一、いにしみて思わないのならば、の意。 述懐の心をよめる ニ世をきらいながらも。「いとふーは、こ 身の憂さを思ひ知らずはいかがせんいとひながらもなほ過すこでは、身の憂さを心にしみて思い、それで 世をきらう、という意。三やはり、世を捨 てないで。 、刀十 / 0 建久元年 ( 一一九 0 ) 四月の「一日百首」中の 「述懐」の作。一どんな事を思い悩んで いる人か。ニ袖が涙で濡れることであろう。 0 建久五年中秋の、百首和歌中の「述懐」 何事を思ふ人ぞと人問はば答へぬさきに袖ぞ濡るべき の作。一むなしく。ここでは、仏道修 行に身を入れないで、という意。ニこの世 に生を受けることの容易でない人間としての いたづらに過ぎにしことや嘆かれん受けがたき身の夕暮の空わが身。三死期をさす。 ぞう 0 年代不明の、百首和歌中の「雑」の作。 一仏道をまったく離れて。底本には、 「うちたへて」。諸本・『拾玉集』に従った。 うち絶えて世に経る身にはあらねどもあらぬすぢにも罪ぞ悲 = 俗世間に過す。 = 仏道以外の方面でも。 下 四「積み」をかけた。 0 『拾玉集』に、上三句 歌 「うち絶えて世に住む身にはなけれども」。 雑しき 八 十 一↓一 0 天の注一。この歌から一七六 = の歌ま 第 で、本集いったん成立後の、建永元年 ( 一 巻 一一 0 六 ) 八月の「述懐三首」の作。ニ住もうと約 束した草庵。三庵に待たれるほどに時が過 ぎようとだけでも、という意。 1751 1752 1755 なにごと わかどころ 和歌所にて述懐の心を やまざとちぎ 山里に契りし庵や荒れぬらん待たれんとだに思はざりしを じゅっくわい と そでめ さきのだいそうじゃうじゑん 前大僧正慈円 ゅふぐれ 四
皇嘉門院あることよ。 千年を生きるという松があっけなく焼けていた姿から、 4 8 何といったか、壁に生えるという草の名よ。それにも似 1 ているわが身であることだ。 あらためて世の無常を思わせられ、それをよそごとの ように見ていた自身のうかっさが顧みられての作。内 集作者が余命の少ない身を自覚した述懐。「いつまで草」 えんきよく 和 省のきびしさが響き出ている。 の名の婉曲な暗示が、命のはかなさの感をやわらげ、 ド ) じよう 今 古優雅な抒情にしている。 新 題知らず 源俊頼朝臣 1 人の数ではなくて、世に住み、身を砕いて生きているが、 四すみのえみおっくし つをあてにして 1 住江の澪標のように、ただむなしく、い 待っということもないわが身であることだ。 えんしょあわせ もとは艶書合の恋の歌で、人の数でなく、恋い慕う人 から顧みられない悩みを訴えた作だが、「題知らず」 ちんりん の歌としては、官界に沈淪していた作者の、身を恨む 激しい述懐として味わえる。 1789 権中納言資実 過ぎてきた日のことを、そのまますべて、夢にしてしま ったので、覚めて帰る現実のないのが悲しいことだ。 ひょうびよう 過去のすべてが縹渺とした夢幻になった老境の述懐。 いかになっかしいことでも、もはや帰らせられない悲 しみが哀感を誘う。 性空上人 松の木の焼けていたのを見て 。千年を生き長らえる松でも焼けくすぶる世の中に、命が 終るのが今日とも知らないで、立って見ているわたしで
そむ 0 『拾玉集』の、建久五年 ( 一一九四 ) 、中秋の ひとかたに思ひ取りにし、いにはなほ背かるる身をいかにせん 「詠百首和歌」の作。題「述懐」。一いち ずに世をのがれようと思い込んでしまった心。 ニおのずから背いて、世に執着する身、の意。 じちんかしよう 一吉五の作と なにゆゑにこの世を深くいとふぞと人の問へかしやすく答この作、「慈鎮和尚自歌合」に、 番えられ、藤原俊成は、「両首の述懐の心は、 ともに深く侍れど」と評し、一七四五の作を、「勝る べくや侍らむ」と判定。 0 前歌と同じ「詠百首和歌」の作。題「述 懐」。 0 この作、「慈鎮和尚自歌合」に八三 のちょ = の作と番えられ、藤原俊成は、「左右の述懐、 思ふべきわが後の世はあるかなきかなければこそはこの世に またをかしくは見え侍れども」と評し、会一一の 作を、「末句、勝ると申すべし」と判定。 は住め ぞう や前歌とは別の「詠百首和歌」の雑の作。 一思い慕うことのできる自分の死後の世。 さいぎゃうほふし 西行法師「後の世」は、来世、また、後生ともいう。 、慈鎮和尚自歌合」で、藤原俊成は、「深く」 おも とどお 世をいとふ名をだにもさは留め置きて数ならぬ身の思ひ出で見える作と評した。 下 歌 一世をきらって出家した者という評判。 雑にせん ニそれでは。三人の数にはいらない、 八 十 つまらない身。 第 巻 ◆『山家集』の「五首述懐」の中の作。 0 参考「身の憂さを思ひ知らでややみな まし逢ひ見ぬさきのつらさなりせば」 ( 千載・ しようけん 恋四法印静賢 ) 。 1825 1827 1828 29 そむなら 身の憂さを思ひ知らでややみなまし背く習ひのなき世なりせ 1827 つが
有家朝臣 と談話をかわしていた所に、山吹の花を屏風の上か 千五百番の歌合に みかど ら投げておよこしになりましたので 実方朝臣 7 春雨があまねく降りそそぐように、帝のお恵みがあまね 1 くとどく御代を頼みにしていることです。春雨が冬の霜 9 八重のままで色も変らない山吹が、どうして、九重の宮 まだお 4 中に咲かなくなってしまったのでしようか。 集で枯れていく草葉を漏らさないように、老い衰えていくわ 若くてご立派なままでいられる院が、どうしていっそうご 和たしをお漏らしくださいますな。 今 「春の雨」の、帝の温かい恵みの暗示と、「霜に枯れゆ立派になられることをやめられ、宮中をお去りになってし 古 新 まわれたのでしようか。 く草葉」の、老い衰えていく、恵みを待っ身の暗示と 円融院が投げこんだ山吹の美しさに託して、若い院の が的確で、品位のある述懐にした。 退位を惜しむ情味の厚い述懐にしている。手練が見え る。 崇徳院の御所で、「林下の春雨」という題を詠んで 八条前太政大臣 さしあげた時に こずえ イ「すべらぎ」という梢の高い木の陰に隠れていても、こ のうえさらに暖かい春雨に濡れようと思うことだ。 帝の高大なご庇護のもとにあっても、このうえさらに、温 かいお恵みを浴びたいと思うことだ。 帝を木に、恵みを春雨に見立てての作。高官の願いの 述懐にふさわしく、格調が高い こまのみようぶ 円融院がご退位になってのち、実方朝臣が小馬命婦 御返し 円融院御歌 9 九重ではなくて、また宮中でもなくて、八重に咲いてい 1 る山吹の、くちなし色を知っている人もない。 ーー退位 して宮中を去っているわたしの、ロに出して言わない苦し い気持を知っている人もない。 山吹のくちなし色で、意志ではない退位の苦悩を巧み にほのめかしている。 やえ ここのえ
5 くり返しもの思いをするのは苦しいので、知らないふり 3 1 をして、世を過そうか。 くり返しもの思いをするのは、思わなければならない ものの真実が見えすぎるからである。その苦しさに耐 歌 和 えかねる心を、鋭くえぐり出している。 新 五十首の歌を詠みました時に、「述懐」の趣を 守覚法親王 辛くて、生き長らえて世に住んでいるかいはないのだけ 1 れど、辛さのある代りとして生きている命であることだ。 辛い世を生きるのは、辛さの代償としての命を生きる ことだ、と考えついた感慨である。思念の鋭いひらめ きが見える。 つら 1768 1767 権中納言兼宗 世を捨てて出家する、いは、やはりないことだ。世の辛さ を辛いとは、身にしみて知っているけれど。 世の辛さを当然のものとして、世に生きる心を動かさ ない姿勢の重さがある。 「述懐」の趣を詠みました歌 左近中将公衡 捨て去ることのできないわが身は心苦しいことだ。それ でも、楽しいこともあろうかと思う、いに歩みをまかせて。 世の辛さに出家しようかと思っても、一方では世に期 待する思いが強く動いて、出家に踏み切れない悩み。 人間心理の真実がある。
353 巻第十八雑歌下 1688 1689 日 あまはらあかね 天の原茜さし出づる光には、、、 しつれの沼か冴え残るべき 一菅原道真。右大臣の時ー延喜元年 ( 九 0 ときひらぎんげんだ、いのごんのそち 一 ) ー藤原時平の讒言で大宰権帥に左遷さ ちくぜんのくにつくしごおり れ、大宰府 ( 筑前国筑紫郡、今の福岡県太宰 府市 ) に配流されて、同三年、配所で没した。 この作から一六究の歌までは、すべて、一字題 くわんぞうだいじゃうだいじん 山 菅贈太政大臣の題詠に託した、配所での述懐の歌。ニ山。 「あしひきの」は「山」の枕詞であるが、その あしひきのこなたかなたに道はあれど都へいざといふ人そ「あしひき」を、山の意に用いたもの。三こ ちらにもあちらにも。四「都へいざゆかん」 の略。 なき あかわいろ 一大空。ニ茜色をしてさし出る日の光。 「茜」は、すこし沈んだ赤色。「茜さす」の 「さし ( 色づくこと ) 」と「さし出づる」の「さし ( 接頭語 ) 」とをかけ、また、「茜さす」が「日」 の枕詞として用いられるので、「日」の意をも きかせた。三「冴え残る」は、凍ったままで 残ること。 0 日の「光」に帝の恵みを暗示し、 「沼」に作者をくらべた。 新古今和歌集巻第十八 雑歌下 ざふのうた 四 みやこ すがわらのみちぎねだぎいふはいる 0 この巻は、菅原道真の大宰府配流生活のき びしい述懐の歌から始め、主として、現実の 世にさまざまに生きる命の、憂苦をかみしめ た述懐の歌を収めている。雑歌の上・中・下 三巻中だけでなく、本集二十巻中で歌数の最 も多い巻。
読人しらず 題知らず 3 9 辛いながらも、住むと住んでいられる世に時を過してい 1 ることだ。故郷の昔の夢として持ちつづけている思い出 集 を、今の現実に覚すことができなくて、まあ。 歌 和故郷の昔の思い出が世に執着させて、辛い世にも、住 今 めば住めるので、のがれもしないでいるというのであ 古 新 る。ここにも人間心理の真実がある。 源師光 0 辛いながらも、やはり惜しまれる命であることよ。来世 1 といっても、かならず救われるという、頼みにできるあ てがないので、 世が辛く、死んでしまいたいほどであるが、死んで極 らく 楽に行けるとは限らないので、命は惜しいというので ある。率直な述懐に実感が生きている。 つら さま 賀茂季保 1 それにしても、このままではあるまいと頼みにする心の 1 将来も、考えてみると、どうなるのかわからない世にま かせているのであろう 将来に期待して現在を慰めているのは、定まらない世 のまにまに生きていることになるのだ、と気づいての 述懐。内省にきびしさがある。 荒木田長延 2 つくづくと考えてみると安らかな世の中であるのに、、い 1 の持ちょうから嘆いている、わが身の上であることだ。 身の不遇の嘆きで閉ざされていた心を客観視できて、 足ることを知る喜びを見いだしえた感慨。真剣な内省 にもとづく思いの重さがある。
月 3 0 月の出るごとに西へ向って流れると思ったそのます鏡の 1 ような月は、西の浦にもとどまらないことだ。 集西に流れても都に帰る月に、道理を踏みながら西に流 みかど 和 された自身をくらべての述懐。帝が見捨てるはずはな じよじよう 今 古 いという自負が抒情を高格にした。 新 3 雪が、空に美しい花かと思わせて散り舞い、庭に降り敷 雲 いて、美しい玉かと見え見えしてあざむいたので、雪の 1 山から別れて飛んで行く雲の、ふたたび山に帰ってくる降る故郷が夢に見えたことだ。 1 姿を見る時は、やはり、都に帰ることができるかと、頼 故郷の夢をまで呼んだ配所の雪の感味を鋭くきかせて、 みがかけられてしまうことだ。 哀切な抒情にしている。 山を離れては帰る雲が、わずかに希望の灯をともして くれたのである。哀切な述懐である。 霧 2 霧が立って、照る日のありかは見えなくても、わたしは 1 迷われはしないであろう。身を寄せる所があろうかと思 あいせつ かがみ ぎんげん 讒言によって帝から隔てられてしまった身の恨めしさ から、忠誠の心が、ともすれば、くずれそうな危うさ に耐えている苦悩の激しさが伝わる。 雪
よ 一月が袖の涙に映ることの暗示。ニ思 夜もすがら月こそ袖に宿りけれ昔の秋を思ひ出づれば い出すので。 2 一月の光の色。ニ染めることがあろう か、ないであろうに。「染め」は「色」の縁 語。三都の俗世間の生活。・宮河歌合」に、 月の色に心を清く染めましや都を出でぬわが身なりせば 第二句・心を深く」。 一「捨つ」は、世を捨てて出家すること。 ニ底本に、「我ミは」と表記。本集の伝本 く - も 捨っとならば憂き世を厭ふしるしあらんわが身は曇れ秋の夜中には、「わかみは」「われ見は」「われには」 の三形が見られ、「わかみは」は「わが見ば」と も読まれている。「宮河歌合」には、「わが身 の月 は」、『西行法師家集』には「われには」。 0 藤 原定家は、「宮河歌合」で、この作を、「心深 く見えると評した。 き、がきしゅう 0 『聞書集』に、詞晝・老人 / 述懐」、『西行 法師家集』に、詞書「述懐の心を」。一年 老いてしまった。「ふけ」は、夜の更ける意の 「更けをかけ、「月」の縁語。ニ身の上。 「夜」をかけて、「月」の縁語。三姿。有様。 上 「月」の縁語。 0 第一一句、『聞書集』に「わが身 みもすわ にふだうしんわうかくしゃう 歌 雑 入道親王覚性の影を」、結句、「御裳濯川歌合」に「かたぶき よろ にけり」。「こともなく宜し」 ( 御裳濯川歌合 藤原俊成の評 ) 。 第ながめして過ぎにし方を思ふ間に峰より峰に月は移りぬ 0 『出観集』では、「月」の歌の中の作。 巻 げつぜん 『続詞花集』に、詞晝・月前述懐の心を」。 一しみじみと見入って。 0 『出観集』に、第 ふちはらのみちつね 藤原道経四峰より峰の」。 15 引 1532 ふけにけるわが世の影を思ふ間にはるかに月のかたぶきに ける そでやど かた みやこ ま ま 1531
中務卿具平親王 「秋雨」を 降りつづく雨をじっと見入りつづけて、わたしの思い嘆 のきしずく いていることは、一日中、軒の雫のように、絶える時も 歌 和 「秋雨」の題に、秋の長雨に一日中もの思いをつづけ かけ - 一とよ・ る嘆きを詠んだ作。掛詞にした「長雨」だけで「秋 古 新 雨」を表すのは適切でなく、「秋雨」の題による嘆き じよじよう の抒情の感味を散漫にしているうらみがある。 大中臣能宣朝臣 題知らず 書き残されたものの中に残っている滝の声は、たいそう おもむき 寒い秋の風の趣があることよ。 ひばく はだ 飛瀑の情景を肌寒く覚えるように描写した、古人の漢 詩文に接しての感懐であろうが、具象化が足りない。 切り出された理由がわかる。 小野小町 もみじ 2 木の葉が木枯しの風で紅葉するように、悲しみの紅涙に つら 1 染まって、ひそかに辛さを嘆く言葉の積るころであるこ とよ 1801 1803 晩秋の木枯しの風で色を深くした紅葉の散り積る情景 と、恋人の心が冷たくなった嘆きの言葉の積る作者の - 一うキ一く 面影とが、微妙に交錯している。 述懐の百首の歌を詠んだ時、「紅葉」を 皇太后宮大夫俊成 嵐の吹く峰の紅葉のように、日増しにもろくなっていく、 わたしの涙であることよ。 嘆きで、日増しに涙もろくなっていくころ、折からの 晩秋の峰の嵐で、紅葉が日増しにもろさをくわえてい こんぜん く情景に感を発した趣の作。自然と作者とが渾然と融 合している。 題知らず 崇徳院御歌 おぎ のきば 4 うたた寝の夢路は、軒端の荻を吹く風の音でも覚めるけ ぼんのう 1 れど、一生の生死の煩悩に迷う夢路は、覚める時がない ことだ。 ちょうや 仏教でいう「長夜の夢」の理を自覚しての作。うたた 寝で、荻の風の音で目覚めた時に、ふと感を発したと いう趣に味わいがある。