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検索対象: 完訳日本の古典 第30巻 今昔物語集(一)
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1. 完訳日本の古典 第30巻 今昔物語集(一)

うことを口実に返答するばかりである。 守はこれを見ていて、打たせるのがかわいそうになり、 播磨の国の郡司の家の女和歌を読む語第 「こいつ、なんとかしてゆるしてやろう」と思いしし 五十六 ろ考えてみたが、いい 理由も見つからないので思いあぐね、 たかしなのためいえのあそんはりまのかみ 「お前はじつにとんでもないふらち者だな。ところで、お 今は昔、高階為家朝臣が播磨守であった時、これといっ さた 前、和歌がよめるか」ときいてみた。このじいさん、「う た取柄のない侍がいた。本名は知らず、通称を佐太といっ まくはできませんが、やってみましよう」と答えたので、 た。守も本名を呼ばず、「佐太」と呼んで使っていた。 大して取柄もないが、長年〔まじめに〕仕えていたので、 わ守は、「ではよんでみよ」と言った。じいさん、まもなく ちつばけな郡の租税取立役を当てがってやったところ、喜 第震え声をあげてこうよんだ。 ゆき 語 としをへてかしらに雪はつもれどもしもとみるこそみ んでその郡に行き、郡司の家に宿を取り、収めるべき租税 む 読 はひへにけれ について種々指示を与えておいて、四、五日ほどして国庁 を 歌 ( 年老いて頭にはすっかり白髪 ( 雪 ) が積っておりますが、 に帰った。 しもと 女 笞 ( 霜と ) を見るとそっとしてからだが凍ってしまいまし ところが、この郡司の家に一の遊女が京から人にかど の 家 た ) わかされて来ていた。郡司夫婦はこの女を哀れんで家に引 の き取り、裁縫などさせてみると、女はこういうことも手ぎ 郡守はこれを聞いてたいそう感心し、かわいそうに思ってゆ わよくやってのけたので、いっそう情がわき、家に住わせ 国るしてやった。 磨されば、つまらぬ下賤の田舎人の中にも、このように上ていたのだった。さて、この佐太が国庁に帰って来たあと 播 手に歌をよむ者がいるものだ。決してあなどってはならぬ、 で一人の従者が、「あの郡司の家に、姿かたちのいし 5 とこ , っり〕伝 , んているとい , っことだ。 の長い、女房とでもいうような女がおりましたよ」と言う。 佐太はこれを聞き、「こいつめ、あそこにいる時にそれを

2. 完訳日本の古典 第30巻 今昔物語集(一)

ききえ にようばうすべ つばねかへ そのいへをとこあるじそらしらず 其家ノ男主モ虚不知シテ有事也ケリ」ト聞得テ、女房可為キ様モ無テ、局ニ返一素知らぬふりをして。 ニ「猛」が「極」の草体の誤写とす おも はぢみ さがりなきゐ たけわざ リ下テ泣居タリ。「猛キ態カナ。恥ヲ見テムズル事」ト思へドモ、可逃キ様モれば、えらいことだなの意。 三袴の裾に通したくくり紐。袴 み いだ いでゆ ( く ) ・ヘきひまあ 、やう にようばうわらはべ 十な 二無クテ、女房ノ童部ヲ出シテ、「出テ可行ク隙ャ有ル」ト見セケレドモ、然様をたくし上げてくくり紐で結ぶ。 第 四「喬」は当字。袴の端。袴の股 はかまくくりあ 〕てばはさ たちひさげつゑ さぶらひどもしごにん 巻 ナル所ニハ、侍共ノ四五人ヅ、、袴ノ扶ヲ上ゲ、喬ヲ交ミテ、太刀ヲ提、杖ヲ立ちを帯にはさんでの意。 集 五「此モ」とありたいところ。ま このよし すゑみちなげおも つき たちなみ めのわらはべかへ ことかぎ ( り ) なし 語 た、「ヲ」が「ソ ( ゾ ) 」の誤写なら、 枷突ツ、立並タリケル。女童部返リ入テ此由ヲ云ケレバ、季通歎キ思フ事無限リ。 昔 結びの「也」のよみは「なれ」。 ゃう かしこちから いみじつよ おもひ こすゑみちおもばか 六夜の明ける前に男が女のもと 此ノ季通思量リ賢クカナドゾ極ク強力リケルニ、思ケル様、「今ハ何ガセム。 六 を去るのが当時の心得。 ことなりただよ あ つばねゐ ひきいでにきたらものどもとりあひ 此ヲ可然キ事也。只、夜ハ明クトモ、此ノ局ニ居テコソハ曳出来ム者共ニ取合応戦して。 ^ 条件句で、「知リナバ」と同意。 し よあけのち われし かくえせ 九とやかくできないだろうに。 テ死ナメ。然リトモ夜明テ後ニハ我ト知リナム、此モ彼モ否不為ジ物ヲ。然ラ 一 0 「ト思フ ( ヒケル ) 」の意である いでゆ ただこのわらは じゅしやどもよ つかはし ほど が、文を終止せず、畳みかけるよ ン程ニ、従者共呼ビニ遣テコソハ出テ行カメ」ト、「但シ此童ノ、心モ不得デ うに下句につながっていった形。 こころえ とらへしばられ あかっききたりかどたた わこどねりわらは = 季通の供の小舎人童。 暁ニ来テ門叩カバ、『我ガ小舎人童ゾ』ト心得テ、捕テ被縛ャセンズラン」。 三主格が侍共から小舎人童に転 いだ 、つカカ わらはべ ふびんおば 其レゾ不便ニ思へケル。然レバ女ノ童部ヲ出シテ、「若シャ来ル」ト伺ハセケじている。 一三心中思惟部分「 : ・ズラン」を受 なき かへりかがまを さぶらひどもはしたな ける「ト」を省略または脱した形。 ルヲモ、侍共ノ半無ク云ケレバ、泣ツ、返テ屈リ居リ とが 一四咎めののしったので。 こわらはいか さぶらひどもけ ほどにあかっきがたなり 然ル程暁方ニ成ニケリ。此ノ童何ニシテカ入ッラン、入来ルヲ、侍共気 一五まずい返事をするに相違ない。 きき おもゐ あし あわらはた 色取テ、「彼ノ童ハ誰ソ」ト問へバ、此レヲ聞テ、「悪ク答へテムズ」ト思ヒ居一六「なり」は伝聞。季通は女の部 これさるべ しきとり と - 」ろ あることなり と め こと と 四 0 こた いりきた きた ゃうなく こころえ もの にぐべやう ひも

3. 完訳日本の古典 第30巻 今昔物語集(一)

今昔物語集巻第二十四 344 船中の人はこれを聞いて皆ことごとく泣い この業平はかように和歌をすばらしく上手によんだ、と こう語り伝えているということだ。 業平右近の馬場に於て女を見て和歌を読 む語第三十六 今は昔、右近衛の馬場で五月六日に騎射が行われたが、 ありわらのなりひら おとどや 在原業平という人は中将であったから、大臣屋に着席して いると、その大臣屋の近くに女車が止って見物している。 したすだれ その時、風が少し吹いて、車の下簾がひるがえった。その 隙間から見えた女の顔に心引かれたので、業平中将は小舎 人童をやって、このように歌をよんでやった。 ひと みずもあらすみもせぬ人のこひしくはあやなくけふや ながめくらさむ ( ほんのちらっと見ただけで、本当によく見たわけでもない 人が恋しく思われて、今日はわけもなく物思いに日を暮した が、これはいったいどういうことなのでしよう ) 女の返歌は、 しるしらずなにかあやなくわきていはんおもひのみこ そしるべなりけれ ( 何をおっしゃいます。顔を知っているとか知らないとか、 あなたはやたらうるさく言われますが、恋の道では愛こそが たいせつな道しるべではありませんか。なんと野暮なこと を ) とあった。 これたかのしんのう また、この業平中将は、惟高親王とおっしやる方が山崎 に住んでおられた所に狩りをしに行ったが、天の河原とい う所で馬から降りて酒盛りをしている時、親王が、「天の 河原ということを題に歌をよんで杯をさしなさい」とおっ しやったので、こうよんだ。 かりくらしたなばたつめにやどからむあまのかはらに われはきにける ( 一日じゅう狩りをして日が暮れてしまいました。棚機姫よ 今夜のお宿をお貸し願えませんか。せつかく天の河原に来た ことですから ) これに対し、親王はよう返歌をなさらなかったので、お供 きのありつね をしていた紀有常という人がこうよんだ。 ひとゝせにひとたびきますきみまてばやどかす人もあ らじとぞおもふ たなばたひめ ひと

4. 完訳日本の古典 第30巻 今昔物語集(一)

おおかがみ 本話の典拠は末詳ながら、『大鏡』藤氏物語にもほば同趣の記事を収める。鎌足の死後、不比 たけちまろふささきうまかいまろ 8 等が家を継ぎ、さらにその四子、武智麿・房前・宇合・麿が、南家・北家・式家・京家の四家 を起し、房前流の北家が最も繁栄するに至った次第をしるした話。 十 ふひと 第 ニもと史で、後に不比等を当て 巻 た。「不比等」の初見は持統紀十年 じちみな いまはむかしたむかいこうまうおとどおはし 集今昔、淡海公ト申ス大臣御ケリ。実ノ御名ハ不比等ト申ス。大織冠ノ御太 + 月庚寅に「藤原朝臣不比等」。大 = ロ 五 鏡に「ならびひとしからすとつけ ははてんちてんわうおほむきさきなり 物らう られたまへる名にてぞ、この文字 昔郎、母ハ天智天皇ノ御后也。 今 は侍ける」とする。 おはし だいしよくくわんうせたまひのちおほやけつかまったまひ 三 ↓二四ハー注一三。 而ルニ、大織冠失給テ後、公ニ仕リ給テ、身ノ才極テ止事無ク御ケレバ 六 四長男。正しくは二男。前話で をのこごよたりおはし たらうたけち おはし さだいじん なりのばたまひょまつりごち 左大臣マデ成上リ給テ、世ヲ政テゾ御ケル。男子四人ゾ御ケル。太郎ハ武智定恵の弟としながら、ここで太郎 とするのは不審。しかし、この種 にらうふさきおとどまうし おはし まろまう なりのばり そひとだいじん ふささき の矛盾は房前にもみられる。 麿ト申シテ、其ノ人モ大臣マデ成上テゾ御ケル。二郎ハ房前ノ大臣ト申ケリ 五 ↓二六ハー注八。 まろまうし しらうさうきゃうだいぶ まうし さぶらうしきぶのきゃう むまかひ 六正しくは右大臣。 三郎ハ式部卿ニテ、宇合トゾ申ケル。四郎ハ左右京ノ大夫ニテ、麿ト申ケリ 七天平六年従一一位右大臣、天平 なむけ みなみぢうたまひ よたりみこ たらうおとどおやおほむいへ 此ノ四人ノ御子ヲ、太郎ノ大臣ハ祖ノ御家ョリハ南ニ住シ給ケレバ南家ト名付九年 ( 七き七月二十四日、死に臨 んで正一位左大臣を授けられ、翌 さぶらうしき きたぢうしたまひ にらうおとどおやおほむいへ 北ニ住給ケレバ北家ト名付タリ、三郎ノ式日没。年五十八。 タリ、二郎ノ大臣ハ祖ノ御家ョリハ ↓三〇ハー注一。 しらうさきゃうだいぶ くわんさきゃうだいぶ なづけ しきけ ぶのきゃうくわんしきぶのきゃう 部卿ハ官ノ式部卿ナレバ式家ト名付タリ、四郎ノ左京ノ大夫ハ官ノ左京ノ大夫九馬養とも。神亀三年 = 六 ) 従 三位式部卿となる。造営・軍事に きゃうけなづけ 功があったほか、詩歌に長じ、懐 ナレバ京家ト名付タリ。 風藻、経国集、万葉集に所収。 にらうおとどおはむ よっのいへながれながれこ 此ノ四家ノ流々此ノ朝ニ満テ弘ゴリテ隙無シ。其ノ中ニモ二郎ノ大臣ノ御一 0 養老五年 = l) 左右京大夫と しか と てうみ ひろ ひまな み ふひと そ なか ぎいきはめやむごとな まうだいしよくくわんおほむた なづけ 0 なづけ 0 ふひ

5. 完訳日本の古典 第30巻 今昔物語集(一)

一はひおほと そのをのこそのはひなかうづみおきしばらみ 一意識的欠字とみられる。灰の 難知シ。然ラバロ灰ヲ多ク取リ集メテ、其男ヲ其灰ノ中ニ埋テ置テ暫ク見ョ」 種類の明記を期したものか たきぐちかへり ただあきをし はひおほあつめそのなかをのこうづ ニ文意がやや落ち着かず、疑問 ト教へケレバ、滝ロ返テ、忠明ノ教へニ随テ、灰ヲ多ク集テ、其中ニ男ヲ埋ミ あまた が残る。あるいは原資 - ・数ロシテ」 四 はひう′」き かきあけみ ひとふたときばかりへ ゃうなり + 置テ、一二時計ヲ経テ見ルニ、灰動ケレバ、掻開テ見ルニ、此男例ノ様ニ成の空格が消滅したものか。「数」が 「欸」の誤写とすれば、「あくびシ みづのま のちひとごこち なりはて テ」で、文意の通りはよい 巻テ数シテ有ケルニ、水飲セナドシテ後、人心地ニ成畢ニケレバ、「此ハ何ナリ みぶ 三美福門 ( 壬生 ) 大路を南下して。 集 こと とひ をのこいは きのふはっしゃうらう おほせうけたまは いそび 語ツル事ゾ」ト問ケレバ、男ノ云ク、「昨日、八省ノ廊ニテ仰ヲ承リテ、急ギ美四神泉苑の略。平安京造営時以 五 四 来の皇室の庭園。しばしば祈雨修 昔 ふくくだ はしさむらひ しんせんにしおもて にはからいでん ゅふだちつかまっ ほど 今福下リニ走リ候シニ、神泉ノ西面ニテ、俄ニ雷電シテ、タ立ノ仕リシ程ニ、神法が行われ、竜蛇の出現・昇天の 霊異が多く伝えられる。 せんうち やみなり にしギ、まくら みやり そのくら 五雷がとどろき、稲妻がひらめ 泉ノ内ノ、暗ニ成テ西様ニ暗ガリ罷リシニ、見遣タリシニ、其暗ガリタル中ニ こむじき きらみ きみさむらひ しはうくれふさ ものおばえず 六西方に向けて暗くなっていき 金色ナル手ノ鋼ト見へシヲ急ト見テ候ショリ、四方ニ暗塞ガリテ、物モ不思シ ましたので。 あらぎ みちふすべ ねむ このとのまゐつき 七「急」の字音を借りて「きと」に テ侍シヲ、然リトテ路ニ可臥キ事ニモ非リシガ、念ジテ此殿ニ参リ着シマデハ 当てたもの。ふっと。ちらっと。 ほのかおばはべ そののちことさらおばはべらず ^ あたり一面が真っ暗になって。 髴ニ思へ侍リ。其後ノ事ハ更ニ思へ不侍」ト。 この前後の記事、弱い感電現象ま またただあきもとゆき たきぐちこれきき あやし・おもひ はひ たは一種のショック現象と解され 滝ロ此ヲ聞テ、怪ミ思テ、亦忠明ノ許ニ行テ、「彼ノ男、仰セノマ、ニ灰ニ る。 まう うづみ . しばらあり こころなほり しかしか ただあき 「非リシカバ」の意か。「非ザ 埋タリシカバ、暫ク有テ、人ノ心ニ直テ、然々ナム申ス」ト云ケレバ、忠明九 丿シガ」なら、「ガ」は接続助詞と りうてい あぎけりわらひ み そのぢ 、一と - な 嘲咲テ、「然レバコソ。人ノ竜ノ体ヲ見テ病付ヌルニハ、 其治ョリ外ノ事無なる。 一 0 あたりはばからず心から笑う たきぐちかへりのち ぢんまゐり ほかたきぐちどもこのことかたり たき シ」ト云ケレバ、滝ロ返テ後ニ、陣ニ参テ、他ノ滝ロ共ニ此事ヲ語ケレバ、滝意。いわゆる嘲笑の意ではない。 しりがた おき をし はべり あり て ひと ひと あっ こと まか したがひ やみつき をのこおほ このをのこれい しカ しん

6. 完訳日本の古典 第30巻 今昔物語集(一)

( 原文一六一一ハー ) たか」ときいたので、男は放さなかったと答えた。すると、 ある時、登照が用足しに出かけて、朱雀門の前を通った。 陰陽師はまた死人に向って呪文を唱え祈疇してから、「もすると、その門の下に大勢の老若男女が腰をおろして休ん うよろしい、さあ帰りましよう」と言って男を連れて家に でいたが、登照が見ると、この門の下にいる者はことごと 帰った。そして、「もう決して恐れなさる必要はありませく今すぐ死ぬ相が表れている。「いったい、どうしたこと ん。あなたのおっしやることがあまりお気の毒だったので だろう」と思い、立ち止ってよく見ると、いよいよその相 こうしたのです」と言った。男は泣く泣く陰陽師を拝むの が顕著であった。 であった。その後、男には少しのさわりもなく長命を保つ そこで、登照はあれこれ思いめぐらし、「今すぐこの連 中が死ぬというのはどういう訳だろう。もし悪い奴がやっ この話は近ごろのことであろう。この男の子孫は今も生てきて殺すにしても、この中の何人かを殺すに過ぎないだ 十 おおとのい ろう。全部が一度に死ぬということはあり得ない。おかし 第きている。また、その陰陽師の子孫も大宿直という所に今 「ひょっとしたらこ なことだ」といろいろ考えてみたが、 るでもいるそうだ、とこう語り伝えているということだ。 の門が今すぐ倒壊するのかも知れんそ。そうなれば、押し 相 を 僧登照朱雀門の倒るるを相ずる語第一一十 つぶされて、一瞬のうちに全滅してしまうに違いない」と る る 気がっき、門の下に居並んでいる者たちに向い、「おい 倒 の よく見よ。その門はいますぐ倒れてしまうが、そうなれば、 とうじよう 今は昔、登照という僧がおった。多くの人々の人相を見、押しつぶされてみんな死んでしまうそ。早く出て来い」と 大声で叫んだので、そこにいる者はこれを聞いてあわてふ 声を聞き、動作を知ることで、この先の命の長短を相し、 身の貧富を教え、その官位の高下を知らせてやる。このよ ためき、ばらばら一目散に飛び出した。 1 うに相して絶対誤ることがなかったので、京じゅうの僧 登照も遠く離れて立っていたが、風も吹かず、地震も起 らず、門にはほんのわずかのゆがみもないのに、にわかに 俗・男女は皆争ってこの登照の僧房に集って来た。

7. 完訳日本の古典 第30巻 今昔物語集(一)

まゐり いだきふしたま のたま ひきよせ この場合、「ひめのほうが文意に 人此ニ来テ有レ」ト宣ヒケレバ、参タリ。「此寄レ」トテ引寄テ抱テ臥給ヒヌ。 即するか。「ひめ」は「ひめいひ」の わかこころ よそみる うるはしらう あは おばたま ちかより ・一わいい 近ク寄タル気ハヒ、外ニ見ョリハ娥ク労タシ。哀レニ思工給ヒケレバ、若キ心略。「強飯」に対して、釜で柔らか く炊いた飯。小世継「ひめをして ことくりかへち挈一り きはめなが っゆいね まことゆすゑ こをほね・あはび・ほしとり・う ノ内ニモ実ニ行ク末マデノ事ヲ絡返シ契テ、長月ノ夜モ極テ長キニ、露不寝ズ るかなどして」。 ちぎりあか ちぎりおき ありさまい あさましおば あは みじけだかやう 小さな大根 シテ、哀レニ契置テケリ。有様モ極ク気高キ様ナレバ、奇異ク思エテ、契明シ 一九漢字表記を期した欠字。注一七 おき あけ いでむ はきたまひ たちニ四 かたみ テ、夜モ嗟ヌレバ、「起テ出」トテ、帯給タリケル大刀ヲ、「此レヲ形見ニ置タの小世継本文に照らすに、「ウル ニ去 カ ( 鮎の腸または卵の塩漬 ) 」が凝 を一と - あは ゅめゅめひとみ レ。祖心浅クシテ男ナド合ストモ、努々人ニ見スル事ナセソ」トテ、出モ不せられる。 ニ 0 「食リ」を「食ふ」の尊敬語「ま いでたま いひおき ゐるの連用形に当てたものとみ 遣ズ云置テ、出給ヒヌ。 る。小世継「まいりぬ」。 とも ほど ものども ャ : 」かし - 一 あるじたづねいできあひ むまのりしごちゃうばかりおはし 馬ニ乗テ四五町許御マシケル程ニゾ、共ノ者共ハ此彼ョリ主ヲ尋テ出来合三先の膳部を運んで来た女の子。 一三陰暦九月の称。 ぐ よろこあ きゃういへ かへりたまひ あ一まし タリケル。奇異ガリ、喜ビ合へリケリ。其ョリゾ具シテ京ノ家ニハ返給タリケニ三この字、古辞書にみえす。 「日が差す」意よりの造字か み たまは きみぎのふたかっか いでたま ちちうどねり ル。父ノ内舎人モ、此ノ君ノ昨日鷹仕ヒニ出給ヒニシガ、其ノマ、ニ見工不給ニ四地の文が区切りなく会話文に 移行した形。 あく ひといだ あ よもすがらおもあか 第 語ネパ、「何ナル事ニカ有ラム」ト終夜思ヒ明シテ、今朝ハ、明ルャ遅キト人出 = 五決して他の男に身をまかせて はならないの意。「人ニ見スル」は たづねつかはたまほど かへりたま かへすがへよろこ 大た 内シ立テ、、尋ニ遣シ給フ程ニ、此ク返給ヒタレバ、返々ス喜ビテ、「幼カラム多く女の後見者たる親に対する言 ニ七 い方で、当人には「人見ル」という こちちとの こころまか たかっかあり 高ほど かやうあり せいすべからなりわ 程ハ、此様ノ行キハ不可制ヌ也。我レガ心ニ任セテ鷹仕ヒ行キシヲ故父ノ殿ノのが普通。 ニ六出るに出られない様子で。 きはめうしろめな たまは これまか 制シ不給ザリシカバ、此モ任セテ遊バスルニ、此ル事ノ有レバ、極テ後目タ無毛良門の亡父冬嗣をさす。 ひとここき ら うち ・よ おやこころあさ あ こと おき あそ それ こちょ ながっきょ カカ ことあ おそ をさな ニ六 いでや

8. 完訳日本の古典 第30巻 今昔物語集(一)

ったが、行かないのもまた怪しまれるような気がして、し りか』と申して、走り掛かって来たので、これはてつきり 盗賊だと思いましたので、存分に打ち伏せたのでございま ぶしぶついて行った。 車にこばれるほど大勢乗って、そばまで行って見ると、 すが、今朝あらためて見ますと、こいつらはこのわたくし を長年よい折があったらとつけねらっていた者共でしたの 本当に、まだ手をつけないでそのままに置いてある。その で、うまい具合に敵として打ち止めたことになったわいと わきに、三十ぐらいのひげむじゃらな男が、無地の袴に紺 あわせ の洗いざらしの袷、その上に山吹色の衣の袖が日に焼けた 思いまして、奴らのそっ首を取ってくれようと思っておる さかつらしりさや ものを着、猪の逆頬の尻鞘をつけた太刀を帯び、鹿皮の沓のでございます」と言って立ち上り、死体を指さしたり、 をはいて立ちはだかり、胸を叩き叩き死体を指さして、だ上を向いたり下を向いたりしながらしゃべりまくる。殿上 五れかれとなく回りの者に向いしゃべり散らしている。何者人たちが、「それはそれは」と感嘆していろいろ問い尋ね ると、男はますます気が狂ったようにしゃべる。 第だろうと思っていると、車の供をしてきた雑色共が、「三 これを見て、則光は内心おかしくて仕方がなかったが、 人はあの男の敵で、あれに切り殺されたのだと申している 「こいつがこう名のり出たからは、人殺しの罪はこいつに りのです」と言ったので、則光は心中、これはありがたいと 、、、ほっとして顔を上げることが を思っていると、車に乗った殿上人たちが、「あの男を連れ譲れてありがたい」と思し 光て来い、訳を聞こう」と言って呼び寄せる。そこで男を召できた。それ以前は、こういう状況からもし自分のしたこ とだと発覚しはしまいかと、人知れず心配していたのに、 し連れて来た。 あご 見れば、頬骨が張り、しやくり頤で、わし鼻の赤毛の男自分の仕業だと名のる者が現れたので、〔それ〕のせいに してしまった、とずっと年老いてから自分の子供たちに向 奥だ。目は手でこすったせいか真っ赤で、片膝を突き、太刀 陸 って語ったのを語り伝えたものである。 のつかに手をかけて前に控えた。「何事があったのじゃ」 この則光は〔敏政〕という人の子で、今いる駿河前司季 と聞くと、「じつは夜半ごろ、さる所へ行くためここを通 りかかりましたところ、男が三人、『お前ここを通るつも通という人の父である、とこう語り伝えているということ

9. 完訳日本の古典 第30巻 今昔物語集(一)

つつ ) 0 はやくも一年たって、お別れした秋がまためぐってきました 、刀ナ′ ねえ ) ところが、亡くなって後、十月ほどたって、賀縁という 僧の夢に少将が現れ、たいそう気持よさそうに笛を吹いて夢さめて、妹はひどく泣き悲しんだ。 また、少将がまだ病床にある時、自分がまだ死ぬとも思 いるように見えたが、じつは、ただロ笛を吹いているだけ であった。これを見て賀縁が、「母上があれほど恋い悲しわす、「お経をよんでしまいたい」と言っているうちにま もなく死んでしまったので、妺の女御は、その後遺言を忘 んでおられるのに、どうしてそのように気持よさそうにし 十ておられるのか」ときくと、少将は何とも答えず、こうよれて、その身を葬ってしまった。すると、その夜母の御夢 少将が現れこうよんだ。 第んだ。 そで 語 しかばかりちぎりしものをわたり川かへるほどにはわ しぐれにはちぐさのそちりまがふなにふるさとの袖 む するべしやは ぬらすらむ を さんず しぐれ 歌 ( あれほど約束したのに、わたしが三途の川から立ち返る間 ( 俗世で時雨の降るころは、わが住む極楽浄土ではさまざま 和 に約束を忘れてしまわれるなどいうことがあるものですか ) の花が咲いては散り乱れ、まことに楽しい思いがしている の 光 それなのに、どうして古里の俗世ではいつまでもわが死を悲母は夢がさめて後、泣きまどいなさった。 朝 夜 しんで泣いているのであろうか ) されば、和歌をよむ人というのは、死後よんだ歌もこの の ようにすばらしいものである、とこ , っ語り伝えているとい 夢がさめて、賀縁は涙にくれた。 , っことだ。 がまた、翌年の秋、少将の御妹の夢に、少将が妹と出会っ 融てこうよんだ。 円 きてなれしころものそでもかはかぬにわかれしあきに なりにけるかな ( あなたの着なれた喪服の袖の涙もまだ乾ききらぬうちに、 1 - ロ そで とっき がえん 円融院の御葬送の夜朝光の卿和歌を読む 語第四十

10. 完訳日本の古典 第30巻 今昔物語集(一)

いなりねぎ また、この赤染は、夫の匡衡が稲荷の禰宜の娘を愛人と し出し、「あなたは何事でも知らないことのないお方です から、ひとっこれを弾いてくださいませんか。どうぞお弾 してねんごろになり、自分のもとには長い間訪れなかった きあそばせ。お聞かせくださいな」と言う。匡衡はそれに ので、このようによみ、稲荷の禰宜の家に夫が行っている は答えず、このようによんでやった。 時に送った。 まっ あふさかの関のあなたもまだみねばあづまのこともし わがやどの松はしるしもなかりけりすぎむらならばた られぎ、りけり づねきなまし あずま おうさか ( どのようにわたくしがお待ちしていても、わが家の松には ( 逢坂の関の向こうはまだ見たこともないから、東のことは あ・ま′一と 何もわかりません。和琴は不調法です ) あなたを引きつける力はないことですね。松でなく、いと すぎむら い方のおられる稲荷の社の杉叢ならばあなたはいそいそと尋女房たちはこれの返歌はとうていできそうになかったので、 ねて来られることでしよう ) よう笑いもせず、しんと静まって、一人立ち二人立ち、皆 十 第匡衡はこれを見て気恥ずかしく思ったのであろうか、赤染立って行ってしまった。 五ロ また、この匡衡がある官職の希望を申し出たが、達せら むのもとに改めて通うようになり、稲荷の禰宜のもとには通 読 れないで嘆いているころ、殿上人が大勢で大井川に行き、 わなくなった、とこう語り伝えているということだ。 歌 船に乗り、上り下りして遊びながら歌をよんだが、この匡 を 衡も人々に誘われて同行し、こうよんだ。 こ読む語第五十一一 大江匡衡和琴を和歌幺 = ロ 琴 み かはぶね 河舟にのりて心のゆくときはしづめる身ともおもはざ おおえのまさひら - り , ・け「り - 江今は昔、式部大夫大江匡衡という人がおった。 大 ( 川舟に乗り美しい景色をめでつつ遊びながら行くと、心ゅ まだ学生であったころ、風雅の才はあったが、のつばで く思いがして、任官できぬ不満などけし飛んでしまうような 怒り肩をしており、容姿が見苦しかったので、女房たちに わごん 気がすることだ ) 笑われていた。ある時、女房たちが匡衡を呼んで和琴をさ せき い′て