぶ
宇治で、「夜の恋」という題を、廷臣たちが詠んで 8 藤原秀能 さしあげた時に 9 涙で濡れた袖の上に、だれを恋い慕うゆえに月は宿って 集 いるのかと、他人のことにしてでも、あの人が尋ねてく 歌 今れよ。 古 冷淡な恋人が、その人ゆえの涙の袖に光る月にも気づ 新 かない恨み。声調流麗、哀艶である。 「久しき恋」といった題を 。年が久しく移ってもやまない恋の思いで、心がふさぎつ Ⅱづけていることだ。 本歌を贈歌として、久しい恋情を訴えた返歌の趣で、 序詞の用法に妙味がある。 家で百首の歌合をしました時に、「祈る恋」といっ あいえん 摂政太政大臣 た趣を のば 1 幾夜を、わたしは、波に濡れ弱りながら、貴舟川を上っ 1 て来て、袖に涙の玉の散るもの思いをしていることであ つ , つ、か 祈りがいつまでもかなえられず、本歌の神詠も恨めし ようえん いといった感味に、妖艶の趣がある。 定家朝臣 2 祈りつづけて年も移ってしまった。恋の成就を祈る約束 1 はかいなく終ってしまうらしい。初瀬山の峰でつく鐘の あ 告げる、ほかの恋人たちの逢うタ暮よ。 祈りもむなしいらしい恋の嘆きにいる時、ほかの恋人 たちの逢うタ暮を告げる鐘が峰から聞える。見事に圧 ゅうしゅ・ 縮した表現で、妖艶の幽趣がある。
もろみち もろぎね 一藤原師実。作者の父。ニ藤原師道。 三川の上流。四見誤られるようにかか にでうのくわんばくないだいじん 二条関白内大臣った。 みなかみ 一後鳥羽院が、京都の白川に建立した寺。 砺水上の空に見ゆるは白雲の立つにまがヘる布引の滝 ふすま 炻↓一毛セの注一。「障子」は、襖。この「障子 和歌ーは、承元元年 ( 一 = 0 七 ) の作。ニ「天」の枕 詞。三天上に住むという少女。天女。四天 さい・しっしてんわうゐんさうじ ふぢはらのありいへのあそん 最勝四天王院の障子に、布引の滝かきたる所 藤原有家朝臣上。三日光に当てて干す。 四 本歌・狩り暮したなばたつめに宿からむ あまをとめなつごろもくもゐ 天の川原にわれは来にけり」 ( 古今・羇旅 ひさかたの天っ乙女が夏衣雲居にさらす布引の滝 なりひら ひらかた 在原業平、伊勢物語八十一 I)O 一大阪府枚方 きんや よしつね これたか 市の禁野。ニ藤原良経。三昔、惟喬親王が かたの 在原業平らと交野で狩をした時、天の川原で、 あまかはらす せっしゃうだいじゃうだいじん 天の川原を過ぐとて 摂政太政大臣酒を汲みかわし、業平に歌を詠ませたことが 伝えられている ( 伊勢物語八十二、古今・羇 あまかはら 旅 ) 。四昔の跡。五しみじみと見入るだけ 昔聞く天の川原を尋ね来て跡なき水をながむばかりぞ であることだ。 0 第二句、「後京極自歌合」 あきしのげつせいしゅう ・『秋篠月清集』ともに、「天の川原に」。 中 本歌「天の川紅葉を橋に渡せばやたなば 歌 ふぢはらのさねかたのあそん 雑 たつめの秋をしも待っ」 ( 古今・秋上読 題知らず 藤原実方朝臣 人しらず ) 。一『実方集』の詞書は、「天の川 あま力は もみぢ いかだ にて」。ニ前歌と同じ禁野の川 三筏のこ 第天の川通ふ浮木にこと問はむ紅葉の橋は散るや散らずや 巻 と。四天上の天の川にあるという紅葉を渡 ちょうけん した橋。 0 中国の漢の張騫が、武帝の使い うき みなもと たなばたつめ で、槎に乗って天の川の源をきわめ織女に さきのちゅうなごんまさふさ 前中納言匡房逢って帰った、という故事がある。 1651 1652 ほりかはのゐんのおほんときひやくしゅのうた 堀河院御時、百首歌奉りけるに きゃうごくさきのだいじゃうだいじんめのびきのたき 京極前太政大臣、布引滝見にまかりて侍りけるに うきぎ しらく・も 四 ぬのびき